鬼束ちひろ『眩暈/ edge 』(2001年2月リリース 東芝EMI )
『眩暈(めまい)/ edge 』は、鬼束ちひろ(当時20歳)の4thシングル。作詞・作曲は鬼束ちひろ、編曲は羽毛田丈史。1stアルバム『インソムニア』(翌3月リリース)の先行シングルとしてリリースされた初の両 A面シングル。デビューからちょうど1周年目にリリースされた。
CD-EXTRA 仕様で、オリジナルのスクリーンセーバー、『シャイン』の TVスポット、『月光』のプロモーションビデオの一部、『 Cage 』の TVスポットが収録されている。
オリコンウィークリーチャートで最高6位を記録した。
収録曲
1、『眩暈』(5分7秒)
バラードで、『月光』と並ぶ代表曲とされる。「優れた歌唱と同時に、男女の間に潜む亀裂を、別れを切り出しかねている女の立場からモノローグする詞のユニークさによって広く同世代の共感を得ている。」という選考理由により、第43回日本レコード大賞作詩賞を受賞した。また、この楽曲で音楽番組に出演した際から裸足で歌うようになる。
2、『 edge 』(4分34秒)
・全国東映系公開映画『溺れる魚』(2001年2月 監督・堤幸彦)主題歌
もともとはデビュー前に作られていた楽曲で、英語詞だったものを日本語詞に書き直している。プロモーションビデオは、堤幸彦の監督作品ということでも話題を呼んだ。堤はこの楽曲について「バランスを失って倒れる瞬間を捉えたような歌詞である。」とコメントしている。
いよいよ本格的となった「羽毛田丈史ソロプロデュース体制」の始まりを告げる作品で、かつ、翌月に満を持してリリースされる初アルバムの先行シングルというかたちになっております。
そして、「2曲ともあたたかい曲調」という、鬼束シングルにしては非常に珍しい構成も、この4thシングルが初めてなんですね。そんなにアゲアゲっていうわけでもないわけなんですが。
ただ、例によって歌の中で語られる状況は微妙に本人(一人称の人物)の望みどおりにいっているのではないらしく、2曲とも本人が愛していると思われる「あなた」という存在が色濃く投影されているものであるのですが、すぐ近くにいるらしいその「あなた」当人の描写はかなりそっけなく、「あなた」にかんする想いのひとり語りが中心というかたちになっていますね。やっぱり「あたしの心象風景」か! この、他者を寄せつけない結界というか……A.T.フィールドが第14使徒ゼルエルなみに徹底してますねぇ。
そうか、『眩暈』は一人称のほうから「あなた」に別れを告げようとしているからこそ、ここまで平安なメロディの中でやすらかに唄われている曲だったのか。「あなた」のことを忘れられない、「あなた」から逃れられないと告白している割には、『月光』ほどの感情の揺さぶりがないのは、それだけ一人称が成長したから?と考えていたのですが、「あなた」との別れのかたちが全く違うものだったからなんですね。
それに、実際の歌詞世界の中に「あなた」が登場している、一人称の目の前に確かに「あなた」の「ひざ」「腕」「声」「背中」が存在しているという、これまでの作品史上初めての状況であるのに、一人称の思索がおもいっきり突っ走ってしまっているがために、その中に登場する「あなた」は明らかに実像ではない「予想される未来にまとわりついてくる」亡霊になってしまっているんですよね。
ここ! 生きている者が生きてない「未来の亡霊」に押しのけられちゃっているという不可思議な逆転現象! これがおもしろいんですよねぇ。だからこそ、一人称は「あたし、なに考えてるんだろ?」と混乱して「眩暈」におちいるのではないのでしょうか。まったく本体の見えてこない、「ひざ」とか「腕」とか「背中」だけがフワフワした亡霊がうろつく観念ワールド。こわ~い。
ただ、この錯乱っぷりを「考えすぎ!」とか「やっぱ不思議ちゃんは思考回路がちがうねぇ。別に今しあわせなんだからいいじゃないの。」と切り捨てるのは簡単ですが、こういう「目の前のものを見ていない状態」というか、「現在の平穏を観て未来の終わりを恐れる」感覚を、今まで生まれてこのかた一度も経験したことがないという幸福な人は、そうそういないでしょう。
つまりこの『眩暈』のオリジナリティは、「女性からの別れ歌」という点だけにあるのではなく、男性だって無論のこと共感することのできる「未来へのおそれ」を明確にそのキャンバスにとらえきっているという、描写力の精密さにあると思うのです。確かに、相変わらず語っていることがあいまいで人間らしい他者が不在な作品世界ではあるのですが、「語る対象がボンヤリしているんだからしかたない」ということで、他のどの作品よりもボンヤリしていることに説得力のあるのが『眩暈』の世界なのである、という結論に達したのでありました。
そうそう、『眩暈』はべつに「あなた」と別れることが前提にはなってないですもんね。別れる可能性がある未来のことを感じている段階なんですから。
こういう、表面上はまったくなにも起きていない現実の中から、心もようのわずかなさざめきを見事にすくいあげて共感を呼ぶ作品に昇華させる、鬼束ちひろ20歳(当時)……末恐ろしい才能といわずにはおられないでしょう。それがいったい、どのような変遷を経て現在にいたるのか……人生はドラマよりも奇なり、ですねぇ!
いっぽうの『 edge 』は、さすが初の両 A面シングルなだけはあるといいますか、非常にすてきな曲で、私個人は『眩暈』よりもこちらのほうが好きなくらいです。『眩暈』は歌詞世界は大好きなんですけど、間奏で唐突にケルト音楽っぽい笛の合いの手が入ったりして、全体的にあざとい印象があるんですよねぇ。無理に着飾って体裁をととのえたみたいなよそいき感があるんです。
それに比べて『 edge 』は、前に出る派手さはないんですがリラックスしたやわらかさがあって、サビの部分でも鬼束さんがごくごく自然な流れで声量をあげている説得力があるような気がするんです。
内容は、こちらこそが本格的に「あなた」との別れを経験した後のひとり語りになっているようなのですが、「行かないで」「あなたなしじゃ全て終わればいいのに」と告白しているのにも関わらず、曲調がまったく悲観的でなく、むしろ「あなた」がいない世界で生きていくために新生する決意を強く感じさせる、静かに熱い作品になっているのがすばらしいと思うんですよね。
「片付いた部屋」と、(本人はどこかで生きているのだとしても)亡霊になった「あなた」が、まったく一人称を束縛する力を持っていない過去の遺物になっていることと、それをまるっと捨てていけるパワーを持つ一人称のカッコよさがきわだつ名作だと思います。
まさに、『眩暈』の繊細さを持ち、『月光』の悲しみを経験したからこそ生まれた、『 edge 』の力強さ。いいですねぇ~。こういう、つながっていないようでつながっているほのかな関係が、羽毛田プロデュース時代の「あいまいな歌詞世界」を読み解く楽しみを豊かにしているのではないのでしょうか。深くしようと思えばいくらでも深掘りできる浅さ。失礼を承知の上で言わせていただけるのならば、鬼束さんがプロの作詞家になった、初めてのシングルだと思います。みごとに一皮むけました!
さぁ、こういった感じで「浅いですが、なにか?」というたくましさを持ってきた鬼束さんの待望の1stアルバムが、4thシングルまでを世に出した時点でついに完成するわけなのです。どんなことになっているのでしょうか!?
この時点で20歳か……若いねぇ~! 鬼束さんとほぼ同年の私も、若かったねェ。
『眩暈(めまい)/ edge 』は、鬼束ちひろ(当時20歳)の4thシングル。作詞・作曲は鬼束ちひろ、編曲は羽毛田丈史。1stアルバム『インソムニア』(翌3月リリース)の先行シングルとしてリリースされた初の両 A面シングル。デビューからちょうど1周年目にリリースされた。
CD-EXTRA 仕様で、オリジナルのスクリーンセーバー、『シャイン』の TVスポット、『月光』のプロモーションビデオの一部、『 Cage 』の TVスポットが収録されている。
オリコンウィークリーチャートで最高6位を記録した。
収録曲
1、『眩暈』(5分7秒)
バラードで、『月光』と並ぶ代表曲とされる。「優れた歌唱と同時に、男女の間に潜む亀裂を、別れを切り出しかねている女の立場からモノローグする詞のユニークさによって広く同世代の共感を得ている。」という選考理由により、第43回日本レコード大賞作詩賞を受賞した。また、この楽曲で音楽番組に出演した際から裸足で歌うようになる。
2、『 edge 』(4分34秒)
・全国東映系公開映画『溺れる魚』(2001年2月 監督・堤幸彦)主題歌
もともとはデビュー前に作られていた楽曲で、英語詞だったものを日本語詞に書き直している。プロモーションビデオは、堤幸彦の監督作品ということでも話題を呼んだ。堤はこの楽曲について「バランスを失って倒れる瞬間を捉えたような歌詞である。」とコメントしている。
いよいよ本格的となった「羽毛田丈史ソロプロデュース体制」の始まりを告げる作品で、かつ、翌月に満を持してリリースされる初アルバムの先行シングルというかたちになっております。
そして、「2曲ともあたたかい曲調」という、鬼束シングルにしては非常に珍しい構成も、この4thシングルが初めてなんですね。そんなにアゲアゲっていうわけでもないわけなんですが。
ただ、例によって歌の中で語られる状況は微妙に本人(一人称の人物)の望みどおりにいっているのではないらしく、2曲とも本人が愛していると思われる「あなた」という存在が色濃く投影されているものであるのですが、すぐ近くにいるらしいその「あなた」当人の描写はかなりそっけなく、「あなた」にかんする想いのひとり語りが中心というかたちになっていますね。やっぱり「あたしの心象風景」か! この、他者を寄せつけない結界というか……A.T.フィールドが第14使徒ゼルエルなみに徹底してますねぇ。
そうか、『眩暈』は一人称のほうから「あなた」に別れを告げようとしているからこそ、ここまで平安なメロディの中でやすらかに唄われている曲だったのか。「あなた」のことを忘れられない、「あなた」から逃れられないと告白している割には、『月光』ほどの感情の揺さぶりがないのは、それだけ一人称が成長したから?と考えていたのですが、「あなた」との別れのかたちが全く違うものだったからなんですね。
それに、実際の歌詞世界の中に「あなた」が登場している、一人称の目の前に確かに「あなた」の「ひざ」「腕」「声」「背中」が存在しているという、これまでの作品史上初めての状況であるのに、一人称の思索がおもいっきり突っ走ってしまっているがために、その中に登場する「あなた」は明らかに実像ではない「予想される未来にまとわりついてくる」亡霊になってしまっているんですよね。
ここ! 生きている者が生きてない「未来の亡霊」に押しのけられちゃっているという不可思議な逆転現象! これがおもしろいんですよねぇ。だからこそ、一人称は「あたし、なに考えてるんだろ?」と混乱して「眩暈」におちいるのではないのでしょうか。まったく本体の見えてこない、「ひざ」とか「腕」とか「背中」だけがフワフワした亡霊がうろつく観念ワールド。こわ~い。
ただ、この錯乱っぷりを「考えすぎ!」とか「やっぱ不思議ちゃんは思考回路がちがうねぇ。別に今しあわせなんだからいいじゃないの。」と切り捨てるのは簡単ですが、こういう「目の前のものを見ていない状態」というか、「現在の平穏を観て未来の終わりを恐れる」感覚を、今まで生まれてこのかた一度も経験したことがないという幸福な人は、そうそういないでしょう。
つまりこの『眩暈』のオリジナリティは、「女性からの別れ歌」という点だけにあるのではなく、男性だって無論のこと共感することのできる「未来へのおそれ」を明確にそのキャンバスにとらえきっているという、描写力の精密さにあると思うのです。確かに、相変わらず語っていることがあいまいで人間らしい他者が不在な作品世界ではあるのですが、「語る対象がボンヤリしているんだからしかたない」ということで、他のどの作品よりもボンヤリしていることに説得力のあるのが『眩暈』の世界なのである、という結論に達したのでありました。
そうそう、『眩暈』はべつに「あなた」と別れることが前提にはなってないですもんね。別れる可能性がある未来のことを感じている段階なんですから。
こういう、表面上はまったくなにも起きていない現実の中から、心もようのわずかなさざめきを見事にすくいあげて共感を呼ぶ作品に昇華させる、鬼束ちひろ20歳(当時)……末恐ろしい才能といわずにはおられないでしょう。それがいったい、どのような変遷を経て現在にいたるのか……人生はドラマよりも奇なり、ですねぇ!
いっぽうの『 edge 』は、さすが初の両 A面シングルなだけはあるといいますか、非常にすてきな曲で、私個人は『眩暈』よりもこちらのほうが好きなくらいです。『眩暈』は歌詞世界は大好きなんですけど、間奏で唐突にケルト音楽っぽい笛の合いの手が入ったりして、全体的にあざとい印象があるんですよねぇ。無理に着飾って体裁をととのえたみたいなよそいき感があるんです。
それに比べて『 edge 』は、前に出る派手さはないんですがリラックスしたやわらかさがあって、サビの部分でも鬼束さんがごくごく自然な流れで声量をあげている説得力があるような気がするんです。
内容は、こちらこそが本格的に「あなた」との別れを経験した後のひとり語りになっているようなのですが、「行かないで」「あなたなしじゃ全て終わればいいのに」と告白しているのにも関わらず、曲調がまったく悲観的でなく、むしろ「あなた」がいない世界で生きていくために新生する決意を強く感じさせる、静かに熱い作品になっているのがすばらしいと思うんですよね。
「片付いた部屋」と、(本人はどこかで生きているのだとしても)亡霊になった「あなた」が、まったく一人称を束縛する力を持っていない過去の遺物になっていることと、それをまるっと捨てていけるパワーを持つ一人称のカッコよさがきわだつ名作だと思います。
まさに、『眩暈』の繊細さを持ち、『月光』の悲しみを経験したからこそ生まれた、『 edge 』の力強さ。いいですねぇ~。こういう、つながっていないようでつながっているほのかな関係が、羽毛田プロデュース時代の「あいまいな歌詞世界」を読み解く楽しみを豊かにしているのではないのでしょうか。深くしようと思えばいくらでも深掘りできる浅さ。失礼を承知の上で言わせていただけるのならば、鬼束さんがプロの作詞家になった、初めてのシングルだと思います。みごとに一皮むけました!
さぁ、こういった感じで「浅いですが、なにか?」というたくましさを持ってきた鬼束さんの待望の1stアルバムが、4thシングルまでを世に出した時点でついに完成するわけなのです。どんなことになっているのでしょうか!?
この時点で20歳か……若いねぇ~! 鬼束さんとほぼ同年の私も、若かったねェ。