rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

日本に核武装は必要か

2008-06-10 21:49:17 | 政治
 アメリカの覇権が衰退の兆しを見せ、一方中国が世界3位の軍事費を費やしている現在、日本にも核武装が必要ではないかという議論が起こりつつある。自民党内にもかつてひそかに核武装の可能性を研究するグループがあったが、CIAに嗅ぎつけられて葬り去られたという噂もある。公の場で日本の核武装について議論することは戦後長いことタブーとされていたことは確かであるが、議論をすること自体何の遠慮もいらないし、大いに議論をしたほうがよいに決まっている。議論もいけないというのは共産党独裁政治の手法であり、それを日本人に押し付けないでほしい。

 私の個人的見解としては、3つの視点から日本の核武装には反対である。一つは国策上の利点に乏しいこと、2つ目は方法論的に難しいこと、3つ目は感情的に核は持ちたくないことである。

 国策の視点からというのは、政治は「国民が幸福に生きる上での手段」に過ぎないというのが、私が政治を語る大前提であるので、まず核を持つことが国民の幸せにつながるかどうかで考える必要があるわけです。国際政治の舞台では明らかに核を持つ武力の強い国の発言力が大きく、ごり押しも効くことは確かです。ただここで重要なのは核を持っている国の国民が持たざる国の国民よりも幸せに暮らしているかどうかです。先進国の中にも核を持っていない国はたくさんありますが、そこの国民が持っている国の国民よりも不幸であるようには見えません。日本が今後世界の警察として世界中の治安維持の役割を担う、Pax Japonicaを創出するならば、確かに核は必要でしょう。しかしそこまでのことを望まないならば、私は国際舞台で不利益をこうむることはあるでしょうが、ことさら核の保持にこだわらなくても良いように思います。

 日本が冷戦時代平和でいられたのはアメリカの核の傘の下にいたからであり、今後アメリカの覇権が弱くなっていくので日本独自で核を持つべきである、というのは一理ある意見です。しかし現在の日本の最大の安全保障上の脅威は中国です。ロシアは別格ですが、韓国北鮮は悪いけど日本が「本気になれば」核など使わなくてもひねりつぶすことはできます。彼らは認めようとしないでしょうが、それが日韓の軍事力の現実だから仕方ありません。ここで中国に対する場合、日本が核を持つことは、中国は嫌がる事は間違いないですが、いざ核を打ち合うことになった場合、日本が10発、中国が10発核を打ってどちらが壊滅的な打撃を受けるかというと日本が滅びてしまいます。中国という国は1億死んでも12億残ればよい国です。そんな国と核戦争をしても結局負けるのです。だから中国を相手にするなら核は持たないほうが良いのです。中国を相手にするときには今回の地震に伴って何らかの核被害が出現したように自爆してもらうとか、内乱が起きるように仕向けるとかの方が、核など使うよりよほど効果的なのです。

 方法論的に難しい点というのは、一つは核実験を行わないと核を持ったことにならない点です。日本の技術力や経済力、原発の廃棄物などをもってすれば、日本はいつでもプルトニウム型の原発なら作ることは可能だろうと思います。しかしそれを保持して、いざという時に使えるようにすることが現在の日本で可能かというと現実的には無理だと思います。北方領土を返してもらって国後島の中心に基地をつくるのなら可能かもしれませんが。

 3つ目の感情的に核を持ちたくないというのは日本人なら皆同じ思いではないかと思います。古今東西、全人類の歴史において、戦争で核を使われたのは日本人だけです。米ソの冷戦時代いつ核戦争が起こってもおかしくなかった時期もありましたが、結局おこらなかったのは日本人の核被害の現実を世界が認識していたからです。朝鮮戦争でもベトナムでもその後の中東においても限定的な核でさえ使用されなかったのは日本人のおかげです。我々は、そのことをもっと世界にアピールしてもよいと考えます。第二次大戦後、世界で核戦争が起こらなかったのは日本人が核の悲惨さを身を持って世界に示したからに他ならないからです。結果論だといわれればそれまでですが、アジア・アフリカを西洋の支配から開放したのも日本ですし、世界核戦争を回避させたのも日本の功績であると後世の歴史家が評価する時が必ず来ると信じています。

 そのような理由で私は日本の情報戦を含む国防力の充実には賛成ですが、核保有には反対であります。
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