しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

村の鍛冶屋

2013年09月11日 | 信仰 平和
「村の鍛冶屋」という唱歌は、大正元年にできたといわれていて、作曲者も作詞者も不明です。
頑固一徹の村の鍛冶屋のおやじが、朝から晩まで仕事に精出すという歌です。
鍛冶屋という仕事も現代では本当に珍しいものになっているのでしょうけれど、もともとは武士の時代に武器の生産をしていた「刀鍛冶屋」「鉄砲鍛冶屋」のことでした。

この歌は、時代と共に色々変わっていったのだそうです。
戦時中は武器の生産のために精をだす鍛冶屋の姿が歌われたようですが、戦後は料理道具や農具を作る「野鍛冶」の姿を歌う歌詞に変化しました。
今、歌いつがれている「村の鍛冶屋」の3番は、本当に素晴らしい、平和を祈る歌詞となっています。

3.刀はうたねど、大鎌小鎌(おおがまこがま)
  馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)、鋤(すき)よ、鉈(なた)よ
  平和のうち物 休まずうちて 日ごとに戦う、懶惰(らんだ)の敵と

この歌詞を読んで、旧約聖書イザヤ書2:4,5を思い出しました。
『彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする』

道具を作る者の立たされた時代・・・先日観た「風立ちぬ」もそうでしたが、戦時中には武器なんて作りたくないと思っても、それが許されない不幸な運命の中に生きなくてはいけない鍛冶屋もいたことでしょう。
でも、戦争が終わった時に歌われたこの「村の鍛冶屋」は、武器ではなく平和を造りだす生活の道具を作るために、鍛冶屋たちは汗水たらして働いている様子が伝わってきます。

そしてその時の敵は、「相手」ではなく、「懶惰の敵」、すなわち自分自身の中にある「怠け心」という敵と戦いながら日毎働く姿に、心打たれる思いがしました。