長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

嗚呼、素晴らしき哉、人生!! ~映画『かがみの孤城』・本文~

2022年12月31日 18時44分56秒 | アニメらへん
 どうもこんばんは、そうだいでございまする~。みなさま、本日も、そして今年2022年も、たいへんお疲れさまでございました!! 良い年、迎えられそうですか?
 いや~、今年ももう、おしまいですわ。この一年間も色々あくせくしてましたが、まぁ大みそかまで来て振り返ってみれば、あっという間よね。なにはともあれ、五体満足でここまで生きてこられて良かったです。来年はもうちっと他人様に迷惑をかけずに、スマートに生きたいものです……

 ごあいさつはここまでにしておきまして、年の瀬も押し迫ってまいりましたので、ちゃっちゃと本題のほうに入りたいと思います、ハイ。
 ついに公開されたアニメ映画版『かがみの孤城』。監督はあの、あの原恵一監督! んまぁ~面白くならないわけがないと!!

 実は今回、同じように年末興行として公開されたアニメ映画『すずめの戸締まり』(新海誠監督 東宝)もあったものですから、別に対抗馬だなんだと意識する必要もないのでしょうが、こんなん、「原恵一 VS 新海誠」という「ゴジラ対ガメラ」みたいなドリームカードを勝手に設定して観比べて楽しまなきゃソンソン♪ということで。『かがみの孤城』のほうは先に観ていたわけなのですが、今日やっと『すずめの戸締まり』のほうを観に行った次第なのでした。
 それにしても、今年の年末はほんとうに幸せよ。もちろん、互いに競うことを前提に制作された作品でなかったにしろ、この2作をごくごく近い期間内に大スクリーンで観られるだなんて! 消費者として、こんなに今生きていること、そして元気に映画館に足を運べることに大いに感謝せねば。昨年からジムに通っててよかったぁ。

 先に結論から申してしまうのですが、この2大巨頭対決、わたくしといたしましては『かがみの孤城』の勝ちでございました。

 この2作は、どっちも大傑作という点では共通しているわけなのですが、それ以外はほぼ正反対の要素づくめといいますか、作風のベクトルがまるで違うんですね! だからこそ、あの『ハケンアニメ!』の2大アニメ対決のように、どっちも楽しんだ消費者のしあわせ感度が倍増どころか2乗くらいになってしまう効果になっているのです。いやホント、この2作を短期間内に映画館でイッキ観するの、おすすめです!! いまの日本を、日本の文化を通観することができる4時間になると思います。日本の現在、現状そして、その可能性。

 『かがみの孤城』の勝ちといいましたが、この決戦(勝手に闘わせてしまい申し訳ございませんが)の勝敗は、大差でもないのですが、かといって僅差でもないはっきりした結果であると思います。
 なぜ『かがみの孤城』が勝った……というよりも『すずめの戸締まり』が「負けた」と観たのかといいますと、『すずめの戸締まり』は作品に「背骨がない」といいますか、ロードムービーであることをいいことに、いろいろうやむやにしてしまっているような気がしたからなのでした。
 特に気になったのは、あの白いほうの猫のキャラクターが前半と後半とでつながっていない気がしたんですね。最初は、無垢さゆえの底の知れない怖さがあるように見えたのに、終盤になるとむちゃくちゃ主人公たちにとって都合の良い役割を、自分から率先して担っちゃうじゃないですか。そんなにおとなしく引き下がっていいのか!?みたいな。中盤の、ラマンチャの男こと宗像羊朗さんとの対面でも、なんか因縁のある「あれ、もと人間?」みたいな匂わせがあったのも、キャラのスケールを縮小させるだけのように感じました。
 あの白い猫のポジションって、古来から伝承のある妖怪「七人みさき」を連想させる、なかなかに恐ろしい要素だったし、それが明らかになるくだりなんか、あの水木しげる神先生の名作『やまたのおろち』のオチを連想させるこわ~い展開だったと思うのですが……それだけに、それがあれよあれよという間にあんなに都合の良いハッピーエンドにおさまってしまうのは、ちょっとどうかと。大山鳴動してミミズ1匹というところでしょうか。
 ミミズといえば、作品にはっきりした「顔」がないのっぺらぼう状態というか、「これぞ『すずめの戸締まり』!」っていう新しいビジュアルがないと感じたことも気になりました。ひとつひとつすっごくきれいな日本の風景の連続で、声優さんがたも十二分にステキな演技を見せてくれるのですが、私のように、ほっといても余計なことをずらずら思い出してしまうオッサンが観てしまいますと、

 あ、これジブリっぽい、ダイダラボッチっぽい、使徒っぽい、『君の名は。』っぽい、『2020年の挑戦』っぽい、伊藤潤二っぽい、そして全体的に『帝都物語』っぽい……

 と、既視感だらけになってしまうのです。な~んか、いちいちどっかでもう観たような気がしてきちゃうんですよね。いや、どれもきれいな絵に仕上がっているし、単なるオマージュでなくちゃんと作品の血肉に取り込んでるんだろうとは思うのですが、新しい感動があるかというと、う~ん。

 あと、四国の民宿で出された煮魚があんまりそんなにおいしくなさそうに見えたのと(個人の感想です)、猫の名前が「うだいじん」と「さだいじん」だったのも、私といたしましてはいただけなかった。なんじゃ、今風をきどりおって! そこは「こてらのおとど」と「あてらのおとど」でしょうが!! でも、「おとど」じゃ SNSでバズりませんやね。

 ま、ともかくそんな感じでありまして、『すずめの戸締まり』は、歴史に残るほどの名作、すくなくとも『君の名は。』を超える出来には、なっていないのではなかろうかと感じた次第なのでありました。
 約40年前に大ベストセラーとなった『帝都物語』では、たしか辰宮恵子というヒロインが文字通りの犠牲となって、関東大地震以上の大災害を未然に防ぎました。でも、いまどきの世間に受け入れられる作品では、観音さまのような海よりも深い「自己犠牲」というのは流行らないんですかね。それだけ「個人の愛」が尊重されるようになった令和の現在って、昭和よりも進化しているのか、それとも……

 『すずめの戸締まり』ばっかで話が長くなってしまいましたが、そんなわけで、私としては「面白いことは間違いないんだけど、そんなには……」だったわけなんです。ただ、東日本大震災の話題を、あそこまではっきりと作品に取り込んだその覚悟、そしてそれを万人に受け入れられるエンタテインメントに錬成させた新海監督の手腕は、さすがですよね。結果大ヒットしたからよかったですけど、あんなにどぎつく警報アラームとか被災の状況を映像に入れるのって、そうとうな勇気が必要だったと思いますよ。新海監督の鋼のような意志の強さを感じました。
 でも、『君の名は』で「くちかみ酒」という変態度MAX なアイテムを作品の主軸にドンと据えた新海監督にしては、今回のせいぜい「真・人間椅子プレイ」程度の描写どまりはまったくの肩透かしだったかと思います。そんなもんじゃないでしょ! あんなに走り回ってるんだから、汗のにおいとか、もっといろいろ倒錯しまくった展開あっただろ!! すずめなんだから、クライマックスはすずめちゃんが第2使徒リリスばりに身長15000kmくらいまで巨大化して、ミミズをさきイカのようにつままなきゃ。最後はもちろん、常世じゅうに降り注ぐ、蛭子能収もかくやという汗のゲリラ豪雨ですよね。これだったら、『かがみの孤城』に勝てたかも。

 結局、やっぱり2時間サイズの映画を作りたいのであれば、それはやっぱり、お話はプロの脚本家さんにお願いするべきなのではないのでしょうか。監督も脚本も自分でやった方が、創作意図は通りやすいのかも知れませんが、2時間も整合性と緊張感を保てる物語を作りおおせるのって、その道のプロじゃないと難しいものがあるんじゃないかな~と。これは別に、新海誠監督だけに限った話ではないと思うんですが。シンガーソングライターじゃないんですから、そんなポンポンと長編映画の脚本なんて、兼業で簡単に作れるものじゃないと思うんだよなぁ。新海監督は、自身の映画の小説化も手掛けておられるそうなのですが、それはおもしろいのかなぁ。『すずめの戸締まり』の来場者特典で短編小説ももらったけど、そんな、まぁ……ふーん、っていう感じでした。
 やっぱ、映像には文章の、できれば小説の形での「しっかりした背骨」がちゃんと備わってないとダメじゃないかと思うんですよ。これは、私が『世にも奇妙な物語』を夢中で観ていた小学生時代からの持論であります。オリジナル脚本は、ちと信用がおけない! いかりや長介の『おーい、でてこーい』、サイコー!!


 はいはい! そんなこんなで、ここからは肝心カナメの『かがみの孤城』なのでありますけど、こっちはもう、東宝の力いれまくりの『すずめの戸締まり』に比べてしまえば、ごくごくつつましやかに見えるかもしれないのですが、それだけにまさしく「精巧無比な職人芸」のごとき大名作、辻村深月先生が原作小説に込めた魂と背骨をみごとにアニメ化したまごころの結晶であると観ました。大風呂敷なんか、広げなくていいんだ!!

 前回の資料編で検証したように、アニメ映画版『かがみの孤城』は、徹底して原作小説の骨子を約2時間のアニメ映画に変換することに心血を注いでいると思います。要するに、ギリギリまでお話の軽量化にこだわっているんですね。
 ただし、それは単にサイドエピソードをカットしまくればいい問題でないことは明らかで、原作小説はより低い年齢の読者層に訴えかけるために、通常の辻村ワールドよりもだいぶライトな展開になってはいるのですが(それでもしっかり重いところは重い!)、さすがというかなんというか、クライマックスの怒涛の展開に向けての伏線がまるでハリネズミのように、あの映画『ルパン三世 ルパン VS 複製人間』(1978年)の冒頭のピラミッド内の赤外線センサーのごとく張りめぐらされているのです!
 実際に、原作小説とアニメ映画版とを比較してみますと、同じ結末に向かっているとしても、その「謎の設定の仕方」においてだいぶアプローチが違っていることが分かります。原作小説は、「そんなにヒント出していいんですか!?」ってくらいに、それこそ2ページに1つくらいの感覚で伏線を出しまくっているのですが、アニメ映画版は厳選された「ビジュアル的なヒント」を、『ヘンゼルとグレーテル』のごとくポツ、ポツと巧妙に置いていってるというあんばいですね。だからこそ、原作小説もアニメ映画版も、2回以上観直す楽しみが生まれるわけなのです。
 ほんと、オオカミさまじゃないですけど、『かがみの孤城』において登場人物たちがクライマックスで知らされる真相って、7人のうちの誰かがなにげなく言ったひとことでガラガラっとわかっちゃうような、砂のお城のような絶妙なバランスの上に成り立っている謎なんですよね。でも、辻村先生が生涯の師とあおぐあの小説家の諸作をみれば、まさに「本歌取り」のように見える、尊敬の念に満ちた構成だと思うのです。『かがみの孤城』は、間違いなくミステリー小説の傑作なのです。

 そんな原作小説を向こうに回して、アニメ映画版もみごとに作品のスリム化に成功しおおせているわけでして、その命を懸けた職人芸的ジェンガをみるような繊細な手つきに、まず感動してしまいます。
 例えば、マサムネが7人の集合期日を日付でなく「始業式の日」と言うのは、非常に賢明な脚色ですよね。伏線とエピソードの数を少なくしておきながら、クライマックスの驚きは変わらない! まるで魔法のような筆さばきです。

 ただ、私が今回のアニメ映画版を観て本当に素晴らしいと感動したのは、そういった「原作小説の良さ」を伝える仕事に専念しているようでありながらも、非常にさりげなく、しかし確実に原監督ならではのオリジナリティを差し込んでいる、そのプロフェッショナルなさじ加減なのです。ガッつかず、すっごく上品に。

 前回の資料編に挙げたように、原作小説と違った点は多くあるのですが、特に私が気になったのは、序盤の「東条萌の容姿がそれほどかわいくない」点と、「城に巨大なオルゴール盤がある」点、そして最後のエピローグからエンディングにかけて、「原作小説になかったある描写が追加されている」点の3つでした。


〇東条萌の容姿がそれほどかわいくない
 これ、原作小説がしっかり「フランス人形みたい」とか「自宅に洋書の童話絵本がズラリ」とまで描写してるのに、なんでわざととしか思えない「可もなく不可もない」、もっと言えば黒髪の長髪ポニーテールがもっさりしてるようにさえ見える感じにデザインしているのかが、最初観ている時によくわからなかったんです。
 でも、よくよく考えてみるに、アニメ映画版は東条さんを特別な存在に持ち上げたくなかったのではないでしょうか。こころや真田美織とその取り巻きのいる、雪科第五中学校一年四組の中でアイドル的な位置にいる東条さんを「いや、それほどでも……」な容姿にすることによって、こころが命に係わる大問題とまで勝手に肥大化させてしまっているクラス内ヒエラルキアを、はたから見ると滑稽なまでに「たいしたことない」感じにさらしてしまう効果を持っているのです。ほら、男女問わずクラス内のアイドルだった子って、十年くらい経って卒業アルバムを見返してみると「あれ……?」っていうことって、あるじゃないっすか。まぁ、クラスの中でゼニゴケ程度の存在でしかなかった私に、そんなこと口走る資格はないですが。
 その効果は、あれほどまでにこころを苦しめていた強大な大敵こと真田美織が、物語の中で回想シーン以外にいっさい姿を現さず、挙句の果てにゃ気のない手紙で「彼氏とは別れたからゆるしてチョ。」みたいなメッセージを最期にフェイドアウトしてしまっている点から見ても明らかなのです。つまんねー退場のしかた!! まさに、「華々しく殺す価値もない」扱いにおとしめられてしまっているという、フィクションの登場人物として、これ以上に惨めな捨てられ方があるでしょうか……結局、子どもの頃の人間関係のいざこざなんて、そんな程度のもんなのです。「いじめの対象なんてコロコロ変わるんだから、いじめられて気に病んでるだけ損だよ。」という持論は、東条さん、そして辻村深月先生の諸作に通底する教訓なのではないでしょうか。
 そうは言っても、作中の東条さんは終盤でこころに重大なヒントも与える役割があるし、軽くはないポジションにいるのですが、それでもあの城の住人には絶対になれないという、「学校の重力から解き放たれている」からこその哀しみを持った存在でもあります。この感じ、辻村先生の手による映画『ドラえもん のび太の月面探査記』(2019年)、というか大長編『ドラえもん』シリーズ全般における出木杉英才のポジションの悲劇に通じるものがあります。絶対に旅に連れて行ってもらえないジョーカー的存在……

 ともかく、アニメ映画版での東条さんのキャラクターデザインには、「こころの中で不必要に巨大化した呪縛の正体を暴く」という、大人の原監督らしい冷徹な視線が込められているのではないでしょうか。そんな美男美女、ドラマみたいにゴロゴロいるわけねぇって!


〇城に巨大なオルゴール盤がある
 これはまんま、日本語による文章のみで勝負する原作小説と違って、視覚と聴覚に訴えかけるアニメ映画の特質を利用し、『かがみの孤城』の世界観を音楽の面で体現する要素として、いかにもクラシックなオルゴール盤と、そこから奏でられるシューマンの『トロイメライ』(1839年発表 ピアノ曲集『子供の情景』第7曲)を原監督が新たに差し込んだのか、と思ったわけなのですが。
 トロイメライとは、ドイツ語の「夢」ということで、まさにかがみの孤城が現実の世界でない場所にある「うたかたの隠れ家」であることを暗示しているのかと思うのですが、それが一体「誰にとっての夢なのか?」という謎を提起していて、映画を観た後に「ああ、そういうことだったのか。」と新たな感動を引き起こす鍵となっているのです。『トロイメライ』でなくてはならなかった理由も、泣ける……

 この『トロイメライ』は、「城の中のオルゴール盤」という形だけでなく、のちに別の形で映画の終盤に登場し、観客の涙をこれでもかというほどに絞ります。これも当然、映画版ならではのオリジナルシーンであり、思わず「えっ、これ小説にあったんじゃないの!?」と見まごうばかりにさりげなく物語に編み込まれているところに、アニメ映画版スタッフの入魂のテクニックを感じてしまいます。うますぎ!!

 余談ですが、原作小説には、ひとつだけ、作中で解明されていない謎が残ることにお気づきでしょうか。すなはち、「城のクリスマスパーティで、リオンがオオカミさまにプレゼントした物は何か?」という問題です。
 これ、あの用意周到な辻村先生のことですから、クライマックスであれほどたっぷりとリオンとオオカミさまの対話シーンをつづっておいて、「回収するのを忘れた」ということはないと思われます。そして、よくよく読んでみれば、プレゼントの中身が「リオンの家にあった物」であることや、クリスマス後のオオカミ様の描写などから、「たぶんこれじゃないか」と思わせる答えは推測できるようになっています。そして、そういったやり取りから、リオンがオオカミさまの正体にうすうす目星をつけていて、オオカミさまもそんなリオンの意志を受け入れたとみられる「無言のコミュニケーション」が成立しているのです。これ、言葉がないだけに非常に高度!

 ただ、このプレゼントのくだりをまんま映像化せずに、アニメ映画版はこれをビジュアル的にさらにはっきりさせる手段として、まったく別の「オルゴール盤の『トロイメライ』」に換装してしまいました。この手練手管の妙に、小説家・辻村深月に伍するアニメ監督・原恵一の礼節と本気を思い知らされるわけなのです。こりゃもう、感動するしかないですよね。1シーン、1エピソードにこんなにも心血を注いで、2時間もの作品に紡ぎあげているんですから……そりゃもう、映画鑑賞後に少しでも経済的に支援できないものかと、40すぎたオッサンも思わず劇場限定グッズのミニ手鏡とオオカミさまのぬいぐるみ買っちゃうよ! 使い道ねぇ~!!


〇映画の終盤で原作小説になかった描写が追加されている
 これぞ、原監督!って感じのエピローグでしたよね~!! ほんと、感動のダメ押しでした。
 私が特に感動したのは、新学期の雪科第五中学校に向けて、ともに歩き始めるこころとリオンの「足元の歩調」を、かなりしっかりと時間をかけて描くという演出でした。こ、こ、これは、あの伝説的名作である映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)での、野原ひろしの回想シーンで、若き日のみさえさんと一緒にそぞろ歩く演出と同じでねぇかァア!! 2人の未来は、約束された!

 原作小説では、こころとリオン、そして喜多嶋先生の視点から見た「その後」がつづられて終わるのですが、アニメ映画版では、彼女ら彼らを近くで温かく見つめている別の存在が、目には見えないながらも「確実にいる」ことを力強く宣言して終幕となっています。
 ここ、すっごく大事ですよね。城での約一年間を通して、7人が立派に成長したことは間違いないとしても、それは自分たちだけでなく、たとえ忘れてしまったとしても彼女ら彼らを見守る「あの人」の力によるところが大きいのだということ。人はみな、自分で勝手に生きているのでなく、周囲の人々によって生かされているということを忘れてはいけない、というテーマを、はっきりと明示している演出であるわけです。劇場限定で配られている映画オリジナルのイラストカードも、そのテーマに沿った非常にあたたかいプレゼントでしたよね。

 結局、城の日々の崩壊につながった「巨大なオオカミの暴走」だって、「アキがルールを破った」というよりは、「アキが生きることをやめようとした」ことへのオオカミさまの怒りが具現化したものなのじゃなかろうかと思うんですね。つまり、巨大なオオカミもドレスを着たオオカミさまも同じ存在なのですが、怒りと慈しみとが分裂した状態なのでしょう。なので、ルール違反だから7人全員を食べるというのは、そういう決まりだからとかいうゲーム的・事務的な作業ではなくて、オオカミさまの深い怒りと絶望をあらわす爆発だし、それでもこころを食べなかったというのは、一縷の希望を捨てきれなかった苦悩のあかしだと思うんです。そこを見誤ってはいけないですよね。オオカミさまにとっても、城の日々は失いたくない大切な時間なのですから。

 でもそう考えると、城がなくなった後、3月31日以降のオオカミさまは、原作小説でも語られなかったし、存在の仕方もまったく違うオオカミさまであるはずなのですが、以前と変わらない姿でこころやリオンたちを見つめているのは、非常に救いのある、アニメ映画版ならではのあたたかな解釈でもあると思うのです。そこらへんは、辻村先生の『ツナグ』シリーズに通じる世界観ですよね。

 ともあれ、映画を観に来た観客に対して「自分の生と、人との出逢いは大切にしなさい。」というメッセージを強く、しかし説教くさく押し付けずに印象付けるエピローグの演出は、もはやうなるしかない巧みさにいろどられていましたね。
 ンもぉ~、そんな終わり方されちゃったら、『ジョジョの奇妙な冒険第6部 ストーンオーシャン』のエンポリオばりに胸を張って生きなくちゃならなくなるじゃんかよう!! 人生って、生きてるってすばらしい!!


 え~、そんなこんなでございまして、本年も非常に幸せな締めとあいなり申した。辻村先生と原恵一監督の非常にハイレベルなタッグっぷりに、ひたすら感謝、感謝でございます!!
 やっぱり、辻村ワールドの他媒体への変換というお仕事は、携わる方々にとって非常に魅力的で、挑戦的で、刺激的なチャレンジになるようですね。次は、どの作品が変身することとなるのでしょうか? 読者としては、それも生きる糧となるわけなのでありまして。楽しみですね~!!

 今回も予想通りの駄長文となりましたし、最近は記事更新のペースもだだ落ちに落ちてしまい申し訳ないばかりなのですが、本年も、我が『長岡京エイリアン』にご来訪いただき、まことにありがとうございました! 来年は、もうちょっと多く記事を挙げていきたいと……思い、ます!!

 みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください! どうもありがとうございました。
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嗚呼、素晴らしき哉、人生!! ~映画『かがみの孤城』・資料編~

2022年12月25日 22時12分36秒 | アニメらへん
アニメ映画『かがみの孤城』(2022年12月23日公開 116分 松竹)

 『かがみの孤城(かがみのこじょう THE SOLITARY CASTLE IN THE MIRROR)』は、辻村深月による小説。2017年5月にポプラ社から刊行された。2021年3月時点で累計発行部数は100万部を突破しており、2018年に第15回本屋大賞を受賞した他、多数の文学賞を受賞している。
 雑誌『月刊ウルトラジャンプ』(集英社)にてコミカライズ版が2019年7月号から2022年3月号まで連載された(コミックス全5巻)。作画は武富智。
 本作のオーディオブック版が、2019年11月20日にオーディオブック配信サービス「audiobook.jp」から配信された(主演・花守ゆみり)。
 2020年8~9月に舞台版が東京・大阪・愛知の3都市で上演された(主演・生駒里奈)。また、2022年5~6月に『辻村深月シアター』として、同じ著者の長編小説『ぼくのメジャースプーン』舞台版と共に東京・新潟の2都市で上演された(主演・田野優花)。脚本・演出は成井豊、企画・製作・主催はナッポスユナイテッド。音楽は For Tracy Hyde。
 今回のアニメ映画化にあたり、孤城の美術デザインを担当したイリヤ=クブシノブは映画パンフレットでのインタビューにおいて、ドイツ中西部の都市クロンベルク・イム・タウヌス市の古城「クロンベルク城」(12世紀中期~1220年築城)を現地取材し参考にしたと語っている。

あらすじ
 中学一年生の女の子・安西こころは、同級生から受けたいじめが原因で不登校が続き、子供育成支援教室にも通えずに部屋に引き籠る生活を続けていた。五月のある日、こころの自室の鏡が突然光り出し、吸い込まれるように鏡の中に入ると、その向こうには西洋のおとぎ話に出てくるような不思議な城と、自分と似た境遇を持つ見ず知らずの中学生六人がいた。城には狼の仮面をかぶった女の子「オオカミさま」がおり、彼女は「城に隠された鍵を見つければ、どんな願いでも、一つだけ叶えてあげよう。」と告げる。
 その期限は約一年間。こころは戸惑いつつも鍵を探しながら六人と共に過ごすが、自分も含めた七人には、ある共通点があることがわかる。互いの抱える事情が少しずつ明らかになり、次第に心を通わせていくこころたち。そして城が七人にとって特別な居場所に変わり始めた頃、ある出来事が彼らを襲う。
 果たして鍵は見つかるのか? なぜこの七人が選ばれたのか? それぞれが胸に秘めた「人に言えない願い」とは?
 すべての謎が明らかになるとき、奇跡が7人を待ち受けることとなる……

おもな登場人物とキャスティング
安西 こころ …… 當真 あみ(16歳)
 本作の主人公。中学1年生。おとなしく内気な性格でこれといった取り柄がなく、自分に自信が持てないでいた。物事をネガティブに考えてしまい、悩むことも多かったが、城のメンバーとの交流を経て徐々に変わっていく。4月に同じクラスの中心女子の真田美織らによるいじめに遭い、唯一仲良くなれそうだった近所の転校生・東条萌からも無視されるようになり、不登校になった。部屋に閉じこもり、閉塞感と焦燥感を募らせていたところ、自室の姿見鏡が光り、鏡の向こうの城に招かれる。好きな食べ物は三色そぼろ御飯と母が作る皮から手作りの餃子。両親が共働きのため、お米は毎日自分でといでいる様子。とある経験から恋愛が苦手で、ウレシノが自分に好意を寄せていると知った時には引いていた。

井上 晶子(アキ)…… 吉柳 咲良(18歳)
 中学3年生。明るく快活そうな容姿で背が高い。気が強く、思ったことは遠慮なく口にするため、彼女の発言が元で場が険悪ムードになることもある。突拍子もない行動に出た結果、周囲のメンバーが迷惑することもあるため、スバルは「問題児ってかんじだよぁ。」と冗談交じりにつぶやいた。しかしメンバーのお姉さん的な存在で初対面のこころに真っ先に話しかけ、こころとフウカをお茶に誘い紅茶とかわいいナプキンを用意するなど女子らしい気遣いができる一面もある。物語の中盤に学校の制服を着て城に現れ、このことがメンバーの共通点を知る重要な手がかりとなる。

長久 昴(スバル)…… 板垣 李光人(りひと 20歳)
 中学3年生。背が高く色白でそばかす顔の男の子。こころからは『ハリー・ポッター』シリーズのロン似と評されている。紳士的で優しいが、物語中盤で髪を茶髪にし、皆を驚かせる。とある事情で両親と離れ、兄と共に祖父母の家で暮らしている。マサムネと仲が良く、彼が持ち込んだゲームでよく一緒に遊んでいる。ずっと城に来ていなかったこころを温かく迎え入れる。「イケメン」の意味がわからず、マサムネがリオンのことを陰で「イケメン」と言っていたのを聞いて悪口なのかと彼に尋ねていた。

政宗 青澄(マサムネ)…… 高山 みなみ(58歳)
 中学2年生。生意気で理屈っぽい性格で口が悪いため、他人と衝突しやすい。根っからのゲームオタクで愛着心が人一倍強い。自身が持っているゲームの性能の良さをしょっちゅう自慢し、ゲームに対する理解がなかったり基礎知識にとぼしかったりするメンバーにあきれ、時には喧嘩になることもある。公立中学には行く必要がないという家の方針もあり、中学には行かずに学習塾に通っている。頭は良く、全国模試の順位は良いらしい。物語の中盤でメンバーにあるお願いをする。

長谷川 風歌(フウカ)…… 横溝 菜帆(14歳)
 中学2年生。眼鏡をかけていて声が高い。ピアノが上手で幼少期から習っていたが、コンクールで受賞圏外になり伸び悩んでいる。

水守 理音(リオン)…… 北村 匠海(25歳)
 中学1年生。芸能人並みのイケメンで明るく気さくで、一癖あるこころたちメンバーにも平等に話しかけたりできるため、メンバーであることを不思議に思われている。穏やかで仲間思いな性格だが、怒らせると怖い。ウレシノがメンバーに暴言を吐いた際には「そんな言い方ないだろ」と咎めるなど、言うべきことはしっかり言う。趣味と特技はサッカー。ハワイへ留学しているが、本人は日本の公立中学へ行きたかったため、日本人であるメンバーと過ごす時間を大切に思っている。6歳の時に姉の実生を亡くしている。学校の関係で城には夕方からやってくる。メンバーにクリスマスパーティーの提案をし、母親が作ったケーキを持参した。城で過ごす中であることに気付くが、他のメンバーには言わずに胸に秘めている。

嬉野 遥(ウレシノ)…… 梶 裕貴(37歳)
 中学1年生。小太りの男の子。食べることが好きで、城に招かれて早々に食べ物はないかと気にしており、こころがリンゴを持ってきた際には大喜びしたりしている。恋愛気質で惚れっぽく、城に来て1週間ほどでアキに告白して振られた。その後、対象はこころに移り、しまいにはフウカになったため、女子陣には内心呆れられており、男子からもからかわれている。ずれた発言が多いためバカにされることが多く、本人は傷ついている。

オオカミさま …… 芦田 愛菜(18歳)
 狼の仮面をつけた少女。城の案内人。いつも西洋人形が着るようなかわいいドレスを着ている。常に尊大な口調で話し、城から逃げ出したこころや帰ろうとしたスバルに説教するなど、上から目線の態度であるため、こころは内心「ずいぶん横柄なお世話係だ」と思った。こころたちに城でのルールや過ごし方などの説明をする。メンバーとは常に一緒にいるわけではないが、呼べばすぐに現れ、呼んでいないのに突然現れることもある。意味深な発言でメンバーを翻弄する。ものは食べるらしく、クリスマスパーティーの際にリオンが持ってきたケーキを受け取り「分けてもらえるなら持ち帰らせてもらおう」と言っていた。

こころの母 …… 麻生 久美子(44歳)
喜多嶋先生 …… 宮﨑 あおい(37歳)
東条 萌  …… 池端 杏慈(あんじ 15歳)
真田 美織 …… 吉村 文香(14歳)
伊田先生  …… 藤森 慎吾(オリエンタルラジオ 39歳)
養護の先生 …… 滝沢 カレン(30歳)
水守 実生 …… 美山 加恋(26歳)
少年時代のリオン …… 矢島 晶子(55歳)

おもなスタッフ
監督 …… 原 恵一(63歳)
脚本 …… 丸尾 みほ(64歳)
キャラクターデザイン・総作画監督 …… 佐々木 啓悟(?歳)
ビジュアルコンセプト・孤城デザイン …… イリヤ=クブシノブ(32歳)
音楽 …… 富貴 晴美(37歳)
美術設定 …… 中村 隆(2021年没 遺作)
美術ボード …… 大野 広司(70歳)
主題歌 …… 優里『メリーゴーランド』
制作 …… A-1 Pictures


≪原作小説と映画版とのおもな相違点≫
〇原作での東条萌は「フランス人形のようで、まるでハーフのような、日本人離れした顔立ち」と描写されているが、映画版ではそれほど目立つ容姿ではない。ただし、真田美織からは特別視されている。
・原作での東条萌の自宅は、こころの家の2軒隣だが、映画版でははす向かいにある。
・原作での雪科第五中学校の制服は襟の部分が青緑色のセーラー服だが、映画版の制服は一般的な濃紺色のセーラー服。
・原作でのオオカミさまの仮面は「縁日で売られるような」面だが、映画版ではリアルな毛皮のついた面。
・原作でのオオカミさまの着ているドレスは最初はピンク色でその後も何着か変わるが、映画版では同じ深い緋色のドレスのまま変わらない。
・原作で最初にこころが入る鏡の世界の場所は城の門外だが、映画版では城の中庭。
・原作でこころは、鏡の世界に入った初日は城に入らず逃げるが、映画版ではオオカミさまに引きずられて初日に城に入る。
・原作でオオカミさまの身体能力に特に描写はないが、映画版では中学生のこころを片手で引きずるほどの怪力がある。
・原作では登場人物たちの鏡に名札はなく、のちに自分たちで画用紙に書いた名札を作り貼っているが、映画版では最初からそれぞれの鏡の縁にアルファベットで通称名が彫刻されている。
・原作でフウカの声は特徴的に高いという描写があるが、映画版では特に高いというわけでもない。
・原作ではオオカミさまが声を荒げると本物の狼の遠吠えが二重に聞こえる現象が起こるが、映画版ではそのような描写はない。
・原作では城の中には電力が通っており、マサムネが持ち込んだ TVを使用している描写があったが、映画版では電源がなくマサムネはポータブルゲーム機でスバルと遊んでいる。
・原作ではこころもゲーム好きで、マサムネとゲーム談義をしたりマサムネやスバルと城でゲームに興じるシーンがあるが、映画版ではゲームに関して特に興味は示さず、アキの影響もあって男子たちとは距離を取っている。
・原作ではこころの視点から城に「あるもの」が無いという指摘があるが、映画版ではその点に触れられていない。
・原作では、城の窓は中庭に面したもの以外は曇って外の状況が見えないようになっているが、映画版では城が絶海の孤島の上に建っており、周囲を大海に囲まれている様子が見える。
・原作での、こころがリオンに時間を尋ねるエピソードが映画版ではカットされている。
・原作では、フウカの8月の誕生日と、それに関するこころとウレシノのエピソードがあるが、映画版ではカットされている。
・原作での、こころがスバルに、彼が『ハリー・ポッター』シリーズの登場人物ロンに似ていると告げるエピソードが、映画版では無い。
・原作では、スバルは夏休み期間に頭髪を脱色し耳にピアスをつけたが、映画版ではピアスはつけない。
・原作での、ウレシノの「スクール」という言い方をスバルが怪訝に思うエピソードが、映画版ではカットされている。
・原作での、ショッピングモール「カレオ」のフードコートで、こころの母がこころにフランス料理店での思い出を語るくだりが、映画版ではカットされている。
・原作での城のクリスマスパーティで、リオンがオオカミさまに、マサムネが他の6人にプレゼントを贈るくだりが、映画版ではカットされている。
・原作では、マサムネは「1月10日に集まろう」と提案するが、映画版では「始業式の日に集まろう」と提案する。そのため、原作でこころが違和感を感じるくだりが映画版では存在しない。
〇城の大階段の上にある大時計の位置が、原作と映画版とで違う。また、映画版では原作の城にはなかった巨大なオルゴール盤が暖炉の間にある。


 ……いや~、今回も、良い映像化でございました。原監督なんだもの、当ったり前よね。本文は、まったじっかい~。
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しみじみ感動…… 映画『空の大怪獣ラドン 4Kデジタルリマスター版』 ~資料編~

2022年12月18日 14時30分50秒 | 特撮あたり
映画『空の大怪獣ラドン』(1956年12月26日公開 82分 東宝)

 『空の大怪獣ラドン』は、東宝制作の怪獣映画。
 キャッチコピーは「空飛ぶ戦艦か! 火口より生れ地球を蹂躙する紅蓮の怪鳥ラドン!」
 初のカラー東宝怪獣映画である。正月向け興行の特撮作品としては『透明人間』(1954年)以来であった。
 核の象徴としても位置づけられていたゴジラと異なり、ラドンはより生物的な側面が強調されている。物語の前半は炭鉱での連続殺人事件の捜査に費やされ、ラドンが登場するのは後半に入ってからである。前半で描かれる暗い坑内での陰惨な事件と、後半の青空を超音速で飛ぶラドンとその追撃によるスピーディな展開が、カラー作品ならではの色彩設計を活かした対照的な構成となっている。
 ラドンが衝撃波で破壊する西海橋は、本作公開の前年に完成したばかりだった。劇場公開後、西海橋や阿蘇山を訪れる観光客は明瞭に増えたとのことで、以後の怪獣映画のロケ地として完成まもない注目の新ランドマークが宣伝も兼ねて怪獣に破壊される伝統の先駆けとなった。また、怪獣に壊される建物は現実の所有者にお伺いを立てると非承諾となることが多いが、本作では「壊されることで有名になる」と現実の所有者が喜んで承諾した町興し映画の側面もあるという点がDVDのコメンタリーで言及されている。
 原作者である黒沼健により、少年雑誌『中学生の友』1956年10月号の別冊付録として小説『ラドンの誕生』が掲載された。ただし、これが脚本の原型となった原作なのか、原作をノベライズしたものかは明らかになっていない。書籍『ゴジラ来襲』によれば、黒沼は検討用台本を執筆していないという。

 東宝プロデューサーの田中友幸は、本作のきっかけは当時超音速ジェット機が話題になっていたことであり、「ゴジラを超音速で飛ばしたら」という発想であったと述べている。後年、田中は本作を「夢の高揚期に生まれた大好きな作品」と語っている。
 原作者の黒沼健は、田中が黒沼の小説のファンであったことから起用された。田中によれば、本作の検討台本には黒澤明も助言したといい、黒澤の意見は「等身大のメガヌロンと巨大なラドンとの大きさの対比」や「季節感」など、細かい部分でかなり脚本に採り入れられたという。
 設定では阿蘇地方の炭鉱からラドンが生まれるが、活火山である阿蘇周辺に炭鉱は存在しないため、ロケは長崎県北松浦郡鹿町町の日鉄鉱業加勢炭鉱で行われた。物語冒頭で事務所前に集合した鉱夫たちは、同炭鉱の鉱夫がエキストラとして大挙出演したものである。
 西海橋の撮影でも、地元バス会社の協力によりエキストラを多数動員した避難シーンが撮影された。
 撮影を務めた有川貞昌によれば、佐世保上空を飛ぶラドンを見上げる民衆のシーンはゲリラ撮影が行われた。トラックの幌にカメラを隠し、一般人のふりをした助監督や照明スタッフが上空を仰ぎ、周囲の人々も空を見るように誘導していた。
 主演の佐原健二は、本作での演技について監督の本多猪四郎から「普通の芝居では誇張があるが、特撮ものでは逆にリアルな芝居の方がいい。」とアドバイスを受け、以後も特撮作品を演じる際の指標になったと述懐している。記憶喪失の演技では、目の焦点を常にぼかすという芝居を考案し、本多からも褒められたという。白川由美と抱き合うシーンでは、白川が照れて演技できずにいたところ、本多が自ら佐原に抱きついて演技指導を行い、場を和ませていた。
 トロッコの撮影では、引っ張っていたウインチが緩んで脱線し、乗っていた佐原が負傷した。しかし、佐原は2日程度しか休めないまま撮影に復帰し、そのことを知った先輩俳優の鶴田浩二は東宝演技課に怒鳴り込んだという。
 本作では、総製作費2億円のうち60パーセントにあたる1億2千万円が特撮に費やされた。
 当時のカラーフィルムは感度が低く、緑のものは青く映ってしまうため、美術助手の井上泰幸は東宝初のカラー特撮映画『白夫人の妖恋』(1956年7月公開)同様、色彩には気を使ったと述懐している。また助監督の浅井正勝によれば、照明の電力が足りず、他の作品の撮影が終わった午後6時から撮影を行う昼夜逆転の状態であったと述べている。さらに照明が強いため、熱でミニチュアが溶けたり火薬が発火してしまうことなどもあったという。前半での大地崩落シーンは、ミニチュア撮影と作画合成を併用しており、緑の山間が一瞬にして赤土に変わる視覚効果を強調している。
 ラドンに破壊されて崩壊するビル内で人が逃げているシーンは「鏡をミニチュアのビルの中に置き、人物を映す」という古典的な方法で撮影されている。
 西海橋のセットは、580平方メートルのプール上に約16メートルの1/20サイズで作られた。当初は赤く塗装されていたが、本番前になって実物が銀色であることが判明したため、スタッフは徹夜でこれを銀色に塗り直したそうである。また、橋の中央部をピアノ線で吊っており、これを切ることで自重で崩落する仕掛けとなっていたが、本番でピアノ線が映ってしまい、特技監督の円谷英二の指示により編集で処理することとなった。
 博多の街のセットは、防犯上の理由から図面の提供を断られたため、美術助手の井上らが実際に博多を歩き、4日間かけて歩幅や敷石の枚数などを記録して図面を起こした。東宝撮影所の第8ステージに建てられたメインセットは、基本的には1/25スケールであったが、手前側は1/10や1/20スケールとすることでパースを出している。炎上する商店街のセットは、大プールの上に1/10スケールで建てられた。このシーンは、翌年『地球防衛軍』に流用された。
 当時、岩田屋には改装工事の足場が設置されており、美術アルバイトであった飯塚定雄や三上陸男らはここまで作らなくてもよいと考えていたが、井上の指示により足場も再現している。飯塚と三上は、カメラに映らないと考えたウインドウに当時のコンドームの広告を再現して設置したが、円谷が急遽カメラ位置を変更したため慌てて消したという。井上によれば、岩田屋の建て込みには43日かかったが、撮影でラドンに壊されるのはあっという間であったと述懐している。
 ラドンが起こす突風は、飛行機のエンジンを改造した扇風機によって表現された。突風で吹き飛ぶ屋根瓦は、ボール紙を用いてミニチュアの屋根に乗せている。突風で飛ばされるジープのミニチュアは、中でラッカーを塗った筒に塩酸が流れる仕組みとなっており、壊れる際に化学反応によって煙を発生させている。
 西海橋や岩田屋のシーンでは、ラドンの着ぐるみを内部の中島春雄ごとピアノ線で吊り下げるという危険なワイヤーアクションで撮影されており、映画界での使用としては最初期と見られる。また、ピアノ線による操作で画期的と評されたのが、自衛隊機の表現である。『ゴジラ』では黒い幕を背景にして固定された状態のミニチュアから火薬を仕込んだロケット弾を発射させていたが、本作では真昼の青空を背景にしてピアノ線で操作されたミニチュア機からロケット弾が発射されていた。このような「ミニチュアを飛ばしながら発砲させる」という表現は「発砲時の反動でミニチュアが揺れてしまう」というアクシデントを起こしやすいが、それを最小限に抑えるために円谷はミニチュアの機首部、左右の主翼付け根、翼端、尾部など、複数個所にさまざまな角度からピアノ線を張って操作するという、より高度かつ複雑な技術を考案して撮影に臨んだ。
 ラドンと空中戦を繰り広げる F-86Fセイバーの撮影には、ミニチュアだけでなく実物大モデルも用いられている。円谷の要望により特殊美術の入江義夫が実機の資料と写真から図面を起こしたが、キャノピーの透明部分は当時の技術では制作できず、アメリカ空軍から本物のパーツを借用している。入江は実物ゆえに芝居部分に迫力が出たと評しているが、透明部分がブルーバック合成で抜きにくくなるなどの苦労もあった。
 MGR-1地対地ロケット弾「オネスト・ジョン」搭載車両のミニチュアは、当時多忙であった郡司模型に代わり山田模型社が制作したが、木製ゆえにミサイル発射時の火薬で燃えてしまうというトラブルが発生している。特殊美術の入江義夫はこのトラブルをきっかけに、火を用いる撮影には金属製のミニチュアでなければならないと考え、それ以降は郡司模型製の金属モデルを多用するようになった。オネスト・ジョンの登場は、当時日本の米軍基地に配備される予定であったことが問題視されていた世相を反映したもので、当時の自衛隊にはミサイル車両は配備されていなかった。

 ラストシーンの阿蘇山は、200坪・高さ10メートルのオープンセットが建てられ、製鉄会社から溶鉱炉の釜を借りて熔鉄を溶岩に見立てて、リアルな噴火のメカニズムを再現している。井上によれば、熔鉄は予想以上に重く、コースを外れて流れてしまったり、熱で舞台の荷重が燃えてしまうなどのアクシデントも多かったという。この手法は、後に『日本誕生』でも用いられた。
 当初、噴火する阿蘇山上空を2匹のラドンが弧を描いたまま飛ぶシーンで終わる予定だった。だが、溶鉄を溶岩に見立てたために撮影現場は高熱に包まれ、その熱は本番中にラドンを吊っていたピアノ線を焼き切ってしまい、操演不能になった。特技監督の円谷英二は操演スタッフのアドリブだと思ったため、撮影の有川貞昌らに「まだ、まだ、まだ」と叫んで撮影を続けさせた。撮影終了後に操演スタッフから事情を聞いたが、撮り直さないことに決定した。円谷は、「ああいう絵は撮ろうとして撮れるものじゃない」と述べたという。


あらすじ
 炭鉱技師の河村繁は、阿蘇付近の炭鉱に勤務していた。ある日、坑道内で原因不明の出水事故が発生。それに続いて炭鉱夫らが水中に引き込まれ、惨殺死体となって発見される事件が相次ぐ。当初は河村の友人で行方不明の炭鉱夫、五郎が犯人と目されていたが、まるで日本刀で斬られたかのような被害者の傷痕に警察や監察医も首を傾げるばかりだった。やがて出現した真犯人は、巨大な古代トンボの幼虫メガヌロンだった。村に出現したメガヌロンに警官のピストルでは歯が立たず、河村は警察が要請した自衛隊と共にメガヌロンが逃げ込んだ坑道に入る。しかし機関銃の発砲の衝撃で落盤が発生、巻き込まれた河村は坑道内に姿を消してしまう。
 やがて阿蘇では地震が発生、阿蘇山噴火の前兆かと付近一帯は騒然となる。だが、地震によって出来た陥没口で調査団が発見したものは、落盤事故から奇跡的に生還したものの、記憶喪失となっていた河村であった。時を同じくして、航空自衛隊司令部に国籍不明の超音速飛行物体が報告された。確認に向かった自衛隊の戦闘機を叩き落とした飛行物体は、さらに東アジア各地にも出現、各国の航空業界を混乱に陥れていた。一方、阿蘇高原では家畜の失踪が相次ぎ、散策していたカップルが死亡する事件が起きる。若い恋人の心中かと思われていたが、彼らが残したカメラのフィルムには、鳥の翼のような謎の影が映っていた。
 入院していた河村の記憶は戻らないままだったが、恋人キヨの飼っていた文鳥の卵の孵化を見たことをきっかけに、失われていた恐ろしい記憶が甦る。落盤で坑道の奥に閉じ込められた彼が見たものは、地底の大空洞で卵から孵化し、メガヌロンをついばむさらに巨大な生物だった。柏木久一郎博士により、その生物は翼竜プテラノドンに極めて類似したものと判明。博士の調査団は河村の導きで地底の大空洞へ向かい、そこで巨大な卵の殻の破片を発見する。計算機によってはじき出された卵の大きさから、巨大生物はソニックブーム(衝撃波)を起こすほどの飛翔力を持つと推測された。調査団が改めて阿蘇に赴いたその眼前で、古代翼竜の大怪獣ラドンが飛び立つ。


登場する怪獣
ラドン
 身長50メートル、翼長120メートル、体重1万5千トン。飛行速度マッハ1.5。
 出身地は、阿蘇山付近の地底。
 スーツアクターは中島春雄。
 ゴジラ、モスラと共に「東宝三大怪獣」と称される。
 翼竜プテラノドンが突然変異した怪獣。名前もその略称が由来になっている。しかし、プテラノドンと比べるとさまざまな差違があり、その後頭部に生えている1本の角状の突起がラドンの場合は2本に分かれて生えているうえ、クチバシは鳥類のそれに近い形状で、鳥類にもプテラノドンにも無い歯が生えている。腹部には針のようなゴツゴツとしたウロコがある。尾はプテラノドンのように細い皮膜が付いたものではなく、楕円状にゆるく拡がっている。着地しての直立二足歩行が可能で、翼を広げたままで陸上走行を行うことも多い。超音速で飛ぶ巨体は周囲にソニックブームを巻き起こし、市街を破壊する。
 水爆実験の放射能や火山ガスによる異常気象の影響で現代に復活した。劇中でプテラノドンとの関連性を示すような発言があるが、直接は明言されていない。
 阿蘇山付近の炭坑の奥にある洞窟で誕生し、古代トンボの幼虫メガヌロンを捕食していた。阿蘇山から出現し、航空自衛隊のF-86戦闘機と大規模な空中戦を展開して追撃を振り切った後、佐世保や福岡に降り立って暴れ回る。このとき、口から煙のようなものを吐いている。
 巣の描写や餌の存在など、核を象徴したゴジラよりも、生物としての描写が強調されている。また、ラドンの破壊描写はゴジラのような暴力性ではなく、人間の攻撃に対する抵抗の表現ともなっており、ラドンも被害者であるとの面を示唆している。製作の田中友幸は、ラドンは無敵のゴジラよりも恐竜に近く、強力な怪獣であっても人類が倒すことのできない存在ではないと位置づけている。
 ラドンの声にはコントラバスの音と人間の声を素材として加工したものが使われている。
 本作のラドンは、背中に緑と黄色のラインが入っている。
 頭部造形は利光貞三、胴体は八木勘寿、八木康栄による。スーツの翼は、天竺布にラテックスを塗っているため重量があり、人の手では支えられないため、炭火で炙って曲げた竹を入れて支え、さらにピアノ線で吊っている。
 造形物はスーツのほか、上半身のみのギニョールとサイズの異なる飛行モデルが数種類作られた。東宝特撮映画で怪獣の飛び人形が制作されたのは本作が初であり、布ベースのものや針金の芯に紙を貼ってラテックスを塗ったものなどが用いられたとされる。ラストシーンは、ピアノ線が切れて落下する様子がそのまま用いられた。
 ラドンの幼体は、手踊り式のギニョールモデルで表現されている。
 ラドンの飛行により発生する飛行機雲は、作画合成で表現された。
 演じた中島は鳥の動きを研究し、初出現シーンでは毛づくろいのように翼をついばむ動きを取り入れている。一方で、足の形が鳥のような逆「く」の字にはならないため、足元が映らないよう意識していた。また、特撮班カメラマンの富岡素敬は、ピアノ線が多く塗装で消す作業も大変であったため、アップではピアノ線が翼の影に隠れるようなるべく下から上方を映すなどの工夫を行ったという。
 岩田屋の上に出現するシーンや西海橋をくぐるシーンなどでも中島が入ったままスーツを吊っている。西海橋のシーンでは、ワイヤーが空回りして7メートルほどの高さから落下する事故が起きたが、下に水を張っていたため大事には至らなかった。
 自衛隊との戦闘シーンでは、ミニチュアのロケット弾による火や煙が覗き穴から入ってしまい、中島は唇に火傷を負った。後にその対策として、中に風防を入れたり、体に石鹸水を塗るなど試行錯誤を行ったという。

メガヌロン
 体長4.5~8メートル、体重700キログラム~1トン。
 出身地は、阿蘇山付近の地底、炭鉱。
 その容姿は、巨大なヤゴ(トンボの幼虫)である。阿蘇山麓にある炭鉱に出現し、水没した鉱内で炭鉱夫や警察官を腕の鋭いハサミで殺害する。メガヌロンが炭鉱住宅に出現したことで存在が発覚した。拳銃や機関銃では致命傷に至らない程度の防御力を持っており、事件を起こした個体は追跡してきた警察官や炭鉱夫を殺害した後に封鎖されていた炭鉱へ逃亡するが、石炭を満載したトロッコの列を河村によって激突され、1体が倒される。その後、五郎の遺体を収容中にもう1体が出現するが、自衛隊の機関銃による銃撃と突然の落盤に遭い、その後の生死は不明。
 地下空洞のラドンの巣周辺にも別の個体群が繁殖していたが、孵化したラドンの雛にすべて捕食された。
 メガヌロンの登場場面は、炭鉱内でうごめく怪奇性、殺害された死体の描写による猟奇性など、ゴジラなどの巨大怪獣とは異なる等身大の恐怖が強調されており、後半の青空の下でスピーディに描かれるラドンとの対比ともなっている。
 原型製作は利光貞三。着ぐるみは3人で演じる約5メートルサイズのものが造られた。先頭に入っていたスーツアクターは手塚勝巳。そのほかは中島春雄、広瀬正一、大川時生。2体登場するシーンでは、片方が下半身を隠しているため、上半身のみの造形物とみられる。そのほか、大中小計10個のミニチュアが制作された。


おもなキャスティング(年齢は公開当時のもの。故人である場合、没年は省略しています)
河村 繁    …… 佐原 健二(24歳)
キヨ(五郎の妹)…… 白川 由美(20歳)
西村警部    …… 小堀 明男(36歳)
柏木 久一郎  …… 平田 昭彦(29歳)
南教授     …… 村上 冬樹(45歳)
大崎所長    …… 山田 巳之助(63歳)
井関記者    …… 田島 義文(38歳)
五郎(キヨの兄)…… 緒方 燐作(31歳)
若い男     …… 大仲 清二(22歳)
若い女     …… 中田 康子(23歳)
警察署長    …… 千葉 一郎(27歳)
武内幕僚長   …… 津田 光男(46歳)
阿蘇ホテル支配人、メガヌロン、ラドン …… 手塚 勝巳(44歳)
防衛隊幹部、ラドン、メガヌロン …… 中島 春雄(27歳)

おもなスタッフ(年齢は公開当時のもの。没年は省略しています)
製作 …… 田中 友幸(46歳)
原作 …… 黒沼 健(54歳)
脚本 …… 村田 武雄(48歳)、木村 武(45歳)
音楽 …… 伊福部 昭(42歳)
特技監督 …… 円谷 英二(55歳)
監督   …… 本多 猪四郎(45歳)
製作総指揮 …… 森 岩雄(57歳)
造形チーフ …… 利光 貞三(47歳)
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祝・ガメラ復活しそう企画 便利屋怪獣ギャオス 嗚呼、傷だらけの人生!!

2022年12月01日 23時36分22秒 | 特撮あたり
ギャオスとは
 ギャオスは、大映の怪獣映画『ガメラ』シリーズに登場する怪獣。コウモリのような羽根を持つ飛行生物である。
 直立歩行が可能で、前足が翼となっている。翼はコウモリのように数本の指骨に支えられ、その間を皮膜がつないだ構造に見えるが、コウモリにおける親指1本が遊離している位置には自由に動かせる指が3本ほど存在する。頭部は上方からの視点だと歪んだ六角形に見え、鼻先や後頭部両側後方が尖っているため、形状は「初心者マーク」と同じである。尾はあまり長くないが、先端が魚類の尾鰭に近い扇状になって縦向きに付いている。
 ガメラシリーズでは、ガメラ以外で唯一、昭和と平成の時代をまたがって映画作品に登場している怪獣であり、その他のマンガやゲームなどの媒体作品でも、ガメラの敵役怪獣の中で出演回数が最多におよぶ。

超音波怪獣ギャオス
 身長65m、翼長172m、体重25t。飛行速度マッハ3.5。出身地は日本列島の中部大断層地帯(フォッサマグナ)の地下空洞。
 ガメラシリーズ第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)に登場する。
 尾は短く、ジェット戦闘機の垂直尾翼に似ている。口からは何でも切断する300万サイクルの衝撃波「超音波メス」を発射するが、これは音叉の役割をする二股の頸椎から発振するため、太く短い首は正面でほぼ完全に固定された構造となっており、普通の動物のように振り向くことができない。あらゆる動物を食する肉食性であり、特に人間の血肉を好む。
 頭部からは光のシグナルを発するうえ、空腹時は頭部の後ろが緑に、体調が危機に陥ると頭頂部が赤に発光する。夜行性で、太陽光線の紫外線を浴びると体細胞が破壊される弱点を持つが、再生能力は非常に高く、切断・欠損した部位も短時間で再生できる。光の他に炎も苦手とされるが、胸から放出する黄色い消火液で鎮火できる。血液はくすんだ色合いのピンク。
 名称は、英一少年の「ギャオーと鳴くからギャオスだ」という発言から命名された。
 主に空を活動域にしており、地上では活動が緩慢である。一方、ガメラは水中や地上では自由に動けるものの、空ではギャオスの機動力におよばないという風に、両者の活動の差がその戦いに影響を与える。英一少年を襲おうとした際にガメラと対決し、物語の後半では名古屋に飛来して名古屋城や新幹線などを襲う。
 フォッサマグナ付近の地下空洞で眠っていたらしく、富士山の突然の爆発によって復活すると、そこへ飛来したヘリコプターを地下空洞から発射した超音波メスで切断し、その搭乗員を捕食する。やがて夜間に空洞から外へ飛来し、人間や家畜を襲う。ガメラとの初戦では強力な超音波メスを放って近寄らせなかった。
 造形物は翼を広げたタイプと翼を折りたたんだタイプの着ぐるみ2体に加え、操演モデルと実物大の足の指が作成された。そのうち、翼を広げたタイプの着ぐるみは後に宇宙ギャオスに流用された。

宇宙ギャオス
 『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969年)に登場。身体が銀色の光沢を持つこと、血液が濃い紫色をしていることを除けば、過去のギャオスと変わらない。この種は複数登場した。
 反地球の第10惑星テラは原子力を利用して文明を発達させていたものの、原子炉の爆発の影響によって宇宙ギャオスが生まれ、次々にテラの住人を襲って捕食するようになった。
 ギロンとの戦闘では得意の超音波メスを放つものの、ギロンの包丁のような頭部で反射され、右足を切断されてしまう。今度は空中から背後に迫るが、ギロンの背面斬りで左翼を切断されて墜落したうえに右翼も切断され、身動きが取れなくなったところで首を切断され、ついに死亡する。肉は酷く臭いらしく、ギロンは殺した個体を切り刻んで食べようとしたが、あまりの臭さに食べるのをあきらめている。
 過去のギャオスと違い昼間に活動し、血の色が紫色。ガメラとは戦っていない。
 着ぐるみは『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)の翼を広げたタイプを流用。着ぐるみのほか、ギニョールや操演モデルも使用されている。

『宇宙怪獣ガメラ』(1980年)のギャオス
 宇宙海賊船ザノン号にコントロールされ、名古屋を襲撃する。登場シーンはすべて『ガメラ対ギャオス』(1967年)の映像の流用である。

平成ガメラ3部作のギャオス
超遺伝子獣ギャオス
 身長85m、翼長185m、体重75t。飛行速度マッハ4.2以上。
 『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)に登場。劇中では当初「鳥」と呼ばれていたが、後にガメラの背中にあった古代の石板に記された碑文を解読した結果、「ギャオス」と呼称されるようになった。
 平成ガメラ3部作では、はるか太古に滅亡した超古代文明による遺伝子工学の産物であり、目的は不明であるがのちの『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』で「増えすぎた人口を減らすため」という説が提唱されていることからも、一貫して「餌は人間、敵はガメラ」という設定である。人間だけでなくブタやイヌなども食することが示唆されているほか、共食いすら行う。昭和版のギャオスは首を動かせなかったが、今作でのギャオスは問題なく動かせるうえ、超音波メスも首を動かしながら発射できる。体細胞のうち染色体は大きいものが1対のみで、無駄な塩基配列がない完全な構造となっている。また、卵生で孵化直後は全員雌であるが、さまざまな生物の遺伝子情報が入っているため、性転換できる。これにより単独で産卵、繁殖することが可能である。孵化直後から体長は数メートルとすでに人間よりも大きいうえに成長速度が非常に速く、翼長については約15メートルから数日後には46メートルの亜成体となり、さらに185メートルの成体に成長する。体格も昭和版よりも格段に巨大化しているうえ、成長に伴って凶暴性も増していく傾向があり、食糧不足になると同種間での共食いも始め、弱った仲間や死んだ仲間に平然と食らいつく。
 昭和版に比べると体色は赤く、頭はやや平たく幅広くなり、眼は目立たないものの蛇や猫のような瞳孔で、より動物的なプロポーションとなり、地上での活動も自由自在でガメラとも格闘戦で互角に渡り合っている。昭和版では動かなかった首も、何ら問題なく動かせる。地上を走り、翼を振り回して殴りかかり、低く飛び上がって足の爪で攻撃することもでき、設定ではこの爪から神経毒を分泌する。また、昭和版と同様に光が苦手で活動は主に夜間が中心となるが、夕暮れ時に飛び回るシーンがあることから、昭和版よりは幾分耐性があるらしく、細胞の破壊が起こる様子はないようである。強力かつ迅速な自己進化能力を持っており、成体になると眼の辺りに無数の水晶体で作られた遮光膜が発生し、苦手だった太陽光にも耐性ができ、光の反射によって目が赤く光って見えるようになる。終盤におけるガメラとの戦いでは、昼間にもかかわらず普通に活動できている。しかし防御力はあまり高くなく、成体になってもガメラの火球攻撃に耐えることはできない。敵からの攻撃に対しては、空中を飛翔して回避することが主である。飛行速度は昭和版と同じくガメラを上回り、可変翼戦闘機のように「空中で羽根を折り畳み、空気抵抗を減らす」ことによって、その速度をさらに増すことも可能である。捕食する際には相手を手掴みして口へ放り込む昭和版と違い、直接口で食らいついて貪る。体液は宇宙ギャオスのような紫色であり、これは後に登場するギャオス・ハイパーも同様である。超音波メスは、音波を収束させて放つビームのような描写がなされており、その影響か劇中ではケージを切断する際に収束した音波がケージを振動させていた他、近くにあった吊り橋のワイヤーロープの留め具が外れたり、腕時計の文字盤のガラスが割れたりする描写があった。
 当初は長崎県五島列島に出現し、嵐の夜に姫神島の小さな集落を壊滅させた。この時点での体長は数メートルで、3体が確認されている(姫神島の洞窟でも、仲間に食害された死骸が2体発見されている)。
 スーツアクターは、ギャオスの体格の細さから、女性の亀山ゆうみが起用された。
 造形物は着ぐるみがアクション用とアップ用の2体作られ、前者は『3』のギャオス・ハイパー爆破シーンに流用された(頭部のみ現存)。そのほか、ギニョールや操演モデルなどが製作された。
 なお、ギャオスのデザインには西洋のドラゴンや中国の龍のイメージが投影されている。

ギャオス・ハイパー
 体長88m、翼長190m、体重78t。
 『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』(1999年)に登場。
 前作『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)のレギオン戦でガメラが大量の「マナ」を消費した影響により、世界中にある耐久卵が一斉に孵化したことが示唆されている。『大怪獣空中決戦』のギャオスに比べて体格はよりシャープかつ動物的なものとなり、体色も黒っぽくなっている。両翼の上部には新たに肘が形成されており、被膜を支える指のうち2本が肘の先から生えているほか、翼の皮膜のない3本の指の1本が親指のように生えている。また、飛行能力のみならず繁殖力も大幅に増大しているほか、爪に猛毒を持つ。
 物語の冒頭で、東南アジアにて幼体の死骸が確認できるほか、メキシコにおいても成体の目撃が報告される。日本には渋谷近辺に『大怪獣空中決戦』のギャオスと同じサイズにまで成長した個体が2頭出現するが、1頭は画面登場の時点でガメラのプラズマ火球によって墜落したうえ、全身に大火傷を負って眼球が飛び出すなどの深刻なダメージを受けた状態であり、墜落した後に着陸してきたガメラにとどめを刺された。もう1頭はガメラと渋谷にて交戦し、プラズマ火球の連射を回避しながら超音波メスを放つなどの高い戦闘力で渋谷が壊滅するほどの激戦を展開する。なお、世界中に大量発生したその他のギャオスもガメラによって倒されていたことが、劇中の台詞で示唆されている。
 ラストではギャオス・ハイパーの大群が日本に向かって飛来するシーンが描かれる。
 造形物は着ぐるみではなく、すべてギニョールや操演モデル。幼体の死骸は実物大の造形物である。

『小さき勇者たち ガメラ』(2006年)のギャオス
 体高30m、翼長90m、体重500t。
 1973年にガメラと戦った怪獣。成体4頭の群れで出現し、集団で襲いかかってガメラを苦しめたが、ガメラの最後の手段である自爆に巻き込まれて全滅した。その後、ギャオスの再発生は確認されておらず、具体的な出自などについてもまったく触れられていない。
 設定上では歴代個体と同様、強靱な生命力を持っている。本作で後に登場する怪獣ジーダスは、ギャオスの死骸を食べた爬虫類が変異したものと設定されており、人肉を好む性質など共通点も多い。
 造形物は『ガメラ3』と同様にぬいぐるみはなく、すべてギニョールや操演モデルである。また全身モデルはなく CGで表現されている。体色と翼の構造はギャオス・ハイパーとほぼ同じだが、被膜のない指が2本になっている。

『GAMERA』(2015年)のギャオス
 ガメラ生誕50周年記念でKADOKAWA制作、石井克人監督の CG映像作品『GAMERA』(2015年10月公開)に登場。本作でも平成3部作のように群れで東京を襲撃し、逃げ惑う人々を追い回しては捕食する姿や、共食いする姿が描かれている。超音波メスを発射している個体も背景に複数いた。
 3DCG で表現されてより細身になり、背中に1列の背鰭が骨状に隆起して並ぶほか、歴代ギャオスとの最大の違いはそのドラゴンを思わせる姿(尾が細長く頭部や舌も鳥類よりはヘビなどの爬虫類に近いうえ、口先などが幾分丸みを帯びている)にある。ガメラに倒される際には、ギャオス・ハイパーのように眼球が飛び出る描写がある。

ギャオスの亜種
イリス
『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』に登場。作中ではギャオスの変異体と見なされているがその経緯は一切不明で、その容姿はギャオスとは程遠い。


≪その、うす汚れ切った生きざま……愛さずにはいられない!! 本文マダナノヨ≫
コメント (6)
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