長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

緊急提言 モバゲータウンCMの戸田恵梨香さんはコワい

2010年08月31日 07時04分57秒 | すきなひとたち
 おはようございます。最近、夜が確実に寒くなりつつあることに夏の終わりを感じているそうだいです。いや、この夏はもう終わると感じさせてほしい! でも、今日も太陽はまぶしいんでしょうね……
 皆さん、TVのCMは好きですか?
 ずいぶんとおおざっぱな質問から始めたもんですが、私はCMが大好きです。基本的にTVをつけて横目でチラチラ見ながら、パソコンをいじる、服をたたむなどの「ながら見」をしていることが多いので、特に何か見たい番組があるわけでもないのですが、家にいる時はなんとなくTVをつけています。むしろ近頃は好きな番組もほとんどなくなってしまいまして、TVを見ることだけに集中している方が私の場合は少ないです。そんな感じのTVのつけ方をしていると、だいたい15秒くらいで言いたいことを言ってくれるわかりやすさからなんでしょうか、CMのほうが好きになっちゃうんですね、私は。
 もう一つ、CMが大好きなのは、15秒くらいの短時間のうちにどのくらい私に興味を持たせたり、印象づけたり、何かを欲しくさせたりできるかという勝負みたいなことを、勝手に自分の中で想定する楽しみ方ができるからなんです。ほとんどのCMは耳で聞き流しているんですが、その中に、三時間流しているうちにたった一つだけでも、つい手を止めてTVの画面に見入らせてくれるようなCMがあったとしたら、それだけでもういいんですね! 「やられた! 負けちゃった~。」みたいな爽快な気持ちになれるんです。
 つい昨日のことなんですが、かなり久しぶりに、思わず画面を凝視してしまうほどに心を奪われたCMに出会ってしまいました。
 それが、女優の戸田恵梨香さんの出演している携帯ゲームの「モバゲータウン」CMです。ていうか、戸田恵梨香さんの表情です。
 現在「モバゲータウン」のCMは本当にいろんな種類のものが放映されているようなんですが、内容はすべて携帯ゲームのバラエティの豊富さを説明するというごくシンプルなもの。市原隼人さんが出ているものもそうなんですが、戸田恵梨香さんの出演するCMも、ゲームを楽しむ戸田恵梨香さんの表情を追うことに徹したものとなっています。その表情がすげぇんだ!
 戸田恵梨香さんが携帯ゲームでゲームオーバーになった時、そのかんばせに一瞬浮かぶ怒りといらだちの色が非常にコワいのです!
 一瞬、短いCMのカットなので本当に一瞬なのですが、その薄皮まんじゅうのように繊細な眉間には、マンガ『花の慶次』の上杉景勝もかくやというほどの深いしわが寄り、画面を見つめるつぶらな瞳は密林で獲物を見つけたピューマのような殺意に満ちたものとなり、ゲームに夢中になってしまっていたために軽くあいていた口からのぞく歯は吸血鬼のような「吸うぞこの野郎!」といわんばかりの白い狂気のきらめきを見せるのです……こわいよ!
 本当に、海のさざなみのようにわずかな一瞬のあいだに顔に浮かんだ表情なのですが、まぁ私はメロメロになってしまいました。ふだんはちょっと笑ったような眼が魅力的な戸田恵梨香さんだけに、この瞬間の変化は本当に怖いです……ちょっと見てみてよ奥さん。
 さっきから戸田恵梨香さん戸田恵梨香さんとフルネーム&さんづけで呼んでいるのですが、私から見ると戸田恵梨香さんは8歳も年下の娘さんです。でも、今回のCMのお仕事への最大限の敬意と「あんまり怖い顔しないで」というおびえをこめて、すべての表記を戸田恵梨香さんで統一させていただきました。
 なにかとグループアイドルが世間をにぎわせている昨今ですが、そんな時代だからこそ、お一人お一人それぞれの技量と根性で立ち向かっておられる女優の皆さんにはがんばっていただきたいんだなぁ! そう心から願うそうだいなのでした。
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そろそろキョンシーについての話をしよう

2010年08月30日 12時49分12秒 | ホラー映画関係
 皆さん、昨日はどんな一日でしたか? そうだいです。なんだか、私の町は今日もしんどい暑さになりそうです……キビシ~っ。
 小さなころってみんな、何か好きで好きでしょうがないものって、ありましたよね?
 もちろん、何か好きなものがあるという状態は、大きくなっても続いているのでしょうが、私の場合、好きなものを集めたり、遊んだり、飽きちゃってまた別のものが好きになっちゃうといった記憶がはっきり残っているのは小学生から中学生くらいまでのころで、それ以降になると、勉強や人間関係や仕事などで好き好きばっかりとも言っていられない生活になったためか、好きなものだけについての記憶はかなりボ~ンヤリとしたものになっちゃっています。
 そんな、「好きだ!」という感情の発散に集中できた小中学生のころに好きだったものは、現在の私の趣味嗜好にかなりの影響を与えているような気がするんですが、「三つ子の魂百までも」っていうことわざもあるくらいなんですから、やっぱり皆さんも同じでしょうかね?
 好きになっている対象自体は同じじゃないとしても、好きになるものに共通した条件があるとか、「同じものを集める」や「一つのモノにこだわる」などの好きになるなり方が同じであるとか。「好きになる」以外のこともそうなんでしょうが、幼い頃に身につけたルールというものは、意外と根強くその人の深い場所にあり続けているようです。それが個性というものなんでしょうかねぇ。

 西暦1986年。当時6歳だった私そうだいは、まさに取り憑かれたかのようにあるもののことしか考えていませんでした。はたから見ると「ほんとに好きなんだねぇ。」の一言で片づけられていたのかもしれませんが、冗談じゃない!! 私はその対象を、好きどころか非常に恐れ、そして憎んでいたのです。

 「キョンシーめ……来るなら来い! この村に来たら、俺がお前らの相手になる!」

 ……なんともはや、好きなんだねぇ。
 当時の日本では、前年に香港で製作され大ヒットしたアジアンカンフーホラー映画『霊幻道士(れいげんどうし)』(製作・サモ=ハン=キンポー 主演・ラム=チェンイン)がTVで放映され、その映画に登場した中国伝統の妖怪「キョンシー」のブームが巻き起こっていたのです。
 説明させてほしい! キョンシーとは、生前に大悪事を行った、あるいはこの世に強い未練を残して死んだ、はたまたあるいは呪術師の強力な呪いを受けたという人間が、死後に蘇って他の人間を襲うようになってしまうという、中国版の吸血鬼である。西洋の吸血鬼やゾンビにも言えることだが、キョンシーに血を吸われて死んだ人間も、お約束のようにキョンシーになって復活してしまうのだ!
 しかし、キョンシーはあの古典『西遊記』にも登場するような伝統ある妖怪なのですが、その実体はかなりあいまいで、「蘇る死体」という特徴の他は、さっきのキョンシーに襲われた人もキョンシーになるというあたりも含めて、ほとんどが映画をおもしろくするために付け加えられた新ルールだったんだそうです。例の「両手を前に突き出してピョンピョン飛び跳ねる」というキョンシー独特の動きも、「カチカチに死後硬直した死体が動き出すとしたら、こんな感じかな。」と考え出された、サモ=ハンさんあたりのアイデアなんですって。やっぱりデブゴンは偉大だ!!
 余談ですが、キョンシーの服装といえばあれ! と誰もが思い起こす、あの黒っぽくて胸にハデな刺繍がほどこしてある太巻きみたいな筒状の衣装は、映画の舞台となった20世紀初頭前後の中国では、死者が葬られる時に着せられることになっていた日本の白装束のようなもので、もともとはその時代の直前まで続いていた中国最後の帝国・清(しん)での官服(かんぷく 皇族・貴族・政治家・官僚などがフォーマルな場で着ていた制服)だったのだそうです。
 さらに余談ですが、キョンシー対策に頭を痛めていた同じころに、父がレンタルビデオ屋で借りてきた映画『ラストエンペラー』をわからないながらもチラ見して、私は北京の紫禁城に集まった何千人もの官服を着た人達が画面いっぱいに映し出されるシーンを見てあやうく失禁しかけました。
 「キョ、キョンシーがめちゃくちゃ大勢……これじゃあさすがのラム道士(『霊幻道士』の主人公 カッコいい!)でも勝てるかどうか……」
 そう戦慄しては、冒頭のキョンシー何千人問題にまったく触れずにたんたんと進んでいく『ラストエンペラー』にいきどおりを感じていたものでした。ガキンチョねぇ~!
 いやぁ、しかしなんでそんなにキョンシーに心を奪われてたんでしょうね。
 一つには、キョンシー映画が当時、TVをつければ毎日どこかで必ずやっているほど量産されて日本に輸入されていたこと。ブームの始まりとなった『霊幻道士』の他にも、同時期に台湾で製作されていた、かわいい少女テンテン(演・シャドウ=リュウ)の登場する『幽幻道士』シリーズや、日本語吹き替え版の奇跡的な暴走により神話の高みにまで達してしまったキョンシーブームのラフレシア級のあだ花『再来!キョンシーズ』……星の数ほどのキョンシーが蘇り、そして再び土へと還っていきました。
 もう一つは、キョンシーが私にとって生まれて初めて「身近に迫る恐怖」を感じさせてくれた存在であったこと。
 キョンシーそのものが怖いのではありません。キョンシー自体は、幽霊や怪獣のようにTVやスクリーンの中のモンスターとして割り切ることはできていたと思います。
 問題は! 両親や友だちなど、ついさっきまで一緒に平和に楽しく生活していた人たちが、キョンシーになったとたんに自分に襲いかかってくる怪物になってしまうことです。知っている人がキョンシーになった時、私は戦うことができるのか? それとも、何もできずに自分もキョンシーにされてしまうのか。逆に私がキョンシーになったら、まわりの人たちは私を殺そうとするのか(死んでるけど)……ここらへんがリアルに怖かった怖かった。
 キョンシーブームは所詮はブームでした。日本の田舎の片隅で虎視眈々とキョンシーを待ち受けるガキンチョをよそに、キョンシーたちは次第にTVから消えていき、再び故郷での永遠の眠りにつくことになります。
 しかし、私の中にキョンシーが遺していったものは数多くありました。何よりも想像する楽しみをおぼえるきっかけをつくってくれたわけですから。自分の嗜好の方向性を思い起こす時、私はいつも、あの頃に必死になって漢字をおぼえて、「勅命随身保命」という文句のキョンシー退治のお札を手書きでつくっていた半ズボンの自分を眼に浮かべるのです。
 まぁ、そんなこんなは抜きにしても、単純なカンフーホラーものとして、キョンシー映画はおもしろいんですよ! エンタテインメントとホラーのバランスがとれている名作が多いです。今度は『霊幻道士』をはじめとして、一作一作についての思い出をひもといていきたいですね。
  
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明智マイケル光秀の憂鬱 『信長 KING OF ZIPANGU』

2010年08月29日 00時57分18秒 | 日本史みたいな
 どうも~。いやぁ、相変わらずキビしい天気が続きますねぇ! そうだいです。
 皆さん、NHKの大河ドラマって観てますか? 今やってる『龍馬伝』、すごい人気ですね!
 私は日本の歴史全体が大好きなので、毎年手をかえ品をかえ放送している大河ドラマはなるべく観ることにしているのですが、劇団の稽古で放送時間に家にいなかったりすると、ついつい観そびれてしまっている今日このごろです。
 NHKの大河ドラマをどのくらい観ていたのかによって当然個人差も出てくるのでしょうが、誰かとお互いの記憶に残っている大河ドラマの話をするのって、楽しいですよね。何が楽しいって、それぞれの忘れていたことをおぎないあって思い出せたりするんです。「あぁ、そうだった、そうだった! よくおぼえてるねぇ!」みたいな感じで。
 まぁストーリーについての話もいいんですが、私が思うに、大河ドラマの話題で一番盛り上がるのは、配役についてのことなんじゃないでしょうか。
 ある意味で残酷なことでもあるんですが、大河ドラマの配役には、その作品の放映された年の芸能人の「旬」というものがハッキリと反映されていると思います。もちろん、旬すぎて忙しい方や、旬であっても大河ドラマに出演することを考えていない方は出てこないのでしょうが、国民的ドラマということもあって、たいていのその年を代表する顔が並んでくる感はあります。
 そして、1963年放映の第1作『花の生涯』以来、今年の『龍馬伝』をもって47年49作の歴史を持つ大河ドラマの中で、織田信長や坂本龍馬といった超のつく有名歴史人物が多くの作品でカブって登場してしまう以上、キャスティングというものは、各作品のオリジナルカラーをうちだす上で最も重要なポイントになってくるんだと思うのです、ハイ。
 実に多くの魅力あふれる作品を生みだしてきた大河ドラマなんですが、私の記憶の中で、ことキャスティングについて非常に強く印象に残った作品があります。
 それが、1992年に放映された大河ドラマ第30作『信長 KING OF ZIPANGU』(原作・脚本ともに田向正健)です。
 まず、キャスティングについて語る前に言いたいことがありまして、意外に思われるかも知れませんが、この作品は長い大河ドラマの歴史の中で、唯一の「織田信長が単独の主人公となっている」作品なんです。実はそれ以前1973年に放映された『国盗り物語』でも織田信長は主人公となっているのですが、この作品では前半の主人公が斎藤道三、後半が信長と明智光秀のダブル主人公となっているため、信長だけが主人公ということはありませんでした。
 高橋英樹、藤岡弘、役所広司、石橋凌、そして最近では渡哲也、反町隆史、舘ひろし……まぁそうそうたる面々が織田信長を演じて、他の人が主人公となっている作品に華をそえてきました。その信長がついに主人公になった! いったいどんなにおもしろいドラマになるのかしら? しかも、サブタイトルが「KING OF ZIPANGU」だってんだから、大きく出たねぇ! でも信長って、本州の3分の1しか統一できなかったんじゃ……モゴモゴ。
 そういった大きな期待の中で製作された『信長 キンジパ』(すみません、勝手に略しました)なんですが、問題のキャスティングは、まさにその時の「旬」をそのままの新鮮さでお届けするものとなりました。カッコの中の年齢は、1992年当時のものです。

 主人公・織田信長    ……緒形 直人 (25歳)
 信長の正妻・帰蝶(濃姫)……菊地 桃子 (24歳)
 信長の妹・お市     ……鷲尾 いさ子(25歳)
 信長の乳兄弟・池田恒興 ……的場 浩司 (23歳)
 信長の家来・羽柴秀吉  ……仲村 トオル(27歳)
 秀吉の奥さん・ねね   ……中山 美穂 (22歳)
 やせすぎてる徳川家康  ……郷 ひろみ (37歳)
 顔が濃すぎる明智光秀  ……マイケル富岡(31歳)
 妙にいろっぽい信長の母 ……高橋 惠子 (37歳)
 その母の不倫相手    ……平 幹二朗 (59歳)

 どうですかお客さん、この陣容! 高橋さんと平幹さんはおいといて、かなりフレッシュ&タイムリーなキャスティングですよね。ひろみGOさんは確かにちょっとだけ年上ですが、当時の画面を見る限り、史実通りに直人信長より年下だと言い張っても全然無理のない若さをたもっていました。
 ところで、ここで私が一番注目したいのは、明智光秀を演じたマイケル富岡さんです。
 史実上、明智光秀の生まれた年は諸説あってはっきりしていないのですが、有力ないくつかの説の中で最もおそいのは、1528年なのだそうです。
 ……アレ待てよ? 織田信長が本能寺の変で光秀に殺されたのが1582年で、その時は信長は49歳だったんだから……え、明智光秀って、本能寺の変の時にはどう若く見積もっても55歳(数え年)だったの!?
 現在の感覚での55歳じゃありません。「人間50年」と言われていたころの55歳なんですから、「敵は本能寺にあり!」と叫んだ光秀は、かなりのジジイだったことになります。
 最近はその辺のこともくみとっているのか、一時期よく言われていた「光秀は誰かにそそのかされて本能寺の変を起こした」という説はなりをひそめており、もっぱら「天下を取れるラストチャンスがきたと判断した光秀の単独犯行」説が主流となっています。うん、わかりやすいことはいいことだ!
 ところが、『キンジパ』のマイケル光秀は、そんな野望に燃えた爺さんを演じるにはあまりに若すぎました。ここも当時の時代というものなのかもしれませんが、『キンジパ』での光秀が信長を襲った理由とは、天下統一の野望ではなくなんと、

 「上司(信長)の期待があまりに大きかったために、それがプレッシャーになってノイローゼになっちゃったから……」

 だったんです。おおい!! あんたそれでも戦国武将か!? 何十年も乱世を生き抜いてきたにしては、あまりにチキンな動機じゃありませんこと!? そんなんじゃあ、殺された信長さんも本物の光秀さんも、草葉の陰で仲良くズッコケちゃうよ!
 ……要するに、当時は企業の中での「過労死」が社会問題化していたんですね。
 マイケル光秀に限らず、『キンジパ』の主要キャストのフレッシュさは、それぞれの役が物語の中で年をとっていくにつれてなんだかマイナスになってしまったようで、後半になればなるほど、本来はコマーシャルなどで元気に笑っているはずの皆さんがどんどん暗いしゃべり方になっていくという印象が私には残りました。ムリしておじさんおばさんをやっている、みたいな。演技で「年齢を重ねる」って、なんなんでしょうね!
 ただし、「史実に合わない」とか「ドラマが暗い」とかいった問題は関係なく、最終回で信長とともに炎上する本能寺を眺めてマイケル光秀がつぶやいたセリフは、なんだか妙にリアルな実感がこもっていて、私の心にズシリときました。大河ドラマ史上に残る名セリフだと思います。

 「これで、眠れる……」

 これって、光秀だけじゃなくて、製作に関わった人全員の言いたかったことなんじゃ……
 そんなこんなで、今日はここまで!
 アテブレーヴェ、オブリガード!  
  
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なんとなく家宝シリーズ アンディ=ウォーホルの画集

2010年08月28日 05時55分37秒 | 愛すべきおっさんがた
 どもども。そうだいです。昨日はどんな日でしたか?
 私は昨日、阿佐ヶ谷のギャラリーに行って、イラストレーターの韮沢靖さんの個展を観てきました。
 韮沢さんの個展に行くのは初めてだったのですが、今回のテーマは「Villains(ヴィラン 悪役)」ということで、『仮面ライダー』シリーズの改造人間や『バットマン』のジョーカーなどといった東西の名悪役の方々が、韮沢さん一流のアレンジでまた違った魅力を持つものになっていました。私は『エルム街の悪夢』のフレディの作品が特に好きでしたね。原典の雰囲気と韮沢さんの持つ味わいが見事に同居したいい構図でした。今年やっていたリメイク版に爪ナイフの垢でもせんじて飲ませてやってくださいよ、韮沢さんのフレディ!
 さて、今回は「絵」ということにからめて、私の家に置いてある「なんとなく家宝」を紹介してみたいと思います。第2回の今日は、「アンディ=ウォーホルの画集」です。
 アンディ=ウォーホル……なんかもう、アートの王道って感じなんですが、皆さんはお好きですか? あの、人とか物とかの写真を何種類かのインクで着色したやつ。缶詰の「キャンベルスープ」とか、マリリン=モンローの顔写真なんかが有名ですよね?
 私ねぇ、ベタなんですが、ウォーホルが大好きなんですよ! ウォーホルの何が好きかって、その題材に選ぶものの節操のなさ。
 私が持っているウォーホルの画集は、10年ほど前に千葉の川村記念美術館でやっていた特集展示のカタログなんですが、活動初期の1954年から急死直前の86年までおよそ250点の作品が網羅されていて、有名な作品はあらかた載っているというスグレモノです。しっかしまぁ、これを眺めているとハリウッドスターから政治家、靴から死体と、次から次へとおもちゃ箱のようにポンポンとお題が飛び出してきます。まさにポップ! その当時のウォーホル、というよりはアメリカ人が興味を持って飛びついた話題が、そのまんまゴテゴテした着色料たっぷりの砂糖シロップをかけられて永久保存されている、といったふぜいでありましょうか。
 ウォーホルのとった作画方法はシルクスクリーンといって、簡単に言えばプリントゴッコ(若い人、知ってる!? あの年賀状のヤツよ)と同じ版画の一手法。しかもウォーホルは主に写真のネガを使って作品を製作していたのですから、彼自身の個性は配色くらいにしか出ないはず。絵筆でゼロから有を創りあげていくそれまでの芸術とはまったく異質のものです。
 それなのに! ウォーホル個人の個性なんか消えていてもいいはずの作風なのに、どの作品を観ても、隅から隅までぜ~んぶウォーホル印! ひと踊りしたあとのスペインのフラメンコダンサーの衣装のように、彼のかおりが濃厚にただよってくるものばっかりなんです! むせかえる……
 おもしろいです。何回見返しても飽きません。アンディ=ウォーホルというと、亡くなってからすでに四半世紀がたとうかとしていますが、いまだに作品よりも生前の彼自身の生活が取りざたされることが多いです。いわく「アングラの帝王」、「消費社会の申し子」、「セレブのお抱え画家」。いってみれば画集に収録された作品の数々は、当時のアメリカ人を熱狂させた天才マジシャンの使っていた、手品の小道具だったのかもしれません。でも、いや、だからこそ! それらの使い古された小道具たちは、あるじを失って存在する意味を失えば失うほど、他のアート作品にはない不思議な輝きを増していくのではないのでしょうか。

 「僕のことを知りたければ、僕の作品の表面だけを観てください。裏側にはなにもありません。」 アンディ=ウォーホル

 うわ~、『知ってるつもり』みたい! ……って、若い人は知らないよね。象印カムバーック!

 
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第3使徒サキエル颯爽登場 Q

2010年08月27日 11時25分47秒 | エヴァンゲリオン使徒大行進
 《第3使徒サキエル颯爽登場 これまでのあらすじ》
  ついに日本の地を踏んだサキエル。人類が選ぶ道は破滅か、勝利か? ていうか、そうだいは今回でちゃんとサキエル検証をまとめられるのか!?

 過去において数多くの特撮作品に登場した怪獣たち同様、たいていの兵器がまったく通用しない第3使徒サキエル。業をにやした国連軍は、保有している中で最強の威力をほこる「N2(エヌツー)兵器」の使用を決断します。
 N2兵器とは、簡単に言えば「放射能を拡散させない核兵器」。町一つ吹っ飛ぶくらいのモノをブッ放すというのですから、国連軍もなりふりかまっていません。
 国連軍の狙い通り、第3新東京市の目前でN2兵器を埋めた地雷をうっかり踏んでしまったサキエルですが、全身がちょっと溶けて仮面みたいな顔にヒビが入った程度の被害ですみ、いったんその場に立ち止まってケガの治療に専念するという判断をします。
 切り札のN2兵器でも死なないとは……! ここにいたって国連軍の攻撃は完全な手詰まりとなりまして、いよいよ、使徒との戦闘を目的に組織された特務機関ネルフの初の実戦登板となるわけなんですね。待ってました!
 そして、その期待の星ネルフの保有する秘密兵器というのが、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンなのです! ここまで長かった長かった!
 ところがギッチョン、このエヴァンゲリオンというものは、兵器としては致命的な欠点がありまして、乗るパイロットが相性のあう14歳の少年少女でないとピクリとも動かないんです。よくもまぁ、そんなものを人類最後の頼みの綱にしたもんだ……とにかく、この時点で実戦投入できるエヴァンゲリオンは、ネルフの保有する2体のうちの片方、紫ボディの初号機のみ。でも、初号機を操縦できるはずのパイロットは、たったいま第3新東京市にやってきたばかりの中学生男子! 大丈夫か? サキエルがまた動き出すまで、初号機を操縦できるようになれんのか!?
 こんなギリギリの状況下なんですが、ネルフはわりと冷静な態度で、あまりの急展開におびえきっている中学生男子をこんな感じで説得します。
 「悪いことは言わないからとりあえず乗ってみて。俺たちも初めてだからよくわかんないんだけど、たぶんなんとかなるから。」
 乗れるかァ!!
 ところが、実はこのアニメの主人公でもある中学生男子は、「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……」とつぶやきながらエヴァンゲリオン初号機に乗ることに同意します。いい人すぎるのか、よっぽど自分の運に自信があるのか? いずれにしろてぇした根性だ。
 さてそのころ、日が暮れたころに自己修復を完了させたサキエルは再び歩きだし、ついに同深夜、第3新東京市に到達します。修復後のサキエルは、N2地雷で割れた顔の上にスペアの顔が出てきてななめにかぶさっているという外見の変化があります。簡単に言うと、お祭りで買ったお面を頭につけていい感じに酔っぱらってる大槻ケンヂみたいなメイクをしたロッカーといったふぜいでしょうか。ライブがうまくいったのがよっぽどうれしかったのか、目からビームを出して地上の第3新東京市を盛大に破壊しはじめます。サキエルをはじめ、使徒のほとんどは鳴き声も滅多に出さない無口さんなのですが、ここからはサキエルの心中思惟を妄想させていただきたいと思います。
 「俺が行きたいのはここの地下なんだけど、どうやったら行けるかわかんねぇやチキショーイ!」 ドカーン! ボゴーン!
 さぁ、そこに「待てーい!」とばかりに登場したのがエヴァンゲリオン初号機!
 「ん? なんだお前は。全身ムラサキとは……グラムロック好きですか?」
 「……」
 サキエルと対峙したのはいいものの、まったく動こうとしない初号機。それもそのはず、コックピットの中学生男子はまともな操縦法を聞く時間もないまま乗せられた状態です。なんとか初号機を一歩踏み出させるので精一杯。モニターでそれを見たネルフの技術主任は「動いた!」と喜ぶしまつ。それで勝てるのか?
 「クララかお前は。無視ですか……俺もナメられたもんだ。」
 言うまでもなく、前半の闘いはイラッときたサキエルのワンサイドゲームとなります。そりゃ初号機は動けないんですからね。初号機の頭にアイアンクローをかけ、手のひらからズゴンズゴン繰り出す光の槍の攻撃で初号機の右眼をツブすサキエル! 初号機はブシューッと大出血。もはや中の男子中学生の安否は不明。
 技術主任「ダメか……」
 そりゃダメでしょ! いったいどういうつもりで来たばっかりのただの中坊をのっけたのか……
 と思いきや、突然ものすごい形相となって左眼をギラつかせ、ウオオォ~ン!! とおたけびをあげる初号機。キレた! これが『新世紀エヴァンゲリオン』名物の一つ、「暴走」なんですねぇ、ハイ。初めての暴走にビビるサキエル。
 「あれ、さっきとぜんぜん感じが違ってませんか……あ、スンマセンスンマセン! なんか俺も最初の闘いだったんで、調子こいてたっつつうか……次からは気をつけます!」
 初号機「安心しろ。お前に次はない。」
 「あら、ショック~。」
 さしものサキエルも、完全に眼がイッている主人公ヒーローには勝機がありません。目からビームも役に立たず、初号機にボコボコにされてしまいます。形勢逆転! のびて動けなくなったサキエルにマウントし、そのおなかにある赤いボールのような部分を集中攻撃する初号機。
 「あ、そこやめてください! そこはコアっていって、やられたらヤバいとこなんす!」
 ガツン! ガツン! ついにヒビが入ってしまうサキエルのコア。
 「聞いてねぇし。だめだこりゃ……じゃあ自爆すっか。遠くで祭ばやしが聞こえるぜ……」
 瞬間、巨大なねりケシのような塊になって初号機を包み込み、大爆発をとげるサキエル。初号機は無事なのか!?
 当たり前ですが無事でした……主人公だもんね。ごうごうたる火柱を背に、余裕のゆうちゃんで歩いてくる初号機。かくして、記念すべき最初の刺客・第3使徒サキエルの闘いは終わったのです。

 総じて、第3使徒サキエルの役割は、『新世紀エヴァンゲリオン』という物語の説明、数多くの「謎」の提示をスムースに行うことに徹している、いわばガイドのようなもののようです。デザインはなかなか斬新なサキエルなんですが、行動は非常にオーソドックスな怪獣そのもので、大暴れして主人公と闘いそして敗れるというもの。
 それだけやることのわかりやすい使徒に対して、正体不明な不気味さがあるのはむしろ主人公サイドの方です。ネルフはどうやら、むりやり初号機に乗せた男子にパイロットとしての才能は最初から期待しておらず、初号機が暴走する引き金になってくれればそれで良かったようなのです。
 パイロットは選ぶは、血は流すは、暴走しておたけびをあげるは……エヴァンゲリオンは本当にただの兵器ロボットなのか、それとも……?
 まぁそんなこんなで最初の2話分、サキエルはいろいろと視聴者を夢中にさせるキーワードの連発を涙ぐましいまでの滅私ぶりでサポートしつづけ、華々しく散っていったのです。「初回に出てくる怪獣」の鑑だ、あんたは!
 のちに製作された『新劇場版・序』にも登場するサキエルなんですが、絵や画質がキレイになっているくらいで、流れはTV版とほとんど変わりません。10年たっても充分に通用する。それだけ完成された始まり方だったんですね。まさに感心の一言につきます。
 最後にちょっとだけ。この第3使徒サキエルは、『新劇場版・序』ではネルフに「第4の使徒」と呼ばれており、「第3」でも「サキエル」でもなくなっています。また謎かよ! もういいよ!
 この「第3」がなくなった理由は次の『新劇場版・破』で明らかとなり、「サキエル」がなくなった理由は……また次の機会に検証していくことにいたしましょう。

 ということで、一応まとまったぁ~! 3回にわたり長々とやってしまいました「サキエル編」。果たして次回はいつなのか、ていうか、やんのか? 待っておられる方がいらっしゃってもいらっしゃらなくても、私はやります。それが使徒の皆さんの供養になるのならば……
 ここまでつきあってくださったみなさまとサキエルさん、お疲れさまでした~!

  
 
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