ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

カデットと『不愉快な存在』〜コーストガード・アカデミー遺産博物館

2018-03-11 | 博物館・資料館・テーマパーク

ニューロンドンはテムズ川のほとりにあるコーストガードアカデミー、
そこに併設されている遺産博物館のご紹介をしています。

もう一度学校の正門をご紹介しておきましょう。

もうとにかく立派の一言です。
沿岸警備隊の士官になろうと思ったら、ここに入学して4年間勉強し、
理学士の学位を得て少尉となります。

せっかくなのでサービスとしてホワイトドレスのコーストガードオフィサーの写真を。

左がウォーラント・オフィサー、右がオフィサー。
基本海軍のかっこいいところをそのまま継承したデザインで、
正帽の徽章が鷲をかたどっているのが大きな特徴です。
サーベルが凛々しくて大変よろしいですなあ。

 

さて、沿岸警備隊士官学校、コーストガードアカデミーは

Revenue Cutter Service School of Instruction 

税収カッターサービス養成学校として始まり、

1914年に「Revenue Cutter academy」となり、翌年に、サムナーが結成した
「救命部隊」と合併して「コーストガード・アカデミー」になり現在に至ります。

ここで学ぶ学生を「士官候補生」(CADET)と呼びます。

このミュージアムを案内してくれたキュレーターのジェニファーは、
見学の申し込みをしたとき、メールで新入生のことを

「明日はニューカデットが午前中見学に来て忙しいので」

と言っていましたっけ。
で、いつのものかは正確にはわかりませんが、「カデットの1日」が
漫画になっていて、これが大変個人的に気に入りました。

6:00 寝ています

6:10 起床・・ベッドで頭を打ちました

6:29 着替え

6:30 点呼

起きてから20分で点呼、これは江田島の幹部候補生よりは緩いですよね。

6:59 走ってます

7:00 旗の掲揚かな?

7:05 朝食


上から3つ目、一番右に不思議な文章が。

報告

ソーケム候補生

洗面台から検査の結果雑菌が発見された
・・・・・・50demerits(罰点)

報告 グローシェ大尉 U.S.R.C.S

 

デメリット、というのは成績がいいときにもらえるメリットの反対です。
アメリカの学校は学期の終わりに、優秀な成績であれば、
教科ごとにこのメリットが授与されることになっています。

それにしても洗面台の検査をなぜ行ったのか、その結果見つかった
雑菌がどうしてソーケム候補生のデメリットになるのか、
果たしてその雑菌とは何だったのか、色々と不思議な報告ですね。


8:32 授業。「Bum recitation」は何かの暗唱だと思うのですが、何だろう。
そのあと、ラインを張ってライフセービング実習、砲撃実習、カッター、
行進など士官候補生に必須の訓練が続きます。

レクリエーションとしては野球などが人気だったようです。

就寝時間までは自習「スタディ」のはずですが・・・・。
あー、これむちゃくちゃ親近感覚えるわー。
よく見ると床で寝ている人もいますね。

そして就寝は10時。8時間睡眠でも眠たいんだ。

そんな学生生活をしていたカデットの皆さん。

この頃の軍帽は日本のもそうですが、縦長で郵便ポストの上部様のデザインです。
制服は海軍兵学校のタイプに似ていますね。

この頃の士官候補生学校の名称は「税収カッターサービス養成学校」でした。

カデットは充実したカリキュラムと実習で海自の基礎を叩き込まれ、
実際の航海に出て海を住処とする救難部隊の心構えを学びました。


■ オブジー・ザ・ベアー(マスコット熊)

これ、なんだと思います?
 
クマの檻の頭部装飾です。
なんだってこんなものが沿岸警備隊のヘリテージミュージアムにあるのか。

「ミリタリー・アニマル」の話題になった時、最後に名前だけを挙げたことがありますが、
実は、コーストガード・アカデミー、1926年に熊の仔をマスコットとして
(もちろん本物です)学校に迎え入れてさらには一緒に生活していたということがあったのです。

なぜ熊か?というと、例のあの、アラスカ雪中行軍の英雄を乗せたカッターが
「ベアー」号だったから、という割としょうもない理由です。

どこでそんなものを手に入れてきたのか知りませんが、とにかく
学校の当時の最高責任者であったキャプテン・ヒンクリーという人に許可を得て、
熊を学校に連れてきたのだそうです。
 
熊の名前は Objee(オブジー)
"objectionable presence"(不愉快な存在)の省略形です。
 
 
子熊時代のオブジー。
偉い人にミルクを飲ませてもらってご機嫌だ。
 
 
コーストガードアカデミーのいつもの朝。
起きて廊下に出ればそこに熊がいる。
 
 
本物がいなくなっても、熊がマスコットであることには変わりません。
シュールだわー。
てか熊の銃の持ち方おかしくね?
 
 
右から提督、学校長、熊。コーストガードアカデミーです。
 
 
「不愉快な存在」というイメージにぴったりの憎たらしい熊。
熊のくせにシックスパック作ってんじゃねー(笑)
 
 
と、つい無駄に写真をいっぱいあげてしまいました。
熊を飼う習慣は第27代オブジーが亡くなるまで50年続いたそうですが、
熊という動物は2年やそこらで亡くなるということはあり得ませんから、
不祥事を起こしたり、大きくなるたびにチェンジしたのかもしれません。
 
 

「税収カッターサービス養成学校」だった頃のカデット野球チーム。

USRCは「United States Revenue Cutter の頭文字です。


第二次世界大戦では捕虜になり、死亡した沿岸警備隊士官が居ました。

そのジェームズ・クロッティ中尉の遺品となります。
クロッティ中尉は1812年以来最初の、沿岸警備隊で捕虜になった人物です。

第二次世界大戦のコレヒドールでの戦いで日本軍の捕虜になり、カバナチュアン収容所に
移送されてからジフテリアに罹って診断されてから三日後に亡くなりました。

遺体は収容所外の共同墓地に他の2700人と共に葬られました。

クロッティ中尉はアカデミー在学中、4年間フットボールクラブに参加し、
最後の年にはキャプテンを務めていました。

その80年後に当たる2014年、アカデミーのフットボールチームは中尉を顕彰して
ジミー・クロッティ記念シーズンとし、全員がオリジナルのステッカーを
ヘルメットに貼り、寄せ書きを行なっています。

在りし日のジミー・クロッティ中尉。
艦橋から双眼鏡でワッチしている姿も凛々しく。

捕虜収容所で仲間が描いたクロッティ中尉の最後の姿だと思われます。

「シックス・トゥ・オール・ステイング!」

「メッセージ: シックス・イズ・ナウ・オン・(?)」

死の床で彼がつぶやいていたと思われる言葉。
フットボールをしている夢を見ながら逝ったということでしょうか。

果敢に相手のフィールドを攻める夢を見ながら捕虜の身を粗末な寝床に横たえ、
そのまま2度と故国の土を踏めなかったのは、いかほど無念なことであったでしょうか。

クロッティ中尉は、機雷処理のエキスパートとして現地に出征していたということです。

 

ところで、沿岸警備隊員の非公式のモットーとして、

"You have to go out, but you don't have to come back!" 


というのがあります。

「出動せねばならない、しかし帰還することを考えるな」

というのは、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」という
我が自衛隊の服務の宣誓をもっとドラスティックに言ってみた感じでしょうか。

ことに臨んでは帰って来られる保証はない、いやむしろ帰れないと心得よ。

たった一隻のボートで荒れ狂う海に漕ぎ出し難破した船を助けに行くことにも
なんの躊躇いも持たない、それがコーストガード精神の原点なのです。

 

続く。 

 

 

 

 

 


三戸中将の軍刀と日章旗〜米国沿岸警備隊と第二次世界大戦

2018-03-09 | 博物館・資料館・テーマパーク

 

ニューロンドンの沿岸警備隊士官学校遺産博物館、続きです。

今までご紹介してきた艦砲や救出ブイ、ライフセービングカー、
そういったものは、こんな感じで展示されています。

モデルシップや「我々の息子はコーストガードにいる」という看板、
これは多分家のガレージとかに貼ってアピールするためのものでしょう。


左にあるのは、フレネルレンズを使用した灯台ライトです。

沿岸警備隊のミッションは

海上安全
海上警備
海事管理

です。
かつて「人を殺さない船、カッターに乗ったトラブルシューター」と言われた
沿岸警備隊ですが、実は陸海空軍、海兵隊に次ぐ第五の軍です。

1915年1月28日に設立された沿岸警備隊は、常に軍隊であり、
米国軍隊のブランチとなる。
沿岸警備隊は、海軍の勤務として運営されている場合を除き、
国土安全保障省の業務とする。

と法律でも規定されています。

第二次世界大戦前から、沿岸警備隊は北大西洋の巡視、
そしてグリーンランドの警戒を担当していました。

 

1944年七月から八月にかけてのグアム侵攻後、

「海兵隊と沿岸警備隊がグアム侵攻に大きな役割を果たした」

後半は、彼らが我々をここに来させたが我々はここにいる事を望む、
つまりお前ら(かどうか知りませんが)のせいでここに来たけど
来たからには徹底的に侵攻してやんよ、という感じでしょうか。

これに先立つガダルカナル侵攻における上陸は、沿岸警備隊が
最初に行い大変象徴的な働きをしました。

 

LST-832、揚陸艦「マッドフーリガン」(多分自称)艦上の沿岸警備隊員たち。

説明の写真を撮るのを忘れたので間違っていたらすみません。
おそらく、ノルマンジー上陸作戦の作戦図だと思います。

沿岸警備隊は「ネプチューン作戦」、「君主作戦」における海軍の銃撃を補助し、
オマハビーチへの上陸の成功に寄与しました。

この日、沿岸警備隊は多くの小艇を失い、80名の戦死者と38名の重症者を出しています。

第二次世界大戦が始まった時点で、沿岸警備隊は海軍の一部となっており、
同等の武器を搭載して戦闘行為を行なっていました。

中でもUSCGC スペンサー(WPG-36)は、北大西洋の哨戒中、
ドイツの潜水艦U-175と戦ってこれを沈没させています。
写真は爆雷がUボートに命中した瞬間で、潜水艦が沈む前に
スペンサーはUボートの乗員を救出し、捕虜にすることに成功しています。

LCI(L) FLOTILLA「フロティラ」は歩兵上陸用の強揚陸艦の旗艦です。

潜水艦との対決はもちろんそうそうあったことではありません。
沿岸警備隊の
北大西洋での主任務は船団の保護でした。

1、ガダルカナル ソロモン諸島
2、サンサポール ニューギニア
3、ウルシー、西カロリン諸島
4、グアム、マリアナ諸島
5、パールハーバー、
6、オラン、アルジェリア
7、ノーフォーク、 VA
8、バルボア、C.Z

まだまだ続きますが、USS「レオナード・ウッド」APA-12に乗り込んでいた
エドワード・アレン中将(最終)の寄贈したもので、これらは全て
レオナード・ウッドの展開した場所です。

 

通信士だった沿岸警備隊の水兵、ダグラス・マンローが授与された勲章と賞状です。

マンロー

マンローはガダルカナルで海兵隊の船団が避難する間、日本軍と味方の間に
自分の船を置いて、たった一隻で敵の砲火を引き付けるために銃撃を行いました。

後方が脱出する海兵隊のボート。

結果彼は銃弾に斃れて壮烈な戦死を遂げましたが、彼の防御によって
船団は最後の一隻までビーチを脱出することができたということです。

右側のステアリングは彼の乗っていたボートのものだと思われます。

ニュージャージーの沿岸警備隊訓練センターには、彼の功績を讃えて、
信号旗を持ったマンローの像が設置されています。

 

 

部屋に入るなり目を引いたものの一つは巨大なナチスの旗でした。

これは、ヨーロッパ戦線、シェルブールで移動中、ドイツ軍の中隊と出会った
クェンティン・ワルシュ少佐がドイツ軍司令官に

「もう周り囲まれてるし、投降したほうがいいんじゃないかな」

と説得したところ、相手はあっさりと、

「そうなん?じゃーそうするわ」

と言って捕虜になった時に確保したものです。

本軍相手では絶対にこうなっていなかったでしょうし、アメリカも
おそらく日本人相手ならこの説得を試みることもしなかったと思われます。

目を引いたもののその二は、日本の軍刀でした。

軍刀仕立てにした時に付けられたと思われる桜の刻印が見事です。

鞘の先にも桜。

柄も軍刀仕立てでサーベル仕様になっています。
握り手の白い部分はエイの革ではないかと思われます。


ここにあった説明によると、「バイス・アドミラル・ヒタシ・ミト」
ダグラス・マッカーサーに第二次世界大戦が終わり日本が降伏した時に渡した、
ということなのですが、まずこの「ヒタシ・ミト」とは

三戸寿海軍中将(1981−1967)

のことです。
おヒタシなんて日本人の名前ないっつの。「かでくる」を思い出すわ。


リンク先を見ていただければわかりますが、三戸は終戦時少将で、昭和20年11月、
いわゆるポツダム進級(退官手当や恩給がなるべく多くもらえるように、
ポツダム宣言以降階級を一つ昇進させることを、陸海軍ともに行った) による
ポツダム中将だったわけです。

ちなみにキスカ作戦の司令官だった木村昌福もポツダム中将となっています。


しかし、わたしもこの軍人の名前は寡聞にして知りません。

調べたところ、ポツダム進級後、海軍次官に就任して同省廃止まで勤め、以後は
第二復員省で働いていましたが、戦時中の日本海軍潜水艦による商船撃沈時に
捕虜となった乗務員が殺害された戦争犯罪に関して、第一潜水戦隊命令において
乗務員の「徹底的撃滅」を指示していたことから戦犯裁判にかけられました。

三戸は命令書は偽造されたものだと主張しましたが、結果禁固8年の判決を受け、
1955年2月まで服役していたということです。

その三戸少将がマッカーサーに軍刀を献呈したという話は、
ネット上では少なくともどこを探しても見つかりません。

もらった側のマッカーサーにしても、あまり有難いと思わなかったらしく、
1945年(つまりもらってすぐ)にコーストガード・アカデミーに寄付しています。


この刀は日本の歴史上最も優れた刀鍛冶の一人
「九州のタダヒロ」作である

我々の太平洋での戦いに様々な形で寄与してくれた
アカデミーの息子たちへの記念として

というもっともらしい言葉と共に。

トージョーやヤマモトのならともかく、それ誰よ?な少将の刀では
アカデミー側にとっても正直「微妙な寄贈品」だったのではないかと思われますが、
他ならぬ押し付けてきたのがマッカーサーでは、おし頂くしかなかったのでしょう。

多分。

目を引いたもの、その3。というか一番目を引いたもの。

日章旗です。

また例によってどこか戦地で日本兵の死体を漁って獲ったものか、
と思ったのですが、その通りでした。

「沖縄の近くの島の洞窟」

渡嘉敷とか慶良間とかの島のことでしょうか。

何か書いてあるので、アップにして見たら(冒頭写真)なんと
万年筆でこれを拾ったアメリカ兵の名前が
サインされているじゃありませんか。

説明によると、

「16名のアメリカ兵のサインがある」

ということなのですが、なぜ日の丸の部分にされた全員のサインを
どうしてちゃんと見せず、隠すように制服を展示してあるのか。

やっぱりあんまり褒められたことではないと思ってるからでしょ?

それから、中央近くに明らかに血痕と見えるシミがありますね。
隠れた部分にはもっと大きなシミがあるのでは?
つまり、これを取得した人物が、どうしてその経緯を明らかにしていないかというと、
この日章旗は洞窟で自決した日本兵の死体の近くにあったからでは?

まあこんなことを考えてしまうのも、わたしが日本人だからです。

真実はもはや誰にもわかりません。


 

 

続く。

  


映画「イン・ザ・ネイビー」〜ウォーゲームの勝利

2018-03-08 | 映画

 

さて、案の定「 DBF」で脇道に逸れて三日で終わらず、
四日目になだれ込んだ映画「イン・ザ・ネイビー」です。

「生きてて良かったぜ、DBF!」

と叫んで、第二次大戦の生き残り、CPOハワードが、エンジンに
自分がそれまで飲んでいたウィスキーを注ぎ入れます。

しかし、「バラオ」級潜水艦ののスクリューはトランスミッションからではなく、
というよりむしろ、バッテリーを動力としたジェネレーターで動きます。
もちろん理論的に「エンジンが50回転は良くなる」ということはあり得ません。

というような映画にありがちな部分は実は指摘しきれないほどあるのですが、
その専門の人が見たら

「ないわー」

ということだらけ、というのが映画・ドラマのお約束ですので、仕方ありません。

そもそも最初の訓練で、ダッジが限界深度を越えた潜航を命じた時点で
彼は海軍裁判所送り、というのが海軍の常識だそうですし。

スティングレイ」に魚雷をターゲットしようと追う「オーランド」。
セイルの上に人が3人立ってるんですが、この状況でこれってあり?

かたや「スティングレー」艦長は魚雷の装填を命じました。
ウィンスロー提督との約束である、

「ダミー艦を魚雷で攻撃」

を、後ろからロックオンされる前にやっちまおうという考えです。

このシーン、本当に装填っぽいことをしているんですが、
やっているのは映画のどのシーンにも登場したことのない人ばかり。

もしかしたら本職に手伝ってもらってる?

発射孔側から見た装填される魚雷の先端。

発射チューブのハッチが閉められました。

「ファイアー・ワン!」「ファイアー・ワン!」」

「ファイアー・ツー!」「ファイアー・ツー!」

「スティングレイ」から放たれた二本の魚雷が海中を滑走している間に、
「オーランド」は後ろから「スティングレイ」をロックオンしました。

勝利を宣言するためにグラハム提督は「スティングレイ」に連絡してきます。

「君の艦はミサイルのターゲットになったぞ」

キルコールに対し、ダッジ艦長は至極あっさりと、

「キルを認め、オーランドとその素晴らしい乗員におめでとうと申し上げる」

なんだ?結局負けたのかよ?と暗い雰囲気の乗員たち。

艦長の降参宣言にがっかりを隠せないエミリー・レイク大尉です。

「しかしながら」

「この無線が入る前に我々は二本魚雷をすでに発射している」

「なにっ?」

「我々の魚雷(フィッシュと言っている)は、今海軍基地にある
ダミー船に向かっているところである。
これが当たれば・・・・我々の勝ちだ」

「サノバビッチ!」

「オーランド」副長、 内心が隠せてない〜!

一発目命中!

二発目も。

「Sweet!(やった!)」

最初に確認したのはソナーマンのソナー。

いつも食堂から覗き込んでいるバックマン、ガッツポーズ。

海賊コスが気に入ってやめられないニトロも。
体を張って無線を繋いだ甲斐がありました。

「イエスッ!!」

早く艦を降りたくて作戦が失敗することを願っていたはずのスタパネック、
いつの間にかこんな熱〜い男に。

仲がいいのか悪いのかわからない操舵コンビも、互いの健闘をたたえ合います。

そして静かに微笑むエミリー・レイク大尉。

「God, I love this job! (楽しい仕事だ!)」

ダッジ少佐お得意のセリフがまたもや出ました。

艦内ではみんなで喜びのダンス。

なんかいいコンビですねこの二人。

副長「・・・・・」(ニコニコ)

艦長「・・・・・」(20ドル札を渡す)

あんたらこっそり賭けをしとったのかい。

さて、というわけで「スティングレイ」凱旋帰還です。
いちいちそんなことをするのかどうかわかりませんが。

後ろにいる支援船の上の人は本物らしいです。(多分潜水艦を引っ張ってきたタグ)

しかし、艦長はじめ全員が出てきた出入り口は・・・

これって展示用に作られた観光客用のものですよね?

こんなドアを使う潜水艦は古今東西ありません。
潜水艦の出入りには垂直のハッチを上り下りするものです。

埠頭を行進する「スティングレー」のメンバー。
・・・なんですが、男性士官やCPOより、水兵が前を歩いております。

こちらわざわざヘリで言い訳に駆けつけるグラハム少将。

「模擬戦は無効です。ダッジは指定海域を離れ・・・」

「君が勝手に指定海域を狭めただけだろうが」

「しかし彼は私の命令を聞かず・・」

「彼はもっと上からの命令を受けておる。
君は三つ星はもう諦めろ」

でもまあ、模擬戦に負けたから中将になれない、というものではないし、
こんなに上の人から嫌われている時点で昇進はないよね。

将官人事も、結局「人が決める」わけですから。

ウィンスロー中将が乗員を直々にお出迎えです。

∠( ̄^ ̄)∠( ̄^ ̄)(´・ω・`)∠( ̄^ ̄)

一人敬礼しない子は誰だ〜?

「よくやった。

が、

君をロスアンジェルス級の艦長にすることはできない。
代わりにシーウルフ級潜水艦の艦長にしてやろう」

このセリフも一見まともなようでかなり変です。

なぜなら「シーウルフ」級潜水艦は「ロスアンゼルス」級の不具合を補う
という意味で建造された後継型だったからです。

この映画撮影時にはまだ艤装中で、海軍的にはこれを宣伝したかったのかもしれません。

ただ、アメリカ海軍がその後コストパフォーマンスの点で最終的に
「ロスアンゼルス」級の後継に選んだのは「ヴァージニア」級でした。
「シーウルフ」は建造費用が高すぎて、3隻で製造をやめています。

こんな事情を踏まえると、この提督の「その代わり」という言葉の真意は
いまいちよくわかりませんが・・・一旦がっかりさせてあとで喜ばせるための演出?

「次の金曜日に進水する潜水艦のメンバーを選びたまえ」

ちょっと待って?
進水まで一週間を切っているのにまだ艦長も決まってなかったてこと?

それはスルーして(笑)、ダッジ少佐はお約束の

「お断りします」

おことわり、キター。

「今回のクルーなしでは私の昇進もありませんでした。
彼らと一緒でなくては私も乗艦することはありません」

ちなみに彼女の徽章はこの時だけ潜水艦に変わっています。
誰かが気づいたんでしょうね。

調理員のバックマン。

ソナーマンのソナー。まともな人に見える。

電気技師のニトロ。こちらも海賊コスの時とは別人。

ギャンブラーの操舵手スポッツ。

バスケットプレイヤーのジャクソン。
ジャクソン、いつの間にヒゲを生やしたのか。

ウィンスロー提督、そこで爆弾発言。

「そうか。倅(スタバネック)の根性も直るだろう」

「ぶっ」

噴き出す機関室チーフ、ハワード。
慧眼のチーフは彼がウィンスローの息子だと知ってたんですね。

ところでこのアロハシャツに昔の軍帽という服装規定違反の
見本のような格好のハワードですが、ハワードを演じた俳優の、
ハリー・ディーン・スタントンは、1979年の映画「エイリアン」で
やはり機関士であるサミュエル・ブレットの役をした人です。

覚えてますかー?
繭にされちゃった人ですよね。

ハワード役は、この時と同じようなアロハを着ているのです。

「しかも彼の敬礼はなっとらん」

さっきいい加減な敬礼をしたのもちゃんと見られてました。
それを聞いて、これでどうだ、とばかり敬礼をする息子。

ちなみにこれが同一人物の登場シーン。
父はそんな息子に答礼してその場を去ります。

「解散!」「わーーーーい」

ところで「スティングレイ」が着岸した岸壁に、
潜水艦基地にはありえない柵が見えるんですが・・・。

「ところで、(よく話題になってた)刺青ってどういう意味ですか?」

「それは、話せば長いことなんだが・・・・」

うーん、その話はせっかく好意を持ってくれている彼女をドンびかせると思うが。

そしてこれがラストシーン。
あー、この写真でこれがどこかわかっちゃった。

サンフランシスコのフォートメイソンの、3本付きでた突堤の一番右側、
「フェスティバルパビリオン」と言われているところです。

ちなみに現在の同じ場所。

 

ついでに、ダッジとレイク二人の立っている同じ場所。
全く変わってません。

ここにはお気に入りのレストラン「グリーンズ」があったり、
息子の「お歌の会」があってよく通ったものですよ。

映画のために「パンパニト」をフィッシャーマンズワーフから引っ張ってきたのね。

さて、映画は終わりましたが、続いてのエンドロールでわたしは思わず、

「これだったのかー!」

とつぶやいてしまいました。
その昔、ヴィレッジ・シンガーズのヒット曲に「インザネイビー」ってのがあって、
当時人気だったピンク・レディが「ピンク・タイフーン」という題でカバーしました。

インザネイビーの歌詞など全く気にも留めなかったわたしですが、

「インザネイビーがどうしてピンクレディーになるんだ」

と、まるで今なら「もぐもぐタイム」に通じるある種の気持ち悪さを感じていたものです。
(え?あの語感気持ち悪くないですか?)

それはともかく、この映画を見たことで初めてわたしは
あの曲が海軍のリクルートソングであることを知ったのでした。

Village People-- IN THE NAVY, OFFICIAL Music Video (1979) HD

彼らが乗り込む船は、

フリゲート艦「リーズナー」USS Reasoner, FF-1063)

で、撮影が行われたのは1979年のことだそうです。
「リーズナー」は2002年に退役し、標的艦となりました。

最後にはなぜかブルーエンジェルスが上空を通過(しているような演出)。

 

歌詞を要約すると、

「飛行機の操縦を教えてくれて、
スポーツはもちろんダイビングもでき、
海洋学も学べるところはどこだ?

サインナップするか
観客席で見ているだけか
君のチームが相手を迎え撃つことになったらどっちを選ぶ?

海軍に入ろう 七つの海を越えて
海軍にきてね 気持ちがいいぞ
応募しよう 海軍に
君の手が必要なの  わからない?
さあ一緒に母国を守ろう」

みたいな?

ちなピンクレディの歌で

「やっちゃいな やっちゃいな
やりたくなったら やっちゃいな」

と言っていたところですが、

「They want you, they want you

They want you as a new recruit」

(海軍は君の入隊を待っている)

となります。
アメリカでも海軍は常に人手を必要としているんですね。
地本の人に提案して、これを海自隊員募集のテーマソングにするように
進言してみようかしら(笑)

ヴィレッジ・シンガースの「インザネイビー」がヒットしたのは
1979年で、映画公開時にはすっかり懐メロとなっていました。
エンドタイトルでは出演俳優が当時のヴィレッジシンガーズと一緒に登場します。

この映画も日本公開時は原題の通り「潜望鏡を下げろ」でしたが、
DVD発売に際して「イン・ザ・ネイビー」にタイトルが変えられました。

まあ個人的にはっきり言って全くその必要はなかったかと思います。
それと、wikiの映画説明で「戦争映画コメディ」とありますがこれ間違い。

「ウォーゲーム」は「戦争」ではありません(きっぱり)

 

 

終わり〜。


 


映画「イン・ザ・ネイビー」〜「ディーゼル・ボート・フォーエバー!」

2018-03-07 | 映画

映画「イン・ザ・ネイビー」三日目です。

今や15隻のピケットラインに迎撃体制を取らせるノーフォーク潜水艦基地。

これは「スティングレイ」の潜望鏡(の模型)だと思われます。

ソナーマンのソナーは、この時点で海上にいる艦船が

「駆逐艦5隻、フリゲート3隻」

である、というのですが・・・・、

さっきのも、これも、

これも、「タイコンデロガ」級のしかも同じ巡洋艦に見えます。
角度を変えたら違う船がたくさんいるように見えるってか?

この頃アメリカの主流だったP3-C、対潜哨戒機まで繰り出してきました。

一度ならず2度までも、第二次世界大戦中の「バラオ」級潜水艦に
してやられた
原子力潜水艦「オーランド」。

決して潜水艦そのものの性能による勝敗でなかっただけに、グラハム少将、
矢も盾もたまらず、提督自ら「オーランド」に乗り込んできました。

「WELCOME ABOARD, sir.」

ああっ、その言葉はグラハム少将には禁句・・・。
案の定グラハム少将、それを聞くなり喧嘩腰で、

「それはどういう意味で言ってるんだ?」

グラハムがここまでダッジ少佐を毛嫌いする理由というのは、もしかしたら
この言葉をぴ━━━━(゚∀゚)━━━━!!に刺青したということに尽きるのかも・・。

なんか嫌な意味で琴線に触れるものがあったんでしょうかね。

流石の「オーランド」艦長ノックス中佐も、乗り込んでくるなり偉そうに
踏ん反り返ってあれこれ言うグラハムにムッとせずにはおれません。

早速アクティブソナーで探信をかけてきた「オーランド」。
港も封鎖され、「スティングレイ」が追いつかれるのも時間の問題です。

どうするダッジ艦長。

「生き残るには奇抜で(bizarre)危険な戦術で行く。
(民間の)タンカーに向かって全速前進(All ahead full)」

「タンカーですか、艦長」

「スクリューの間からタンカーの下に潜って隠れる」

「無理です。わたしにはできません」

「そうか・・・わたしがやろう」

あれ?なんだかこのお腹が出て額の後退したおじさんがやたらイケメンに見える・・。

ターゲットはフィラデルフィアのタンカー「デナリ」号。
念のため調べてみたら同一かどうかはわかりませんが、実在していました。

DENALI IMO7506039

この巨大タンカーの二つのスクリューの間を通過してコバンザメのように
船の下に潜り込もうと言うのです。

ただし、本物の「デナリ」にはスクリューは一つしかないとのこと。
まあ映画だから多少はね?

「Three degrees down bubble.(下げ舵3度)」

下げ舵に「バブル」と言う言葉が出てくるとは知りませんでした。

「3度ですか?」

ダッジの指令に思わず口を出してしまうレイク大尉。

「黙ってろ。でなきゃ君が指揮をとれ!」

「無理です!」

「ここでこれができるのは君だけだろうが!」

ギリギリになっていきなり覚醒するレイク大尉。

「機関1/3、面舵いっぱい!」

「機関パワー2/3、船の中央に舵を切り下げ舵ゼロ!
方位 2−7−0!」

「全力で突っ込め!(Balls to the wall, boys!)」

「ボールズ・トゥ・ザ・ウォール」

と言うのは、航空機の飛行速度をコントロールする
丸いボールの形をしたスロットルを壁側に目いっぱい押して、
全力で飛行するというところから来た米俗語で、DVDの翻訳のように
「ボールズ」に決してそれ以上の深い意味はない(と思う)のですが、
そんなレイク大尉にボーイズは目を見張ります。

操舵のギャンブルコンビ(賭けた方と賭けられた方)の頑張りもあって、
すっぽりとスクリューの間から船の下に潜り込むことに成功。

「オーランド」は「スティングレイ」を見失いました。

しかし機関室ではどう言う理屈かわかりませんがパイプが破損して浸水が!
ここでも覚醒した、提督の馬鹿息子、ブラッド・スタパナック。

機関室に飛び込み必死のダメコンで間一髪艦を救います。

「潜水艦は嫌いだ!一緒に死ぬなんてごめんだぜ!」

危機を脱し、敵の目から姿をくらますことに成功したダッジが艦長室で顔を洗っていると、
そこにレイク大尉がやって来て・・・・

「あと何秒わたしが指揮を執るのを待てました?」

「心臓の鼓動の半分の時間くらい」

それよりレイク大尉が覚醒しなかったらどうするつもりだったのか知りたい。

感極まったレイク大尉、思わず艦長の頬っぺたに・・。
レイク大尉もダッジがイケメンに見えたんですね。

共に危機を乗り越えるとそう言う感情が湧く、っていうの、
なんて言いましたっけ?
ストックホルム症候群・・・じゃないし(笑)

そんな唐突なレイク大尉の愛情表現になぜか驚きもしないダッジ艦長。

その後、タンカーが進路を変えたので、ダッジは勝負に出ます。
ノーフォークを攻撃するためにタンカーから離れた「スティングレイ」を探信した
「オーランド」では、すっかり興奮したグラハム提督が強権発動。

「The admiral has the conn.(提督が操縦桿を執る)」

ご存知の通り、潜水艦というのは艦長絶対の掟があります。
潜水艦内に入られたことのある方はご存知だと思いますが、艦内にある
「最上席」は、艦長にしか座ることを許されず。たとえどんな高位の者が
乗艦して来ても、決して譲られることはありません。

グラハムはサブマリナーでありながら憎悪に我が身を忘れ、
艦長絶対の掟を破って自分が指揮を執ることを宣言したのでした。

「提督、お言葉を返すようですがこれはわたしの船です。
(Admiral, with all due respect, this is my boat.)」

ノックス艦長も流石に気色ばんで反抗しますが、

「いや、言葉を返すようだがこの瞬間からそうではない。
(Not right now it's not, with all due respect.)」

嫌な奴〜。
もはやノックス艦長に同情してしまいますね。

海上は曇っていて対潜哨戒機からは見つかりにくいと判断した艦長、
浮上して海面を航行し目的に突っ込むことを決めました。

「全速力で航行だ!(It's time to kick this PIG!」

「ペチコート作戦」でお話ししたように、アメリカでは潜水艦のことを
「ピッグボート」と言います。

この豚を蹴っ飛ばして走らせようぜ!というわけです。
ついでに

「グラハムにキーキー言わせてやれ!(Leave graham squealin' from the feelin'!) 」

すると即座に

「 ギャーギャー言わせようぜ(Squeaking' from the freaking'!)」

「ぶっ叩いてブーブー言わせてやれ(Oinking from the boinking!)」

韻を踏んで楽しんでいるだけで、深い意味はありません。

今や堂々と浮上した「スティングレイ」。

おそらく海軍の大サービスで、ドルフィン運動を見せてくれます。
「スティングレイ」を追って海面に浮上して来た「オーランド」のつもり。

ところで「雲が厚くて哨戒機に見つかりにくい」という設定だったはずなのに、
この快晴はいかなることでしょうか。

まあこれも映画だから多少は・・・ね?

グラハムが無線で「スティングレイ」に連絡してきます。
実際は「バラオ」級と無線でトランスミッションを通してコンタクトすることはできません。

(そこで『ニトロ』が自分の体に通電させて通信をつなぎます)

 グラハムは単に挑発するつもりですが、ダッジに

「捕まえられるもんなら捕まえてみな!(Catch us if you can!)」

と逆に煽られ、文字通り「キーキー言わされる」ことに。

「ハワード、全速力だ!」

という艦長命令に、機関室のハワード(第二次大戦の生き残り)は

「生きててよかったぜ!DBF!」

と叫びます。
これは、

DIESEL  BOAT    FOREVER

という意味なんですが、ちょっとこの話をしておきたいと思います。

この徽章は、1970年代のアメリカ海軍潜水艦隊のサブマリナーの間で
非公式に流行っていたものです。

原子力潜水艦が哨戒の中心となっていた当時、原潜の哨戒部隊には
このようなバッジが与えられていました。

ところが、まだ当時生存していたディーゼル艦のサブマリナーには
平時ゆえ認識のためのピンが作られず、まあそのほかにも色々あって、
潜水艦隊内部は原潜とディーゼル真っ二つに割れ、両者の仲は険悪な状態だったそうです。

(レギュラスミサイルを搭載したディーゼル艦には徽章が与えられた)

当時できたばかりの原潜には特に推進機関に何かと問題も多く、
与えられる様々な任務に対応しきれないこともありました。

1959年に就役したディーゼル式エンジンのUSS 「バーベル」SS-580は、
そんな原子力潜水艦の任務の穴埋めをするために活動していましたが、
1969年には主にそのために日本に配備されています。
(なぜかこのことは日米のwikiには記述されていない)

横須賀にいる時、原潜のための「特別任務」をしていた「バーベル」の乗員は
「原潜の失敗を祝うために」あるいは「原潜をやっつけるために」?
ポラリス哨戒部隊のそれに似た自分たちの潜水徽章を作ることを考えました。

早速コンテストが行われ、元アーティストだった「バーベル」乗組員の
人魚が向かい合って潜水艦に覆いかぶさっているデザインが選ばれました。

「ディーゼル艦よ永遠に」を表すDBFが艦体に描かれ、リボンの穴には
その後にもらう予定の殊勲賞に応じて星をつけられる仕様です。

横須賀に到着した「バーベル」はそのデザインを元に地元の業者に製作を依頼し、
(泥棒横丁にそれはあった、と記述がありますが、どぶ板通りのことかも・・)
金メッキは士官用、銀は下士官兵用のDBFバッジを何千個も作りました。

そこまでは良かったのですが、依頼した乗組員が、うっかり金型を
業者のところから回収するのを忘れてしまったのです。

元々の製作の意図は、ディーゼル艦によって少しでも多くの(ダメな)
原子力潜水艦を救い、あわよくば星もつけたピンを乗員の胸につけたい、
というそれだけの話だったのですが、彼らの意に反して(笑)
横須賀のクラフツマンは、その金型を元に、商売を始めてしまいました。

1970年には、原画を海軍の相当部署に送り、なんとか公的に
このデザインを認めてくれるように依願したのですが、認められず、
寛大な司令官の協力にも関わらず、結局公的な支援も得られなかったので、
ついに徽章の制定の話はたち消えになりました。

そして星の数は元々のディーゼル艦乗りの悲願であった、

「原子力潜水艦を助けた回数を表す」

という意味ではなく、

「ディーゼル艦が助けた船の数」

という妥当なものになったということです。

現在このバッジをネット検索すると、たまに日本でもオークションに出されているようですが、
彼らの意図などつゆ知らず、アクセサリー感覚で買った日本人も多かったんだろうな(笑)

 

最終回に続く。

 


映画「イン・ザ・ネイビー」〜原子力潜水艦対バラオ級潜水艦

2018-03-06 | 映画

潜水艦映画「イン・ザ・ネイビー」二日目です。

第二次世界大戦時のバラオ級潜水艦「スティングレイ」の艦長として、
最大深度限界突破を成功させたダッジ少佐。
いよいよチャールストン海軍基地に模擬戦を仕掛ける時がやってきました。

ちなみにノースカロライナ州にあったチャールストン海軍基地ですが、
冷戦が終了してその役目を果たしたとみなされ、1993年には
3年後の基地閉鎖が(地元の反対を押し切って)決められています。

この映画は公開が1996年3月。
海軍基地の閉鎖は製作段階でもうわかっていたはずなのですが、
あえてこの名前を残すようにしたのは、もしかしたら海軍の
内部からそのような要請でもあったのでしょうか。

「未知の攻撃者」を迎え撃つのは原潜「オーランド」艦長カール・ノックス。
かつてのダッジの上官です。

「スティングレイ」艦内ではダッジ艦長がソナー員のソナーの
地獄耳を通り越した変態っぷりに呆れていました。

「何か音は拾えたか」

「バックマンがオレオを食べてます」

「いや、そういうんじゃなくて」

「さっきクジラのナイスカップルが上を通りました。
俺がクジラの泣き真似をするとたまに返事が返ってきます」

「・・クジラに原潜が通ったら教えるように言っておいてくれ」

「アイアイサー」

こちらまともな、じゃなくて優秀な「オーランド」のソナー員。
早速「スティングレイ」のエンジン音を探知します。

「近寄ってピンを打て」

日本では「ピンガー」と言いますが、これはアクティブ・ソナーによる探知のことで、
探信音(Ping)を発信(”ピンを打つ”という)します。

ここでも副長が

「こちらの位置も悟られてしまいますが」

と言っていますが、この方法はかなり離れた敵に探知されることになります。
しかし、ピンを1回打つことにより目標の正確な方位と距離が測定できます。

現代の潜水艦戦ではピンガーは

「そこにいることはこちらはわかっているぞ」

と相手に警告するために打たれます。
つい最近でもありましたね。我が自衛隊潜水艦と某国潜水艦の間で。

「艦長!ピンが打たれました!」

そこでダッジ少佐、ためらいなく浮上を命じます。

「ジャクソン、外の空気を吸いに行かないか」

「へ?」

「潜望鏡の先に灯りを吊せ!」

「海軍の募集ポスターにこんなこと書いてなかったっす」

「運動神経のありそうなのはお前しかいないんだ」

ライト点灯。

「ん・・・・漁船か?」

あとはみんなでどんちゃん騒ぎするだけ。

「皆で歌ってます」

「なるほど・・酔いどれ漁師の船を追尾したか」

「ははは・・・」

こちらチャールストンまでわざわざダッジの悪口を言いにきたグラハム提督。
受けて立つのはウィンスロー中将です。

「私は模擬戦で負けたことはない。三つ星も目前です」

「君が私と同じランクに上がってくるとはねえ」

「ふっふっふ」

ところがその瞬間、チャールストン軍港に侵入を果たした「スティングレイ」の
放った照明弾が目の前で炸裂しました。

「ディーゼル式潜水艦もやるじゃないか」

いやあの、ディーゼル潜水艦に基地がやられては困るからこその模擬戦でしょ?
ウィンスロー提督、潜水艦隊司令としてそこで喜んじゃっていいの?

「君の昇進は危ないな、グラハム」

あ、つまりグラハム司令が嫌いなのか(笑)

「2度と奴の思い通りにはさせません!
奴の刺青したぴ━━━━(゚∀゚)━━━━!!を
わたしのオフィスの壁に釘付けして飾ってやる!」

「・・・・・・・(ドン引き)」

頭に血が上ったグラハム提督、模擬戦のルールを勝手に変えて、
「スティングレイ」の活動海域を半分にしてしまいました。

「こちらの魚雷の射程内に入ればその瞬間ダッジの負けだ!」

あー、ゴールポストを動かしまくってるー。


本気のグラハム提督、狭い海域を駆逐艦3隻、フリゲート艦を出してきて
徹底抗戦の構え。

ダッジ艦長は潜航指揮官レイク大尉に海底への鎮座を命じます。

「海底鎮座については把握しているのか」

「シミュレーターで何度もやっております!」

しかし鎮座の際、レイク大尉のオーダーミスで艦体は激しい衝撃を受けることに。

「ナイス・ジョブ、レイク!まるでピアノ落としたみたいだったな!
万が一奴らに最初の音が聴こえてなかった時のためにも一回やってみなよ!」

レイク大尉を罵るスタパナック。
こいつ潜水艦から降りたいから作戦が失敗した方がよかったんじゃなかったのか。

衝突音は「オーランド」にすぐさま探知され、ノックス艦長は
今度はアクティブではなくパッシブソナーでの探知を命じました。

潜水艦映画おなじみの「無音潜航」の息詰まる緊張です。

ところが、ここで普通の潜水艦映画には起こりえないアクシデントが発生。

そういうことをするためにキャスティングされたに違いないこのデブが、
この「深く静かに潜航中」の非常時に大音響で(以下略)

「なんだ」

「何かの爆発音のようです」

「(すんません・・・)」

しかし彼らの不幸は、乗っているのがディーゼル艦であることでした。
狭く空調の利かない艦内に有機ガスがたちまち流出し、阿鼻叫喚に。

苦し紛れにダッジ少佐はあることを思いつきました。

(ソナー、あれだ、あれやってくれ)

(あれって・・・?)

(ほら、クジラの鳴き声だよ!なんでわかんないの)

(あれだってば!)

(いやだからそれなんすか)

(だからあれだよソナー)

クジラの音声を録音したテープを指差し、

(ああ〜クジラ!)

(やっとわかってくれたか)

どうしてこの人たち紙に書いて筆談しないの?

「いぃぃぃぃ〜〜〜〜〜、おぉっおぉっおぉっおぉっおぉっ」(繰り返し)

「チキチキチキチキチキ」

「クジラが・・・・・動き回っています。
二頭いるようです」

「ええい、探知の必要なし!」

こうして「スティングレイ」は危険を脱しました。
ダッジ少佐は艦長室に戻って「前艦長」の写真に敬礼します。

「現役復帰しましたよ。("Live to fight another day,")ブーン艦長」

そして失敗をしたと落ち込むレイク大尉を慰めるのも忘れていません。

後部魚雷発射室を個室にしている彼女のところにいき、

「海底の地形は想像できない。鎮座を命じた私の責任だ」

「私のせいで艦の位置が敵に悟られ皆を危険に晒しました。
私が経験のある軍人だったとしても許しましたか」

「そのつもりだ」

「艦長、ソ連艦の失敗をどう克服されましたか」

「酔いつぶれて刺青を入れた。刺青は入れるなよ」

ドアを開けると全員が聞き耳を立てていました。

 

ここでウザい性格の副長パスカルが反乱を起こします。
指定海域を出たことを服務違反として指揮権を自分に譲れと言いだしました。

しかし乗組員の誰も彼を支持しないので、ダッジ艦長は彼を逆に
海の上での反乱罪を起こしたと見なし・・・・

「裏切り者のマーティを処刑に処す!」

だからなんでこうなるの。

乗組員全員(レイク大尉除く)はノリノリで処刑に加わります。
皆で海賊になりきり、「スポンジボブ・スクエアパンツ」の替え歌を歌い・・。

「これ何?」

「カリブの海賊が肩に乗せてる鸚鵡のつもり」(実は鶏肉)

「逃すなよ。俺のだから」

「マーティ、何か言い遺すことは?」

「近代海軍でこんなこと許されん!海賊じゃないぞ!」

そしていよいよパスカル処刑の瞬間がやってきました。
ソナーのキーボード(CASIO)にあわせ、皆が葬送行進曲を歌います。

「だーんだーんだだーんだーだ だだだだだーん」

ダッジ!気が狂ったか!お前死刑になるぞ!」

「万物の母なる海よ。マーティ・パスカル大尉を受け入れたまえ。
主よ、哀れなる彼の魂に慈悲を与えたまえ!」

「おかあちゃ〜〜〜〜ん!」

「・・・・あれ?」

「アメリカ海軍は諸君のご協力に感謝します!」

「いつでもどうぞ!」

(ビールうめー)

案の定その噂は潜水艦隊司令部に達します。

「副長を処刑しただと?」

「さよう、奴は軍法会議ものですな。
わたし自らが探し出して捕まえてやる」

うーん、このおっさん全く凝りとらん。
それにしてもこの人、ダッジ艦長にどうしてここまでこだわるんだろう。

 

続く。

 

 

 


映画「イン・ザ・ネイビー」〜はみ出し者たちの「スティングレイ」

2018-03-04 | 映画

というわけで、また潜水艦映画を紹介してしまいます。

 

この「イン・ザ・ネイビー」、原題、

「ダウン・ペリスコープ」(潜望鏡を下げろ)

「第二次大戦の遺物であるバラオ級潜水艦スティングレイで
はぐれ者や変人役立たずの部下を率いて最新鋭原子力潜水艦に挑む
落ちこぼれサブマリナーの物語」

という内容を見ただけで、迷わずぽちっと購入してしまいました。

それにしても、

”DOWN PERISCOPE"

という英題を見て、皆様何か感じませんか?
冠詞がないんですよ。
日本人の英語には冠詞がない、というのはよく言われることですが、
それはともかく、このタイトルにどうして「The」がないのか?

もしかしたらこれが潜水艦の現場では普通の号令となっているから?

アメリカ海軍も海軍ならではの「省エネモード」で(例えば日本海軍では
『お願いします』を『ねえす』『おはようございます』を『おおす』だったような)
独特の言語を発しているのかな?

一つわかったことは、この映画が1959年の真面目な?潜水艦映画

"UP PERISCOPE!"

からその題名をシャレで取ってきているということで、
こちらの「真面目な方」にも冠詞がないところを見ると、これが潜水艦での
「慣用句」なんだろうなと思うしかありません。

舞台はバージニア州ノーフォーク海軍基地から始まります。
世界最大の海軍基地であるここには現在ロスアンゼルス級を中心とした
原子力潜水艦隊を擁しています。

折しも行われている潜水艦隊司令部の首脳会議。
人事と昇進を決定する会議の席で、ある潜水艦副長の人事が話題になります。

原潜「オーランド」副長トーマス・ダッジ少佐は、潜水艦学校の成績も優秀、
指揮官としての資質も持ちながら、なぜか今まで艦長になるチャンスを逃してきました。
会議で名前が挙がるのは3度目です。

彼の昇進を阻んできたものは、航海士時代ロシアの潜水艦とニアミスをした
過去の失敗と、・・・多分このおっさん。

なぜか潜水艦隊司令部のグラハム少将は、ダッジを目の敵にしているのです。

おそらくその理由は、この型破りな性格。

「ナイス・オン!」


グラハム少将「それだけじゃないんですぞ!
彼は少尉時代、泥酔して、ぴ━━━━(゚∀゚)━━━━!!に刺青を入れたんです!
『ウェルカム・アボード』とぴ━━━━(゚∀゚)━━━━!!に!」


(うんざり・・・)

ところが、この後なぜかダッジ少佐のもとに辞令が。

「潜水艦長に任命する」

「ブルーの潜水艦だといいな!」

意気揚々とノーフォークに愛車で乗り付けるダッジ少佐。

しかし、現実は過酷でした。
嫌味ったらしく、わざわざグラハム少将が直々にボートに乗り込んで、
彼が艦長に着任するその潜水艦を指し示します。(暇なのか?)

「君の船、USSスティングレイ、SS161だ」

「スティングレイ」という名前の潜水艦は実際に2隻、

第一次世界大戦時のCクラス潜水艦、
第二次世界大戦時の「サーモン」級SS-186

として存在しています。
SS-186は16回もの哨戒を務め上げ最後まで生き残った
精鋭艦ですが、この映画では微妙に番号をずらしています。

そして実際のSS-161潜水艦は第一次世界大戦時のSボートの改装後となります。

「南北戦争の甲鉄艦メリマックといい勝負です!
原潜に乗せてください!」

憤然とするダッジに、グラハム少将はサディスティックにほくそ笑み、

「任務を拒否するのか?("Are you refusing take a man?")」

と凄むのでした。
しかも、

「私自身がスティングレイの乗員を全員選んでおいた」

暇なのかこのおっさん。

ダッジは早速、米海軍大西洋司令官隊の潜水艦隊司令である
ウィンスロー中将に直訴しにいきます。
しかし彼を「スティングレイ」の艦長にしたのはウィンスロー中将本人だったのです。

「ディーゼルエンジンの潜水艦が各国に流出しているという現在、
もしディーゼル艦で海軍基地が攻撃された場合を想定して
潜水艦隊はこれを阻止するための策を練らねばならない。

スティングレイを整備して大西洋岸でウォーゲーム(模擬演習)を行え」

「む・・・無理です」

「何を言っとる!ぴ━━━━(゚∀゚)━━━━!!に刺青する勇気を持て!」

「その点はまあ・・じゃ攻略できたら原潜の艦長にしてください」

 

チャールストン海軍基地、ノーフォーク海軍基地に侵入し、
ダミーの戦艦に魚雷を二発撃ち込んだら原潜の艦長にしてやる、
という約束を取り付け、ダッジは艦長として着任しました。

 

まずは副長のエグゼクティブオフィサー、パスカルが元気すぎるお出迎え。

まずはギャンブラー「スポッツ」二等水兵。
本命をスって靴無しの乗艦です。

地獄耳の電信員、「ソナー」。

海軍刑務所から直送されてきた乗組員も。
警衛のガードを従えての華々しい登場です。

一級エンジン技師、ステパネック。

「一週間で監獄へ送り返されてやらあ!」

こんな彼の父親は実は提督だったりします。

調理員のバックマンと無線技師の本名ナイトロ(ニトロ)。

「マイクとかいうあだ名はどう?」

「お前バスケットの選手”ストーンボール・ジャクソン”だろ。
お前のおかげで1000ドルスった」

「ディフェンスされてシュートできなかったんだ!悪いか」

 
 
やれやれ、とダッジ艦長がやってきた埃だらけの艦長室。
 
実はこの映画、内部の撮影をサンフランシスコの海洋博物館に
繋留されている潜水艦「パンパニト」で行いました。
 
「パンパニト」については、このブログでもお話ししたことがあります。
わざわざ撮影のために古びた塗装に塗り直し、蜘蛛の巣まで付けたようです。
 
ちなみに錆だらけの「スティングレイ」も「パンパニト」が演じました。

艦長室には「最後のスティングレイの艦長」のものらしい写真が・・・。

その時艦長室にやってきた美女が。

「あー・・・わかった!
いたずらで誰かがストリッパーを呼んだんだな?
ああ、服は脱がないでね。皆忙しいから。
でも制服がよく似合うねえ!」

「ストリッパーではありません、サー。
潜航指揮官エミリー・レイク大尉です」

「女は潜水艦には乗れないはずだが」

「グラハム提督がわたしを女性潜水艦乗り第一号にと」

「あんの野郎・・・」


ちなみに、この映画公開の1年後、最初の女性潜水艦乗組士官が誕生しています。

そして作業が始まりました。

そしてみんなで楽しくスティングレイの整備と塗装、とにかく
乗れるようにしなければ。

しかし、艦長と副長から見て彼らの仕事ぶりは・・・・・。

海に放水されてしまう副長パスカル。

「あーあ・・・・」

怒りの副長、早速調理員のバックマンに八つ当たり。

副長は移動を申し出ますが、ダッジはにべもなく拒否します。

そうこうするうちに整備が終わりました。

艦体にはスティングレイのマークも描き込まれました。

早速制服をこっそり小さなサイズに取り替えられるという
セクハラの洗礼に遭うレイク大尉。

いよいよ新生「スティングレイ」出航です。
ここで鳴り響くのはコーラス付き「錨を上げて」。

艦橋には本当にダッジ(ケルシー・グラマー)が乗っています。

この撮影の時、「パンパニト」は自走できないので、曳航されています。

この写真をよく見ると、曳航している船の航跡らしき波が写っていますね。

CPO、機関室チーフの「エンジンルームの主」、ハワード。
演じているハリー・ディーン・スタントンは実際にも
海軍軍人として沖縄戦にも参加しています。
ただし、配置は調理師だったそうです。

「潜ったことがあるのか。事故以外で」

「模擬訓練300回以上、75回は強い潮流でした」

「さぞいい成績を」

「あなたより上でした」

「(カチーン)

「潜行用意!」

あれ、「パンパニト」本当に潜ってませんか?


これは模型らしいですが。

しかし潜行するなり艦体が傾いて艦内は阿鼻叫喚に。
悠々としているのは機関室の主ハワードとダッジ艦長だけ。

皆床を転がり、ある者は祈り、ある者はオッズを賭け・・。

ベント開放でことなきを得ましたが、艦長、ここで
500フィート潜行を命じます。

実は「バラオ」級潜水艦は構造上400フィート以上に潜行することは
不可能だということになっています。
400フィート越すと文字通り「クラッシュダイブ」の危険があるのです。

「このヒモを見てな。
深く潜行するとこのヒモはたるんでくる。
つまり空き缶みたいにひしゃげていくんだ。ふぉっふぉっふぉ」

爺さん、すっかり楽しんでるだろ。

ギャンブルコンビの操舵手。

400フィートくらいから艦体が軋み、ヒモはだらんだらんに。

セオリー通り、レイク大尉は

「この艦の最大潜行可能深度は400フィート(121m)です」

と中止を進言しますが、艦長は不敵にも限界まで挑戦することを言い放ち、

「怖いのか」

と大尉を挑発するのでした。

嫌な金属音がしてどこからともなく浸水し、ビスが弾け、
電球が割れてみんながもうだめ!と首をすくめた瞬間・・・・。

「ビンゴ!500フィートだ!
もうたまらんぜ!」

"I love this job!” はダッジ少佐の口癖です。

「諸君、おめでとう。
模範的な潜行(テキストブック・ダイブ)だった!」

この無茶振りでダッジ艦長は乗組員の心をがっちりとつかんだのでした。

さて、こちらは悪代官・・・ではなく、グラハム提督。
かつてのダッジの上官である「オーランド」艦長ノックスに、
「スティングレイ」が仕掛けてくるであろう模擬戦の説明をしています。

海軍の規定により、ノックスが相手の存在を知らされることはありません。

「一つ言えることは、その未知の敵は原潜の相手ではないだろうということだ」

「戦うのが楽しみです」

 

しかしそんなノックス艦長も、まさか自分に戦いを挑んでくるのがかつての部下、
ダッジ率いるディーゼル式潜水艦であろうとは夢にも思わなかったのです。

 

 

続く。

 

 


海上自衛隊 横須賀音楽隊 第52回定期演奏会@横浜みなとみらいホール

2018-03-03 | 音楽

3月の声を聴いたとたんいきなり春めいた先週末、
横浜のみなとみらいで行われた横須賀音楽隊の定演に行ってまいりました。

東京音楽隊、呉音楽隊、そして横須賀音楽隊と海上自衛隊の音楽隊の
定期演奏会を続けて聴く機会を得たわけです。

会場はみなとみらいホール。
ホワイエやロビーに広がりこそありませんが、ルーシーというオルガンを
中心に備え、大変重厚感のある好きなホールです。
写真を見てお分かりのように、ちょうど二階の真正面の席でした。

この日は少し事情があって席に着くのが開演ギリギリになってしまったのですが、
始まるまでにステージではジャズっぽい曲のミニコンサートがあったようです。

これがあるから、自衛隊音楽隊のコンサートは早く行くべきなんですよね・・。

拍手に迎えられて、ステージに人が乗りました。
(オケの人は出演することを『乗る』といいます)
最初に思ったのが、制服を着ていない、つまり民間のエキストラが多いなということ。
念のためプログラムで調べてみたら6人。
それだけでなく、東音、呉音、佐世保、大湊(!)からのトラは12人でした。

音楽隊の人事についてよくわからいないのですが、通常このように
各音楽隊に応援を要請することになっているものなのでしょうか。

ダンス・セレブレーション 建部知弘

 
華やかにオープニングを飾ったのは邦人作品。
わかりやすくて楽しい、打楽器が活躍する曲です。
 
詩的間奏曲 ジェームズ・バーンズ
Poetic intermezzo : James Charles Barnes
 
「これはずるい」
 
と主旋律を聴いて思いました(笑)
いわゆる「文句なしにいい曲」です。
 
ミーファレードレー レーーミドーシドー
ドーレシーラ ドレシーラシ〜〜〜
 
このゼクエンツ系メロディがホルンのソロで始まるんですよ。
(”遠すぎた橋”と全く同じ音形ということは言いっこなし)
それで壮大に盛り上がっていきます。
 
2:58くらいから始まるオーボエは、まるで雲間から光が差してくるよう。
とにかく魅力的な曲でした。

 
エクストリーム・メイクオーヴァー〜チャイコフスキーの主題による変容
ヨハン・デ・メイ
 
アンサンブルリベルテ吹奏楽団
 
チャイコフスキーの名曲を極端に(エクストリーム)メイクオーバーしたものです。
 
最初はがっつりと「アンダンテ・カンタービレ」。
1:57から、交響曲4番の第1楽章のテーマ。
3:20ごろもう一度「アンダンテ・カンタービレ」。
3:45に交響曲第6番第1楽章。
4:00に交響曲第4番冒頭のファンファーレ。
(中略)
 
ところどころにアンダンテ〜のかけらがちりばめられたりして、
色々と混ぜ込まれ、最後は序曲「1812」で終わります。
 
いずれも有名なメロディなので、知っているメロディを探すだけで
ワクワクするという曲ですが、全てのエレメンツがオリジナルそのものの形で
出てくるわけではないので、ちょっと高度な宝探し気分です。
 
技量に定評のある横須賀音楽隊ならではの、粒の揃った音が、
このややもすると散漫になりがちな変容していく曲を
集中を途切れさせずに聴かせていました。
 
ここまで前半の演奏は副隊長の石田敬和一等海尉が務めました。
 
 
 
演奏会用序曲「スラヴァ!」レナード・バーンスタイン

 

最初は「序曲」と言いつつも華やかで派手で、
そこはかとない退廃を感じさせるバーンスタインの曲で始まりました。
最初の部分を指折って数えながら聴いたところ7拍子でした。
うーん、いいねえ7拍子。

バーンスタインは今年生誕100年なので、盛んにその作品が取り上げられています。
みなとみらいホールのロビーにも記念コンサートのポスターがありましたし、
記念のアルバムも発売されているようです。

「スラーヴァ」というのは司会の説明によると、ロシア語の感嘆詞ということでしたが、
スラヴ言語で言うところの「栄光」、日本正教会では「光栄」と訳しているそうです。

そういえばカウンターテナーの歌手スラーヴァという人がいますが、
スラーヴァは本名「ヴャチェスラフ」である彼の愛称です。

「スタニスラフ」「ヤロスラフ」「スヴィヤトスラフ

など、後ろに「スラフ」の付く人は「スラーヴァ」が愛称になるそうですね。
実はこの曲、バーンスタインの友人でもあった偉大なチェリスト、

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

の愛称をタイトルにしたのだそうです。
ロストロがナショナル交響楽団の指揮者に就任したお祝いに書かれたそうですが、
サービス満点というか、最後に団員がみんなで

「スラーヴァ!」

と叫んで(3:25)終わります。
実は原曲にはロストロの飼い犬の名前(Pooks )を叫ぶという指示があるのだとか。
絶対これふざけてるよね。

蛇足ですが、ロシア海軍には「スラーヴァ」という軍艦が過去3隻ありました。

スラヴァ (戦艦) - ロシア帝国で建造された戦艦(艦隊装甲艦)
スラヴァ (軽巡洋艦)(ロシア語版) - ソビエト連邦で建造された軽巡洋艦
スラヴァ級ミサイル巡洋艦 - ソビエト連邦で開発されたミサイル巡洋艦
スラヴァ (ミサイル巡洋艦) - その1番艦で、現在はモスクワに改名し黒海艦隊の旗艦

ご参考までに。ってなんのご参考だ。


「烏山頭」〜東洋一のダム建設物語 八木沢教司

休憩時間に隣に座った元海将が

「(元東京音楽隊長の)谷村(政次郎)さんの肝いりで作られた曲です」

と教えてくださったのですが、これが驚いたことに台湾の
八田與一が取り組んだ通称八田ダム、烏山頭ダム建設をテーマにした新作で、
この日が世界初演となるとのことでした。

当ブログを読んでくださっている方なら、もしかしたら何年か前に
わたしが台湾旅行をした際にこのダムを見学し、その時に
八田與一の銅像を守った台湾の人々のことや、八田その人のこと、
さらには乗っていた船が攻撃されて沈没し、戦没したこと、そして
あとを追うようにダムに身を投げて自死した八田夫人のこと・・・、
様々なことを書いたのを覚えてくださっているかもしれません。

八田が心血を注いだダムの姿と、そのダムによって今日も青々と
水を湛えた嘉南大圳を実際にこの目に焼き付けたわたしは、
この曲をおそらく会場にいる人たちの中でも特に感慨を持って
聴いていた一人ではないかと自負しています。

気宇壮大なダム建設への意欲とその取り組み、そして

「ああ、ダムが敷かれて今大地に水が流れ出した」

と確かに感じる部分や、中国風のメロディが少し顔を出すなど、
思い入れがあってもなくても、その輪郭はくっきりと、
作曲者の意図を音を通じて伝えることに成功しているように思いました。

ところで、司会が八田與一の功績について説明するとともに、
夫人の死にもわざわざ触れたので少し不思議な気がしたのですが、
あとでライナーノーツを見ると、
それが曲に織り込まれていたからでした。

その部分とは、具体的に女声で表され、横須賀音楽隊歌手の
中川麻梨子三等海曹(昇進されたんですね)が歌詞のないヴォカリーズで
その「悲しみの歌」を歌い上げました。

曲に先立って来場していた八木沢氏とともに、この曲を作曲するにあたり
八田ダムについてインスピレーションを与えた谷村氏も紹介されました。

詳細についてまでははわかりませんでしたが、この曲はそのうち
台湾でも演奏される予定だということです。


「シンフォニック・ダンス」ウェストサイド物語より
レナード・バーンスタイン

この日のプログラムに書かれていたので初めて知ったのですが、
ウェストサイド物語の
主人公のカップルは、当初

「ユダヤ系移民の青年とイタリア系カトリックの少女」

という設定だったそうです。
バーンスタインがこの案に消極的だったのは、この現代版「ロメオとジュリエット」を
宗教対立の上に描くことをユダヤ人である彼自身がよしとしなかったからでは、
と今更のように考えてしまいました。

結局この二人がプエルトリコ系とポーランド系という設定になったのはご存知の通り。

偶然というか、やはりバーンスタイン生誕100周年ということで、
メインの曲が東京音楽隊と被り、同じ曲をこの関東在住の精鋭音楽隊で
聴き比べることができたのは素晴らしい体験でした。

みなとみらいホールは管楽器全体をまろやかに包み込むように響き、
オペラシティはどちらかというと輪郭がはっきりと聴こえてくるという
ホールの特性の違いも楽しめたと思います。

「サムウェア」のホルンのソロは感情表現含め素晴らしかったです。

 

ムゼッタのワルツ オペラ「ラ・ボエーム」より
ジャコモ・プッチーニ

 


前回の定演では同じくプッチーニの「ある晴れた日に」を歌い上げた
中川麻梨子三曹ですが、今回も超有名なアリアを聞かせてくれました。

youtubeは「オーケストラの少女」だったディアナ・ダービンが
立派に成長した姿を見ることができます。
どうもこの男性は、ディアナ・ダービンと訳有りですね(小並感)

画像には字幕がついているので見ていただければわかりますが、
ムゼッタは昔の恋人ロドルフォの前に金持ちのパトロンとやってきて、
「私が街を歩けば皆が振り向くの」とモテ自慢に始まり、盛んに
ロドルフォを誘惑しようとするというのがこの歌の内容。

・・・ディアナ・ダービンのは清純っぽすぎるかな(笑)

行進曲 軍艦 瀬戸口藤吉

みなとみらいホールの「軍艦」の響きが好きです。
低音がずっしりと重く、全体的に音色に厚みが出るので、
ここで聴くとすごく立派な感じがします。

始まった途端、会場では拍手が起こりましたが、わたしの周りでは
元海自の偉い人が多かったせいかほとんどが拍手なしで聴いておられました。

 

この日同行した自衛隊音楽隊のファンの知人が、盛んに

「さすがですねー」

と繰り返していたように、昔からその実力には定評のある横須賀音楽隊、
この日もプログラムの構成を含め、大満足の一夜となりました。

個人的な収穫は何と言っても「烏山頭」の世界初演を聴いたこと、
それから「詩的間奏曲」を知ったことだったでしょうか。

最後に今回の演奏会参加にご配慮いただきました皆様に感謝いたします。
どうもありがとうございました。

 

 


第一次世界大戦と「ラム戦争」〜沿岸警備隊遺産博物館

2018-03-02 | 博物館・資料館・テーマパーク

コーストガードアカデミーに併設されている博物館シリーズです。
税収カッター部隊に始まって、救命救急部隊と併合し、
沿岸警備隊となる1915年までの出来事についてお話ししています。


1895年、米西戦争が起ったとき、税収カッターサービスは
この戦争にアメリカ海軍として参加することになりました。

USRC「ハドソン」は税収カッターサービスの手に入れた最初の船で、
スチールの船体に蒸気機関によるエンジンを搭載していました。

まず海軍工廠に搬入された彼女はこの絵にもあるコルト製の機関銃などを搭載し、
鋼板を厚くして防御力を補強した上で警戒に赴きます。

1898年、キューバのカルデナス湾で起った海戦で、敵の砲撃によって
乗員が死亡し、動力を失ったアメリカの「ウィンズロー」を支援して、
彼女の艦体を牽引し、安全な場所まで最終的に運びました。

その過程で「ハドソン」もまた戦闘行為を行ない、その後、
マッキンリー大統領から「カルデナス勲章」を授与されました。

カルデナス勲章の受賞の言葉を読むと、

「ハドソン」のニューカム中尉は敵の攻撃の中牽引のためのラインを
「ハドソン」から「ウィンズロー」にわたすという
英雄的な行為を行なった

とあります。

国旗の下のメダルがその「カルデナスベイ・勲章」。
国旗は救急救命隊が使っていたもの。
ジャケットは救命ステーションの「サーフマン」と呼ばれる隊員のものです。

いつものストームシグナルが揚がると 
全ての船という船が風を避けるための物陰を探す

しかし、アンカーを揚げたカッターだけは仕事に出て行く

ハリケーンがケープコッドに吹き巻く時も、嗚呼、
サーチライトを灯したカッターはまるで神の使いのようだ

彼女はセイバー、デストロイヤーではない
人を殺すためではなく、ただ誰かを救うために作られた船を
人々が称賛することはない

ーアーサー・ソマーズ・ローシェ 「ザ・コーストガード・カッター」

 


写真はゴッドフライ・L・カーデン大尉。
第1次世界大戦中、ニューヨーク港のキャプテンだった人です。

人を殺す船(つまり軍艦)ではない沿岸警備隊のカッターは、しかし
アメリカの戦争には第五の軍として参加し、戦没することもありました。

■ USCGC「タンパ」の犠牲

「力の出し惜しみせず喜んでベストを尽くせ」

とモットーの記されたのはUSS「メイ」
第一次世界大戦中に米海軍がドイツから購入したヨット?で、
沿岸警備隊がパトロールに使用していました。

1917年10月7日は彼女が就役した日です。

左はカデットのジャケット。
後に司令官となったラッセル・ランドルフ・ワシェチの学生時代のものです。

ワシェチ

右のドレスコートは第一次世界大戦で戦没した「タンパ」のキャプテン、
チャールズ・サッタリーが着用していたものです。

サッタリー

USCGC「タンパ」はUボートに魚雷を発射され、大戦中もっとも多くの
(111人の海軍警備員、4人の米海軍人員、11人の英国海軍軍人、5人の民間人)
犠牲を出して戦没したカッターとなりました。

彼女は同行中の船団を守って犠牲になったとされ、戦死者全員に
パープルハート勲章が授与されています。

■ コーストガード第一号パイロット

黄色いモデルは

カーティスSO-03シーガル(シーミュウ)

海軍が使っていた偵察用水上機なのでなぜここにあるのかわかりませんが。

こちらはパイロット用の帽子で、フライトヘルメットと呼びます。

沿岸警備隊航空隊を創立した一人、エルマー・ストーン使用のものです。

エルマー・ファウラー・ストーン司令官の勇姿。

この時被っているものがこれかな?
それにしても・・・うーん、とっても重量級。

こんな体型ですが、テストパイロットとしても相当優秀だったそうです。

ここでは男前に描かれてます。って失礼?

調べてみたら、この人が沿岸警備隊のパイロット第一号でした。
この飛行機でアトランティックを横断したとありますが、
その時に着用していたのがこのフライト・ヘルメットなんだそうです。

左のフロックコートは、「カーペンター・レイティング」のウォーラント・オフィサー、
特務士官が着用していたものです。

スキルと経験豊富な特務士官は、待遇も士官と同じで、高収入の配置です。
沿岸警備隊の階級は海軍のそれに準じるということは1920年に決められました。

「カーペンター・レイティング」は船の構造物などの建造や修理を担当し、
それゆえ大変重用される立場にありました。
1948年には、この部門は「ダメージコントロール」に特化されます。


 

■ 沿岸警備隊の創設

 

「税収カッターサービス」と「ライフセービングサービス」が合併し、
「沿岸警備隊」が生まれたのは1915年のことです。

その最初の最高司令官となった

エルスワース・プライス・バーソルフ代将(commodore)

若い時には先ほどの捕鯨船を救助するための雪中行軍にも加わり、
ジャービス中尉らと共に氷点下45度の雪原で救助活動しています。

彼がここまで出世したという理由の一つに、おそらくですが、
少し日本も関係しています。

日露戦争が終わってから、沿岸警備隊のベーリング海での警備は忙しくなりました。
日本が勝ったので、日本の漁船もアシカ狩り操業に来るようになったのですが、
問題は日本は シール・ハンティングに関する条約を結んでいなかったことです。

税収カッター部隊の警備において、彼は少なくとも2隻の日本の船を拿捕し、
アラスカのウナルラスに彼らを搬送して連邦裁判所で証言しています。

まあそんなこんなで優秀だったバーソルフですが、最初に彼は海軍兵学校に入学し、
2年で退学しかも追放されたという暗い過去を持っています。

気になるその理由は、

「慣例として行われるヘイジング(イニシエーションとか通過儀礼の類?)に参加し、
そのことで軍事裁判所沙汰になって追放になった」

であったという噂です。

まあ16歳だったので、調子に乗ってやりすぎてしまったってとこでしょうか><
そこで人生終わりにならないのがその頃のアメリカのいいところで、
彼は即座に税収カッターサービス養成学校に入り直し、結局はそこで
初代司令にまでなってしまったのですから、人間諦めてはいけませんね(適当)


■ 禁酒法と沿岸警備隊

第一次世界大戦直後、沿岸警備隊は活躍を求められる場面が増えました。

これの促進剤は1919年のあの禁酒法(ボルステッド)法でした。
アメリカ合衆国の中でアルコール飲料の製造、販売と輸送を禁止するもので、
他の連邦機関は海上で新しい法律を実施する用意が全くできていなかったため、
ヴォルステッド法を実施するための主戦力は沿岸警備隊となったのです。

「昔、こんな良からぬ噂が立った。
押収された酒は、腐敗するか、密かに売られるまで、
沿岸警備隊の波止場に留め置かれていた、というものである。
国の法律がそう決めたことに対し、我々の個人的な意見など関係ない。
我々の義務はすべての現行法を実施することであり、何より
捕らえられた酒類密輸入者が沈黙しているということは、沿岸警備隊が
粛々と与えられた義務を果たしているということの証左でもある」

沿岸警備隊のTide Rips(潮衝 《潮流が衝突して生ずる荒波》)という
機関紙に当時寄稿されたコーストガードの隊員の手記です。

沿岸警備隊がこの「ボルステッド・アクト」に向き合ったというのは
この時代の非常に象徴的な出来事でした。

沿岸警備隊は施行と同時に全米に100隻もの船を警戒船として出し、
大西洋、太平洋、湖や湾岸をパトロールしました。

議会はこのために特別予算をつけ、そのおかげで沿岸警備隊は
ラム・パトロール専用に設計された船、「マザーシップ」、航空機、
密輸業者とコンタクトを取るための船までが充実していったのです。


結果、この「ラム戦争」は沿岸警備隊に基礎体力と活力を与えました。

 

しかしながら、そもそも禁酒法という法律が全く国民の賛同を得ず、
稀代の悪法として当時から嫌われていたため、「政府の手先」として
前述のような噂が立つなど、沿岸警備隊にはある意味辛い時期だったと言えます。

しかし、人生は糾える縄の如し。(ちょっと違うかな)

政府が惜しみなく予算をつけたおかげで、この時代の間に建造された巡視艇は、
その後何十年にもわたって継続される後年のクラスのための
プロトタイプとなりましたし、通信装置の使用に関するノウハウや諜報方法もまた
大きく革新を遂げる結果になりました。

何より、この時酒類密輸入者と戦うために開発された戦術と技術が、
数十年後、麻薬密輸者と戦うために役に立つことになります。

沿岸警備隊では最近も国際法に照らし、麻薬対策を強化していますが、
その手法はそれまで培われてきた経験の積み重ねに多くを負っているのです。

「ラム・ランナー」に威嚇を行う沿岸警備隊の船。
舳先では業者たちが両手を挙げて降参しています。

左側の通信機器は、いわゆる「ラムランナー」と呼ばれる酒を密輸する船と、
「母船」との間の会話を探知するために使われた
「ライン・テスティング・ディバイス」だそうです。

ちなみに禁酒法にまつわる攻防を「ラム・ウォー」
禁酒法に基づき密輸摘発任務に従事したアメリカ沿岸警備隊の艦隊を
「ラム・パトロール」(Rum Patrol)、
禁酒法の時代に、ヨーロッパで製造された酒を積んだ密輸船が
停泊していたアメリカ領外地域の通称を、「酒屋通り」(Rum row)と言いました。

沿岸警備隊のスキルはこの「平和な時代の法律」(つまり禁酒法)によって
その基礎を作り上げられた、といっても過言ではありません。

おまけ:

「サンクスギビング・フォー・ウェット」

と題された当時のカートゥーン。
ウェットは禁酒を意味する「ドライ」に対する「お酒のある状態」です。
沖に泊まっているのが「ラム・ロウ」、つまり摘発対象外の場所に錨を下ろし、
「ラム・ランナー」に酒を積んでいる商船です。

「モリル」という沿岸警備隊の巡視船は事情があって?
出動できない状態なのをいいことに、ラムランナーたちがスコッチやライ、
スピリッツの類を満載して前を通り過ぎていきます。

折しもサンクスギビング(感謝祭)。

「いつも労働ご苦労さん、でも今日はゆっくり休んでね!」

ということで感謝しているラムランナーズのみなさんでした。

 

その後、アメリカを襲った大恐慌によって、禁酒法は廃止になります。

続く。

 

 

 

 

 


”トラブルシューターズ”〜コーストガード・アカデミー博物館

2018-03-01 | 博物館・資料館・テーマパーク

沿岸警備隊士官学校に併設された博物館の見学記です。

今日は、灯台守、ライトハウス・キーパーと、税収カッター部隊と
のちに併合する、救難救助隊の活躍についてお話しします。

ほとんどの市民はアンクルサム(アメリカ)の
「Devil Dogs」(海兵隊)
「Gobs」(船員たち、海軍)
そして「Dough Boys」(陸軍)を知っている。

しかし、どれくらいの人々が「トラブルシューターズ」
つまり沿岸警備隊を知っているだろう

328フィートのエレクトリックエンジン、5インチ砲搭載のカッター、
全国250もの基地、19箇所の無線基地、災害派遣車、
携帯短波ラジオ搭載トラック、5000マイルのテレグラフケーブル、
電話による通信システム、特別に設計された陸空兼用飛行機を持ち、
トラブルを解決するために完璧な仕事を行う者たちのことを


サムナー・インクリース・キンボール

インクリースというのがミドルネームという人を初めて見る気がしますが(笑)
このキンボールは弁護士で、1848年に海難救助を行うために
ライフセービングサービスを創設し、その初代代表となった人物です。

民間や地域の人道的努力から形になったこの組織は、1915年、
税収カッターサービスと合併して沿岸警備隊となりました。

1897年には最初の電動ジェネレーターを搭載したカッターが何隻か
ライフセービングサービス、救難隊に導入され、1899年には
無線も導入され始めましたが、基本救難隊は、このような
オールでボートを漕いで救難活動を行っていました。

■ フレネルレンズ灯台

コネチカットの「ミスティック・シーポート」で、実際に稼働している
灯台が、このフレネルレンズでした。

フランスのオーギュスタン・フレネルが、最初から
灯台の灯に使うためにこのレンズを開発しました。

通常のレンズを同心円状の領域に分割し厚みを減らした設計で、
その表面にノコギリ状の断面を持っています。

皆さんは、表面がギザギザのルーペをご覧になったことがないでしょうか。
字は確かに大きくなりますが、見にくいものですよね(笑)
あんなギザギザでは結像性能が良くないのは当たり前です。

このギザギザの分割数を多くすればするほどレンズは薄くなるので
材料を減らし軽量化が可能になります。
まさに灯台のためだけの発明だったと言えます。

左の婉曲したものが一個のフレネルレンズで、これをいくつも重ね、
光を一方向に投射することができるというわけです。

ガラスの組み方の違う大型のフレネルレンズ灯台。
少ない、あるいは小さな光源でも一定方向に光と集めて照射することができます。

こちらは外側のケース付きフレネルレンズの灯り。 

これはソーラー・ビーコンだそうです。

今のソーラーの意味ではなく、鏡の反射を利用したビーコンだと思われます。

コーストガードの活動記録から。
洪水になった街に出動して住民を救助しています。

税収カッターサービスと並行して活動していた「救助部隊」
United States Life Saving Service(USSL)のバナーには
今でもコーストガードのシンボルであるが描かれています。

下のボイラーみたいなものは「ライフ・カー」(Life-car)といい、
1845年にジョセフ・フランシスなる人物が発明したものです。

当時もっとも成功した海難救助のための発明と言われ、このライフカーで
1850年、ニュージャージーで座礁した船から199名の乗客を運び出し、
船から岸へと搬送することができたと言われています。

こちらも救助グッズで「Breeches Buoy(ブリーチズブイ)」という道具です。

ブリーチというのは、この浮き輪状のものにくっついているキャンバス地の
「脚を入れて履けるような形状になっているもの」のことです。

難破した船から比較的近い沿岸に一人ずつ人を輸送する道具で、
小舟も使えない荒れた海の上では大変有効な道具でした。

ロープは船の一番高いところにセットし、岸に向かって滑車を滑り落とすように
人を乗せて動かしたそうです。

乗っている方はとっても怖かったと思うがどうか。


船の救急救難グッズは昔からいろんなものが発明され試みられてきましたが、
こんな失敗例もあるということで。

救命浮き輪のプロトタイプ(試作品)です。

1875年ごろ、マクレランド・カンパニーという救命グッズを手がけた
専門の会社によって試作されました。
実際見ると小さくて、こんなものどうやって使うのか、というくらいですが、
手錠のように外して、首にがちゃんとはめて使用することになっていました。

たとえ意識がなくなっても、手足が動かなくても、これを嵌めればとりあえず
首から上は
海上に出たまま浮いていることができる、というコンセプトでしたが、
いざ海に脱出するときに両手で持って運ばなくてはならず、
(確かにこれは片手では持てないかも)木の輪っかなので危険というか、
つけたまま船体に挟まれたりした場合、最悪首を骨折する危険さえありました。

いうまでもないですが、このアイデアは試作品のままで終わり、製品化されませんでした。

■ ライトシップ(灯台船)
 
 
うっかり説明の写真を撮るのを忘れたのですが、他の類似の船を調べたところ、
これは「light ship」(灯台船)と言われる船であるようです。
 
灯台船は読んで字の通り灯台として機能する船のことで、
目立たせるために明るい赤の船体に白の大文字でその場所の名前が書かれます。
 
通りかかった船にここがどこか知らせるためです。
 
 
 
「ヴィンヤード」は「マーサスヴィンヤード(マーサの葡萄畑)」のことで、
この島の隣にある「ナンタケット」では、同型の灯台船がニューヨークで
お仕事(といっても繋留されているだけですが)しています。
 
灯台船は灯台を設置するには震度の深すぎるところに繋留して錨を下ろし、
固定するものなので、一部を除いて推進手段を持たない、とされています。
設置や補修の時には牽引されるものだと思われます。
 
灯台船は霧の中、および日没1時間前から日の出の1時間後まで点灯するのが仕事ですが、
ずっと繋留されているその船には、船員が寝泊まりしていたのでしょうか。
補修の時にしか移動しないのなら、乗員はランチで通勤していたのか・・・・?
 
ところでここになぜ灯台船の模型があるかと言いますと、
灯台船を設置するのは沿岸警備隊の役目だったからです。
 
灯台船の使用は1985年、最後の一隻「ナンタケット」の退役によって終了しました。
全部がコストパフォーマンスの観点から「テキサス・タワーズ」と呼ばれる
沖合の照明プラットフォームまたは大型の航法ブイと置き換えられました。

 
■ エリー湖の事故と救助隊の殉職
 
 
右は「メモリアル・オールで作った木彫のトークン」だそうです。
 
1893年の5月、クリーブランドのエリー湖でで二人の少年を助けようと出動した
ライフセーバーのボートが転覆し、5名のキーパーが殉職しました。
ステーション隊長のローレンス・ディステルと2名の要救助者は
タグボートに救出され、助かっています。

隊長のディステルはその時使用されていて粉々になったオールから、
失われた部下を悼むためにトークン(コインのようなもの)を作りました。
 
■ 女性灯台守

腕を組み、キリッとした表情でレンズを見ているこの女性、
アイダ・ルイス(1842-1911)は、1881年、灯台守として
女性で初めてゴールドライフセービングメダルを授与され、今でも
「アメリカン・ヒーロー」の一人とされています。

ロードアイランド州ニューポートに生まれた彼女は、16歳の時
ライムロック灯台の灯台守だった父が発作のために倒れた後、仕事を継ぎ、
1858年、近隣の家族4人の船が転覆した時に彼らを救出しました。

こんな軽装で夜の海に漕ぎだしたのか、と思いますが、まあこれは
あくまでも「イメージ」なので、実際の様子とは異なるかもしれません。

彼女はこの英雄的な救助劇のその後も、ライムロックで灯台守を一生の仕事として、
その生涯には
少なくとも18人の市民を救ったとも言われています。

しかし、彼女はそのことを記録に残さなかったため、正確なところはわかりません。

最初の救助で人気者になった彼女の元には、人々が見物に押しかけましたが、
彼女は注目されることを良しとしなかったということです。

ライフセーバーに一生を捧げた彼女の最後の救助は、彼女が63歳の時で、
ボートから落ちた自分の友人を救ったというものです。

彼女が69歳で亡くなった時には、周辺の灯台守や船のほとんどの乗員が葬式に訪れ、
港湾内のすべての船が汽笛を鳴らし、半旗を挙げて彼女の死を悼みました。

沿岸警備隊の「キーパー」級説標船の1番艦

USCGC 「アイダ・ルイス 」(WLM-551)

は、彼女の出身地であり、ライムロック灯台のあるロード・アイランドを
母港としています。

説標船とは、灯浮標など航路標識の設置や回収を主な任務とする船で、
英語では

「Bouy Tender 」

と言います。

”That others might live”

一生を安全な船の航行のためにかけた彼女の名に相応しい船ではありませんか。


 

続く。