ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

浜松基地エアーパーク~F-1と「ミサイル万能論」

2013-06-17 | 自衛隊

浜松基地エアーパーク、今日は充実の室内展示です。

鹿屋の航空史料館はメインが旧海軍の、しかも特攻隊関係だったため、
どうしても遺品や写真が中心となり、館内の目玉展示(?)は航空自衛隊が復元した零戦で、
そのほかの展示にはあまり重きをおいていないという感がありましたが、
ここははっきりと戦後の航空自衛隊の歩みという主目的があるため、
室内外の実機は勿論のこと、開発途中のモックアップや使用済みエンジン、
はたまた退役機の内部を公開するなど、いくらでも見せるものがあり、
その結果、非常に充実の展示内容となっています。



F-1コクピットを・・・・さすがに座ることはできませんが、
間近で見ることができる実体験型展示。

先日F-2の生産についてのいろいろを二日に渡って書きましたが、
実はこのF-1が、戦後の日本が、というか三菱重工業が初めて開発した
支援戦闘機なのですね。

この「支援戦闘機」という、つまりは「攻撃戦闘機」と言えないがための
苦肉の言い換えも、このF-1に初めてつけられたのです。
(正確には『次期支援戦闘機』が先ですが)



小さくないですか~?

開発のときにコクピットを「日本人仕様」にしたらこうなってしまったらしい。

まあ、こんなコクピットにかわるがわる座らせるサービスをしていたら、
いろいろとありそうで、係員が常駐していないといけないだろうし、
たぶんそれはしないでしょうね。

何か持って帰るヘンなマニアとかがいないとも限らないし・・・。



電気系統の部分を開けて見せてくれています。

次期支援戦闘機(FS-X)開発計画は、T-2から改造開発したため、
開発機FS-Xは「FS-T2改」と呼ばれました。

開発が終わり、正式名称としてのF-1の名が与えられたのは
1976年(昭和47年)11月のことです。

イギリスの航空雑誌は、そのタイトルで

「ゼロから1へ」

つまり、零式戦闘艦上機を開発した三菱が戦後初めて作ることを許された
戦闘機であることをこのように表現しました。

日本国内が、また自衛隊幹部や背広組もがこぞって軍的だのなんだのなんぞという
左翼の自虐史観に配慮したくだらん言い換え(はっきり言わせていただきますと)
に汲々としているというのに、かつての敵国はあっさりと

「零戦の後継機」

扱いですよ。
見たかこの世界の認識を。

って何を威張っているのかわかりませんが。



わたしも上に登って写真を撮ってみました。

機体に施された迷彩は、地上、洋上どちらでも上空からの視認性を低くします。
機体下部は地上から見上げたときには空の灰色に溶け込むように塗装されています。



制作された77機全部が退役済みなので、惜しみなく中身を公開。
ところで、77と言う数字は、旧海軍にまつわるものが多い数字で、
エリス中尉、一度こんなこじつけエントリを制作しております。

帝国海軍と七十七の謎


この、国産第一号攻撃戦闘機が77機生産されたというのは
何かの・・・・・・・・


偶然でしょう。



「危険 スピード ブレーキ」

このようなことをわざわざ機体に書かなくてはいけなかったのだろうか。

と言うようなことが自衛隊の飛行機にはよく書いてあります。
日本語で書くなんてかっこ悪い、というよう文句でも、あるときはひらがなで
大書されているのですが、それは日本人である隊員の反射神経に
ほんの0.000001秒の違いであっても早く理解が結び付くようにのことだと
最近うっすらわかってきました。

そうですよね?



このくねくねした管の正体を全て知っている、それだけで
エリス中尉など「ははー」とひれ伏してしまいたいくらい感心します。

そこでふと思ったのだけど、こういうパイプ、こういうものは
きっと三菱の下請け工場が作っているんですよね?
こういうものを作らせたら正確さと仕事の確実さでは世界一、みたいな町工場が。

勿論この飛行機を作った技術者たちは凄いですが、こういう「末端を完璧に作る人々」
がいてこその日本の技術力なのだなあ、と思います。



ちゃんと写真を撮らなかったので判然としませんが、おそらく
F3-IHI-30エンジンではないかと思われます。

T-4中等練習機に搭載されているものですね。
これはIHIでもお分かりのように、石川島播磨重工業が
防衛庁技術研究本部第3研究所(現・防衛省技術研究本部航空装備研究所)
と協力研究、開発の末生まれました。

この技本は、自衛隊の装備品等(装備品、船舶、航空機及び食糧その他の需品)
についての技術的調査研究、考案、設計、試作及び試験並びに、
自衛隊において必要とされる事項についての科学的調査研究を行う部門ですが、
先日講演会でお話を伺った福本海将によると、目黒の防衛省には、この技本の
艦艇装備研究所(旧・第1研究所)があります。

昭和20年までは海軍の研究所で、敷地内に大きな円形の池が2つあるそうです。
ここでは戦艦大和の模型のテストも行われたんですよ。

・・・・・と、全く飛行機とは関係ない話でした。





これも字がちょうど歪んでしまって読めませんが、
おそらくこの流れで言うと(笑)J-79エンジンではないかと思われます。
搭載機が・・・・・F-104・・・・・。



あ、これか。

この「最後の有人戦闘機」という言葉の謎ですがね。
あれから違う説が見つかりましたのでご紹介しておくと、
この戦闘機が開発されたころは、1950年~1960年代つまり冷戦時代に盛んに言われた

「ミサイル万能論」

もまた全盛の頃でして、この「ミサイル万能論」あるいは「万能主義」は、
当時ミサイルが最新鋭の「究極の武器」と考えられていたため、
戦闘機、つまり航空機関砲搭載の飛行機はもういらないのではないか?
つまり、この戦闘機がミサイルにとってかわられることによって、結果的に

最後の有人戦闘機になるのではないか?

という意味があったのだそうです。

アメリカが「ナイキミサイル」に、全知全能の神、デウス(英語でズース)などという
大層な名前を付けたことを、エリス中尉たまたま見咎めて(笑)

「アメリカ空軍は畏れ多すぎる!」

と言い放ったのですが、いまにして思えばこの畏れ多い名称は、そのまま
「ミサイル万能主義」の空気をそのまま表していたということなのですね。

勿論ご存知のように戦闘機がミサイルに置き換わったという事実はありません。

というかね。
たとえ理論上空対空ミサイルですべてがまかなえる、ということになったところで、
戦闘機を無くしてしまうなんて言うことは、すべての航空関係者が

絶対許さない

と思うのですよ。
いかに功利、実利的なものが席巻しようと、人間には決して失いたくないものがあるっていうか。
だって、人を殺すだけなら早い話、核が一発あればいいってことになっていまいますよ。

勿論航空機だって戦争の道具には違いないんだけど、
相手の姿も見えないのにミサイルをバンバン撃ち込んで勝ち負けを決めるって、
なんていうか、あまりに殺伐としてませんかね?

戦争に殺伐も何もなかろう、って?

うーん・・・・でも、現にミサイル万能論なんて空論だったわけで、こんな風に考える人間が
世界にはたくさんいたってことなんじゃないのかしら。


そんな理由じゃないだろうって?
いやいや、世の中、案外「そんな理由」で物事は動くものかもしれませんよ。



ニコンカメラ教室 撮影実習報告

2013-06-16 | つれづれなるままに

先日、いろいろあってニコン1を買いました、という報告をしたのですが、
その後デビュー戦の静浜基地航空祭と自宅のスズメ食堂で腕を磨きつつも、
やはりちゃんとした使い方くらいはせっかくだから勉強してみようと
ニコン主催の有料教室に申し込んでみました。

第一回の「使い方基礎」を終え、二回目は撮影実習です。

場所は新宿御苑。

息子が赤ちゃんの頃はお弁当を作ってよく訪れましたが、
アメリカから帰ってきてからここにくるのは初めてです。



この日も車で行ったエリス中尉、集合場所のここ新宿門まで、
駐車場からたっぷり一キロ近く離れているのを知らず、雨の中
園内側道を小走りに走るはめになりました(-_-)

30分ちょうどになんとか新宿門までたどり着いたのですが、
そのときには5分前精神に則って早くから集合していたらしい教室のメンバーは
すでに最初の撮影場所に移動してしまっていまい、追いかける羽目に。

この日はご覧のように一日しのつく雨で、傘の要らない温室から始まります。
追いついたら、先生を中心にカメラのセッティングをしていました。



昔来たころにはこの温室、なかったような気がするなあ。

 

最初は基本中の基本、流れる滝を撮って
シャッタースピードを変える方法をお勉強。
同じ水の流れでも動きを変えるとこうなりますよ、という実践。



滝ばかり撮っていて退屈したので、水面のハスの花を撮ってみました。



このあとは、植物撮影でフォーカスやISO感度の調整を学びました。
この植物、面白いですよね。



と思ったらもっと面白い植物が!
まるで鳥の羽のような花が屹立しています。

しかし、神様と言うのはときどきとんでもない造形をなさるものだと、
こういう植物や変わった魚などを見るといつも思いますね。

これ、絶対なんか普通の形のものを造るのに飽きてきて
『ちょっとこの辺ですごいウケるやつ作ってみよっかな~」
みたいなノリで創造されたに違いない!みたいな。





これは皆
「気持ち悪いわね」
などと言いながら撮っていました。



アジサイみたいな形ですが、葉が全く違います。
撮影を一生懸命していたので、植物の名前を全く確かめませんでした。



これはでも、「カカオの実」であることだけは確かでしょう。



フォーカスを小さいポイントに合わせる練習。
と言っても、エリス中尉が自分で勝手に「練習」しているだけ。







どのような角度から撮るかもポイント。
上から撮るとまるで紋様のようなサボテン。



ハスの花の右側にできかかっているのがたぶんハスの実?



赤いネコヤナギ状のもの。



エッジがフリル仕様の百合の花。

というわけで、いろいろと実習したわけですが、ここでビフォーアフターを。

実習前



実習後。
スタート地点にあったのでもう一度撮って見ました。



構図はともかく、フォーカスその他、少しだけ進歩している気がします。

ここで温室の撮影は終わり、外に出ました。



赤い傘はこの教室の講師の先生。
若い女性で、オジサンたちは先生なのにタメ口で話しかけています。
参加者の男性は、平日の昼間であるせいかほとんどが定年退職後の趣味として
カメラでも始めてみるか、みたいな雰囲気の方ばかり。
若い男性は一人だけでした。
女性はほぼ全員が主婦層。

この間教わったばかりのことを先生にまた聞いたりしているのは例外なくこの人たち。
まあ、オジサンの中にもたまーにそういう人、いましたけど。



移動中都庁方面を見ると、この「日本のマンハッタン」みたいなこのビルが
実際は上の方が霧で曇って見えない状態でした。(加工済み)



移動中にもせっせとどうでもいい景色を撮りまくる熱心なエリス中尉。



雨の日に撮影実習が重なって、家を出るときは憂鬱だったのですが、
こんな景色は雨の日ならでは。
晴れていたらもっと人が入り込んでしまいますからね。

雨に濡れるベンチ、誰もいない公園・・・。

こんな光景を見ると、

♪木立もブランコも メリーゴーランドも
ベンチもみんなみんな 雨に濡れていた

という、大好きな童謡を思い出します。

奇しくも次の実習ポイントは

「並木道とベンチを奥行きを感じさせて撮る」



どこにフォーカスを合わせるかをいろいろ変化させて撮ってみます。



これを撮っていたら、向こうから人が来たので、
被写体になってもらいました。



もう一組。
わたしはこの写真がこの実習では一番気に入っています。



雨の中実習なので、皆厳重に雨具を着用で来ています。
でも、意外とレインブーツ着用は少なく、わたしと先生、もう一人だけでした。
草むらにも踏み込むので、普通のスニーカーで来てびしょびしょになってしまっている人も。



装備だけは完璧なエリス中尉の足元。
「ダフナ」の、履いてよし、見てよしのスマートなジョッキー型レインブーツです。

先生は「ハンター」のレインブーツ着用。
おじさんに「アンタ長靴だからいいねえ」と言われ、
「この季節はもう必需品でございます」と答えていました。



途中で樹の葉を裏側から撮る表現のいろいろを実習。
そして、また移動し、テーマは「アジサイ」です。



つぼみのうちは蒼、花弁が開くとピンクになる種類。



フォーカスポイントを下に持ってきて撮影。
背景はわざと思いっきりぼかしています。



これも一番下に焦点を絞りました。
「実験」なので、写真としては今一つな気がしますが。



地面に転がっているように咲いている一輪。
雨に濡れた地面が美しい。




アジサイ写真の王道、見たいなショット。
この場合、フォーカスは花の中の小さな小さな「つぼみ」に合わせています。



白い花はどうも色が飛んでしまうので難しいです。



わたしがこれを真剣に撮っているのを先生が横で見ていて

「思わず見つめてしまいました」

といったカット。
もう少しベンチが古びたりしていたら絵になったのかもしれません。




自由に撮る時間だったのですが、ひととおり撮ってしまうとすぐに飽きて
集合場所で佇む参加者多数。
オジサンの中には開始早々退屈してしまったらしい人も。

この後は出口に向かって移動しながらの説明となりました。



雨や、葉っぱに光る水滴などと撮る練習。

 

ホワイトバランスを変更して表現方法を変える練習。



緑の芝の中にぽつんとあった黄色い三角コーン。
物凄く遠くにあり、これを撮っているのはわたしだけでした。

ここ、落とし穴でも掘ってあったんでしょうか。



蜘蛛の巣に光る水滴。

というわけで解散となりました。
次回は、自分がこの日撮った写真の中から三枚を持っていきます。
加工のしかたを勉強するのかもしれません。

うーん、どれにしようかなー。



閉園になってしまったので、帰りは外をあるいて駐車場に戻りました。
この新宿御苑は建物や塀にもなかなか風情があります。
言ってはなんですが、外に一歩出ると「あれ」なのに、この周辺だけは
昔のまま時が止まってしまっているようです。




御苑の向かいの会社(たぶん)の軒で雨宿りしていたカラス。

今まで自分が全く知らないことを学ぶのはとても楽しいものです。
写真の場合その効果がすぐにわかりますしね。




浜松基地エアーパーク~屋外展示機

2013-06-15 | 自衛隊

「静浜基地航空祭!朝一番から最後まで」

というツァーがお得だったのは、前日の早朝(8時)に出発し、
その日は浜松でこの「浜松基地エアパーク」見学が組み込まれていたことです。

 


新しくできたばかりの新東名高速の、異常に静かでなめらかな道路の走り心地に
日本の最新土木技術の素晴らしさを実感しながら走ること4時間。
これもできたばかりでピカピカの至れり尽くせりなパーキングエリアで各自お昼ご飯を食べ、
そこからさらに約一時間。

浜松の航空自衛隊基地敷地内にある、エアパークに到着しました。



正式名称は 

「航空自衛隊浜松広報館 エアーパーク」

エアパークではありませんので念のため。



この、何とも言えない投げやりな手作り感がほのぼのしますね。
きっと絵心のある隊員、あるいはその子供が描いたに違いありません。

ここで団体バスを降りるとすぐ前でお迎えしてくれるのが、



これだッ!
F-86F「セイバー」

セイバーは英語読みで、「サーベル」の意味です。



F-86Fブルーインパルスは、1956年、第1航空団に

「空中機動研究班」

として発足しました。
東京オリンピックの「五輪マーク」、大阪万国博覧会での「EXPO70」の文字を描き、
数々の飛行展示を実地しています。
その公式展示回数は述べ545回に上り、、1981年入間基地での公式展示を最後に解散しました。



かつて空を自由自在に舞っていたころを彷彿とさせる躍動感のある展示。

1999年オープンしたこのエアーパーク、
広い敷地にゆとりのある展示、格納庫のようなドームに所狭しと並べられた航空機。

サンフランシスコに「アビエーション・ミュージアム」という航空博物館があります。
アメリカらしく広大な敷地を潤沢に利用した展示と、コクピットを再現して
そこに実際坐ることができる、という体験型のエアミュージアムなのですが、
そこと比べてもまったく遜色ないこの規模と充実ぶりに実のところ驚きました。



建物に入ると、展示館のロビーに置かれた、
こちらは現在のブルーインパルス。
5分の1くらい(たぶん)の模型です。



同じくロビーの陶板モザイク作品。



そしてこれ。
皆さん、この搭乗員の彫塑、どこかで見たことありませんか?

そう、靖国神社の遊就館の前の



「特攻隊員の像」ですね。

このモデル、誰だとお思いになります?
海軍兵学校71期卒、戦後は航空幕僚長であった
山田良市元空将の旧海軍航空隊時代の写真をもとに、
彫刻家の北村西塑氏が制作したものなのです。

ここにある「ミニチュア」は、写真の本人である山田氏に対し、
元々彫刻家の「恩人」であったという山田氏の叔母の手を経て
贈呈されたものです。

山田元空幕長は今年、2013年の3月に亡くなられましたが、
寄贈名義は山田氏となっていますので、おそらく生前、
このエアーパークが出来て以降、ここに残すことをご本人が選ばれたのでしょう。





今話題、「空飛ぶ広報室」の宣伝。
このドラマ、人気なんですね。
放映開始以来、当ブログのアクセス数が少しアップしたくらいです。

それはともかく、なぜ「図書館戦争」のポスターがここに?
軍事指導でも行われたのでしょうか。(適当)




ロビーには航空自衛隊の歴史を象徴する写真の数々が
パネル展示されています。



その中から。
佐藤正久議員の「髭の隊長」時代。
イラク復興支援のための派遣で陸自と空自の握手。



皆さん、これ、ご存知でした?
戦闘機パイロットが宇宙飛行士になったというこのニュース。

JAXAの油井亀美也宇宙飛行士のページによると、現在油井飛行士は
現在ロシアで長期宇宙滞在のための訓練を受けているそうです。
同ページに掲載されている当飛行士のブログは

「宙亀(そらかめ)日記」。



1997年に誕生した初めての女性パイロット。
大変楚々とした美人でおられます。
美保と書いてありますが、この方のお名前ではなく美保基地の意です。

どうでもいいが、この隊員さん、当時のはやりメイクで口紅が濃い(笑)




あのベレンコ中尉のミグ亡命事件。

「函館の皆さんさようなら、大変ご迷惑をかけました」

当事者が全くそうは思っていなかったに違いないこんな文句とともに、
ミグ25は百里基地に運ばれ、ここで検査した後ソ連に返還されたということです。

それにしても、ベレンコ中尉の亡命理由って、よくわかってないんですってね。
ウィキには「妻との不和」なんてあったけど、亡命しなきゃならないほど悪妻ってどんだけ。


ロビーには小さい売店があって、ブルーインパルスグッズなどを売っていました。



F-15クッキー(たぶんこんな形をしている?)、

「来るなら来い!」

この何とも言えないベタなセンスあふれるネーミングの中にも

こちらからは決して攻撃することはない!→
向こうが来るならやってやる!→
来るなら来い!という、

我が自衛隊における「専守防衛」の精神が横溢している・・・・るような気がします。





と、少し寄り道をしてしまいましたが、エアーパークの屋外展示機です。

F-104はロッキード社が1953年から開発を行い、翌年初飛行しました。
「最後の有人戦闘機」と呼ばれた全天候型戦闘機です。

・・・全天候型、戦闘機?

エリス中尉、最近雨の日のお出かけのために「全天候型パンプス」というのを買ったばかりですが、
それと同じく、これは晴れでも雨でもOKな戦闘機?

というか、戦闘機ってみな全天候型じゃなかったんですか?
雨が降ったらお休みで、風が吹いたら遅刻して、
そんなカメハメハ大王の世界みたいなものだったんですか?


と、自分でボケて自分で突っ込みますが、これも調べたところ、
高性能なレーダーを備えることによって天候や昼夜を問わずに
運用が可能な戦闘機を「全天候戦闘機」と言うのだそうです。

今は勿論全ての戦闘機は全天候型なんですよね?




渡り廊下から見下ろしたF-104
航空自衛隊では、1962年から210機を導入、
1986年に用途廃止になるまで活躍しました。

空自ではF-104J、練習機のF-104DJとして採用し、
「栄光」
言う愛称で呼んでいたそうです。

ところで「最後の有人飛行機」ってなんかおかしくない?

と思ったら、これはなんと

Ultimate Manned Fighter

の訳だというのですね。
Ultimate を「最後の」と訳してしまうことに誰も疑問は持たなかったのだろうか。

今ならすらっと

「究極の有人戦闘機」

と正しく訳すんでしょうけどね。



C-46輸送機

1955年、アメリカから36機供給されたものです。
1978年の用途廃止になるまで核輸送航空隊において
人員輸送や飛行点検に活躍しました。



向こうに見える遊具との取り合わせがなかなか似合っているカラリングですね。
この頃の輸送機って、こんな派手な色をしていたんだ・・・。



ナイキミサイルとその発射台がセットで展示されています。
発射台によって発射角度を設定されたナイキJ弾は、
ミサイル追随レーダー(MTR)からの各種指令を受けて目標は撃破します。

指令は高射銃統制トレーラー(BCT)から受けます。

ナイキというのはスポーツシューズのメーカーの名前として有名ですが、
勝利の女神「ニケ」の英語読みです。

ルーブルにある「サモトラケのニケ」ですね。

アメリカ軍はこのナイキ・ファミリーに尽くギリシャ神話の神の名前を
(畏れ多くも)つけていて、

「ナイキ・エイジャックス」(アイアース)
「ナイキ・ハーキュリーズ」(ヘラクレス)
「ナイキ・ズース」(デウス)

などなど。
このころ、かっこいい名前をみんなここに使い切ってしまった感がありますね。
しかし、たかがミサイルに「全知全能の主神」の名を付けるとは・・・。

本当に畏れ多いな。アメリカ空軍。




H-21B 救難ヘリコプター

うーん・・・・・・・・・・・・。

カッコ悪い(笑)

この安定の悪いシェイプ、普通にしていても床が地面と平行でない不安な形状、
そしてなぜか日の丸の中から生えている脚。
おまけにこの趣味の悪いペインティングはいったい何?
航空自衛隊と言う字もこんなでかでかと書く必要があるのかってくらいだし、
いやこれ、いったい何なんでしょうか。

この妙な形状は、これを作ったバイアセッキ社が、タンデムローターの開発に当たり、
飛行中にプロペラが接触しないように後部を曲げたからなのです。

それなら最初から接触しない長さのローターにすればいいのでは、と言う気もしますが、
この巨体を浮かせるのに、当時の技術ではこれがぎりぎりの大きさだったのでしょうか。

その形状からついたあだ名が

「フライングバナナ」

うん。

なかなか的を得たあだ名ですね。
空自はこれを救難ヘリとして10機導入しましたが、こんな色にしないで、
今の救難機のように黄色にすればよかったのに。

もっとも、空自と陸自ではこれを「ほうおう」と呼んでいたそうですから、
色までバナナそのものになってしまうのは少し問題だったかもしれません。

ところで、この「航空自衛隊」の表記を見て思ったのですが。

車両に表記される字が、どういうわけか
前部から後部に向かって書くことを厳密に決められた結果、車の左面だけが

「ターャジス」(例)

みたいなことになってしまう、というあの不思議な風習。
これを見る限り、あれは自衛隊に導入されなかったみたいですね。
あれを見るといつも何とも言えないイラッとした気分になるので、この点よかったです。

あ、めいらくグループさんには何の文句もつけてませんからね。


さて、というわけで、屋外に展示されているものをご紹介しましたが、
ここでは外にあるものより、屋内で美しく塗装され大事に保護されている飛行機の方が
よっぽど多いのです。


そこではシミュレーターにのってつかの間パイロット気分を楽しんだり、
ブルーインパルスのコクピットに坐れたり、
時間があったらパイロットスーツをヘルメットまで一式借りて、その姿で
操縦席で写真を撮ったりもできるのです。

飛行機好きにはもう天国のような場所。

このときはツァーだったので時間に制限がありましたが、
ここで一日過ごすためにもう一度来たいと思いました。

本当に、ここ、お勧めです。
航空自衛隊空飛ぶ広報室になりかわり、エリス中尉がアツーく宣伝しておきます。




雨のすずめ食堂

2013-06-15 | すずめ食堂

今日は雨でした。
いつもの親子が来ました。



子供のすずめは全体的に羽が柔らかく、ふわふわしているので、



おかあさんより体が大きく見えたりします。

「おかあさーん、自分ばっかり食べてないで、ちょーだい」
「ちょっとわたしにも食べさせて!」



「・・・・・もういい・・・・自分で食べる」
「何よ、食べられるんだったら一人で食べなさい。もう大きいんだからっ」



この日は雨で寒かったせいか、一段とふくれていました。



違う親子。
母鳥の顔が違うのでそう認定。



このお母さんは二児の母でした。
自分より大きな二羽の小雀に交互に餌をねだられ、大忙し。

自分で食べろよ・・・。



ちょんちょん歩きの空中静止写真。



子の自立を見守る母。



この日最大にお客さまが訪れた瞬間。



お米を咥えてこちらをうかがっている瞬間。
いつも警戒しているので、その結果カメラ目線の構図が多い。

しかしこうして真正面から見ると、かなりヘンですよね・・・・すずめ。



考えるすずめ。



おそらく最年長のスズメ。
スズメも歳を取るとこうなるんですね。

「わしゃーまだご飯食べとらんでー」
「おじいちゃん、さっきご飯食べたでしょ?」
「いや、食べてない」

というわけで何度か来店されました。
じいさん、長生きしてくれ。


というわけでこの日のお客さま方でした。





日本人によるロシア人捕虜のためのロシア語教室

2013-06-14 | 日本のこと

ある古書から見つけた戦艦松島の図。
左側の文字は

敵艦隊見ユノ信号ハ忠勇ナル下士卒ヲシテ覚ヘズ快哉ヲ呼ハシム


「敵艦見ゆ」の信号を受けた松島の乗員が
快哉を叫び奮い立っている様子を描いたものです。

真ん中に出てきてなぜか取っ組み合いを始める者、
相撲の土俵入りのように四股を踏む者、
腕まくりをして筋肉自慢をする者、笑ってそれらを眺める者たち、
勿論少しクールに腕組みをしながらそれを微笑んで観る者もいます。

これは日清戦争の黄海海戦での描写になりますが、同じ「敵艦見ゆ」でも、
映画「海ゆかば 日本海大海戦」は、戦いに臨む前の兵員の様子をどちらかと言えば
「悲壮な覚悟」という色で語ることに終始していた感があります。

「鼠大明神」に生きるか死ぬかのお伺いを立てたり、
軍楽隊の演奏する音楽に故郷を思ってしんみりしたり、
あるいは音楽を聴きながら感極まって「死にたくねえ!」と号泣する砲員長とか(笑)

大東亜戦争の末期ならともかく、この頃は日本国民が皆「イケイケ」でしたからねえ。
むしろこの日清戦争の「松島」の図が、「艦隊の兄さん」たちの実態を
正しく伝えているかもしれません。

いや、しれませんではなく実際そうでしょう。

しかしながら戦争というのはいつの場合もその現実は悲惨なものです。



なんだって、こんな「使用前使用後」みたいに・・・・。

全く同じ「松島」の上甲板を同じ角度から描いています。
黄海海戦では15時30分、「鎮遠」の30.5cm砲弾が「松島」の左舷砲郭を直撃し、
集積の装薬が誘爆、このときに28名が戦死し、「松島」は大破しています。

着弾したのは砲郭でしたが、その上部にあたる上甲板も、このように甲板が割け、
この絵では誘爆の爆風が通風孔を通じて猛烈に立ち上がっている様子が描かれています。

「勇敢なる水兵」こと「松島」乗組員の三浦虎次郎三等水兵が重傷を負いつつも、
「定遠はまだ沈みませんか」と向山慎吉副長に尋ね、
向山が「大丈夫だ、これから鎮遠をやるんだ」と答えた、
というエピソードはこのときに生まれました。

この絵を制作した絵師が、全く同じ場所での戦闘前戦闘中の様子を並べたのは、
ひとえに奮い立つ兵士たち、勇敢で豪胆な笑いを見せた戦士たちが、
次の瞬間、過酷な戦いに斃れていったというドラマを描きたかったのでしょう。



このように、日清日露戦争を通じて、日本兵の士気は非常に高いものでした。

前回、日本海海戦での日本の勝因について色々と挙げてみましたが、
もっとも大きな要因はこの士気の高さであり、それを支えるのが
日本人の当時の教育レベルの高さであった、という説があります。

「久松五勇士」についてお話しした時に、

「離島の漁師が日本の国情と戦況に興味を寄せており、
その情報を海軍に知らせるべきだと判断し行動した」

というのは国民にあまねく教育の行き届いていたことの証明だ、と書いたのですが、
実際、このときに兵員の識字率が100パーセントであったことは、
(日本人の当時の識字率は75パーセント)
たとえば兵器の取扱説明書を読むことに始まって、訓練が非常に
効率的に行われることにもつながりました。

士気の高さはここからきているというのがその説です。



さて、ところで、日露戦争で捕虜になったロシア軍の将兵は陸海合わせて7万人あまりでした。


実のところ幹部以外はほとんどが文盲だったと言われるのですが、
(あ、これ使っちゃいけなかったっけ。まあいいか)
数字にすると(ちゃんと日本の捕虜収容所はこの統計を取っているのです)
57パーセントの捕虜が文盲であったということです。

ただし、これは陸海合わせた統計で、実際は日本と同じくロシアでも
海軍の平均識字率は陸軍より高いものでした。

海軍では、機関士といった技術者が必要とされたということもあり、
一般的に言って、陸軍より幾らか教育水準が高い傾向にあり、
また、教育を受ける機会が少なかったとみられる「地方出身者」の割合も、
そもそも陸軍に比べると低い傾向にあったからです。


開戦以降、捕虜となったロシア将兵が国内に移送されてくるようになります。
日本にある正教会では「俘虜信仰慰安会」を発足させました。
これは捕虜となったロシア将兵への精神的・宗教的支援を目的としていました。

日露戦争期において、戦時国際法に則って捕虜を厚遇することは、
日本の「国是」であり、外交戦略でもありました。
世界にデビューしたばかりの日本としては国際的に
「一流国として認められる」ことに何より重きを置いていたのです。

そのためには俘虜の待遇を国際法に基づいて正当に扱う、ということを
日本政府は徹底しました。
虐待や拷問、処刑などはもってのほか、三食昼寝慰安付きの好待遇です。

甚だしい例として、捕虜が地元の花柳界の女性とどうの、とかいう話さえあり、
こういう事態をして一部からは「優遇しすぎ」という声も出たほどでした。

そして、この待遇の中には「カルチャースクール」さえ含まれていました。
この教会が働きかけることで、ロシアから文盲の兵に読み書きを教えるための
教科書が送られたり、それを国内で増刷したりという準備ができ、
日本に捕虜として収容されていた文盲のロシア兵たちは、敵国であった
日本において初めてまともな教育を受けることができたというのです。

元々読み書きのできる幹部クラスの中には

「せっかくだから英語も勉強したいので、先生紹介してくれませんかね?」

みたいなことを言いだしたりして、おまえらここをなんだと思ってるの?
もしかして、駅前留学じゃなくて敵国留学してるつもり?
と、かるーく問い詰めたくなるような態度のロシア人もいたようです。


しかしこれ、ロシア人の皆さんは感謝してくれたんでしょうね。日本に。

だって、敗将ステッセルもロジェストベンスキーも武士の惻隠の情から名誉を重んじて扱い、
海戦のときはロシア艦船が退艦している間、決して相手を攻撃せず。
海戦が終われば、敵兵を救助し、


第2艦隊が救出したリューーリック号の乗員


波間を漂流する敵兵を救助する日本軍


のみならず、捕虜には至れり尽くせり、彼らの母国語を手取り足取り教えてやる。

別に感謝されようと思って日本はそうしたのではなく、当時の「国是」であったとはいえ、
やはりそこは何かを感じてくれたっていいんでない?


確かに日露戦争直後は、日本の「武士道」に感じ入り、それなりに評価し、
さらには日本軍の強さを素直に認めていたロシアですが、
その後一連の、特に終戦間際からの蛮行から見るに
こういう武士道が通じる相手ではなかったということになりますね。


いまだに「日本の侵略」なんてことを平気で口にする日本人がいるのですが、
本当の侵略とは、終戦のときにいきなり掟破りで参戦してきたロシアの
この振る舞いのことを言うんじゃないのかね?ええ?


さらに、スターリンの冷戦の時代になると、こうですよ。


「日本帝国主義者どもは、日清戦争後、
直ちに極東における勢力範囲の再分割のため、
ロシアとの戦争準備を始めた。


日本は朝鮮を、さらには清国の東北諸州(満州)をも
掠取することに驀進していた。


日本帝国主義者どもは、
ロシアとの戦争に備えて1902年に英国と同盟を結んだ。


1904年の初頭に日本海軍は、
開戦の宣言なしに旅順港のロシア艦隊に襲いかかり、

第一級の軍艦数隻を隊列から脱落させた。

ロシアの陸兵と海兵の勇敢な戦いにも拘わらず、
ツァーの陸海軍は敗北を喫した。


ポーツマス講和会議で日本は、満州や朝鮮、
さらにはロシアが清国から租借していた遼東半島を奪い取った。

それのみか、仰天したツァーは、日本の侵略者どもに
サハリン島の南半分をやってしまった」



やれやれ。
ものは言いようとはよく言ったものです。
二国間の間に同じ歴史認識など存在しようがない、ということを
このスターリン時代の白書が教えてくれますね。

それにしても、日本でロシア語の読み書きを初めて習った元捕虜が
こういう話をロシア国内で伝えてくれたという話は全くないのでしょうか。

もしこの時の7万人近くのロシア人が日本という国の正義・・・・、
とまではいかないまでも公正さを少しは恩義に感じてくれているのだったら
・・・・・・・


・・・・・・・・・あ、そういう人たちは皆、ヨシフに粛清されてしまったんですかね。




「日本は悪い国だ」~中国の「三戦」と尖閣国営化の真実

2013-06-13 | 日本のこと


引き続き、自衛隊幹部学校校長、福本出海将の講演からです。


尖閣への中国船の侵入航空機の領空侵犯は、
民主党が尖閣を国有化して以降激増しました。
海自の艦船や哨戒機はレーダー照射などで挑発を繰り返され、
中国は自衛隊の攻撃(誤射も可)誘発しようとしているかのようです。


戦火を交えるだけが国家間の戦いではありません。
中国との「戦い」は実はすでに始まっているのです。

情報を操作してまず自国民に「自国の正当さ」を刷り込む。

●さらには国際的にもあらゆるチャンネルからの働きかけ、
ロビー活動によって国際世論を味方に付ける。

●現行の法律を国内から操作することで有利に導く。

中国が掲げているのがこれら「三戦」なのです。



簡体字なのでこれでは読めませんね。
左から

世論戦

心理戦

法律戦

で、これらを中国は2002年から中国人民解放軍政治工作条例に掲げています。
もう11年以上、これらの作戦は日本に対し行使され続けているということになります。
少し説明しておくと、

【世論戦】

メディアやインターネットを利用し、自国に有利な情報を流すことで国内外の世論を誘導する

【心理戦】

恫喝と懐柔、つまりアメとムチで相手に働きかけることで敵を混乱させ、有利に導く
相手の意気を阻喪させる軍事力の拡大もそのひとつ


【法律戦】

独自の法解釈を駆使して、法で決まっているとされる結果の打開を求める


韓国が主張する竹島の領有権については、韓国民は初等教育の段階から
その正当性を根拠抜きで刷り込まれており、つまり一般国民は
「独島は我が領土」
だと信じきっているために、結果的「確信犯」となっています。

しかし韓国は竹島領有の根拠を持っていません。
実際に国際裁判になれば負けることを、政府始めある程度以上の知識層は知っていて、
とにかくその主張は国内国外に向けて盛んに行われるものの、日本に向かって
政府が直接そのことを働きかけて来ることだけは、できないし、してもいないのです。

韓国軍を配備することができないのもそのためですし、竹島について
アグレッシブな主張をしているのは常に民間の団体でしょう?

(だからこそ、李明博の竹島上陸は双方にとって大きな問題となったのです)



この点、中国と韓国の決定的な強(したた)かさの違いがあります。

共産党はその内外に発する言葉とは裏腹に、尖閣の所有権が
法的にも歴史的にも
日本にあることを熟知しています。

この国の怖いところは、知っていて、なおかつ、
手段を択ばず「取りに来ている」ことなのです。




よくまあ自分のことを棚に上げて、こんなとんでもない言葉で
仮にも隣国を「強く非難」などできるものだと呆れてしまいますね。

習金平を絶賛していた方、これを見てどう思われます?

先日オバマとの会談で一気に問題を先に進めようとした習主席、
こたびは「日本の軍国主義化」という、「お前が言うな」としかいいようのない
非難をセットで、それに立ち向かう中国の正当性を訴えたようですが、
残念ながら時期尚早で、むしろアメリカさんからは釘を刺される結果になりました。

この場合、先ほどの三戦で言うところの「世論戦」
つまりアメリカに敵国の悪口を言うということによって「国際世論を味方に付ける」
というのをやっているわけですね。


因みに、中国を宗主国と仰ぐ韓国のパク大統領も、アメリカにおいて日本を非難しました。
この国は、中国の後追いをする形で、彼らなりの「三戦」をしているつもりのようですが、
今回は随伴員が米国籍の女性にセクシャルハラスメントを(暴行説もあり)起こしてしまい、
せっかくの非難(慰安婦問題)に何の説得力もなくなってしまったのが痛かったですね。

さて、中国が尖閣を領土だと主張するにおいて、

「無理やりな法解釈によって法的根拠があると言い張る」

のが、三戦のうちの「法律戦」です。
詳細は省きますが、「沖縄が法律的には日本のものではないから、
よって尖閣も日本のものではない」などという新解釈を打ち出しています。


そして、心理戦においては、たとえば「親中日本人」、最近では
野中広務、河野洋平、少し前に鳩山由紀夫など、

「中国に都合のいい発言をしてくれる反日日本人」

を呼び寄せ、たとえば野中広務には

「尖閣問題は棚上げするということに(口頭で)決まっていた」

などと言わせて日本国内の世論を揺さぶったりしてくるわけです。
「棚上げ」とか「共同開発」が心理戦のの部分だとすれば、
海自海保に対する挑発行為や軍事力の増大はの部分と言えましょう。

さて、わたしがこの日聴講した福本海将のお話で最も衝撃を受けたのは、
以下のことでした。


それをお話しする前に。

皆さんは日本人として、いつも世界的に日本がその民度、文化、国民性、
何をとっても世界である一定の高い評価を得ていると、
程度の差はあれ認識しておられるのではないでしょうか。

事実、好感度やいい影響を与える国のトップ近くをいつも占めるのが
日本と言う国で、その評価は今もそう変わったわけではありません。

その世界の「評判」がある限り、たとえば韓国との竹島問題も、
この尖閣諸島問題も、世界は

「日本がそんな悪いことをするはずはない。
きっと韓国や中国が無茶苦茶をしているのだろう」

と理解してくれるに違いない、そう思っておられませんか?
ヘンな工作やロビー活動によってたとえ両国が日本の悪口を吹聴しても
それに対し言い訳も反駁もしない、そんな正々堂々とした態度でいれば
国際社会は日本の正当性を認めてくれる、そう思っていませんか?


わたしもまたそのように考えていたのですが、
福本海将のお話によると現実はこうです。

「最初の頃、イギリスなどでも『中国ってなんて悪いんだ』だったのが、
いまは『日本ってなんて悪い国なんだ』となってきている」



そしてその理由は、民主党がいきなりやらかした「国有化」だというのです。

そういえば、あのときアメリカが「国有化は中国の反発を招き危機を引き起こす」
と強い懸念を示したと言うニュースも記憶に新しいところです。
そして現に、中国の領海侵犯、領空侵犯はあの国有化以降激増しました。

そこで、質問です。


みなさん。

どうしてあの民主党政権が、あのとき国有化を、あれだけ性急に行ったのか、
と不思議に思われたことはないですか?

日本は中国の属国であると言い切る官房長官や、
中国の許可を得ないといけないと言い切った幹事長のいる政党が、
どうしてあのとき、いきなり国有化などに踏み切ったのだと思います?

そして、あの国有化は何か日本に利益をもたらしたでしょうか?


エリス中尉、実は福本海将の話を聞きながらある考えに思い至り、
同時にひどく合点がいったような気がして戦慄したのですが、
その考えを聴いていただけますか。


あの国有化は、実は極秘裏に指示されたもので、
その指示は、辿っていけば中国共産党に行きつくのではないか。
つまり、共産党の指示による誘導なのではないか


現に、あの国有化の直後、中国全土で激しい暴動が起こりましたが、
それらはすべて「官製」、すなわち共産党の指示したものだと言わrています。

それでは中国の目的は?

もちろん、尖閣問題の先鋭化
日本の国有化を口実に、あわよくば武力衝突のきっかけにできるかも、
という狙いもあったのかもしれません。

そして、国際世論をこれによって味方に付けることができます。


現に国際世論において、「日本の評判は悪くなった」といいます。


つまり国有化によって今回利益を得たのは・・・・・・

中国ですよね。日本ではなく(笑)


つまり、わたしのこの想像通りなら、
中国は、民主党と言う媚中、反日政権をコントロールすることで
問題の顕在化と同時に国際世論の操作を成しえたということです。

これが中国の仕掛けた「心理戦」であり、「世論戦」であったと考えるのは
そう突飛なことでもないと思います。

なぜなら、中国と言う国は弱い国にはためらうことなく軍事力を行使します。
しかし日本にはそれは使えない。
となると、心理戦に全ての知力を投入してきていても不思議はないからです。



防衛大学教授村井友秀氏によると、中国は

習近平主席が国内事情で追い詰められ、支持が低下するとき、
求心力回復の手段として対日戦争を選ぶことが考えられる。

ということです。


先日オバマとの会談で習金平ははっきりと
太平洋を米国と共に二分割統治しよう、とアメリカに対し持ちかけました。

その実現には足下の近海、第一列島線から取らなければなりません。
とにかく、中国にとって日本はその「夢の実現」のために邪魔なのです。



というわけであの手この手で「取りに来ている」敵がはっきりしているのですから、
日本は四の五の言わずに防衛力を拡大し、南西諸島の軍事的空白地帯を
防備する措置を取ることが急がれます。

現在、ある地方の首長が「自衛隊の基地建設に対する迷惑料をよこせ」
などと言って感情的に話がこじれ、計画そのものが潰えてしまいかけている、
と言う例が現実にありますが、こういうのや「オスプレイ反対」なども、
すべて手繰って行けばどこかで中国共産党にたどり着くもので、それは
彼らが「心理戦」として仕掛けてきているという可能性は否定できません。

そして「中国の夢」を阻止する日米安保を突き崩すために
日米間の離反工作も仕掛けてくる(いる)のは、ほぼ間違いないことなのです。



日本は一刻も早く、国防上の障害となっている
法律及び制度上の欠陥を正すべきだとわたしは考えますが、
皆さまはいかがお感じになりますか。






 


静浜基地航空祭~T-7ジュニア

2013-06-12 | 自衛隊

「静浜基地航空祭!朝一番から最後まで」

これが今回航空祭に参加する際利用したツァー名。
我が家の面々が「ツァー」と言うものに参加したのは、これが二回目です。
一回目は忘れもしない、アメリカに住んでいたときのイタリア周遊ツァーでした。

当時息子はまだ2歳。
このときもツァーのメンバー最年少でしたが、まずイタリア人に大人気。
通りすがりのイタリア人観光客にまるでスターのように彼の写真を撮りまくられました。

さらに、生まれたときから「人前で涙を見せない、いわんや泣き声をや」
という意志を持ってでもいるかのごとく「決して泣かない赤ん坊」であった息子、

「おとなしくてかわいい」

とあっという間にツァーのメンバーのアイドルとなり、子供が全く好きでなさそうな男性が

「静かな赤ちゃんっているんですね」

と感慨深げにいい、さらには新婚旅行のカップルが

どうしたらこんな可愛いいい子ができるんだろうねえ」

とため息をつく、といった「優秀児」ぶりを発揮して大いに親の気を良くしました。


ところでこのツァーというものの過酷なことは、参加された方ならよく御存じだと思うのですが、
たいてい朝は7時とか8時とか、個人旅行なら下手したらまだグースカ寝ている時間に
ロビーに集合してバスが出発、なんてことも珍しくありません。

そんなツァーも終盤となり、毎日毎日寝ているのを叩き起こすような朝が続いたある日、
親の前でもめったに泣かないはずの息子がさめざめと涙を流し

「おうちに帰りたい・・・・・・」

とベッドの上でつぶやいたのです。
両親はそれを聞いて胸がつぶれるような「済まない」という悔恨に苛まれたのでした。

だいたい、二歳児をどこに連れて行っても結局全く覚えちゃいないんですよね。


・・・・てなわけで、その後ツァーというものは鬼門となっていた我が家ですが、
今回は事情が事情なので、つまり行ったことのない基地航空祭に行くには、
アゴはともかくアシだけでもついていると楽なのではないか?
と考えたためのツァー参加と相成りました。

因みに、一人1万5千円、一泊朝食行き帰りバス付き。
考えようによっては、安いですよね。

自衛隊イベントについては担当の添乗員さんは全くの「素人」で、むしろ参加客に
航空機と自衛隊のイロハをいろいろ説明してもらっていたくらいですが、彼女の教えてくれたことで
大変有益だったのがこの「T‐7ジュニア」の展示飛行?があるということでした。

「ジュニア」というのは、基地隊員がこういうイベントのために有志で結成している
「地上機」(バイクや軽自動車)を使用した「なんちゃって飛行チーム」のことです。
各航空隊、本物と同じ塗装を施した「ジュニア」でちょっとした「アクロバット走行」
をしたり、模擬戦闘をしたりして、航空祭や基地祭の人気者。

静浜基地のT-7ジュニアだけでなく、有名どころでは
ブルーインパルス・ジュニアなんてのもいるのです。

他のジュニアより、ブルーには高度な演技が必要とされるのではないか、
と余計な心配をしてしまいますが、
何のことはない普通のバイク走行です。



他のジュニアと違うところがあるとすればスモークを出す仕組みを
搭載していることでしょうか。

バイクの先にモップの柄を付けて頑張っています。
これはピトー管のつもり。
このモップも一応自衛隊の「備品」なのですが、このために折ってしまったことが
綱紀粛正を旨とする自衛隊のことゆえ問題になったとかならなかったとか。
改造費用はどこのジュニアも隊員たちの「お小遣い」から出し合っているそうですが、

弁償したんでしょうかね・・・・・・モップ・・・。


ブルーインパルス・ジュニア展示飛行

本物が有名なのでジュニアもこのブルーが一番有名ですが、
ここ静浜基地のT‐7ジュニア、他にもF-2、C-130ジュニア(軽自動車ベース!)
そして海自の誇るP-3Cジュニアの展示には、「わるもの」の潜水艦まで登場します。


さて、と言うわけで、ここ静浜基地の実は一番人気者?
T‐7ジュニアの演技が始まります。



わたしが展示スペースにたどり着いた頃には、もう人垣が二重できていました。
人の隙間から、あるいは手を頭上に上げて苦心して写真を撮ってきましたよ。

始まる前のひととき、なにやら怪しげな物体とキレイどころが
キャッキャとはしゃいでいるのが目に入りました。

今にして思えば、ここは「浜松」ではなく「焼津」である、ということが、
このゆるキャラの着ているハッピからわかったはずなのですが、
そこはよそ者の悲しさ、これを見てもここが焼津市であることに気づきませんでした。

ちなみに、このゆるキャラについても調べてみましたが(笑)

観ての通り、これはカツオです(断言)

名前を「やいちゃん」と言いまして、同市出身の三歳の男の子だそうです。
ちなみに三歳児というのはどこに連れて行ってもきれいさっぱり忘れてしまうので、
きっとやいちゃんも静浜基地に来たことを一年もすれば忘れ去っているでしょう。

それはともかく、やいちゃんの基本形は、左手に

「トマト(焼津、大井川地区の特産)を持っている」

とのことですが・・・・・・



・・・持ってるよ。トマト。

お姉さん方に囲まれて非常に嬉しそうなやいちゃんでした。

因みにこのキレイどころを皆さまのご要望もおありかとアップにしてみます。



やいづのマリンレディです。



さて、T‐7ジュニアがいよいよテイク・オフ。

今、メカニックとパイロットを一人一人紹介しています。
パイロットは、本業が整備だったり、資材調達だったり(だったかな)、
本物の?パイロットも混じっています。
女性のクルーが結構いるらしいのも「ジュニア」の特徴。



向こうに本物が駐機していますが、もともとこのT-7は練習機で、
プロペラ機のせいか、玩具っぽい感じのたたずまい。
よって、本物と並べてみてもあまりギャップは感じません。

ところで、ジュニアのノーズを見てください。
プロペラ、見えませんよね。

そしてもう一度冒頭写真を・・・。



ちゃんとプロペラ付きです。
つまりこのプロペラ、ちゃんと回転するんですね。



演技開始。
こういう「ジュニア仕様」は、足が地面に着けられないので、
倒れないように翼に補助輪が附いています。



日の丸に「がんばろう日本」。
ヘルメットのネームは彼女の名前かな?

「?」マークにまだ確定ではない、という彼の微妙な立場が表れて・・・
かどうかはわかりませんが、まあそういう感じです。



観衆には手を振って答えます。



C-1、CH-47Jチヌーク、C-130ハーキュリーズ、T-400、
そしてT-7ジュニアを一度に全部見ることができる贅沢な眺め。




マリンレディが写真を撮っているとついカメラ目線で答えてしまう隊員。



まわりの、特に女子からは

「かわいい~」

の声が終止乱れ飛んでおりました。



あれ?なんだかヘルメットに書いてあるぞ。



優貴さん(仮名)も、彼の晴れ姿を見に来ているんでしょうか。
そして、ネタ切れ?とは・・・・?



「やいちゃん」の惜しみない応援を受けつつ疾走するT-7ジュニア。
実にシュールな図である。

「やいちゃん」の中の人、こんな間近で見られていいなあ。

・・・・・・え?中の人などいない?


ヘルメットの自己主張がカオスです。



走行中プロペラは停止しているのが特徴。


ぐるぐる回るだけではなく、結構いろいろなフォーメーションを見せてくれます。
昔一度、ブルーインパルスジュニアの走行展示中、
「三番機と五番機が」接触事故を起こしたことがあって、その後しばらく
活動を自粛していたことがあったそうです。

ついでに言うと、ブルーインパルスジュニアの機体(車体)は、東日本大震災で
水没してしまったため、現在は走行展示は休止しています。

やはり水没してしまったF‐2の修理が来年には終了しますから、
その時に一緒に復活するのではないでしょうか。



おっと!飯村隊員、その文句は(アメリカ的に)やばいぞ!



というわけで展示飛行無事に終了。



整備員もちゃんと整列して行進。



「コミカルアクロバットチーム」。

やはりその自覚があったのか・・・・。
このシャツも隊員たちがポケットマネーで製作しているんですよ。

見ている方も思わず笑顔になってしまう、T-7ジュニアの熱演でした。



おまけ



↑拾い物画像





現役海将の語る尖閣~「それは一つの岩だった」

2013-06-11 | 日本のこと

うちのTOのところには、仕事柄講演会のお知らせがよく来ます。
わたしの興味のありそうな演題があると教えてくれるので、
TO名義で申し込み(大抵聴講が限定されているので)し、当日に

「夫が所要で来られなくなったので、代理で出席します~」

と言いながら会場に潜入する、と言う方法で結構多岐にわたる講演を聞いています。
先日は、中国共産党が研究テーマであられるところの、某大校長が、
中国との関係、ことに尖閣をテーマにして話すと言うので、
潜入すべく虎視眈々としていたのですが、
「豪華コースランチ付き講演」であったせいか、はたまたキャッチーな演題のせいか、
「会員本人以外は、希望者すでに多数のためご遠慮ください」
と断られてしまい、聴くことができませんでした。

李登輝氏が来日したときに、おそらく中国共産党への遠慮から急先鋒に立って
反対の工作をしたと言われているこの人物が、自衛隊幹部を育成する
某大の校長となった今、どのような立場から?尖閣問題を語るのか、
非常に興味深いものがあったのですが。


また、尖閣を巡る中国の戦略や我が国の対応について、わたしは一度、
元海幕長の赤星氏の講演を聴いています。

その時に現在分かっている中国の野望と、その達成のため着々と進めている
現在進行形の「侵攻」について、簡単にここでもお伝えしました。


今回は、自衛隊の現役幹部であるところの海将による講演です。

 

TOの教えてくれる「会員限定」の講演会ではなく、ある「国民団体」主催のものです。
「国民団体」と言う言葉はどこを探しても定義が無いのですが、
まあ、「市民団体」のカウンターパートではないかと思います。私見ですが。

福本出(いずる)海将はご覧のとおり自衛隊幹部学校の校長職に在られ、
東日本大震災のときは掃海隊群司令として災害救援を指揮された人物です。

赤星元海幕長も懇談の際言っておられましたが、あの震災での海自の初動は非常に早く、
発生11分後には大湊基地(青森)からヘリが飛び立ってまず情報収集、
その一分後にはP-3C哨戒機の行先を被災地に向け、一時間以内に
救援物資を積んだ護衛艦を出港させるなど迅速さが際立ちました。

福本司令の指揮する掃海隊群は海上に浮遊する遺体の収容に始まり、
スクリューに浮遊物が絡まってしまうような海域にゴムボートを運行させ
生糧品などを供出、燃料、生活用品の補給などに従事しました。

福本海将は第4海災部隊指揮官として、潜水艦救難母艦「ちよだ」の他掃海艦艇14隻を指揮。
4月15日までに24港湾107地区で延べ150回の支援を行っています。


その講演の、「中国の海洋進出」については、赤星氏の講演について書いた
エントリとほとんど内容を同じくするのでここでは割愛しますが、
今日はこの日の講演から非常に面白い、というか(実際は全く面白くないのですが)
ついつい呆れてしまった中国のなりふり構わないやり口について書いておきます。



良くこんな場所見つけましたよね(笑)

福本海将が「劇的ビフォーアフター」の「施工前」としたこの写真。
ここは、「赤瓜礁」と中国が名づけたひとつの「岩」です。

歩哨は座って休憩はおろか、うっかり居眠りしようものなら海の藻屑です。



どこにあるかと言うと、この地図の「スプラトリー諸島」です。
言っておきますが、この点々とした島の中にこの「岩」は含まれていません。

1988年にここで「スプラトリー海戦」という、中国・ベトナム両海軍の戦闘がありました。

このとき中国海軍は勝利し、この人が立って足首まで水に浸かる岩礁の
赤瓜礁」始め、永暑礁華陽礁東門礁南薫礁渚碧礁と後に名付けられた
岩礁または珊瑚礁を手に入れます。

ただし、空軍の支援が無かったため、海軍は一旦中国本土に撤退しています。

しかし、軒を貸せば母屋を取るのが中国人(笑)
一旦手に入れたこの岩を、このように・・・・




「劇的ビフォーアフター改築」してしまいました。


ところで。

日本のFEZ(排他的経済水域)を決定する「沖ノ鳥島」という島がありますね。



ここです。

中国はこれを日本のFEZであるとは認められないと異議を申し立てているのですが、
その理由が笑ってしまうことに「岩だから」なんですね。

「岩だから拠点にならない」というなら「足首まで平常時にも浸かる海面下にあり、
満潮時には完璧に沈んでしまう岩」である赤瓜礁は、それじゃなんなのかと。

しかも、この地理関係で、どんな屁理屈を通せばここが中国の海域になるのかと、
横浜中華街の中国人全員にぜひインタビューしてみたいです。

ここは満潮時にも水没しないため、国際的にFEZとして認められていますが、
実は中国以外にもそれに異議を申し立てている国が約一ヶ国ございましてね。

・・・・・・・ええ、韓国という国なんですが(笑)

中国の主張は、まあ無茶苦茶ではあるけれどその目的は納得できますが、
韓国は、いろんな意味で、この部分に何か言っても無駄じゃないかと思います。
まあ、この国はひたすら日本に嫌がらせをするために存在しているようなものなので、
これもまた中国の尻馬に乗って言うだけ言っているに過ぎないのかもしれませんが。


とにかく、沖ノ鳥島を「岩だからFEZ認められない(アル)!」と言うためにも、
ただの岩礁に中国はこうやって無理無理、しかもその周辺に人工建造物を造成し、
さらにそのうちの一つを人工島に改造してEEZの存在を主張しているわけです。

ベトナム側の報道によると本来、赤瓜礁は満潮時には海中に沈んでしまうそうですが、
もしこれが事実なら赤瓜礁は領土として認められないことになります。

まあ、中国にとっての「事実」というのは愛国無罪でいくらでも修正可ですから、
たとえば



海軍の演習に千隻の艦船が参加し・・・・、

とされた報道ですが、これも同日の映像のはずなのに
明らかに天候と気象条件がまちまちの映像を平気で出してくるわけです。
つまり1000隻というのはまったくの嘘で、威嚇のために「盛って」報道しているのですね。

台湾でお会いした蔡焜燦氏によると、大陸の中国人は

「白髪三千丈」

という言葉が表すように、たとえばこの場合なら「長い」と言うことを言うのに
三千丈、つまり9000メートルの白髪が心配事が多くてできてしまった、
というたぐいの表現によってむしろ心情状況を主張する性癖があり、
南京の犠牲者が10万単位で増えて行って、いまや

「そんなに日本軍が強かったのならなんで負けたんだ」

と笑われるくらい非現実的な数字に到達してしまっているのも、
彼らにしてみればこれは「正確な数字というより、むしろ心情的なもの」
つまり白髪三千丈と同じような「強調表現」だということらしいのです。

そんな文学的な数字をもってして日本軍の犯罪の根拠にされては
全くたまったものではありませんが、中国人の重視するのは「正確な数ではない」
のですから、この数字も今後増える可能性があるということですね。


と言うわけで、心情的にはここは中国の排他的経済水域ですから(笑)
この岩礁はいまや「島」であり、満潮時も沈まないのです。



また、この時に占有した永暑礁というこれも「岩」ですが、



88年にはこの趣味の悪いビーチパラソルとほとんど同じ大きさの岩だったのが、



このような掘っ立て小屋を経て・・・・・



軍隊が駐留(一個師団?)できるくらいのスペースに劇的改装してしまいました。


なんだか、こんなことを一国、しかも大国が大真面目にやっている、ということが
なんともやりきれない気持ちにさせられますが、
以前エリス中尉があるエントリで中国を評して言った

「巨大な図体で赤ん坊の脳を持った国家である」

というこの言葉がまた彷彿としてきます。

赤ん坊は自分の要求を満たすためにだけ生きています。
成長するにしたがって社会の中での一員であるという自覚ができ、
我慢したり譲ったりして我欲をコントロールすることを学んでいくのですが、
赤ん坊のころはとにかく欲求のままに行動(泣く、物を投げる)することしか
できない、「エゴの塊」です。

国家として他国と協調したり国際道徳に照らして規範から外れぬように行動したり、
まあつまりそういうことよりなにより「核心的利益」を得ることが優先、
というこの姿からは、赤ん坊のエゴと同質の未成熟を感じずにはいられません。

この日の福本海将のお話で印象的な言葉がありました。

「中国の政治は国民のためではなく、共産党の維持を目的として行われる」

国民の生命、財産を護り、人権を保障されるべきとされる民主国家とは根本が違うのだと、
わかってはいましたが、この言葉で改めて彼我の国家観の違いを実感しました。





そしてジェーン年鑑から予測した2020年のミリタリーバランスですが、
今現在でさえ海上自衛隊と米海軍の総計を大きく上回っている中国海軍力は、
そのころにはより大型化した艦船を配備させ、大きく均衡が崩れていく、とされています。

つまり、赤ん坊の頭脳のままさらに図体は肥え太っていこうとしているわけで、
文字通り中国は「総身に知恵の回りかねる」状態。

その昔、小村寿太郎が中国の李鴻章に向かって

「日本では閣下のような大男は時として総身に知恵が回りかねると申します」

と言い放ったという話をふと思い出してしまうわけですが、
この不均衡は中国の強さと言うよりむしろ「内部崩壊」
につながるのではないかと思うのはわたしだけでしょうか。


先日来、アメリカ側の告発で、

「尖閣諸島問題で劇的な決着をつけようとする習金平は
『尖閣に人民解放軍を一時的に上陸させてくれ』
と泣きついて来ている。
『一日上陸を認めてくれ。ダメなら3時間でいい。
アメリカに迷惑がかからない方法を考えたい』
『どんな条件でも飲む』
と買収の上日本を裏切らせようとしている」

という事案が明らかになりました。

これは習金平の権力基盤が非常に脆弱な状態であることの表れとも言われ、
この話がペンタゴン筋から漏れてきたこと自体思惑は失敗ともいえるのですが、
つまり中国は、というより習金平はなりふり構わなくなってきているのです。

対談では日本を指して

「挑発をやめるべきだ」

などと、自分だけがいい子になってアメリカに言いつけたつもりでしたが、

オバマからは

「知るかよそんなこと。
日本と話し合いで解決しろよ。
あ、でももし何かあったらあそこは日米安保の適用だからよろしく」

と言われてしまった模様。
うーん。習さんチクリ作戦失敗だ。

習金平はアメリカに

「太平洋には両国(アメリカと中国)を受け入れる十分な空間がある」

とし、太平洋の分割統治を持ちかけたとされますが、これも焦りから出た言葉でしょう。
つまり、オバマが反応しなかったため、「決裂」の烙印を国内外で押されまいと、
せめて強気の姿勢をアピールしたというところです。

しかもオバマには

「尖閣を測量もしたことないのに領土主張するのは未成熟国家だ」

と言われてしまったらしいですね。
未成熟国家、すなわち赤ん坊並みってことですね。
エリス中尉と気が合いますね、ミスタープレジデント。


この日の演者であった福本海将は、さきほども書いたように、
東日本大震災の救難活動に、掃海隊群司令としてその指揮を取られた方ですが、
この時に心掛けたのが、

「顔の見える支援をする」

ということであったそうです。

例えば、出来るだけ同じ人が同じ所に何度も行く。
被災者の要望を聞くのにも、年配で相手の気持ちもくみ取れる世間慣れした者を派出する。
また、届ける物資にメッセージを書くなどの心配りをすることで
被災者の心の支えになるよう心がける、などといったことです。

また、赤星元海幕長も

「海軍同士の交流によって顔を見せ合い、不測の衝突の可能性を軽減する」

とおっしゃっていましたし、また、以前防大の留学生について、

「草の根の交流によってお互い『顔合わせ』し、ひいては国家間の理解に繋げる」

ことによってある抑止効果が期待できる、と書いたこともあります。

「顔が見える」

というのは災害時に限らず、大きな組織を動かすときのキーワードではないでしょうか。
それはとりもなおさず人間同士の信頼を増幅し、
逆に無理解による軋轢を軽減するために必須の配慮ともいえます。

そういったごく当たり前の「破滅を回避するための人間としての知恵」
とでもいうべき部分が、少なくとも今の中国から欠落しているように見えるのが
わたしには非常に懸念されます。

そういえば、習金平の人格を絶賛しておられた読者の方もおられましたが、
少なくともそういう個人の資質といった要素が、この中国と言う巨大な未成熟国家において
国の方向を大きく変えるということは当分ないのではないでしょうか。

いかなる善意の指導者もそこではただ赤ん坊の脳に掌られた「巨大な歩」(ジャイアント・ステップス)
によって何処かへ運ばれていく運命共同体の一人にすぎないのですから。



さて、この日の講演でもう一点、新たに知ったことがありました。
国際的な主張を含む両国の「情報戦」についてです。

そのことについて稿を改めてお伝えしたいと思います。







本日のすずめ食堂

2013-06-10 | すずめ食堂



あれからニコンの教室に一日だけ行った成果をお見せしましょう。
少しは進歩してますか?

因みにこの日は曇っていたので、ホワイトバランスを少し調節し、
フォーカスもISO感度も教わったことに忠実に設定してみました。



ガラスの映り込みがやっぱり今一つですね。
取りあえず磨いたんですが(笑)
教えていただいたフィルム、アメリカから帰ってから貼ろうかな。







あの親子スズメが本日もご来店。



こすずめ、可愛い。
お母さんが食事中、横で待っています。





お母さんの嘴の中にお米が見えますね。
これが玄米であることもなんとなく色からわかっていただけますでしょうか。



「ちょーだい」と言いたげに親鳥を見つめるヒナ。



やった!お米口移しの瞬間。



お母さん「・・・・・・ん?なんだか視線を感じるわ」
仔すずめの喉に黒い模様はなく、羽毛がふわふわしています。



お母さんも食べます。



お母さん咀嚼中。
子供は待つだけで自分で食べません。



カメラ目線。
やっぱりレンズが気になるみたいです。






今日はこれで閉店です。
またのお越しをお待ち申し上げております。






開設1000日記念漫画ギャラリー~中指作品集

2013-06-10 | つれづれなるままに




ブログ開設して早三年。
この三年間に実にいろんな出来事がありました。

毎日のように日記代わりにエントリを制作していますが、
日記と言うより

「わたしの海軍歴史自衛隊関係探求の記録」

という内容で、その濃さや信頼性についてはともかく、
とにかく「毎日信じられないほどの長文をアップ」するブログとして、
ブログ界の片隅にそれなりの位置を占めている、と
自分事ながら呆れつつも自負しているわけでございます。


当ブログの特色として、リサーチ、文責は勿論のこと、掲載する写真、
そして挿絵、BGMの選曲すべて自分でやってしまう、という、まるで
小さいころ作っていた「こども新聞」のようなノリが挙げられます。

しかし、ブログ運営開始当初、「自分で絵を描いて掲載できる」と知ったときには
嬉しかったですねえ。
イラストレーターや漫画家さんのブログならともかく、シロートが自分の絵を
掲載しているタイプのブログというものをあまり見なかったものですから。

あ、こんなことできるんだ。ならやってみよう。
そんな感じで、徐々に今の形になっていくわけですが、
最初はブログ機能に搭載されている「お絵かきツール」という
絵画ソフトで、こういった漫画を制作していたのです。


ただし、このお絵かきツール、何度か説明していますが、ホイールパッドを
中指(なぜかわたしば中指の方が描きやすかったので)でなぞることによって
線を描く、というとんでもないもので、下書きもできませんから不自由な指で、
何度も線を描きなおしながら苦心惨憺して仕上げていました。

書き終わった後は、腱鞘炎のように指が攣ったものです。

絵もさることながらこのソフトは字を書くのが大変でした。
まるで人格を疑われてしまうような、ミミズののたくったような字なのはそのせいで、
いや・・ペンで書くのも絵画ソフトの場合、モニターを見ながらパッドをなぞるので、
かなりこちらも不本意な字ではあるのですが、何しろ、苦労してもこの程度です。

あ、この際ですから言い訳しておきますが、わたくしが紙に書く字は、
マンガの字とは全然違いますからね!
もう少しましですからね!


この漫画は、予備学生13期の土方敏夫氏の回想録から、
氏の「失敗談」を描いてみました。
土方氏はその後逝去されたのですが、その少し前、
エリス中尉はこれをプリントアウトしたものをご本人に手渡したと言われています。








軍事演習で、御召艦を間違えて魚雷攻撃してしまった若い士官搭乗員。
ベテランの先任搭乗員は必死のバンクで止めようとしたのですが、
その努力も虚しく、魚雷は放たれ、運の悪いことにポーポイズ運動を起こして
浮き上がったまま艦に突入してしまったそうです。

ちなみに演習のときの魚雷攻撃は艦の下を通過させるのだそうです。





「パンツ一枚で初撃墜」
というタイトルだったかと思います。
特に戦後、自分が戦争中どんな撃墜をしたかなどということは、
「ゼロ戦ブーム」到来まで決して大きな声では言えなかったようですが、この
小高氏によると、初撃墜とは搭乗員にとってよほどうれしいことだったらしい。

この時の誇らしい気持ちと、コンソリデーデッドを撃墜した興奮は、
その人生の記憶に燦然と輝きを以て小高氏の人生を彩ったようです。

パンツ一枚で機から降り立った時の恥ずかしさとともに。


ちなみに、ある回想記を読んでいて、海軍兵学校67機、笹井中尉と同期の
川添利忠少佐(最終)が、やはり戦地で、こちらは褌だけで出撃し、
見事敵機を撃墜してきて平然としていた、という思い出を語っている人がいました。
川添少佐は写真で見る限りは物静かなタイプで、クラスの間でも
「どちらかというと偵察向きの搭乗員で、戦闘機に決まったときはニヤニヤして
嬉しそうにしていたから意外だった」
などと言われていたようですが、戦地での川添少佐は、このエピソードにも見られるように、
非常に激しい、闘争的な面を持っていたようです。

邀撃のとき搭乗員は身なりなど整えている場合ではないので、
とりあえずそのまま飛行機に飛び乗ってしまいます。
だからこそかれらはいつも飛行服でいたのだと思いますが、
とんでもない恰好で邀撃にあがり、不幸にしてそのまま戦死してしまう人もいました。

わたしが読んだ中で一番悲惨だった例は、邀撃の命令が下ったときに宴会中で、
着物を着てお化粧をし、女装していた搭乗員がそのまま出撃して、
その恰好のまま撃墜されてしまったというものです。

 



「菅野直伝説」はいくつか描きましたが、実はこれにも菅野大尉が出演しています。

この「太りすぎで艦爆に行かされそうになり、菅野大尉に泣いて頼んだら
戦闘機に残してもらえた搭乗員」ですが、この物資不足のご時世に
どうしてこれだけ太っていたのか?というと、やはり搭乗員の食料は
任務がハードなのでかなり一般に比べて潤沢だったようです。

ちなみに、この方はわりと最近実際にお会いしましたが、とてもスマートな方でした。
人生で一時期だけ太っていたのが、よりによってこのころだったんですね。





確かアメリカ滞在中だったと思うのですが、この心温まる
隣国軍のほのぼのニュースにあまりにも感動して、F-15以外は
何の資料も無しで漫画にしてしまいました。

「自分でレバーを引いて射出されてしまった軍幹部学校の校長」のお話です。

この軍は、マンホールの穴に戦闘機がはまったり、
空母の甲板がヘリの重みで凹んだり、データリンクもできないのに
数だけイージス艦をそろえたりしたがるので有名です。







野中五郎の居眠り伝説を「居眠りの達人」というエントリにしてみました。





阿川弘之の「井上成美」からのエピソードです。

従兵のお仕事はハードで、艦長の部屋を掃除していてつい、
ベッドに倒れこんで寝てしまうほどなのですが、
目覚めたら隣に艦長(井上成美)が寝ていた、という実話。

疲れていたんだな、可愛そうに。

そう思った井上艦長、寝ているのをそのままにしておいたわけですが、
寝ていろ、と言われたって従兵にすればそれどころじゃありませんよね。



「DARPA」国際高等研究計画局」

ゴキブリ爆弾とか、敵の兵士の肌質を変えるとか、

敵の兵士達をホモセクシュアルに変え、
互いに激しく惹かれあうようにする催淫型化学兵器


とかを潤沢な費用をもらって研究しているアメリカの秘密(じゃない?)機関。

そんなDARPAのことを熱く語ってみました。


一見不真面目なことを真面目にやる、というのが、結局は人類の
科学の進歩につながっていくこともあるのではないか、
だからこそこのDARPAについては暖かい目で見守りたい。

そんな気にさせられる、軍事開発組織でした。


・・・・・・でも、自分の親とか夫がここに勤めていたら、少し嫌かも。








静浜基地航空祭~C-130

2013-06-09 | 自衛隊































意外と小さな写真の方が飛行機の動きがわかりやすいと思い、
ブルーインパルスの演技「コークスクリュー」をコマにしてみました。

真っ直ぐ飛ぶ機はともかく、スクリューを描くブルーは凄いテクニックが要りそうです。

今回ブルーインパルスのことをいくつか調べていて、ブルーについて
その飛行やその薀蓄を実に細かく調べている人がいて、
この方はおまけにブルーの「追っかけ」のようなことをして、
クルーに技術的なことを質問したりしているのに驚きました。

マニアというか、ある一つのことを徹底的に掘り下げて調べる人と言うのは
どんなジャンルにもいるのだなあ、と実感。

しかし、この方が渾身のリサーチで「こう操縦すればこうなるはず」
とシミュレーションしても、しょせんそれは「机上の空論」。
しょせん、「機上の空論」、空論は空論でも「そら」の実論には及びもつかず。
というか、ブルーのパイロットからは

「理屈じゃなくて体で覚えるしかない」

なんてごくごく当たり前のことを言われていました。
やはり、実際にやっている本人にしかわからないことなんですね。


さて、一日につき一機種ずつお話ししてきて6日目。
実際には一時間半で六種類の航空機が展示飛行されました。
その六番目の展示飛行は、C-130です




F-2、F-15のときにはあっという間にフレームから外れるので
アテンションマックスで写真を撮っていたのですが、これが現れたときに
あまりにも動きに変化がないので、ついテンションが下がってしまったエリス中尉です。

今日お話しするのはこの飛行機のこと。
誰が言ったか「世界最高の輸送機」
正式名称がロッキードC-130ハーキュリーズ


ハーキュリーズはギリシア神話の半神半人の英雄、ヘラクレス。
わたくし、ヘラクレスと言えば、赤ちゃんの時にヘビを絞殺した話しか記憶にないので、
実は何をした神様なのか知りませんが、ディズニーの映画は見ました。

ケンタウルスとコンビを組んだド根性サクセスストーリーが面白かったですね(笑)


その機体はギリシャ神話の英雄の名にふさわしく堂々とし、
こう見えて短距離着陸性能は他の追随を許さず、なんといっても
この巨体で航空母艦からカタパルトなしで飛び立つことができたという・・・・・。

その完成度の高さは、初飛行からすでに60年近く経っているというのに、
いまだに後継機が造られる気配すらない独走状態。
戦術輸送機としては最も成功した機種と言えましょう。




汎用性も高く、あらゆるタイプの派生型が生まれています。
その一例を挙げると・・。

ガンシップ型(AC-130)

ガンシップ、って言葉知ってましたか?
シップってフネじゃん、とおっしゃる方、
ああ、ナウシカのあれね、とおっしゃる方もおられるかもしれません。

ガンシップとは本来海軍用語で砲を備えた艦船を指すのですが、
ベトナム戦争のとき、アメリカ軍がベトコンを掃射するために作られた
ヘリや航空機のことを第一義にします。
つまり、非装甲の歩兵を薙ぎ払うための武器搭載航空機。

うわー・・・・・・。

さすがは無抵抗の一般市民の上に原子爆弾を二発も落とすアメリカさんだ。(棒)
俺たちにできないことをやってのけるッ!そこにしびれ・・・・ないし憧れない。


えー、つまり局地制圧を目的とした航空機と言うことです。
AC-130は現在現役としては唯一のもので、ベトナム戦争以降、グレナダ侵攻
パナマ侵攻湾岸戦争ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ソマリア内戦コソボ紛争
イラク戦争にも投入されました。

つまりアメリカの首突っ込んだ戦争って、戦後これだけあるってことなんですね。

第二次大戦後一回も戦争していない日本が「右傾化している」と騒いでいる連中は、
まずアメリカさんに何か一言言ってからにしていただきたい。


無人標的機管制型(EDC-130A/E)

無人標的とは、攻撃、射撃訓練の的となる無人の航空機のことで、
それを管制する装備を搭載している機。

吹き流しを曳航して標的にしていた昔には、しばしば曳航機を
撃墜してしまうという事故が起こったものだそうです。

勿論、今でも起こる事故です(迫真)
有名な話ですが、実は海自は米軍の曳航機を「撃墜」したことがあるんですねー。


護衛艦「ゆうぎり」
がリムパック(日米合同演習)参加中に、
米海軍の標的曳航機A-6イントルーダー
ファランクスCIWS(20ミリバルカン機関砲、1分間3千発以上発射可能)で、
撃墜したのです。ちなみに、

┌─────┐
│誤射 だ よ。│
└∩───∩┘
  ヽ(`・ω・´)ノ

イントルーダーは、標的の吹流しを500M以上あるロープで牽引していたのですが
「ゆうぎり」さんたら、レーダー照準を敵機、じゃなくて米軍機にばっちり合わせて、
見事撃墜してしまったというわけ。

ふむ・・・照準を合わせておいて「誤射」とな。

という限りない疑問は残りますが、米軍機のパイロットは二人とも無事だったせいか、
米軍側からは抗議などは特になかったそうです

でも、これ、総司令官が謝りに行ったんだろうなあ・・・。

「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも『夕霧の君』にキスされて光栄に思っております」

米軍司令が源氏物語オタクならこう言って許してくれたでしょう。


撃ち落としてしまうことを普通キスとは言わんだろう。
・・・そういう問題じゃない?



電子戦機型(C-130E コマンド・ソロEC-130E ABCCCIII)

電子戦ったら、あれですよ、
電波で探索したり妨害したり探索したり妨害したり。
そういうことなので、興味がある方はウィキを貼っておきましたからお読みください。
(なげやり)


EC-130E(RR) リベット・ライダー (Rivet Rider)

テレビなどによる宣伝放送を行います。
うーむ。テレビによる心理戦とな。
最近テレビと言う媒体で日本人に対する「心理戦」が、特にNHKで行われている気がするのだけど、
・・・・・そういうのとは違う?

やはり映像媒体はときとして情報戦の重要なツールになりうるのですね。

麻薬取締まり任務型(EC-130V

画像を見つけたの貼っておきます。
ハーキュリーが背中に皿をしょっていて、とてもかっこ悪いです。


その他有象無象。(おいっ)


地上試験型(GC-130)

戦闘捜索救難機型(HC-130B/E/H)

救出作戦用(MC-130P コンバット・シャドウ

空中給油型(KC-130F)

■南極観測用(LC-130
 
ブルーエンジェルス専用機(TC-130G)

「ファットアルバート」(太っちょアルバート)として、1機だけ運用されていた機体。
ブルーエンジェルス専用機、・・・・・ってこれ、ブルーズの機体を
全部積んでるってことですか?

VIP輸送機型(VC-130)
 
■気象観測機型(WC-130 ハリケーン・ハンター

ディズニーシーにある「ストームライダー」を思い出してしまいました。

後は哨戒用や海上哨戒用、胴長型、給油タイプ各種揃っております。
それにしても、麻薬の取り締まりにどうして輸送機が必要なのか・・・・・。




陸上自衛隊はこれを空挺団の降下にも使用します。

ところで最近、自衛隊の偉い人は、出張の時にどうするか?
という話を聞いてしまいました。

たとえば関東近辺の基地、あるいは防衛省から北海道出張があったとしますね。

そういう時は、入間―三沢―北海道のどこかの基地、
と言う風に中継ぎを挟んで、ヘリと輸送機で移動するのだそうです。
たとえば海自の偉い人であっても、空自の基地から空自機を使ったりして、
何しろ民間航空は使用しないというのですね。

当たり前と言えば当たり前なのですが、少し驚きました。

ですから、この輸送機などで偉い人は「出張」されるわけです。
あ、この場合の「偉い人」がどの程度偉いのかについては、いい加減ですので念のため。









静浜基地航空祭~F-15「イーグルの翼に乗って」

2013-06-08 | 自衛隊


「イーグルの翼に乗って」←クリック!

これはRobert・W・ Smithの作曲による吹奏楽ですが、
原題を

On Eagle's Wings(Our Citizen Airmen)

といいます。
この曲はこのF‐15のために作曲されたのだと思いますが、
このスミスは吹奏楽の世界では有名な作曲家で、息子の学校でも
学校のクラスで取り上げたりして我が家ではおなじみです。

と言うわけで今日はBGM付きエントリです。
本日のF-15Jイーグルの写真とともに、演奏をお楽しみください。
(空自の演奏ではありませんし、少しミスがありますがそれはご愛嬌)


さて。

静浜基地航空祭、いろんなエントリを挟みつつお送りしておりますが、
F-2はいろいろとお話ししたいことが多くて、二日もかけてしまいました。


ウィキから拝借した写真、米軍兵曹が水没したF-2を打ち眺める様子からは
エアメンの一員だからこそ感じたのであろう喪失の悲哀が伝わってきて、
こちらも思わず目頭が熱くなってしまったものです。


F-15はこの津波で大量に失われたわけですが、このF‐2は事故による喪失機数が多く、
制定以来12機が喪失しています。
このうち、殉職を伴う事故は6件、殉職者数8名。

機体の両不良というより、制空戦闘機として限界までの訓練が
行われるため、と考えればよいのでしょうか。
勿論人為ミスもあります。
そのうち一機はなんと、僚機によって撃墜されてしまっています。
有名なF-15僚機撃墜事故です。
これはどうも無意識による誤射事件ではないかということで決着し、
撃墜したパイロットは定職十日に加え、資格剥奪処分になりました。
パイロット資格はく奪のことをP免、と言います。

・・・これ、なんだか今やっている(らしい)空自ドラマみたいですね。
事故のため主人公がブルーインパルスから「P免」されたという設定。
さすがに「事故」の内容はこんなシリアスでは無いようですが。


本件では、この一尉が無意識のうちにミサイル発射系統の回路を導通状態にした、
つまり安全状態を解除してしまっていたということですが、
「慣れ」から来る無作為だったのだとしたら、これほど怖いことはありません。
おそらく、事故後、全自衛隊パイロットに対し、操作動作の確認の徹底が
厳しく戒められたのではないかと想像します。



ところでエリス中尉、決して自慢するわけではありませんが、この方面のシロートですので、
航空機マニアやコアなファンが当たり前、イロハのイ、と思っていることにこだわります。

支援戦闘機の「支援」のように、このF-15がカテゴライズされているところの

「制空戦闘機」という区分けについてもこだわってみます。


昔は「制空権を確保」などという文言をよく使い、実際に
「当時制空権は敵の手に落ちていた」
などという文章が戦記や戦記小説に散見されたものです。

しかし最近では「制空権」という言葉自体を使わなくなってきているそうです。
「制空権」すなわちair supremacyではなく「航空優勢」air superiority
と言い換えているのですが、「制空戦闘機」という呼称は日本に残り、
英語では"Air surpremacy fighter"ではなく
"Air superiority fighter"とのみ表記されます。

「航空優勢戦闘機」

今までの自衛隊のセオリーからいうと、こう言わないといけないわけですが、
まあ、なんだ、つまり「言いにくい」ってことでOK?



それはともかく、この「制空権の確保」が第一任務とされている、ということは
簡単に言うと

「対戦闘機戦闘で敵を駆逐する」

つまり純粋な「ファイター」という位置づけであるわけです。
ゼロ・ファイター」「零式戦闘機」の機体そのものを意味することは
皆さん当然ご存知ですね?

この「制空戦闘機」というものを調べていて、おもしろい話があったのでご紹介します。

戦闘機の黎明というのは戦争に航空機が使われた第一次世界大戦です。
当初、航空機は武器を搭載していませんでしたので、航空機はもっぱら
偵察機として各軍に使用されていました。

ですから、お互いのんびりしたもので、敵国機同士がすれ違う時には敬礼したりして
「挨拶」をしていたのだそうです。
まあ、この頃の戦争はまだ「騎士道の戦い」が生きていましたし、
もう少し経って搭載機銃による「空戦」が始まったときにも、
たとえばリヒトホーフェンのような貴族が「やあやあ我こそは」のノリで、
「顔の見える戦争」をやっていましたから、これも当然かもしれません。

しかし、こんな悠長なことをしていたのもつかの間でした。

航空偵察によって戦況が左右されるということがはっきりしだすと、当然ながら
お互いの偵察を妨害しなければ、という風になってきて、「空中戦」と称して
偵察同士でピストルを撃ち合ったり

石やレンガを持ち込んで投げ合ったり

石やレンガを持ち込んで投げ合ったり

石やレンガを持ち込んで投げ合ったり

していたのです。
以前、「フライボーイズ」というジェームス・フランコ主演のエアメンものについて書いたのですが、
このネタばらしをしてしまうと、
(ネタをばらされたくない方は一行飛ばして読んでください)


空戦で敵わないドイツ空軍のエースを、主人公がピストルで撃ってしまう


という、現代の感覚では「それちょっとアカン」なラストシーンがあったりします。
しかし開くも開かないも、このちょっと前まで普通に行われていたことなんですね。
機上の撃ち合い。

とかく非難されがちなこの「フライボーイズ」の主人公の戦闘ですが、
レンガを投げなかっただけマシ、と考えられないでしょうか。
決して彼をかばうわけではありませんが。


とにかくこの「制空戦闘機」、現代では戦闘機と一言で言っても

マルチロール機

と呼ばれる、複数の用途での運用が可能な航空機が主流となっていて、
この多用途戦闘機、多任務戦闘機のことを

マルチロール・ファイター

と称し、昔の戦闘爆撃機も「マルチロール・ファイター」にカテゴライズされます。
ちなみに自衛隊で言うとF-2がこのマルチロール・ファイターに相当します。



管制塔とF-2。
管制塔(ですよね?)の中には三人しかいないんですね。
もっとたくさんの人が見はっているのだと思っていました。



ところで皆さんは

「ピース・イーグル」

という航空用語をご存知ですか?
前回、F-2についてお話ししたのが、当時の日米経済摩擦受けて、
アメリカ側が

「日本だけで独自の航空機を開発するなんざ許さん!」

とばかりに共同開発に食い込んで(っていってもいいよね)きたという
「裏の事情」についてであったわけですが、
こたびの導入は最初から「ライセンス国産」です。

そこで色めき立ったのが、

グラマン社(F-14)
マクダネル・ダグラス社(F-15)
ジェネラル・ダイナミックス社(F-16)
ノースロップ社(F-17)
ダッソー社(仏)(ミラージュF1)
SAAB社(スウェーデン)(J37)

の各航空機会社。
(SAABが戦闘機を作っていたのをわたし初めて知りましたが)
この中からさらに、F-14,15、16の三種を絞り込み、
さらにさらにグラマンとMD社の「両雄対決」となったこの売り込み合戦。

アメリカそのものがこの権利獲得への戦いを

「ピース・イーグル計画」

と呼んでいたことからも、その権利がいかに渇望されていたかがお分かりでしょう。

その対決の舞台は、1976年10月に入間基地で行われた
「第五回国際航空ショー」となります。

この時点で実は選定作業はほぼ終了していて、MD社のF-15を採用することに
決定されかかっていたのですが、起死回生をねらうグラマン、

原子力空母「エンタープライズ」上から、
米海軍第二戦闘飛行隊の
F-14Aを呼び寄せた!

しかし、負けじとダグラス、

アメリカ建国200年記念塗装を施したTF-15A(痛機仕様)を、
わざわざアメリカ本土から来襲させた!

BGM・ドラゴンクエストII「戦いの歌」←クリック

一応他の航空会社も来ていたんですがね。
こちらはもう最初からあきらめムードだったでしょう。
目の前でこんなの見せられたら、ねえ・・。

グラマンもそんなわけでかなりいい線いってたんですが、結局はF-15を導入することになり、
三菱とマクダネル・ダグラス社との間で契約調印となりました。


しかし、このときに「第五回国際航空ショー」の観客が
「漁夫の利」(ちょっと違うかな)として、この歴史的な戦いに立ち会ったというわけですね。
どなたかこのとき見てた人、居ませんか?


ところで「ピース・イーグル計画」とは、「日本に購入させるべきF-15」に対してつけられたので、
この後ライセンス生産でできた三菱製のF-15Jのことは含まれません。念のため。




静浜基地航空祭で観客のほとんど目の高さを低空低速飛行するF-15J。
アナウンスによると、低速飛行を戦闘機でするのは高速より難しいのだそうで、
それはたとえて言えば「自転車を思いっきり低速で倒れないように漕ぐ」
のと似ている、とのことでした。

この写真では脚が出かかっていますが、皆の前に着陸したのではありません。

しかし、この機体をたった一人で操縦しているんですね・・・。
当たり前だろ、と言われそうですが、やっぱりかっこいいですよね。
ええ、シロートとしての素直な感想です。

ところで、晴れて正式な採用となり、15機の売り込みにも成功したF-15。
最初に輸入された二機ですが、まず完成後飛行検査を経て

米軍に引き渡し→米軍機として米軍パイロットが空輸→日本に到着、

そのあと、機体に付けられた米軍のマークが日の丸に描きなおされたのだそうです。



浜松エアパーク~F2開発

2013-06-07 | 自衛隊

今日はすこし手を抜いて?昨日説明したF-2の開発について、
浜松エアパークの展示パネルをアップします。
空自の製作したものだけあって、非常に分かりやすくまとめられているので、
そのままお読みいただければ下手な解説を付けずともよっぽどよく
その経緯がお分かりいただけると思います。
それではどうぞ。



F-2開発の経緯。

それは前回お話ししたように、国産派と輸入派の政治的な駆け引きに、
「日米経済摩擦」という当時の国際問題が絡まり、まさにカオス状態のまま
「国産派」の不満含みで進められたといってもいいのですが、
ここではただ、

「日本が独自に開発するか、外国から買うのか、あるいは既存の機体を基にして
日本で改良を加えるのか、長年にわたって検討と議論が重ねられた」

と、穏当な表現に終始しているのが興味深いですね。
まあ、ここでそれを書くのも野暮ってことだと思いますが。








冒頭写真はここに展示されているフルスケールのモックアップです。
確かめていませんが、どうも木製である模様。

ロールアウトの写真をご覧くださいませ。
ちゃんと、当然のように日米国旗が共同開発の証しとして並べられています。

開発における比率がどうだったのかは、今回調べることはできませんでしたが、
(米国側の要求によるとワークシェアは米国40%)
少なくとも日本側が「日本産」と言ってもいいくらいにその開発に対し
実質心血を注いだらしいことは確かのようです。

しかし、どんな形で進められたとしても、あくまでも建前を重んじる日本、
ちゃんとこのように共同開発の相手を尊重しているわけです。

え?

当たり前だろ、そんなこと、って?
あなたは、

日本のロケット、「H2A」21号機が昨年種子島宇宙センターから発射されたとき、
韓国の観測衛星「アリラン3号」を搭載していたが、
打ち上げた「H2A」の韓国でのニュース映像からは
日本の国旗「日の丸」と、「NIPPON」の文字が消され、
なぜか「KOREA」の大きな文字が入った「H2A」と似たロケットも現れた。

というような国もあることをご存知ですよね。
そういうことを「当たり前」とできる、
そんな民度の国民に、わたしはなりたい。いや、そんな国民でよかった。




右下は

「前後のフラップを除く主翼内側の骨組みと下面外板一体成型。
上面外板はこれにファスナ留めされています」



拡大しにくいモニターで見ておられる方のために、
右下の部分を拡大します。





アビオニクス、とは

「AVIATION」+「ELECTRONICS」

の造語で「航空電子工学」を意味します。

F-2が複眼でトンボと同じだということと同時に、初めて知りました。
勉強になるなあ。



「ゴールキーパーもフォワードもできる!」

サッカーなど好きな少年に向けてわかりやすく説明していますが、
何のことはない、

「これだけ搭載兵器があるので攻撃はばっちりOK!」

と言いたいわけです。
間違ってませんよね?

ここのところも、なんとなしに「支援戦闘機」という無理無理のネーミングに
通じる「それを言っちゃおしまいよ」というか「不文律」というか、
そういった「気遣い」を感じてしまうのは、やたらそういう「欺瞞」
(あ、言っちゃった)
に敏感なエリス中尉ならではのうがった見方でありましょうか。




これも右側部分を拡大しました。
興味のある方も多いと存じますのでね。

ところで、真ん中へんにガムテで消されている部分ですが、
そこにはいったいどんな間違いがあったのか、そっちの方が気になります。




これ!

これを見ていただきたかった(涙)

前回、F-16を製作のベースにしながら、「空自の要求にこたえた」という形で、
実は三菱の研究陣がここぞとオリジナリティを発揮し、

「ガワは言われたから同じものにしてやっけど、誰がそのまま
中身までアメさんの押し付け技術なんぞ使うかよ!」

みたいな(三菱の方すみません)男の意気地を見せた、
そのこだわりと執念があらわれてい(ると思い)ます。

エアインテークの形さえゼロからの設計にこだわった、というこの仕様。
バイパー・ゼロというあだ名は、いったい誰がつけたのでしょうか・・・・・。


「フェイク・ファルコン」って呼んでるのはどこのどいつだかはっきりしてるがなっ!




大きな事故はテスト飛行中の一度だけで、失われたことのないこのF-2ですが、
ご存知の通り、2011年3月11日の東日本大震災にて、松山基地所属のF-2B、18機が水没しました。

このとき、地震の揺れの後津波が襲ってくると知っていたら、
たとえどんな無茶と言われようがパイロットは機に飛び乗って離陸し、
避難したのではないかなあと、思っても仕方がないことをつい考えてしまいます。

ファイル:Matsushima Airfield March 18, 2011.jpg

ウィキペディアより。U.S. Air Force photo/Osakabe Yasuo

2011年3月18日、着陸した松島基地に救援物資を降ろした後、
破損したF-2支援戦闘機を見る Ramon Mortensen 空軍兵長
この戦闘機は東北日本を揺るがした地震と津波により損傷を負った。
Mortensen 兵長は第17特殊作戦飛行隊に配属された機上輸送係。



18機の内、7機が修理可能ということですが、すべての修理が終わるのには
三年かかると言われています。
ただ震災後一か月の2011年4月には修理に入っていますから、
来年中には復活したバイパー・ゼロが日本の空を飛ぶ姿を見ることができそうです。


因みに、ご存知かもしれませんが、松島基地所属のブルー・インパルスは、
その日九州に展示飛行のため出かけていて難を逃れました。





取りあえずすずめ食堂

2013-06-07 | すずめ食堂

今日、ニコン1の使い方教室に行ってきました。

が、この写真はそれとは全く関係のない、「初撮り」写真です。
使い方がわかってからもう一度撮りますので、
「使用前使用後」を比べる判断にしていただければ幸いです。

まだ全然絞りとかシャッタースピードとかわかっていないので、
そのつもりでご覧ください。

mizukiさんのリクエストにお応えして取りあえず第一弾やってみました。





一羽でチュン。



二羽でチュチュン。



三羽揃えば牙を・・・・剥くわけないだろーがっ!

あれ、これもしかして・・・・親子?



ガラス越しに撮ると、ガラスの汚れが・・・・・orz
この後、反省してガラスを磨きました。



ほかのものが写りこんでしまっています。



お母さんと子ども入店。



お皿の横にいるのに、自分で食べないで、
お母さんに口の中に入れてもらっています。





仔スズメは色が薄いんですね。
ずっと羽を震わせています。



仔スズメがこっちを見てる!






或る海軍少佐の終戦~谷川清澄

2013-06-06 | 海軍人物伝

 

昨日に引き続き、海軍少佐、谷川清登氏の講演内容を編集してお送りします。

が、その前に。

先日、旧日本軍のものとみられる不発弾が発見され、自衛隊の処理班が
爆破処理に携わったというニュースがありました。

わたしは運転中で、正午のニュースとして放送されたものを聴いたのですが、
NHKラジオではごく淡々と、爆破処理の様子を伝え、鉄道路線が止まったことなど、
報道としてまっとうに伝えるにとどまりました。

なのでそれ以上の感想を持つこともなかったわけですが、
テレビ報道ではアナウンサー()がまた何か言ったようです。


ある読者がそれに対してこのような感想をお寄せくださいました。


エリス中尉様

 
こんばんは。
今夜は、サッカーがオーストラリアとPKで・・省略・・世間が沸いておりますが、
昼間のうちは、東京北区の高射砲弾不発弾処理関連のニュースが、
交通関係への影響等で比較的大きくテレビで取り上げられて
おりました。
 
NHK(・・・まぁ、落ち着いて、話しはこれからです。)の夕方の首都圏ニュースでも、
取り上げられており、トン数の土砂が入る様な、沢山の大きな土嚢袋で防護した中で、
爆破処理される映像が映し出されましたが(見ましたか?)、そのニュースの中で、
女子アナのお姉ちゃんの一言が、グッと来ました。

曰く、
「これらの負の遺産は(それに関する処理の為の影響は)何時までつづくのでしょうか・・」
 
負の遺産、詰まりそれを生み出した一連の出来事と私、関係有りませーん。
理解する気も有りませ−ん。
私という存在は出自からして、それらのものとは「隔たって」「きれい」
(彼女の見た目の事では有りませんよ)なのでーす。 

そんな様に聞こえました。
 
不発弾は迷惑です。
有り難がる人はいないでしょう。
しかし、お前、お前も日本人なら、その負の遺産を背負えよ。
100%被害者面するのは止せ。そう思う私でした。

この時、コメントするなら、「処理関係者の皆様、お疲れ様でした。」ではないでしょうか?
 
因みに、以前何かのテレビ番組で、この不発弾処理に当る陸自の隊員達に付く
「危険手当」の金額を見た事があるのですが、
専門の隊員が不発弾の先端の信管を慎重に外す様な、非常に危険な作業をしても、
手当てとしては確か5千円しなかったと思います。
どういう計算に基づいてのものか解りませんが、安過ぎますよね?
多分、「お役所の単価」ですから、今でも殆ど変わらないのでは?
お疲れ様な事です。


ありもしなかった「軍による強制連行された慰安婦」という「負の遺産」を捏造し、
それを今の日本に「背負わせたい」民族と、その国に肩入れし彼らの立場で
日本を非難するマスコミ。

そんなマスコミのいうこの場合の「負の遺産」っていったいなんなのかしら。
日本は「負の遺産」を=たとえ捏造であっても負うべきで、
しかし、自分(つまりマスコミ)には何の責任もないと。

皆さまは、この件いかがお感じになりましたか。





さて、遊就館で行われた谷川氏の話に戻りましょう。

ミッドウェイとともに
日米攻守が逆転した転換点となったガダルカナルの戦い。

谷川大尉のいた「嵐」は、この北方輸送作戦に10回参加しています。
艦長として優れた判断力で上層部の信任も厚い
有賀幸作少佐がその腕を見込まれたのでした。

「嵐」は1942年の8月7日、あの坂井三郎が航空戦で負傷し
片目を失ったときの海兵隊のガ島上陸を受けて、
グアムに待機していたあの一木支隊をトラック島に輸送しています。

その後8月21日に一木支隊は包囲殲滅させられる運命です。


「一木支隊の幽霊」という有名な話があります。

軍隊の者はみな知っていたのだそうですが、この一木支隊の幽霊が、遠く離れた日本の、
旭川第7師団で8月20日、彼らが激しく戦っている最中目撃されたという話がありました。

抜刀乗馬の将校を先頭にした一団が近づいてきたと思ったら、
かき消すように消えた様子を二日に亘って何人かの歩哨が上に報告しています。


それでは、谷川氏のお話をどうぞ。


ガ島補給作戦

目に見えて劣勢になってきていました。
補給船もどんどんやられてね。
「嵐」は生き残りました。
10回くらい行きましたが20回は生かされたフネもありましたね。

飛行機も、もうゲタバキ(水上艇)で敵に応戦するしかないんです。
見ているとね、敵の飛行機に向かって、
鈍重なゲタバキ機が果敢にも向かっていくんですよ。
相手は30機くらいなのに一機で向かっていくんです。
目の前でそれらがバタバタ落とされていくんです。

もうかわいそうでね。

なんでこんなくだらん戦闘をやらせるんだ、と腹が立ちました。



有賀さんは輸送艦の艦長として優秀でしたから引っ張りだこでした。
だから「嵐」も何度も攻撃にさらされています。

一度爆弾が当たりましてね。
しかも水雷機関の補給室だったんです。
そこにあった93式魚雷に当って・・・・、
93指式魚雷ってのは酸素魚雷ですから、酸素に引火して
燃えだしたんです。
わたしは水雷長で、艦橋の上から見ていました。

ああ、もう死ぬな、と思って見ていたんですが、
不思議なことに「すっ」と火が消えた。
あそこにはほかに8本魚雷がありましたからね。
その一本が爆発していたらフネは轟沈していたでしょう。

本当に、戦争とはわけのわからないことが多いです。

・・・え?

その時ですか?

だらーっとしていましたね(笑)

(前ログ参照)

死ぬのをこのころには全く怖いとも思わなくなっていた。


教官着任、そして終戦


「嵐」は帰国してドックに入りました。
私はその後兵学校の教官を江田島で8か月、
岩国でも8か月やりました。

(写真を指されて)ええ、この写真のどこかにいます。
どこにいるかわかりません。
こちらの教官だけの写真も、どこかにいますが、
どこにいるかわかりません。

このとき教えたのは水雷術です。

(会場にはこの時の教え子が3人来ていた)

5月1日、少佐に昇進しましたが、写真は撮っていません。
え?残念?
なんでですか(笑)


4月に第5航空艦隊西海航空隊に配置されて、
航空魚雷の実用実験や整備、調整の指揮をしていました。

そして終戦を迎えました。


8月15日、掩体壕の上に乗せる木を取りに山にいったんです。
すると、別荘の奥さんが

「玉音放送があるらしいから聞きましょう」

と誘ってくれて、そこで放送を聞きました。
でも、何を言っているかわからないんですよ。
わからなかったけど、戦争が継続するならこんな放送するわけないので
たぶん負けたんだろうな、と理解しました。

五航艦の軍紀も士気も低調でしたね。
他部隊から聞こえてくるのは
「大日本帝国は不滅なり」なんて言葉ばかりで、
倉庫に泥棒すら入ったりしたんです。

わたしは「負けたら負けたで敗戦を自覚して立ち直ればいい。
それをいつまでも『負けていない』とは男らしくない」
と考えましてね、それを全部隊に電報で発信しようとしました。

「光輝ある海軍が敗戦で軍規を乱し、
威信を失墜したことは誠に遺憾である
気合を入れなおし、有終の美を飾り再建を目指そう」

こんな文を送ろうとしたら、通信員が
「そんな電文は発信するわけにはいきません」
と拒否するのです。
私は拳銃を突きつけ「発信しなければ撃つ」といいました。
電文を打たなければ本当に撃つつもりだったのです。

あわてて参謀が飛んできて「軍法会議だ」と騒ぎましたが、
私はもし参謀が拳銃を抜いたらこちらも撃つつもりでした。

結局参謀は黙って出て行き、電報は発信されました。



第五航空艦隊といえば宇垣纏司令長官が、
「最後の特攻」を行いました。

基地に帰ると飛行場に艦爆の「彗星」が10機並んでいて、
これから宇垣長官が自ら飛行機に乗って沖縄に特攻する、
というのです。

なぜ長官自らが特攻機に乗るのか理解に苦しみましたが、
その時は「まだ戦争は終わっていないのかな」と思いました。

でも、今から考えるとあれはいけませんよ。

死にたいのなら一人で死ねばよかったんです。
部下を道連れになんて、人間に対して失礼です。

宇垣さんは、ダメですよ。


アベノミクスは男をあげた



昔もそうですが、日本は今も上がダメですね。
今の政治なんて酷いものです。

民主党なんて、あれ日本の政党だろうか?
って感じでしたからね。

ただ、アベノミクスは男を上げてるみたいですね。
何とか頑張ってほしいと思いますよ。

後、どうしても生きている間に見たいものがあります。

天皇陛下が靖国神社にお参りされる姿です。

77期に陛下のいとこがおられますね。
(久邇宮邦昭王・くにみやくにあきおう)
この方に何とか陛下にお参りを賜れないかお願いしてるんですが、
どうも実力がないということで難しいようなことをおっしゃる。


320万人もの方が国を護るために死んで靖国にいるんです。
なぜ天皇陛下がそれをされないのか、
わたしはもはや棺桶に片足を突っ込んだような人間で、
それを実現するにはもう力がありませんが、
このことが今の一番の心残りですね。





2013年3月16日、靖国神社遊就館における講演を
構成しました。