ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

第一次世界大戦と「ラム戦争」〜沿岸警備隊遺産博物館

2018-03-02 | 博物館・資料館・テーマパーク

コーストガードアカデミーに併設されている博物館シリーズです。
税収カッター部隊に始まって、救命救急部隊と併合し、
沿岸警備隊となる1915年までの出来事についてお話ししています。


1895年、米西戦争が起ったとき、税収カッターサービスは
この戦争にアメリカ海軍として参加することになりました。

USRC「ハドソン」は税収カッターサービスの手に入れた最初の船で、
スチールの船体に蒸気機関によるエンジンを搭載していました。

まず海軍工廠に搬入された彼女はこの絵にもあるコルト製の機関銃などを搭載し、
鋼板を厚くして防御力を補強した上で警戒に赴きます。

1898年、キューバのカルデナス湾で起った海戦で、敵の砲撃によって
乗員が死亡し、動力を失ったアメリカの「ウィンズロー」を支援して、
彼女の艦体を牽引し、安全な場所まで最終的に運びました。

その過程で「ハドソン」もまた戦闘行為を行ない、その後、
マッキンリー大統領から「カルデナス勲章」を授与されました。

カルデナス勲章の受賞の言葉を読むと、

「ハドソン」のニューカム中尉は敵の攻撃の中牽引のためのラインを
「ハドソン」から「ウィンズロー」にわたすという
英雄的な行為を行なった

とあります。

国旗の下のメダルがその「カルデナスベイ・勲章」。
国旗は救急救命隊が使っていたもの。
ジャケットは救命ステーションの「サーフマン」と呼ばれる隊員のものです。

いつものストームシグナルが揚がると 
全ての船という船が風を避けるための物陰を探す

しかし、アンカーを揚げたカッターだけは仕事に出て行く

ハリケーンがケープコッドに吹き巻く時も、嗚呼、
サーチライトを灯したカッターはまるで神の使いのようだ

彼女はセイバー、デストロイヤーではない
人を殺すためではなく、ただ誰かを救うために作られた船を
人々が称賛することはない

ーアーサー・ソマーズ・ローシェ 「ザ・コーストガード・カッター」

 


写真はゴッドフライ・L・カーデン大尉。
第1次世界大戦中、ニューヨーク港のキャプテンだった人です。

人を殺す船(つまり軍艦)ではない沿岸警備隊のカッターは、しかし
アメリカの戦争には第五の軍として参加し、戦没することもありました。

■ USCGC「タンパ」の犠牲

「力の出し惜しみせず喜んでベストを尽くせ」

とモットーの記されたのはUSS「メイ」
第一次世界大戦中に米海軍がドイツから購入したヨット?で、
沿岸警備隊がパトロールに使用していました。

1917年10月7日は彼女が就役した日です。

左はカデットのジャケット。
後に司令官となったラッセル・ランドルフ・ワシェチの学生時代のものです。

ワシェチ

右のドレスコートは第一次世界大戦で戦没した「タンパ」のキャプテン、
チャールズ・サッタリーが着用していたものです。

サッタリー

USCGC「タンパ」はUボートに魚雷を発射され、大戦中もっとも多くの
(111人の海軍警備員、4人の米海軍人員、11人の英国海軍軍人、5人の民間人)
犠牲を出して戦没したカッターとなりました。

彼女は同行中の船団を守って犠牲になったとされ、戦死者全員に
パープルハート勲章が授与されています。

■ コーストガード第一号パイロット

黄色いモデルは

カーティスSO-03シーガル(シーミュウ)

海軍が使っていた偵察用水上機なのでなぜここにあるのかわかりませんが。

こちらはパイロット用の帽子で、フライトヘルメットと呼びます。

沿岸警備隊航空隊を創立した一人、エルマー・ストーン使用のものです。

エルマー・ファウラー・ストーン司令官の勇姿。

この時被っているものがこれかな?
それにしても・・・うーん、とっても重量級。

こんな体型ですが、テストパイロットとしても相当優秀だったそうです。

ここでは男前に描かれてます。って失礼?

調べてみたら、この人が沿岸警備隊のパイロット第一号でした。
この飛行機でアトランティックを横断したとありますが、
その時に着用していたのがこのフライト・ヘルメットなんだそうです。

左のフロックコートは、「カーペンター・レイティング」のウォーラント・オフィサー、
特務士官が着用していたものです。

スキルと経験豊富な特務士官は、待遇も士官と同じで、高収入の配置です。
沿岸警備隊の階級は海軍のそれに準じるということは1920年に決められました。

「カーペンター・レイティング」は船の構造物などの建造や修理を担当し、
それゆえ大変重用される立場にありました。
1948年には、この部門は「ダメージコントロール」に特化されます。


 

■ 沿岸警備隊の創設

 

「税収カッターサービス」と「ライフセービングサービス」が合併し、
「沿岸警備隊」が生まれたのは1915年のことです。

その最初の最高司令官となった

エルスワース・プライス・バーソルフ代将(commodore)

若い時には先ほどの捕鯨船を救助するための雪中行軍にも加わり、
ジャービス中尉らと共に氷点下45度の雪原で救助活動しています。

彼がここまで出世したという理由の一つに、おそらくですが、
少し日本も関係しています。

日露戦争が終わってから、沿岸警備隊のベーリング海での警備は忙しくなりました。
日本が勝ったので、日本の漁船もアシカ狩り操業に来るようになったのですが、
問題は日本は シール・ハンティングに関する条約を結んでいなかったことです。

税収カッター部隊の警備において、彼は少なくとも2隻の日本の船を拿捕し、
アラスカのウナルラスに彼らを搬送して連邦裁判所で証言しています。

まあそんなこんなで優秀だったバーソルフですが、最初に彼は海軍兵学校に入学し、
2年で退学しかも追放されたという暗い過去を持っています。

気になるその理由は、

「慣例として行われるヘイジング(イニシエーションとか通過儀礼の類?)に参加し、
そのことで軍事裁判所沙汰になって追放になった」

であったという噂です。

まあ16歳だったので、調子に乗ってやりすぎてしまったってとこでしょうか><
そこで人生終わりにならないのがその頃のアメリカのいいところで、
彼は即座に税収カッターサービス養成学校に入り直し、結局はそこで
初代司令にまでなってしまったのですから、人間諦めてはいけませんね(適当)


■ 禁酒法と沿岸警備隊

第一次世界大戦直後、沿岸警備隊は活躍を求められる場面が増えました。

これの促進剤は1919年のあの禁酒法(ボルステッド)法でした。
アメリカ合衆国の中でアルコール飲料の製造、販売と輸送を禁止するもので、
他の連邦機関は海上で新しい法律を実施する用意が全くできていなかったため、
ヴォルステッド法を実施するための主戦力は沿岸警備隊となったのです。

「昔、こんな良からぬ噂が立った。
押収された酒は、腐敗するか、密かに売られるまで、
沿岸警備隊の波止場に留め置かれていた、というものである。
国の法律がそう決めたことに対し、我々の個人的な意見など関係ない。
我々の義務はすべての現行法を実施することであり、何より
捕らえられた酒類密輸入者が沈黙しているということは、沿岸警備隊が
粛々と与えられた義務を果たしているということの証左でもある」

沿岸警備隊のTide Rips(潮衝 《潮流が衝突して生ずる荒波》)という
機関紙に当時寄稿されたコーストガードの隊員の手記です。

沿岸警備隊がこの「ボルステッド・アクト」に向き合ったというのは
この時代の非常に象徴的な出来事でした。

沿岸警備隊は施行と同時に全米に100隻もの船を警戒船として出し、
大西洋、太平洋、湖や湾岸をパトロールしました。

議会はこのために特別予算をつけ、そのおかげで沿岸警備隊は
ラム・パトロール専用に設計された船、「マザーシップ」、航空機、
密輸業者とコンタクトを取るための船までが充実していったのです。


結果、この「ラム戦争」は沿岸警備隊に基礎体力と活力を与えました。

 

しかしながら、そもそも禁酒法という法律が全く国民の賛同を得ず、
稀代の悪法として当時から嫌われていたため、「政府の手先」として
前述のような噂が立つなど、沿岸警備隊にはある意味辛い時期だったと言えます。

しかし、人生は糾える縄の如し。(ちょっと違うかな)

政府が惜しみなく予算をつけたおかげで、この時代の間に建造された巡視艇は、
その後何十年にもわたって継続される後年のクラスのための
プロトタイプとなりましたし、通信装置の使用に関するノウハウや諜報方法もまた
大きく革新を遂げる結果になりました。

何より、この時酒類密輸入者と戦うために開発された戦術と技術が、
数十年後、麻薬密輸者と戦うために役に立つことになります。

沿岸警備隊では最近も国際法に照らし、麻薬対策を強化していますが、
その手法はそれまで培われてきた経験の積み重ねに多くを負っているのです。

「ラム・ランナー」に威嚇を行う沿岸警備隊の船。
舳先では業者たちが両手を挙げて降参しています。

左側の通信機器は、いわゆる「ラムランナー」と呼ばれる酒を密輸する船と、
「母船」との間の会話を探知するために使われた
「ライン・テスティング・ディバイス」だそうです。

ちなみに禁酒法にまつわる攻防を「ラム・ウォー」
禁酒法に基づき密輸摘発任務に従事したアメリカ沿岸警備隊の艦隊を
「ラム・パトロール」(Rum Patrol)、
禁酒法の時代に、ヨーロッパで製造された酒を積んだ密輸船が
停泊していたアメリカ領外地域の通称を、「酒屋通り」(Rum row)と言いました。

沿岸警備隊のスキルはこの「平和な時代の法律」(つまり禁酒法)によって
その基礎を作り上げられた、といっても過言ではありません。

おまけ:

「サンクスギビング・フォー・ウェット」

と題された当時のカートゥーン。
ウェットは禁酒を意味する「ドライ」に対する「お酒のある状態」です。
沖に泊まっているのが「ラム・ロウ」、つまり摘発対象外の場所に錨を下ろし、
「ラム・ランナー」に酒を積んでいる商船です。

「モリル」という沿岸警備隊の巡視船は事情があって?
出動できない状態なのをいいことに、ラムランナーたちがスコッチやライ、
スピリッツの類を満載して前を通り過ぎていきます。

折しもサンクスギビング(感謝祭)。

「いつも労働ご苦労さん、でも今日はゆっくり休んでね!」

ということで感謝しているラムランナーズのみなさんでした。

 

その後、アメリカを襲った大恐慌によって、禁酒法は廃止になります。

続く。