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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『育つ雑草』

2015年07月14日 23時14分10秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『育つ雑草』(2004年10月27日リリース UNIVERSAL SIGMA )

 『育つ雑草(そだつざっそう)』は、鬼束ちひろ(当時24歳)の11thシングル。ユニバーサルミュージックへの移籍後第1弾シングル。
 タイアップ企画のないシングル作品はデビューシングル『シャイン』(2000年)以来であり、鬼束によるセルフプロデュース作品となったのは、本作のみである。オリコンウィークリーチャート最高10位を記録した。

 鬼束は、10月27日の『育つ雑草』リリースと同時に、体調不良による年内の休養を発表。予定していた TV出演や雑誌インタビュー等も全てキャンセルし、事実上の活動休止期間に再び入った。翌2005年1月31日には、移籍したばかりの音楽事務所 Sony Music Artists とのマネジメント契約をわずか9ヶ月で終了している。
 後に2007年に行われたインタビューにおいて、鬼束は、「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない。」、「何か問題やトラブルがあった訳ではない。」、「もっともっと休む時間が必要だった。」と語っている。
 なお、休養期間を挟んで3年後にリリースされた4thアルバム『 LAS VEGAS 』(2007年)には『育つ雑草』は収録されず、アルバムバージョンとして新録音された『 Rainman 』が収録された。


収録曲
作詞・作曲・プロデュース …… 鬼束 ちひろ

1、『育つ雑草』4分07秒
 かつての路線とは全く異なり、ピアノを排除し、ストリングスを起用した楽曲となっている。リリースに先立ち、2004年9月20日に東京・日比谷野外大音楽堂で開催されたライブイベント『 SWEET LOVE SHOWER 2004』にシークレットゲストとして出演した際には、かつてのナチュラルメイクに裸足といった印象から一変して、黒髪に真っ赤な口紅とブーツ、ミニスカートという、これまでになくロック色を強めた出で立ちで登場した。
 2004年7月のレコード会社移籍からリリースの10月までの約3ヶ月間と、制作期間が極端に短かったこともあってか、このシングルのみプロモーションビデオが全く制作されていない。
 音楽家の菊地成孔(なるよし)は自身のコラムにおいて、作品の世界観や歌唱法を宗教性と絡めて酷評した上で、本作を「完全迷走状態で面白い。」と断じている。

2、『 Rainman 』3分39秒
 初めて鬼束自身によるピアノ弾き語りを披露した楽曲で、全編英語詞である。録音の観点から見ると、オーバーダビングが施されている部分があり、ボーカルにエフェクト効果を持たせた楽曲としても本作が初めてだった。
 後に4thアルバム『 LAS VEGAS 』で、小林武史のプロデュースによるアルバムバージョンが新録音されている。


 きたきたきた! ついにこの曲のところまできちゃいました!! 伝説の秘曲『育つ雑草』。

 上述のような境遇であるため、この直後にリリースされた2作のベストアルバム(羽毛田プロデュース作品)にも、数年後にリリースされた小林武史プロデュースのアルバムにも収録されていないという悲劇の一曲です(カップリングの『 Rainman 』は小林プロデュース時代に新録収録)。いとかなし……

 この『育つ雑草』って、確かにまぁ傑作とは言い難い部分もあるのですが、もしかしたら、私がいちばん愛着のある作品かも知れません。「一番好き」でもないし、カラオケで好んで唄うってわけでもないのですが。

 まず個人的なことを話しますと、この『育つ雑草』がリリースされた2004年当時に私が受けた衝撃はかなりのものでした。
 その頃、私は音楽雑誌を読んでアーティストの動向をチェックするというほど音楽好きでもないものの、部屋にいる時はなんとなく『カウントダウンTV 』みたいな音楽番組はつけっぱなしにしておくし、ヒマな時は CD屋さんをほっつき歩いて新譜を眺めるという感じのゆるい生活を送っており、鬼束さんに関してはアルバムは3枚、シングルは直近の『私とワルツを』を持っていたか程度の注目具合だったのでした。
 それで、1年ぶりに新曲出したんだ~、みたいな感じで『育つ雑草』のジャケットを観てみたら、あの眉ぞりパンダ目のかんばせでしょ!? ビックラこきましたね~。
 しかも、上の記述でも言及されている日比谷野音のライブステージも TVで観たんですよね、確か。

 いや、もう鬼束さん、どうしちゃったの!? と。度肝を抜かれてしまったわけです。闇堕ちというか……それまでの鬼束さんの羽毛田プロデュース時代の作品群と比較してみたら、まさしく「堕天」ですよね。あのライブステージの、いっぱいの観客の異様な沈黙が忘れられない……

 あの時期に、『育つ雑草』という作品が生まれてしまった経緯は、前後の鬼束さんを取り巻く状況からも類推できそうですし、実際にご本人も何らかの媒体で語られているのかもしれませんが、それはそれとしまして、この記事では純粋に楽曲としてのシングル『育つ雑草』に収録された2曲から得られる雑感を、のんべんだらりとつぶやいていきたいと思います。別に鬼束さんの伝記を作るつもりもない個人ブログなんで、許してちょーよ!

 まず『育つ雑草』なのですが、私がなんでこの曲が好きなのかといいますと、歌詞の内容のどれ一つとして整合性の取れている文言がないという、この矛盾さ加減と、修飾がほぼない余裕のなさを非常に正直に作品にしてしまっていること! この、「今こんな感じ! おしまい!!」みたいな思い切りの良さにズキュウゥゥンと胸を射抜かれてしまうからなのです、何度聴いても!!

 「稼がなきゃならない」と現状への覚悟を持ちつつも「前へ前へと押されて行く」と不可抗力でやってますみたいな言い訳もするし、今の自分が「野良犬」のようだと分析していながらも「綺麗だと何度も言い聞かせて」生きている。「落ちるように浮き上がる」、「始まりも終わりもない」、「私はフリーで 少しもフリーじゃない」という矛盾に満ちた言葉を続けた上で、しまいには「よみがえり 再生するため 私は今 死んでいる」という極めつけの文句を宣言するわけなのです。キてるなぁ~!!
 この、「今 死んでいる」という言葉は、決して「死んだ」という完了形ではなくて現在進行形であるわけです。ということはつまり、たまたま今は死んでいるというだけなのであって、ある時期が来れば「よみがえり 再生する」フェイズに突入せんとする火種は、確かにこのハートに残しているゾというわけで、ここらへんの復活ありきの死生観は、この作品がなんだかんだ言いつつも、過去の羽毛田プロデュースからさほど変わっていない鬼束さんの宗教観に根ざしていることは明らかなのです。やっぱりここでも、鬼束さんは「 GOD'S CHILD」なのだ!

 ただ、これはキリスト教的というよりも、なんだか「舞踏とは 命がけで突っ立った 死体である」という、芸術家の業を感じさせるかの土方巽の至言を連想させるものがあります。
 若干24歳のみそらで、鬼束さんの身に降りかかった難業が一体いかほどのものだったのかは知る由もないのですが、「生活」と「芸術」だとか、「愛」と「エゴ」、「創造」と「破壊」といった様々ないとなみの板ばさみになった状況を素直にぶっちゃけたこの『育つ雑草』は、構図を計算しつくした絵画作品やアート写真のような美しさは全然ないかもしれませんが、ブレブレになりつつも被写体の「生きるためのあがき」を克明に記録した戦場写真のような稀少さがあると思うのです。これを「迷走状態」と言うのは、ちょっと違うと思います。正しいルートを走ることにこだわらずに全身汗みどろで、無明の闇を疾走しているのです。
 歌詞が幼稚だとかムチャクチャだとか評するのは簡単だとは思うのですが、そうやってこの作品をけなせるのは、人生で一度もテンパりまくって言動が幼稚になったり周囲に迷惑をかけたりしたことのない人だけですよ。うおっ、またキリストか!

 要するに、常に矛盾の中に生きていて、苦しみながらさまよっているのが人間。それを、決してスマートかつ耳障りの良いやり方ではないにしても、綺麗ごと一切なしできわめて正直な態度で提示した、まるで黙示録かお寺さまの地獄絵図のような歌。それこそが、この『育つ雑草』だと思うのです! だから、それを聞かされた日比谷野音のお客さんがたはお通夜のような静けさになってしまったのか……納得!!

 そういう意味で言えば、この『育つ雑草』は鬼束さん史上初の「仏教要素」が入ってきた作品なのかもしれませんね。人の世の不条理を、我が身の矛盾をありのままに受けとめよう、でもできない……そういったぐずぐずの状態をそのまんまお皿に乗せて提供してしまった『育つ雑草』は、日本歌謡界史上に残る「ドロドロ巨神兵」メニューなのです! 大好き。

 確か私、鬼束さんの『嵐ヶ丘』で特撮怪獣うんぬんの話をしたと思うのですが、この『育つ雑草』の意図的な醜さ、体裁の悪さは、おもに円谷プロの昭和ウルトラシリーズで定番の風物詩となっている、「着ぐるみくったくたの再生怪獣たち」のすがすがしいまでのカッコ悪さを彷彿とさせるものがあると思います。知らない人には伝わらないと思うのですが、『帰ってきたウルトラマン』の2代目ゼットンとか、『ウルトラマンA 』の2代目ムルチとか。扱いがひどすぎる!!
 その中でも、私は特に『ウルトラマンタロウ』における「改造巨大ヤプール率いる再生怪獣・超獣軍団」の生き恥のさらし具合を、この『育つ雑草』のテンションにオーバーラップさせずにはおられません。いや、ほめて言ってるんです! 信じてください山中隊員!!
 本人(本獣)の名誉のために付言しておきますと、その中でも見てくれは別として改造ベムスターだけはウルトラマンタロウをボッコボコにする大戦果を挙げているのですが、残りの改造サボテンダーと改造ベロクロンⅡ世、そして首魁の改造巨大ヤプールのダメダメっぷりは、大いに涙を誘うものがあります。たった1年前にはあんなにカッコいい強敵だったのに、なんであんな惨状に……それだけタロウと ZAT(とスーパー海野青年)が強すぎたというだけなのかもしれないのですが、この「一度死んだ者たち」の執着だけで再び立ち上がったボロボロのみにくさに、言い知れぬ感動をおぼえてしまうのです。え、私だけ!?

 特撮の話はいい加減にしておきまして、要するに私は、『育つ雑草』の整合の取れなさに、完成度の低さでなく、「見てくれにこだわらない覚悟」を、私は今死んでいると宣言する矛盾に、情緒の不安定さでなく「生を渇望する熱いエネルギー」を感じるのです。それが感じ取れるんだから、少々の声の細さなんか、どうでもいいじゃねぇか!? 誰に言っているんでしょうか。

 それにしても、かつてあの『 infection』にて「何とか上手く答えなくちゃ」とあがく主人公の舌に増えていくと唄われていた「雑草」そのものに、まさか主人公がメタモルフォーゼしてしまうとは。でも、これも決して退行や衰微などではないのです。生きることは、忘れること。生きることは、死を思うこと! 堕ちることを受け入れ、呑み込み、育てよ雑草!!

 さて、お次はカップリングの『 Rainman 』のシングルバージョンなのですが、こちらは『育つ雑草』からは一転して、ピアノの弾き語り形式というシンプルで落ち着いた曲になっています。
 ただ、だからといって『育つ雑草』とのバランスがとれていないという訳では決してなく、『育つ雑草』の状態から、ふと視線を窓の外にやったら『 Rainman 』が始まるみたいな、絶妙に肩の力のぬけた「緊張と緩和」がひと続きになった姉妹曲になっているのです。
 私は死んでいる! でも必ず生き返ってやる!! だけど今どうしたらいいのかわからない……と心の中でぐだぐだ煮こごっていても、地球は普通に回っているし、雨も静かに降り続けているのだなぁ、という諦念を身軽につづっている『 Rainman 』の存在は、『育つ雑草』の息苦しさに対する救いの一作でもあるし、『育つ雑草』に面食らって少なからず当惑する人もいるだろうしなぁ、という鬼束さんのまごころあふるる気遣いを強く感じさせるカップリング選曲になっているのです。くぅう~、ジャケットであんなにワルぶっておきながら、2曲目にこういう歌を入れてくれるんだもの、だから鬼束さんのこと、放っておけなくなっちゃうんだよなぁ!!(当時)

 こういう感じなので、一聴するとこの11th シングルは、かなりギリギリの制作期間に追われたために、不完全状態ながらもやむなく世に出されたという「望まれなくして生まれた忌み子」みたいな評価を受けがちな作品かと思うのですが、さすがそこは鬼束さん、シングル10枚にアルバム3枚を出しているプロの歌手の腕は錆びちゃいねぇと言いますか、その逼迫感を逆手にとって、『育つ雑草』と『 Rainman 』のニコイチでひとつの完全な作品にするという、シングル形式ならではの戦法を採ったのではないでしょうか。コンセプトアルバムならぬ、コンセプトシングル。

 だからこそ、『育つ雑草』単体は矛盾の塊ですし、それだけを抜き出して評価することにさほどの意味はないのです。『育つ雑草』と『 Rainman 』で、ひとつのメッセージ。こう考えれば、2010年の3rd ベストアルバム(にして初の本人公式ベストアルバム)まで長らく再録されていなかった理由もわかるのではないでしょうか。決して、『育つ雑草』の出来がよくないから冷遇されていたという訳ではないのです。それだけで独立した作品にはしなかった、ということなんですね。

 つまり、鬼束さんが『育つ雑草』で「もう必要もない あらゆる救済」と唄っておきながら、そのすぐ後の『 Rainman 』の中で自分に寄り添ってくれる Mr.Rainmanの存在を必要とし感謝しているのは、全く矛盾していることではないのです。だって、同じ一日の中でこんな風に感情が正反対になるのなんて、悩みながら生きている人間ならばごくごく当たり前のありさまではないでしょうか。そういう意味で、この2曲は互いを補完し合っているのです。

 とは言いましても、この『育つ雑草』のインパクトが世間に与えた影響は非常に大きかったようで、これ以降、鬼束さんは日本歌謡界の第一線のシーンからは別の界隈に身を移したような感があります。そういう意味で、この11th シングルは非常に大きな分水嶺になったのではないでしょうか。『育つ雑草』についてこられない方はここまで、みたいな。今でも、鬼束さんのファンになろうとするわこうど達にとっては、一種の踏み絵のような存在になっているのかも!? 鬼束さんの鬼子、『育つ雑草』!!

 でもものは考えようで、これをもって鬼束さんは、売れ線アーティストたちのひしめく、生き馬の目を抜くような果てしないレースから身を引くことができたのかもしれません。その後の鬼束さんのオンリーワンなご活躍をかんがみれば、これで良かったのかも知れず。人生、何がきっかけになるものなのか、わからないものですね。

 私も今後の人生の中で、幾度となく心身ともに打ちひしがれて、この『育つ雑草』が脳裏に鳴り響くトラブル、災難に見舞われることと思います。
 でもそのたびに、私の些細な問題なぞ比較にもならない大きさのプレッシャーに徒手空拳、ノドひとつで立ち向かった、24歳の鬼束さんの「日向かぼちゃ」な雄姿に勇気をもらうんだろうなぁ。

 鬼束さん、いつもありがとう! 感謝感激、rainy day!!
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在りし日の名曲アルバムextra  鬼束ちひろ『シングル BOX』

2015年07月09日 21時48分12秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『シングル BOX』(2004年3月17日リリース 東芝EMI )

 『シングル BOX(シングルボックス)』は、鬼束ちひろ(当時23歳)のシングル CDをまとめた、CDボックスパッケージセット。
 デビューシングル『シャイン』から東芝EMI 在籍最後のシングル『私とワルツを』までを一括パッケージ化して再発売した作品。品番が違うことと帯が付属していないこと以外はオリジナル盤と変更はない。
 初回生産の限定購入特典として、オリジナル CDキャリングケースが付属する店舗もあり、「鬼束ちひろスプリングキャンペーン」の一環として発売された。
 もともとこの時期には、オリジナル4thアルバムと、7thシングル『 Sign』から10thシングル『私とワルツを』までのプロモーションビデオに8thシングル『 Beautiful Fighter』のライブ『 UNPLUGGED SHOW '03』での歌唱映像(後にベストアルバム『 SINGLES 2000-2003』の初回限定盤 DVDに収録)を収録した DVDソフトの同時リリースを予定していたが、制作上の都合により発売が中止され、代わりに差し替えられての発売となった。本作は、本人の意思と全く関係なく発売されたため、東芝EMI 傘下の Virgin TOKYOのレーベルサイトや自身のオフィシャルサイト上で、本人の意向による発売ではないとの声明文が掲載された。なお、のちの2008年におけるインタビュー記事で鬼束は、「当時のレコード会社との契約上の問題で発売したもので、発売に関して異論があった訳ではなくただ単に関与しなかっただけ」と語っている。
 なお、本作はボックス仕様のためオリコンではシングルチャートではなくアルバムチャートで扱われ、オリコンウィークリーチャート最高106位を記録した。


収録曲
※()内の楽曲はカップリング曲
1st『シャイン( BACK DOOR)』
2nd『月光( Arrow of Pain)』
3rd『 Cage( Ash on this road)』
4th『眩暈 / edge』
5th『 infection / LITTLE BEAT RIFLE』
6th『流星群( Fly to me)』
7th『 Sign(ダイニングチキン)』
8th『 Beautiful Fighter(嵐ヶ丘)』
9th『いい日旅立ち・西へ(月光2002年ライブバージョン)』
10th『私とワルツを( Rebel Luck)』

≪当時の時点でアルバム収録されていなかった楽曲≫
『シャイン(シングルバージョン)』、『 BACK DOOR(シングルバージョン)』、『 Ash on this road』、『 Fly to me』、『 Sign』、『ダイニングチキン』、『 Beautiful Fighter』、『嵐ヶ丘』、『いい日旅立ち・西へ』、『月光(2002年ライブバージョン)』、『私とワルツを』


 ……これ、感想をうんぬんする必要、ないよね!?
 だって、まごうことなき、「単なる再発売セット」なんですもんねぇ。特別、新録特典があるとかいうわけでもないし。
 デビューから20年くらい経ってる大ベテランが、入手困難になりつつあるデビュー当時のシングルをまとめて再発! とかだったら多少の需要もあるのでしょうが、たかだか3~4年前からのシングル集なんて、ファンならたいてい揃えてるでしょ!
 これをもって「鬼束ちひろスプリングキャンペーン」とするとは大した商魂であるわけなんですが、売り手側の、「だって新作ができないんだもん……!」という怨念のこもった声が聞こえてくるようです。

 事情を全く知らないファンからすれば、名曲『 Sign』と『私とワルツを』を収録した4thアルバムを早くリリースしてよ~! とじりじりしているタイミングでこれなんですから、どこからどう見ても、鬼束さんと周辺の人々との間でなにやら良からぬ暗雲がたちこめていることは明白なのでありました。
 上記のように、後年の鬼束さんは「どうしてもあの時期になにか商品をリリースしなければならなかったからそうしただけ。」という当たり障りのない発言をしていますが、2004年3月の時点で鬼束さんに4thアルバムを世に出す意思がなかったという状況は、いかにも異常ですよね。だいたい1年に1枚という勤勉なペースでフルアルバムをリリースできていたお人がピタッと制作を止めちゃうんだもんね。
 確かに声帯結節という不測の事態はあったわけなのですが、手術後に『私とワルツを』も無事録音してリリースしているわけなんだし、2004年の前半に新アルバムをリリースできておかしくはなかったはずなのですが……

 私は別に音楽業界の事情通でもないし、ましてや鬼束さんの半生をドキュメンタリーチックに調べ上げたいわけでもないので、ここらへんの経緯を詳しく知る必要もないのですが、やっぱり、当時ノリにノッて円熟の域に達していた鬼束さんのオリジナルアルバムが世に出なかったのは、日本歌謡史上の大いなる損失ですよね。のちのちいくらベストアルバムが出て『 Sign』や『私とワルツを』が拾われたのだとしても、覆水盆に返らずなんだよなぁ!

 とは言いつつも! このシングル BOXは、個人的には私がこのような誰に読んでもらうでもない記事企画を立ち上げた直接のきっかけとなった作品でありますので、さすがにそれを無視するわけにはいかんだろうと。
 つっても、いちおう曲がりなりにも、10枚の歴代シングルについてはぜんぶ語っちゃったしなぁ。どうしましょうかね。

 とりあえず、10枚のシングルに収録された20曲の中での、個人的ベスト10を選んでみましょうか。これぞまさしく、傍若無人な個人ブログの愉悦!!

≪凡庸企画! そうだいが勝手に選ぶ初期鬼束さんの楽曲ベストテン!!≫
第1位 『 Sign』 ……やっぱ、唄ってる本人が楽しそうなのがいちばんよね。
第2位 『ダイニングチキン』 …… 冬の夜空を思わせる凍える世界。だが、そこがいい!!
第3位 『 infection』 …… 内なる壮絶な闘いの具現化! ひとり『プライベート・ライアン』!!
第4位 『私とワルツを』 …… 優しいからこそ、泣いてしまう。これが人間の謎。
第5位 『月光』 …… なんだかんだ言っても、やっぱりここに帰ってきてしまう。
第6位 『 Fly to me』 …… 平穏な中に一滴の薄墨のように忍び込む不安が。
第7位 『 Rebel Luck』 …… 一歩一歩前に進もうとする強さが伝わる名曲。
第8位 『 Beautiful Fighter』 …… 発音はなんかヘンだけど、本人はノリノリだから、いっか。
第9位 『 Arrow of Pain』 …… 「なんで射ったあたしが痛いの!?」って血だらけで言われても、ねぇ。
第10位 『流星群』 …… 非常にまろやかな名曲。

 『嵐ヶ丘』は歌詞は本当に大好きなんですけれどね。ケルティックサウンドのクセがちょっぴり悪目立ち、というか。
 私のベスト10はこんな感じです。そこのあなたは、どんなランキングになりますか?
 さぁ、このランキングにこれ以降の鬼束さんの楽曲の数々がどう食い込んでいくのでしょうかね~。楽しみではありますが、最後の作品の記事の完成は、いったいいつのことになるのやら~!?

 あと、そうだな……あっ、じゃあ、シングルジャケットの鬼束さんの変遷もまとめてみましょうか、せっかくだし。

≪需要が無いとは言わないが……初期鬼束さんのシングルジャケットビジュアル史≫
1st …… 金髪、顔は真っ青でやや上方を見ている。
2nd …… 紫ワンピでもたれかかり、真正面に目線。
3rd …… 茶髪で階段に座り、真正面に目線。
4th …… ピンクのサマーセーターで屋外にいる。横顔。
5th …… モノクロで風に髪を巻きあげられ、表情は見えない。
6th …… 茶髪ゆるやかソバージュで上方を見ている。
7th …… ボブカットにピンクのシャツでやや顔を横向きにして、真正面に流し目
8th …… 茶髪セミロングで黒のジャケット。真正面を見ているようで微妙に目線を上に。
9th …… 花と顔アップのイラスト
10th …… 紫の薄手ドレスに茨の冠をして、真正面に目線。

 まぁ、やっぱりきれいなお方ですよね。目力があるある。でもだからこそ、何気なくふっと視線を横にそらした瞬間をとらえたような4th『眩暈』のジャケット写真がいちばんステキな気がします。目をそらしたぞ、今だ逃げろ!! みたいな。ヒグマ並みの眼光ですから。
 こう見てみるとやっぱり、アルバム『 Sugar High』もそうなんですが、『 Sign』での異様に冷たい鬼束さんの視線が、作品の内容とミスマッチになっているようで不思議です。それはまぁ一部のファンにはたまらない表情ではあるのでしょうが、なんでそんな方向性なの? この齟齬はなんなんでしょうかね。まさか作品ができてないうちに撮っちゃった、ってわけでもないだろうし。

 でも、大ヒット曲『月光』で「 I AM GOD'S CHILD」って唄っていた鬼束さんが、初期最後のシングル『私とワルツを』のジャケットで茨の冠をかぶっているというのは、実に暗示的ですよね。結果的にそうなっただけとは言うけれども、『私とワルツを』には、単なる節目では片付けられない重要な何かが含まれていますよ。なにかしらの予兆は感じていたんだろうか。

 そんなこんなで、唐突ともいえる形で羽毛田丈史プロデュース体制での新曲制作を突然ストップさせてしまった鬼束さん。いったい、4thアルバムは出るのか、出ないのか? 『 Sign』とか『私とワルツを』はシングルリリースしかされないのか!?
 シングル BOXという「 THE お茶にごし」ではなんの解決にもならず……多くのファンの不安を引き延ばしにしたまま、2004年の春は過ぎてゆくのでありました。このままでは済まされないぞ……いったいどうなっちゃうの!?

 その先にあったのは……鬼束ちひろという活火山、古今未曽有の大・爆・発だった!!
 逃げろ皆の衆! 村はもうおしまいじゃぁあ!!
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え……引退してたの?  ~山中知恵さん、たいへんお疲れさまでございました~

2015年07月01日 23時26分43秒 | すきなひとたち
山中 知恵(やまなか ともえ)

 山中知恵は、日本のグラビアアイドル。1995年1月16日生まれ。東京都出身。身長160 cm。血液型 A型。
 2005年2月27日、10歳でジュニアアイドルとしてデビュー。姉は、同じくグラビアアイドルの山中真由美。
 2015年3月31日、所属芸能事務所チャームを卒業した。


 2015年3月21日の夜22時24分、山中知恵は自身の Twitterにおいて、3月をもって所属事務所であるチャームから卒業することを発表した。続けて翌22日の自身のブログにおいても、正式に卒業を宣言。

 ただし、翌月の4月19日には自身の DVD&Blu-ray(『肉感ボディ』)リリース記念イベントへの出演が決定していたし、3月16日には、自身もライブ配信サイト『 SHOWROOM 』において、近日中に沖縄でのロケーション撮影が予定されているような話をしていた。翌17日の姉・山中真由美の『 SHOWROOM 』配信にゲスト出演した際も普段と変わらぬ様子で、何かを思い詰めているような様子は全く感じられなかったという。

 所属事務所のチャームにとっても卒業は急な話だったらしく、3月18日には、翌4月25日に開催される東京・恵比寿でのアイドルイベントに山中知恵の出演が内定したと発表していた。つまり、18日の時点では山中知恵の3月いっぱいをもっての卒業は全く考えられていなかったということになる。さらには山中自身も、翌19日の昼ごろに Twitterで、前述した翌4月19日の DVD&Blu-ray リリース記念イベント出演の告知を自らしていた。このイベントは、卒業発表直後の23日に中止が発表されている。

 その19日の午後から21日夜の卒業発表までの約2日間、山中はツイートを更新していないため、おそらくこの間に事務所との話し合いがあり、卒業が決まったのではないのだろうか。

 2014年の山中知恵は、ロケも多く一見すると仕事が充実しているように見えるが、新規の雑誌での撮り下ろしグラビア掲載は『 FRIDAY 』と『 Option 』の2誌のみだったという。そして例年通りの『ヤングガンガン』や『ヤングアニマル嵐』でのグラビア掲載も、2013年のファン投票の結果を受けてのものに過ぎなかった。
 そして今年2015年は、3月までの段階で雑誌での撮り下ろしグラビアの仕事は全くなかった。

 山中知恵自身は、卒業発表に際して「円満」という言葉を強調しているが、今後の芸能活動については明言されていない。むしろ、Twitterにおける「みんなと過ごした10年間は絶対に忘れないからね。」という言葉からは、芸能界引退とも受け取られかねないニュアンスも感じられる。

 その後、山中は23日に『 SHOWROOM 』での開催が予定されていたイベント出演を取り止め、そのまま正式な卒業記念イベントはおろか芸能活動さえいっさい行わず、3月31日をもって契約期間満了という形で所属芸能事務所チャームを退社した。
 4月に入り、チャームに所属している、姉の山中真由美をはじめとする数名のアイドルのブログや Twitterで山中の卒業は語られたが、チャームの公式ホームページでは、卒業に関する発表は全くされなかった。
 4月1日、山中知恵のブログと Twitterは終了が告知され、数日後に削除された。これは、ブログが芸能事務所が使用料を負担する「芸能人・有名人ブログ」だったための処置と見られる。

 このように、山中自身は一貫して「所属していた芸能事務所の卒業」にとどまるものであると語っていたが、その後の4~6月に彼女の新たな芸能事務所への移籍といった動きはまったくなく、卒業後の4~5月にリリースされた新作写真集や DVD&Blu-ray(『恥じらいボディ』・『ファイナルボディ』)も、2015年の1月に撮影されたものであるため、卒業といいつつも事実上は芸能界引退である可能性が高い。


写真集
『だって好きなんだもん』(2006年5月 撮影・矢尾暢康 オークラ出版)
『 Etude 一つ大人になるための練習曲』 (2007年9月 撮影・野下義光 アイマックス)
『 Etude Part.2』(2008年4月 撮影・野下義光 アイマックス)
『世界のいもうと』(2008年9月 撮影・長谷部司 アイマックス)
『世界のいもうと Part.2』(2008年12月 撮影・長谷部司 アイマックス)
『純真無垢 ホワイトレーベル』(2009年2月 撮影・長谷部司 アイマックス)
『純真無垢 ホワイトレーベル Part.2』(2010年2月 撮影・長谷部司 アイマックス)
『14歳』(2010年12月 撮影・安藤青太 アイマックス)
『花鳥風月』(2011年4月 撮影・長谷部司 アイマックス)
『花鳥風月 Part.2』(2012年6月 撮影・安藤青太 アイマックス)
『18の夏』(2013年12月 撮影・長谷部司 アイマックス)
『烈情』(2014年5月 撮影・浜田一喜 アイマックス)
『恥じらいボディ』(2015年5月25日 撮影・長谷部司 ウーノ)


 ……7月という今さらなタイミングで知ってしまいました。引退してたのか! 引退……ですよねぇ、やっぱり。
 上記の、山中さんの今年3月に入ってからの一連の動きは、山中知恵さんで検索してたら、本人に関する情報に匹敵する速さでひっかかった、非常に熱心な彼女のファンと見られるお方のブログにおける記述を参考にさせていただきました。ほんとにもう、涙なしでは拝読できないような献身的かつ感動的、愛に満ち満ちたブログで……心から、ご愁傷様でございました! 今さらですが。

 そんなお方のブログを読んだ後で語るのも非常に不遜な話なのですが、私、山中知恵さんは好きなんですよ。でも、口が裂けても「ファンです。」と自称なんてできない程度の、うっす~い感じなんですけれども。

 実はわたくし、こんなタイトルの記事を作っておいてはなはだナンなのですが、「動いている」山中さんを観たことがほとんどなかった! というか、今回の遅すぎた事実把握にビックラこいていろいろ調べてみたさいに、チラッと映画の予告編みたいな映像のワンカットで、しゃべってる彼女を初めて確認したってくらいで、映画でも TVドラマでもバラエティでもインターネット動画でも、そして、なんと彼女が10年間のキャリアの中で実に「94本」もリリースしていたというイメージDVD&Blu-ray 作品でさえも、山中知恵という人物の仕事を拝見することはほぼゼロに近かったのでした。それにしても、声低いね~、この娘さん……

 じゃあなんでそんなに、山中さんの事実上の引退に衝撃を受けているのかといいますと、それは私がただ一点、「写真集」という媒体において、彼女の活躍をチェックして応援していたからなのであります。

 写真集! 写真集って、まぁ高いですよね~。高いくせに、本屋さんで試し読みって、できないのよねぇ~。
 でも、なぜか私はこの媒体、とっても好きなのです。

 私の場合、特に大学時代、写真集はよく買ってましたねぇ。
 それこそ、新品で買えば3000円前後するし、そのくせ家に帰ってビニール包装をやぶって開けてみたら「買うんじゃなかったー!!」と絶叫してしまいたくなる駄作をつかんでしまう、という経験も少なくなかったのですが、なーんか1ヶ月に1回くらいは、書店の写真集コーナーの前に仁王立ちして、他の同士たちとともに「今日ははずさねぇぞ……」と眼光を鋭くさせていた思い出があります。若かったとかじゃなくて、根本的にバカなんだねぇ。

 とは言いましても、さすがに最近、というか……だいたい私が30歳になった5年前くらいからは、それこそ山中さんのやつを年に1冊と、ハロー!プロジェクトのどなたかのもので、それも年に1冊くらいといった感じで、そんなに熱心には買い求めてはいません。

 だんだん買わなくなってきた理由はいろいろあるんですが、やっぱり、いちいち紙に印刷された写真がたかだか100ページくらい見られるものに3000円くらい払うのがバカバカしい社会になってきた……というか、それに影響されて私個人の価値観がケチになってきた、ということにつきるんでしょうか。

 不勉強な人間の思い込みになるので、詳しい部分は事実と異なるかもしれませんが、私の記憶によりますと、写真集と雑誌展開がグラビアアイドルのお仕事の中心に位置していたのは、まぁがんばって2000年くらいまでのことで、その後は、急速に「イメージ DVD(と、のちに Blu-ray)」にその覇権を取って代わられて現在にいたる、という趨勢になっていると思われます。
 要するに、動きもしなけりゃしゃべりもしない100枚くらいの写真に3000円払うのと、動きまくりしゃべりまくりの1時間30分くらいの映像に5000円払うの、どっちがいいでしょう? という話なんだと思うんですね。そりゃまぁ~、勝敗は明らかなんじゃないのでしょうか。
 しかも、写真集はかさばりますからね! いくら紙質を高級にしましたって言われてもよう、それで判が大きくなっちゃったら困るんだよなぁ~。後年にコンパクト版が出てましたけど、宮沢りえさんの『 Santa Fe 』の、あのでかさ!! 余裕のある時代、だったんでしょうねぇ。

 あと、山中さんの写真集はその戦略はとらなかったですけど、もう2005年くらいから、「アイドルの写真集にはメイキングDVD がついて当然」みたいな流れになっておりますでしょ? あれ、なーんか納得いかないんだよなぁ!
 いや、あったらあったで、そりゃいちおう観はするわけなんですが、10~20分くらいの特典DVD つけるんだったら、それをなくしてそのぶん値段を安くしてもらえないんでしょうかね? そこは紙媒体としてのプライドを高く持って、「動くのが観たい方は単体DVD&Blu-ray 商品のほうを、どうぞ。」っていう姿勢をつらぬいてほしいなぁって思っちゃうんですよ、どうせ同時発売するんなら! 実際どのくらい安くなるのかはわかりませんけど、「意識は高く、値段は安く。」なんて、すばらしいじゃないですか。なにをそんなに「3000円ライン」にこだわっているのかと!

 私が写真集が好きな理由は、やっぱり「それが本だから。」ということに尽きます。本は買う過程にドラマがある(なるべく見つからないよ~に……)、新品を開封した直後のあのインクのにおいがある、ページを手でめくる楽しみがある! そして、モデルになった方の立ち居振る舞いや声、性格、その写真集をリリースするにいたったキャリア、そして、その後の彼女の未来を想像する楽しみがある。写真を撮った背景のロケーションだって、モデルさんと同等に重要ですよね。暑そうとか寒そうとか、後ろの外国人のおじさんの視線がミョ~に気になるとか。

 私は映像だけの商品を買ったことがないので推測だけの話になってしまうのですが、そこらへんで、かなり簡単に「答え」がわかってしまうのって、あんまりそんなに好きじゃないんですよね。そういった先入観があるので、ついに私は DVDやBlu-ray を買うという流れには乗ることができなかったのでしょう。
 どんなにがんばったって結局10分くらいで観終わってしまう写真集にくらべて、映像商品は1時間30分なんですよ! しかも、山中さんなんかは、1冊の写真集におさめられた撮影で2~3本の映像ソフトをリリースしてるんでしょ? なに、その情報量の段違いの差!? そうすれば、どう考えたって映像ソフトのほうが内容のきめが細かいのは目に見えているんですが……買えないねぇ、いまさら。


 いいかげんにお話を戻しますが、つまるところ山中知恵さんの場合も、私は「アイドルとしての山中知恵」というよりは、「毎年かならず写真集を出してる、あの女の子」という程度のピンボケ具合で彼女を眺めていろんなディティールを想像しているほうが好きだった、ということになるのです。そりゃファンとは言えないよなぁ……熱心さがまるでありません。

 あまたいるグラビアモデルさんの中でも、私にとって山中さんが最も輝いて見えた点は、やはり本人が「何ができる」、「ここがすごい」という具体的な特殊技能ではなく、とにかく「可能性がものすごい」というところだったような気がします。まだまだ子供っぽくありながらも、確実に大人な女性になる時期は近づいている……そういう、それこそ次に写真集を出すときには、どんなメタモルフォーゼを遂げているのか予想もつかない、待ったなしの「時のうつろいのはかなさから生まれる美しさ」を誰よりも体現していたのが、グラビア写真というちっちゃなファインダーからのぞいた山中知恵さんのお姿だったわけなのです。

 だからこそ、私にははなっから、「山中さんが本当はどんな声をしているのか知りたい。」とか、「撮影会に行って本物の山中さんに会いたい。」という気分は存在していなかったのでした。好きではあったはずなのですが、そういう部分で、当時ちょくちょくコンサートに行っていた、旗艦モーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクト勢にたいしてとはまったく次元の違う思い入れになっていたのだと、自分で感じます。

 ただ、ちょっとかわいい10代中盤の女の子だったら誰でもいいってわけでもないですからね。あの当時の山中さんの魅力は、いったいなんだったのか……才能だったのか、努力のたまものだったのか。
 当然、すっかり成長して20歳になった山中さんも素敵な大人の女性になったのですが、そうなれば、もう二度と帰ってこないそこらへんの魅力でいくら評価されたところで、本人にとってはただひたすら、ないものねだりのリクエストをされてるみたいなもので、この先グラビアを続けていくのだったとしても、いい気分になるものではなかったかも知れないですし。
 あれって、痩せればいいって問題でもありませんからね。筋肉のつき方とか骨格の太さがまるで違っちゃってるんだもんね。それはもう、山中さんは大人になったんだから、あのころのことはもう言ってくれるな、って話だよなぁ。大人になった元子役の俳優さんに子役時代の話をふったって、そりゃ嫌がらせ以外のなにものでもないですよね。


 しっかし、山中さんの「10歳から20歳までグラビアやってました」っていうキャリアって、あらためてものすごいよな……世間だったら、まだ大学生の花盛りで社会の荒波なんかまだ知りませ~ん、で通る20歳の時点で、その道10年のベテランになっちゃってたわけですよ! 「20歳で引退」って、現役寿命が短いことでつとに知られるアイドル業界全体を見わたしてみても、それでもまだ早すぎる話です。

 ただねぇ、そうはわかっていても、「引退……するよねぇ、やっぱ。」という諦めムードというか、無責任に彼女を芸能界に引きとめようという気分にもなれない部分も、私は多々あります。

 つらいもんですよねぇ、まだ20歳なのに「ピークを過ぎた」とか、「かつては乙女、いまは太目」とか言われるのは。

 実際、私も正直に白状しますと、山中さんの最も好きな時期は2008~10年くらいになっちゃうのよねぇ。
 まぁ、そこらへんの彼女がおさめられている写真集は、千葉での一人暮らしを終える際にきれいさっぱり売っぱらっちゃったんで、もう手元に残ってないんですけどね……
 だってさぁ、『世界のいもうと』とか『14歳』なんてタイトルの本、実家に持って帰られるわけねぇじゃねぇか!! もはや30代なかばのおっさんには、「いかがわしい書物を秘匿する『学習机の引き出しの裏』」という夢空間など、残されてはいないのだ……まぁ、それもまるで秘匿できてなかったけどね。

 当時は私もそれらの写真集を眺めつつ、「いったい、いつブレイクするんだろう、この娘!? 今だと思うんだけどなぁ!」と待ち受けていたのですが、結局、歌もダンスも演技もひととおりやったという彼女のキャリアを見つける機会は、ついになかったのでした……哀しい!!

 芸能事務所の押し方が問題だったのか、彼女のやる気が問題だったのか。どっちかが0%でどっちかが100%ということは絶対にないと思うのですが、10年やったんですもんね。
 少なくとも、最後の写真集『恥じらいボディ』(これも本棚に置きづれぇ!!)を観るかぎり、このまま続けても、彼女の行く先の選択肢は相当シビアというか、はっきり言って「もう脱ぐしかない」という段階に追い詰められていたような気がします。だったら、完全なリセットなんて不可能かもしれませんが、スパッとリタイアするという選択肢に賭けてみようと判断した彼女の勇気も、20歳の娘さんとしてかなり立派なものだったのではないのでしょうか。だって、そのくらいの年齢のときに私がやった判断なんて、バイトやめるかとかこの写真集買うか買うまいかとか、そんなくらいの、他人様にとってはファッキンどーでもいいトピックばっか!

 それにくらべて山中さんの判断は、確実に何百人か何千人かの男性を悲しませてるんだもんねぇ。

 それにしたって、卒業宣言が最後の芸能活動っていうのは、どうかと思うんだけどな……4月以降も、過去に撮りためた映像ソフトやグラビアの電子書籍は断続的にリリースされてるわけなんですが、山中知恵さんは、ちゃんと卒業セレモニーくらいやるべきお方だったんじゃなかろうかとも思えるし、また、そこをやらずに逃げきってしまうところに、彼女らしさがあるような気もするし。


 アイドルに限った話じゃないんだろうけど、卒業とか引退のセレモニーがちゃんと用意されるかされないかって、けっこう大切なことですよね。狭いこの世界に生きている以上、「もうやーめたっ。」って言ったって、やめて迷惑をかけた方々にどこかで出くわすかもしれない可能性は残るわけなんでありまして、どうせ迷惑をかけるんだったら、それはまた出会っても笑顔であいさつができるように、しっかりとけじめをつけてさようならをしなければいけないんですよね。

 山中知恵さんは公式の場で、ちゃんと「卒業宣言」をしたにはしたのでしょうが、それが果たして、「グラビアアイドル山中知恵」としての10年間に幕を引くにふさわしいものだったのかどうか……
 ファンじゃない私が何を言ったってしかたがないのですが、それでもあえて言わせていただくのならば、「なにもそんなに自分を過小評価しなくても……」という印象はあります。納得は、いかないですよね。
 芸能界を引退したかったのならば、それならそうとちゃんと言ってほしかった気もするし。もちろん、本人に引退する気などさらさらない、単なる充電のための休業なのかもしれませんが、どっちにしたって、もっとぶっちゃけたほうが、世間の無用な詮索は少なくなると思うんだけどなぁ。


 ともあれ、10年間、しかも10歳から20歳という貴重な時代をグラビアにささげた山中知恵さんには、なにはなくともまず感謝の言葉しかありません。山中さん、今まで無数のすてきなショットをありがとう! ほんとうにお疲れさまでした!

 ……って、おっさんに感謝されてもなぁ。「おまえも、ちったぁ他人様に感謝されるくらいがんばれや!!」って話だよなぁ、まったく。
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『私とワルツを』

2015年06月28日 22時51分02秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『私とワルツを』(2003年11月27日リリース 東芝EMI )

 『私とワルツを(わたしとワルツを)』は、鬼束ちひろ(当時23歳)の10thシングル。
 東芝EMI 契約時代の最後にリリースされたオリジナル作品。羽毛田丈史プロデュースとしても最後の作品となる。前シングル『いい日旅立ち・西へ』に続き、本作も2003年9月に行われた鬼束の声帯結節手術の後の休養中にリリースされたため、本人が稼動するプロモーション活動はいっさい行われなかった。
 前作と同様にカップリング曲のレコーディングも行っていなかったため、3rdアルバム『 Sugar High 』(2002年)収録曲の『 Rebel Luck 』をカップリングにシングルカットして収録している。
 オリコンウィークリーチャート最高8位を記録した。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『私とワルツを』5分22秒
・テレビ朝日系木曜ドラマ『トリック(第3シーズン)』主題歌
 間奏にワルツのテンポを採用している。ちなみに、ドラマオンエアバージョン(初オンエアは2003年10月16日)のレコーディングは声帯結節の手術前に、シングル収録バージョンのレコーディングは手術後に行われているため、両バージョンで歌い方と編曲が違っている。

2、『 Rebel Luck 』4分18秒
 前年の3rdアルバム『 Sugar High 』からのシングルカット。


 ……ついにここまでやってきてしまいました。『私とワルツを』、非常に重要な名曲ですよね。この作品が、鬼束さんの「第1期」の締めくくりを飾るものであることは、衆目の一致するところなのではないでしょうか。鬼束さんが最初に所属した音楽事務所からリリースした最後のシングルになるので、そう見られるのもまったく無理はないのですが、まぁ、それは結果的にそうなったというだけであって、当時の彼女がそう予感していたのかどうかは……でも、曲を聞くだに、明らかに「なにかの終わりをうたう」作品として、これ以上ないくらいの完成度を持っているんですよね。まさに鬼束さんらしい繊細な感覚をもって、当時の制作環境に終わりが来ることを感じ取っていたのか、それとも、彼女自身が終わりにしようとしていたのか。

 作品としての『私とワルツを』をみる前に、この記念すべき10thシングルがリリースされるまでの状況を整理してみますと、どうにも不可思議な流れが前作の9thシングル『いい日旅立ち・西へ』付近から始まっていました。

2002年
12月 3rdアルバム『 Sugar High』リリース
2003年
5月 7thシングル『Sign』リリース
8月5~30日 ライブツアー『 UNPLUGGED SHOW '03』を挙行(大阪、東京、福岡、山梨の4会場4公演)
8月20日 8thシングル『 Beautiful Fighter』リリース
9月 声帯結節手術
10月16日 ドラマ『トリック 第3シーズン』の主題歌として新曲『私とワルツを』(録音は手術前)が初オンエア
10月29日 9thシングル『いい日旅立ち・西へ』(録音は手術前)リリース
11月 10thシングル『私とワルツを』(録音は手術後)リリース

 いきなり8月からスケジュールが殺人的な過密度に!! ご本人としては9月の手術以降は『私とワルツを』のシングル向け再録音までは休養できたのでしょうが、それも手術を直前に控え、ライブツアーでバタバタしてる最中にオンエア版の『私とワルツを』とか『いい日旅立ち・西へ』とかを録音したから休めたのでありまして……そうとう無茶をした夏だったのではなかろうかと。いくら23歳で若いとはいえ、ねぇ。
 それまではほぼ1年に1枚の勤勉実直なペースでアルバムをリリースしていた鬼束さんなので、この調子でいくと『 Sign』や『私とワルツを』といった名曲の数々を収録した待望の4thアルバムが2003年末から04年にかけて出るといった流れが理想的だったのでしょうが……現実はそうもいかず。ご本人の苦労なんか知る由もない当時のファンとしては、ぜひともリリースしてほしかったんだけどなぁ!

 それはともかくとして、手術後の2シングルのリリースが急ぎすぎですよね。しかも、どっちもカップリングが新曲じゃないという。じゃあ『いい日旅立ち・西へ』と『私とワルツを』の両 A面で良かったじゃないかと思っちゃうんですが、どうやら作品の内容よりも「商品数」をかせぐことが、事務所との契約上重要だったという節も見え隠れしているような。だからこそ、この直後にあの奇策『シングル BOX』も出たのだろうし。

 こんな感じで、休養中とはいえドラマのタイアップでもあるし……というていでリリースされた『私とワルツを』なのですが、まず、当時TV で毎週流れていた手術前録音の「オンエアバージョン」と、手術後録音の「シングルバージョン」とを比較してみましょう。
 今回、このために『トリック』第3シーズンの映像を観る必要が生じたのですが、さすがは天下のテレビ朝日さんと言いますか仲間由紀恵さんと言いますか、無料動画サイトでチェックすることはかないませんでした。だから買っちゃいましたよ、DVD セット! なつかし~。でも、ゴールデンタイムに昇格放送されたこの第3シーズンだけはちゃんと観てなかったんですよね。深夜帯放送の2シーズンはよく観てたんですけど。佐野史郎さんがゲストのサイ・トレーラーの話がいちばん好きでした。ぞ~ん!!

 さて、上記の Wikipedia記事によると「歌い方と編曲が違っている。」とされていますが、編曲の方はいかにもエンドロール用に楽曲を1分33秒に短縮しました、というだけで、演奏そのものに違いはほぼないと感じました。イントロまるまるカットで鬼束さんの唄い出しから始まり、1番の歌唱だけで後奏もばっさりカットで終わる感じですね。

 問題は鬼束さんの唄い方でありまして、これが不思議なもんで、最初は違いなんてほとんどないように聴こえるのですが、何十回も繰り返し聴くと、明らかな違いが「イラストまちがいさがし」のようにありありと浮かびあがってくるのです。いや~にしても、『私とワルツを』は何十回、何百回聴いても飽きないスルメ神曲ですね。いい!!
 オンエアバージョンを聞くと、確かに手術前の鬼束さんは声を長く伸ばすことに難を覚えていたらしく、途切れ際の声がかすれてしまっている点と、次の息を吸うブレスが多少ざらっとしている点が特徴となります。でも前作『いい日旅立ち・西へ』もそうだったのですが曲全体がサビ以外は低音を基調としているので、低い歌を唄うのならそうもなろうといった印象で、特に体調が悪いとは気づけませんでした。さすがは、プロ。
 それに比べてシングルバージョンは、まさに声の途切れる最後の0コンマ何秒まで、そしてその直後のブレスまでもがきっちりと計算されつくしているといった感じで、非常に整理されつくした音楽設計が行き届いています。その機械的とも見える冷たさが、サビの爆発を見事に引き立たせてくれるんですよね!

 ただ、ここが鬼束さんのおもしろいところなのですが、のどの使い勝手が良くなって思い通りに唄えるシングルバージョンのほうが全面的にいいってわけでもないんだなぁ。制約が多くてキツそうなオンエアバージョンのほうが歌詞世界をガッチリつかんでいると言える部分も多く、私個人は、オンエアバージョンのフルサイズもぜひとも聴きたかった!!
 特に、サビの序盤の「泣いてしまう」のとこ! オンエアバージョンのここがいいんだ!!

♪なぁいぃてぇ~ しぃいまうぅう~

 ここの、「しぃい」のところでの声のこぶし……とは言わないか、「ひねり」が最高なんですよね。ここは確かにシングルバージョンでもひねられてはいるのですがかなり浅く、オンエアバージョンではまさしく喉から絞り出すような苦しさをもって「泣いてしまう」と告白している姿をありありとイメージさせる切迫感があるのです。
 この1点の他にも、オンエアバージョンとシングルバージョンとの違いはまだまだあるのですが(序盤の「奇妙な晩餐」の「晩餐」のアクセントなど)、思うように唄えない以上、感情をむき出しにして闘わざるをえないという覚悟を持ったオンエアバージョンも、今現在のそう若くもなくなった鬼束さんのスタイルを予兆しているようで、なんともいえない味があるんですよね。これもこれで、すばらしい!
 いやほんと、かえすがえすもオンエアバージョンで最後まで唄い切る5分フルサイズが聴きたいものなのですが、実はドラマ『トリック』第3シーズンの最終回ではちゃんとフルサイズが流れていました。ただ、主人公の山田さんと上田さんによる、いつも通りのもどかしいやりとりが繰り広げられるなか流れているんで、ちゃんと聴けないという……2人とも、ちょっと黙っててくんない!?

 そんなこんなで話が長くなってしまいましたが、いよいよ肝心カナメの『私とワルツを』の作品世界に入っていきたいと思います。

 『私とワルツを』は、近くにいるはずの「あなた」に「わたし」の想いが届かず、「あなた」が去ることを確実に予感しつつも、せめて最後に「どうか 私とワルツを」と訴えかけるという物語を切々と唄いあげています。一人称の嘆き、叫びという形式は『月光』しかり『 infection』しかり、鬼束さんのド定番メソッドであるわけなのですが、「あなた」がかなりリアルにそばにいることを感じさせる「わたし」の語り口が、2人のこれまでの関係の濃密さと、それでも終わりが来てしまう運命のせつなさを、今までにない湿度で感じさせるヴィヴィッドさがあるんですよね。ただの焼き直しではないと!!
 ただ、そういった「わたし」の別れたくないという訴えが生々しくならないのが鬼束さん一流の作詞センスというか「品」のあるところなのでして、よくある歌謡曲のように「あなた」のこういう仕草が好きなの~とか、一緒に映画見るって言ったじゃない~とかいう、芸人さんのあるあるネタみたいな作詞法なんかとるわけもありません。下賤な!!
 「あなた」のそういった外面などスーッと通り越して心の内面を見透かす「わたし」は、

「誰にも傷がつかないようにとひとりでなんて踊らないで」
「きっとあなたは世界の果てへでも行くと言うのだろう」
「なぜ生きようとするの 何も信じられないくせに」

 と、ズビズバ「あなた」の心への問いかけを突きつけるのでした。この、あっという間に相手の「死に間」の中に入り込む素早さは、熟練の武芸者の硬軟自在な戦法を彷彿とさせるものがありますね。岩明均の名作『剣の舞』の疋田文五郎景兼とか上泉伊勢守みたい……

 「どうか私とワルツを」と幾度もせつなく「あなた」に訴えかけるその姿には、かつての『 everything,in my hands』や『 CROW』にあったような優位性はなく、『流星群』や『漂流の羽根』にあったような冷静な視点もなく。アルバムでいえば2nd『 This Armor』で「あなた」の課した心の鎧をゴトッと捨て去り、3rd『 Sugar High』でふわっと離陸する翼をそなえたはずの「わたし」も、この『私とワルツを』では、

「凍った鳥たちも溶けずに落ちる 不安で飛べないまま」

 というかたちで、再び地に堕ちる結果となるのでした。嗚呼、『 Sign』の高揚感は、いずこ……

 ただ、この「わたし」の墜落をもってして、「結局なんにも変わんないじゃないか。」とか、「またおんなじ問題ばっかあーだこーだグジュグジュこじらせて!」と断じることもできるのでしょうが、この苦悩、アップダウンこそが「人間」なのではないかと。歌手としていくら進化して成功をその手に収めようが、あくまでもカメラのファインダーは「人間の弱さ、矛盾」からはずさないという、この鬼束さんの腰のすわりようはどうですか……もう惚れちゃうなぁ! すわってんのは目だけじゃないんだなぁ。

 歌詞自体は、このように冷たく哀しみに満ちた厳冬の湖を思わせる凍てついた世界なのですが、やはり鬼束さんの唄いっぷりは見事と言いますか、サビにいたるまでの「それなら 身体を寄せ合うだけでも」のあたりのギアの上げっぷりが最高ですよね。おおっ、きたきたきたー!!という、徐々にテンションが上がっていく感じがたまりません。ガスバーナーの火の色が、低温のオレンジからコオオォォ~と超高温の青へと変わっていく感じですよ! 「溶けずに落ちる」とか言っていながらも、鬼束さんの歌声はその逆境をバネにして、間違いなく離陸しおおせてるんだよなぁ。実に鬼束さんらしいなぁ~。

 ところで、なぜ「わたし」と「あなた」が踊るのは「ワルツ」なのでしょうか。サンバやジルバじゃダメなのか? 音頭は? ボリウッドダンスは?
 そこはやっぱり、神聖ローマ帝国の遺風を継ぐハプスブルク帝国発祥の男女が寄り添うダンス「ワルツ」にある、古色蒼然としたわびしさというか、セピア色に褪せた感じがいいんでしょうかねぇ。でも、ヨハン=シュトラウス2世みたいな本場もんのワルツって、かなりアップテンポでハイテンションなんで、『私とワルツを』の間奏で流れるような感じともぜんぜん違うんだけどなぁ。2人とも息もたえだえで汗だくになるんじゃないのでしょうか。あっ、そういう意味でワルツなのか……?

 ひとりで叫ぶ『月光』、『 infection』系、「あなた」に温かく呼びかける包容力と飛翔力を持った『流星群』、『 Sign』系に続いて、今作の『私とワルツを』によってついに確立された、

なんだかんだ言っても「あなた」の重力で飛べない系!!

 鬼束ちひろさんの第1期は、「情熱 / 情念」と「解放 / 飛翔」と「重力 / 諦念」。この3つの次元を往還する作風と申してよろしいのではないのでしょうか。その最後のパーツたる「重力」を完成させたのが、東芝 EMI時代最後の『私とワルツを』であるというあたり、まるで計算され尽くした小説のようにきれいな流れですね。

 でも、これはあくまでも結果論なのでありまして、この名作『私とワルツを』が、これほどまでに重要なジャンクションになるなどとは、リリース当時鬼束さんご本人も露ほども思わなかったはず……ですよね? たぶん。

 さぁ、ここからいよいよ、誰もが予想だにしなかった世に希なる「迷走」が始まるのでありました。飛べない天才の、明日はどっちだ~!?
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『いい日旅立ち・西へ』

2015年06月24日 23時11分12秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『いい日旅立ち・西へ』(2003年10月29日リリース 東芝EMI )

 『いい日旅立ち・西へ(いいひたびだち にしへ)』は、鬼束ちひろ(当時23歳)の9thシングル。
 オリコンウィークリーチャートでは、同年にリリースされた7thシングル『 Sign 』に並ぶ自己最高の第4位を記録した。
 鬼束は、先立つ2003年9月に声帯結節の切除手術を受け、本作リリースの直前に同年内の休養を発表していたため、10月に予定されていたイベントライブも中止となり、本人が稼動するプロモーション活動はいっさい行われなかった。また、タイトル曲のレコーディングは手術前に済ませていたが、カップリング曲のレコーディングは間に合わなかったため、カップリングには『月光』のライブ音源が収録される運びとなった。
 谷村新司によるタイトル曲のセルフカバーは、コンピレーションアルバム『アリガトウ』(2003年12月リリース)と、42ndシングル『風の暦』(2006年9月リリース)に収録されている。

 翌2004年に、鬼束はデビュー以来契約していたレコード会社と所属音楽事務所を離れているが、2007年におけるインタビューによれば、移籍の発端となったのは2003年に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて、「『いい日旅立ち・西へ』のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた。」、「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた。」と語っており、所属事務所との作品制作に関する確執が起きていたことを示唆している。


収録曲
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『いい日旅立ち・西へ』(作詞&作曲・谷村新司)4分35秒
 山口百恵の代表的名曲『いい日旅立ち』(1978年11月リリース)のリメイク。作詞・作曲者である谷村新司のラブコールによって実現した楽曲である。カバーの際に JR西日本のキャンペーンソングとして起用されることが決まっていたため、原曲の歌詞を西日本を舞台に作詞し直している。谷村によると、「『いい日旅立ち』は北へ向かう心の内への旅、そして『いい日旅立ち・西へ』は西へ向かう安らぎの旅である。」という。
 原曲の『いい日旅立ち』は変ロ短調であるが、本曲はキーが1つ下げられ、イ短調になっているのが特徴である。

2、『月光 from ULTIMATE CRASH'02 LIVE AT BUDOKAN 』(作詞&作曲・鬼束ちひろ)4分40秒
 2002年11月に開催された日本武道館ライブ『 CHIHIRO ONITSUKA ULTIMATE CRASH'02』の音源を CD化したバージョン。



 なんとなくですが、「のちのちのいろいろの始まりになった」というような印象のあるシングルですね。

 大々的にキャンペーンソングとして発表された手前なのか、なぜ「新曲が1曲しかない」という中途半端な段階で、映画『風の谷のナウシカ』のドロドロ巨神兵みたいな(このたとえ本当に大好きです)状態でこのシングルがリリースされなければならなかったのか?
 非常に惜しい……もし鬼束さんの声の状態が万全で、この『いい日旅立ち・西へ』をカップリングか両A 面扱いにして別の新曲といっしょにドーンとリリースするような勢いだったのならば、鬼束さんのその後も、現在とはまったく違うものになっていたのではなかろうか。そんな儚い想像をいだいてしまう、まさに分岐点な1枚だと思います。
 せめて、オリジナル版の『いい日旅立ち』を鬼束さんが唄ってみて……みたいなレコーディングもできないくらいに、当時の鬼束さんのおノドはひどかったのでしょうか? よりによって、なぜ耳にタコができるほどに聴いた『月光』をつけたのか? なんでもいいから未発表曲のひとつでもなかったのか!? 『いい日旅立ち・西へ』が名曲であるだけに、なおさら悔やまれるこの組み合わせなのです。

 『いい日旅立ち・西へ』は、まさしく泣く子も黙る超名曲である『いい日旅立ち』の、実に四半世紀ぶりの「続編」ということになる作品であります。単なるカバーでもなくリメイクでもなく、かといって内容を前作とからめたアンサーソングでもないという、かなり不思議な「つかずはなれず」の関係にある続編ですよね。歌詞の中に前作との関連をにおわせるものはほとんど見当たらないのですが、『西へ』のほうの歌詞に「再びの風の中」というフレーズがあって、そこくらいがかろうじて前作の存在をちらほらさせる程度にとどまっています。

 前作と『西へ』との作品世界の違いを観てみますと、まずはっきりわかるのが、前作『いい日旅立ち』が各番でのサビ部分で繰り返し、

「母の背中で聴いた 歌を道連れに」(1番)
「父が教えてくれた 歌を道連れに」(2番)
「子どものころに唄った 歌を道連れに」(リピート部分)

 といった歌詞を用いて、唄う主人公のノスタルジックな感傷を具体的に描いているのに対して、『西へ』では一貫して、

「今も聞こえるあの日の 歌を道連れに」

 に統一して、あえて抽象的な言いまわしでまとめている、という違いではないでしょうか。
 これによって印象が変わってくるのが歌の「主人公」の年齢で、もちろん作中ではどちらも主人公の性別や年齢といった部分はまったく語られていないわけなのですが、やっぱり主人公が道連れにしている「歌」に関する情報が多い前作のほうが、主人公が若い印象になりますよね? それに対して、「今も」という時間の経過をほのめかす程度におさえている『西へ』のほうが、それなりに成熟した印象を与える、ような気がするのです。

 というか、前作のほうが若いというよりもむしろ「幼い」くらいのむきだしのおセンチを唄っているわけなのですが、これはもう唄い手の山口百恵さんが当時19歳だったのですからまったく無理がありません。えっ、今うっててビックリしたんですが、百恵さんあの歌声ではたち前だったわけ!? すごいなぁ~、つくづく。

 それに対して『西へ』を唄った鬼束さんは、当時23歳になったかならないかくらいなので年上は年上であるのですが、それにしても、実際に旅に出ている自分自身の心情はほとんど語らずに、ただひたすら「遥かなしまなみ」「錆色の凪の海」「セピアの雲」「朝焼けの風の中」といったシブい情景描写をつらねていく『西へ』の世界は、20台前半とはとても思えない達観した精神年齢を感じさせるものがあります。

 そこらへんを、作詞した谷村新司さんのそれぞれの制作時期での年齢から考えてみますと、前作では30歳手前で自身のソロ歌手としての活動も軌道に乗ってきたタイミングでの、新境地に挑む楽曲提供ということで、百恵さんが唄うという前提をそうとう加味した歌詞になったかと思われるのですが、『西へ』のほうは、もはやそんな遠慮はまったくせずに、54歳のひとりの作詞家としての自分を存分に投影した人物を主人公にしているような気がします。そこに鬼束さんが唄うという点についての配慮は、一見するとまるで払われていないようにもうかがえるのですが、逆に考えれば、そういった枯れた雰囲気の歌詞にしてしまっても、鬼束ちひろの歌声ならば十二分に許容してその世界を謳いあげてくれるだろうという、全幅の信頼があったとも言えるのではないのでしょうか。まぁ、歌詞だけじゃなくて鬼束さんの声も枯れてたんですけど。

 でも、この詞と唄い手との距離感こそが、この作品が鬼束さんのキャリア中でも特異性をはなっているポイントたるところで、それまでってほら、『月光』を例に挙げるまでもなく、鬼束さんの創る歌詞世界って、なにはなくともその時の主人公の想いとか状況解釈の告白ばっかりで、まわりの風景がどうとか、そんなに言ってなかったじゃないですか。ただひたっすらに、「私のことを聴け!!」だったわけです。これはもう、ここまで徹底すればもう商売道具なんだからいいだろ、くらいの勢いでのごり押しですよね。「鬼束さんだからしかたがない。」という話です。
 それに対して、完全なる別人で、しかも年齢も性別もまったく違う作詞者の世界を唄うという『西へ』の試みは、鬼束さんにとって非常に新鮮でおもしろい経験だったのではないのでしょうか。
 現に、この『西へ』の歌詞の中には、「蛍」や「陽炎」といった、のちのち本当に年齢を重ねて成熟した鬼束さんが唄うこととなる、主人公の心情と作品としての情景描写の鮮明さを見事に融合させた名曲のタイトルがちらほらしています。

 おそらくこの『西へ』は、決して鬼束さんの作品としては真っ先に名前が挙げられるものではないかもしれませんが、それ以後の鬼束さんの作詞法に対して、じわじわとですが確実に新しい影響を与えるものになったのではないのでしょうか。まぁ、そんな新風も取り入れなきゃ、思春期を過ぎたあとも作詞なんてやってられませんよね。ただし、これをもって鬼束さんがガラッと大人になった、というわけでもないのが鬼束さんの実におもしろいところなのでありまして、まさに「こじらせた」としか言いようのないおっそろしい作品の数々も、ちゃーんとまだまだ続くのでありました! 永遠の子どもか、はたまた疲れた二重まぶたのおねえさんか!? 天才の苦悩の旅路は、いま始まったばかりなのでありました……

 もうひとつの『月光』の日本武道館ライブバージョンについては特に何も申すことはないわけなのですが、もはやノリにノッているとしか言いようのない2002年時点での歌唱なので、シングル版と比較してのレベルの上がり方は格段のものがあるわけです。その点ではシングルのカップリングとして収録するのもまったく問題はないのでしょうが、私はここで声を大にして言いたい。


1万人くらいのお客さんの拍手を受けて唄う『月光』なんて、『月光』じゃねぇ!!


 いや、それは天下の日本武道館でのライブ音源なんですからお客さんの反応が収録されるのは当たり前なわけなのですが、ひとりの人間が孤独な状況の中で誰かの存在を求めて唄うからこそ『月光』なんであって、そんな、鬼束さんがいくらうまく唄ってるからといって、拍手してくれるような共感者がうじゃうじゃいる場所で唄ってもよう! そんなに親身になって話を聞いてくれる人が山ほどいるんだったら、そもそも『月光』を唄う意味がなくなっちゃうって話ですよ。
 それはもう、『月光』が鬼束さんの代表曲みたいな印象が世間一般に広く流布しているんですから仕方はないのでしょうが……拍手はなぁ~。なんか気分が冷めるというかなんというか。そりゃまぁライブなんだからいいんでしょうけど、それ CDで聞きたくはなかったなぁ、みたいな。

 それに、これは完全に私の経験からくる主観でものを言うんですが、せっかく日本武道館でやってるのに、反応が拍手くらいっていうライブって、なんか物足りなくない!?
 そこはやっぱり、サイリウム振りまわして「ち・ひ・ろ~!!」くらいはいきたいよなぁ。さすがに「オイ! オイ! オイオイオ~イ!!」って合いの手を入れられる曲はそんなにないだろうけど。

 あぁ、日本武道館も、もうぜんぜん行ってないなぁ。あの当日券待ちで並ぶ感じ、夕方過ぎの開場にあわせてグングンお客さんが増えてくる勢い、会場まで近くの芝生広場でやたら原色のTシャツを着たおじさんたちがねそべってる光景、そして、カフェ「武道」の老練なるおばさん!!
 なにもかもがなつかしい……ちょっと暮らす場所と職場が変わっただけなのに、こんなに存在が遠くなるものなのかね、しかし!?

 また行きたいなぁ、私も、「今も聞こえるあの日の歌を道連れに」、いつかあの江戸城北ノ丸公園に旅立つぞ~!!
 と言いつつ、また明日からも身動きの取れないお仕事の日々は続くのであった。


がんばれ、第9代リーダー・譜久村聖体制!!


 鬼束さんぜんぜん関係なくなっちゃったよ、これ。
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