長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

この血みどろ感、東映だねェ~!幕末残酷物語 ~映画『十一人の賊軍』~

2024年11月26日 14時55分23秒 | 日本史みたいな
映画『十一人の賊軍』(2024年11月1日公開 155分 東映)
 『十一人の賊軍』は日本の映画作品。PG12指定。
 江戸幕末の慶応四(1868)年一月に勃発した戊辰戦争のさなかで、新政府軍と対立する幕府方の奥羽越列藩同盟にしぶしぶ加担していた新発田藩の新政府軍への寝返り事件をもとに、たった十一人の罪人が新発田藩の命令により砦を守る壮絶な戦いに身を投じていく群像模様を描く。
 本作の撮影は新潟県新発田市(新発田城、市島邸)、南魚沼市(雲洞庵)、宮城県白石市(白石城)、千葉県鋸南町などで行われた。

 もともと本作のプロットと脚本は、映画『仁義なき戦い』初期四部作(1973~74年)や『大日本帝国』(1982年)などの脚本で知られる笠原和夫(1927~2002年)が1964年に執筆したものであったが、主人公側である賊軍が全員死んでしまう結末が当時の東映京都撮影所所長だった岡田茂(1924~2011年)の意にそぐわず却下され、企画はいったん打ち切りとなった。当時、激怒した笠原は原稿用紙350枚分もの脚本(ホン読み・検討会議用の第1稿)を破り捨ててしまい、プロットだけが残されていたという。
 後年、笠原のインタビュー本『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』(2002年 太田出版)でそのエピソードを知った映画監督の白石和彌は、笠原が描こうとした本作のドラマこそが現代の日本が抱える社会問題とシンクロすると確信し、東映での映画化が決定した。
 また白石は、「物語のラストについてはプロットから改変しています。時代が変わるときに、誰が生き残って未来を見ていくのか。この作品のヒロイックさ、物語の強さは笠原さんにしか思い付かなかったものがある。僕らはそれを信じて、今の時代へのメッセージを込めました。」と語っている。
 生前の笠原が遺した本作のシノプシス(物語のあらすじ)は、『笠原和夫 人とシナリオ』(2003年 シナリオ作家協会)に収録されている。


あらすじ
 慶応四(1868)年七月。
 江戸幕府の重要港である新潟を守る越後国新発田藩の城代家老・溝口内匠頭は進退窮まっていた。
 江戸幕府方の奥羽越列藩同盟と新政府軍との日本を二分する戊辰戦争が激化する中、新発田藩は密かに奥羽越列藩同盟から新政府軍への寝返りを画策するが、新発田城には奥羽越列藩同盟の軍勢が出兵を求めて押しかけていた。そんな折、ついに新政府軍の到来が迫る。新発田城を出ない同盟軍と新政府軍とが鉢合わせしてしまっては、新発田は戦火を免れない。
 絶体絶命の状況に一刻の猶予も無くなった内匠頭は一計を案じ、新政府軍の進撃を食い止める起死回生の一手として、新発田藩境にある砦への籠城作戦を命じる。集められたのは殺人、賭博、火付け、密航、姦通など人道を外れた罪で死罪を申し渡された十名の罪人たち。彼、彼女らに課された圧倒的に不利な命懸けの作戦とは、「新政府軍が砦を突破して新発田領内に侵攻することを防ぐこと」、ただそれだけだった。
 死を覚悟していた罪人たちに見えた、「生き残る」という一筋の希望。勝てば無罪放免という約束を信じ、罪人たちは己のために突き進む。新発田藩、新政府軍、同盟軍、三者の思惑が交錯する中、それぞれの執念が渦巻く十一人の壮絶な戦争が始まる。


おもなキャスティング
侍殺しの政(まさ)…… 山田 孝之(41歳)
 駕籠かき人足。妻さだを手籠めにした新発田藩士の善右衛門を殺害して死罪を言い渡されるが、新発田藩境の砦を守り抜けば無罪放免だと言われ、不本意ながらも決死隊とともに戦場に駆り出される。

鷲尾 兵士郎  ……仲野 太賀(31歳)
 新発田藩の剣術道場の道場主で直心影流の使い手。城代家老・溝口内匠頭の命により砦を守る決死隊に参加する。

博奕打ちの赤丹(あかに)…… 二世 尾上 右近(32歳)
 武士から金を巻き上げていたイカサマ博徒。

火付けのおなつ …… 鞘師 里保(26歳)
 新発田の女郎。子を堕胎させられた恨みで男の家に放火した。

花火屋のノロ  …… 佐久本 宝(26歳)
 新発田の花火師の息子。捕らえられた政を死んだ兄と思い込み脱獄を助けた。

女犯の引導   …… 千原 せいじ(54歳)
 檀家の娘を手籠めにするなど、数多くの女犯に及んでいた坊主。

医者のおろしや …… 岡山 天音(30歳)
 医師の息子。医学を学ぶためにロシア帝国へ密航しようとした。

死にぞこないの三途 …… 松浦 祐也(43歳)
 貧乏百姓。⼀家心中を図るが自分だけ死ねなかった。

二枚目     …… 一ノ瀬 颯(27歳)
 新発田随一の色男。武家の女房と恋仲になり姦通で捕らえられた。

辻斬り     …… 小柳 亮太(元・大相撲前頭筆頭豊山 31歳)
 新発田藩内の村で大人数の村人を無差別に殺害した浪人。

爺っつぁん   …… 本山 力(55歳)
 新発田で名主の強盗殺人を犯した剣術家。

入江 数馬   …… 野村 周平(31歳)
 罪人たちとともに砦を守る命を受けた決死隊の隊長。城代家老・溝口内匠頭の重臣で溝口の娘・加奈の婚約者。

溝口 内匠頭 清端 …… 阿部 サダヲ(54歳)
 新発田藩城代家老。藩の実権を掌握し、領地が戦火に見舞われぬよう画策する。

溝口 加奈   …… 木竜 麻生(30歳)
 溝口内匠頭の娘。入江数馬の許嫁。

さだ      …… 長井 恵里(28歳)
 政の女房。耳が不自由である。

溝口 伯耆守 直正 …… 柴崎 楓雅(16歳)
 新発田藩第十二代藩主。

山県 狂介(のちの有朋)…… 玉木 宏(44歳)
 新政府軍先鋒総督府参謀。新発田藩を新政府方に取り込もうと画策する。

岩村 精一郎 高俊 …… 浅香 航大(32歳)
 土佐藩士。新政府軍先鋒総督府軍監。山県の右腕として働く。

色部 長門守 久長  …… 松角 洋平(47歳)
 米沢藩国家老。奥羽越列藩同盟新潟港総督。新発田藩に新政府軍との決戦を迫る。

斎藤 主計頭 作兵衛 …… 駿河 太郎(46歳)
 米沢藩士で色部の側近。奥羽越列藩同盟参謀。

荒井 万之助  …… 田中 俊介(34歳)
小暮 総七   …… 松尾 諭(48歳)
杉山 荘一郎  …… 佐野 和真(35歳)
水本 正虎   …… 佐野 岳(32歳)
水本 正鷹   …… ナダル(39歳)
寺田 惣次郎  …… 吉沢 悠(46歳)
里村 官治   …… 佐藤 五郎(45歳)
溝口 みね   …… 西田 尚美(54歳)
世良 荘一郎  …… 安藤 ヒロキオ(42歳)
仙石 善右衛門 …… 音尾 琢真(48歳)

おもなスタッフ
監督 …… 白石 和彌(49歳)
脚本 …… 池上 純哉(54歳)
音楽 …… 松隈 ケンタ(45歳)
録音 …… 浦田 和治(75歳)
音響 …… 柴崎 憲治(69歳)
特撮 …… 神谷 誠(59歳)
制作 …… ドラゴンフライエンタテインメント
配給 …… 東映




≪血なまぐさい、顔の脂ギトギト、長い!! だが、それがいい……本文まだだなやぁ~≫
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山形と最上義光の歴史3(フィクション作品編)

2024年07月11日 14時28分39秒 | 日本史みたいな
≪前回までの年表中に登場した主な歴史上の人物たちの基本情報と、ゲーム『信長の野望』シリーズ内での能力評価≫
※複数のタイトルに登場している人物の数値は、平均値です。

伊達 稙宗(1488~1565年)…… 政治87、統率56
 陸奥国の戦国大名・伊達家第14代当主。左京大夫。
氏家 定直(1504?~70?年)…… 政治71、統率56
 戦国時代の武将。山形斯波家重臣。
大宝寺 晴時(1512~41年)…… 政治65、統率48
 戦国時代の武将。大宝寺家第15代当主。
土佐林 禅棟(?~1571年)…… 政治54、統率31
 戦国時代の武将。大宝寺家家臣。出羽国藤島城主。「禅棟」は号であり実名は不明。
伊達 晴宗(1519~78年)…… 政治78、統率62
 陸奥国の戦国大名・伊達家第15代当主。左京大夫。伊達稙宗の嫡男。
山形 義守(1521~90年)…… 政治52、統率46
 出羽国の戦国大名。山形斯波家第10代当主。
天童 頼貞(?~1579?年)…… 政治44、統率61
 戦国時代の武将。天童家第16代当主。「最上八楯」と称された出羽国の国人連合の盟主。山形義光の舅にあたる。
大宝寺 義増(1522~81年)…… 政治46、統率48
 戦国~安土桃山時代の大名。大宝寺家第16代当主。出羽三山別当職。大宝寺晴時の従弟。
前田 利益(1533?~1605?年)…… 政治42、統率98
 戦国時代末期~江戸時代初期の武将。通称・慶次。
織田 信長(1534~82年)…… 政治99、統率93
 戦国~安土桃山時代にかけての大名。「戦国三英傑」の一人。
氏家 守棟(1534~93?年)…… 政治71、統率62
 戦国~安土桃山時代の武将。山形斯波家家臣。氏家定直の嫡男。
足利 義輝(1536~65年)…… 政治63、統率76
 室町幕府第13代征夷大将軍。
猪苗代 盛国(1536~90?年)…… 政治52、統率52
 戦国~安土桃山時代の武将。芦名家家臣。猪苗代家第12代当主。父は芦名盛詮の次男・猪苗代盛清とされるが、天文十(1541)年に芦名家に対して謀反を起こした猪苗代盛頼ともいわれる。
羽柴 秀吉(1537~98年)…… 政治98、統率83
 戦国~安土桃山時代の武将、戦国大名、天下人、初代武家関白、太閤。「戦国三英傑」の一人。主君・織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を築いた。
木村 重茲(?~1595年)…… 政治70、統率45
 安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。別名・定光、重隆、重高。通称・隼人正、常陸介。千利休「台子七人衆」の一人。
本多 正信(1538~1616年)…… 政治93、統率29
 戦国~江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の重臣で、江戸幕府老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代当主。
前田 玄以(1539~1602年)…… 政治79、統率22
 戦国~安土桃山時代の僧侶・武将・大名。豊臣政権五奉行の一人。
本庄 繁長(1540~1614年)…… 政治41、統率82
 戦国~江戸時代初期の武将。山内上杉家重臣。「越後揚北衆」の一人。越後国岩船郡小泉庄の本庄城主。主君・上杉家の陸奥国会津転封後は守山城と福島城の城代を務めた。
徳川 家康(1542~1616年)…… 政治92、統率93
 戦国~江戸時代初期の日本の戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川家(将軍家、御三家など)の祖。「戦国三英傑」の一人。
伊達 輝宗(1544~85年)…… 政治74、統率64
 戦国大名・伊達家第16第当主。左京大夫。伊達晴宗の次男。
東禅寺 義長(1544~88年)…… 政治43、統率47
 戦国~安土桃山時代の武将。大宝寺家家臣。東禅寺城主。初名・前森蔵人。
東禅寺 勝正(1546~88年)…… 政治48、統率46
 戦国~安土桃山時代の武将。大宝寺家家臣。東禅寺義長の弟。
延沢 満延(1544~91年)…… 政治33、統率78
 戦国~安土桃山時代の武将。山形斯波家家臣。出羽国野辺沢(延沢)城主。別名・信景。
増田 長盛(1545~1615年)…… 政治83、統率36
 安土桃山~江戸時代初期の武将、大名。豊臣政権五奉行の一人。官位は従五位下・右衛門少尉。
山形 義光(1546~1614年)…… 政治87、統率77
 戦国~江戸時代前期の出羽国の大名。山形斯波(のち最上)家第11代当主。江戸幕府の山形藩初代藩主。山形義守の嫡男。
中野 義時(1550?~74?年)…… 政治35、統率34
 戦国時代の武将。山形義守の次男。江戸時代に創作された架空の人物の可能性がある。
楯岡 光直(1559?~1629年)…… 政治18、統率39
 戦国~江戸時代前期の武将。山形義守の四男(次男説、三男説あり)。山形義光、中野義時の弟。別名・義久。
白鳥 長久(?~1584年)…… 政治62、統率59
 戦国~安土桃山時代の武将。出羽国谷地城主。最上義康の舅、最上義光の義兄弟にあたる。別名・義国。
志村 光安(?~1609?年)…… 政治47、統率67
 戦国~江戸時代初期の武将。最上家家臣。通称・伊豆守、初名・九郎兵衛。
清水 義氏(1547~86年)…… 政治40、統率48
 戦国時代の武将。山形斯波氏の一族である清水家第6代当主。
新発田 重家(1547~87年)…… 政治30、統率66
 戦国~安土桃山時代の武将。越後国の戦国大名・山内上杉家家臣。蒲原郡新発田城主。
大崎 義隆(1548~1603年)…… 政治42、統率48
 戦国時代の陸奥国大崎地方の大名。大崎家第12代当主。左衛門佐。最上義光の義弟。
一栗 高春(?~1614年)…… 政治28、統率55
 安土桃山~江戸時代初期の武将。陸奥国大崎家家臣。通称・豊後守、兵部。
相馬 義胤(1548~1635年)…… 政治54、統率70
 戦国~江戸時代の戦国大名。陸奥国相馬家第16代当主。
大宝寺 義氏(1551~83年)…… 政治27、統率59
 戦国~安土桃山時代の大名。大宝寺家第17代当主。出羽三山別当職。大宝寺義増の嫡男。
大宝寺 義興(1554~87年)…… 政治38、統率47
 安土桃山時代の大名。大宝寺家第18代当主。大宝寺義増の次男。
谷柏 直家(1551~1610年)…… 政治58、統率41
 戦国時代の武将。最上家家臣。出羽国谷柏城主。
二本松 義継(1552~85年)…… 政治56、統率67
 戦国~安土桃山時代の武将。二本松家第9代当主。陸奥国安達郡二本松城主。
富田 隆実(?~?年)…… 政治21、統率65
 戦国~安土桃山時代の武将。芦名家家臣。
蒲生 氏郷(1556~95年)…… 政治80、統率79
 戦国~安土桃山時代の武将。豊臣政権の重臣。初め近江国日野城主、次に伊勢国松阪城主、最後に陸奥国黒川城主。
上杉 景勝(1556~1623年)…… 政治77、統率82
 戦国~江戸時代前期の大名。山内上杉家第17代当主。豊臣政権の「五大老」の一人。江戸幕府の米沢藩初代藩主。
下 秀久(?~1614?年)…… 政治17、統率40
 戦国~安土桃山時代の武将。山内上杉家、のちに最上家の家臣。「越後揚北衆」の一人・黒川家の一族。別名・吉忠。
片倉 景綱(1557~1615年)…… 政治83、統率76
 戦国~江戸時代前期の武将。伊達家家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉家初代で、景綱の通称・小十郎は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。
石田 三成(1560~1600年)…… 政治90、統率43
 安土桃山時代の武将・大名。豊臣政権の五奉行の一人。
福原 長尭(?~1600年)…… 政治48、統率36
 安土桃山時代の武将、大名。豊臣秀吉の側近。豊後国府内城主。正室は石田正継の娘で、石田三成の妹婿にあたる。通称・右馬助。
直江 兼続(1560~1620年)…… 政治83、統率79
 戦国~江戸時代前期の武将。山内上杉家の重臣で江戸幕府の米沢藩家老。
福島 正則(1561~1624年)…… 政治44、統率86
 安土桃山~江戸時代前期の武将、大名。「賤ヶ岳七本槍」の一人として知られる。安芸国広島藩の初代藩主、後に信濃国高井野藩の初代藩主。
北条 氏直(1562~91年)…… 政治57、統率54
 戦国~安土桃山時代の関東地方の大名で小田原城主。後北条家第5代当主。父・北条氏政と共に後北条家の最大版図を築き上げたが豊臣秀吉の小田原征伐を招き、後北条家の関東地方支配は終焉を迎えた。
屋代 景頼(1563~1608年)…… 政治46、統率71
 戦国~江戸時代初期の武将。戦国大名・伊達政宗の側近。
鮭延 秀綱(1563?~1646年)…… 政治46、統率63
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家、のちに佐倉藩土井家の家臣。
氏家 光氏(?~?年)…… 政治46、統率65
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家重臣。通称・尾張守。氏家守棟の従兄弟・成沢道忠の子。守棟の死後に氏家家の家督を継いだ。最上義光の娘・竹姫を正室に迎えており、最上家では宿老1万8千石の重責を担った。
本多 正純(1565~1637年)…… 政治82、統率23
 安土桃山~江戸時代初期の武将、大名。江戸幕府老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の嫡男で、正信系本多家宗家第2代当主。
小野寺 義道(1566~1646年)…… 政治23、統率52
 安土桃山~江戸時代前期の大名。出羽国横手城主。大宝寺義増の娘婿。
伊達 政宗(1567~1636年)…… 政治87、統率87
 出羽国・陸奥国の戦国大名・伊達家第17代当主。江戸幕府の仙台藩初代藩主。伊達輝宗の嫡男。
伊達 成実(1568~1646年)…… 政治55、統率84
 戦国時代後期~江戸時代前期の武将。仙台藩初代藩主・伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達家初代当主。父は伊達実元、母は実元の異母兄・伊達晴宗の娘であるため、主君・政宗の従弟にあたる。
豊臣 秀次(1568~95年)…… 政治41、統率47
 戦国~安土桃山時代の武将、大名。豊臣家第2代関白。豊臣秀吉の甥。
新関 久正(1568~1624年)…… 政治65、統率40
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家家臣。出羽国藤島城主。
大宝寺 義勝(1573~1623年)…… 政治36、統率43
 安土桃山~江戸時代前期の武将。山内上杉家重臣・本庄繁長の次男で、大宝寺義興の養子。大宝寺家第19代当主。のちの本庄充長。
最上 義康(1575~1603?年)…… 政治42、統率48
 安土桃山~江戸時代初期の武将。最上義光の嫡男。
徳川 秀忠(1579~1632年)…… 政治78、統率37
 安土桃山~江戸時代の武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。徳川家康の三男。
最上 家親(1582~1617年)…… 政治45、統率47
 安土桃山~江戸時代前期の武将・外様大名。最上家第12代当主。江戸幕府の山形藩第2代藩主。最上義光の次男。
清水 義親(1582~1614年)…… 政治43、統率41
 安土桃山~江戸時代の武将。大蔵大輔。最上義光の三男。天童頼貞の外孫にあたる。
延沢 光昌(1582~1626年)…… 政治21、統率46
 安土桃山~江戸時代前期の武将。山形斯波家家臣。延沢満延の嫡男。最上義光の娘婿。
山野辺 義忠(1588~1665年)…… 政治50、統率40
 安土桃山~江戸時代前期の武将。江戸幕府の水戸藩家老。最上義光の四男。
最上 義俊(1605~32年)…… 政治24、統率19
 江戸時代前期の山形藩第3代藩主、のちに近江国大森藩主。最上家第13代当主。最上家親の嫡男。初名・家信。


最上義光を題材とした小説、マンガ(手塚治虫先生の『最上殿始末』は、無視!!)
松本 清張『武将不信』(1956年12月発表 講談社文庫『奥羽の二人』所収)
 時代設定   …… 天正十八(1590)年六月~慶長十八(1613)年九月
 主な登場人物 …… 最上出羽守義光、徳川家康、里見権兵衛、戸井半左衛門、本多正信、最上修理大夫義康、最上駿河守家信

南條 範夫『最上源五郎義俊』(1976年2月刊『大名廃絶録』所収 文芸春秋文春文庫)
 時代設定   …… 天正十八(1590)年六月~寛永八(1631)年十一月
 主な登場人物 …… 最上出羽守義光、徳川家康、最上源五郎義俊、里見権兵衛、最上修理大夫義康、鮭延越前守秀綱、最上駒姫

中村 晃『修羅鷹 最上義光』(1987年4月刊 PHP研究所PHP文庫)
 時代設定   …… 永禄五(1562)年秋~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義光、延沢能登守信景(満延)、白鳥十郎長久、氏家尾張守守棟、里見越後守、本庄繁長、関白豊臣秀吉、伊達政宗、大崎殿としよ姫、岌讃専阿和尚、羽柴中納言秀次、徳川家康、石田治部少輔三成、直江山城守兼続、上杉景勝、清水御前、最上修理大夫義康、白鳥日吉姫、最上義姫、最上駿河守家親、清水義親、徳川秀忠、侍女白石氏、最上義俊

永岡 慶之助『最上義光』(2009年11月刊 学陽書房人物文庫)
 時代設定   …… 永禄五(1562)年初夏~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義光、氏家尾張守守棟、最上義守、延沢信景(満延)、天童頼久、草刈将監、田村助左衛門、志村九郎兵衛光安、白鳥十郎義国(長久)、伊達輝宗、最上義姫、芦名盛隆、二本松左京亮義継、伊達政宗、猪苗代盛国、片倉小十郎景綱、関白豊臣秀吉、羽柴中納言秀次、徳川家康、最上駒姫、小森田番内、前田慶次(利益)、上杉景勝、直江山城守兼続、相馬長門守義胤、水谷三郎兵衛、堀監物、最上修理大夫義康、石田治部少輔三成、和賀主馬之介忠親、京屋清兵衛、本多佐渡守正信、宮沼平助、炊事役小頭の由蔵、戸枝半兵衛、最上駿河守家親、溝口延三郎、須藤蔵人、本多上野介忠純、鮭延越前守秀綱、楯岡甲斐守義久(光直)

高橋 義夫『保春院義姫 伊達政宗の母』(2015年1月刊 中央公論新社中公文庫)
 時代設定   …… 永禄七(1564)年春~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義姫、乳母千歳の局、氏家伊予守定直、伊良子宗牛、最上義光、成沢お筆、円清坊、主殿の局、伊達輝宗、野谷地徳蔵丸、瀬上平三郎定康、伊達梵天丸政宗、砂金お硯、片倉小十郎景綱、伊達成実、二本松左京亮義継、庭番の小平次、湯目景康、延沢能登守満延、片倉小大納言の局、堀喜吽、氏家尾張守守棟、粟野藤八郎、小原縫殿助、伊達小次郎、屋代勘解由兵衛景頼、富塚内蔵頭

天野 純希『北天に楽土あり 最上義光伝』(2015年10月刊 徳間書房徳間時代小説文庫)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、最上義姫、氏家尾張守守棟、最上義守、成沢道忠、氏家伊予守定直、大崎殿康子姫、谷柏直家、延沢能登守満延、志村九郎兵衛高治(光安)、鮭延越前守秀綱、大宝寺出羽守義氏、白鳥十郎長久、伊達藤次郎政宗、片倉小十郎景綱、伊達輝宗、二本松左京亮義継、最上永寿丸義康、氏家光棟、新関久正、東禅寺義長(前森蔵人)、東禅寺右馬助勝正、中山朝正、山家河内介、徳川家康、関白豊臣秀吉、最上駒姫、おこちゃの方、坂紀伊守光秀、石田治部少輔三成、直江山城守兼続、上杉景勝、氏家光氏、江口五兵衛光清、中間の藤兵衛、鳥海勘兵衛、前田慶次郎(利益)、堀喜吽、浦山源左衛門、斎藤光則、里見民部大夫、里見正近、清水お辰の方、最上駿河守家親、大悲願寺秀雄

高橋 義夫『さむらい道 最上義光』(2015年7月~16年12月連載 中央公論新社中公文庫)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~慶長五(1600)年九月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、氏家尾張守守棟、堀喜四郎(喜吽)、志村新九郎光安、志村九郎兵衛光清、氏家伊予守定直、柴橋刀自、西窪掃部助、斎藤仁兵衛、願正坊教証、伊良子宗牛、葛西治部右衛門、斎藤左源太、尾張局お陳、一栗城山の方、大崎桂姫、佐藤作右衛門、今野三郎右衛門、最上義守、中野千寿丸義時、織田内府信長、延沢能登守満延、天童鶴姫、庭月屋勘右衛門、氏家左近、駿河の方、東禅寺筑前守氏永(義長)、大行院西蓮、白鳥十郎長久、鮭延源四郎秀綱、山上道牛、小関弥五郎、笹原石見守、一栗玄蕃頭、大宝寺義興、中村内記、氏家十右衛門光棟、畔藤三郎右衛門、一栗兵部少輔高春、遠藤若狭守、最上お東の方、医師玄悦、木村常陸介重茲(定光)、徳川大納言家康、矢島五郎満安、関白豊臣秀次、浦山十兵衛、最上駒姫、茶坊主の玄了、太閤豊臣秀吉、奥山鹿丸、浪江の方、安孫子将監、庭月屋勘右衛門、平野屋佐仲、津金修理亮胤久、最上修理大夫義康、最上駿河守家親、伊達藤次郎政宗

武内 涼『駒姫 三条河原異聞』(2017年1月刊 新潮文庫)
 時代設定   …… 文禄四(1595)年七月~慶長五(1600)年九月
 主な登場人物 …… 関白豊臣秀次、福島正則、福原長尭、清胤阿闍梨、雀部淡路守、氏家尾張守守棟、最上駒姫、おこちゃの方、鮭延主殿助、最上出羽守義光、太閤豊臣秀吉、堀喜吽、石田治部少輔三成、菊亭一の台、池田若政所、浦山筑後守、京極龍子、増田長盛、柿屋宗春、お竹の方、施薬院全宗、大崎としよ姫、浅井淀の方、下男の雲八、北政所ねね、片倉小十郎景綱、最上駿河守家親、徳川大納言家康、本多佐渡守正信、服部半蔵正成、お和子の方、前田玄以

静霞 薫『コミック版日本の歴史・第90巻 戦国人物伝・最上義光』(作画・中島健志 2024年6月刊 ポプラ社)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~慶長十九(1614)年正月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、最上義姫、最上義守、志村光安、氏家定直、氏家守棟、将軍足利義輝、上泉伊勢守信綱、塚原卜伝、天童頼貞、延沢満延、織田信長、天童頼久、草刈将監、伊達藤次郎政宗、片倉小十郎景綱、徳川内大臣家康、関白豊臣秀吉、豊臣中納言秀次、最上駒姫、大崎夫人、寒河江広俊、直江兼続、最上義康、里見民部大夫、鮭延秀綱、氏家光氏、前田慶次、延沢光昌
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おまえ0まで、わしゃ-1.0まで!! ~映画『陰陽師0』~ 感想本文!

2024年05月06日 23時26分02秒 | 日本史みたいな
 あっちょわ~。みなさま、どうもこんばんは。そうだいでございます。
 ゴールデンウィーク、もう終わっちゃいますね。基本的に全国ではもう夏かってくらいの好天が多かったみたいですが、楽しくお過ごしになれましたでしょうか。でも、連休の最終日は疲労感や明日へのヒーコラ準備やらばっかりが残っちゃっていけませんやね。また今年もあっという間だったぁ……

 私もおかげさまでカレンダー通りの連休をいただきまして、5月3日には人生で2度目となる川中島合戦(ただし於:山形県米沢市松川河川敷)に参陣してまいりました。米沢市が市長以下、威信を賭けて盛り上げる「上杉まつり」最終日の最大イベントですね。
 私は2年前と今年に、上杉軍の雑兵の一般参加枠に応募して毎年3日に開催される上杉軍団行列(午前)と川中島合戦(午後)に参加できたのですが、いや~、今年も楽しかった……めっちゃくちゃ疲れて、めっちゃくちゃ日焼けしますけどね!
 実は、個人的に「今年も楽しかった」どころか「今年が最高に楽しかった!!」と、いち雑兵役として参加した身としては思わず昇天してしまいそうな超貴重な体験ができましたので、正直、来年以降にまた雑兵として参加するかどうかは微妙な気持ちです。もう、今年以上の奇跡には巡り合えないんじゃなかろうかと……
 時間に余裕さえあったのならば、上杉まつり関連の体験記のみで記事を挙げたい気もするのですが、明日からまた普通の日々が始まりますし、だいたい本記事も完成させていないことですし、我が身をもって経験したかけがえのない「十数秒間」は、ひそかに胸の中におさめておきたいと思います。ま、職場では多分さんっざんに言いふらすだろうけどね!
 具体的にどういった体験をしたのかは言いませんし、地元のケーブルテレビ局による生中継番組をはじめとする公式各局のニュース映像のどこにも、今年の川中島合戦のクライマックスで起きたその瞬間をカメラに収めたものはないのですが、実は某超有名動画配信サイトにアマチュアの方が撮影してアップした合戦の録画映像に、なんとそれが遠目ながらばっちり激写されております。末代までの恥……
 ともかく、私が申しあげたいのはこれだけです。「角田信玄サマ、誠にありがとうございました!!」 やっぱり漢だったねェ。


 さぁ! そんでこんで今回は戦国時代じゃなくてもっと昔の平安時代、延び延びになっていた映画『陰陽師0』を観た感想の本文でございます。映画に関する情報は、こちらの前回記事でどうぞ。

 さっさか本題に入りたいのですが、私はこの『陰陽師0』を大変おもしろく観まして、いかにも自作に確固たる美学を貫き通す名匠・佐藤嗣麻子監督らしく、様々な観点からみても完成度の高いエンタメ作品であると感じました。
 さすがに佐藤監督のダンナ様の『ゴジラ -1.0』ほどの規模で制作されたとは思えないのですが、だからこそ、限られた条件の中で手堅く破綻の無い物語を構築する佐藤監督の本領が発揮されているとも言えると思います。ハデな大作ではないんだけど、綺麗な名品って感じでしょうか。
 曲がりなりにも、本作はあの野村萬斎の『陰陽師』シリーズ2作の続編(前日譚)ですからね。いくら佐藤監督でも大丈夫かな……という心配は若干あったのですが、萬斎晴明の呪縛に引っぱられることなく、立派に独り立ちした作品になっているところにも好感が持てました。まぁ、『陰陽師Ⅱ』(2003年)からおよそ20年も経ってますからね……でも、いまだに安倍晴明と言えば萬斎さんか羽生結弦くんですよね。初代はゴローさんなのに!


 私が『陰陽師0』のここがいいと思っている点は、ざっくり言うと4つありますので、それぞれについてぱぱっと触れていきましょう。

1、役者陣のキャスティングと各演技が非常によろしい
 日本を代表する実在のオカルトヒーローといえばこのお人!という感じで、2000年代の夢枕獏原作の連作幻想時代小説『陰陽師』シリーズの映画化から始まった大ブームから2020年代現在に至るまで、他の追随を許さない第一人者として不動の地位を得ている安倍晴明なのですが、そのミステリアスなキャラクターも影響してか、実写作品に出てもその史実上の年齢に、演じている役者さんが必ずしも忠実にキャスティングされているわけではない状況が、なかば慣習化していました。簡単にいえば、たいていの作品の時代設定ではすでに老齢であるはずの晴明を、30代前後のかっこいい俳優さんが演じることが多いんですね。
 この齟齬は、藤原道長やら紫式部やらといった日本史の有名人が活躍する時代よりも晴明が前の世代の人だったという点と、実際に晴明が30代だった時の彼の事績がほとんど残っていないという2つの原因によるもので、晴明がいること自体は無理がないんだけど若くはない……というジレンマが生じているのでした。ま、気持ちよくガン無視してる映像作品ばっかですけどね! 最たるものは窪塚晴明の『源氏物語 千年の謎』(2011年)になりますでしょうか。85歳の最晩年の晴明を当時32歳の窪塚さんが演じてるよ~!!

 その点、まさに晴明伝説の始まり「0」を語る本作は、「とにかく若き日の晴明をちゃんと描こう」という、過去作品のどれよりも晴明に誠実に寄り添ったスタンスに立っており、数え年28の晴明を、ほぼ同年齢の山崎くんが演じているところにも、真面目なキャスティングの姿勢が見えます。

 この史実の人物の年齢をしっかり反映させたキャスティングは、晴明以外の実在した人物たちの配役にも徹底されており、ワトスン役の源博雅や村上天皇も、ほぼ同年齢の俳優さんが演じています。実はこれ、単なる佐藤監督のこだわりとかいう問題ではなく、本作オリジナルの架空の人物である貞文(40代)も陰陽頭の藤原義輔(70代)も、作中でそれぞれの年齢を明言したうえで同じ年代の俳優さんが演じているし、しかもそれが彼らの行動の動機になっているので、本作では「年齢」というテーマがかなり重視されているがゆえのキャスティングであるようです。
 え? 史実の徽子女王は当時20歳? で、演じていた奈緒さんは……いいじゃないか! かわいかったんだから!! 女性に対して失礼だねチミ!!

 いや、実は本作キャスティングでの例外ともいえる徽子女王と奈緒さんとの年齢の差、私としましては勝手に「我が意を得たり!」と感じてしまう点なのでありまして、つねづね我が『長岡京エイリアン』でも、こういう歴史ドラマのお話をするたんびにバカの一つ覚えのように連呼しているのですが、私は「歴史上の人物は10歳ほど年上の現代人が演じる方が良い」という実感を持っているのです。理由は、江戸時代以前と現代とで日本人の平均寿命がだいぶ違っているし、生活上の精神的な成熟も現代の方がかなりのんびり屋さんになっていると思うからです。最近やっと日本の成人年齢が下がって18歳になりましたが、昔の成人にあたる元服 or 裳着(もぎ)は年齢が統一されてはいないものの早ければ11~12歳くらいなんですからね! やっぱり同じ歳でもつらがまえが違ってくると思うんだよなぁ。
 だって、今の20歳前後の女優さんで、奈緒さんくらいに徽子女王を演じられる実力のある人、いますかね? それは難しいと思う。

 なので、年齢を史実に合わせているのはけっこうなのですが、奈緒さん以外の上記の俳優さんがたは役に対しておおむね若いと思います。晴明と博雅に関しては「もうだいぶいい歳なのにゴロゴロしてる」というヤバさが足りないような気がしますし、貞文と義輔についても「今やらなきゃ死んじゃうよう!!」という焦りが足りないと思うんですよね。なんだかんだ言って安藤政信さんも小林薫さんも若いしカッコいいからなぁ!
 また、本作である種の悪役ともいえる珍しい立場にいた村上天皇も、もうちょっと権力に倦んだだるさも持つ帝王でいて欲しかったのですが、ピッチピチのリヒトくんだと女好きっぽい悪さが少ないような気がするんですよね。徽子女王が嫌悪する生ぐささが今一つないというか。

 ただ、奈緒さんも他の方々も、演技の面ではもう文句のつけようのない方ばかりだったと思います! 染谷将太さんの博雅は、かつて伊藤英明さんが自然体で演じていた「愛すべき能天気さ」を計算されつくしたプランでみごとに体現していましたし、キャラクターが強すぎるがために演者の個性が出しにくい晴明という難役を、主演の山崎くんも悠々と演じきってくれたと思います。基本的には鉄面皮でクールな人物なのですが、後半にいくにつれて徐々に感情を開いてエピローグではおなじみの晴明&博雅タッグができあがるという丁寧な演技は非常に高度だったと思います。
 あれですね、山崎くんはひたすら非現実的な美青年のようでいて、左まゆ毛がマンガみたいに半円カーブを描いているギャップがあるのがチャーミングですね! 冷徹そうでいて実はかわいくもあるという……ずるい!

2、陰陽師という職掌に関する解釈のバランス感覚がよろしい
 本作で重要なのは、「安倍晴明=陰陽師」という構図ではなく、晴明はあくまでも異端な存在であって、陰陽師という職業自体は非常にお堅い宮仕え(文字通り!)の国家公務員であるという点を、冒頭からバッチリ提示していることです。
 萬斎晴明の前作を観てもわかるように、陰陽寮という官庁に務めているモブの陰陽師もいるにはいるんだけど、晴明ほどの一流の陰陽師は昼は寝床でグーグーグー、夜に本領を発揮するか式神にお酌をさせて縁側で酒を吞んでいるものですというイメージを押していたのが過去作品の定型だったのではないかと思います。まぁ、誰も見ていない所で書物を読みふけって勉強したり反閇ステップを踏んで都の地霊を抑えたりはしているのでしょうが、そういう地味な部分は意図的に省略している演出が多かったんですよね。

 余談ですが、前回にも資料であげた過去の晴明関連映像作品のうち、ほんとのほんとに史実の晴明や陰陽師のお仕事をエンタメ要素ほぼゼロのガチンコで描写した作品は、NHK BSプレミアムの科学番組で特別編として再現されたドラマ『いにしえの天文学者 安倍晴明』(2020年11月)一作のみです。キャーゴローさん!!
 これはすごいですよ~。実は呪術者でも予言者でもなく「天体観測士で気象予報士」だったという陰陽師と、彼らの地位向上に生涯をささげた晴明の真実をちゃんとまとめていてすばらしいです。お堅いNHK さまの本領発揮。検索すればまだ、どうにかして動画が観られるはず!
 蛇足ですが、『陰陽師0』のテーマソングをかのバンドが手がけているのは、たぶん「天体観測」つながりなんじゃないっすかね……♪視えないものを視ようとしてェ~ 渾天儀(こんてんぎ)ィをのぞきこんだァ~ら凶兆星がみえちゃった☆
 実はこれ、その展開がとっくに終わっちゃったから今さらではあるのですが、現在絶賛放送中の2024年度大河ドラマ『光る君へ』でも劇的に描かれた花山天皇強制丸ボウズクーデター「寛和の変」を非常に分かりやすく晴明の視点から説明してくれているガイド篇なんですよね。大人気の藤原道兼さんは出てこないけど……晴明を精神的支柱にして政権掌握の賭けに出る右大臣兼家と、なんだかんだ言っても強固な権勢をよりどころとしたい下級貴族(当時)晴明とのダークな共依存関係がよくわかります。もはや松本清張の世界!

 それに対して本作『陰陽師0』はと言いますと、晴明がまだ正規採用の陰陽師にもなっていない学生時代というオリジナリティを最大限に利用して、律令制国家の中での必要不可欠な特殊技能を持った職掌集団としての陰陽寮のシステムをまず描き、それに対して非凡の「呪力=人心掌握術」をすでに会得しているがゆえに、「人をだまくらかす仕事なんてやりたくねぇ~。」と、はたから見れば怠惰にしか見えない生活を送るヤング晴明の鬱屈を浮き彫りにしているのです。天才であるがゆえに、努力したところで先が知れている「ギリ平安貴族になれない底辺官僚」としての陰陽師業界に、入る前からすでに嫌気がさしてしまっているんですね。これは、真面目に陰陽五行説や太陰暦の研究をしている陰陽博士の皆さんからは嫌われるわ……比叡山か高野山いけ!!

3、舞台となる平安時代初期の建築物や衣装に関するデザインの冒険がよろしい
 こういうあらすじだけを見ると、なんだか本作は晴明の頭を抑えつける要素しか周囲になくて非常に重だるい雰囲気のような感じがするのですが、そこらへんを陰陽寮の内装や徽子女王、村上帝あたりの皇族達の邸宅のデザインで非常にファンタジックかつ美麗にディティールアップしているのが本作の実に巧妙でしたたかなところだと思います。やっぱりキャリアの初期から国籍を超えた活躍をしている佐藤嗣麻子監督ならではのセンスと言いますか、私達がなんとなくひな祭りの雛人形や十二単みたいなイメージしか持っていない平安時代の貴族階級の風俗に対して、本作は「それよりちょっと昔」の10世紀前半の物語になるので、かなり自由に大陸文化を取り入れた美術になっているんですよね。そこらへんが、古いのに新鮮で綺麗なんだよなぁ。
 陰陽寮がなんとなくハリー・ポッターシリーズっぽいのはご愛敬ですが、徽子女王が十二単とは程遠い艶っぽくもある「うすぎぬ」主体の装束だったり、「掃除する女房のことも考えろ!」と思わざるを得ない散らかしっぷりで部屋中に花をちりばめていたりする「映画スクリーンの幅を考えた広い空間美術」になっているのは、もう観ているだけで幸せでしたね。なるほど、髪が異様に長いお姫様はああやって寝るんだ……寝相よすぎ!!

4、シリーズものの「0」としての分のわきまえ方がちゃんとしていて素晴らしい
 本作は、制作スタッフがまるまる総とっかえなので佐藤嗣麻子監督がどこまで意識しているのかはわからないのですが、いちおう萬斎晴明の『陰陽師』2部作のシリーズ作品であるはずです。
 それでなのかどうか、本作は作品のスケールが萬斎晴明以上に大きくならないようにきれいにまとまっています。「平安のシャーロック=ホームズ」としての晴明のキャラクターが完成し、名ワトスン役としての博雅との信頼関係もスタート、華と闇の村上朝もいよいよこれから始まるぞという期待感に包まれて物語は終幕するわけです。決して、萬斎晴明のように清涼殿付近で建物や石畳がぶっ壊れるテロ行為が行われたり、コントみたいな肉じゅばんを着た祟り神が日本列島の崩壊を狙うような、現実世界に侵食する異常事態は発生しないわけなのですね。

 それでも、本作も立派なエンタメ作品である以上、お客さんがガッカリしないようなアクションや CGスペクタクルは必要なわけなのですが、そこで佐藤嗣麻子監督が採ったのが、

「作中の破壊描写はすべて呪(しゅ)です。実際の建物や動物(かえるちゃん)に危害は加えられていません。」

 という妙手なわけなのでした。うまいね~。
 これによって、徽子女王や彼女の琴にまとわりつく黄金の龍の怪異や、晴明の術によってはじけ飛ぶかえるちゃんといった不思議現象がすべからく観る者、体験する者の主観による「真実」であって客観的な「事実」ではないことを、わかりやすい種明かしも含めて丁寧に説明しており、後半における羽生結弦くんチックな晴明独特の無重力なアクションも、原生林のような鬱蒼とした森のビジュアルで展開される敵の張った「八門遁甲の陣」も、すべては現実にあらわれるものではなく、術にかかった人たちの心の中で構築されるイマジネーションの共有世界なのだというルールが徹底されているのです。つまり、わんさと押し寄せる下っぱ戦闘員(同期の学生諸君)を踏み台にして陰陽寮狭しとピョンピョン飛び跳ねている時点で、晴明は自分自身が敵の術者のつくった「夢の中」にいる状況を冷徹に看破しているのです。「夢なんだからコレやっても文句はねぇだろ!」みたいな開き直り無敵キラキラスターマリオの境地にいるのですから、もはや手のつけようがありません。さすがは晴明!

 なるほど、集合的無意識の世界なのね~。昔っから『宇宙刑事ギャバン』の「マクー空間」に代表される「特撮もののクライマックスでヒーローと敵が必ず行くよくわかんない場所(たいてい採石場)」って一体なんなんだろうって思ってたんだけど、正義の味方と悪者が仲良くグースカ眠っていっしょに見ている夢の世界なのかも知れませんね。なかよし!!

 「葉っぱでつぶれるかえるちゃん」や「無からネズミを生む術」、「八門遁甲の陣」など、多くの有名な呪術エピソードを、心理トリックを利用した催眠マジックとして見事に再解釈した本作なのですが、私は特に「蟲毒の術」を人間社会に応用した理論がリアルで怖いなと感じました。
 なるほど、今までさんざんフィクション世界で使われてきて非現実的、非科学的なまじないの代表みたいなイメージをかぶっていた蟲毒も、こういう解釈で見ると、21世紀現代のブラック企業の中で誰かが仕掛けていても全く無理のない呪いなのですね。自由で実力主義な競争社会のようでいて、実は……というイヤ~な恐怖ですね。

 ……とまぁこんな感じで、本作『陰陽師0』はいろいろと設定や美術世界がかなり用意周到に計算された非常にウェルメイドな作品で、見た目こそハデではあったものの、いかにも大作映画らしい粗もほうぼうに見られた萬斎晴明2部作とは似ても似つかない「年の離れた兄貴2人を反面教師にして理知的に育った末っ子長女」みたいな秀作になっています。要するにあれです、『陰陽師0』はキュアフィナーレなんです! 髪の毛にこんぺいとうがくっついてるのにクールにすましてるんです! 本当なんです信じてください!!

 なので、ともかく面白かったよ~、観た方がいいよ!でおしまいにしても全然かまわないのですが、そこはそれ、ここは我が『長岡京エイリアン』の領域展開結界ですので、いつもの流れにのっとりまして、「ここ、もうちょっとこうして欲しかったな~」みたいな点をつぶやいてみたいと思います。いや、不満なんて一つくらいしかないんですけどね。


 そこはどうなのよ!? と感じた点
●賀茂忠行の嫡男で晴明の兄弟子にあたる賀茂保憲が陰陽寮のどこにもいない
 はいこれ! これは、これだけはいただけませんな!! 佐藤嗣麻子監督の作品であるからこそ、このポイントからは逃げないで真正面から取り組んでいただきたかった。

 賀茂保憲! 賀茂保憲ですよ!! このお人が、本作の舞台となった時期に陰陽寮にいないはずがないんですよ。
 晴明の師匠・賀茂忠行の嫡男で晴明の兄弟子という、おいしいにも程のあるポジションにある彼はれっきとした歴史上の実在人物(917~77年)で、生没年のわからない忠行が何歳の時にもうけた子なのかは不明なのですが、晴明の4歳年上になる陰陽師の先輩であり、『陰陽師0』の物語時期(天暦二年=西暦948年)では数え年32歳のはずです。
 このお方が本作に全く出てこないのが不思議……ではあるのですが、よくよく見てみると逆に「出てこないのも無理ないか」と感じてしまうのが、陰陽師業界では異常ともいえる保憲の出世スピードの速さで、948年の時点で彼は陰陽寮の暦博士と陰陽博士を兼任しており当時の宮廷の暦(今でいうカレンダーだが生活・政治上の重要度が段違いに高い)の制定の責任者を担当。官位にいたっては作中の陰陽頭・藤原義輔とおんなじ「従五位下」に叙せられているのです。映画の作中で村上帝をはじめとする皇族や大臣たち上級貴族「公卿(くぎょう)」と同列にいられずに、宮廷庭の玉砂利にじかに座っていた哀愁漂う背中が印象的な義輔でしたが、同じ時期の保憲は同じ官位でも宮廷にのぼることが許される「殿上人(てんじょうびと)」クラスにいたらしいので(のぼれない従五位下は「諸大夫」と呼ばれる)、ともすれば陰陽寮の上司であるはずの陰陽頭でさえも頭の上がらない出世を保憲はとげていたということになります。え? お父さんの忠行? 当然のごとく、保憲はこの時点で父・忠行の官位(正六位上)を軽く超えています。嗚呼、オヤジの威厳よ、いずこ……

 そんな実在したスーパーマン賀茂保憲が当ったり前のように陰陽寮のトップたる陰陽頭に就任するのは、『陰陽師0』の時代の約10年後となる天徳元(957年)年のことなのですが、それにしたって41歳なので、史実では陰陽頭どころか陰陽博士にすらならず、51歳の時に天文博士に就任したのがキャリアのピークという晴明に比べても、「陰陽師ものの主人公にするんならフツー保憲さんじゃないの?」と頭をひねってしまう出世の差が開いてしまっているのです。
 ただし、ここで晴明さんの名誉のために断っておきますと、当時の平安朝における「キャリア(肩書き)」と「官位」とは全く別のものでして、確かに肩書きの上では保憲と晴明との差は歴然としているものの、実際の貴族社会における待遇や権威・権力を左右するのは官位の方であり、その点では保憲が「従四位上」で晴明が「従四位下」ということで肉薄、しかも保憲の従四位上は晩年近くの功労昇進なので、無冠であっても晴明のステータスと知名度、信頼度は保憲と双璧をなすものであったはずです。でも晴明が保憲にずっと頭が上がらなかったのは事実のようで、『光る君へ』のように晴明が宮廷社会の闇の相談役として活躍するのはすべて、保憲の没後(970年代後半以降)の話となります。兄弟子は強し!

 さぁ、こんな晴明以上に常識はずれな活躍をしていた保憲を、この『陰陽師0』に出すのは果たしてどうなのよ!?と脚本を担当した佐藤嗣麻子監督が大いに頭を悩ませたことは想像に難くありません。ましてや、あの加門七海先生が監修を務めているのですから、まかり間違っても「出すの忘れちゃった☆」といううっかりミスはありえないでしょう。
 948年時点での賀茂保憲が陰陽寮で博士としてバリバリ働いていたことは歴史的事実なので、そんな彼ががっつり陰陽寮を舞台とした『陰陽師0』に出てこないわけがないのです。私、最後の最後までいつ出てくるのかと思ってワクワクしてたんだけど、ついに出てこなくってズッコケちゃいましたよ! そんな馬鹿な!! そんなもん、『ドラゴンボールZ 』にベジータが出てこないようなもんよ!? 無印じゃなくてZ によ!?

 もったいないにも程のあるカットなのですが……佐藤嗣麻子監督の立場になってみると、本作は明らかに「ガチガチの身分制社会の中で思うようにならず年齢ばかり重ねていき、鬱積してゆく生者たちの怨念」という、21世紀現代日本でも世の中の至る所に観られる大問題をテーマにすえています。そうである以上、その強固なはずの身分制社会をひょひょいのひょいっと乗り越えちゃっている保憲アニィを「ハーイみんなぁ☆」みたいな感じで作中に登場させるわけにはいかなかったのでしょう。そんな保憲が出てきちゃったら、義輔も忠行も是邦も貞文も、どんな顔して迎えたらよいのやら……陰陽師ものフィクションとしてはかなり異例なことに、この『陰陽師0』って、「死んだ怨霊がつけ入るスキ間がないくらいに生者のルサンチマンが粉塵爆発寸前レベルで充満している世界」なんですよね。ホラーじゃなくて純然たるミステリ世界。ほんと、いまの日本に瓜二つ……

 でもさぁ、存在まるごと消すっていうのは、どうなのかね。まぁ、確か萬斎晴明にも保憲は出てこなかったかと思うのでギリギリOK かとは思うのですが、夢枕獏の原作小説でもちゃんと出てくるし岡野玲子のマンガ版でもいい味を出していたので、そんな好キャラ保憲を出さないっていうのは……守りに入ってるというか、創作の姿勢としてカッコよくはありませんよね。物語の面白さよりも結構の美しさを取ったということか。う~ん。

 映画館で観ている最中から思っていたのですが、本作って、人知を超えた非凡な才能を持つヒーローの孤独と目覚めを描くという点で、同じ佐藤嗣麻子監督の『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(1995年 以下『エコⅠ』と呼びます)を彷彿とさせる「主人公 VS アウェーな環境」の物語だと感じていました。ややこしいことを言いますが、この『エコⅠ』の前日譚にあたる『エコエコアザラクⅡ』もあるのですが、『陰陽師0』での晴明は陰陽師としての能力は完全に開花させているので、あくまで『エコⅠ』のほうが『陰陽師0』に近いと思います。
 両者の相似点は多いのですが、やはり転校生の魔女・黒井ミサを「禍々しい存在」として好奇と忌避の目で取り囲むクラスメイトや教師たちの視線の中にまぎれ込む「同種の強敵」という人物配置が非常に今回の『陰陽師0』と非常によく似ていて、ネタバレになってしまうのですが、クライマックスで「最恐最凶のジョーカー」が召喚されて主人公が勝利するという流れもほぼ同じなのです。にしても、西洋の魔王ルシファにあたる存在が、あのお方とは……岡野玲子のマンガ版だとあんなにチャーミングなオヤジだったのに!!
 きっと、「若手をシコシコ呪っとるヒマがあるんなら、真っ当に勉強して出世せんかい、おおたわけ者!!」という文字通りの大カミナリが落ちたんでしょうね。ほんと、本作の真犯人の呪力って、現実逃避以外の何者でもないですもんね。

 ちなみに、さらに『エコⅠ』と『陰陽師0』とを比較していくと、「ワトスン役のはずだったこの人が、まさか!?」というどんでん返しがある点で実は『エコⅠ』のほうが面白かったりもするのですが、残念ながら本作はあくまでもシリーズもののエピソード0ですので、『エコⅠ』と同じことをやったら次に続かなくなってしまうので仕方ありませんね。でも、博雅役の染谷さんだったらウキウキ顔でラスボスになってくれそうなんだけどなぁ。『麒麟がくる』の織田信長モード召喚!!
 ところで、『エコⅠ』は言うまでもなくピッチピチした娘さんがた(と美熟女教師)がひしめく、レスボス島のかほりむせ返る紫檀色の世界だったのですが、いっぽう今回の『陰陽師0』はといいますと、眉間にシワの寄ったいぶし銀のオッサンやおじいちゃんがひしめく、加齢臭のかほりむせ返る渋茶色の世界になってしまっております……小林薫さんでしょ、國村隼さんでしょ、安藤政信さんに北村一輝さんに、挙句の果てにゃ嶋田久作さんと来たもんだ! そんなん、山崎さんと染谷さんとリヒトくんと奈緒さんまとめてぶつけても一瞬で「じゅっ。」と蒸発しちゃいますよ。オヤジパワー全開ぃ!!

 ところで、私は今作のキャスティングを観て、どうやら撮影に入るかなりギリギリの段階まで、佐藤嗣麻子監督は本作への賀茂保憲登場を選択肢に入れていたのではなかろうかと邪推しております。保憲が出る可能性はそうとう濃厚だったのではないかと。
 それは、賀茂保憲という大役を任されても十二分にその責任を果たしうる実力を兼ね備えた俳優さんが、すでに本作の撮影のために白羽の矢を立てられていたのではないかと思うからです。ただ、結局は佐藤嗣麻子監督の苦渋の判断によって「賀茂保憲の登場」は幻となってしまったため、撮影スケジュールをすでに確保してしまっていたその俳優さんは仕方なく、いてもいなくてもいいような脇役を「友情出演」のような感じる形で、本作の片隅にちょちょっと出ることになったのではないのでしょうか。


そう、幻と消えた賀茂保憲2024エディション。それを演じる予定だったのは……吹越満さん、あなただ!!


 私は夢想します。かつて大河ドラマで「鎌倉時代の宮将軍・宗尊親王」だとか「足利幕府最後の将軍・足利義昭」だとかいう、「平安貴族じゃないのに公家っぽい役」を嬉々として演じてこられた吹越さんが、満を持して晴明以上にデキる平安貴族・賀茂保憲として、平安京をカッポする、その雄姿を。
 だって、あの天下の吹越さんですよ!? おかしいじゃないですかぁ、あんな中級貴族の家の下人みたいな役ぅ! それで後半の犯人捜しにも全然からんでこないんですよ!? 最初っからこの役でキャスティングされるワケないじゃないかよう!!
 証拠なんかなんにもありませんけど、私は絶対に賀茂保憲役で吹越さんが呼ばれてたと確信してますよ。そして、今作『陰陽師0』が大ヒットとなったあかつきには、その続編『陰陽師0.5』(だって『1』もうあるし……)にて満を持して、吹越保憲が登場してくれると……私、信じてる!!
 まぁその……『陰陽師0』の時には、平将門サマの怨霊調伏かなんかで関東かどっかに出張してたってことで、いいんじゃないの。

 ただ、948年の時点では保憲さんは32歳なんでね、吹越さんだとちょっとトウがアレなんですが……ま、いっか。

 余談ですが、保憲不在の本作で、保憲と同じ陰陽寮の暦博士として登場していた架空の貴族・葛木の役を嶋田さんが演じておられるのですが、その嶋田さんが「昭和フィクション世界最恐の魔人」として演じられた『帝都物語』シリーズの超悪役の名前も「加藤保憲」でしたねぇ。魔人加藤は陰陽師の末裔なので、その名の由来も当然、賀茂保憲からです。
 いや、そりゃ演じていただけるんであれば賀茂保憲を嶋田さんが演じられるのが最高なんですが……さすがにそれは、ねぇ。血管ブチ切れて亡くなられてもこまっちゃいますし、枯れた老境の嶋田さんもステキですしね。陰陽五行、私にも教えてください先生♡

●ヒロイン徽子女王が博雅を許す経緯がいまひとつピンとこない
 もう言いたい不満点はあらかた前段で言ってしまったのですが、結局、言い出す勇気の無かった博雅がおとがめ一切なしで徽子女王に許されるという流れは、いま一つピンとこないものがありました。「離れていても想いはひとつ」という結論も、なんか今回は気を紛らわすための言い訳にしかなっていないような気がして。
 せめて、最後に博雅が村上帝にチクリと諫言するような勇気を見せてもいいかなと思ったのですが……その後の中年になった頃の博雅と徽子女王の関係も気になりますよね。

●平群貞文と惟宗是邦の扱いがかなり不憫でもったいない
 この『陰陽師0』って、大筋は「橘泰家殺人事件の犯人を追え」という謎解きが主眼だと思うのですが、それがのちに「晴明の両親殺害の真犯人」という大ネタにつながっていくので、相対的に泰家殺しの容疑者になる人物たちのスケールが小さくなっちゃうんですよね。どうあがいたって晴明の親の仇の方が悪役として大物になってしまいますから。
 なので、せっかく安藤さんや北村さんといった妖気&色気ムンムンの名優たちを起用しているのに、TV のサスペンス劇場によく出てくる「いかにも挙動の怪しい容疑者フラグ要員」にとどまってしまったような気がするのです。私も個人的には年齢も身上も安藤さんが演じる貞文に強いシンパシーを感じていたので、彼にはなんとかハッピーエンドを用意してほしかったのですが……ああ無情!

 余談ですが、今作ではなんか晴明の育ての親である賀茂忠行もなんとなく真犯人っぽい怪しい雰囲気があってなぜなんだろうと不思議に思っていたのですが、忠行を演じた國村さんって、別の晴明作品で宿敵の蘆屋道満を演じてましたね! あ~、それでなんとなく信用が置けなかったのか。勝手に納得。


 え~、ま、わたくしめの『陰陽師0』の感想は、ざっとこんな感じでございます。

 佐藤嗣麻子監督のだんなさまの『ゴジラ -1.0』は、まさに前代未聞の『 -1.0』という感じで、先達の『ゴジラ(1954)』に全くとらわれない自由な解釈が世界に受け入れられる成功要因となったのでしょうが、それよりも一歩前に進んで若き日の大陰陽師・晴明の姿を描いた本作は、まさに『0』にふさわしい、シリーズの原点としての役割を充分にになった端整な作品になっていたと思います。

 う~ん、佐藤嗣麻子監督の『陰陽師』シリーズ、この一作で終わってしまうのは、いかにももったいないですよ。
 先ほど指摘した賀茂保憲もそうですが、『0』で語られなかった重要要素としては、「狐の子と呼ばれる晴明の出生の秘密」もありますし、晴明の宿敵といわれる蘆屋道満との邂逅もあります。あと2~3作は作ってもらいたいですね! あっ、そういえば人間の姿をした式神も出てこなかったですね。引き出しはまだまだありますね~。

 次に出てくるのは『陰陽師0.5』かな?『0.75』かな? それとも『0.01』かな!? ♪きざんできざんで陰陽師レッツゴー☆
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おまえ0まで、わしゃ-1.0まで!! ~映画『陰陽師0』~ 資料編!

2024年04月22日 21時10分14秒 | 日本史みたいな
 みなさま、どうにもこんばんは! そうだいでございます。

 いや~、観てきた観てきた! やっぱり、あの監督の作品であるだけのことはありました。いろいろお土産をもらって来たと言いますか、観終わった後に脳みそがぐ~るぐるフル回転しちゃう感じと言いますか。
 最近あたくし思うんですけれども、結局、映画鑑賞って、「面白かったか、つまんなかったか」っていう判断基準じゃないと思うんですよ。「自分の魂の温度が上がったか、なんにも影響なかったか」! ここなんだよなぁ、千ウン百円払った甲斐がある体験だったのかどうかの分水嶺は。

 ぶっちゃけ、不完全でもいいんです、面白くなくなっていいんです。それで、「どうしてあそこはああだったんだろう?」とじっくり考える気になれたのなら、そのきっかけを与えてくれた映画には感謝をせねばならんのですわ!

 ということで、今回の映画は、けっこう観る人によって評価が正反対になりそうな作品なのですが、私は速攻で、映画を観て1~2分で判断いたしました。「これは、絶対に我が『長岡京エイリアン』で採り上げるべき映画である!!」と。
 ……いや、ぶっちゃけ、映画を観る半年以上前に、この作品の監督が「かのお方」であることを知った時点で、全身全霊をもってぶち当たらせていただくことは決まってたんですけどね。

 なにが『ゴジラ -1.0』だ、なにが『ゴジラ×コング 新たなる帝国』だ、なにがオスカーだ!!
 青春の日に魂を熱くしてくれたあの大恩、いまだ我が胸に消えず! 佐藤嗣麻子監督の最新作に、みんなちゅうもーく!!


映画『陰陽師0』(2024年4月19日公開 113分 ワーナー・ブラザース)
 『陰陽師0(おんみょうじゼロ)』は、夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズを原作とし、夢枕の全面協力の元、安倍晴明が陰陽師となる前の青年時代を完全オリジナルストーリーとして描いた映画。

 監督の佐藤嗣麻子と原作者の夢枕は、まだ佐藤が学生だった40年前に日本SF大会の会場で知り合い、それ以降夢枕からサークルに誘われるようになった。その後も佐藤と夢枕の交流は続き、やがて夢枕から『陰陽師』シリーズの映像化を要望されるまでになる。夢枕との約束から約35年を経た2015年より脚本の執筆を始めたが、美術や衣裳など細部に至るまでの考証には一切手を抜くことはなかったという。
 佐藤は、映画制作で困難を極めたのが陰陽寮の再現であったと言う。平安時代の建築物は寺社仏閣以外現存しておらず、作りこむ必要があったと言い、さらに夢の中にまで範囲が広がったため、ゼロから作り上げるのにとても苦労したと語っている。
 佐藤によれば、本作の主演を務めた山﨑は「とても不思議な人」であったといい、「人間離れしている人なので安倍晴明にはとても向いていると思った。夢枕さんの原作でも晴明は美形として描かれているので、そういった面でも合っていると感じた。」と言う。さらに「撮影中でも文句ひとつ、不平不満も一切言わない。とてもストイックな人」だと感じたという。また源博雅を演じた染谷将太については、「晴明と博雅の友情関係については原作通り丁寧に描きたかった」ため、山崎のキャスティングが決まった後すぐに出演を依頼したといい、難しい注文が好きという染谷に無理難題を与えたところ「とても的確に演じてくださった」という。
 なお、アクションシーンについてはアクション監督を務めた園村健介がインスピレーションの題材として参考にしたのが羽生結弦であり、浮遊感のあるアクションを作っていったと佐藤は語っている。


あらすじ
 天暦二(948)年、平安京。
 目に見えない呪いや祟りから京の都を守る省庁にして学校「陰陽寮」の学生(がくしょう)たちが、一人前の陰陽師を目指し切磋琢磨する中、陰陽師になることにいっさい興味のない学生・安倍晴明は陰陽道の授業をサボってばかりだった。狐の子で呪術が使えると噂される晴明を見守るのは、晴明の親代わりをする陰陽博士の賀茂忠行だけである。晴明の心には両親を殺した男の影があるが、その顔は見えないままだ。
 ある日、真言宗の高僧・寛朝の寺で公達に呪術を披露する晴明を見かけた中務大輔・源博雅は、晴明に頼みごとをすべく陰陽寮を訪れる。晴明の無礼な態度に面食らいながらも、博雅が従妹の元斎宮・徽子女王(よしこじょおう)の邸宅で夜ごとに琴がひとりでに鳴る怪異を相談すると、意外にも晴明は興味を示す。
 その頃、陰陽寮の特待学生である得業生(とくごうしょう)の橘泰家が、自宅の井戸の中で死体となって発見された。陰陽寮の長である陰陽頭(おんみょうのかみ)の藤原義輔は、泰家殺害の犯人を捕らえた者を次の得業生にすると定め、晴明もその命によりしぶしぶ事件の捜査に乗り出すのだったが……


おもなキャスティング
安倍 晴明 …… 山﨑 賢人(29歳)
 陰陽寮の学生(がくしょう)。幼い頃に両親を殺され、殺した男の影を追い続けている。賀茂忠行の弟子として陰陽寮に入寮したものの、陰陽師になることに興味を抱いておらず、授業も真剣に受けようとしない。陰陽師としての才能は随一なのだが不遜な態度をとるため、周囲から妬まれている。実は狐の子で呪術が使えるなどといった噂がある。本作の時点での年齢は27歳(数え年では28歳)。

源 博雅 …… 染谷 将太(31歳)
 醍醐天皇の孫で中務大輔。現在は賜姓降下して「源」姓を名乗っているが、叔父にあたる村上天皇の前でも普段着が許されている非常に高い地位にある。雅楽家として高名であり、龍笛や琵琶をはじめ数々の楽器を自在に弾きこなす。陰陽頭にさえ頭を下げられる身分である自分にも生意気な態度をとる晴明に対して、どことなく親近感を覚える。
 なお、史実の源博雅も本作の天暦二年の時点では、演じた染谷と同じ31歳である(ただし数え年)。

徽子女王 …… 奈緒(29歳)
 醍醐天皇の皇孫。10歳の頃より親元を離れて務めてきた伊勢神宮斎宮を退いた後、京に戻る。従兄である博雅を慕っている。常人には見えないものが見えてしまう「見鬼(けんき)」という特異体質の持ち主で、自邸の琴がひとりでに鳴り出すという怪異について博雅に相談する。
 なお、史実の徽子女王は天暦二年の時点では20歳であり、9~17歳の時期に斎宮を務めた。また、徽子女王は琴の名手だったが、「平安朝三十六歌仙」にも選ばれる歌人としても有名である。

平郡 貞文(へぐりのさだふみ)…… 安藤 政信(48歳)
 陰陽寮の学生。農民生まれの45歳で、故郷に残してきた母に楽をさせるために栄達して陰陽師となるべく、まずは得業生を目指して勉学に励んでいるが、泰家ら年下の学生たちに馬鹿にされている。

橘 泰家 …… 村上 虹郎(27歳)
 陰陽寮の学生。成績優秀な得業生ではあるが傲慢な性格の持ち主。

村上天皇 …… 板垣 李光人(22歳)
 醍醐天皇の第14皇子。兄・朱雀天皇の崩御により即位した。甥にあたる博雅から龍笛を教わっている。多くの女御たちに囲まれるプレイボーイで、晴明の噂を聞き興味を抱く。
 なお、史実の村上天皇も天暦二年の時点では、演じた板垣とほぼ同年齢の23歳である(数え年)。

賀茂 忠行 …… 國村 隼(68歳)
 陰陽博士。暦家としても名高く、陰陽寮では講師として陰陽道を教えている。幼い頃に両親を失った晴明を引き取り育て、自らの弟子にした。晴明の陰陽師としての非凡な才能を認めて得業生に推挙するが、周囲からはえこひいきだと批判されている。出世欲の見られない晴明を案じている。
 なお、史実の賀茂忠行は生没年不詳である。

惟宗 是邦(これむねのこれくに)…… 北村 一輝(54歳)
 天文博士。陰陽寮で天文道を教える。学生たちに熱心な指導を行うが、かわいげのない晴明はいけ好かなく思っている。

藤原 義輔 …… 小林 薫(72歳)
 陰陽寮の長である陰陽頭(おんみょうのかみ)であり、現在空席となっている天皇直属の陰陽師「蔵人所(くろうどどころ)陰陽師」に最も近いと言われている陰陽師。占いや呪術の腕は超一流で、陰陽師としてただ一人、帝の清涼殿に入ることができるが、昇殿までは許されていない。

陰陽学生・丈部兼茂 …… 桐山 漣(39歳)
陰陽学生・小野春光 …… 石田 法嗣(34歳)
陰陽学生・佐伯義忠 …… 高橋 里恩(26歳)
陰陽博士・葛木茂経 …… 嶋田 久作(68歳)
僧・寛朝      …… 眞島 秀和(47歳)
泰家の母・薫子   …… 筒井 真理子(63歳)
橘家の使用人    …… 吹越 満(59歳)
左大臣・藤原 実頼 …… 山崎 一(66歳)


おもなスタッフ
監督・脚本   …… 佐藤 嗣麻子(60歳)
製作総指揮   …… 関口 大輔(56歳)
企画      …… 濱名 一哉(68歳)
音楽      …… 佐藤 直紀(53歳)
撮影      …… 佐光 朗(66歳)
美術      …… 林田 裕至(63歳)、愛甲 悦子(?歳)
アクション監督 …… 園村 健介(43歳)
呪術監修    …… 加門 七海(?歳)
ナレーター   …… 津田 健次郎(52歳)
制作      …… ROBOT
配給      …… ワーナー・ブラザース映画


≪ドーマンセーマン特別ふろく! 映画&ドラマに登場した歴代晴明 with 複数回登場した歴史上の人物≫
※俳優さんの年齢は、その作品の公開 or 放送開始当初のものです。

1、連続ドラマ『陰陽師』(2001年4~6月放送 NHK総合 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 稲垣 吾郎(27歳)
源 博雅  …… 杉本 哲太(35歳)
蘆屋 道満 …… 寺尾 聰(53歳)
藤原 兼家 …… 石橋 蓮司(59歳)
藤原 兼通(兼家の兄)…… 平野 稔(66歳)

2、映画『陰陽師』(2001年10月公開 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 二世 野村 萬斎(35歳)
源 博雅  …… 伊藤 英明(26歳)
村上天皇  …… 岸部 一徳(54歳)
藤原 兼家 …… 石井 愃一(55歳)
藤原 師輔(兼家の父)…… 矢島 健一(45歳)

3、連続ドラマ『陰陽師☆安倍晴明 王都妖奇譚』(2002年7月放送 フジテレビ 原作・岩崎陽子)
安倍 晴明 …… 三上 博史(40歳)
賀茂 忠行 …… 筒井 康隆(66歳)
賀茂 保憲(忠行の嫡男)…… 段田 安則(45歳)
村上天皇  …… 花田 裕之(42歳)

4、映画『陰陽師II』(2003年10月公開 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 二世 野村 萬斎(37歳)
源 博雅  …… 伊藤 英明(28歳)
村上天皇  …… 螢 雪次朗(52歳)
藤原 兼通 …… 斎藤 歩(38歳)

5、映画『妖怪大戦争』(2005年8月公開 監督・三池崇史)
安倍 晴明 …… 永澤 俊矢(43歳)

6、映画『源氏物語 千年の謎』(2011年12月 原作・高山由紀子)※感想はこちら~
安倍 晴明 …… 窪塚 洋介(32歳)
紫式部   …… 中谷 美紀(35歳)
藤原 道長(兼家の五男)…… 東山 紀之(45歳)
藤原 行成 …… 甲本 雅裕(46歳)
一条天皇(村上天皇の孫)…… 東儀 秀樹(52歳)
藤原 伊周(道長の甥) …… 佐藤 祐基(27歳)

7、スペシャルドラマ『陰陽師』(2015年9月放送 テレビ朝日 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 十世 松本 幸四郎(当時は七世市川染五郎 42歳)
源 博雅  …… 堂本 光一(36歳)
蘆屋 道満 …… 國村 隼(59歳)
藤原 兼家 …… 川原 和久(53歳)
藤原 道長 …… 和田 正人(36歳)
藤原 兼通 …… 六平 直政(61歳)
藤原 師輔 …… 志垣 太郎(64歳)
賀茂 保憲 …… 神保 悟志(52歳)
村上天皇  …… 冷泉 公裕(68歳)

8、スペシャルドラマ『陰陽師』(2020年3月放送 テレビ朝日 原作・夢枕獏)※感想はこちら~
安倍 晴明 …… 佐々木 蔵之介(52歳)
源 博雅  …… 市原 隼人(33歳)
蘆屋 道満 …… 竹中 直人(64歳)
賀茂 忠行 …… 大出 俊(79歳)
賀茂 保憲 …… 橋本 じゅん(56歳)

9、再現ドラマ『いにしえの天文学者 安倍晴明』(2020年11月放送 NHK BSプレミアム)
※科学番組『コズミックフロント☆NEXT』(2015~23年放送)内で制作された再現ドラマ
安倍 晴明 …… 稲垣 吾郎(46歳)
藤原 兼家 …… 鄭 龍進(47歳)

10、映画『刀剣乱舞 黎明』(2023年3月公開 監督・耶雲哉治)
安倍 晴明 …… 竹財 輝之助(42歳)
藤原 道長 …… 柄本 明(74歳)

11、大河ドラマ『光る君へ』(2024年1月~放送中 NHK総合 脚本・大石静)
安倍 晴明 …… ユースケ・サンタマリア(52歳)
紫式部   …… 吉高 由里子(35歳)
藤原 道長 …… 柄本 佑(37歳)
藤原 兼家 …… 段田 安則(67歳)
藤原 行成 …… 渡辺 大知(33歳)
一条天皇  …… 塩野 瑛久(29歳)
藤原 伊周 …… 三浦 翔平(35歳)

12、映画『陰陽師0』(2024年4月公開 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 山崎 賢人(29歳)
源 博雅  …… 染谷 将太(31歳)
村上天皇  …… 板垣 李光人(22歳)
賀茂 忠行 …… 國村 隼(68歳)
※セリフは無いが、右大臣・藤原師輔と思われる公卿を蔵原健(46歳)が演じている。


 あ、今作の山崎賢人さんは、スーパーヒーローとしての晴明を演じた俳優さんとしては記念すべき「10人目」だったのか! そりゃあ大事な作品だわ。それにしても、「安倍晴明」も「明智小五郎」も「金田一耕助」も、しまいにゃ「仮面ライダー」さえも演じたことのあるゴローさんって、どんだけファンタジーな俳優さんなんだ……ほんとに実在してるのかな?

 え~、というわけでありまして、本題に入る前のお膳立ての時点で記事が5~6000字になってしまいましたので、肝心カナメの映画の感想は、次回にじっくり腰を据えて吐露してまいりたいと思います。もう、感想本文が4~5000字でおさまるわけがないのは、打ち込む前から確定しているという……燃え上がれ、わが腱鞘!!

 いや~、やっぱり歴史もの、陰陽師ものは「またあんな感じなんでしょ~?」みたいなはすに構えた姿勢で観ていても、いつの間にか「おい、アレはどうなってるんだ? なんでそこ、そんな感じなの!?」と夢中になってしまうのであります。もう病気ですね……

 ということで、佐藤嗣麻子監督 VS 陰陽師の世紀の対決に立ち会った観戦記については、まったじっかい~☆
 う~ん、思いのほか『エコエコアザラク』してたな……ま、いっか、どっちもマジカルだし。
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山形と最上義光の歴史2(1583~1631年)

2024年01月14日 15時02分43秒 | 日本史みたいな
≪前半は、こちら!

『最上義光』                       2016年3月   伊藤 清郎   吉川弘文館人物叢書
『図説 日本の城郭シリーズ 第14巻 最上義光の城郭と合戦』2019年8月   保角 里志   戎光祥出版
『山形の城を歩く』                    2020年7月   保角 里志   書肆犀


天正十一(1583)年
三月
 大浦城主・大宝寺義氏、家老・前森蔵人(40歳 のちの東禅寺筑前守義長)の謀反により自害する(33歳)。
 大宝寺義氏の弟・義興(30歳)、大宝寺家第十八代当主となる。
八月
 東海大名・徳川家康(41歳)、次女・督姫(19歳)を関東大名・北条氏直(22歳)に嫁がせ同盟関係を結ぶ。
十一月
 羽柴秀吉(47歳)、徳川家康を通じて北条氏直に惣無事令を通告する。

天正十二(1584)年
四月
 山形出羽守義光(39歳)、「最上下郷八楯」の鮭延典膳秀綱(22歳)の居城・鮭延城(現・真室川町)を包囲するが攻め落とせず。
五月
 山形義光、伊達家との同盟関係を深め天童家の孤立化に成功する。
六月
 山形義光、谷地城主・白鳥十郎長久(?歳 義光の義兄にあたる)を山形城に招き暗殺する。
 山形義光、白鳥家の谷地城(現・河北町)を落城させる。
 山形義光、寒河江城主・寒河江高基(?歳)を自刃させ寒河江地方を制圧する。
 山形義光、弟・長瀞義保(?歳)を寒河江城主におき大宝寺家との国境の白岩城(現・寒河江市)を改修させる。
十月
 山形義光、天童城を攻略し天童頼澄(別名・頼久 17歳)を陸奥国に追放する。
 山形義光、天童城を破却し跡地に山形宝幢寺別当・愛宕神社を勧請する。天童城近隣の山に貫津新城を建造する。
 「最上下郷八楯」の長瀞家と尾花沢家、天童城の落城を受け自落する(最上下郷八楯の実質的崩壊)。
 山形義光、嫡男・小僧丸(12歳 のちの最上義康)を高擶城主におく。
 山形義光、天童頼澄の義父にあたる小国城主・細川直元(?歳)を攻めて陸奥国に追放する。
 山形義光の家臣・蔵増日向守(?歳)、小国城番となる。
 山形義光、新庄城主・日野左京亮を服属させる。
 山形義光、左沢地方の楯山城(現・大江町)を領有し家臣・長尾右衛門(?歳)を城番とする。
 山形義光、最上地方統一を機にこの頃から姓名を「最上」と改める。
 陸奥国大名・伊達輝宗(41歳)、家督を嫡男・伊達政宗(18歳)に譲り隠居する。
十一月
 最上地方の鮭延城主・鮭延典膳秀綱(22歳)、最上義光の侵攻を撃退する。
 羽柴秀吉(48歳)、小牧長久手合戦を経て徳川家康(42歳)と講和する。
十二月
 庄内地方の大名・大宝寺家の家老・東禅寺筑前守義長(41歳)、山形義光に秘密裏に接近する。

天正十三(1585)年
二月
 天童家遺臣の瀧口某・浅岡某が川原子(現・天童市)で蜂起するが鎮圧される。
四月
 庄内地方の大名・大宝寺家の家老・東禅寺筑前守義長(42歳)、鮭延城包囲のために築いた内町陣城に在陣する山形義光(40歳)に大宝寺義氏の遺刀を贈り同盟関係を結ぶ。
五月
 鮭延典膳秀綱(23歳)、山形義光に降伏する。
六月
 大浦城主・大宝寺義興(32歳)、最上方の清水城を攻撃するが撃退される。
 芦名・最上・相馬・二階堂・佐竹・大崎家ら東北地方の諸大名、連合して伊達家に対抗する伊達家包囲網を展開する。
七月
 東禅寺義長、大宝寺義興と対立し戦闘する。
 陸奥国大名・伊達輝宗(42歳)、重臣・遠藤基信(54歳)を使者として摂津国大坂城の羽柴秀吉(49歳)に馬を贈る。
 羽柴秀吉、関白に叙任される。
九月
 関白・羽柴秀吉、朝廷より「豊臣」姓を賜る。
十月
 関白・豊臣秀吉、九州大名・島津義久(53歳)に停戦令をくだす。

天正十四(1586)年
正月
 最上出羽守義光(41歳)、庄内地方の大浦城主・大宝寺義興(33歳)と戦闘する東禅寺城主・東禅寺筑前守義長(43歳)に援軍を送る。
五月
 最上出羽守義光、仙北地方の大名・小野寺家と出羽国有屋峠で合戦する。
六月
 北陸大名・上杉景勝(31歳)、摂津国大坂城で関白・豊臣秀吉(50歳)に拝謁し服属する。
七月
 伊達家、相馬家の仲裁により芦名・佐竹家と和睦する(奥口総和)。
十月
 東海大名・徳川家康(44歳)、摂津国大坂城で関白・豊臣秀吉に拝謁し服属する。
十一月
 最上義光、伊達政宗(20歳)の仲介により大宝寺義興と和睦する。
 最上義光、大宝寺義興に呼応して挙兵した出羽国白岩城主・白岩八郎四郎広教(?歳)を滅ぼす。
十二月
 大浦城主・大宝寺義興、東禅寺城主・東禅寺筑前守義長と和睦する。
 関白・豊臣秀吉、関東・東北地方に惣無事令をくだす。
 豊臣秀吉、太政大臣に叙任される。

天正十五(1587)年
正月
 関東大名・北条氏直(26歳)、相模国小田原城の大改修を始める。
二月
 陸奥国大名・伊達政宗(21歳)、館山城(現・米沢市)の建造を開始する(館山城は天正十九年の伊達家岩手沢移封により未完)。
五月
 大浦城主・大宝寺義興(34歳)、最上義光(42歳)の支援を受け実権を掌握する家老・東禅寺筑前守義長(44歳)と再び戦闘状態に入る。
 関白・豊臣秀吉(51歳)、九州大名・島津義久(55歳)を降伏させ九州地方を平定する。
六月
 関白・豊臣秀吉、バテレン追放令を発令する。
八月
 出羽国庄内地方の観音寺城主・来次出雲守氏秀(?歳)、最上家と戦闘する。
九月
 出羽国仙北地方(現・秋田県横手地方)の大名・小野寺家、六郷家、金沢家との間に戦闘が起こる(仙北干戈)。
 伊達政宗の仲介により大宝寺義興と東禅寺義長、和睦する。
十月
 大宝寺義興、東禅寺義長に降伏し最上領の谷地城に送られ自害する(34歳)。最上家家臣・中山玄蕃頭朝正(?歳)、大浦城番となる。
 仙北地方の小野寺家、六郷家、金沢家、最上義光の仲介により和睦する。
 伊達政宗、出羽国鮎貝城主・鮎貝盛次(33歳)と宗信(?歳)父子の対立に乗じて侵攻し鮎貝城(現・白鷹町)を攻略する。鮎貝宗信、最上領に亡命する。
 越後国本庄城主・本庄繁長(48歳)、新発田重家(41歳)を討ち新発田城(現・新潟県新発田市)を攻略する。

天正十六(1588)年
二月
 伊達政宗(22歳)、大崎地方の大名・大崎義隆(40歳)の中新田城を攻撃するが大敗する。
 最上出羽守義光(43歳)、庄内・最上地方の家臣に対して秋田・仙北地方からの侵攻に備えるように指令する。
三月
 伊達政宗、出羽国中山城(現・南陽市、別名・岩部山城)を改修し、最上義光と対立する。
 最上義光、伊達政宗の中山城改修に対抗し虚空蔵山に高楯城(現・上山市)を建造する。
 関東大名・徳川家康(46歳)、最上義光に伊達政宗との和平を勧告する。
四月
 伊達政宗、最上領との国境に位置する出羽国鮎貝城(現・白鷹町)を改修する。
 伊達軍と最上軍、狸森(現・上山市)などで戦闘を繰り返す。
 最上義光、伊達領の陸奥国秋保(現・秋保町)に侵攻するが撃退される。
 本庄繁長(49歳)、次男・大宝寺義勝(15歳)と共に出羽国に侵攻し最上軍との戦闘を開始する。
閏五月
 関白・豊臣秀吉(52歳)の使者・金山宗洗(?歳)、山形城に到着し最上領内を視察する。
六月
 最上義光と伊達政宗、義光の妹で政宗生母の保春院義姫(41歳)の仲介により和睦する。
 伊達政宗、陸奥国郡山に侵攻し芦名・佐竹連合軍と戦闘する。
七月
 伊達政宗、相馬・白河家の仲裁により芦名・佐竹家と和睦する。
八月
 関東大名・北条氏直(27歳)の叔父・氏規(44歳)、上洛し京・聚楽第で関白・豊臣秀吉に拝謁し講和する。
九月
 関白・豊臣秀吉の使者・金山宗洗、米沢城に到着し伊達領内を視察して京へ帰る。
十月
 本庄繁長と次男・大宝寺義勝、十五里ヶ原合戦で東禅寺筑前守義長(45歳)を討つ。
 本庄繁長、最上家家臣・中山玄蕃朝正の大浦城を落城させ庄内地方を制圧する。
 最上義光、本庄繁長と大宝寺義勝の軍事行動を惣無事令違反であると豊臣秀吉に訴えるが、上杉景勝(33歳)の差配により事実上黙殺される。
 最上義光、出羽国仙北地方からの小野寺家の侵攻に備えて神室山麓に支城(片平城、落城、小倉城など)を構築する。

天正十七(1589)年
正月
 関白・豊臣秀吉(53歳)、使者・金山宗洗(?歳)を出羽国米沢城に遣わし伊達政宗(23歳)の上洛を要請する。
五月
 最上領の名川城(現・鶴岡市)、上杉軍の攻撃を受け落城する。
六月
 伊達政宗、芦名・佐竹家との和睦を破断し、摺上原合戦に勝利して芦名家を滅亡させ陸奥国黒川城(現・福島県会津若松市)を領有する。
七月
 上杉景勝(34歳)の内意を受けた大浦城主・大宝寺義勝(16歳)、上洛して関白・豊臣秀吉により出羽守に叙任される(最上義光の出羽守職の剥奪)。
十月
 伊達政宗、須賀川城(現・福島県須賀川市)を攻め落とし二階堂家を滅亡させる。
十一月
 関白・豊臣秀吉、上野国沼田の領土問題で名胡桃城(現・群馬県水上町)を占拠した北条家に違反があったとして北条家討伐を決定する。

天正十八(1590)年
 最上出羽守義光(45歳)、立石寺日枝神社を改修する。
五月
 最上義光の父・栄林、死去(70歳)。
六月
 伊達政宗(24歳)、豊臣秀吉(54歳)の小田原陣へ到着する。
 最上義光、父・栄林の葬儀により関白・豊臣秀吉の小田原陣への到着が遅れる。
七月
 関東大名・北条氏直(29歳)、相模国小田原城を開城し豊臣秀吉に降伏する。
 豊臣秀吉、北条家の領地を没収し関東大名・徳川家康(48歳)に移封する。
 豊臣秀吉、東北地方平定のために下野国宇都宮城に入城する。
八月
 豊臣秀吉、相馬・佐竹・伊達・最上家ら小田原陣に参加した諸大名の所領を安堵し、参陣しなかった大崎・葛西家ら諸大名を改易する。
 豊臣秀吉、出羽国庄内地方の領有権を上杉景勝(35歳)に与え、本庄繁長(51歳)・大宝寺義勝(17歳)父子の所有権を認めず。
 豊臣秀吉、陸奥国黒川城に入城し東北地方の検地と刀狩りの実施を命ずる(撫切令)。
 上杉景勝、出羽国庄内地方の検地を開始し、観音寺城主・来次出雲守氏秀(?歳)を越後国高田に移封させ、上杉家家臣・寺尾伝左衛門を城番とする。
 豊臣秀吉、伊達政宗(24歳)と最上義光(45歳)に妻子の上洛を命ずる。
 最上義光、豊臣軍の出羽国仙北地方進出への先鋒を任され、家臣・鮭延典膳秀綱(28歳)を湯沢城(現・秋田県湯沢市)の城番におく。
 伊達家の米沢城下、豊臣軍の進出を恐れ大混乱に陥る。
九月
 陸奥国大崎(現在の宮城県北部)、葛西(現在の岩手県南部)、出羽国庄内、仙北など東北各地で豊臣軍の検地・刀狩りに抵抗する一揆が発生する。
 出羽国庄内地方の一揆勢、観音寺城を占拠し城主・寺尾伝左衛門(?歳)を討ち取るが上杉軍により鎮圧され、観音寺城は破却される。
十月
 陸奥国大崎、葛西で蜂起した一揆勢、豊臣家臣・木村吉清(?歳)の籠城する佐沼城(現・宮城県登米市)を包囲する。
 伊達政宗と豊臣家臣・蒲生氏郷(35歳)、一揆勢を鎮圧し佐沼城を救援するが、伊達政宗が一揆勢に通じていたとする疑惑が流れる。
十二月
 豊臣秀吉、陸奥国北部で発生した九戸政実(55歳)の乱と東北各地の一揆の鎮圧のために、甥・豊臣秀次(23歳)を総大将とする奥羽平定軍(徳川家康・上杉景勝・蒲生氏郷・佐竹義宣・石田三成ら)を派遣する。
 豊臣秀吉、大宝寺義勝に信濃国川中島の知行を与える。義勝は京に移住する(ただし大浦城下に大宝寺家領2500石は残される)。

天正十九(1891)年
正月
 伊達政宗(25歳)、上洛し関白・豊臣秀吉(55歳)に大崎・葛西一揆勢との関係否定の釈明をする。
 最上義光(46歳)、上洛し侍従に叙任される。伊達政宗、奥州探題、侍従に叙任される。
 関白・豊臣秀吉、肥前国名護屋城の建造を始める(唐入りの開始)。
二月
 豊臣秀吉、伊達政宗に大崎・葛西領を与える代わりに会津領を没収する。
 最上侍従義光、出羽国仙北地方の領土分配をめぐり横手城主・小野寺義道(26歳)と対立する。
五月
 上杉家重臣・直江兼続(32歳)、上杉家領となった出羽国庄内地方に入り一揆勢を鎮圧する。
 上杉家家臣・下対馬守秀久(?歳)、出羽国大浦城主となる。
六月
 伊達政宗、新たに領地となった大崎・葛西の一揆を鎮圧するために出兵する。
七月
 関白・豊臣秀吉の甥・豊臣秀次(24歳)を総大将とする奥羽平定軍、陸奥国佐沼城合戦で一揆勢を壊滅させ平定を終了する。
 豊臣秀吉、伊達家の領地を陸奥国大崎・葛西のみに減封する。
九月
 伊達政宗、陸奥国岩出山城(現・宮城県大崎市)に入城する。
 豊臣家臣・蒲生氏郷(36歳)、陸奥国米沢城に入城する。
 蒲生家重臣・蒲生郷可(?歳)、出羽国中山1万3千石の領主となり、伊達家の旧中山城(別名・岩部山城)を破却し、近隣の小山に天守閣を有する新たな中山城を建造する。
十二月
 豊臣秀吉、関白位を甥・秀次に譲る。

文禄元(1592)年
正月
 最上侍従義光(47歳)、伊達侍従政宗(26歳)、蒲生氏郷(37歳)ら東北地方の諸大名、唐入りのために肥前国に向けて出陣する。
三月
 最上義光、肥前国から山形城の大改修と城下町・街道の拡張計画を指示する。
四月
 豊臣軍、渡海し朝鮮王国への侵攻を開始する(文禄の役)。

文禄二(1593)年
二月
 肥前国名護屋城に在陣中の最上侍従義光(48歳)、京の連歌師の要請により家臣・江口五兵衛光清(?歳)を使者として自身と家老・氏家尾張守守棟(60歳)の句を送る。
八月
 太閤・豊臣秀吉(57歳)の三男・拾丸(のちの豊臣秀頼)、誕生。

文禄三(1594)年
八月
 最上侍従義光(49歳)の次男・家親(13歳)、元服し駿河守に叙任される(徳川家康から「家」の偏諱を賜る)。
十一月
 伊達侍従政宗(28歳)の生母・最上保春院義姫(47歳)、政宗の肥前名護屋城出陣中に陸奥国岩出山城を出奔し実家の出羽国山形城に寄寓する。

文禄四(1595)年
五月
 最上侍従義光(50歳)の三女・駒姫(15歳)、関白・豊臣秀次(28歳)の側室に入室することが決まり、京に向けて出発する。
七月
 太閤・豊臣秀吉(59歳)、甥の関白・豊臣秀次に謀反の疑いありとして高野山に追放し自害させる。
 最上侍従義光(50歳)や伊達侍従政宗(29歳)、豊臣秀次の謀反に関係する疑いありとして京・聚楽第に謹慎させられる。
八月
 豊臣秀次の妻子30名、京・三条河原で処刑される。この時、秀次の側室候補として上洛したばかりだった最上駒姫(15歳)も連座して処刑される。
 義光と共に聚楽第で謹慎していた正室・大崎御前、死去(?歳 駒姫の処刑を追っての自害である可能性が高い)。

慶長元(1596)年
 最上侍従義光(51歳)の次男・最上駿河守家親(15歳)、江戸城に出仕して徳川家康(54歳)に仕える。
七月
 最上侍従義光、『源氏物語』への深い教養を反映した連歌解説書『連歌新式』を著述する。
九月
 太閤・豊臣秀吉(60歳)と明帝国大使、摂津国大坂城で会見するが交渉が決裂し再度の唐入りが決定する。
十二月
 最上駿河守家親、歌人・里村紹巴(73歳)から和歌書『三部抄』を贈られる。

慶長二(1597)年
 伊達侍従政宗(31歳)、右近衛権少将に叙任される。
五月
 豊臣軍、再び渡海し朝鮮王国への侵攻を開始する(慶長の役)。

慶長三(1598)年
正月
 北陸大名・上杉景勝(43歳)、所領を越後国から陸奥国会津120万石に転封される。
 上杉家家臣・横田式部少輔旨俊(?歳)、最上領との国境に位置する中山城(現・上山市)の城番となる。
八月
 太閤・豊臣秀吉、死去(62歳)。
十一月
 豊臣軍、朝鮮半島から撤退し唐入りを終結させる。

慶長四(1599)年
閏三月
 大老・前田利家、摂津国大坂城で死去(62歳)。
 奉行筆頭・石田三成(40歳)の失脚により、大老・徳川家康(57歳)が豊臣政権の主導権を握る。
九月
 大老・徳川家康、摂津国大坂城に入城し豊臣政権を掌握する。
 大老・上杉景勝(44歳)、京から陸奥国会津に帰国する。
十月
 上杉景勝、領国国境の防備を強化する。

慶長五(1600)年
二月
 陸奥国大名・上杉景勝(45歳)、領国内の諸城の改修を命じ、重臣・直江山城守兼続(41歳)に神指城(現・福島県会津若松市)の建造を命ずる。
四月
 上杉家、大老・徳川家康(58歳)に対して十五ヶ条の「直江状」を送付し対立が決定的となる。
七月
 徳川家康、全国の諸大名に上杉景勝追討の動員令をくだし、最上侍従義光(55歳)、佐竹義宣(31歳)ら東北地方の諸大名にも出兵を命じる。
 伊達政宗(34歳)、上杉家領の陸奥国白石城(現・宮城県白石市)を攻め落とす。
 徳川家康、江戸城を出陣し下野国小山城に入城するが、京・大坂での石田三成(41歳)挙兵の報を知り上杉家追討を一時停止して今後の動向を合議する(小山評定)。
 最上義光の次男・最上駿河守家親(19歳)、徳川秀忠(22歳)に従い下野国宇都宮城に入城し、その後信濃国の真田家攻撃に参加する。
八月
 徳川家康、東北地方の諸大名の出兵を解き江戸城に帰陣する。
 上杉景勝、佐竹義宣、相馬家、小野寺家と密かに通じ家康派の最上家の孤立化をはかる。
九月
 直江山城守兼続を総大将とする上杉軍2万、最上領に侵攻して宇津野城(現・朝日町)の関三郎兵衛(?歳)と畑谷城(現・山辺町)の江口五兵衛光清(?歳)を討ち、菅沢(現・山形市)に陣をしき長谷堂城(現・山形市)を包囲する。
 上杉家臣の出羽国大浦城主・下対馬守秀久(?歳)、最上家の出羽国谷地城を攻め落とす。
 上杉軍、長谷堂城と同時に上山の上山城と高楯城を攻撃するが攻め落とせず。
 最上義光、嫡男・最上修理大夫義康(26歳)を使者として伊達政宗に援軍を要請する。
 下次右衛門、太平山麓に平城を建造し大浦城を破却する。
 伊達政宗、上杉家領の陸奥国湯ノ原城(現・宮城県七ヶ宿町)を攻め落とし出羽国新宿(現・上山市)まで進撃する。
十月
 直江兼続率いる上杉軍、関ヶ原合戦での徳川家康の勝利の報を受けて、最上軍の長谷堂城の包囲を解き陸奥国に撤退する。
 出羽国谷地城を占拠していた上杉家臣・下対馬守秀久、最上軍に投降し最上家家臣となる。
 最上義光、上杉家領の出羽国大浦城を攻め落とす。
 最上義光、最上家に投降した下対馬守秀久を先鋒として庄内地方に出兵させる。
 上杉家、重臣・本庄越前守繁長(61歳)を使者として上洛し徳川家康に降伏する。

慶長六(1601)年
四月
 鮭延典膳秀綱(39歳)らが率いる最上軍、上杉方である庄内地方の菅野城(現・遊佐町)と東禅寺城(現・酒田市、別名・亀ヶ崎城)を攻め落とす。
 最上侍従義光(56歳)、眼病により執政を嫡男・最上修理大夫義康(27歳)に一時委任する。
 最上義光、上洛して徳川家康(59歳)に拝謁し名刀「大黒正宗」を拝領する。
七月
 陸奥国大名・上杉景勝(46歳)、上洛して徳川家康に拝謁する。
八月
 上杉景勝、所領を120万石から30万石に減封される。上杉家と同盟した小野寺義道(36歳)、改易される(石見国津和野藩預かり)。
十一月
 最上義光、江戸城で徳川家康に拝謁し出羽国庄内地方の領有権を認められ、石高24万石から57万石の大名となる。
 最上義光の甥・白岩備前守光広(13歳 白岩広教の養子)、稲荷山城を建造し寒河江地方を支配する。

慶長七(1602)年
 徳川家康(60歳)、佐竹家を出羽国秋田に転封し、その他の上杉派大名も転封処分にする。

慶長八(1603)年
三月
 徳川家康(61歳)、上洛し江戸幕府初代征夷大将軍に叙任される。
 最上侍従義光(58歳)、徳川家康に供奉し上洛する。
八月
 最上侍従義光、自身を隠居させて家督を相続する動きありと見た嫡男・最上修理大夫義康(29歳)、高野山での出家を命じる。
 最上修理大夫義康、高野山に向かう途上の庄内地方・松原(現・鶴岡市)で、義光派の家臣に火縄銃で撃たれ暗殺される(29歳)。

慶長九(1604)年
閏八月
 最上侍従義光(59歳)、江戸に上京する。

慶長十(1605)年
四月
 徳川秀忠(27歳)、上洛し江戸幕府第二代征夷大将軍に叙任される。最上侍従義光(60歳)、上杉景勝(50歳)、伊達政宗(39歳)ら全国の諸大名も供奉して上洛する。
 最上駿河守家親(24歳)、侍従に叙任される。

慶長十二(1607)年
二月
 最上侍従義光(61歳)、上杉家・伊達家・佐竹家と共に江戸城大改修の堀普請を任される。
三月
 最上侍従義光、大御所・徳川家康(65歳)の隠居城として改修が完了した駿河国駿府城を訪れ徳川家康に拝謁する。

慶長十三(1608)年
 伊達右近衛権少将政宗(42歳)、陸奥守に叙任される。

慶長十四(1609)年
六月
 陸奥国大名・上杉景勝(54歳)、極秘裏に伊達家時代の未完成の城・舘山城(現・米沢市)を改修し江戸幕府との戦闘に備える。

慶長十五(1610)年
 最上侍従家親(29歳)、琉球国国王が来日した際に奏者を務める。
 最上侍従義光(65歳)、山形城に五層の天守閣の建造を検討するが、軍師・山名一吽軒の進言により取り止める。

慶長十六(1611)年
三月
 最上侍従義光(66歳)、左近衛少将に叙任される。
 最上少将義光、江戸城改修や京の内裏改修に参加する。
八月
 最上少将義光、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(69歳)にヒシクイ(鴨の一種)を献上する。
九月
 最上侍従家親(30歳)、駿河城の大御所・徳川家康に鷹を献上する。

慶長十七(1612)年
五月
 最上少将義光(67歳)、眼病が悪化し外出が困難になる。

慶長十八(1613)年
正月
 最上少将義光(68歳)、眼病の悪化により駿府城と江戸城への年始参賀を使者で済ませる。
四月
 最上少将義光、体調の回復により上京し江戸城の将軍・徳川秀忠(35歳)に拝謁する。
九月
 最上少将義光、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(71歳)に拝謁する。

慶長十九(1614)年
 最上家、庄内地方の亀ヶ崎城の城下町と酒田湊の拡大整備を行う。
正月
 最上少将義光、死去(69歳)。
二月
 次男・最上侍従家親(33歳)、江戸城から出羽国山形城に帰国し最上家の家督を相続する。
三月
 最上侍従家親、将軍・徳川秀忠(36歳)の弟・松平忠輝(23歳)の居城である越後国高田城の普請の加勢に越後国に入る。
六月
 清水義親(最上家親の異母弟)派の添川城主・一栗兵部少輔高春(?歳)、挙兵して家親重臣の大山城主・下対馬守秀実(?歳 下秀久の嫡男)と亀ヶ崎城主・志村光惟(?歳 志村光安の嫡男)を討ち取るが、鶴岡城主・新関因幡守久正(47歳)の軍勢により討ち取られる。
九月
 最上家親、大坂冬の陣の開戦に備えて江戸城留守居役として江戸城を防衛する。
十月
 最上家親、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(72歳)に拝謁し最上家相続の礼を述べる。
 最上家親、一栗高春による下秀実・志村光惟暗殺事件の首謀者として、清水城主・清水大蔵大夫義親(33歳 家親の異母弟)を攻撃し自刃させる。
 最上家、最上川の舟運を統括し活性化させる。

元和元(1615)年
正月
 最上侍従家親(34歳)、家臣の出羽国上山城主・坂紀伊守光秀(?歳)を使者として駿河国駿府城の大御所・徳川家康(73歳)に白鳥と黒馬を献上する。
四月
 大坂夏の陣により豊臣家、滅亡する。
閏六月
 伊達陸奥守政宗(49歳)、参議に叙任される。

元和二(1616)年
四月
 大御所・徳川家康、死去(74歳)。

元和三(1617)年
三月
 最上侍従家親、山形城で急死(36歳 毒殺説や江戸城で死去した説など異説あり)。後継は家親の嫡男・最上源五郎家信(13歳 のちの義俊)。
五月
 江戸幕府老中・土井大炊頭利勝(45歳)、最上家に対して藩主家信を補佐していくよう強く指示する七ヶ条の御条目を通達する。

元和八(1622)年
 出羽国松根城主・松根備前守光広(34歳 最上義光の甥)、最上家親の急死の真相が家親の叔父・楯岡光直(64歳)による毒殺であると江戸幕府老中・酒井雅楽頭忠世(51歳)に訴える。
 江戸幕府、最上家親の死因を調査するが楯岡光直の関与を立証できず、松根光広を筑後国柳川藩預かりとして追放する。
八月
 最上源五郎家信(18歳)、最上騒動の責任を取り近江国大森藩1万石に改易される(改易後、最上義俊に改名する)。
九月
 伊達参議政宗(56歳)、最上家に寄寓していた生母・最上保春院義姫(75歳)を陸奥国仙台城に迎える。

元和九(1623)年
五月
 伊達参議政宗(57歳)、将軍・徳川秀忠(45歳)の上洛に供奉する。
七月
 伊達参議政宗の生母・最上保春院義姫、死去(76歳)。

寛永三(1626)年
 伊達参議政宗(60歳)、権中納言に叙任される。

寛永八(1631)年
十一月
 近江国大森藩主・最上源五郎義俊、死去(27歳)。義俊の嫡男・善智(1歳)より、最上家は5000石取りの旗本交代寄合家となる。
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