どうもこんばんは! そうだいでございます~。みなさま、今日も一日、大変お疲れさまでございました!
5月ももうおしまいでございます。あっという間でしたねぇ。
結局、予告どおりに私のゴールデンウィークは非常に簡素なものとなりまして、山形市内にある「大の目(だいのめ)温泉」という旅館に行きまして、泊まらずに温泉につかってラーメンを食べて帰ってきました。これが、2015年のゴールデンウィークのすべて!! いったいなにがゴールデンだというのでしょうか。
大の目温泉は私の家から車で20分くらいの、山形市北部に位置するのですが、そのへんは流通センターといいまして、山形北インターチェンジやら、だだっぴろい多目的ホール施設の「山形ビッグウィング」やらにはさまれて、やたら輸送トラックの発着所が目立つ企業団地になっているのですが、ゴールデンウィークということで私が行った日は見事なまでに人っ子一人いない状態になっていまして、晴天の下だぁれもいない見知らぬ土地を、駐車した場所からタオルひとつ持ってふらふらと温泉に向かう、という実に味わい深い約5分間の旅は楽しめました。
というのも、そんな閑散とした土地の中にあっても、大の目温泉だけはさすがゴールデンウィークといった感じで駐車場がすでに満車空きなしの大賑わいとなっていまして、温泉旅館の大宴会場に出張営業している「有頂天」というラーメン屋さんが、ファミリー客の連続で猛烈フル回転の活況ぶりとなっていたのでした。みそラーメンがおいしかったですねぇ。
もっとも、お目当ての温泉自体は、岩風呂ふうの内湯がひとつだけといった実に古雅あふれるものとなっておりまして、10人も入ったらいっぱい……いや10人はムリかな、といった広さに、いかにもな白濁の湯が流れる温泉を、ほぼ1~2人で楽しむ、ぜいたくな時間を過ごさせていただきました。みんなラーメン食べるためだけにしか来てないのか!? いや、こういう温泉は人が少ないほうがいいんですよねぇ。
つかってみながらしげしげと見わたしてみると、記憶の縮尺にくらべていくぶん小さくなって入るのですが、確かにここ、私が小学生くらいのときに来たことがあるな、といったなつかしさがじわっと湧いてきまして、温泉のほかにも、そんなにタイルタイルしてなくても……と思ってしまうほどにタイル張りなトイレとか、マージャン卓くらいでしか見ないような毛足の短いカーペットが敷かれてて、本館と別館とで必ず50センチくらいの高低差のスロープがある廊下とか……とにかくノスタルジックな気分におちいってしまう罠が満載の大の目温泉でしたね。30年以上も生きてみると、まさしく「何を見ても何かを思い出す」って感じになってくるのねぇ。
まぁ、にしたって安上がりなゴールデンウィークになりましたわな。今年はこんなふうでいいんじゃないでしょうか。
来年のゴールデンウィークは、どこに行くんだろうなぁ。できれば泊りがけの旅を楽しめる余裕を掴み取っていたいのですが……それは2016年のみぞ知る、よね。
鬼束ちひろ『 Beautiful Fighter 』(2003年8月20日リリース 東芝EMI )
『 Beautiful Fighter(ビューティフル・ファイター)』は、鬼束ちひろ(当時22歳)の8thシングル。オリコンウィークリーチャートで最高9位を記録した。
CD-EXTRA として、3rdアルバム『 Sugar High 』収録曲の『声』のスタジオライブバージョンが収録されている。
収録曲
作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史
1、『 Beautiful Fighter 』(3分51秒)
カップリング曲『嵐ヶ丘』と共に、初めてピアノを使用しないロックサウンドに挑戦した楽曲。Cメロ以外が全て同じコード進行であることから、「繰り返しの美学」というテーマを取り、同時に「力を抜いて人生においてのエネルギーの循環を意識しろ」という裏のテーマもある。歌詞の内容も、相反する意味の英語の形容詞や名詞を組み合わせた、「矛盾」を基調に制作されている。
2、『嵐ヶ丘』(4分59秒)
鬼束本人は、もともとこの曲がシングルの A面になるものだと考えていたが、カップリング曲になり拍子抜けしたという。前作『 Sign 』のようにストーリー性のある楽曲で、本人曰く、「怪獣になってしまった主人公の、切ない、哀しい心情を歌った物語。切実感を強調していったらこういうスケールの大きい仕上がりになった」。タイトルは歌詞の世界観と響きからつけたため、イギリスの作家エミリー=ブロンテの長編小説『嵐が丘』(1847年)とは関係ないという。
いやぁ、こんなにドライブ向きな鬼束さん楽曲もあるのね! といった感じなのでありまして。
周知の通り、前作『 Sign 』からしばらくの数タイトルは、鬼束さんの声帯結節の治療あたりを発端とする諸事情により、オリジナルアルバムには収録されない、というか、オリジナルアルバムそのものがリリースされない事態におちいってしまったため、前々作『流星群』までの諸作に比べると、どうしても知名度の点で分が悪い印象がぬぐえません。そしてこの『 Beautiful Fighter 』も、2005年リリースの2ndベストアルバム『 SINGLES 2000-2003』までアルバム未収録という状態が続くのでありました。
でも、聴いていてつくづく思うのですが、2003年の時点での鬼束さんだけをまとめたアルバムが当時リリースされていたら、そりゃもうとてつもなくいい1枚になっていたんでしょうねぇ! ベストアルバムとなると、どうしてもデビュー当時の「歌い手はじめました。」っていう、いかにも若い数曲と一緒に並んじゃいますよね。そうすると、2003年の境地との差の大きさが悪目立ちしてしまうわけです。
それだけ、2003年の鬼束さんはものすごかったんじゃなかろうかと! 前作の『 Sign 』も、カップリングの『ダイニングチキン』を含めてすばらしい独自の世界を唄っていたわけなのですが、この『 Beautiful Fighter 』もいいんだなぁ、実に!
『 Beautiful Fighter 』は、聴いてわかるとおりに初の本格的ロックという仕上がりになっています。ただ、ロックっぽいテンポへの挑戦といった意味では、デビュー当時にすでにできあがっていたという、3rdアルバム『 Sugar High 』(2002年12月)収録曲の『 Tiger in my Love 』から始まっているわけでして、いよいよレパートリーのひとつとしてのアップテンポロックが本格始動、という感じでしょうか。
この曲を聴いて感じるのは、あくまでも飄々とした距離感を持って唄い上げる、鬼束さんのスタイルの強靭さです。強靭というか、ガンコと取ってもいいのかもしれませんが、享楽的でむちゃくちゃな世界を唄っておきながらも、自分自身は決してそこに埋もれることを良しとしない「醒めた視線」を持ち続けているんですね。心の底からはノッておらず、どこか「ここにいるはずじゃない」感を漂わせている。そこらへんに、同じような世界を唄っているようでいながらも、「あきらめてここで生きていこうやぁ。」と、片手に持った焼酎瓶をドンッと床に置き、あぐらをかいて潔くひらきなおるような味わいを生むようになった、後年の鬼束ワールドとはだいぶ違うクールさがあると思うんです。
そういう意味でこの『 Beautiful Fighter 』は、この後の鬼束さんの展開を予告するようでありながらも、明らかに『月光』付近の「この世界に居場所のない私」といったキャラクターの憂鬱を継承した、未来と過去をつなぐ重要な過渡期の実験曲になっているんですね。
ただ、そうやって道化師がおどけている隣に立って物憂げな調子を崩さないでいる鬼束さんがいいのか、後年のごとく、他ならぬご本人が道化師そのものになって必死に踊り狂っている鬼束さんがいいのか。そこはどちらを「美しい」と見るかで分かれるかと思います。
最初に、「問題なく当時アルバムが出ていたらすごかったのに」なんて言いましたが、2003年に予定通りにアルバムが出せなくなってしまう緊急事態に陥ってしまった、そのアクシデントがあったからこそ、いい意味でも悪い意味でも波乱万丈なそれ以降のスタイルは生まれたわけなのでありまして、2003年の鬼束さんはそれはそれで最高潮ではあったのでしょうが、そこを問題なく過ごしていたら、その次の境地には行けなかったのかも知れないし、ねぇ。
ともあれ、新ジャンルに挑みつつも、歌詞世界の主人公のスタンスや歌唱法において、そろそろ「越えるべき壁」のようなものが仄見えてきた感のある『 Beautiful Fighter 』なのでした。変則的なシャウトとか吐息を入れてみても、「やっぱりマジメだなぁ、この人。」っていうブレないまっすぐさがあるんですよね、どこか。
その一方でカップリングの『嵐ヶ丘』なんですが、これはもうど真ん中で羽毛田プロデュース作品といった感じで、やっぱりケルティックな合いの手も入れちゃったりしてますね。まさに、映画『007 スカイフォール』(2012年)のクライマックスの舞台にもなっていた、スコットランドの荒涼とした大地あたりが連想されそうな、『 Beautiful Fighter 』の喧騒とは対極の寂しさにあふれた名曲になっています。
対極も対極! だって、タイトルどおり『 Beautiful Fighter 』となぞらえられていた主人公が、『嵐ヶ丘』では「怪獣」になっちゃってんだもんね。何から何まで正反対な組み合わせですよ。わざと矛盾した言葉を並べ立てて内容を曖昧にしている『 Beautiful Fighter 』に比べて、主人公の視点が完全に固定してはっきりしている、という違いも明瞭にあります。
『嵐ヶ丘』の唄う物語もまた、例によって追想のイメージが並ぶ断片のつながりになっているのですが、どうやら主人公が、「あなた」の「裏切り」を認められずに「怪獣」になり、独りこの世界にとどまることを選択したらしい、という心境の流れが見えてくるような気がします。
それ自体は、もうこれ以上ないってくらいに鬼束ワールドな、定番の「主人公」と「世界」、そしていなくなってしまった「あなた」の三角関係の構図になっているわけなのですが、この『嵐ヶ丘』において注目したいのは、「ヒステリックな様を不自由に保つ」、「見おろす街」、「うつむき、それでも広がる世界」、「泣きながら返事をして」といった言葉の数々が絶妙に、いわゆる特撮作品に出現するような「怪獣」のイメージにリンクしている、という点でしょう。そうか、怪獣は「咆哮している」んじゃなくて、孤独に「泣いている」のか!
鬼束さん個人が特撮にどれだけ関心があるのかは知りませんが、不安定な主人公の心情をなぞらえつつも、ちゃーんと身長50メートルくらいの一般的な怪獣の、知られざる内面を唄った作品なのだとしても成立するような歌詞世界を構築しているのがすばらしいですね。いや、そりゃ「思い浮かべて歩く坂道」とかとも唄ってますけど。
だとしたら、サビの締めにある「奇妙な振動を待っているの 心を震わせながら」っていうのは、言うまでもなく、自分の怪獣人生に終止符を打ってくれるウルトラ兄弟のどなたかの、地球の大地に降り立った瞬間の「ダダーン!」っていう地響きってことになりますよね。つながった!!
そして、主人公を怪獣にして去っていったという「あなた」=「共犯者」は誰かと思い巡らせば、ウルトラシリーズの中でいちばん当てはまるのは、第5作『ウルトラマンA 』(1972~73年)でさんざん超獣を創っておきながら、シリーズの中盤(第23話)で手下よりも一足お先に壊滅してしまった「異次元人ヤプール」ということになるのではないのでしょうか。
つまり、『嵐ヶ丘』で鬼束さんが唄っていた怪獣とは、具体的にはヤプール壊滅後に「別の宇宙人に使役されない」形でちょっぴりやけぎみに暴れていた、
・黒雲超獣レッドジャック(第30話)
・獏超獣バクタリ(第31話)
・超獣人間コオクス(第32話)
・気球船超獣バッドバアロン(第33話)
・虹超獣カイテイガガン(第34話)
・夢幻超獣ドリームギラス(第35話)
・騒音超獣サウンドギラー(第36話)
・過敏超獣マッハレス(第37話)
・邪神超獣カイマンダ(第41話)
・氷超獣アイスロン(第42話)
・鬼超獣オニデビル(第44話)
・ガス超獣ガスゲゴン(第45話)
・時空超獣ダイダラホーシ(第46話)
・液汁超獣ハンザギラン(第47話)
・水瓶超獣アクエリウス(第49話)
・バイオリン超獣ギーゴン(第51話)
・オイル超獣オイルドリンカー(次作『ウルトラマンタロウ』第1話)
のうちの誰か、ということになるのだ!! どうでもいいですか! どうもすみません!!
ちなみに、第28話に登場した満月超獣ルナチクスは、のちに『ウルトラマンメビウス』で見事にヤプールの信頼できる配下として復活を果たしているため除外させていただきました。
でも、ヤプールって、こんだけ超獣ストックが残っている段階でエースに主将戦を挑んで玉砕してたのか……なにごとも「戦略」って、大事よね。いや、性質が真逆なサウンドギラーとマッハレスを製造している時点で、戦略もへったくれもないっぽいですけど。
あと個人的には、明らかに宇宙人の類の手によってその生を受けているのにもかかわらず、肝心のご主人様の存在がその近辺から消え去っていた、ウルトラシリーズ第3作『ウルトラセブン』(1967~68年)の地底ロボット・ユートム(第17話)とか、ロボット怪獣リッガー(第32話)にそこはかとなくただよう孤独感にも捨てがたいものがあります。
まぁ、最終的には鬼束さんがぜんぜん関係のない話題になっちゃいましたが……「怪獣になった」って、2010年代の鬼束さん、ほんとに怪獣みたいな扱いになっちゃってるもんね。みずからの未来を、誰よりも的確に予言しおおせていたとは……やっぱり鬼束さんは天才、だったんだろうなぁ。
5月ももうおしまいでございます。あっという間でしたねぇ。
結局、予告どおりに私のゴールデンウィークは非常に簡素なものとなりまして、山形市内にある「大の目(だいのめ)温泉」という旅館に行きまして、泊まらずに温泉につかってラーメンを食べて帰ってきました。これが、2015年のゴールデンウィークのすべて!! いったいなにがゴールデンだというのでしょうか。
大の目温泉は私の家から車で20分くらいの、山形市北部に位置するのですが、そのへんは流通センターといいまして、山形北インターチェンジやら、だだっぴろい多目的ホール施設の「山形ビッグウィング」やらにはさまれて、やたら輸送トラックの発着所が目立つ企業団地になっているのですが、ゴールデンウィークということで私が行った日は見事なまでに人っ子一人いない状態になっていまして、晴天の下だぁれもいない見知らぬ土地を、駐車した場所からタオルひとつ持ってふらふらと温泉に向かう、という実に味わい深い約5分間の旅は楽しめました。
というのも、そんな閑散とした土地の中にあっても、大の目温泉だけはさすがゴールデンウィークといった感じで駐車場がすでに満車空きなしの大賑わいとなっていまして、温泉旅館の大宴会場に出張営業している「有頂天」というラーメン屋さんが、ファミリー客の連続で猛烈フル回転の活況ぶりとなっていたのでした。みそラーメンがおいしかったですねぇ。
もっとも、お目当ての温泉自体は、岩風呂ふうの内湯がひとつだけといった実に古雅あふれるものとなっておりまして、10人も入ったらいっぱい……いや10人はムリかな、といった広さに、いかにもな白濁の湯が流れる温泉を、ほぼ1~2人で楽しむ、ぜいたくな時間を過ごさせていただきました。みんなラーメン食べるためだけにしか来てないのか!? いや、こういう温泉は人が少ないほうがいいんですよねぇ。
つかってみながらしげしげと見わたしてみると、記憶の縮尺にくらべていくぶん小さくなって入るのですが、確かにここ、私が小学生くらいのときに来たことがあるな、といったなつかしさがじわっと湧いてきまして、温泉のほかにも、そんなにタイルタイルしてなくても……と思ってしまうほどにタイル張りなトイレとか、マージャン卓くらいでしか見ないような毛足の短いカーペットが敷かれてて、本館と別館とで必ず50センチくらいの高低差のスロープがある廊下とか……とにかくノスタルジックな気分におちいってしまう罠が満載の大の目温泉でしたね。30年以上も生きてみると、まさしく「何を見ても何かを思い出す」って感じになってくるのねぇ。
まぁ、にしたって安上がりなゴールデンウィークになりましたわな。今年はこんなふうでいいんじゃないでしょうか。
来年のゴールデンウィークは、どこに行くんだろうなぁ。できれば泊りがけの旅を楽しめる余裕を掴み取っていたいのですが……それは2016年のみぞ知る、よね。
鬼束ちひろ『 Beautiful Fighter 』(2003年8月20日リリース 東芝EMI )
『 Beautiful Fighter(ビューティフル・ファイター)』は、鬼束ちひろ(当時22歳)の8thシングル。オリコンウィークリーチャートで最高9位を記録した。
CD-EXTRA として、3rdアルバム『 Sugar High 』収録曲の『声』のスタジオライブバージョンが収録されている。
収録曲
作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史
1、『 Beautiful Fighter 』(3分51秒)
カップリング曲『嵐ヶ丘』と共に、初めてピアノを使用しないロックサウンドに挑戦した楽曲。Cメロ以外が全て同じコード進行であることから、「繰り返しの美学」というテーマを取り、同時に「力を抜いて人生においてのエネルギーの循環を意識しろ」という裏のテーマもある。歌詞の内容も、相反する意味の英語の形容詞や名詞を組み合わせた、「矛盾」を基調に制作されている。
2、『嵐ヶ丘』(4分59秒)
鬼束本人は、もともとこの曲がシングルの A面になるものだと考えていたが、カップリング曲になり拍子抜けしたという。前作『 Sign 』のようにストーリー性のある楽曲で、本人曰く、「怪獣になってしまった主人公の、切ない、哀しい心情を歌った物語。切実感を強調していったらこういうスケールの大きい仕上がりになった」。タイトルは歌詞の世界観と響きからつけたため、イギリスの作家エミリー=ブロンテの長編小説『嵐が丘』(1847年)とは関係ないという。
いやぁ、こんなにドライブ向きな鬼束さん楽曲もあるのね! といった感じなのでありまして。
周知の通り、前作『 Sign 』からしばらくの数タイトルは、鬼束さんの声帯結節の治療あたりを発端とする諸事情により、オリジナルアルバムには収録されない、というか、オリジナルアルバムそのものがリリースされない事態におちいってしまったため、前々作『流星群』までの諸作に比べると、どうしても知名度の点で分が悪い印象がぬぐえません。そしてこの『 Beautiful Fighter 』も、2005年リリースの2ndベストアルバム『 SINGLES 2000-2003』までアルバム未収録という状態が続くのでありました。
でも、聴いていてつくづく思うのですが、2003年の時点での鬼束さんだけをまとめたアルバムが当時リリースされていたら、そりゃもうとてつもなくいい1枚になっていたんでしょうねぇ! ベストアルバムとなると、どうしてもデビュー当時の「歌い手はじめました。」っていう、いかにも若い数曲と一緒に並んじゃいますよね。そうすると、2003年の境地との差の大きさが悪目立ちしてしまうわけです。
それだけ、2003年の鬼束さんはものすごかったんじゃなかろうかと! 前作の『 Sign 』も、カップリングの『ダイニングチキン』を含めてすばらしい独自の世界を唄っていたわけなのですが、この『 Beautiful Fighter 』もいいんだなぁ、実に!
『 Beautiful Fighter 』は、聴いてわかるとおりに初の本格的ロックという仕上がりになっています。ただ、ロックっぽいテンポへの挑戦といった意味では、デビュー当時にすでにできあがっていたという、3rdアルバム『 Sugar High 』(2002年12月)収録曲の『 Tiger in my Love 』から始まっているわけでして、いよいよレパートリーのひとつとしてのアップテンポロックが本格始動、という感じでしょうか。
この曲を聴いて感じるのは、あくまでも飄々とした距離感を持って唄い上げる、鬼束さんのスタイルの強靭さです。強靭というか、ガンコと取ってもいいのかもしれませんが、享楽的でむちゃくちゃな世界を唄っておきながらも、自分自身は決してそこに埋もれることを良しとしない「醒めた視線」を持ち続けているんですね。心の底からはノッておらず、どこか「ここにいるはずじゃない」感を漂わせている。そこらへんに、同じような世界を唄っているようでいながらも、「あきらめてここで生きていこうやぁ。」と、片手に持った焼酎瓶をドンッと床に置き、あぐらをかいて潔くひらきなおるような味わいを生むようになった、後年の鬼束ワールドとはだいぶ違うクールさがあると思うんです。
そういう意味でこの『 Beautiful Fighter 』は、この後の鬼束さんの展開を予告するようでありながらも、明らかに『月光』付近の「この世界に居場所のない私」といったキャラクターの憂鬱を継承した、未来と過去をつなぐ重要な過渡期の実験曲になっているんですね。
ただ、そうやって道化師がおどけている隣に立って物憂げな調子を崩さないでいる鬼束さんがいいのか、後年のごとく、他ならぬご本人が道化師そのものになって必死に踊り狂っている鬼束さんがいいのか。そこはどちらを「美しい」と見るかで分かれるかと思います。
最初に、「問題なく当時アルバムが出ていたらすごかったのに」なんて言いましたが、2003年に予定通りにアルバムが出せなくなってしまう緊急事態に陥ってしまった、そのアクシデントがあったからこそ、いい意味でも悪い意味でも波乱万丈なそれ以降のスタイルは生まれたわけなのでありまして、2003年の鬼束さんはそれはそれで最高潮ではあったのでしょうが、そこを問題なく過ごしていたら、その次の境地には行けなかったのかも知れないし、ねぇ。
ともあれ、新ジャンルに挑みつつも、歌詞世界の主人公のスタンスや歌唱法において、そろそろ「越えるべき壁」のようなものが仄見えてきた感のある『 Beautiful Fighter 』なのでした。変則的なシャウトとか吐息を入れてみても、「やっぱりマジメだなぁ、この人。」っていうブレないまっすぐさがあるんですよね、どこか。
その一方でカップリングの『嵐ヶ丘』なんですが、これはもうど真ん中で羽毛田プロデュース作品といった感じで、やっぱりケルティックな合いの手も入れちゃったりしてますね。まさに、映画『007 スカイフォール』(2012年)のクライマックスの舞台にもなっていた、スコットランドの荒涼とした大地あたりが連想されそうな、『 Beautiful Fighter 』の喧騒とは対極の寂しさにあふれた名曲になっています。
対極も対極! だって、タイトルどおり『 Beautiful Fighter 』となぞらえられていた主人公が、『嵐ヶ丘』では「怪獣」になっちゃってんだもんね。何から何まで正反対な組み合わせですよ。わざと矛盾した言葉を並べ立てて内容を曖昧にしている『 Beautiful Fighter 』に比べて、主人公の視点が完全に固定してはっきりしている、という違いも明瞭にあります。
『嵐ヶ丘』の唄う物語もまた、例によって追想のイメージが並ぶ断片のつながりになっているのですが、どうやら主人公が、「あなた」の「裏切り」を認められずに「怪獣」になり、独りこの世界にとどまることを選択したらしい、という心境の流れが見えてくるような気がします。
それ自体は、もうこれ以上ないってくらいに鬼束ワールドな、定番の「主人公」と「世界」、そしていなくなってしまった「あなた」の三角関係の構図になっているわけなのですが、この『嵐ヶ丘』において注目したいのは、「ヒステリックな様を不自由に保つ」、「見おろす街」、「うつむき、それでも広がる世界」、「泣きながら返事をして」といった言葉の数々が絶妙に、いわゆる特撮作品に出現するような「怪獣」のイメージにリンクしている、という点でしょう。そうか、怪獣は「咆哮している」んじゃなくて、孤独に「泣いている」のか!
鬼束さん個人が特撮にどれだけ関心があるのかは知りませんが、不安定な主人公の心情をなぞらえつつも、ちゃーんと身長50メートルくらいの一般的な怪獣の、知られざる内面を唄った作品なのだとしても成立するような歌詞世界を構築しているのがすばらしいですね。いや、そりゃ「思い浮かべて歩く坂道」とかとも唄ってますけど。
だとしたら、サビの締めにある「奇妙な振動を待っているの 心を震わせながら」っていうのは、言うまでもなく、自分の怪獣人生に終止符を打ってくれるウルトラ兄弟のどなたかの、地球の大地に降り立った瞬間の「ダダーン!」っていう地響きってことになりますよね。つながった!!
そして、主人公を怪獣にして去っていったという「あなた」=「共犯者」は誰かと思い巡らせば、ウルトラシリーズの中でいちばん当てはまるのは、第5作『ウルトラマンA 』(1972~73年)でさんざん超獣を創っておきながら、シリーズの中盤(第23話)で手下よりも一足お先に壊滅してしまった「異次元人ヤプール」ということになるのではないのでしょうか。
つまり、『嵐ヶ丘』で鬼束さんが唄っていた怪獣とは、具体的にはヤプール壊滅後に「別の宇宙人に使役されない」形でちょっぴりやけぎみに暴れていた、
・黒雲超獣レッドジャック(第30話)
・獏超獣バクタリ(第31話)
・超獣人間コオクス(第32話)
・気球船超獣バッドバアロン(第33話)
・虹超獣カイテイガガン(第34話)
・夢幻超獣ドリームギラス(第35話)
・騒音超獣サウンドギラー(第36話)
・過敏超獣マッハレス(第37話)
・邪神超獣カイマンダ(第41話)
・氷超獣アイスロン(第42話)
・鬼超獣オニデビル(第44話)
・ガス超獣ガスゲゴン(第45話)
・時空超獣ダイダラホーシ(第46話)
・液汁超獣ハンザギラン(第47話)
・水瓶超獣アクエリウス(第49話)
・バイオリン超獣ギーゴン(第51話)
・オイル超獣オイルドリンカー(次作『ウルトラマンタロウ』第1話)
のうちの誰か、ということになるのだ!! どうでもいいですか! どうもすみません!!
ちなみに、第28話に登場した満月超獣ルナチクスは、のちに『ウルトラマンメビウス』で見事にヤプールの信頼できる配下として復活を果たしているため除外させていただきました。
でも、ヤプールって、こんだけ超獣ストックが残っている段階でエースに主将戦を挑んで玉砕してたのか……なにごとも「戦略」って、大事よね。いや、性質が真逆なサウンドギラーとマッハレスを製造している時点で、戦略もへったくれもないっぽいですけど。
あと個人的には、明らかに宇宙人の類の手によってその生を受けているのにもかかわらず、肝心のご主人様の存在がその近辺から消え去っていた、ウルトラシリーズ第3作『ウルトラセブン』(1967~68年)の地底ロボット・ユートム(第17話)とか、ロボット怪獣リッガー(第32話)にそこはかとなくただよう孤独感にも捨てがたいものがあります。
まぁ、最終的には鬼束さんがぜんぜん関係のない話題になっちゃいましたが……「怪獣になった」って、2010年代の鬼束さん、ほんとに怪獣みたいな扱いになっちゃってるもんね。みずからの未来を、誰よりも的確に予言しおおせていたとは……やっぱり鬼束さんは天才、だったんだろうなぁ。