しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

障害児を与えられたという意味

2010年09月14日 | 日々の出来事・思うこと
子どもが赤ちゃんの時、障がいのある子どもが生まれたその意味を、「神さまが、あなたを見込んでこの子を与えたんだよ」っていう言葉をもらっって励まされたことがありました。

でも、実際に育てていた時、「冗談じゃない、見込まれたくないよ、見込み違いだよ・・」
こんな大変なこと、「見込まれた」なんて言葉で引き受けたくない
そんな無神経な言葉を言う人に、そして神さまに腹を立てていました。

でも、この夏、障がいのある27歳の長男ヒロと一緒に、あるミュージカルを観て「障がいのある子どもを与えられた意味」に思わずうなずいてしまいました。
それは、「YOU ARE SPECIAL」というミュージカルで、「ミトコンドリア病」という難病におかされた小口愛子ちゃんのお母さんの千尋さんが書いた日記をもとにつくられたものでした。

「もし人生の下見ができたなら、私たちの人生を選ぶ人はいないでしょう。
 人生の下見はできないかわりに、神さまは私たちに地図を与えてくださいました。
 それは聖書という完璧な地図です。

 まわり道を感謝します。 まわり道をするからこそ、見えること、出会えることがあるのです。

 もし、アスファルトの道をさっさと歩いてしまっていたら、何も見えなかったけれど、
 まわり道のガタガタ道だったからこそ、ゆっくり踏みしめて歩くことができるのです」

まさに、障がいのある子どもを育てた真髄がそこにあると納得したのです。