さて、先日の観艦式に伴う一般公開イベントですが、
わたし自身が参戦し見学した部分についてのご紹介は
前回のカナダ海軍をもち終了してしまいましたので、この後は
Kさんからいただいた写真を取り上げたいと思います。
今回は、ヴェルニー公園側の岸壁だけでなく
長浦港側にある横須賀港第二区も、いつの間にか公開されており、
Kさんはここの写真も送ってきてくださっていました。
外国艦艇以外は全部掃海艇という状態です。
この図のF-10バースにいる2隻は、
インドネシア海軍 KRI「ディポネゴロ」Diponegoro
ブルネイ王国 KDB「ダルレハン」Darulehsan
この図のF-10バースにいる2隻は、
インドネシア海軍 KRI「ディポネゴロ」Diponegoro
ブルネイ王国 KDB「ダルレハン」Darulehsan
と、どちらも読み方に躊躇する艦名です。
特にブルネイのこれをこう読むのかについては全く自信がありません。
多分こうだろうと思って書いていますので念のため。
しかしそもそもブルネイの言語ってなんなの?
というわけで、今日はこの2隻について深掘りしていきます。
■ ブルネイ王立海軍
ブルネイ、という国について我々はあまり知りません。
わたしのごときは、日本に王族が来たとき、一夫多妻の国であるので
ホテルには第1〜第n→∞夫人がお供を引き連れてお泊まりになり、
ホテルの中のブランドショップで買い物をする際も、
全員の奥に公平に買い与えないといけないので、誰かが買うと
特にブルネイのこれをこう読むのかについては全く自信がありません。
多分こうだろうと思って書いていますので念のため。
しかしそもそもブルネイの言語ってなんなの?
というわけで、今日はこの2隻について深掘りしていきます。
■ ブルネイ王立海軍
ブルネイ、という国について我々はあまり知りません。
わたしのごときは、日本に王族が来たとき、一夫多妻の国であるので
ホテルには第1〜第n→∞夫人がお供を引き連れてお泊まりになり、
ホテルの中のブランドショップで買い物をする際も、
全員の奥に公平に買い与えないといけないので、誰かが買うと
連鎖的に全員の奥がその店で買い物をすることになり、
おかげでお店は濡れ手に粟状態、という話を聞いたことがあるくらいです。
(少なくともわたしは)その国が海軍を持っているかどうかについては
さらに考えたこともないというのが大方のところではないでしょうか。
まず、ブルネイで使用されている言語はマレー語です。
王立ブルネイ海軍The Royal Brunei Navy
はマレー語で、
Tentera Laut Diraja Brunei
であるので、略称はRBNではなくTLDBとなります。
そして、もし知っている方がいたらすげー!と思うのですが、
ブルネイの正式な国名は、
Burnei Darussalam
(ブルネイ・ダルサラーム国)
というのだそうです。
おかげでお店は濡れ手に粟状態、という話を聞いたことがあるくらいです。
(少なくともわたしは)その国が海軍を持っているかどうかについては
さらに考えたこともないというのが大方のところではないでしょうか。
まず、ブルネイで使用されている言語はマレー語です。
王立ブルネイ海軍The Royal Brunei Navy
はマレー語で、
Tentera Laut Diraja Brunei
であるので、略称はRBNではなくTLDBとなります。
そして、もし知っている方がいたらすげー!と思うのですが、
ブルネイの正式な国名は、
Burnei Darussalam
(ブルネイ・ダルサラーム国)
というのだそうです。
ブルネイがどこにあるかも一応押さえておきましょう。
今回、横須賀第二管区に係留した海軍の艦艇は、
「ブルネイ」「マレーシア」「インドネシア」
だったわけですが、つまりこういうことなんです。
このボルネオ島の三つの国はオランダに支配された後、
イギリスに支配され、第二次世界大戦で日本に戦時統治されました。
ブルネイはこの期間「ブルネイ県」として日本人の知事が置かれ、
港は軍港として聯合艦隊を停泊させていました。
例えばレイテ海戦の際、栗田艦隊はブルネイから出港しています。
ブルネイ海軍の規模ですが、総人口46万人の国にしては
なかなかのもので、さすがは資源金持ち国です。
因みにこの人口は石川県金沢市と兵庫県尼崎市の間くらいです。
今回、横須賀第二管区に係留した海軍の艦艇は、
「ブルネイ」「マレーシア」「インドネシア」
だったわけですが、つまりこういうことなんです。
このボルネオ島の三つの国はオランダに支配された後、
イギリスに支配され、第二次世界大戦で日本に戦時統治されました。
ブルネイはこの期間「ブルネイ県」として日本人の知事が置かれ、
港は軍港として聯合艦隊を停泊させていました。
例えばレイテ海戦の際、栗田艦隊はブルネイから出港しています。
ブルネイ海軍の規模ですが、総人口46万人の国にしては
なかなかのもので、さすがは資源金持ち国です。
因みにこの人口は石川県金沢市と兵庫県尼崎市の間くらいです。
海軍のホワイトエンサイン。
旗の端っこが消えてしまい少しわかりにくいですが、
黄色いブルネイの旗が左上に配置されていると思ってください。
黄色いブルネイの旗が左上に配置されていると思ってください。
さて、そんなブルネイ海軍は1965年設立されました。
創立当初は将校一人を含む18人の軍人からなる部隊で、
当初は名前も海軍ではなく「ボートセクション」で、
その後「ボート中隊」となりました。
(ボート部とかでなくてよかった)
現在もですが、海軍軍人のほとんどはマレー人で構成されていました。
ブルネイ王国のボート中隊は3隻の河川パトロール艇取得、
その後、ホバークラフト2隻を導入しました。
最初に「旗艦」と呼べる艦船を取得したのは1968年。
高速巡視船KDB 「パラワン」Pahlawan
当初は名前も海軍ではなく「ボートセクション」で、
その後「ボート中隊」となりました。
(ボート部とかでなくてよかった)
現在もですが、海軍軍人のほとんどはマレー人で構成されていました。
ブルネイ王国のボート中隊は3隻の河川パトロール艇取得、
その後、ホバークラフト2隻を導入しました。
最初に「旗艦」と呼べる艦船を取得したのは1968年。
高速巡視船KDB 「パラワン」Pahlawan
でした。
その後ボート中隊は
王立ブルネイ・マレー連隊、第1海兵大隊
Angkatan Laut Pertama, Askar Melayu DiRaja Brunei
(ALP AMDB )
Royal Brunei Malay Regiment, First Sea Battalion)
と改称、改組されました。
兵力は将校含む総員42名。
装備は高速巡視船1隻、川巡視船3隻、ホバークラフト2隻、
高速襲撃艇、ロングボートとTemuai(アルミニウム船)少々が全て。
第二次世界大戦後、日本の占領下から解放されたブルネイは、
戦前同様イギリス軍事政権下に置かれ、1984年に独立するまで続きます。
イギリス占領時代は海軍力もイギリス海軍に頼っていましたが、
独立後、ブルネイは軍事力をめきめき拡大し、1991年10月1日に
第1海兵大隊はロイヤル・ブルネイ・ネイビーとして再び再編されました。
現在のブルネイ王立海軍の役割は、以下の通り。
海上からの攻撃に対する抑止力
海洋資源の保護
シーレーン=海上通信線(SLOC Sea lines of communication)の維持
200海里のEEZの監視
海上での捜索・救助活動
RBAF(ブルネイ陸空軍)部隊の作戦活動の支援
ブルネイ国防省の命令下、安全保障機関や省庁の保護
その後ボート中隊は
王立ブルネイ・マレー連隊、第1海兵大隊
Angkatan Laut Pertama, Askar Melayu DiRaja Brunei
(ALP AMDB )
Royal Brunei Malay Regiment, First Sea Battalion)
と改称、改組されました。
兵力は将校含む総員42名。
装備は高速巡視船1隻、川巡視船3隻、ホバークラフト2隻、
高速襲撃艇、ロングボートとTemuai(アルミニウム船)少々が全て。
第二次世界大戦後、日本の占領下から解放されたブルネイは、
戦前同様イギリス軍事政権下に置かれ、1984年に独立するまで続きます。
イギリス占領時代は海軍力もイギリス海軍に頼っていましたが、
独立後、ブルネイは軍事力をめきめき拡大し、1991年10月1日に
第1海兵大隊はロイヤル・ブルネイ・ネイビーとして再び再編されました。
現在のブルネイ王立海軍の役割は、以下の通り。
海上からの攻撃に対する抑止力
海洋資源の保護
シーレーン=海上通信線(SLOC Sea lines of communication)の維持
200海里のEEZの監視
海上での捜索・救助活動
RBAF(ブルネイ陸空軍)部隊の作戦活動の支援
ブルネイ国防省の命令下、安全保障機関や省庁の保護
なお、ブルネイ海軍の保持する艦艇は以下の通りです。
三重県と同じくらいの国土面積で尼崎市くらいの人口なのに、
これだけの武装を持っているとは驚きます。
これだけの武装を持っているとは驚きます。
【海洋哨戒艦】
洋上巡視艦
「ダルサラーム」級4隻(ドイツ製)
【沿岸パトロール船】
「ダルサラーム」級4隻(ドイツ製)
【沿岸パトロール船】
陸上巡視船
「イジュティハド」級 4隻(ドイツ製)
「14.5m」級 7隻(シンガポール製)
「PDB 0-1」11隻(シンガポール製)
【高速攻撃艇】
「ムステッド」級「21ムステッド」(シンガポール製)
「ワスパダ」級 「P02ワスパダ」
「イジュティハド」級 4隻(ドイツ製)
「14.5m」級 7隻(シンガポール製)
「PDB 0-1」11隻(シンガポール製)
【高速攻撃艇】
「ムステッド」級「21ムステッド」(シンガポール製)
「ワスパダ」級 「P02ワスパダ」
【揚陸艇】
水陸両用「セラサ」級 2隻(オーストラリア製)
「ダムアン」級(イングランド製)「L32プニ」
【支援船】
YFL「ブロングヌリ」
「ダムアン」級(イングランド製)「L32プニ」
【支援船】
YFL「ブロングヌリ」
今回日本に来日したKDB「ダルレハン」(07)は、
主力海洋哨戒艦「ダルサラーム」級の2番艦となります。
KDB「ダルレハン」
「ダルサラーム」級海洋哨戒艦は、ブルネイ海軍の艦艇の中で
最大かつ最も高性能な艦艇であり、
今回のように、国際的な海軍演習にしばしば参加しています。
「ダルサラーム」級海洋哨戒艦は、ブルネイ海軍の艦艇の中で
最大かつ最も高性能な艦艇であり、
今回のように、国際的な海軍演習にしばしば参加しています。
■ 「ダルサラーム」級取得のトラブル
造船業界ではおそらく有名な話なのですが、ブルネイ海軍は
この「ダルサラーム」級」を取得する前、
「ナホダ・ラガム」(Nakhoda Ragam)級コルベット
3隻をグラスゴーのBAEシステムマリーンに受注していました。
ところが、ブルネイ海軍、何が気に入らなかったのか、
この3隻の受け取りを拒否したのです。
なぜブルネイ海軍がそこまでこのコルベットに拒否を示したのか、
どこにも理由が書かれていなかった(というか探してない)のですが、
この拒否は業界でもやはり異常な事態だったらしく、仲裁対象となり、
結局ブルネイ海軍勝手すぎね?お前責任持って買い取れや、
とBAEに有利な判決が出されて解決しました。
これってお金持ちのワガママってやつだったんでしょうか。
ブルネイ海軍は「要求仕様を満たしていないせい」と言い放ったそうですが。
その後、ブルネイ王立技術サービスはコルベットを買い取らされ、
ドイツの造船所に仲介させて、なんとかインドネシアに売却しました。
だから、結局ブルネイ海軍は最終的にあまり損しなかったと思われます。
インドネシア海軍に売られたくだんの3隻は、
「ブン・トモ」Bung Tomo級フリゲート
この「ダルサラーム」級」を取得する前、
「ナホダ・ラガム」(Nakhoda Ragam)級コルベット
3隻をグラスゴーのBAEシステムマリーンに受注していました。
ところが、ブルネイ海軍、何が気に入らなかったのか、
この3隻の受け取りを拒否したのです。
なぜブルネイ海軍がそこまでこのコルベットに拒否を示したのか、
どこにも理由が書かれていなかった(というか探してない)のですが、
この拒否は業界でもやはり異常な事態だったらしく、仲裁対象となり、
結局ブルネイ海軍勝手すぎね?お前責任持って買い取れや、
とBAEに有利な判決が出されて解決しました。
これってお金持ちのワガママってやつだったんでしょうか。
ブルネイ海軍は「要求仕様を満たしていないせい」と言い放ったそうですが。
その後、ブルネイ王立技術サービスはコルベットを買い取らされ、
ドイツの造船所に仲介させて、なんとかインドネシアに売却しました。
だから、結局ブルネイ海軍は最終的にあまり損しなかったと思われます。
インドネシア海軍に売られたくだんの3隻は、
「ブン・トモ」Bung Tomo級フリゲート
として、2014年から元気に就役しています。
(今回インドネシアから来たのがそれでなかったのは忖度?)
そしてブルネイ海軍は、インドネシアに売却を取り持ったリュセルン社に
代わりとなるフリゲートを建造させました。
おそらく同社は、引き取らされたBAEのフリゲートをどこかに売っ払えば
建造させてやると言われたのだと思われます。
そうやってできたのが、この「ダルサラーム」級4隻でした。
(今回インドネシアから来たのがそれでなかったのは忖度?)
そしてブルネイ海軍は、インドネシアに売却を取り持ったリュセルン社に
代わりとなるフリゲートを建造させました。
おそらく同社は、引き取らされたBAEのフリゲートをどこかに売っ払えば
建造させてやると言われたのだと思われます。
そうやってできたのが、この「ダルサラーム」級4隻でした。
■ KDB「ダルレハン」
同級の4隻の名前は次のとおり。
KDB ダルサラーム(Darussalam=平和)06
KDB ダルレハン(Darulehsan=誠意) 07
KDB ダルラマン(Darulaman=平和) 08
KDB ダルサラーム(Darussalam=平和)06
KDB ダルレハン(Darulehsan=誠意) 07
KDB ダルラマン(Darulaman=平和) 08
KDB ダルタックァ(Daruttaqwa=寛容) 09
排水量 1,625トン
全長 80メートル
幅13m
推進力 2 x MTU 12V ディーゼルエンジン、11,400 hp (8,500 kW)
最大速度22ノット(時速41キロ)
航続距離 7,500海里(13,900km)
耐久日数 21日
乗員 55人以上
全長 80メートル
幅13m
推進力 2 x MTU 12V ディーゼルエンジン、11,400 hp (8,500 kW)
最大速度22ノット(時速41キロ)
航続距離 7,500海里(13,900km)
耐久日数 21日
乗員 55人以上
【センサーおよびシステム】
サーチレーダー ターマ・スキャンター4100
火器管制レーダー タレス スティング EO MK2
航法レーダー:2×フルノ製航法レーダー
サーチレーダー ターマ・スキャンター4100
火器管制レーダー タレス スティング EO MK2
航法レーダー:2×フルノ製航法レーダー
【電子戦 デコイ】
エスエム:EDO ITT 3601
デコイ Terma DL-6T デコイ発射装置
【兵装】
砲:
1×ボフォース57mmMk3
2×エリコン20mm/85KAA
ミサイル:
4 × エクゾセMM40ブロック3
搭載機 :
ヘリコプター
■ 軍事演習参加
ペリカン演習2011 w.シンガポール共和国海軍
エスエム:EDO ITT 3601
デコイ Terma DL-6T デコイ発射装置
【兵装】
砲:
1×ボフォース57mmMk3
2×エリコン20mm/85KAA
ミサイル:
4 × エクゾセMM40ブロック3
搭載機 :
ヘリコプター
■ 軍事演習参加
ペリカン演習2011 w.シンガポール共和国海軍
WPNS 2014 w.中国人民海軍
2014 ベトナムへの親善訪問
2014 ホーンビル24号演習 w.マレーシア王国海軍
20015 LIMA'15 w.マレーシア王立海軍
2015 ペリカン演習 w.シンガポール共和国海軍
2019 ペリカン演習 w.シンガポール共和国海軍
2020 リムパック
ブルネイ海軍は今でも第一海兵大隊が本隊です。
ブルネイ王立海軍の司令部はムアラ海軍基地に置かれ、ここには外国の軍艦、
特にイギリス海軍の艦船が頻繁に訪れています。
また、ブルネイ海軍の将校や兵士は、オーストラリア、ブラジル、
マレーシア、ニュージーランド、シンガポール、イギリス、
アメリカ合衆国などの海外に派遣され、高度な訓練を受けています。
ここで素敵な写真を見つけました。
2021年6月8日、我が海上自衛隊の練習艦「かしま」が、遠洋航海で
ブルネイ海軍の本拠地ムアラ港に寄港したときだと思われます。
「かしま」の登舷礼を受けるブルネイ海軍の
KDB「ダルッタクァ Daruttaqwa」。
「ダルッタクァ」のマストに海上自衛隊旗が翻っています。
続く。
長浦地区のNで始まる岸壁は、元々は横須賀市営岸壁でしたが、自衛隊が買い取り、長浦岸壁になりました。NPは元から自衛隊が使っています。
NとF-1、10と11は深く、護衛艦の横付けも可能ですが、NPとF-3、4と7は浅いので、掃海艇くらいしか付けられません。
ブルネイ海軍のフリゲート艦引取に関する騒動は、普通に考えると、資金洗浄の匂いがします。掘ったら湧いて来る石油で食っている国なので(汗)
海兵主体というブルネイ海軍。対空ミサイルや対潜魚雷がないので、沿岸警備隊(海上警察)なんだなと思います。
https://www.bn.emb-japan.go.jp/ja/news/20160504.html
国王の視察を受けるとは大変光栄なことです。なお「「いせ」は4月から日米豪共同海外巡航訓練でインドネシア方面に派遣され、インドネシア観艦式にも参加、5月ブルネイ、シンガポールに至る海域で立ち入り検査や船団護衛訓練に参加、西太平洋海軍シンポジューム加盟国士官に次世代士官交流プログラムも実施していました。
エリス中尉の掲載された昨年度の遠洋航海写真は6月6~8日ブルネイのムアラ港寄港した後、8日出港直後哨戒艦「ダルタクワ」と共同訓練中で、「ダルタクワ」の後に随伴艦の練習艦せとゆき」が重複しており、その「せとゆき」マストの自衛艦旗が写っているのであり、「ダルタクワ」が掲揚しているのではありません。
哨戒艦「ダルサラーム」級は2011年から14年竣工です。1,625tは満載排水量です。
インドネシアに売却された「ブン・トモ」級コルベットは水上打撃力重視の艦ですが対空、対潜、対水上のひととおりの兵装があります。
なお資料には原単価の2割、すなわち8割引きの超安値で引き取ったとあります。
ブルネイ海軍人員 1,000人 国防予算は対GDP比4%の4億3,700万ドル
参照海人社「世界の艦船」No840、867、970
栗田指揮の第2艦隊は昭和19年10月18日リンガ泊地を出港、20日にブルネイ泊地で燃料補給、22日出撃しました。23日パラワン水道で米潜「ダーター」「デイス」の攻撃で旗艦「愛宕」、「摩耶」沈没、「高雄」魚雷2本命中で大破、曳航されてブルネイ泊地に帰投しています。
「高雄」は25日ブルネイ着、11月8日ブルネイ泊地発、12日シンガポール着で修理、南西方面艦隊編入、昭和20年7月31日シンガポール水道で英豆潜水艦の攻撃で行動不能、終戦、英海軍により昭和21年10月海没処分されました。
なお昭和19年6月のマリアナ沖海戦前に小沢機動艦隊が使用したのがミンダナオ島のタウイタウイ泊地ですが米潜水艦出没のため、泊地外に出れず、約1か月空母搭乗員訓練が出来ず、大きな技能低下にも拘わらず小沢長官のアウトレンジ戦法がこの海戦の大きな被害となってしまいました。
いずれにしても米潜水艦に対する対潜戦の考慮もなく、対策も打てず、補給線がずたずたにされ、また艦隊の行動も制約された結果でした。
参照新人物往来社「太平洋戦争海戦全史」、光人社外山三郎著「図説太平洋か言い戦史」、「写真日本の軍艦第6艦重巡Ⅱ」