格差社会という言葉が定着し、いつの間にか国民を「勝ち組」、「負け組」にグループ分けして対立させるようにマスコミは仕向けているようだ。つい数年前には、一定の職に就かないフリーターというのは時代の寵児のように扱われていた。「正社員になって会社に縛られて一生送らなくても自由に生活してゆけるのがこれからの生き方」みたいな特集が雑誌でも組まれていた。
先日の秋葉原無差別殺人の犯人の社会的背景として、派遣社員としての不安定な生活が指摘されている。本人の携帯サイトへの書き込みでも「負け組人生」を悲観する内容があったようだ。
責任感を持ってひとの前で一生懸命仕事をしている人に対して、「弱者」の立場で文句を言う。「モンスターなんとか」と呼ばれる一種のクレーマーが問題になった。学校の教員、医師、警察官、公務員、ホテルやデパート、一般の会社に至るまで、クレームを付ける方は王様、責任を持って仕事をし、応対する方はまるで奴隷のように対応しないといけないような空気があった。大した高給でもないのに責任感を持って一生懸命仕事をしているのに文句を言われ、奴隷のように頭を下げさせられることに「今に見ておれ」とつぶやいた人は少なくない。つぶやいた彼らは正社員であり、金持ちではないけれど「負け組」ではない。
自分が弱者であると主張すればどんな相手にも強く出れる「一億総弱者の時代」というのがここ何年かあったように思う。私は、責任感を持って一生懸命仕事をしている人に、そうでない人間が一段高いところから文句を言うなどと言うのは非日本的な悪い風潮であると常々感じてきた。責任感を持って一生懸命仕事をしている人には、苦言を呈するにしても尊敬の念を持って接するべきである。
年金を払っていても年金が貰えないことがある一方、生活保護に認定されると年金の最低額に相当する生活費は保証され、医療費も免除になる。不正受給で年金生活者より豊かな生活だった人もいる。弱者を主張する一部の集団は、行政からも特別扱いで優遇され、税金も別額であることが認められていたらしい。弱者=負け組というのなら弱者だけが優遇されるような世の中は終わらせないといかんね、と「こつこつまじめに働いてきた人達」は思うだろう。
しかし「勝ち組」「負け組」の問題はそう単純ではない。今の若い人は一生懸命働いて、責任感を持って仕事をしても「負け組」に分類されてしまうような社会になりつつあることが問題なのです。一時自由人として組織にとらわれないような生き方が「格好良い」とされ、弱者を主張した方が責任を持って仕事をしている方よりも高飛車でいることが許されたからといって、「負け組」にならなかった人達が「負け組」とされてしまった人達に「自業自得」であるような感情を持つとしたら、それは誤りであろうと思います。
本日の題名はわざと「いやらしい表現」にしたのですが、今の社会は「当たらずとも遠からず」の面があると感じます。自分も含めて、勝ち組ではないとしても自分を「非負け組」と感じている人達は、「負け組」と感じている人達のことを完全に他人事と考えているように思います。マスコミも行政も政治家も結果として階級化しつつある日本社会をもとに戻そうとは思っていないようです。弱者がいばっているのは否な世の中ですが、格差の少ない均質な社会というのが日本には似合っていると私は主張します。
先日の秋葉原無差別殺人の犯人の社会的背景として、派遣社員としての不安定な生活が指摘されている。本人の携帯サイトへの書き込みでも「負け組人生」を悲観する内容があったようだ。
責任感を持ってひとの前で一生懸命仕事をしている人に対して、「弱者」の立場で文句を言う。「モンスターなんとか」と呼ばれる一種のクレーマーが問題になった。学校の教員、医師、警察官、公務員、ホテルやデパート、一般の会社に至るまで、クレームを付ける方は王様、責任を持って仕事をし、応対する方はまるで奴隷のように対応しないといけないような空気があった。大した高給でもないのに責任感を持って一生懸命仕事をしているのに文句を言われ、奴隷のように頭を下げさせられることに「今に見ておれ」とつぶやいた人は少なくない。つぶやいた彼らは正社員であり、金持ちではないけれど「負け組」ではない。
自分が弱者であると主張すればどんな相手にも強く出れる「一億総弱者の時代」というのがここ何年かあったように思う。私は、責任感を持って一生懸命仕事をしている人に、そうでない人間が一段高いところから文句を言うなどと言うのは非日本的な悪い風潮であると常々感じてきた。責任感を持って一生懸命仕事をしている人には、苦言を呈するにしても尊敬の念を持って接するべきである。
年金を払っていても年金が貰えないことがある一方、生活保護に認定されると年金の最低額に相当する生活費は保証され、医療費も免除になる。不正受給で年金生活者より豊かな生活だった人もいる。弱者を主張する一部の集団は、行政からも特別扱いで優遇され、税金も別額であることが認められていたらしい。弱者=負け組というのなら弱者だけが優遇されるような世の中は終わらせないといかんね、と「こつこつまじめに働いてきた人達」は思うだろう。
しかし「勝ち組」「負け組」の問題はそう単純ではない。今の若い人は一生懸命働いて、責任感を持って仕事をしても「負け組」に分類されてしまうような社会になりつつあることが問題なのです。一時自由人として組織にとらわれないような生き方が「格好良い」とされ、弱者を主張した方が責任を持って仕事をしている方よりも高飛車でいることが許されたからといって、「負け組」にならなかった人達が「負け組」とされてしまった人達に「自業自得」であるような感情を持つとしたら、それは誤りであろうと思います。
本日の題名はわざと「いやらしい表現」にしたのですが、今の社会は「当たらずとも遠からず」の面があると感じます。自分も含めて、勝ち組ではないとしても自分を「非負け組」と感じている人達は、「負け組」と感じている人達のことを完全に他人事と考えているように思います。マスコミも行政も政治家も結果として階級化しつつある日本社会をもとに戻そうとは思っていないようです。弱者がいばっているのは否な世の中ですが、格差の少ない均質な社会というのが日本には似合っていると私は主張します。