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MKの恩人に恩返しツァー〜稚内編「鹿続きの旅の終わり」

2024-11-01 | お出かけ

MKの恩人とそのガールフレンドを含む家族で、
なぜか北海道の稚内に旅行に行ってきた話、続きです。



この朝、何気なくGoogleマップの位置情報を見て、当たり前のことながら、
自分のいる位置がまさに日本の天辺であることに感銘を覚え、
記念のスクショを撮っておきました。(太陽マークは住居地)


ところで、昨日アテンドしてくださった牧場の社長は、
連れにアメリカ人がいるということでこのようなパンフを用意してくれました。

従前は日本人でも夏以外は訪れないような最果ての地だったはずですが、
今や、こんな充実したパンフレットを三カ国語、しかも
中国語は簡体字と繁体字の2種類用意して、Webサイトもあるほど、
国際的な観光地として成り立っているということです。



「北防波堤ドームで撮った写真をSNSに上げよう」
(日本語は『インスタ映えする写真を撮る』)

■ ホテルの敷地にエゾジカ

ここに来てすぐ、車で走っているとその辺を鹿が走り回り、
車が彼らを轢かないように慎重に運転している様子を目撃しました。

前回の奈良に続き、やたらと鹿に縁がある今回のツァーです。


朝、車に用事があってホテルを出ると、エントランス横の敷地内に
鹿の群れが朝ご飯に来ていたので驚きました。

こちらにいるのは文字通り北海道に生息するエゾシカで、
ホンシュウジカと呼ばれる奈良の鹿とは形態も差異があるそうです。

他のニホンジカより大きめで、オスのツノは種の中でも最大なのだとか。



ウィキのエゾシカの項目に掲載されていた稚内で撮られた写真。
いかに稚内にエゾシカが多いかがわかります。

もっとも、人間が開拓でやってくるまでは、ここはエゾシカの天国で、
原始の森に大群で生息していたわけですから、彼らの立場になれば、
人間は後からやってきてこちらを迫害する害獣ということになります。



しばらく鹿を眺めていたら、奥にキタキツネがいるのに気がつきました。
鹿のリーダーらしい雄も、キツネに気がついて注目しています。

キツネは肉食ですが、ネズミや鳥、昆虫、蛇などを食し、
大きくてもせいぜいリスしか狙わないので、シカにとっては無害ですが、
やはり仔鹿を含む群れのボスジカとしては警戒しているようです。

このとき、ボスが睨んでいるのにキツネも気がつき、見つめあっています。


その時、ボスジカがこちらを振り返りました。

この写真にもわかるように、お尻が白いのがエゾシカの特徴です。
これはオスメス、季節関係なく、みな同じです。

彼らはこれから多雪寒冷の季節を迎えるため、食べられるだけ食べて、
せっせと体重と脂肪組織を増やしている最中です。

キツネはその間、なぜか場所を移動し始めました。



何をするかと思ったら、欠伸しながら後足を思いっきり伸ばしてストレッチ。
ボスは何してんのあいつ、みたいに凝視しています。

キツネの伸びを生まれて初めて目撃しました。
猫みたいに背中は丸めず、足だけを伸ばすようです。


伸びをしながらボスジカとわたしを交互に見ているキツネ。



そのとき、ボスジカが、警告の意味なのか一声鳴きました。

わたしは兼ねてから、百人一首の、

「もみじ踏みわけなく鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」

という句を見るたび、鹿ってなんて鳴くんだろうと思っていましたが、
今回の奈良・稚内旅行で、もう一生分くらい鹿の声を聴いた気がします。

エゾシカはこんな鳴き声を出す!@北海道西興部村 キューキューと、なかなかキュートです。

■ 稚内公園展望台と記念館

二日目は丸一日、わたしたちだけで観光することになりました。
とりあえずどこに行けばいいですか、と社長に聞いたところ、
稚内公園に行って、高いところから海を見下ろすのをお勧めされました。


稚内公園は、海に対して切り立った丘の上にそびえる、この展望台、
「開基百年記念塔」を持つ観光地の一つです。

ここに宗谷村が設置され役所が置かれてから100年後の1979年に、
それを記念して建設されたのがこの記念塔だということです。


ここが稚内湾を一望する、見晴台。


見晴台からは泊まっているホテルと防波ドームがよく見えます。
冬はマイナス10℃になり、この一帯は深く雪と氷で覆われてしまうため、
展望台も10月末から4月下旬(ゴールデンウィーク)まで閉館となります。


峯孝作「出」(バレリーナの像)の前で。



最初はこの昭和感濃い記念館が営業しているとは知らなかったのですが、
近づいたら開いていることがわかったので、入ってみました。



右手のエレベーターで展望台に上ります。


展望台高さは海抜240m。
今さっきまでいた見晴台がまるでミニチュアのよう。


展望台から肉眼ではこのような眺めが360度パノラマで広がります。
今右手に見えているのは、樺太?それとも宗谷岬?


展望台の影。


昆布で有名な利尻島の「利尻富士」。


食べ物も水もない、海抜240mの展望台に迷い込んでしまったハエ。
しかもここはもうすぐ半年間閉鎖になります(-人-)

■稚内歴史資料


展望台に上るには自動的に入り口で入館料を払うことになるので、
まあ時間もあることだし、と歴史博物館を見学しました。

これは、開拓団が入り、町として開けた宗谷に赴任した役人が、
極寒の地で生活するために鍛鉄で製作した西洋式ストーブで、
その名も「カッヘル」(オランダ語の『ストーブ』)。


北海道でアイヌは先住民族ですから、北海道の地名は
ほとんどがアイヌが使用していたものの漢字変換です。

例えば「宗谷」も、アイヌ語の「岸の途中に岩の多いところ」
を表す「ソ・ヤ」(二文字で済むのが謎)と呼ばれていたからです。

ついでに稚内は「ヤム・ワッカナイ」=「冷たい水の出る沢」。
北海道に「内」のつく地名が多いのは、アイヌ語の「ナイ」
=小さい川・沢がよく使われていたからです。

苫小牧は「ト・マク・オマ・ナイ(沼の奥にある川)」。
真駒内は「マク・オマ・ナイ(奥にある川)」。

また士別、江別などの「別」は「ペッ」=大きな川という意味です。

ここに展示されているのは宗谷にいたアイヌの所持品などで、
左上の人物は最後のアイヌ文化継承者、柏木ベン氏(1879〜1963)です。


左の地図(北海道北端)は、伊能忠敬測量による原寸大のもの。
間宮林蔵は、実は伊能忠敬に測量の指南を受けています。

ちなみに、稚内のゆるキャラ「りんぞうくん」は間宮林蔵がモデルですが、
ここは思い切って「まみりん」でもよかったかもしれない。



サブゼロが当たり前のこの北の果ての地でも、開拓団が拓き、
役所ができればそこに赴任させられる公務員もいたわけで、
江戸時代、ここに勤務した武士たちは、冬の夜も凍え死なないように、
このような寝棺(藁を重ねてその上に毛皮を敷いてある)を発明しました。

想像するに、火を焚くしか暖を取る方法のない時代、
部屋の中でも気温は外と大差なかったのではないでしょうか。

現地の説明にもありましたが、彼らは当時、
そんな赴任地で、毎日凍死の恐怖と戦っていたと思われます。

この寝台は再現されたものなので、中に実際寝てみることもできます。

■稚内駅の変遷


稚内港が開港した明治12年、役所が開設されました。
このジオラマは、明治29年当時を再現しています。



1928年(昭和3年)開業した稚内港駅。
初代駅舎は港に連絡させるため、海側にありました。



1938年(昭和13年)移転した第二代目稚内港駅。


この写真は1939年のもの


そして、昭和感あふれる三代目稚内駅舎(wiki)

■ 氷雪の門〜真岡郵便電信局事件



日本の降伏後、樺太へのソ連軍の侵攻が始まりました。
終戦を受けても疎開せず業務に当たっていた真岡電信局の女性交換手は、
8月20日、ソ連軍が真岡に上陸したとの知らせを受け、自決を図りました。

写真は、このとき自決によって亡くなった9名の女性です。

稚内公園内にある、彼女らの慰霊のために建てられた
「殉職九人の乙女の碑(9人の乙女の像)」には、
当初、彼女らが最後に打電した、

"皆さん、さようなら、さようなら、これが最後です"

という言葉とともに、自決は日本軍の命令であるとあり、
戦後この件について事実と照らしさまざまな議論が起こったと言います。

■ 宗谷サンセットロード


稚内から宗谷本線と並行し利尻島側を南下する海岸線の道路は、
構造物がない自然だけの景色が見えるという話を聞いていたので、
この日はこの「宗谷サンセットロード」をドライブしました。



道道(北海道の道)106号線は、途中で名前を変えながら
海沿いに沿ってほぼ北海道を一周します。


ザ・北海道。


この日の目的地であるカフェに到着しました。
牧場があることから、きっとこの辺はアイスクリームが美味しいに違いない、
という意見が出て、案内の社長に伺ったところ、
北海道内のコンテストで賞を取ったお店を教えてくれたのです。



お店の半分は雑貨を売るコーナーになっていました。
キャラクターグッズや、アメリカからの直輸入らしい物が主流です。


どういう意図か「ビーガン」とプリントされたエプロンがあったので、
お節介ながらポケットには牛をアレンジしておきました。



たくさんのメニューがあり迷ってしまいました。
これはロコモコ丼。



カフェでもラーメンが食べられるのが北海道。
気のせいか、ちょっとカフェ風なオシャレ感漂うラーメンです。

皆が期待していたアイスクリームですが、どういうわけか全員、
飲み物にアイスが混入したもの(ミルクセーキとか)を頼んで、
気がついたらもうアイスはいいや、という状態で、誰も頼みませんでした。

■ トナカイ牧場


次に訪れたのは、トナカイ観光牧場。

天塩の幌延というところにあり、例のガイドブックには載っていません。
つくづく偶蹄目シカ科に縁のあるツァーですが、これも偶然です。



どうしてここにトナカイ牧場があるかなんですが、
脱サラした本州の人がフィンランドでトナカイの飼育を学び、
平成元年、北海道に牧場を購入して家畜として輸入したのが最初です。

その後、観光を目的として幌延町が広い牧草地を購入し、
平成11年のクリスマスにトナカイ観光牧場としてオープンさせました。

駐車場に降り立った途端、漂うトナカイの香りでその存在は確認しましたが、
ご覧のように、柵の近くにはごく少数がウロウロしているだけ。
資料によると、現在35頭が生息しているそうです。

この少数は、観光客のくれる餌を期待して近づいてきたようですが、
いかんせんその客が、わたしたちとこのカップルだけだったという・・。



わたしとTOがカップルの餌やりを見ていると、三人が登場。


建物の出口にあったサンタクロース衣装を着て出てきたのでした。


三人とも実に誇らしげ。
カップルは心なしかそそくさと引き揚げていきます。


たとえどんなしょぼい観光地でも(ここがそうだと言ってるのではないです)
こういう人たちと一緒だと、全く退屈しません。

SAさん一人、トナカイのかぶりものを選ぶあたり、いいセンスしてます。
さっそくお友だちが近づいてきました。


「良きにはからえ」王者の貫禄的な?


角を切った跡があります。
考えたこともありませんでしたが、トナカイはメスも角を持つのだそうです。
そうか・・女子もサンタのソリに加わることがあるんだ。

「ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、
コメット、キューピッド、ドンダー、ブリッツェン」


もしかしたらコメット、ブリッツェンはメス?

サンタとトナカイの三人の姿を見て近寄ってきたトナカイは、
彼らが餌やりをしてくれないことがわかるととっとと離れていきました。



トナカイ牧場だけあって、立派なもみの木が・・・・、
と思ったのですが、これものすごく精巧なニセ樅木です。

当牧場では冬になると張り切って「トナカイホワイトフェスタ」を開催、
(毎年やっているんだと思うけど、どうかしら)
イルミネーションや、各地イベントにトナカイを派遣するなどしています。

冬は、雪上をトナカイの引くソリに乗るというサンタな体験もできます。



この三人の写真が撮れただけで、ここに来た甲斐があったかも。


帰りは少し遠回りして、海沿いを走りました。
道路沿いにも風力発電が林立しています。

■ 稚内最後の晩餐



ドライブから帰り、部屋で休憩してから、稚内最後の夕食に選んだのは、
ミシュランで過去一度星を取ったことがあるというステーキ店。

ここだけの話ですが、地元の人の噂によると、
かつてこの店で、J×のメンバーが酔って?大騒ぎし、
店主が怒って、彼らを出禁にするという事件があったそうです。

何があったかはわかりませんが、出禁にするくらいだから、
度をわきまえなかった客が悪いんだと思うのですが、地元の人は、
議員まで入れ和解を図ったのに、店主がんとして謝罪を受け入れず、
どちらかというとそこまで頑固なのもいかがなものか、
みたいになっているという話を聞いて、なんだかなーと思いました。

だからお店としてもお勧めできないというのは違うんじゃない?と。



というわけで、ここで食べてみました。
メニューはシンプル、フィレかサーロインステーキの二択。

写真を見てお分かりのように、昭和で時が止まっています。

お店の構えもそうですが、このバターの載ったステーキ、人参の切り方、
そういえば昔、ステーキ店ってこうだった、とノスタルジーにかられました。

お味も、小さな頃三宮で食べたステーキを彷彿とさせるものでした。



わたし以外のメンバーはその後ホテルのバーに繰り出しました。
向こうにある怪しい光を放つカクテルにはライト型の氷が混入しています。
これはGBくんが頼んだものだということです。


次の朝、最後なのでホテルの前の緑地帯を歩いてみました。
ここでは時折ランタンフェスティバルのようなお祭りも行われるようです。



ただ、この一帯もそうでしたが、この季節、稚内は
くまなく動物園のような鹿の匂いに包まれていたことを告白します。


というわけで、その日お昼過ぎの便で稚内を発ちました。
今後の人生で、ここに再び戻って来ることはあるかしら。


離陸した飛行機が上昇中、真下に見えたのは大沼です。
稚内市域最大の沼で、毎年白鳥がやってくることでも有名でしたね。

そうだ。
雪の降るころ、ここに白鳥を見に来るっていうのもいいかもしれない。


続く(!)