ヘヘヘイヘ~イ、どうもこんばんは! そうだいでございますよ~。みなさま、今日も一日お疲れさまでした。
8月も、もうおしまいでございます。今年の夏も暑かったですねぇ。っていうか、たぶんこれからもしばらくは暑いですよねぇ、ええ。
ほんとにまぁ、私に関しましても例年以上に忙しい8月になっちゃったんですが、やっぱりこれは、忙しくさせていただいているだけ、ありがたいということで! 幸せなことに、身体もそれに耐えられるだけまだまだ丈夫ですからねぇ。
暑い夏よ、今年もありがとう! そして、クーラーのない我が環境よ、ファッキュー!!
そういった万感の思いを込めながら、今回は『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ第2シリーズの DVDマガジンの鑑賞記の第2弾をつづっていきたいと思います。温故知新! 今やっている『風立ちぬ』は、まだ当分上映しているだろうから、もうちょっとあとになってから観ることにしよう。
あぁ、そうそう。本日公開になった『タイムスクープハンター』の劇場版ね。これも観ないわけにはいかない作品なんですが……なんか脚が重いゾ~!? なんでかしらねぇ、不思議ねぇ。
『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン 第3巻』(2013年6月25日発売 講談社)の収録内容
第10話『アンコールワットの亡霊』 1971年12月9日放送 脚本・雪室俊一、演出・西沢信孝
原作……非鬼太郎もの短編『世界怪奇シリーズ アンコールワットの女』(1968年4月掲載)
ゲスト妖怪……アンコールワットの亡霊オイン(声・柴田秀勝)、オインの娘、謎の老人トンボ(声・大竹宏)
他シリーズでのリメイク……なし
前回に扱った第7話『猫又』に引き続いて、東南アジアを舞台にした水木しげるの『世界怪奇シリーズ』の一篇を鬼太郎ものにアレンジした、異国情緒のやけに豊かなエピソードになっています。
ただし、「猫又」という妖怪の伝承自体が日本由来のものだったことからくる、「それがなんでインドネシアの話なの?」という違和感については特になんの説明もなくスルーされていた前話にくらべて、本作はカンボジアのまぎれもない世界的遺産アンコールワットになぜか日本の戦国時代のような兜甲冑を着込んだ落ち武者の亡霊集団が出現するという違和感自体が意図的にクローズアップされているぶん、鬼太郎ファミリーが事件に興味を持ち、はるばる日本からやって来て解決に乗り出す必然性のようなものは無理なく強化されていたと感じました。
それはそうなんですが……やっぱりこのお話も、な~んかピンとこないんですよねぇ。
なにがピンとこないって、この作品における「敵」と「味方」が誰なのかが、わざとだったとしてもクライマックスまでモヤモヤのまんまになりすぎなんですよ。
いや、これが原作マンガのような怪奇ロマンスふう抒情詩だったのならば、そんなに明確なキャラクター配置がなくとも「アンコールワットに鎧武者と美女」というヴィジュアルだけで充分にいいのでしょうが、これを『ゲゲゲの鬼太郎』のエピソードにしちゃったからなぁ。
要するに、鬼太郎ファミリーが出てくる以上は鬼太郎のヒーロー然とした超能力アクションが必要になってきてしまうわけで、それを引き出すためには無念をもってさまよう亡霊の群れだけでは力不足だったというわけです。だって、亡霊たちは戦わなくとも、その無念の原因をつきとめてねんごろに弔えば消えてくれちゃうんですから。
そういうわけでしゃしゃり出てきたのが、亡霊集団の棟梁である武将オインを成仏させまいと暗躍する策士トンボの亡霊なんですが、そのトンボっていうのがはっきりしないんだよなぁ~! 生きてるのか死んでるのかもわかんないし、鬼太郎にケンカを売ったり(それでけっこういいところまで鬼太郎を殺しかける)オインを恨む理由もあんまりわかんないんですよね。ただただ、物語をかきまわすためだけに出てきたって感じ。ともかく悪役としての説得力がなんだか足りないんですね。
あと『猫又』もそうだったんですが、「前半に悪役だと思われていたキャラクターが実は悪役じゃなかった」という展開は、その疑惑の対象にある程度の魅力がなければ話を引っぱる要素にはならないと思うんですが、今回のオインの亡霊もまた、何もしゃべらずにさまようだけで今ひとつ牽引力にならないんですよね。悪人だろうが善人だろうが、どっちでもいいやって感じになってしまうんです。柴田秀勝さんの美声はいいんですが、やっぱり「鬼太郎サーガ」の一員になるには、亡霊になった理由がいかにも地味すぎるんですよね……
ということで、中盤の猫娘の潜入捜査とか、日本からやって来たヘンな格好のガキンチョに対しても異様に低姿勢で協力的な現地の刑事とか、いろんなおもしろ要素のあった本作だったのですが、またしても鬼太郎ものになるにはもうひと工夫が足りないという結果になってしまったと感じました。
でも、カンボジアのアンコールワットに落ち武者の亡霊っていうミスマッチきわまる絵には、捨てがたい魅力があると思います。次の第6シリーズで改めてリメイクされたら、すごいね!
第11話『土ころび』 12月16日放送 脚本・安藤豊弘、演出・白根徳重
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第127話(連載最終話)『土ころび』(1969年6月掲載)
ゲスト妖怪……土ころび(声・富田耕生)
他シリーズでのリメイク……第3・4・5シリーズ
『妖怪城』や『妖怪大戦争』といった伝説的なエピソード群が目白押しのマガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』の中では、あまりパッとしない印象がいなめない原作なのですが、これこそが実質的なマガジン版の最終エピソードであることはまぎれもない事実です!(ただし、『月刊マガジン』への掲載)
いちおう、マガジン版としては読み切り作品『その後のゲゲゲの鬼太郎』が1年後の1970年7月に発表されて完結となるのですが(その次のシーズンとなるサンデー版『ゲゲゲの鬼太郎』はアニメ第2シリーズと連動して1971年から)、「鬼太郎と妖怪が対決する」という形式のエピソードは、この『土ころび』でしばしの休養ということになりました。
そういう経緯をふまえて原作マンガを読むと、このエピソードは細かい部分で確かに意味深なポイントがあります。それはなにはなくとも、鬼太郎と対峙する土ころびという敵キャラクターが、厳密な意味では妖怪ではなく「限りなく妖怪土ころびに近くなっちゃった人間」である、ということ! ものすごい話ですよね……
このエピソードに登場する土ころびは、実は「電工会社の工場が垂れ流し続ける排水を含んだ川の水を飲み続けた農民が変質してしまった成れの果て」だったという衝撃の事実が、マンガの途中でさし込まれる「字幕解説コマ」によって唐突にさらっと暴露されてしまうわけなのですが、水木しげるの筆はそれによって別に土ころびが普通の人間の姿に戻ってめでたしめでたしとかいう都合のいいハッピーエンドを用意することもなく、土ころびは土ころびらしく鬼太郎を喰べようとしてあえなく爆死する(鬼太郎のエネルギーを吸収しきれず)という「いつもどーり」な最期をとげます。「工業排水による犠牲者」という真相を提示しながらも、その犠牲者をまったく救済しないという水木先生の毘沙門天のような苛烈さがここでも炸裂していますね。厳しすぎるよ、ホント……
さらに言うと、このエピソードは事件解決後に「事態を悪化させたねずみ男を鬼太郎が懲らしめる」という恒例のパターンでしめくくられるのですが、今回ばかりはねずみ男がトラブルメイカーどころか「明確に鬼太郎を抹殺しようと土ころびをけしかけている」ことによって事件が進行しているため、鬼太郎はかなり静かにブチぎれた口調で「おまえとはもう絶交だ。」と言い捨て、「鬼太ちゃん そんなつれないこというもんじゃないよ。」とすがるねずみ男を尻目に去っていきます。
この感じで(いったんの)最終回を迎える2人の関係って、いったい……少なくとも親友じゃないし、本エピソードに関してはまごうことなき敵妖怪として鬼太郎に殺されてもおかしくなかったねずみ男の行動は、ちょっとアニメのレギュラーキャラの定義にはおさまりきらない「冷酷な悪の論理」がありました。
そういえば、このアニメ第2シリーズをおさらいして改めて思ったんですけれど、アニメのねずみ男と原作マンガのねずみ男って、行動のスタイルというか、生き方の温度がまるで違うんですよね。アニメのほうはいかにも道化役といった感じで極端にコミカルで陽性なんですけど、原作のねずみ男はもっと無口で、クールで怖いんですよ。
ねずみ男 「人間は現在だけをたのしめばいいのだ。なぁ鬼太郎 そうは思わねぇか。」
鬼太郎 「どうも おめぇとは思想があわねぇな。」
こんな会話をしょっちゅうしてるんだぜ、原作の2人は!? これはアニメ化はムリ!!
個人的な感触なんですが、ねずみ男というキャラクターのこういった幅の広さは、あの広汎なる『バットマン』サーガにおけるバットマンの「永遠のあいかた」ジョーカーに通じるものがあると思います(ロビンはいろいろ乗りかえられてるでしょ)。時にお笑い担当、時に悪魔っていう、あの自由な感じ。
だから好きなのよねぇ~。言うまでもなく、アニメ第2シリーズで大塚周夫さんが演じた若々しいねずみ男もねずみ男です。でも、大塚さんが40年後に再び演じた『墓場鬼太郎』のねずみ男もまごうことなきねずみ男なのよね。この、年齢という次元を軽々と超越した許容量。その枠を創った水木先生も、それに応えられる大塚さんも双方仲良く妖怪(=神)である、ということなんですね。フハッ!
とまぁ、さんざん原作マンガのお話が長くなってしまったのですが、肝心のアニメ版のほうはどうなのかといいますと、実は最大の特徴だったはずの「土ころび=人間」という構図がさっさと放棄されてしまい、ふつうに工業排水によって凶悪化してしまった「本物の妖怪」土ころびを鬼太郎が退治するという流れになってしまいました。
また、発端こそ原作どおりに土ころびを鬼太郎にけしかけるという悪役をになったねずみ男でしたが、後半では強大化した土ころびに裏切られて大ケガを負ってしまい、そもそも土ころびに加担したのも土ころびがあげると約束した金塊に目を奪われたから、という設定に変更になり、微妙ながらもちょっとは情状酌量の余地のある感じになっています。当然、次週からも引き続きねずみ男はアニメに出演するわけなので、レギュラーキャラとしては当然の修正となったわけですね。
ただし、それらのアレンジによって、内容が「いつもの鬼太郎+社会風刺」といった印象以上の特徴を持たない、なんだか味気ないものになってしまったことは否定できず、ちゃんとそれなりにバトルも展開されるし鬼太郎もピンチにおちいるものの、かなり予定調和な雰囲気になってしまいました。
アニメでは、鬼太郎に同行した猫娘がまず土ころびに襲撃されて、エネルギーを奪われて『ルパン三世 ルパン対複製人間』のマモーそっくりなしわくちゃ婆さんにされてしまうというオリジナル展開もあったのですが、そういうふうに身体をはった彼女も土ころびの爆死後になぜか何の説明もなく少女スタイルに戻ってるし、全体的に「甘口になりすぎた」感のある無難なアニメ化になってしまったのでした。
でも、闇夜にまぎれて人家の発電装置を襲うシーンで、電線のスパークによってチラチラと浮かび上がる土ころびの不気味な姿とかは、けっこうよかったなぁ。確かに、深山幽谷に棲む妖怪という恐ろしさは出ていましたね。
第12話『やまたのおろち』 12月23日放送 脚本・辻真先、演出・茂野一清
原作……非鬼太郎もの短編『やまたのおろち』(1966年12月掲載)
ゲスト妖怪……呼子(声・富田耕生)、八岐大蛇(やまたのおろち)、解放石の中の妖怪
他シリーズでのリメイク……第3・4シリーズ ※第4シリーズでは八岐大蛇(やまたのおろち)はぬらりひょんによって復活させられる
私がこの DVDマガジン第3巻を購入したメインの目的が、このエピソードであります。
原作マンガは鬼太郎ものではなく、主人公である正太という少年が古文書をたよりに、「伝説の邪神・八岐大蛇の遺跡」があるという斐伊川(鳥取・島根の県境)の上流を目指して山奥に入ってゆき、脚が木になって動けない妖怪・呼子に出会って「解放石」という宝石の中の異様な世界に引きずり込まれていくというストーリーになっています。そして、正太は自分の足が木になって新しい呼子になり、呼子だった男は人間の姿に戻って人里へ帰っていくという、この救いようのないラスト……
この筋を読んでもおわかりのように、水木しげるの原作は解放石の中に棲む八岐大蛇よりも、むしろ解放石を持って人を呼び続ける呼子の方に焦点を当てた物語になっており、呼子だった男が「40年ぶりに人間に戻れた。」と語っているように、「必ず誰かが犠牲者になっていく」という「七人みさき」的な無限ループの恐ろしさを見事に活写した短編作品になっています。これは怖いよ~。
でも、新しい呼子になってしまった正太の表情にはそれほど絶望の色がないというか、もともと正体不明の古文書を持ってひとりで2~3日も山奥を遺跡を捜し求め続けていたという異常すぎる設定の正太少年は、「お~い お~い」と人を呼び続ける呼子ライフを淡々と送りはじめるのでした……なんなんでしょうか、この不気味でうらやましすぎるマイペース感。まさに水木しげる。
そんな原作にたいして、アニメ版もだいたいそれに準拠した流れになっているのですが、正太のポジションがねずみ男に変わったことによって、いつものようにヒーロー鬼太郎が呼子になりかけたねずみ男を助け出して一件落着という結末になり、原作マンガのようなバッドエンドは免れるかっこうになりました。
ということでこれも、う~ん……普通のエピソードになっちゃいましたね。
ただ、途中まで進行していく「呼子にされるかもしれない恐怖」とか、問答無用に襲いかかってくる八岐大蛇と鬼太郎・猫娘ペアとの総力戦アクションは見どころ満載ですごくおもしろかったですね。まぁ八岐大蛇が、その圧倒的なヴィジュアルのカッチョよさの割りにあまりにも弱すぎるんですけれども……鬼太郎の武器1コにたいして首1本がもれなく退治されていくって、どういうことよ。シューティングゲームの戦闘機かおまえは。
原作マンガにおける八岐大蛇のデザインは、1コマでも見たら瞬時にわかるのですが、まんま東宝ゴジラシリーズの永遠のヒールスターこと宇宙超怪獣キングギドラ様(もち初代)の画像をまるパク……いやいや、インスピレーションを受けたものになっています。おおらかな時代だったのねぇ。
それに対してアニメ版の八岐大蛇はといいますと、デザインはいかにも東映アニメの昔話に登場するような古典的な「2本角にどじょうヒゲ」の龍の首がそれぞれ8色に塗り分けられているというわかりやすいデザインになっており、原作マンガでは威勢よく引力光線……に酷似した火炎を吐いて主人公を追い詰めるのですが、アニメ版はただただゴジラとかラドンにそっくりな鳴き声で叫びながら食いかかってくるだけという若干のパワーダウン仕様となっております。
まぁ、『ゲゲゲの鬼太郎』のエピソードである以上は鬼太郎に負けなきゃいけないんでね、八岐大蛇としても「見た目の割りにけっこうヤワい」という相当に不本意な演出になってしまったわけなのですが、お話を最後まで観ていきますと、VS 鬼太郎戦で一度敗れたはずの八岐大蛇はその直後にすぐに息を吹き返しており、おそらくは解放石の中にいる限り不死身な存在になっているとも解釈できる部分があります。
にしても、「斐伊川の上流に八岐大蛇の遺跡がある」とか、ねずみ男に「捕まえて見世物にしてやろう」と企てられるとか、このお話の中で語られる八岐大蛇はどうにも『古事記』に記された伝説の邪神とは別物のようなチープ感があります。ツチノコじゃねぇんだから!
このエピソードは、根本にある妖怪・呼子の見た目に似つかわしくない恐ろしさがけっこう効いているのと、なんといっても八岐大蛇が巣食っているミステリアスな宝石といった神秘的な展開が功を奏して、息をもつかせぬスリルを生み出すスペクタクル作に仕上がっているのですが、やはり「最後は鬼太郎が勝つ。」という鉄則によって原作マンガが持っていた持ち味が半減してしまったきらいがあります。それはまぁ、『ゲゲゲの鬼太郎』なんだからせんかたないことなんですけどね。
ひとつだけ言えるのは、鬼太郎ものにならなかった原作マンガのほうがどう観ても断然おもしろいし恐ろしいということなんですよね。
特に、アニメ化された際には技術上の都合で簡略化せざるを得なかった八岐大蛇と解放石の中の異次元世界の描写なんですが、これはもうなんといっても「頭がおかしい」としか言いようのないレベルの高さで細密画のように描かれていた原作を、機会があったらぜひとも一度は観ていただきたいと思いますね! 陸でもない、空でもない、海でもない、不気味で甘美な悪夢の空間……行ってみたいけど行ったら確実に帰ってこられなくなる世界を、水木先生はなんでこんなに説得力豊かに描けるんだろうか!?
それはもう……知ってるからなんだろうねぇ。本当に観たことがあるからなんだろうねぇ。そういう世界を。
第13話『かまぼこ』 12月30日 脚本・柴田夏余、演出・設楽博
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第124話『かまぼこ』(1969年3月掲載)
ゲスト妖怪……半魚人(声・兼本新吾)、巨大イカ、砂かけ婆(声・山本圭子)、子泣き爺、一反木綿
他シリーズでのリメイク……第3・4シリーズ ※第4シリーズでは半魚人はぬらりひょんと共謀する
半魚人と言ってもユニヴァーサルモンスターの一員になっている『大アマゾンの』半魚人さんではなく、日本の出雲地方の漁村に伝わる妖怪「海女房(うみにょうぼう)」をモティーフとした、「真ん中わけ長髪に全身ウロコ、両足の先が尾びれのような形状になっている」デザインの半魚人が活躍するエピソードですね。ただし、『かまぼこ』に登場する半魚人は男性です。そして、かまぼこの加工が職人なみにうまい! さらには人間と堂々と渡り合って商売もできるかなり高スキルな妖怪です。
こういう妙に人間くさい妖怪がゲストであるだけに、本エピソードはいつものパターンとはひと味違う展開が多く、まず第一には、鬼太郎の敵となる半魚人が「人間世界に対しては」なんら悪事を働いていないという大きな特徴が挙げられます(労働者に対する契約違反はしてるけど)。
なにはなくとも、この半魚人は「おいしいかまぼこを販売する」という活動で人間側から強い支持を得ており、その勢いに乗って次々と販売域を拡大し、ついには商都大阪にまで手を伸ばして莫大な利益を獲得、立派な豪邸を建ててみずからは上下スーツを着こなし、まるで人間の実業家のような生活を送るという驚異的な順応性を発揮するのでした。
それじゃあ、そんな半魚人がどうしてまた『ゲゲゲの鬼太郎』の敵役になるのかといいますと、それはいきがかりで半魚人と偶然にケンカになった鬼太郎が半魚人の用心棒の巨大イカと闘って同化してしまい、それに乗じた半魚人が、「人間に戻してやるからかまぼこの原料になる海産物をとっつかまえてくるノルマを達成しろ。」という悪魔のような肉体労働を鬼太郎イカに課したからだったのでした。それで最初は馬鹿正直に半魚人に滅私奉公する鬼太郎イカだったのですが、いっこうに人間に戻してくれない半魚人に業を煮やして直談判したところ、半魚人はダイナマイトを持ち出してきて……というのが前半のだいたいの筋です。
それはそうとして、このお話の半魚人は妖怪らしいことは最初の登場時にカメをかじっていたことくらいしかしておらず、あとはひたすらかまぼこを加工しているか売り歩いているか、無駄にモダンな豪邸で大好物のみつまめを食べてニヤニヤしているかで、闘うとしてもダイナマイトを使ったりして人間くさいことこの上ありません。
よくよく考えてみれば、本件における鬼太郎はどう見ても、「正義のヒーローが平和のために戦う!」といった立場とはまるで無縁の、「プライベートで因縁をつけられてひどい目に遭った……」というスタンスで行動しており、鬼太郎も半魚人も双方ともにミョ~にほのぼのした死闘を繰り広げています。
死闘、死闘! そりゃ死闘ですよ! だって鬼太郎はバラバラに粉砕されて妖怪再生病院送りになっちゃうし、結成して間もない鬼太郎ファミリーは総出でフル回転の活躍をするし。はっきり言って『妖怪反物』レベルの非常事態だったんですよね、この『かまぼこ』事件は。
さて、バラバラに爆破された上に100本ぶんのかまぼこに加工されて売りに出されるという日本マンガ史上屈指の猟奇的敗北を喫した鬼太郎だったのですが、鬼太郎ファミリーの尽力によって無事、3ヵ月後に復活するのでしたが、半魚人に対する復讐のしかたは、なぜか「女装して半魚人のメイドになりすましてだまくらかす」という倒錯しまくり回り道しまくりのファニーなものとなります。
しかしその結果、半魚人は鬼太郎から「そんなに人間になりたいんだったら、なってみろや。」という冷酷なアドヴァイスを受けてのんきに「人間改造手術」を受けてしまい、人間になったとたんに襲いかかる「納税」「経営」「老い」「死」の恐怖におびえる日々を送ることとなってしまったのでした……
この、「妖怪よりも人間社会のほうがよっぽど怖い」というテーマをこれ以上ないくらいにわかりやすく提示したラストによって『かまぼこ』事件は一件落着とあいなるのでしたが、水木作品らしい淡白な語り口が皮肉さを強調していた原作マンガに対して、アニメ化された本作は前半の巨大イカのスペクタクルや後半の人間社会のキビしさをわかりやすく絵にした構成がとても楽しくまとまっており、これも理想的なアニメ化のお手本のような出来になっていると感じました。
まぁ、なにはなくとも半魚人の声を実に活き活きと演じていた兼本新吾さんのおもしろさですよね! 実はこのエピソードは珍しくねずみ男がそれほど目立った活躍をしないお話なのですが(鬼太郎のプライベートな事件だから?)、その分をおぎなって余りある半魚人のコミカルかつ狡猾きわまりない言動が最高です! いいキャラクターなんですよね~。
余談ですが、前回の『やまたのおろち』といい今回といい、斐伊川だの大阪だのと、このへんのエピソードは舞台の範囲が西日本に限定されているきらいがありますね。もちろんこれ以外のエピソードで東京を中心としたものもいっぱいあるわけなのですが、やっぱりゲゲゲの森は鳥取県にあるのだろうか……?
まぁ、そんなこんなでこの『かまぼこ』は、いろいろと異色作の多い『ゲゲゲの鬼太郎』サーガの中でも特に異彩を放つ「番外編」のような作品で、アニメ版もそこを十二分にくみ取った仕上がりになっていたと感じました。
決して目立つお話ではないけど、おもしろいよ~!
スペシャル特典映像『ゲゲゲの鬼太郎ゆかりの地・東京都調布市探訪 前編』(約6分)
うん、ご当地紹介映像といった感じで、特に感想なし。
こんな感じで観てきましたが、この DVDマガジン第3巻って、収録されてる4話中3話という異常な確率で鬼太郎が敵妖怪に喰べられちゃってるんですけど!?(土ころびと八岐大蛇と巨大イカ)
「また胃の中かよ!!」って、当時のチビッ子たちも呆れてたんじゃないでしょうか。まさしく「敵の攻撃を受けるだけ受けつつ反撃の機会をうかがう」という、ロッキー=バルボアのような「どM戦法」が見て取れるエピソード群でした。反則的な打たれ強さ……
そんな感じで、また次回~ぃいん。
やっぱり文章が長ぇよ、この企画も……
8月も、もうおしまいでございます。今年の夏も暑かったですねぇ。っていうか、たぶんこれからもしばらくは暑いですよねぇ、ええ。
ほんとにまぁ、私に関しましても例年以上に忙しい8月になっちゃったんですが、やっぱりこれは、忙しくさせていただいているだけ、ありがたいということで! 幸せなことに、身体もそれに耐えられるだけまだまだ丈夫ですからねぇ。
暑い夏よ、今年もありがとう! そして、クーラーのない我が環境よ、ファッキュー!!
そういった万感の思いを込めながら、今回は『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ第2シリーズの DVDマガジンの鑑賞記の第2弾をつづっていきたいと思います。温故知新! 今やっている『風立ちぬ』は、まだ当分上映しているだろうから、もうちょっとあとになってから観ることにしよう。
あぁ、そうそう。本日公開になった『タイムスクープハンター』の劇場版ね。これも観ないわけにはいかない作品なんですが……なんか脚が重いゾ~!? なんでかしらねぇ、不思議ねぇ。
『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン 第3巻』(2013年6月25日発売 講談社)の収録内容
第10話『アンコールワットの亡霊』 1971年12月9日放送 脚本・雪室俊一、演出・西沢信孝
原作……非鬼太郎もの短編『世界怪奇シリーズ アンコールワットの女』(1968年4月掲載)
ゲスト妖怪……アンコールワットの亡霊オイン(声・柴田秀勝)、オインの娘、謎の老人トンボ(声・大竹宏)
他シリーズでのリメイク……なし
前回に扱った第7話『猫又』に引き続いて、東南アジアを舞台にした水木しげるの『世界怪奇シリーズ』の一篇を鬼太郎ものにアレンジした、異国情緒のやけに豊かなエピソードになっています。
ただし、「猫又」という妖怪の伝承自体が日本由来のものだったことからくる、「それがなんでインドネシアの話なの?」という違和感については特になんの説明もなくスルーされていた前話にくらべて、本作はカンボジアのまぎれもない世界的遺産アンコールワットになぜか日本の戦国時代のような兜甲冑を着込んだ落ち武者の亡霊集団が出現するという違和感自体が意図的にクローズアップされているぶん、鬼太郎ファミリーが事件に興味を持ち、はるばる日本からやって来て解決に乗り出す必然性のようなものは無理なく強化されていたと感じました。
それはそうなんですが……やっぱりこのお話も、な~んかピンとこないんですよねぇ。
なにがピンとこないって、この作品における「敵」と「味方」が誰なのかが、わざとだったとしてもクライマックスまでモヤモヤのまんまになりすぎなんですよ。
いや、これが原作マンガのような怪奇ロマンスふう抒情詩だったのならば、そんなに明確なキャラクター配置がなくとも「アンコールワットに鎧武者と美女」というヴィジュアルだけで充分にいいのでしょうが、これを『ゲゲゲの鬼太郎』のエピソードにしちゃったからなぁ。
要するに、鬼太郎ファミリーが出てくる以上は鬼太郎のヒーロー然とした超能力アクションが必要になってきてしまうわけで、それを引き出すためには無念をもってさまよう亡霊の群れだけでは力不足だったというわけです。だって、亡霊たちは戦わなくとも、その無念の原因をつきとめてねんごろに弔えば消えてくれちゃうんですから。
そういうわけでしゃしゃり出てきたのが、亡霊集団の棟梁である武将オインを成仏させまいと暗躍する策士トンボの亡霊なんですが、そのトンボっていうのがはっきりしないんだよなぁ~! 生きてるのか死んでるのかもわかんないし、鬼太郎にケンカを売ったり(それでけっこういいところまで鬼太郎を殺しかける)オインを恨む理由もあんまりわかんないんですよね。ただただ、物語をかきまわすためだけに出てきたって感じ。ともかく悪役としての説得力がなんだか足りないんですね。
あと『猫又』もそうだったんですが、「前半に悪役だと思われていたキャラクターが実は悪役じゃなかった」という展開は、その疑惑の対象にある程度の魅力がなければ話を引っぱる要素にはならないと思うんですが、今回のオインの亡霊もまた、何もしゃべらずにさまようだけで今ひとつ牽引力にならないんですよね。悪人だろうが善人だろうが、どっちでもいいやって感じになってしまうんです。柴田秀勝さんの美声はいいんですが、やっぱり「鬼太郎サーガ」の一員になるには、亡霊になった理由がいかにも地味すぎるんですよね……
ということで、中盤の猫娘の潜入捜査とか、日本からやって来たヘンな格好のガキンチョに対しても異様に低姿勢で協力的な現地の刑事とか、いろんなおもしろ要素のあった本作だったのですが、またしても鬼太郎ものになるにはもうひと工夫が足りないという結果になってしまったと感じました。
でも、カンボジアのアンコールワットに落ち武者の亡霊っていうミスマッチきわまる絵には、捨てがたい魅力があると思います。次の第6シリーズで改めてリメイクされたら、すごいね!
第11話『土ころび』 12月16日放送 脚本・安藤豊弘、演出・白根徳重
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第127話(連載最終話)『土ころび』(1969年6月掲載)
ゲスト妖怪……土ころび(声・富田耕生)
他シリーズでのリメイク……第3・4・5シリーズ
『妖怪城』や『妖怪大戦争』といった伝説的なエピソード群が目白押しのマガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』の中では、あまりパッとしない印象がいなめない原作なのですが、これこそが実質的なマガジン版の最終エピソードであることはまぎれもない事実です!(ただし、『月刊マガジン』への掲載)
いちおう、マガジン版としては読み切り作品『その後のゲゲゲの鬼太郎』が1年後の1970年7月に発表されて完結となるのですが(その次のシーズンとなるサンデー版『ゲゲゲの鬼太郎』はアニメ第2シリーズと連動して1971年から)、「鬼太郎と妖怪が対決する」という形式のエピソードは、この『土ころび』でしばしの休養ということになりました。
そういう経緯をふまえて原作マンガを読むと、このエピソードは細かい部分で確かに意味深なポイントがあります。それはなにはなくとも、鬼太郎と対峙する土ころびという敵キャラクターが、厳密な意味では妖怪ではなく「限りなく妖怪土ころびに近くなっちゃった人間」である、ということ! ものすごい話ですよね……
このエピソードに登場する土ころびは、実は「電工会社の工場が垂れ流し続ける排水を含んだ川の水を飲み続けた農民が変質してしまった成れの果て」だったという衝撃の事実が、マンガの途中でさし込まれる「字幕解説コマ」によって唐突にさらっと暴露されてしまうわけなのですが、水木しげるの筆はそれによって別に土ころびが普通の人間の姿に戻ってめでたしめでたしとかいう都合のいいハッピーエンドを用意することもなく、土ころびは土ころびらしく鬼太郎を喰べようとしてあえなく爆死する(鬼太郎のエネルギーを吸収しきれず)という「いつもどーり」な最期をとげます。「工業排水による犠牲者」という真相を提示しながらも、その犠牲者をまったく救済しないという水木先生の毘沙門天のような苛烈さがここでも炸裂していますね。厳しすぎるよ、ホント……
さらに言うと、このエピソードは事件解決後に「事態を悪化させたねずみ男を鬼太郎が懲らしめる」という恒例のパターンでしめくくられるのですが、今回ばかりはねずみ男がトラブルメイカーどころか「明確に鬼太郎を抹殺しようと土ころびをけしかけている」ことによって事件が進行しているため、鬼太郎はかなり静かにブチぎれた口調で「おまえとはもう絶交だ。」と言い捨て、「鬼太ちゃん そんなつれないこというもんじゃないよ。」とすがるねずみ男を尻目に去っていきます。
この感じで(いったんの)最終回を迎える2人の関係って、いったい……少なくとも親友じゃないし、本エピソードに関してはまごうことなき敵妖怪として鬼太郎に殺されてもおかしくなかったねずみ男の行動は、ちょっとアニメのレギュラーキャラの定義にはおさまりきらない「冷酷な悪の論理」がありました。
そういえば、このアニメ第2シリーズをおさらいして改めて思ったんですけれど、アニメのねずみ男と原作マンガのねずみ男って、行動のスタイルというか、生き方の温度がまるで違うんですよね。アニメのほうはいかにも道化役といった感じで極端にコミカルで陽性なんですけど、原作のねずみ男はもっと無口で、クールで怖いんですよ。
ねずみ男 「人間は現在だけをたのしめばいいのだ。なぁ鬼太郎 そうは思わねぇか。」
鬼太郎 「どうも おめぇとは思想があわねぇな。」
こんな会話をしょっちゅうしてるんだぜ、原作の2人は!? これはアニメ化はムリ!!
個人的な感触なんですが、ねずみ男というキャラクターのこういった幅の広さは、あの広汎なる『バットマン』サーガにおけるバットマンの「永遠のあいかた」ジョーカーに通じるものがあると思います(ロビンはいろいろ乗りかえられてるでしょ)。時にお笑い担当、時に悪魔っていう、あの自由な感じ。
だから好きなのよねぇ~。言うまでもなく、アニメ第2シリーズで大塚周夫さんが演じた若々しいねずみ男もねずみ男です。でも、大塚さんが40年後に再び演じた『墓場鬼太郎』のねずみ男もまごうことなきねずみ男なのよね。この、年齢という次元を軽々と超越した許容量。その枠を創った水木先生も、それに応えられる大塚さんも双方仲良く妖怪(=神)である、ということなんですね。フハッ!
とまぁ、さんざん原作マンガのお話が長くなってしまったのですが、肝心のアニメ版のほうはどうなのかといいますと、実は最大の特徴だったはずの「土ころび=人間」という構図がさっさと放棄されてしまい、ふつうに工業排水によって凶悪化してしまった「本物の妖怪」土ころびを鬼太郎が退治するという流れになってしまいました。
また、発端こそ原作どおりに土ころびを鬼太郎にけしかけるという悪役をになったねずみ男でしたが、後半では強大化した土ころびに裏切られて大ケガを負ってしまい、そもそも土ころびに加担したのも土ころびがあげると約束した金塊に目を奪われたから、という設定に変更になり、微妙ながらもちょっとは情状酌量の余地のある感じになっています。当然、次週からも引き続きねずみ男はアニメに出演するわけなので、レギュラーキャラとしては当然の修正となったわけですね。
ただし、それらのアレンジによって、内容が「いつもの鬼太郎+社会風刺」といった印象以上の特徴を持たない、なんだか味気ないものになってしまったことは否定できず、ちゃんとそれなりにバトルも展開されるし鬼太郎もピンチにおちいるものの、かなり予定調和な雰囲気になってしまいました。
アニメでは、鬼太郎に同行した猫娘がまず土ころびに襲撃されて、エネルギーを奪われて『ルパン三世 ルパン対複製人間』のマモーそっくりなしわくちゃ婆さんにされてしまうというオリジナル展開もあったのですが、そういうふうに身体をはった彼女も土ころびの爆死後になぜか何の説明もなく少女スタイルに戻ってるし、全体的に「甘口になりすぎた」感のある無難なアニメ化になってしまったのでした。
でも、闇夜にまぎれて人家の発電装置を襲うシーンで、電線のスパークによってチラチラと浮かび上がる土ころびの不気味な姿とかは、けっこうよかったなぁ。確かに、深山幽谷に棲む妖怪という恐ろしさは出ていましたね。
第12話『やまたのおろち』 12月23日放送 脚本・辻真先、演出・茂野一清
原作……非鬼太郎もの短編『やまたのおろち』(1966年12月掲載)
ゲスト妖怪……呼子(声・富田耕生)、八岐大蛇(やまたのおろち)、解放石の中の妖怪
他シリーズでのリメイク……第3・4シリーズ ※第4シリーズでは八岐大蛇(やまたのおろち)はぬらりひょんによって復活させられる
私がこの DVDマガジン第3巻を購入したメインの目的が、このエピソードであります。
原作マンガは鬼太郎ものではなく、主人公である正太という少年が古文書をたよりに、「伝説の邪神・八岐大蛇の遺跡」があるという斐伊川(鳥取・島根の県境)の上流を目指して山奥に入ってゆき、脚が木になって動けない妖怪・呼子に出会って「解放石」という宝石の中の異様な世界に引きずり込まれていくというストーリーになっています。そして、正太は自分の足が木になって新しい呼子になり、呼子だった男は人間の姿に戻って人里へ帰っていくという、この救いようのないラスト……
この筋を読んでもおわかりのように、水木しげるの原作は解放石の中に棲む八岐大蛇よりも、むしろ解放石を持って人を呼び続ける呼子の方に焦点を当てた物語になっており、呼子だった男が「40年ぶりに人間に戻れた。」と語っているように、「必ず誰かが犠牲者になっていく」という「七人みさき」的な無限ループの恐ろしさを見事に活写した短編作品になっています。これは怖いよ~。
でも、新しい呼子になってしまった正太の表情にはそれほど絶望の色がないというか、もともと正体不明の古文書を持ってひとりで2~3日も山奥を遺跡を捜し求め続けていたという異常すぎる設定の正太少年は、「お~い お~い」と人を呼び続ける呼子ライフを淡々と送りはじめるのでした……なんなんでしょうか、この不気味でうらやましすぎるマイペース感。まさに水木しげる。
そんな原作にたいして、アニメ版もだいたいそれに準拠した流れになっているのですが、正太のポジションがねずみ男に変わったことによって、いつものようにヒーロー鬼太郎が呼子になりかけたねずみ男を助け出して一件落着という結末になり、原作マンガのようなバッドエンドは免れるかっこうになりました。
ということでこれも、う~ん……普通のエピソードになっちゃいましたね。
ただ、途中まで進行していく「呼子にされるかもしれない恐怖」とか、問答無用に襲いかかってくる八岐大蛇と鬼太郎・猫娘ペアとの総力戦アクションは見どころ満載ですごくおもしろかったですね。まぁ八岐大蛇が、その圧倒的なヴィジュアルのカッチョよさの割りにあまりにも弱すぎるんですけれども……鬼太郎の武器1コにたいして首1本がもれなく退治されていくって、どういうことよ。シューティングゲームの戦闘機かおまえは。
原作マンガにおける八岐大蛇のデザインは、1コマでも見たら瞬時にわかるのですが、まんま東宝ゴジラシリーズの永遠のヒールスターこと宇宙超怪獣キングギドラ様(もち初代)の画像をまるパク……いやいや、インスピレーションを受けたものになっています。おおらかな時代だったのねぇ。
それに対してアニメ版の八岐大蛇はといいますと、デザインはいかにも東映アニメの昔話に登場するような古典的な「2本角にどじょうヒゲ」の龍の首がそれぞれ8色に塗り分けられているというわかりやすいデザインになっており、原作マンガでは威勢よく引力光線……に酷似した火炎を吐いて主人公を追い詰めるのですが、アニメ版はただただゴジラとかラドンにそっくりな鳴き声で叫びながら食いかかってくるだけという若干のパワーダウン仕様となっております。
まぁ、『ゲゲゲの鬼太郎』のエピソードである以上は鬼太郎に負けなきゃいけないんでね、八岐大蛇としても「見た目の割りにけっこうヤワい」という相当に不本意な演出になってしまったわけなのですが、お話を最後まで観ていきますと、VS 鬼太郎戦で一度敗れたはずの八岐大蛇はその直後にすぐに息を吹き返しており、おそらくは解放石の中にいる限り不死身な存在になっているとも解釈できる部分があります。
にしても、「斐伊川の上流に八岐大蛇の遺跡がある」とか、ねずみ男に「捕まえて見世物にしてやろう」と企てられるとか、このお話の中で語られる八岐大蛇はどうにも『古事記』に記された伝説の邪神とは別物のようなチープ感があります。ツチノコじゃねぇんだから!
このエピソードは、根本にある妖怪・呼子の見た目に似つかわしくない恐ろしさがけっこう効いているのと、なんといっても八岐大蛇が巣食っているミステリアスな宝石といった神秘的な展開が功を奏して、息をもつかせぬスリルを生み出すスペクタクル作に仕上がっているのですが、やはり「最後は鬼太郎が勝つ。」という鉄則によって原作マンガが持っていた持ち味が半減してしまったきらいがあります。それはまぁ、『ゲゲゲの鬼太郎』なんだからせんかたないことなんですけどね。
ひとつだけ言えるのは、鬼太郎ものにならなかった原作マンガのほうがどう観ても断然おもしろいし恐ろしいということなんですよね。
特に、アニメ化された際には技術上の都合で簡略化せざるを得なかった八岐大蛇と解放石の中の異次元世界の描写なんですが、これはもうなんといっても「頭がおかしい」としか言いようのないレベルの高さで細密画のように描かれていた原作を、機会があったらぜひとも一度は観ていただきたいと思いますね! 陸でもない、空でもない、海でもない、不気味で甘美な悪夢の空間……行ってみたいけど行ったら確実に帰ってこられなくなる世界を、水木先生はなんでこんなに説得力豊かに描けるんだろうか!?
それはもう……知ってるからなんだろうねぇ。本当に観たことがあるからなんだろうねぇ。そういう世界を。
第13話『かまぼこ』 12月30日 脚本・柴田夏余、演出・設楽博
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第124話『かまぼこ』(1969年3月掲載)
ゲスト妖怪……半魚人(声・兼本新吾)、巨大イカ、砂かけ婆(声・山本圭子)、子泣き爺、一反木綿
他シリーズでのリメイク……第3・4シリーズ ※第4シリーズでは半魚人はぬらりひょんと共謀する
半魚人と言ってもユニヴァーサルモンスターの一員になっている『大アマゾンの』半魚人さんではなく、日本の出雲地方の漁村に伝わる妖怪「海女房(うみにょうぼう)」をモティーフとした、「真ん中わけ長髪に全身ウロコ、両足の先が尾びれのような形状になっている」デザインの半魚人が活躍するエピソードですね。ただし、『かまぼこ』に登場する半魚人は男性です。そして、かまぼこの加工が職人なみにうまい! さらには人間と堂々と渡り合って商売もできるかなり高スキルな妖怪です。
こういう妙に人間くさい妖怪がゲストであるだけに、本エピソードはいつものパターンとはひと味違う展開が多く、まず第一には、鬼太郎の敵となる半魚人が「人間世界に対しては」なんら悪事を働いていないという大きな特徴が挙げられます(労働者に対する契約違反はしてるけど)。
なにはなくとも、この半魚人は「おいしいかまぼこを販売する」という活動で人間側から強い支持を得ており、その勢いに乗って次々と販売域を拡大し、ついには商都大阪にまで手を伸ばして莫大な利益を獲得、立派な豪邸を建ててみずからは上下スーツを着こなし、まるで人間の実業家のような生活を送るという驚異的な順応性を発揮するのでした。
それじゃあ、そんな半魚人がどうしてまた『ゲゲゲの鬼太郎』の敵役になるのかといいますと、それはいきがかりで半魚人と偶然にケンカになった鬼太郎が半魚人の用心棒の巨大イカと闘って同化してしまい、それに乗じた半魚人が、「人間に戻してやるからかまぼこの原料になる海産物をとっつかまえてくるノルマを達成しろ。」という悪魔のような肉体労働を鬼太郎イカに課したからだったのでした。それで最初は馬鹿正直に半魚人に滅私奉公する鬼太郎イカだったのですが、いっこうに人間に戻してくれない半魚人に業を煮やして直談判したところ、半魚人はダイナマイトを持ち出してきて……というのが前半のだいたいの筋です。
それはそうとして、このお話の半魚人は妖怪らしいことは最初の登場時にカメをかじっていたことくらいしかしておらず、あとはひたすらかまぼこを加工しているか売り歩いているか、無駄にモダンな豪邸で大好物のみつまめを食べてニヤニヤしているかで、闘うとしてもダイナマイトを使ったりして人間くさいことこの上ありません。
よくよく考えてみれば、本件における鬼太郎はどう見ても、「正義のヒーローが平和のために戦う!」といった立場とはまるで無縁の、「プライベートで因縁をつけられてひどい目に遭った……」というスタンスで行動しており、鬼太郎も半魚人も双方ともにミョ~にほのぼのした死闘を繰り広げています。
死闘、死闘! そりゃ死闘ですよ! だって鬼太郎はバラバラに粉砕されて妖怪再生病院送りになっちゃうし、結成して間もない鬼太郎ファミリーは総出でフル回転の活躍をするし。はっきり言って『妖怪反物』レベルの非常事態だったんですよね、この『かまぼこ』事件は。
さて、バラバラに爆破された上に100本ぶんのかまぼこに加工されて売りに出されるという日本マンガ史上屈指の猟奇的敗北を喫した鬼太郎だったのですが、鬼太郎ファミリーの尽力によって無事、3ヵ月後に復活するのでしたが、半魚人に対する復讐のしかたは、なぜか「女装して半魚人のメイドになりすましてだまくらかす」という倒錯しまくり回り道しまくりのファニーなものとなります。
しかしその結果、半魚人は鬼太郎から「そんなに人間になりたいんだったら、なってみろや。」という冷酷なアドヴァイスを受けてのんきに「人間改造手術」を受けてしまい、人間になったとたんに襲いかかる「納税」「経営」「老い」「死」の恐怖におびえる日々を送ることとなってしまったのでした……
この、「妖怪よりも人間社会のほうがよっぽど怖い」というテーマをこれ以上ないくらいにわかりやすく提示したラストによって『かまぼこ』事件は一件落着とあいなるのでしたが、水木作品らしい淡白な語り口が皮肉さを強調していた原作マンガに対して、アニメ化された本作は前半の巨大イカのスペクタクルや後半の人間社会のキビしさをわかりやすく絵にした構成がとても楽しくまとまっており、これも理想的なアニメ化のお手本のような出来になっていると感じました。
まぁ、なにはなくとも半魚人の声を実に活き活きと演じていた兼本新吾さんのおもしろさですよね! 実はこのエピソードは珍しくねずみ男がそれほど目立った活躍をしないお話なのですが(鬼太郎のプライベートな事件だから?)、その分をおぎなって余りある半魚人のコミカルかつ狡猾きわまりない言動が最高です! いいキャラクターなんですよね~。
余談ですが、前回の『やまたのおろち』といい今回といい、斐伊川だの大阪だのと、このへんのエピソードは舞台の範囲が西日本に限定されているきらいがありますね。もちろんこれ以外のエピソードで東京を中心としたものもいっぱいあるわけなのですが、やっぱりゲゲゲの森は鳥取県にあるのだろうか……?
まぁ、そんなこんなでこの『かまぼこ』は、いろいろと異色作の多い『ゲゲゲの鬼太郎』サーガの中でも特に異彩を放つ「番外編」のような作品で、アニメ版もそこを十二分にくみ取った仕上がりになっていたと感じました。
決して目立つお話ではないけど、おもしろいよ~!
スペシャル特典映像『ゲゲゲの鬼太郎ゆかりの地・東京都調布市探訪 前編』(約6分)
うん、ご当地紹介映像といった感じで、特に感想なし。
こんな感じで観てきましたが、この DVDマガジン第3巻って、収録されてる4話中3話という異常な確率で鬼太郎が敵妖怪に喰べられちゃってるんですけど!?(土ころびと八岐大蛇と巨大イカ)
「また胃の中かよ!!」って、当時のチビッ子たちも呆れてたんじゃないでしょうか。まさしく「敵の攻撃を受けるだけ受けつつ反撃の機会をうかがう」という、ロッキー=バルボアのような「どM戦法」が見て取れるエピソード群でした。反則的な打たれ強さ……
そんな感じで、また次回~ぃいん。
やっぱり文章が長ぇよ、この企画も……