領海侵犯をした台湾遊漁船を沈めたとして海上保安庁は台湾人船長に正式に謝罪をし、補償を行うとした。謝罪とは罪を認め、相手の許しを請うことである。今回の早急な展開は、台湾政府が日本に対して強硬な態度に出たことで日本が慌てて問題解決を計ったことによるものだろう。
海上保安庁は法と規則に則り、現場は命がけで任務を遂行したにすぎない。そこには一点の誤りも罪の許しを請う必要性もないことは明白である。海保の船長も隊員達も自分達に落ち度があるなどとは夢にも思っていないだろう。彼らは自信と誇りをもって任務を遂行したと考えているはずである。従って今回の処置は現場のはるか上から、政治家と外務官僚が海保に対して謝罪をして幕引きをせよと命じた結果であると考えられる。
台湾に謝罪せよと命じた政治家と官僚に告ぐ、「お前たちの判断と行動は誤りである。」政治的にややこしい事態になっても、正しい行いをした者を謝罪させてはならない。お前たちもそれくらいの厳しさを持て。お前たちはここは一歩引いて下手に出ることが大人の対応だと思っているかも知れないが、それは大人の対応ではない。正しいことは正しいと突っぱねて、その後のややこしい事態を命がけでまとめあげるのがお前たちの役割ではないか。
今回台湾が強硬な態度に出たのは、背後に中国の影があることもわかる。日台離反を画策する試みもあるだろう。そんなことは後からいくらでも中国に対して裏から仕返しができるではないか。それが君たちの仕事だろう。
命がけで正しい行いをした者を安易に謝罪させることがどれだけ現場の士気にかかわることか考えたことがあるか。それが今後、日本の海の安全と治安の維持にどれだけ負の影響を残すか考えたことがあるか。「保安官達は日本の法に則り正しいことは大いに行え、後は俺たちが何とかする。」と何故言えない。この意気地なしどもめ!
自分達が悪くないのに謝罪することを繰り返せば、必ず日本人といえども堪忍袋の緒が切れる。前の大戦も庶民の感覚では、隠忍自重しすぎて一気に戦争に突入したのではなかったのか。お前たちはまた戦争になっても自分達が死にに行くわけではないからそれで良いと思っているかもしれない。死ぬのは未来の日本を背負う日本の若者であり、私の子供たちである。私は日本を戦争の道に進ませることは許さない。政治家よ、官僚よ、そのために命がけで外交をしろ、外交で日本の国益を守れ。そのばしのぎに安易な妥協と謝罪を繰り返し、再び日本が刃を抜かねばならないところまで追い詰められるような愚を繰り返してはならない。
当直をしていたある晩、明け方の4時に電話で起こされた。若い男の声で陰茎に発疹があるので診察してほしいという。明らかに緊急性はないため、翌日(といってもあと4時間後)の外来を受診するよう話して電話を切ろうとした。その男は「医者のくせに患者の訴えを十分に聞かず、朝になってからこい、というのはけしからん」とのたまう。私は逆に何故今診察してほしいと電話をしたのか尋ねた。男は今仕事が終わったところだからだと言う。さすがに私も切れて「世の中には社会常識というものがある、自分の仕事にあわせて緊急でもない診察をしろとは何事だ。」と怒った。当然である。男は医者の態度が悪いと言い、私の名前を尋ねた。私は名乗り、相手の名前も尋ねた。翌日の外来でその男が来たら、まず泌尿器科ではなく皮膚科の病気と考えられるから、院内依頼をださねばならず、また世の中の常識を再度説教せねばならないと考えて、順番を早めても私のところによこすよう受付に申し渡した。
その男は来たが、卑怯にも私の外来を避けて同僚の外来を受診し、案の定皮膚科の外来にまわされた。そしてその後、総務課長のところに行き、私の当直時の対応が悪いので謝罪するよう要求してきた。総務課長から電話があったとき、私はこちらに一切の非はなく、絶対に謝罪はしないこと、世の中の常識がわかっていないならば、社会人の先輩として説教をするから連れてくるよう話した。課長も私の剣幕に驚いたようで、その患者にはなんとかごまかして帰ってもらったようだ。まあこれは大人の対応のうちかも知れない。しかしどうしても私に謝罪をしろと課長が言ったならば私は裁判に訴えてでも謝罪はしなかっただろう。それくらいの矜持がなければ外科医など勤まらない。
マスコミが医療をたたいていれば、患者は王様、医療者は奴隷として、どんな苦情もこちらが悪いとして謝罪しなければならない、というのは誤りである。こちらが悪ければ謝罪をするが、相手が悪ければ突っぱねる、むしろこちらから苦言を呈する、それが社会のあるべき姿である。日本はいじめられっ子が反撃するとまるでとんでもないことが起こったように驚き、反撃した方をよってたかって攻撃にかかる。何故だまっていじめられていないのかと。空気を乱すなと。それは日本固有の間違ったあり方である。だから子供社会からもいじめがなくならないのだ。
国家どうしのありかたも個人間と同じである。国家同士も個人間も我を通せば軋轢が生ずる、だからといってすぐにナイフを抜いて殺し合いになどならない。お互いに理を主張しあい、妥協できるところは妥協して社会は回ってゆくのであり、はじめから理も話し合いも捨てて謝罪などしてしまったら、その後はナイフを抜いて殺し合いしかないではないか。
海上保安庁は法と規則に則り、現場は命がけで任務を遂行したにすぎない。そこには一点の誤りも罪の許しを請う必要性もないことは明白である。海保の船長も隊員達も自分達に落ち度があるなどとは夢にも思っていないだろう。彼らは自信と誇りをもって任務を遂行したと考えているはずである。従って今回の処置は現場のはるか上から、政治家と外務官僚が海保に対して謝罪をして幕引きをせよと命じた結果であると考えられる。
台湾に謝罪せよと命じた政治家と官僚に告ぐ、「お前たちの判断と行動は誤りである。」政治的にややこしい事態になっても、正しい行いをした者を謝罪させてはならない。お前たちもそれくらいの厳しさを持て。お前たちはここは一歩引いて下手に出ることが大人の対応だと思っているかも知れないが、それは大人の対応ではない。正しいことは正しいと突っぱねて、その後のややこしい事態を命がけでまとめあげるのがお前たちの役割ではないか。
今回台湾が強硬な態度に出たのは、背後に中国の影があることもわかる。日台離反を画策する試みもあるだろう。そんなことは後からいくらでも中国に対して裏から仕返しができるではないか。それが君たちの仕事だろう。
命がけで正しい行いをした者を安易に謝罪させることがどれだけ現場の士気にかかわることか考えたことがあるか。それが今後、日本の海の安全と治安の維持にどれだけ負の影響を残すか考えたことがあるか。「保安官達は日本の法に則り正しいことは大いに行え、後は俺たちが何とかする。」と何故言えない。この意気地なしどもめ!
自分達が悪くないのに謝罪することを繰り返せば、必ず日本人といえども堪忍袋の緒が切れる。前の大戦も庶民の感覚では、隠忍自重しすぎて一気に戦争に突入したのではなかったのか。お前たちはまた戦争になっても自分達が死にに行くわけではないからそれで良いと思っているかもしれない。死ぬのは未来の日本を背負う日本の若者であり、私の子供たちである。私は日本を戦争の道に進ませることは許さない。政治家よ、官僚よ、そのために命がけで外交をしろ、外交で日本の国益を守れ。そのばしのぎに安易な妥協と謝罪を繰り返し、再び日本が刃を抜かねばならないところまで追い詰められるような愚を繰り返してはならない。
当直をしていたある晩、明け方の4時に電話で起こされた。若い男の声で陰茎に発疹があるので診察してほしいという。明らかに緊急性はないため、翌日(といってもあと4時間後)の外来を受診するよう話して電話を切ろうとした。その男は「医者のくせに患者の訴えを十分に聞かず、朝になってからこい、というのはけしからん」とのたまう。私は逆に何故今診察してほしいと電話をしたのか尋ねた。男は今仕事が終わったところだからだと言う。さすがに私も切れて「世の中には社会常識というものがある、自分の仕事にあわせて緊急でもない診察をしろとは何事だ。」と怒った。当然である。男は医者の態度が悪いと言い、私の名前を尋ねた。私は名乗り、相手の名前も尋ねた。翌日の外来でその男が来たら、まず泌尿器科ではなく皮膚科の病気と考えられるから、院内依頼をださねばならず、また世の中の常識を再度説教せねばならないと考えて、順番を早めても私のところによこすよう受付に申し渡した。
その男は来たが、卑怯にも私の外来を避けて同僚の外来を受診し、案の定皮膚科の外来にまわされた。そしてその後、総務課長のところに行き、私の当直時の対応が悪いので謝罪するよう要求してきた。総務課長から電話があったとき、私はこちらに一切の非はなく、絶対に謝罪はしないこと、世の中の常識がわかっていないならば、社会人の先輩として説教をするから連れてくるよう話した。課長も私の剣幕に驚いたようで、その患者にはなんとかごまかして帰ってもらったようだ。まあこれは大人の対応のうちかも知れない。しかしどうしても私に謝罪をしろと課長が言ったならば私は裁判に訴えてでも謝罪はしなかっただろう。それくらいの矜持がなければ外科医など勤まらない。
マスコミが医療をたたいていれば、患者は王様、医療者は奴隷として、どんな苦情もこちらが悪いとして謝罪しなければならない、というのは誤りである。こちらが悪ければ謝罪をするが、相手が悪ければ突っぱねる、むしろこちらから苦言を呈する、それが社会のあるべき姿である。日本はいじめられっ子が反撃するとまるでとんでもないことが起こったように驚き、反撃した方をよってたかって攻撃にかかる。何故だまっていじめられていないのかと。空気を乱すなと。それは日本固有の間違ったあり方である。だから子供社会からもいじめがなくならないのだ。
国家どうしのありかたも個人間と同じである。国家同士も個人間も我を通せば軋轢が生ずる、だからといってすぐにナイフを抜いて殺し合いになどならない。お互いに理を主張しあい、妥協できるところは妥協して社会は回ってゆくのであり、はじめから理も話し合いも捨てて謝罪などしてしまったら、その後はナイフを抜いて殺し合いしかないではないか。