最近のデジタルカメラのおかげで、夫は山に行くと、たくさんの写真を撮ってくるようになりました。山の名前は良く知っている夫ですが、困ったことに山に咲いていた可憐な花の名前は全く分からず、せっかく撮った草花の写真を見ていてなんだか悲しくなってきました。
そう言えば、散歩に行っても、咲いている花の名前を、私も夫もあまり知らないな、と今更のように情けなく思い始めました。
「名前なんて知らなくたって、いいじゃないか」
確かに眺めて美しければそれでよいかも知れません。
でも愛するということは、名前を知ることから始まるのです。
好きな人ができたなら、まずその人の名前を知りたいと思うはずです。そのことに興味を持ったなら、まず名前を知ろうとするはずです。名前を覚え、それと実体とがしっかり結びついて、初めてそのものを知ることができるのです。
「主の御名を賛える」ということは、信仰の始まりです。
聖書のことも、教会のことも何も分からないと嘆かないで、まず「主の御名を賛える」ことで、イエスさまがどのような方かということが分かってきます。「主の御名を呼ぶ」ことで、イエスさまが、本当にここに私と共にいてくださっているのだということの確信を持つことができていくのです。
(写真は昨日夫が登った苗場山です)
そう言えば、散歩に行っても、咲いている花の名前を、私も夫もあまり知らないな、と今更のように情けなく思い始めました。
「名前なんて知らなくたって、いいじゃないか」
確かに眺めて美しければそれでよいかも知れません。
でも愛するということは、名前を知ることから始まるのです。
好きな人ができたなら、まずその人の名前を知りたいと思うはずです。そのことに興味を持ったなら、まず名前を知ろうとするはずです。名前を覚え、それと実体とがしっかり結びついて、初めてそのものを知ることができるのです。
「主の御名を賛える」ということは、信仰の始まりです。
聖書のことも、教会のことも何も分からないと嘆かないで、まず「主の御名を賛える」ことで、イエスさまがどのような方かということが分かってきます。「主の御名を呼ぶ」ことで、イエスさまが、本当にここに私と共にいてくださっているのだということの確信を持つことができていくのです。
(写真は昨日夫が登った苗場山です)