と、いうわけでございまして、今年2013年もおしまいでございます。
え~……いろいろとやり残したことばっかのまんまなんですが! みなさま、一年間ほんっとうにお疲れさまでございました!!
あたしゃ忙しかったよ、まぢで……なんかもう、思い起こせば今年は1月のド頭から「忙しい、忙しい」っておんなじことしかつぶやいてなかったような気もするんですが、ほんとにそうだったんだから仕方がねぇんだよなぁ。
よく、「忙しいのは本人に能力がない証拠」とか、利いた風な口を叩いてるビジネス書がありますが、てめぇが想定してるような『信長の野望 嵐世記』みたいなぬるま湯ヌルヌルの仕事場なんて、この日本のどこにも存在してねぇんじゃねぇの!?
能力がない人間が忙しくしてたら、効率は落ちるは失敗は続くはで即効つぶれるんじゃアホがぁあ!! 現実は『信長の野望 天翔記』のごとき超ムズ難易度なのよ~!!
今年一年、我が身を通して得た結論。
「慣れれば慣れるほど、仕事は難しくなる。仕事場も楽しくなくなる。でも、そこを楽しく切り抜けてこそ、仕事!!」
……ま、アルバイト待遇ですけどね。ギャフン☆
アルバイト待遇と申すのならば、かえりみれば、私は大学を卒業した2002年からず~っとこういう生活形態のまんまでございます。
それはまず、私が2011年の春まで劇団の俳優としての生活を主軸においていたから、という理由だったのですが、それも齢30をこえ、退団と同時に演技の道をきれいさっぱりあきらめてしまい、その後は惰性で当時やっていたアルバイトを続けながら、およそ1年間くらい「なぁ~にしよっかなぁ~。」とフラフラしている期間がありました。
思い起こせば、我が『長岡京エイリアン』が「ウィンドウズ Me」という、ロビンソン=クルーソー的いかだ船を拠点によちよち歩きを始めたのも、いよいよ自分の俳優としての道に勝手に不安を見いだすようになった末期、2010年の夏ごろのことで、2011~12年に気でも狂ったかのように横浜の桜木町のあたりを文字通りフラフラさまよっていた頃を克明に記録している当時の記事は、読みかえすたびに慄然としてしまいます。地震もあったしね……いろいろと不安定な、悩みばかりの暗中模索の日々だったのでしょうが、心に迷いがあるからと言って、ほんとに日に20~30km の距離を、足の裏を血まめだらけにしてさ迷い歩くこともなかったんじゃなかろうかとも思えるのですが……バカだからしょうがねぇか。あのとき眼に焼き付けた、東急東横線とか京急線沿いの町なみの風景はもう生涯忘れることはできないでしょう。また歩いてみたいけど……忙しいのよね!
そして、具体的に現在の私が勤務させていただいている業種に向けての歩みが始まったのは、去年2012年の夏ごろからだったのですが、当時はそれまでのアルバイトと、その新しい職場とのかけもちを続けるという流れになり、まぁまぁ時間にも余裕を持ちつつ、様子見のような感じでいこうか~、なんて目論見でスタートしたわけです。
ところが! 私がやってみたいと思い立ったお仕事は、「様子見」なんていう甘ちゃんな心構えでできる職場ではまるでなかったわけでありまして。
その後、忙しくなるは忙しくなるは。千葉に住んでいるわたくしが、今日は神奈川、明日は埼玉。拘束時間は丸一日で電車の始発で出発~の、日が暮れて退勤~のの毎日がドバドバ~ッと、ね。
そんな日々が続いての、今年2013年の春。私はアルバイトを今やっているほうの一本にしぼりまして、と同時に仕事場も千葉県内の一箇所に固定してもらうという、現在にいたる生活パターンにやっと落ち着いたわけだったのでありました。
そんでま、先ほどの教訓に戻るわけなんですね。慣れれば慣れるほど底が見えなくなる、それがお仕事! タイトロープを楽しくわたり通す、それがお仕事!!
まだまだ修行中なんでありまして、このお仕事で私がプロになれるのかどうかは、まだわかりません。でも、もっと喰らいついていかなきゃわたくしの男がすたる、という意味不明な熱情はいや増しに増しておる次第でございまして……ま、いつクビになるような大失敗をやらかすのか、おのれで戦々恐々としながら「お、お邪魔しまっす~……」とヘーコラしながら毎日出勤しているていたらくなんですが、まぁ、来年2014年もできるだけ、このお仕事は長~く続けさせていただければなぁ~、なんて。
明日? 1月1日? もォ~っちのろんで出勤ですよ!! 悠長におもちなんか食ってられませんって! 「常在戦場」、「人間至る所に青山あり」ですよ、あなた!! 「にんげんいたるところにあおやまあり」って読んじゃダ~メダメよ~♪
そういえば、年の瀬に仕事場で、いつもお世話になっている上司のお方と、こんなやりとりをしました。
私 「あの、私いろいろ思うところがありまして、来年の正月が落ち着いた頃にでも、髪を思いっきり切ってボウズ頭にしたいんですが、いかがでしょうか?」
上 「ボウズ、ですか……ちょっとこの職場では前例がないんでねぇ……」
結局、いきなりボウズ頭の人が勤務しだすとお客様にどんな影響を与えるか予想がつかない、という結論になりまして、私のボウズ頭2014計画はいったんは白紙、ということとなりました。
まぁ、そりゃそうでね、ボウズ頭になってから「やっぱやめよう。」はきかないし、私だってボウズ頭にならなきゃ酸素呼吸ができなくなっておっ死ぬ、っていうほど急を要してるわけでもないんでね。早々に撤回させていただきましたが。
個人的には、来年2014年はいろいろ勝負の年にしたい部分もあったり、願掛けじゃないけど、いろんな周囲の物事に対して気合いを入れなおしたいという思いもあったのでボウズ頭に「また」したい、と考えてみたのですが、まぁ、昔と今とでは私が身を置いている世界が違いすぎる、ということなんでしょうね。
昔……そう、劇団時代の私は、その時間のまるまる全てをボウズ頭で過ごしていたものでした。
「私とボウズ頭」という、他人様にとってはファッキンどうでもいいトピックで自分の記憶をひもといてみますと、中学生時代にいちおう運動部に入っていたのでボウズ頭にした時期はあったのですが(いうまでもなく安定の補欠部員でした)、劇団で俳優として活動にするにあたって、本格的に約10年くらい続けることになったボウズ頭生活の始まりは2001年の8月、私が大学4年生だったときのことでした。
そのとき私は、大学の先輩にあたる演出家の関美能留さん主宰の劇団「三条会」が、富山県東砺波郡利賀村(現・南砺市)で開催される「第2回 利賀演出家コンクール」に出場するにあたって選んだ課題戯曲『ひかりごけ』(作・武田泰淳)の舞台化に、出演者として参加したのですが、男性の俳優は全員スキンヘッドでいく、という荒波に乗るかたちで、きれいさっぱりとツルッツルになりました。
コンクール参加の2~3日前、千葉県での最終稽古を終えた夜10時ごろだったかと思うのですが、それまでふつうに髪の毛を伸ばしていた私は、同じく出演する女優さんがたに、稽古場で笑いながらかわりがわりにバリカンを入れられるという倒錯ぎみな断髪式をへて丸坊主になりまして、そのまんま舞台機材でいっぱいになった2台くらいの車に、野心みなぎる劇団のみなさんといっしょに乗り込み、意気揚々と闇の信濃路を北上していくのでありました……若いねぇ、どうにも。
そして、私はその勢いのまんま翌2002年の初頭に正式に三条会の劇団員となり、就職活動なんてまるまるスルーで大学卒業という運びになりました。
当時、別に「ここの劇団の男性俳優だったら、髪型は絶対にスキンヘッドなのだ!」というルールはなかったのですが、1年間のスケジュールの中の、どこかに必ず『ひかりごけ』を上演する予定が入る年が長く続いたり、公演と公演のあいだのスパンが短すぎて(毎月1作とか)、男性俳優の髪の毛がサマになるまで伸びる時間がないから仕方なくまた剃っちゃう、といったパターンが定着してしまったため、私もずいぶんと長いこと、ツルツルに剃って舞台本番にのぞんで、稽古をしながら髪の毛がじわじわ伸びてきたところでまたツルツル、といった繰り返し生活を続けることになりました。
他の俳優さんでは、頭髪のような密度にも耐えられるような高性能の電気シェーバーを買って手軽に済ませるという方もおられたのですが、私はず~っとT字カミソリを使っていましたね。舞台本番とか劇場入りの前日とか、旅公演の出発前とかに、風呂場でひとりしずかに頭を剃りあげていく時間が、なんとな~く好きだったんですよね。別にそれで精神が統一されるとかいう高尚な効能はなかったんですが、それで自分がやっと舞台に上がる覚悟を持てるようになったような気になったりして。ダメなんだけどなぁ~、そんなその場しのぎな心意気じゃよう!!
それはともかく、貝印でしょ、ジレットでしょ、シックでしょ……近所のコンビニとかスーパーで売ってるようなT字カミソリはぜ~んぶ使いましたよね。ゆっくりやったら切れないですからね、基本的に全部いいんですけど、やっぱり一番は何かと聞かれたら、そりゃあ「キレてな~い」の「シック プロテクターディスポ」ですよね、結局! どんなにすべっても血が出ないんだもの、ほんとに。てぇしたもんだ!
個人的にいきますと、そういうパターンに微妙な変化が訪れたのは、自分で記憶するかぎりでは2004年の秋ごろからで、私は、当時大人気だった、髪型が特徴的なある有名人のものまねを劇中で披露する機会が増えるようになったんですよね。
それが、ひと言ふた言やる程度じゃなくてワンシーンのセリフをまるまるその人のマネでいくという長さだったため、その助けにするために、いつものスキンヘッドの上にそのシーンでだけカツラをかぶって演じるという変化が生じたわけです。
んで、それ自体はワンクッションでのカツラという扱いだったのですが、そこから発展したのかしなかったのか、2008年頃から、劇団の俳優たちの中でも、私だけは基本的に「カツラをかぶって演技をする」というポジションにおさまることとなりました。「髪の毛がフサフサに生えている男性」を演じることになったわけです。
ところが、ここがボウズ頭の奥深いところで、カツラをかぶることになったから自分の頭髪は伸び放題で OKになる、ということでは決してありませんでした。要するに、カツラがしっかり固定されるためには、下の自毛がフサフサでもスキンヘッドでもいけません。どっちもカツラが上すべりすることになりますから。特にスキンヘッドは、舞台上で汗が流れ出すとカツラがおもしろいようにズレるズレる。頭髪があるのにスキンヘッド以上に「ハゲてるっぽい人」のイメージが強調されるという、この恐るべきパラドックス!!
結局、カツラが最もピタッと固定されるのは、個人的な経験からいくと「スキンヘッドにしてから2日後のざらざらボウズ頭」という結論に達したわけだったのですが……自分でもビックリするくらいに役に立たない知識だね、これ。
つまり、カツラをかぶるようになったからといって、私のボウズ頭ライフにさほどの異状が生じたわけではなかったということだったのですが、そんな2008年からさらに3年後、私は劇団を退団するという選択をもって、ボウズ頭にもいったんの終止符を打つこととなりました。
と、いうことは……2001年の夏から、2011年の春。「10年弱」ですね。私がボウズ頭だった期間は。
まぁ、私の全人生の「3分の1」なんですから長かったはずなんですけど、あっという間だったというかなんというか。
今回の「ボウズ2014作戦」も泡と消えたことですし、私にとって、あれほど呼吸するように当たり前に存在していたボウズ頭も、今となってははるか遠くになりにけり、という感覚が強くなりました。
最近はもう、電車に乗ればボウズ頭にスーツ姿の会社員さんがいてもそう珍しくはない風潮ではあるのですが、やっぱりそうそう軽々しくはボウズ頭になれない現場もあるわけで、ね。
個人的には「生涯最後のボウズ頭にしようかな。」と考えてもいたので、それがついえた以上、もう今後ボウズ頭にはならない可能性もありますし、まずそれ以前の段階の話で、「ハゲてナチュラルボウズになる」危険性が急速に高まりつつある昨今、なんの気もなしに貴重な日々を過ごしていた「若き日のボウズ頭」は……もはや追憶の彼方ですわな。
2013年も、いろいろありました。いろいろ進みました。いろいろ遠くなりました。
そして、何かに近づきつつある手ごたえはつかめました。
まだまだ、「明日の確証」なんていうぜいたくな買い物はできない毎日ではありますが、最低限ぶんどる物はぶんどってやったという満足感はあります。
そして、「おぼえてろ、バカヤロー!!」という思いを握りしめて、いざ来年へ。
みなさま、今年も『長岡京エイリアン』をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ!!
え~……いろいろとやり残したことばっかのまんまなんですが! みなさま、一年間ほんっとうにお疲れさまでございました!!
あたしゃ忙しかったよ、まぢで……なんかもう、思い起こせば今年は1月のド頭から「忙しい、忙しい」っておんなじことしかつぶやいてなかったような気もするんですが、ほんとにそうだったんだから仕方がねぇんだよなぁ。
よく、「忙しいのは本人に能力がない証拠」とか、利いた風な口を叩いてるビジネス書がありますが、てめぇが想定してるような『信長の野望 嵐世記』みたいなぬるま湯ヌルヌルの仕事場なんて、この日本のどこにも存在してねぇんじゃねぇの!?
能力がない人間が忙しくしてたら、効率は落ちるは失敗は続くはで即効つぶれるんじゃアホがぁあ!! 現実は『信長の野望 天翔記』のごとき超ムズ難易度なのよ~!!
今年一年、我が身を通して得た結論。
「慣れれば慣れるほど、仕事は難しくなる。仕事場も楽しくなくなる。でも、そこを楽しく切り抜けてこそ、仕事!!」
……ま、アルバイト待遇ですけどね。ギャフン☆
アルバイト待遇と申すのならば、かえりみれば、私は大学を卒業した2002年からず~っとこういう生活形態のまんまでございます。
それはまず、私が2011年の春まで劇団の俳優としての生活を主軸においていたから、という理由だったのですが、それも齢30をこえ、退団と同時に演技の道をきれいさっぱりあきらめてしまい、その後は惰性で当時やっていたアルバイトを続けながら、およそ1年間くらい「なぁ~にしよっかなぁ~。」とフラフラしている期間がありました。
思い起こせば、我が『長岡京エイリアン』が「ウィンドウズ Me」という、ロビンソン=クルーソー的いかだ船を拠点によちよち歩きを始めたのも、いよいよ自分の俳優としての道に勝手に不安を見いだすようになった末期、2010年の夏ごろのことで、2011~12年に気でも狂ったかのように横浜の桜木町のあたりを文字通りフラフラさまよっていた頃を克明に記録している当時の記事は、読みかえすたびに慄然としてしまいます。地震もあったしね……いろいろと不安定な、悩みばかりの暗中模索の日々だったのでしょうが、心に迷いがあるからと言って、ほんとに日に20~30km の距離を、足の裏を血まめだらけにしてさ迷い歩くこともなかったんじゃなかろうかとも思えるのですが……バカだからしょうがねぇか。あのとき眼に焼き付けた、東急東横線とか京急線沿いの町なみの風景はもう生涯忘れることはできないでしょう。また歩いてみたいけど……忙しいのよね!
そして、具体的に現在の私が勤務させていただいている業種に向けての歩みが始まったのは、去年2012年の夏ごろからだったのですが、当時はそれまでのアルバイトと、その新しい職場とのかけもちを続けるという流れになり、まぁまぁ時間にも余裕を持ちつつ、様子見のような感じでいこうか~、なんて目論見でスタートしたわけです。
ところが! 私がやってみたいと思い立ったお仕事は、「様子見」なんていう甘ちゃんな心構えでできる職場ではまるでなかったわけでありまして。
その後、忙しくなるは忙しくなるは。千葉に住んでいるわたくしが、今日は神奈川、明日は埼玉。拘束時間は丸一日で電車の始発で出発~の、日が暮れて退勤~のの毎日がドバドバ~ッと、ね。
そんな日々が続いての、今年2013年の春。私はアルバイトを今やっているほうの一本にしぼりまして、と同時に仕事場も千葉県内の一箇所に固定してもらうという、現在にいたる生活パターンにやっと落ち着いたわけだったのでありました。
そんでま、先ほどの教訓に戻るわけなんですね。慣れれば慣れるほど底が見えなくなる、それがお仕事! タイトロープを楽しくわたり通す、それがお仕事!!
まだまだ修行中なんでありまして、このお仕事で私がプロになれるのかどうかは、まだわかりません。でも、もっと喰らいついていかなきゃわたくしの男がすたる、という意味不明な熱情はいや増しに増しておる次第でございまして……ま、いつクビになるような大失敗をやらかすのか、おのれで戦々恐々としながら「お、お邪魔しまっす~……」とヘーコラしながら毎日出勤しているていたらくなんですが、まぁ、来年2014年もできるだけ、このお仕事は長~く続けさせていただければなぁ~、なんて。
明日? 1月1日? もォ~っちのろんで出勤ですよ!! 悠長におもちなんか食ってられませんって! 「常在戦場」、「人間至る所に青山あり」ですよ、あなた!! 「にんげんいたるところにあおやまあり」って読んじゃダ~メダメよ~♪
そういえば、年の瀬に仕事場で、いつもお世話になっている上司のお方と、こんなやりとりをしました。
私 「あの、私いろいろ思うところがありまして、来年の正月が落ち着いた頃にでも、髪を思いっきり切ってボウズ頭にしたいんですが、いかがでしょうか?」
上 「ボウズ、ですか……ちょっとこの職場では前例がないんでねぇ……」
結局、いきなりボウズ頭の人が勤務しだすとお客様にどんな影響を与えるか予想がつかない、という結論になりまして、私のボウズ頭2014計画はいったんは白紙、ということとなりました。
まぁ、そりゃそうでね、ボウズ頭になってから「やっぱやめよう。」はきかないし、私だってボウズ頭にならなきゃ酸素呼吸ができなくなっておっ死ぬ、っていうほど急を要してるわけでもないんでね。早々に撤回させていただきましたが。
個人的には、来年2014年はいろいろ勝負の年にしたい部分もあったり、願掛けじゃないけど、いろんな周囲の物事に対して気合いを入れなおしたいという思いもあったのでボウズ頭に「また」したい、と考えてみたのですが、まぁ、昔と今とでは私が身を置いている世界が違いすぎる、ということなんでしょうね。
昔……そう、劇団時代の私は、その時間のまるまる全てをボウズ頭で過ごしていたものでした。
「私とボウズ頭」という、他人様にとってはファッキンどうでもいいトピックで自分の記憶をひもといてみますと、中学生時代にいちおう運動部に入っていたのでボウズ頭にした時期はあったのですが(いうまでもなく安定の補欠部員でした)、劇団で俳優として活動にするにあたって、本格的に約10年くらい続けることになったボウズ頭生活の始まりは2001年の8月、私が大学4年生だったときのことでした。
そのとき私は、大学の先輩にあたる演出家の関美能留さん主宰の劇団「三条会」が、富山県東砺波郡利賀村(現・南砺市)で開催される「第2回 利賀演出家コンクール」に出場するにあたって選んだ課題戯曲『ひかりごけ』(作・武田泰淳)の舞台化に、出演者として参加したのですが、男性の俳優は全員スキンヘッドでいく、という荒波に乗るかたちで、きれいさっぱりとツルッツルになりました。
コンクール参加の2~3日前、千葉県での最終稽古を終えた夜10時ごろだったかと思うのですが、それまでふつうに髪の毛を伸ばしていた私は、同じく出演する女優さんがたに、稽古場で笑いながらかわりがわりにバリカンを入れられるという倒錯ぎみな断髪式をへて丸坊主になりまして、そのまんま舞台機材でいっぱいになった2台くらいの車に、野心みなぎる劇団のみなさんといっしょに乗り込み、意気揚々と闇の信濃路を北上していくのでありました……若いねぇ、どうにも。
そして、私はその勢いのまんま翌2002年の初頭に正式に三条会の劇団員となり、就職活動なんてまるまるスルーで大学卒業という運びになりました。
当時、別に「ここの劇団の男性俳優だったら、髪型は絶対にスキンヘッドなのだ!」というルールはなかったのですが、1年間のスケジュールの中の、どこかに必ず『ひかりごけ』を上演する予定が入る年が長く続いたり、公演と公演のあいだのスパンが短すぎて(毎月1作とか)、男性俳優の髪の毛がサマになるまで伸びる時間がないから仕方なくまた剃っちゃう、といったパターンが定着してしまったため、私もずいぶんと長いこと、ツルツルに剃って舞台本番にのぞんで、稽古をしながら髪の毛がじわじわ伸びてきたところでまたツルツル、といった繰り返し生活を続けることになりました。
他の俳優さんでは、頭髪のような密度にも耐えられるような高性能の電気シェーバーを買って手軽に済ませるという方もおられたのですが、私はず~っとT字カミソリを使っていましたね。舞台本番とか劇場入りの前日とか、旅公演の出発前とかに、風呂場でひとりしずかに頭を剃りあげていく時間が、なんとな~く好きだったんですよね。別にそれで精神が統一されるとかいう高尚な効能はなかったんですが、それで自分がやっと舞台に上がる覚悟を持てるようになったような気になったりして。ダメなんだけどなぁ~、そんなその場しのぎな心意気じゃよう!!
それはともかく、貝印でしょ、ジレットでしょ、シックでしょ……近所のコンビニとかスーパーで売ってるようなT字カミソリはぜ~んぶ使いましたよね。ゆっくりやったら切れないですからね、基本的に全部いいんですけど、やっぱり一番は何かと聞かれたら、そりゃあ「キレてな~い」の「シック プロテクターディスポ」ですよね、結局! どんなにすべっても血が出ないんだもの、ほんとに。てぇしたもんだ!
個人的にいきますと、そういうパターンに微妙な変化が訪れたのは、自分で記憶するかぎりでは2004年の秋ごろからで、私は、当時大人気だった、髪型が特徴的なある有名人のものまねを劇中で披露する機会が増えるようになったんですよね。
それが、ひと言ふた言やる程度じゃなくてワンシーンのセリフをまるまるその人のマネでいくという長さだったため、その助けにするために、いつものスキンヘッドの上にそのシーンでだけカツラをかぶって演じるという変化が生じたわけです。
んで、それ自体はワンクッションでのカツラという扱いだったのですが、そこから発展したのかしなかったのか、2008年頃から、劇団の俳優たちの中でも、私だけは基本的に「カツラをかぶって演技をする」というポジションにおさまることとなりました。「髪の毛がフサフサに生えている男性」を演じることになったわけです。
ところが、ここがボウズ頭の奥深いところで、カツラをかぶることになったから自分の頭髪は伸び放題で OKになる、ということでは決してありませんでした。要するに、カツラがしっかり固定されるためには、下の自毛がフサフサでもスキンヘッドでもいけません。どっちもカツラが上すべりすることになりますから。特にスキンヘッドは、舞台上で汗が流れ出すとカツラがおもしろいようにズレるズレる。頭髪があるのにスキンヘッド以上に「ハゲてるっぽい人」のイメージが強調されるという、この恐るべきパラドックス!!
結局、カツラが最もピタッと固定されるのは、個人的な経験からいくと「スキンヘッドにしてから2日後のざらざらボウズ頭」という結論に達したわけだったのですが……自分でもビックリするくらいに役に立たない知識だね、これ。
つまり、カツラをかぶるようになったからといって、私のボウズ頭ライフにさほどの異状が生じたわけではなかったということだったのですが、そんな2008年からさらに3年後、私は劇団を退団するという選択をもって、ボウズ頭にもいったんの終止符を打つこととなりました。
と、いうことは……2001年の夏から、2011年の春。「10年弱」ですね。私がボウズ頭だった期間は。
まぁ、私の全人生の「3分の1」なんですから長かったはずなんですけど、あっという間だったというかなんというか。
今回の「ボウズ2014作戦」も泡と消えたことですし、私にとって、あれほど呼吸するように当たり前に存在していたボウズ頭も、今となってははるか遠くになりにけり、という感覚が強くなりました。
最近はもう、電車に乗ればボウズ頭にスーツ姿の会社員さんがいてもそう珍しくはない風潮ではあるのですが、やっぱりそうそう軽々しくはボウズ頭になれない現場もあるわけで、ね。
個人的には「生涯最後のボウズ頭にしようかな。」と考えてもいたので、それがついえた以上、もう今後ボウズ頭にはならない可能性もありますし、まずそれ以前の段階の話で、「ハゲてナチュラルボウズになる」危険性が急速に高まりつつある昨今、なんの気もなしに貴重な日々を過ごしていた「若き日のボウズ頭」は……もはや追憶の彼方ですわな。
2013年も、いろいろありました。いろいろ進みました。いろいろ遠くなりました。
そして、何かに近づきつつある手ごたえはつかめました。
まだまだ、「明日の確証」なんていうぜいたくな買い物はできない毎日ではありますが、最低限ぶんどる物はぶんどってやったという満足感はあります。
そして、「おぼえてろ、バカヤロー!!」という思いを握りしめて、いざ来年へ。
みなさま、今年も『長岡京エイリアン』をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ!!