長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

9割がた「龍」なんだけど……最後の最後で蛇尾ったワン ~映画『八犬伝』~

2024年11月11日 09時24分56秒 | ふつうじゃない映画
映画『八犬伝』(2024年10月25日公開 149分 キノフィルムズ)
 『八犬伝』は、山田風太郎(1922~2001年)の長編小説『八犬傳』(1982~83年連載、現在は角川文庫より上下巻で発刊)を原作とする映画作品である。
 江戸時代の読本(よみほん)作者・曲亭馬琴(1767~1848年)の長編伝奇小説『南総里見八犬伝』(1814~42年)をモチーフに、28年もの歳月を費やし失明してもなお口述筆記で書き続け全106冊という大作を完成させた馬琴の後半生や浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)と馬琴の交流を描く「実の世界」と、『南総里見八犬伝』作中での、安房国大名・里見家にかけられた呪いを解くために八つの珠に引き寄せられた八人の剣士たちの運命を描く「虚の世界」との2つの世界が交錯する物語となっている。
 本作の撮影は、香川県琴平町の旧金毘羅大芝居(金丸座)、兵庫県姫路市の姫路城・亀山本徳寺・圓教寺、滋賀県長浜市の大通寺、山梨県鳴沢村などで行われた。

あらすじ
 時は江戸時代。
 人気読本作家の曲亭馬琴は、親友の浮世絵師・葛飾北斎に新作読本の構想を語り始める。それは、由緒正しい大名・里見家にかけられた恐ろしい呪いを解くために、里見の姫が祈りを込めた八つの珠を持つ八人の剣士たちが運命に引き寄せられて集結し、壮絶な合戦に挑むという、壮大にして奇怪な物語だった。
 北斎はたちまちその物語に夢中になるが、馬琴から頼まれた挿絵の仕事は頑なに断る。しかし頻繁に馬琴を訪ねては物語の続きを聞き、馬琴の創作の刺激となる下絵は描き続けるのだった。やがてその物語『南総里見八犬伝』は、馬琴の生涯を賭けた仕事として異例の長期連載へと突入していくが、物語も佳境に差し掛かった時、老いた馬琴の目は見えなくなってしまう。苦悩する馬琴だったが、義理の娘のお路から「手伝わせてほしい」と申し出を受ける。
 馬琴は、いかにして失明という困難を乗り越え、28年もの歳月を懸けて物語を書き上げることができたのか? そこには、苦悩と葛藤の末にたどり着いた、強い想いが込められていたのだった。

おもなキャスティング
曲亭 馬琴 …… 役所 広司(68歳)
葛飾 北斎 …… 内野 聖陽(56歳)
滝沢 お路 …… 黒木 華(34歳)
滝沢 鎮五郎 / 宗伯 …… 磯村 勇斗(32歳)
滝沢 お百 …… 寺島 しのぶ(51歳)
渡辺 崋山 …… 大貫 勇輔(36歳)
葛飾 応為 …… 永瀬 未留(24歳)
四世 鶴屋 南北  …… 立川 談春(58歳)
七世 市川 団十郎 …… 二世 中村 獅童(52歳)
三世 尾上 菊五郎 …… 二世 尾上 右近(32歳)
丁字屋 平兵衛   …… 信太 昌之(60歳)
歌舞伎小屋の木戸番 …… 足立 理(36歳)

里見 伏姫   …… 土屋 太鳳(29歳)
犬塚 信乃   …… 渡邊 圭祐(30歳)
犬川 壮助   …… 鈴木 仁(25歳)
犬坂 毛野   …… 板垣 李光人(22歳)
犬飼 現八   …… 水上 恒司(25歳)
犬村 大角   …… 松岡 広大(27歳)
犬田 小文吾  …… 佳久 創(34歳)
犬江 親兵衛  …… 藤岡 真威人(20歳)
犬山 道節   …… 上杉 柊平(32歳)
大塚 浜路   …… 河合 優実(23歳)
玉梓の方    …… 栗山 千明(40歳)
金碗 大輔 / 丶大法師 …… 丸山 智己(49歳)
金椀 八郎   …… 大河内 浩(68歳)
里見 義実   …… 小木 茂光(62歳)
扇ヶ谷 定正  …… 塩野 瑛久(29歳)
船虫      …… 真飛 聖(48歳)
網乾 左母二郎 …… 忍成 修吾(43歳)
赤岩 一角   …… 神尾 佑(54歳)
大塚 蟇六   …… 坂田 聡(52歳)
犬田屋 文吾兵衛 …… 犬山 ヴィーノ(56歳)
姨雪 世四郎  …… 下條 アトム(77歳)
姨雪 音音   …… 南風 佳子(60歳)
足利 成氏   …… 庄野﨑 謙(36歳)
横堀 在村   …… 村上 航(53歳)
河鯉 守如   …… 安藤 彰則(55歳)


おもなスタッフ
監督・脚本 …… 曽利 文彦(60歳)
製作総指揮 …… 木下 直哉(58歳)
撮影    …… 佐光 朗(66歳)
音楽    …… 北里 玲二(?歳)
配給    …… キノフィルムズ




≪ほんと、かなりギリギリまで大傑作だったのに~!! 本文マダだワン≫
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世界よ、これがハリウッドの風呂敷たたみだ ~映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』~

2024年10月28日 09時35分08秒 | ふつうじゃない映画
 え~みなさまどうもこんにちは! そうだいでございまする。
 いやぁ、なんだかんだ言っても、いよいよ秋めいてまいりましたね。今度の週末に私、福島県の土湯温泉に泊まりに行く予定があるんですが、紅葉はどうかなぁ。今月の頭に山梨まで車で往復した身としては、隣県の福島行きなんか気楽なもんにも思えちゃうんですが、なんにしろ遠出にはなるので、くれぐれも安全運転に心がけたいものです。よその県の温泉は、やっぱりワクワクするなぁ! 山形県内の温泉地ももうちょっとでコンプリートよ。待っててくれ、瀬見温泉!!

 ほんでもって今回は、秋にドバドバッとつるべ打ちになった「個人的に見たい映画・ドラマ」の中でも特に気になっていた、この作品でございます。ついに日本にも上陸しましたね!


映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(2024年10月公開 138分 ワーナー・ブラザース)
 『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(原題:Joker: Folie à Deux)は、アメリカのスリラー映画。DCコミックスの『バットマン』シリーズに登場するスーパーヴィラン・ジョーカーを描いた2019年の映画『ジョーカー』の続編。前作に続いてトッド=フィリップスが監督し、ホアキン=フェニックスが主演するほか、ハーレイ・クイン役でレディー・ガガが出演する。
 タイトルの「Folie à Deux(フォリ・ア・ドゥ)」はフランス語で「二人狂い」という意味で、一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有する精神障害のことを指す。
 製作費2億ドル。アメリカ本国では R指定、日本では R15指定だった前作と異なり PG12指定での公開となる。

あらすじ
 前作『ジョーカー』で発生した連続殺人事件の2年後。
 アーカム・アサイラムで解離性同一性障害と診断されたアーサー=フレックは、音楽セラピーで出会ったリーと名乗る女性と打ち解ける。ハーヴェイ=デント検事補によるアーサーの責任能力を問う裁判が始まる中、リーはアーサーの子を妊娠したと告白する。


おもなキャスティング
アーサー=フレック …… ホアキン=フェニックス(50歳)
 かつてスタンダップコメディアンを目指していた元大道芸人であり、2年前に連続殺人を犯した男。脳の障害のため、自分の意思に関係なく突然笑いだしてしまう病気を患っている。

ハーレイ(リー)=クインゼル …… レディー・ガガ(38歳)
 アーカム・アサイラムの音楽セラピーに参加していた女性。アーサーと出逢い恋愛関係となる。

ジャッキー=サリヴァン …… ブレンダン=グリーソン(69歳)
 アーカム・アサイラムの看守。囚人たちを虐待し、アーサーを玩具にして散々な目に遭わせる。

メアリーアン=スチュワート …… キャサリン=キーナー(65歳)
 アーサーの弁護士。死刑回避のために2年前の連続殺人事件をアーサーの精神病の悪化による二重人格から起こったとして弁護し、責任能力の有無をめぐってデント検事補と争う。

ハーヴェイ=デント …… ハリー=ローティ(28歳)
 アーサーを起訴するゴッサムシティの新任地方検事補。アーサーを死刑にしようと精神面の問題を争点に責任能力の有無でスチュワート弁護士と対立する。

パディ=マイヤーズ …… スティーヴ=クーガン(59歳)
 獄中のアーサーにインタビューする人気テレビタレント。

ヴィクター=ルー博士 …… ケン=レオン(54歳)
 デント検事補が裁判に召喚した、アーサーの精神鑑定医。

リッキー=メリーネ  …… ジェイコブ=ロフランド(28歳)
 アーカム・アサイラムの若い囚人。アーサーに心酔している。

ハーマン=ロスワックス …… ビル=スミトロヴィッチ(77歳)
 アーサーの裁判の裁判長。

ゲイリー=パドルズ …… リー=ギル(?歳)
 2年前にアーサーの元同僚だった大道芸人。

ソフィー=デュモン …… ザジー=ビーツ(33歳)
 2年前にアーサーが恋愛関係にあると妄想していた、シングルマザーの元隣人。

デブラ=ケイン …… シャロン=ワシントン(?歳)
 2年前にアーサーを担当していた民生委員。

若い囚人 …… コナー=ストーリー(?歳)


おもなスタッフ
監督 …… トッド=フィリップス(53歳)
脚本 …… スコット=シルヴァー(?歳)、トッド=フィリップス
製作 …… トッド=フィリップス、ブラッドリー=クーパー(49歳)
音楽 …… ヒドゥル=グドナドッティル(42歳)
撮影 …… ローレンス=シャー(54歳)
制作・配給 …… ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ


 あ~、もう5年前のことになるんですかぁ。あの、R指定でありながら日本でも異様な熱狂を持って受け入れられた前作『ジョーカー』の、ほぼ同じスタッフ&キャスト陣による正統どストレートな続編であります。

 ええ、当然観に行きましたよ、私もおおそれながら DCコミックスファンだし、ジョーカーファンだし、ハーレイ・クインファン(ただし全身タイツ時代)でもありますからね。これは劇場に行かないわけにはいかないでしょ!

 前評判が決定的に悪い映画を観に行くっていうのは、つらいもんですね……まぁ、ファンだからかまやしないんだけどさ。

 私が観たのは、本作が日本公開されてから3回目の週末で、アメリカ本国での公開から見ると4回目の週末にあたるタイミングだったのですが、ネット上ではアメリカ公開の時点でかなり批判的な意見が多く、興行的にもかなり期待はずれな勢いになっているとのことです。
 実際、私が夕べ山形の映画館で観た時も、夜8~9時からの最終上映回だったことをさっぴいても10人いるかいないかのお客さんだったので、内容うんぬん以前の問題で「失敗」と言わざるを得ない結果を築きつつあるようですね……でも、お客さんの中にかなり硬派な、「どんな映画でもいいよ、俺たち愛し合ってるから!!」な雰囲気の、歩くたんびに全身がガッチャガチャ鳴るようなレザージャケット&チェーンまみれカップルがいたのには、なんだかほっこりしてしまいました。その心意気や、よし。

 ままま、そんな前評判はどうでもいいんですよ。要は観た私がどう感じたかなんだもんね! それで実際に観てみたわけなんですが、その感想はと言いますと、


こんなにきれいに前作の風呂敷たたみに終始した続編があっただろうか……もはや新作ですらない!?


 という感じでございました。いや、地続きもなにも、雰囲気から何からぜ~んぶ前作そのまんま!

 映画の長い歴史の中で、大ヒットした前作を強く意識して、「前でやらなかった新たな方向性で対抗しよう!」と舵を切った作品というものは、それこそ山のようにあります。『エクソシスト2』(1977年)しかり『エイリアン2』(1986年)しかり『ターミネーター2』(1991年)しかり……時系列的に遡って主人公役の俳優を代える手法を採った『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974年)もそうですし、ティラノサウルスをアメリカ本土の街中で大暴れさせた『ロストワールド ジュラシック・パーク』(1997年)もそう。そして、3代目ジョーカーことヒース=レジャーを唐突にぶっこんで来た漢クリストファー=ノーラン監督の『ダークナイト』(2008年)も、大成功した続編映画の枠に入れて良いのではないでしょうか。ちなみに、私がいちばん好きな続編映画は、『時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993年)です! うをを、ナタキンさま~!!

 そういった鼻息の荒い面々と比較しますと、今回の『 For リア充』……じゃなくて『フォリ・ア・ドゥ』が、いかに異質な映画であるかがよくわかるのではないでしょうか。
 こ、この作品、オレがオレがと前に出るがっつき感がまるでない! ていうか、劇中の盛り上がりシーンがことごとく、前作の名場面の流用じゃないか!! 新規撮影されたシーンはぜ~んぶ地味! ド派手なはずのミュージカルシーンも、ぜんぶ地味!!

 信じられない……いやホント、この映画、前作の制作費(約5500万ドル)の3~4倍のお金をかけて撮られてるんですよね? え……どこ? どこにそんなにお金がかかってんの!?

 これ、たぶんあれなんじゃない? 自分のことを全然描いてくれない前作を観てイラっときた本物のジョーカーがハリウッドに乗り込んできて、フィリップス監督をパンツいっちょにしてロッカーに押し込んだ挙句にメガホンを執って作った映画なんじゃない? 絶対にそうだよ! それで制作費の大半を持ち逃げしちゃってんだよ!!
 なんか、そういう筋のお話、ハーレイ・クイン(全身タイツ時代)とポイズン・アイヴィーが主人公のスピンオフコミックにありましたよね。あの時はバットマンが駆けつけて2人をとっちめてくれていましたが、今回は来てくれなかったか……『ザ・バットマン』の続編の撮影で忙しいのかな?

 地味だ……ほんと地味なんです、この映画。
 だいたい、ミュージカルシーンが収監中のアーサーの脳内妄想であることは明らかですし、物語の後半の舞台が法廷なんですから、地味なのはシナリオの時点でわかっていたはずなんですが、それを全く変えずにドドンッとまんま映像化してしまったその信じられないまでのクソ度胸は、さすが前作で「ジョーカーが全然出てこないジョーカー映画」を撮ったフィリップス監督といった感じなのですが、やはり今回ばかりは大方の支持は得られていないようで……でも、ギャンブルってそういうもんよね。

 本作は徹頭徹尾、前作で5人を殺害したという罪状で収監中のアーサーのその後を描く内容になっており、過酷ながらも前作よりはいくらか精神的に平穏な獄中生活を送っていたアーサーに、彼のファンと名乗る謎の女リーが現れたところから、アーサーの中に封印されつつあった狂気「ジョーカー」が再び胎動を始める……といった内容になっております。

 そういう感じなので、ほぼ全編にわたってお縄になっている状態のアーサーが、前作の「マレー=フランクリン・ショー」で見せたような完璧な状態の犯罪道化師に戻ることができるはずもなく、定番の赤い焼いもルックを見せてくれるのは冒頭のアニメか、物語のはしばしでのミュージカルシーンだけとなっております。現実の法廷で着ていたのは、赤に近い地味な赤茶色のジャケットでしたよね。

 でも、あの能天気なアニメ開幕のあとに出てくるアーサー役のホアキンさんのガリッガリの上半身のインパクトは、やっぱりCG とかでは絶対に出せない凄絶なオーラをまとっていますよね。作品の出来不出来関係なく、ホアキンさんがあの身体に戻ってくれたってだけで、劇場でお金払って観る価値はあると半ば強引に納得させられちゃいますからね。また命削ってるよ、この人……だって、『ジョーカー』のあとに、あの『ボーはおそれている』で、年齢相応のだるんだるんな中年体型になってから、また今作でこうなってるんでしょ!? 頭おかしいって!

 先ほども申したように、この作品は前作以上のカタルシスを!といったような野心は全くなく、ただひたすらに、殺人者となってしまったアーサーを断罪し、アーサーの信奉者となったリーをはじめとする多くのゴッサムシティの若者たちに冷や水をぶっかけて「目ェさませ!!」と一喝するような、まるで前作でアーサーをカリスマ犯罪者に祭り上げた風呂敷を「すんませんでした……」とたたんで片付けるかのような処理作業に終始している、ただこれだけの138分間なのでございます。
 それはまぁ、そうですよ。個人的な感情で衝動的に犯罪をおかした人間が前作であそこまで世界的に受け入れられたというのは、アメコミの超有名な悪者キャラがウケたとは全く別の現象で、確かに異常な事態ではありました。そのフィーバーに対して何らかの危機感をいだいたフィリップス監督が、まるで庵野秀明監督のように「いやあの、落ち着いてください。」と真摯に応対したのが、この『フォリ・ア・ドゥ』のクソがつくほど真面目な姿勢につながったのかも知れません。

 ですので、そういう意味で言うのならば、本作はこれまでに世に出たどの続編映画よりもマジメで、まごころに満ちた「風呂敷たたみ映画」なのかも知れません。ホアキンさんの完璧な役作りも、ゲイリーを演じたリー=ギルさんを筆頭として再び集まった前作キャスト陣の真剣さも、前作と全く矛盾せず、前作が生んでしまったアーサーの心の中の怪物をきれいに「成仏」させる、理想的な続編の誕生に寄与していたと思います。「浄化」じゃなくて「成仏」なところが哀しいですが……

 ただ、今回こういった気持ちいいくらいの「発つ鳥跡を濁さず」映画を目の当たりにしてしまった観客の多くの心に去来したのは、


きれいに収まったらいいってもんでも、ないんだな……


 という、どっちらけな感情だったのではないでしょうか。例えばあなたがどこかの観光地に旅行に行ったとして、おなかをけっこう空かせて入ったこじゃれたリストランテで、味は神業的においしくてもひと口サイズのお通しみたいなスイーツとよくわかんない味のハーブティーだけ出されて1800円って言われたら、う~んってなるじゃないですか。今食べたいのはマックの油ぐじゃぐじゃで味おおざっぱな Lサイズセットなんだけどなぁ~みたいな!?

 かつて江戸の昔の人々は、

白河の 清きに魚も 棲みかねて もとの濁りの 田沼恋しき 

 なんて狂歌を詠みましたが、純度100%、前作尊重度100% の『フォリ・ア・ドゥ』のこれじゃない感って、これに通じる部分も少なからずあるのではないでしょうか。いや、そのストイックな姿勢に文句はないんだけどさ、もちっと冒険してもいいんじゃない?みたいな。

 冒険というのならば、今作のミュージカルパートの多用と、それにともなうハーレイ・クインへのレディー・ガガの起用という手が充分すぎるほどの冒険じゃないかという意見もあるかとは思うのですが、作中にこれでもかというほどに音楽が流れていたのは前作から何も変わっていない傾向ですし、そこも、オリジナル版の歌手や演奏のオンパレードだった前作に比べて今作ではホアキンさんかガガ様のボーカルだけになっているので、むしろ今作の方が地味になってしまったという悪手だったのではないでしょうか。だいたい、音楽セラピーで出逢ったからってそれ以降ぜんぶミュージカル妄想になるって、アーサーってどんだけ純粋なんだって話なのですが……ま、アーサーですから。

 本作におけるハーレイ・クイン(こちらもバットマンサーガのハーレイとは別人だという意見もあるのですが、便宜上統一します)の役割も、結局は原典のハーレイほど狂った人間ではなく、それなりの自立性を持った正常な判断のできる女性だったという感じなので、最後も「そりゃそうなるわな。」といった感情しか湧かず、ごくごくフツーのヒロインでしかなかったな、という印象でした。本作のタイトルの「二人で狂う」って、アーサーとリーのカップリングじゃなくて、冒頭のアニメで示された通りにアーサーと内なるジョーカーのカップリングだったんですね。アーサー無惨……

 やっぱり、ハーレイ・クインはジョーカーに輪をかけて狂ったキャラでないといけませんやね。蛇足ですが、私が一番好きな映像作品上のハーレイ・クインは、やっぱり TVドラマシリーズ『ゴッサム』でフランチェスカ=ルート・ドットソンさんが演じていたハーレイ(女優さんで言うと通算4代目)です。あの左右で上下反対になっている顔のメイクが最高に狂ってますよね……出番が少なかったのが残念!

 やっぱり、今作のミュージカル導入は悪手だったとしか言えないのではないでしょうか。
 なぜならば、前作では映画の内容と全く関係の無いシナトラやジミー=デュランテの滋味あふれる歌声と、この映画の空気感を象徴しているとしか言えないヒドゥル=グドナドッティルの激重な音楽とのムチャクチャな温度差がアーサーの心理状態のグッチャグチャ感を体現していたのに、今作では映画の雰囲気を充分にくみ取ったホアキンさんやガガ様のボーカルになっている分、グドナ音楽にわりと近い質感に歩み寄っちゃってるんですよね。これでは、前作で発揮された「緊張と緩和」の効果はきいてきませんよ! 全体的にのぺーっとした空気の変わらなさを助長する一因になっちゃった。


 このように、今回の『フォリ・ア・ドゥ』は、どうやらフィリップス監督が「作品の面白さ」をそっちのけにして前作の火消し&後片付けに心血を注いでしまったがゆえに、ほぼ確信的につまらないことが必定になってしまった「なるべくしてなった失敗作」としか言えないような気がします。でも、こういう失敗さえもフィリップス監督の想定内である可能性は高いので、とにもかくにもこんな悪だくみにホイホイ2億円をつぎこんでしまったワーナーはんには、もはやご愁傷さまと声をかけるしかありませんやね。そもそも、「ジョーカー出る出る詐欺」で世界中からお金をしぼり取った作品の続編なんですから、これは空から色が生まれ、そしてまた色が空へと還ってゆく自然の理なのではないでしょうか。南無阿弥陀仏……

 でも、今作でほんとのほんとにジョーカー役からは卒業となったホアキンさんは、本当に身体をいたわってほしいです。ジョーカーを映画で2作も演じるという前人未踏の偉業、よくぞやり切ってくださいました(『ジャスティス・リーグ ザック=スナイダー・カット』のジャレッドジョーカー再登板はカウントしません)……もういい! あと、あなたはもうやんなくていいから、若いバリー=コーガンくんに任せてください!! まだキャメロン=モナハンくんの線も諦めてはいませんけどね!

 いや~、ほんと、変な映画だったな……ここまで振り切っちゃってたんなら、バットマンサーガに色目をつかったハーヴェイ=デントの登場とか「若い囚人」のラストシーンでの挙動とか、いっそのことやらなきゃよかったのにね。ていうか、前作のブルース=ウェイン、どこ行った!? チベットでニンジャ修行してんのか、それともウチで全身タイツの手もみ洗いでもしてんのかァ~!? HAHAHA☆
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これが戦後か……ほろにが過ぎる和製フィルム・ノワール ~映画『狼』~

2024年10月21日 23時02分16秒 | ふつうじゃない映画
映画『狼』(1955年7月 128分 近代映画協会)
 『狼』(おおかみ)は、近代映画協会制作の映画。白昼に強盗事件を起こす五人の男女を通して、貧窮する弱者を追い詰める会社組織の残虐性と人間性の弱さを描く犯罪映画。
 監督・脚本の新藤によると、本作は神奈川県金沢八景付近の国道で実際に起きた郵便車襲撃強盗事件を元にしており、事件の犯人グループも貧窮した男性3名、女性2名の生命保険勧誘員だった。
 新藤は、知人の生命保険外交員に取材して脚本を完成させ、乙和信子や浜村純らのキャスティングも決まり、1954年6月から映画制作を再開させていた映画会社・日活での制作が決定した。しかし、当時の日活の大株主に生命保険会社があったことから本作は撮影直前に制作中止となり、新藤はその他にも生命保険会社による企画中止を求める圧力などを受けながらも、自主製作で本作を完成させた。

あらすじ
 暑い夏の午後、日本刀と猟銃で武装した五人の男女が郵便自動車を襲った。五人は、元銀行員、脚本家、元自動車組立工、そして子どもを抱えた戦争未亡人ふたり。
 窮乏により家庭は崩壊寸前となり、最後の頼みの綱として生命保険の勧誘員となった彼らが見たのは、さらに絶望的な戦後日本の現実だった。生きるため、家族を救うため、追い詰められた人々はついに犯罪の牙をむく。

おもなスタッフ
監督・脚本 …… 新藤 兼人(43歳)
製作 …… 絲屋 寿雄(46歳)、山田 典吾(39歳)、能登 節雄(47歳)
音楽 …… 伊福部 昭(41歳)
制作 …… 近代映画協会

おもなキャスティング
矢野 秋子  …… 乙羽 信子(30歳)
矢野 義登  …… 松山 省二(現・政路 8歳)
吉川 房次郎 …… 菅井 一郎(48歳)
吉川 たか  …… 英 百合子(55歳)
吉川家の居候・高橋 …… 下元 勉(37歳)
三川 義行  …… 殿山 泰司(39歳)
三川 文代  …… 菅井 きん(29歳)
藤林 富枝  …… 高杉 早苗(36歳)
原島 元男  …… 浜村 純(49歳)
原島 智子  …… 坪内 美子(40歳)
東洋生命新宿西部支部桜部長・橋本 …… 小沢 栄太郎(46歳)
東洋生命新宿西部支部梅部長・町田 …… 北林 谷栄(44歳)
東洋生命新宿支社長・神森     …… 東野 英治郎(47歳)
東洋生命新宿支社西部支部長    …… 御橋 公(60歳)
東洋生命丸ノ内本社営業部長    …… 清水 将夫(46歳)
郵便車の輸送員・岡野 …… 柳谷 寛(43歳)
山本 秀夫    …… 信 欣三(45歳)
洗濯屋の主人   …… 左 卜全(61歳)
押し売りの男   …… 高原 駿雄(32歳)
春日 さゆり   …… 曙 ゆり(?歳 当時の松竹歌劇団スター)
和田医師     …… 宇野 重吉(40歳)
踏切の警官    …… 下條 正巳(39歳)
十二号室の看護婦 …… 奈良岡 朋子(25歳)
病院の事務員   …… 佐々木 すみ江(27歳)




≪すっごく……重たいです。本文マダヨ≫
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ハリウッドへの名刺がわり? ヒッチコック第2のデビュー作 ~映画『海外特派員』~

2024年10月13日 13時19分19秒 | ふつうじゃない映画
映画『海外特派員』(1940年8月公開 120分 アメリカ)
 『海外特派員』(原題:Foreign Correspondent )は、アメリカ合衆国のサスペンス映画。アルフレッド=ヒッチコック監督のアメリカ・ハリウッドにおける2作目の作品である。

 1939年3月にアメリカに移住したヒッチコックは、翌4月からハリウッドの映画プロデューサー・デイヴィッド=O=セルズニックの映画会社セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズに所属した。1940年3月の『レベッカ』の完成後、セルズニックはしばらくプロデューサーとしての活動を停止し、契約した俳優や監督を他社に貸し出す方針をとったため、ヒッチコックも1944年まで他の映画会社に貸し出されて映画を制作することとなった。
 『海外特派員』は独立系映画プロデューサー・ウォルター=ウェンジャーの映画会社に出向して制作した作品で、1940年3月に脚本が完成し、同年夏まで撮影が行われたが、製作費はそれまでのヒッチコック作品の中で最高額の150万ドルとなった。本作は、第二次世界大戦の開戦直前のロンドンに派遣されたアメリカ人記者がナチスのスパイの政治的陰謀を突き止めるという物語であり、大戦への不安を抱いていたヒッチコックは、この作品であからさまにイギリスの参戦を支持し、エンディングではアメリカの孤立主義の撤回を求める戦争プロパガンダの要素を取り入れた。
 本作は同年8月にユナイテッド・アーティスツの配給で公開されると成功を収めたが、その一方でイギリスのメディアからは、祖国の戦争を助けるために帰国しようとせず、アメリカで無事安全に仕事を続ける逃亡者であると非難された。なお、実際に第二次世界大戦が開戦したのは本作公開の翌月の9月3日だった(イギリスとフランスによるナチス・ドイツへの宣戦布告)。
 第13回アカデミー賞の6部門にノミネートされた(作品賞、助演男優賞アルベルト=バッサーマン、脚本賞、撮影賞、美術賞、視覚効果賞)。

 オランダ人外交官ヴァン・メア卿を演じたドイツ人俳優アルベルト=バッサーマンは英語を全く話せなかったため、全てのセリフを音で覚えて演じた。
 新聞コラムニストのロバート=ベンチリーはステビンズ役を演じるにあたり、自分のセリフを自ら考えることを認められた。
 ヒッチコック監督は、本編開始12分35秒頃、ロンドンで主人公のハヴァーストックがヴァン・メア卿と初めて出会う場面で新聞を読みながら歩く通行人の役で出演している。
 日本では1976年9月に劇場公開されたが、それ以前にも TVでたびたび放映されていた。


あらすじ
 第二次世界大戦前夜の1939年8月中旬。ニューヨーク・モーニング・グローブ紙のパワーズ社長は、事件記者ジョン=ジョーンズに「ハントリー=ハヴァーストック」のペンネームを与え、ヨーロッパへの海外特派員としてイギリス・ロンドンに派遣した。
 ジョーンズの最初の任務は、昼食会でオランダの外交官ヴァン・メア卿にインタビューすることだった。ハヴァーストックはヴァン・メア卿とタクシーに相乗りして戦争が差し迫っている社会情勢について質問するが、ヴァン・メア卿は言葉を濁す。昼食会に出席するとハヴァーストックは、会議の手伝いをしていた、司会を務める万国平和党党首のスティーヴン=フィッシャーの娘キャロルに夢中になってしまう。フィッシャー党首は、講演する予定だったヴァン・メア卿が急用により欠席したと発表し、代わりにキャロルに講演をさせた。
 続いてパワーズ社長は、万国平和党の会議に出席するヴァン・メア卿を取材させるため、ハヴァーストックをオランダ・アムステルダムに急行させる。ハヴァーストックはヴァン・メア卿に挨拶をするが、なぜかヴァン・メア卿はハヴァーストックのことを憶えていない。すると突然、カメラマンを装った男が隠し持っていた拳銃でヴァン・メア卿を射殺してしまった!

おもなキャスティング
ジョン=ジョーンズ(ハントリー=ハヴァーストック)…… ジョエル=マクリー(34歳)
キャロル=フィッシャー   …… ラレイン=デイ(19歳)
スティーヴン=フィッシャー …… ハーバート=マーシャル(50歳)
スコット=フォリオット   …… ジョージ=サンダース(34歳)
ヴァン・メア卿       …… アルベルト=バッサーマン(72歳)
ステビンズ記者       …… ロバート=ベンチリー(50歳)
クルーグ大使        …… エドゥアルド=シャネリ(52歳)
殺し屋のローリー      …… エドマンド=グウェン(62歳)
パワーズ社長        …… ハリー=ダヴェンポート(74歳)

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(41歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(41歳)、ジョーン=ハリソン(33歳)、ジェイムズ=ヒルトン(39歳)
製作 …… ウォルター=ウェンジャー(46歳)
音楽 …… アルフレッド=ニューマン(39歳)
撮影 …… ルドルフ=マテ(42歳)
編集 …… オットー=ラヴァーリング(?歳)、ドロシー=スペンサー(31歳)
製作 …… ウォルター=ウェンジャー・プロダクションズ
配給 …… ユナイテッド・アーティスツ


≪本文マダヨ~≫
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70点、70点、うっさい!! ~映画『傲慢と善良』~

2024年10月11日 23時28分39秒 | ふつうじゃない映画
 へへへ~いどうもこんばんは! そうだいでございます~。

 いやぁ、先日ついに敢行してしまいました、山形~山梨の1泊3日往復車旅、片道500km!! 去年から始めている個人的な年1ビッグイベントだったのですが、今年は夏ではなく秋にチャレンジしました。
 ほんっとうに、心の底から! 生きて帰って来ることができてよかったな、としみじみ痛感しております……今年もすばらしい旅になったのですが、がっつり風邪ひいちった……
 これはやっぱり、今年のゴールデンウィークに山形の米沢市で行われた「上杉まつり」の川中島合戦再現イベントで上杉軍の足軽になった身でいながら、武田勝頼と因縁の深い新府城跡をのこのこ探訪してしまったがための祟りなのでありましょうか……いや、単にケチって高速使わずに一般道で行って疲れただけか。
 正直、行った初日の山梨のお天気は、一日中のぐずぐず雨という最悪のコンディションだったのですが、雨の中おとずれた新府城跡や武田八幡宮は非常にムード満点で絵になっていました。く、熊の気配がめっちゃ怖かった……
 宿泊した南アルプス市・芦安温泉の宿も、昭和中期の大型旅館の雰囲気を今に伝える、率直に言うと複数回の増築による通路のカオスな迷宮化が最高なところでございました。露天風呂に入ろうとしたんですけど、宿泊棟の1階に降りてから外通路を通って別棟に行って、そこから2階に上がってまた外回廊を通って露天風呂って、あんた……昔ながらの旅館は、高齢者に当たりが異常に厳しい! 歳とってからゆっくり泊まろうったってそうはいかないから、足腰が元気なうちに行っとけ行っとけ!
 帰りの日は一転しての好天だったのですが、「長野ナンバーのドライバーさんの交通法規順守の徹底ぶり」を身に染みて感じながら、結局まるまる一日かかって深夜に山形に到着いたしました。もうちょっと早く到着する算段だったのですが……大きな声じゃ言えませんが、制限速度で走る車って、山形じゃそんなに多くは、ね……ゴニョゴニョ。
 なぜか去年から始まった山梨県への温泉旅行、元気だったらぜひとも来年もやってみたいです。でもこれ、ほんとに体力をゴリゴリに削りますんで、体調管理には十二分に気をつけて、また1年これを楽しみにして生きていこうと思います。山梨、ほんとに楽しい!

 さてさて、それでここ数日、久しぶりに体調が最悪な日が続いてダウン(しながら働いて)いたのですが、やっとなんとか快復して余裕が出てきましたので、ようやく、かねてから観よう観ようと思っていた映画を鑑賞してまいりました。

 いやほんと、ここんところ『箱男』あたりから観なきゃいけないと思ってるエンタメ作品が渋滞しちゃってて! 早くひとつひとつ消化していかなければ……船越さんの『黒蜥蜴』2024も、録画はしたけどまだちゃんと観てないのよ……今年の秋はほんとに忙しい!! なんだかんだ言って師走までこんな感じになりそう。


映画『傲慢と善良』(2024年9月27日公開 119分 アスミック・エース)
 映画『傲慢と善良』(ごうまんとぜんりょう)は、辻村深月による長編恋愛ミステリ小説『傲慢と善良』(2019年3月刊)の映画化作品。原作小説は2019年度ブクログ大賞・小説部門大賞を受賞し、2024年10月時点で累計部数100万部を突破している。

あらすじ
 仕事も恋愛も順調に過ごしてきた青年・架。しかし長年付き合った彼女のアユにフラれてしまったことをきっかけにマッチングアプリで婚活を始める。そこで出逢った、控えめで気の利く女性・真実と付き合い始めるが、1年が経っても結婚には踏み切れずにいた。
 そんな折、架は真実からストーカーの存在を打ち明けられる。そしてある夜、「架くん、助けて!」と恐怖に怯える真実からの電話が。真実を守らなければと決意し、架はようやく真実と婚約するが、その矢先に真実が突然、姿を消してしまう。
 両親や過去の見合い相手を尋ね、真実の居場所を探す中で、架は知るよしもなかった真実の過去と噓を知るのだった……


おもなキャスティング
西澤 架 …… 藤ヶ谷 太輔(37歳)
 東京生まれの東京育ち。国産クラフトビールの製造販売業社長。容姿端麗で女性経験も豊富。かつての彼女である6つ年下のアユ(三井亜優子)は理想の相手だったが、早く結婚して子供を持ちたいと望むアユの願いを先延ばしにした結果、振られて別の相手と結婚された過去がある。30歳代後半になってからマッチングアプリに登録して婚活を始め、大勢の女性と会う中で真美と知り合ってなんとなく交際を始めたものの、心のどこかでアユを引きずっている。学生時代からの友人の美奈子に真美と何% くらい結婚したいかと聞かれて「70% 」と答える。

坂庭 真実 …… 奈緒(29歳)
 東京都内の英会話教室で働く事務員。
 群馬県前橋市に生まれ育った。2人姉妹の次女。大人しく自分の意見を主張するのは苦手。利発で大学進学を機に上京した姉(岩間希美)と違い、高校から地元の女子校に進学し、そのままエスカレーター式に系列女子大へ進学。卒業後は母の勧め通り群馬県庁の臨時職員として働いた。進学や就職については母親・陽子の影響が強く、自らで深く考えたことはなかった。大学の同級生や県庁の同僚が次々と彼氏を作り結婚していく中、真美は特に彼氏ができることもなく過ごす。母親のはからいで地元の県会議員夫人・小野里が運営する結婚相談所の世話になることになったが、相手の欠点ばかりに目が行ってしまい結婚には至らなかった。その後、いつまでも自分を子ども扱いする両親に耐え兼ね、実家を出て姉を頼り上京した。

美奈子 …… 桜庭 ななみ(31歳)
 架の大学時代からの友人。仕事ができ美人で気も強く、要領よく生きてきた女性。架との付き合いも長く、遠慮なく意見を言う。架に、過去に架の彼女だったアユと比べて真美に対して70点の気持ちしかないのなら結婚すべきではないと忠告する。

岩間 希実 …… 菊池 亜希子(42歳)
 真実の姉。母親・陽子の束縛を嫌い大学進学を機に実家の前橋から上京し、今は結婚して一児の母となっている。何かにつけて母親の言いなりである妹・真美に対していら立つこともあるが、真美をなにかと気に掛けている。

坂庭 陽子 …… 宮崎 美子(65歳)
 群馬県前橋市に住む、真実と希実の母親。自分の価値観を真実に押し付け、真実を何かと束縛しようとする。

坂庭 正治 …… 阿南 健治(62歳)
 群馬県前橋市に住む、真実と希実の父親。妻・陽子の言うことに大きく反対はせず、真実と希実の子育てを任せてきた昔気質な性格。

小野里 …… 前田 美波里(76歳)
 群馬県前橋市の県会議員の妻。結婚相談所を運営している。真実の母・陽子に依頼され、真実にお見合い相手を紹介する。

高橋 耕太郎 …… 倉 悠貴(24歳)
 真実が九州地方の七山市(架空の都市)で知り合う災害ボランティアのリーダー。

よしの …… 西田 尚美(54歳)
 七山の飲み屋「FUNNY NANAYAMA 」のママ。真実を居候として受け入れ面倒を見る。

架の親友・大原 …… 小林 リュージュ(35歳)
 大学時代からの架の親友。電子機器部品の卸業を経営している。40歳近くになっても未婚の架を心配している。

美奈子の親友・梓 …… 小池 樹里杏(30歳)

真実の見合い相手・金居 …… 嶺 豪一(35歳)
 群馬県前橋市で電子機器メーカーに勤めるエンジニア。2児の父。

真実の見合い相手・花垣 …… 吉岡 睦雄(48歳)
 群馬県高崎市で歯科医院に勤める独身男性。

真実の地元の友達・泉 …… 里々佳(29歳)
 真実の中学校時代の友達。前橋で偶然、真実と金居に出遭う。

三井 亜優子 …… 森 カンナ(36歳)
 かつて架の交際相手だった女性。


 きたきたきた~! 我が『長岡京エイリアン』いとしの辻村深月先生の小説を原作とする映画作品のご登場でございます。

 辻村先生は、畏れ多いことに私とほぼ同年代の方なので、どうしても「日本小説界の若手ホープ」という印象が離れないのですが、気がつけば辻村先生も今年でデビュー20周年を迎えるという押しも押されもせぬベテランとなり、それにともない、先生の小説作品を原作とする映像作品もかなり多くなってきました。でも、今でも「映像化!」という知らせを聞くとドキッとしてしまうんですけどね。やっぱりファンにとっては気になる話題というか……本質的に小説とは全く別の作品と割りきるべきなんですけどね。

 ざっとまとめてみますと、今回の『傲慢と善良』(以下、映画版は『ゴー善』と略)も含めますと、辻村先生の小説作品はこれまでに「TV 単発ドラマ1作(『踊り場の花子』)」、「TV 連続ドラマ4作(『鍵のない夢を見る』など)」、「実写映画5作(『ツナグ』『太陽の坐る場所』『朝が来る』『ハケンアニメ!』、『ゴー善』)」、「アニメ映画2作(『大長編ドラえもん のび太の月面探査記』『かがみの孤城』)といった形で映像化されています。いや~、気がつけばこんなにみごとな花ざかり。

 これらの諸作は、それぞれ制作スタッフが全く違う作品だし別々の味わいがあるわけなのですが、共通しているのは「出演俳優にかかる真剣勝負度の圧がすごい」ということではないでしょうか。

 これはもう、原作小説の生々しいまでの「登場人物が身を切ってる感」が、辻村ワールドならではの味わいにして魅力の核心というところが関係しているとしか言えないでしょう。つまり、辻村作品を原作とする以上、どうしてもそれに取り組む俳優の皆さんも、通りいっぺんに台本に書かれた役を演じるというだけでなく、俳優である以前に一人の人間として、嘘偽りのない「過去の自分」をありありとさらけ出した上で演じなければならない覚悟を要求されるからだと思うのです。若き日にこれからどうやって生きていこうかと悩む鬱屈とした自分、他人とのコミュニケーションに苦慮する自分、プロとして生きていくための覚悟を決めた瞬間の自分、こういう生き方で良いのかと道の途上ではたと立ち止まる自分……
 お話の面白さもさることながら、多くの人々の心をむんずと鷲掴みにする辻村ワールドの魔力の本質は、登場人物たちのそういった苦悩を通じて、読んでいる人に自身の過去を、大人になってとんと忘れ去ってしまっていた自分自身の姿、その時の空気のにおいや体温の高揚、肌の汗ばみまでをも鮮烈によみがえらせるような記憶喚起力にあると思います。まさに魔力! そして、それを引き起こす対象となっているのが小説の読者だけでなく、小説を原作とした二次作品の出演者にさえ波及しているというのが、映像作品の「真剣度」を異様に高めてしまう要因なのではないでしょうか。
 なんか軽いノリで辻村作品を映像化している例も観たいような気もするのですが、なかなかね……それはそれで原作ファンの反応が怖いような気もしますよね。読者も真剣そうだな~、辻村ワールドって! 私はどうなのであろうか……

 さてさて、そんなこんなで今回の『ゴー善』なわけなのですが、当初、あの長編小説『傲慢と善良』が映画化されると知った時、私は「また難しい作品を……大丈夫かな?」という不安が先に立ってしまいました。
 なぜなら、『傲慢と善良』は大部分が「いなくなった人を探す」お話であり、ただひたすらに「いない人の思い」を想像する旅に出る男の姿をロードムービー的に追う形式になっているからです。当然、最終的に男は相手にたどり着いて物語は終わりを迎えるのですが、その路程で殺人事件のような衝撃的な展開があるわけでもないし、いない人の過去に関しても、ぶっちゃけそんなに異常な出来事があったわけでもありません。

 ふつうなんです! この物語に登場する人物たちは、主人公の男女を含めて、み~んなごくふつうの人生を送っている人ばかりなのです。

 でも、この「ふつうの人生」の中でつまびらかにされていく人間同士のすれ違い、軋轢、対立、羨望、さげすみ、愛憎の濃密さときたら……ここ! この、死ぬほど大変なことでもないんだけど、地味にボディに効いてくるような細かい起伏が延々と続く人生のディティールを異様に高い解像度で描写しているところが、原作小説のものすごいところなんですよ! そうそう、ふつうに生きるって、こういう風にとてつもなく辛くて大変で、それでもたま~にステキな出逢いもあるからやめられないことなんだよなぁと、しみじみ感じ入ってしまうんですよね。

 この原作小説を読み進めていくと、タイトルにある「傲慢」と「善良」とは、別に対立する関係にあるものでもないし、作中で言及されてもいたジェーン=オースティンの長編小説『高慢と偏見』(1813年)のように、明確に超えるべき壁として立ちはだかる話でもないらしいことがわかってきます。つまり、登場する架と真実は、性別も家族環境も生き方もまるで違う者同士でありながら、自分自身の心にいつの間にか、しかもかなり昔から強固な価値観を持っており、それこそが表裏一体の関係にある「傲慢 / 善良」という共通の何かであることが明らかになってくるのです。そして、おそらくこれは、この小説に登場する人物全員どころか、読者も含めた現代日本人すべてに多かれ少なかれ根ざしているものなのではないか、という気配が次第ににじり寄ってくるという、何か、今まで日常生活の中でごくふつうに見えていたものが、ある瞬間から異様な違和感のある何かに見えてしまうような不気味な黙示録作品。それが小説『傲慢と善良』であると思うのです。
 私、この小説の読後感にいちばん似た感覚のあった作品って、コーエン兄弟の映画『ノーカントリー』(2007年)なんですよね。お話は終わるけど、提示された「なにか」の気配は消えないという、この異物感。

 もちろん、この小説における架と真実のお話は、ひとつの物語として終わりはするんですが、現実世界にいる私達の「傲慢と善良」はどうなっているのか、この小説を読んだことで何かしらの変化は起きたのか、それとも何も変わらずに心の中に存在し続けるのか……小説の中から辻村先生が読者に押しつけがましく直接呼びかけるような文章は一文も無いのですが、こういう問いかけを球速160km 台で投げかけられているような気がしてくるのが、たまらない! でも、ここまでドカドカッと読者の心の柔らかいところに入りこんでくる人もそうそういないような気がするからこそ稀有な存在なのです、小説家・辻村深月って。家族よりも家族、母ちゃんよりも母ちゃん!! ちょっ、勝手に開けんなって!!

 ともかく、この小説『傲慢と善良』は、非常に読み応えのある作品ではあるのですが、その面白さが、果たして映像作品になる時に「伝わりやすいものなのか」というと、私はかなり難しいと感じたんですよね。しかも、登場人物同士が会話するパートとほぼ同じかそれ以上の分量で、主人公の回想や心中思惟が物語の大部分を占めているのですから、セリフに頼らない相当にハイレベルで繊細な演技力も主人公の2人には要求されるわけで。これを映画化とは……こりゃ大変な難物ですぞ!

 ほら~、ここまで字数を割いといて映画になった『ゴー善』の話にじぇんじぇん入ってないよ! ちゃっちゃと観た感想を言っときましょう。映画のほうの『ゴー善』についての私の感想は、


後半が全然ちがう話になっとるが……原作小説に挑戦した勇気はたたえたい。


 というものでした。面白く観ましたよ!

 そうなんですよ。映画『ゴー善』は、物語の中盤から展開と設定が、原作小説とだいぶ違ったものになっているのです。
 ざっくり言ってしまうと、失踪した真実のおもむいた土地が、原作の宮城県仙台市ではなく、北九州地方の「七山市」という町に変更されています。これは架空の都市で、実際に撮影された地名で言うと佐賀県唐津市の七山地区となるようです。
 原作小説では、真実は仙台市で東日本大震災の復興ボランティアに従事するのですが、『ゴー善』ではおそらく、2017年7月の「九州北部豪雨」いらい毎年のように発生している豪雨災害の復興ボランティアに従事するために、真実は七山におもむいたようです。
 この変更自体は、映画の制作時期にかんがみて、より今現在リアルに災害が起こっている九州に舞台を移したのではないかと想像がつくわけなのですが、問題は、この七山で展開される真実と架との再会の経緯が、はじめからおしまいまで原作小説とまるで違うものになっているというところです。

 具体的に比較していきますと(以下、後半の展開に触れまくります。注意!!)、


≪原作小説の時間の流れ≫
1、四月。真実が失踪してから約3ヶ月後に架がひとつの「結論」に達し、失踪いらい更新が途絶えている真実のインスタグラム投稿の最終記事にコメントの形でメッセージを伝える。
2、ほぼ同じ時期に、仙台でボランティア活動をしていた真実が架のコメントを読み、いったんの返信をするが具体的な再会時期は保留する。
3、さらにほぼ同じ時期(真実が架のコメントを読む前日)に、ボランティアの高橋青年が真実をデートに誘う。
4、七月。宮城県東松島市にある JR仙石線の無人駅「陸前大塚駅」(実在)で真実と架が再会する。

≪映画版の時間の流れ≫
1、真実の失踪に関して架がひとつの「結論」に達し、真実のスマホにメールを送るが、真実は返信せず九州の七山市におもむく。
2、七山で暮らしてからも真実はインスタグラムの投稿を続けており、架も投稿をチェックしている。
3、真実が七山で暮らして2年後。真実が地元の地域振興課に「地元産クラフトビール」の開発を提言し、提携先として架の会社を紹介する。
4、ほぼ同じ時期に、ボランティアの高橋青年が真実をデートに誘う。
5、架が企画会議のために七山におもむき、その風景を見て真実が七山にいることに気づく。
6、七山の飲み屋「FUNNY NANAYAMA 」の店先で真実と架が再会する。


 このような感じになります。映画版は6、の後にもう一つの山場があってエンディングとなるのですが、そのロケーションは原作小説をかなり意識したものとなっていましたね。

 上の2バージョンを見比べてまず目立つのは、映画版の架の方が、あのエンディングを迎えるにしては行動が異様に受け身すぎるというか、2年間も何をやってたんだと不思議に思えるほど優柔不断な男に見えるという点ではないでしょうか。
 だって、どのくらいの頻度かは語られなかったのですが、連絡は途絶えているとはいえ、真実はインスタ更新してるんでしょ? しかも、どこに住んでるのかは語らないにしても風力発電の巨大タービンとか、みかんの木とかのヒントは写ってたわけだし……それをチェックしてるんだったら、普通は住所を特定して押しかけるくらいのこと、本気で結婚したいんだったらするんじゃないかな。まぁ、それに対して真実がどう反応するのかは別の話なわけですが。
 2年間ですよ、2年間。お互いピッチピチの20代前半でもなし、いつまでも若いわけでもないその時期に急がないということは、ほんとに架に原作小説のような真実への想いがあるのか?と疑ってしまうところがあります。それで結局、映画版はなんだか真実が「しょうがねぇから最後のチャンスを……」みたいにクラフトビール企画という救いの手を伸ばした感じになっちゃってるんですよね。

 確かに、原作小説のほうのクライマックスで真実は架に対して「この人は、とても鈍感なのだ。」という感慨を抱くのですが、映画版の架は、原作小説とは全く違う意味で鈍感としか言いようのない人物になっていると思います。それは……鈍感というか、「自分がない」のでは?

 あと、この現代に真実がインスタを続けているというのは、どう考えても話が「真実と架」だけに収まるには無理があるような気がします。映画に登場した人物の中でも、美奈子とか真実の母親とか小野里とか、架と同じかそれ以上の関心で真実の所在を追求しようとする可能性のある人物はいるような気がします。この状況で2年間、なにも起こらないはずがないでしょ……
 私はここらへんに、映画版の土壇場にきての整合性のなさを感じてしまうのです。な~んかリアリティがないし、架もカッコ悪い。映画オリジナルのこの「空白の2年間」が、原作小説の「濃厚過ぎる約半年間」とは全く比較にならないほど希薄なものになっているのですから。

 ついでに申しますと、架が真実のインスタ投稿にあった風力タービンの写真から七山に真実がいることに気づくという描写があるのですが、これも、田舎住まいの私からするとおかしいと言わざるを得ないというか……だって、あんな真っ白くてバカでかいタービン、海岸沿いの場所だったら日本海でも太平洋でも、日本全国どこにでもあるでしょ!? なんでそれが決め手になんの!? もっとみかん畑のある角度から見た風景とか、個性豊かなきっかけは別にあっただろう。
 何の特徴もない風力タービンを見ただけでそれをどこだと判断するなんて、人種も性別もわからないのに髪の毛が黒いだけでディーン・フジオカだと判断するようなものだと思うんだけどなぁ。

 余談ですが、私、先ほども申した通りに車で山形~山梨を往復したのですが、夜の9~10時ごろに新潟県の村上市で出くわした風力タービンの巨大な影が、めっっっっちゃ怖かったです……中央ハブのライトだけが灯台みたいに煌々と照らされていて、近づくと巨大なタワー部分が次第にぼーっと見えてくるという。周囲には歩行者はおろか車すらないし! デイヴィッド=リンチの世界みたいな雰囲気で最高でした。

 おそらく、映画『ゴー善』の一連の改変は、「みかんの木」の成長速度を考えて、真実と高橋が植えた苗木が育って花を咲かせるまで約2年かかるといったところから逆算してそういったタイムスケジュールになったのではないでしょうか。当然、小説と違って「絵」を大切にする映画なのですから、そういう判断があっても良いかとは思うのですが、問題は、その「2年間」という設定に、原作小説の「トータルでも約半年」の4倍も延びちゃってることに対する説得力充分なフォローが無かったということなのです。

 その結果、『ゴー善』の架は、真実を必死に探し出すこともせずに2年間も暮らし、それなのに真実からの助け舟をもらって再会できたかと思ったら、この期に及んで「結婚したいよう!」などと言い出す行きあたりばったりな男になってしまったのです。そして、それに対する真実の返答を受けての反応も、映画をご覧の通り、非常に受け身で消極的なものになっているのですから仕方がありません。原作小説『傲慢と善良』のクライマックスで、鈍感ながらも、というか鈍感であるがゆえの「凛々しさ」を見せてくれた架とは全くの別人と言わざるを得ないのではないでしょうか。
 映画『ゴー善』のクライマックスで、真実は原作小説と同じように、架が「70点(実際には70% )」と言ったことにこだわる問いかけをするのですが、『ゴー善』の真実がキレるべきなのは、もはやそんなことではないような気がしますよね……

 ともかく、映画『ゴー善』の後半部分は、原作小説『傲慢と善良』の架が見せてくれた一連の成長を、まるでナシにしてしまう改悪につながった部分が大きいと思います。第一、原作で真実が仙台に行ったのも、群馬での見合い相手の金居がそもそものきっかけであるという丁寧な伏線があったし、金居の発言から、災害復興支援ボランティアの現代日本におけるある種の精神的緩衝地帯、駆け込み寺という側面もきっちり描いている原作のほうが数段ディティールが細かくて面白かったと思うのですが……

 とまぁ、映画版の後半の展開について、私も見た直後は「どうして変えたのか理由がわからん!」とプリプリしながら映画館をあとにしたのですが、つらつら考えまするに、『ゴー善』は原作『傲慢と善良』におけるクライマックスの展開における「真実の受け身」感に多少の不満があったがために、逆に真実に言いたいことを言わせて架にアタックさせる選択肢を採ったのではないでしょうか。
 すなはち、『傲慢と善良』のクライマックスにおける架の、「傲慢 / 善良」の壁を突破する勢いを持った凛々しさあふれる言動には、解決しない現代日本にはびこる問題をあらわにした重い小説にさわやかな一陣の風のような奇跡的なハッピーエンドをもたらす効果がありました。それまでの架では言えなかった、できなかったことを表明する、新しい架への変身が高らかに宣言されていたのです。
 ところが、その反面で架の変身は果たして本当にその後も続いていくものなのか、単に真実との結婚という事案に関して意固地になって瞬間的な感情で言い出しただけなのではないか?という非常に意地悪な見方もできるわけで、フィクション小説ならではのきれいごとと取れなくもない甘い香りに満ちたエンディングになっているのです。当然、辻村先生もそのことを承知の上で、『傲慢と善良』の2人が選んだ未来が決してバラ色ではないということも言い置いているわけですが、そこには先生らしく「三波神社」のご加護も添えてくれています。

 おそらく『ゴー善』の選択したエンディングは、なんだかんだいって最終的には「白馬に乗った王子様」という非現実的なヒーローに変身してしまった架に救われるだけの受け身なヒロインになってしまった『傲慢と善良』の真実への反論として、最後の最後までなんの変身も見せず情けない存在のままで七山を去ろうとする架を強引に救い上げる「軽トラに乗った王女様」として、ヒロインはヒロインでもプリキュアのような行動力・主体性のある人間に変身した真実を描きたかったのではないでしょうか。だからこその『ゴー善』における脚本の改変と、演技力抜群の奈緒さんの真実役起用だったと思うのです。名前はキュアキャリイ(スズキ)でしょうか、それともキュアスクラム(マツダ)かな。

 なんとも明るい未来の見えない鬱然とした日本社会の影の側面を照射する続く展開の末にひらけるのは、決然たるヒーローとなった架がみちびく『傲慢と善良』の結末か、「70点ってなんじゃー!」と荒ぶるヒロインとなった真実がみちびく『ゴー善』の結末か。あなたは果たして、どちらのエンディングを選ぶでしょうか。

 要するに、「人間なんてそんなに簡単に変身できるものだろうか」とややシニカルに解釈し直したのが『ゴー善』の架像だったと思うのです。それもそれで一つの考え方かとは思うのですが、ちょっと『傲慢と善良』の架とは別人すぎるような気もしますよね。演じた藤ヶ谷さんがちと不憫……

 あとこれも言っておきたいのですが、辻村ワールドならではの共有世界システムで『傲慢と善良』以外の作品にも登場している「谷川ヨシノ」という重要人物が、『ゴー善』では名前こそ同じものの全く別人になっていたのは、やはりちと残念でした。
 いや、近所のみかん畑に顔を出しただけで真実に「なんで来たんですか!?」ってビックリされるって、どんだけ行動力が低いんですか……谷川ヨシノさんとは天と地ほど、サラブレッドとなめくじほどの差のあるお人になっていましたね。


 ま、そんなこんなでいろいろくだくだと申しましたが、今回の映画版『ゴー善』は、出演俳優の皆さんの演技こそ素晴らしかったものの(特に前田美波里さんが頭3つくらいズ抜けて最高でした)、やはり後半のオリジナル展開に首を傾げざるを得ない点があったことが引っかかってしまいました。原作小説に真っ向から別案を提示するのならば、作者の了解は当たり前のこととしても、原作に対抗しうる頑丈な別構造を持ったプランを練り上げてほしいですよね。キューブリック監督の『シャイニング』ほどとは申しませんから……

 あ、でも! チョイ役ながらもかなり重要な役に、あの映画『太陽の坐る場所』にも出演していた森カンナさんが出ていたのは良かったねぇ! 映像版の辻村ワールドの常連になるつもりなんですか、カンナさーん!? いい覚悟の決まり方ですね。


 いや~でも、「70点」って、そんなにぐじゃらぐじゃら言うほど問題のある点数なんですかね……と、人生のあらゆる局面において赤点を叩きだし続けておるわたくしが申しております。いいじゃん、70点! もちろん、人を評価する時に出すべき点数ではありませんけどね。
 70点、別にいいですよねぇ。『信長の野望』シリーズの武将でいったら「黒田長政」とか「細川忠興」、「秋山信友」とか「佐々成政」くらいのクラスでしょ。全然いいじゃん! 役に立ちまくりですよ。「藤堂高虎」もいいですよね、裏切りが怖いけど。

 私が大好きな足利義昭公なんか、最近の統率力はだいたい「20~30点」よ!? 生きてるだけでいいの!! それどころか、全体的な能力値が驚異の「ひとケタ~10点台」の今川氏真でだって、天下統一はできるんだぜ!!

 70点でうだうだ言ってる場合じゃないよ! 加点してけ加点してけ~!!

 そもそも論、ワケのわかんない心理テスト、滅ぶべし!! あんなん、根拠もなにも……なんだっけ、アレ、ホラ、エビとかカニみたいな、なんか今ふうの言い方の……アレがないんだからぁっっ。
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