長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ルビーの流星、最期のきらめき  モーニング娘。コンサートツアー 『道重さゆみ卒業記念スペシャル』

2014年11月30日 23時11分25秒 | すきなひとたち
コンサート『モーニング娘。2014年コンサートツアー秋 GIVE ME MORE LOVE ~道重さゆみ卒業記念スペシャル~』(2014年9月30日 東京・日本武道館)

オープニングアクト
 Juice=Juice『背伸び』、『伊達じゃないようちの人生は』(ともに5thシングル予定新曲)

楽曲リスト
1、『 TIKI BUN 』(57thシングル予定新曲)
2、『わがまま 気のまま 愛のジョーク』(2013年)
3、『 What is LOVE?』(2014年)
4、『時空を超え 宇宙を超え』(2014年)
5、『 Do it!Now 』(2002年)
6、『笑えない話』(14thアルバム収録予定新曲)
7、『 Fantasyが始まる』(2010年)
8、『愛の軍団』(2013年)
9、『大人になれば 大人になれる』(14thアルバム収録予定新曲)
10、『シャバダバ ドゥ~』(57thシングル予定新曲)
11、『恋人には絶対に知られたくない真実』(14thアルバム収録予定新曲)
12、『ゼロから始まる青春』(2012年)
13、『彼と一緒にお店がしたい!』(2011年)
14、メドレー ……『シルバーの腕時計』(2011年)~『 Help me!! updated 』(2013年)~『恋愛レボリューション21 updated 』(2013年)~『恋愛ハンター updated 』(2013年)~『ラララのピピピ』(2012年)
15、『シャボン玉』(2003年)
16、『 One・Two・Three 』(2012年)
17、『 Password is 0』(2014年)
18、『 Be Alive 』(2012年)
アンコール
19、『ブラボー!』(2010年)
20、『 Happy大作戦』(2013年)


コンサート『モーニング娘。2014年コンサートツアー秋 GIVE ME MORE LOVE ~道重さゆみ卒業記念スペシャル~』(2014年11月26日 東京・横浜アリーナ)

オープニングアクト
 Juice=Juice『背伸び』
 スマイレージ『エイティーン エモーション』(2014年)

楽曲リスト
1、『 TIKI BUN 』
2、『わがまま 気のまま 愛のジョーク』
3、『 What is LOVE?』
4、『時空を超え 宇宙を超え』
5、『 Do it!Now 』
6、『明日を作るのは君』(14thアルバム収録曲)
7、『 Fantasyが始まる』
8、『 I WISH updated 』(2013年)
9、『シャバダバ ドゥ~』
10、『笑顔は君の太陽さ』(2014年)
11、『彼と一緒にお店がしたい!』
12、メドレー …… 『シルバーの腕時計』~『 Help me!! updated 』~『恋愛レボリューション21 updated 』~『恋愛ハンター updated 』~『 ABCDE‐cha E-cha したい』(2013年)~『ワクテカ Take a chance 』(2012年)~『ブレインストーミング』(2013年)~『好きだな君が』(2011年)~『この地球の平和を本気で願ってるんだよ!』(2011年)~『青春コレクション』(2010年)~『 LOVEマシーン updated 』(2013年)~『 Give me 愛』(2011年)
13、『シャボン玉』
14、『 One・Two・Three 』
15、『 Password is 0』
16、『 Be Alive 』
アンコール
17、『見返り美人』(2014年)
18、『赤いフリージア』(2003年のメロン記念日シングル 本コンサートでは道重ソロ)
19、『歩いてる updated 』(2013年)
20、『 Happy大作戦』




《涙、涙で本文まだなのよ》
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『軍師官兵衛』  視聴メモ 第43回『如水誕生』

2014年11月27日 22時57分02秒 | 日本史みたいな
『軍師官兵衛』第43回『如水誕生』(2014年10月26日 演出・田中健二)


登場する有名人・武将の『信長の野望』シリーズでのだいたいの能力評価(テロップ順)

黒田 官兵衛 孝高  …… 知力84、統率力67
 (演・岡田准一)

徳川 家康      …… 知力102、統率力65
 (演・寺尾聰)

黒田 長政      …… 知力77、統率力63
 (演・松坂桃李)

浅井 茶々姫     …… 知力16、統率力21
 (演・二階堂ふみ)

母里 太兵衛 友信  …… 知力44、統率力80
 (演・速水もこみち)

後藤 又兵衛 基次  …… 知力14、統率力75
 (演・塚本高史)

石田 三成      …… 知力92、統率力60
 (演・田中圭)

井伊 直政      …… 知力69、統率力81
 (演・東幹久)

豊臣 秀次      …… 知力32、統率力35
 (演・中尾明慶)

増田 長盛      …… 知力85、統率力37
 (演・有薗芳記)

本多 忠勝      …… 知力66、統率力84
 (演・塩野谷正幸)

福島 正則      …… 知力45、統率力83
 (演・石黒英雄)

長束 正家      …… 知力87、統率力13
 (演・佐久間哲)

豊臣 秀吉      …… 知力95、統率力94
 (演・竹中直人)


ざっとの感想

○ついに運命の貴公子・豊臣秀頼が誕生! いよいよ豊臣政権の物語も、クライマックスが見えてまいりましたなぁ。
 それにしても、その誕生の報に接した老父・秀吉が思いのほか冷静に、この大吉報を受けとめているように見られるのが、けっこう意外な演出でしたよね。もっと涙とかよだれをダラダラ流して狂喜すると思ってたのに……あと、まだまだ元気なときに全国の諸大名をムリヤリ参加させて「瓜売り」ミュージカルをやってたんですね、『へうげもの』とちがって。
 秀頼誕生で、久しぶりに思考回路が正常に戻ったか、太閤殿下!?

○「なんとしても生き残る! 意気地がないと言われようと、這いつくばって詫びを入れてでも生き残る……その方が、それがしにふさわしゅうございまする。」
 「それがし、まだ死ぬわけには参りませぬ! この命、お救い願いたい!!」

 もはや、恥も外聞もない「丸ボウズ&土下座」の2連発で秀吉に命乞いをする官兵衛、いやさ如水円清! この、天下人の器さえあると秀吉自身が評し、恐れすらした男のすがすがしいまでのプライドの捨てっぷりに、さすがの秀吉も、笑って赦免せざるをえないのであった……
 ここで、なおも無粋に切腹を押し通すという行為は、生粋のエンターテイナーであることを自らに課した秀吉には絶対に許されない選択肢になってしまったわけで、これはまさに、秀吉が正気であるのならば、そういう人物なのであるということを熟知した官兵衛だからこそできた大博打だったのでしょうね。うむむ……さすがは官兵衛よ!

 ただ、日本には古代から、「主人の家でめちゃくちゃいいことがあったら、家臣や臣民の罪は帳消しにする。」という、理屈はまるで通っていないんだけど、気分としてはよくわかる「恩赦」という不文律な制度があったわけなので、おそらく秀頼が誕生した時点で、史実の官兵衛はかなりホッとしていたのではないのでしょうか。そりゃもう、当時の豊臣家にとって、跡継ぎの男子が生まれる以上にめでたいことなんでないですからね。
 にしても、この官兵衛蟄居と剃髪隠居とをきわめて有機的に、ひとつのエピソードとしてつなげた脚本は、お見事の一言ですね。ここでの官兵衛が、一般的にはそれほど知られていなかったけれど、実はそ~と~に危ない状況にあったという知られざる物語が、とってもドラマティックに立ち上がったと思います。こういうのが、今までの歴史ドラマではサブキャラクターになりがちな人物を、あえて大河ドラマの主人公に選ぶことの醍醐味なんですよね~。

○「官兵衛の不自由な左脚」をたくみに利用した、なんともぶざまな土下座ポーズ! あくまでも、徹底的にカッコ悪く這いつくばる官兵衛の覚悟をわかりやすく見せる演出ですよね。そうそう、「いさぎよく散る」だなんてクソ喰らえ! という戦国人らしい生きざまがよく出ていると思います。

○「水は方円の器に従う……器の形に合わせて、水はいかようにも形を変えまする。」
 う~ん、まさに、如水のスタイルこそが、最強! つまり、黒田如水は戦国武将界のバイオライダーということか! 昭和、平成ぜんぶを通して見ても、あれほどズルい仮面ライダーもいませんからね。応援するどころか、当時まっさらぴんな小学生だった私でさえも、TV の前で「ずりー!!」って叫んじゃったもんね、あのフォームは。クライシス帝国も、つくづくひどいチート野郎を敵にまわしてしまったものです。

○秀吉「清正と正則はもとより、小早川隆景から、早く官兵衛を許して、朝鮮へ戻してほしいと書状が届いた。」
 諸大名からの除名嘆願の書に感謝しつつも、「いや、朝鮮行きだけはカンベンして……」と内心ずっこける官兵衛であった。あの、それとこれとは話が別っていうことで……隠居させてください!!

○秀吉の「極めつけは……茶々からじゃ。」という言葉に、まさしく「聞いてないよー!!」というリアクションを思わずとってしまうダーイシ。おもしろいなぁ~! 秀吉の家族サイドに思いがいたっていなかったとは、どんだけ詰めが甘いんだお前は!? そういう、人情がらみの根回し工作にまったくうといというキャラクターを如実にあらわす演出がとってもいいですね。所詮は、人望においてまるで勝負にならない器の差があったということなのか。あわれなり!

○岡田さんは、ほんとに剃髪してるんですよね? いいですねぇ~、本物のボウズ頭は。頭の形がいいと、かっこいいですよね~。

○関白秀次、いいなぁ~! ていうか、中尾明慶さんが、ものすんごくいいなぁ~!!
 『軍師官兵衛』の物語には、やっと今エピソードから本格的に参加するわけなのですが、もう初登場の時点で秀頼が生まれてるんだもんね! すでに死亡フラグがビンッビンにおったっております!! ち~ん。
 この時期の秀次の、言い知れぬ不安とあせりを一挙手一投足のすべてに投影させる、その演技魂の入れ込みよう。あぁ、できればもっと早くから登場して、出番を増やしてもらいたかった……ほんと、かわいそうなお人ですよね、秀次さん。

○官兵衛の献策により、「秀頼と自分の娘(2歳)との縁談を取りつける」という粋なはからいで秀吉の機嫌をとることに成功する秀次。よかったね!
 それにしても、このエピソードが描かれた1593年の時点で、秀次は26歳の若さでありながらも、すでに「四男一女」に恵まれているという、なかなかな子沢山ファミリーのパパでもありました(子どもたちは全員、母親違い)。
 叔父さんがあんなに子作りで苦心惨憺しているというのに、たいした苦労もせずに4人も跡継ぎ候補がいるという、このあまりにも空気を読まないハッピー感……いや、秀次にとってはどうしようもない不可抗力なんでしょうが、そこらへんに、秀吉が秀次に対してなんらかの悪感情を持つ重大な素因があったのかもしれません。
 どんなになにげないものでも、人よりも運がいいということは、ときに恐ろしい嫉妬を生む……よりにもよって、あの秀吉にねたまれちゃったんですから、まぁ~先は茨の道ですよね。

○家康「分けても長政殿は、他人のような気がせん。」
 うをを、なんという家康必勝の落としテク! これに心を奪われない若手大名がいるでしょうか!? 「あなただけは、別♡ 」という言葉の魔力は、古今東西、男女を問わずものすごいものがありますよね~。怖いね!
 女性方面の話題はなかなか取り上げられない『軍師官兵衛』の家康なんですが、絶対に女性にもモテモテのようなオーラをふんだんに放っている寺尾家康は、明らかにそのルックスだけではない色気を、そのセリフづかいにも濃厚に帯びているのでありました……さすがはルビーの指輪!!

○秀次「官兵衛……今は本気であったか? わざと負けたのではないか?」
 くぅ~、この、秀次と官兵衛との将棋のエピソード、ものすっごくいいですねぇ! 秀次の政治家としての度量の限界と神経質さ、そしてどうしようもない人の良さを、これほど端的にものがたるシーンがあるでしょうか? 秀次、ホンットになんでこんなに出番が遅かったの!?
 「仕える者の顔色をうかがっているようではいけませぬ。」という言葉の重さね。いや、仕える者の内心は絶対につかんでいなければならないわけなんですが、その作業を仕える者自身に感づかれてはいけないという、非常に高度な情報戦の極意ですよね。いや、確かにそれは、秀次には難しいことなのかもしれません。
 しかし、明に暗に、将棋でも政治でも、自分がおそらくは永久に勝てない存在がいるということを知ってしまう秀次の悲しさ。そこを悲しいと感じずに、能天気に達観して生きるという道は、果たして秀次にあったのでしょうか。鈍感に生きるのも、才能ですよねぇ。
 でも、相手が手加減してるってわかるゲームほどつまんないものも、ないよね……


結論、「第44回がとてもたのしみです。」

 案外、スラスラ~ッと文禄役の停戦までトントン拍子で進んでいった今エピソードでしたが、ついにテロップが「文禄四(1595)年七月三日」となり、あの大河ドラマ『秀吉』(1996年)では語られることのなかった、「秀次失脚事件以降」の竹中秀吉の末路編が開幕となりました! うわ~、あんまり観てて気持ちのいいものになりそうにはないけど、やっぱり観たいよう!!

 秀吉の死、家康の台頭、そして運命の関ヶ原合戦……まさに見どころ目白押しの残り数回。豊臣政権のドロドロは、いったいどのような終焉へと歩を進めていくのでありましょうか!?
 正直言って、官兵衛ファミリーのなんやかやはそんなに興味はないけど、慶長九州戦争の初映像化(?)はとっても楽しみです!
 『軍師官兵衛』、どうか尻すぼみだけはせずに、ゴールまでがんばっていってね~!!
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爆発しすぎ!! 四国の山川にアナログ特撮の極北を見た 映画『仮面ライダーV3対デストロン怪人』 ~資料編~

2014年11月24日 23時37分18秒 | 特撮あたり
映画『仮面ライダーV3対デストロン怪人』(1973年7月公開 32分 東映)

 映画『仮面ライダーV3対デストロン怪人』は、1973年7月18日に子ども向け映画興行『東映まんがまつり』の一編として公開された、東映の中編映画作品。
 日本列島を「変身ブーム」に包んだ『仮面ライダー』(1971~73年)の続編『仮面ライダーV3』(1973~74年)の劇場オリジナル映画。この年3月の『東映まんがまつり』春興行では、TVシリーズ第2話『ダブルライダーの遺言状』(1973年2月放送)をシネスコサイズにトリミングしたものが上映されたが、劇場用完全オリジナル作品としては本作が初となる。公開当時のキャッチコピーは、「ついにきた全面戦争のとき ゆけ!戦え!三人の仮面ライダー」。
 四国地方を中心にロケを敢行。高速フェリー「さんふらわあ号」(東京~高知)やホテル奥道後(愛媛県松山市)とタイアップし、奥道後バスやくるしまドック(愛媛県今治市)などの関連施設、高知城など四国の名所を織り込んで撮影が行われた。
 このロケ撮影は同工異曲のストーリーによって、TVシリーズ第20話『デストロン四国占領作戦』・第21話『生きていたダブルライダー』(1973年6・7月放送)と同時進行で行われ、ギロチンザウルスやドクバリグモが映画と TVシリーズにまたがって登場し、本来はタイホウバッファロー同様に映画オリジナルの新改造人間として用意された両者だが、TV シリーズで先に登場する形となった。そのため、本作と TVシリーズとの時間系列上の関係は特に明言されていないが、本作で志郎がすでにギロチンザウルスの名前を知っているということもあり、本作はTVシリーズ第20・21話の後に位置する「2度目の四国編」と解釈されることが多い。
 TV シリーズでも数々見られた火薬による大規模な爆発が、本作でもふんだんに採り入れられている。室戸岬(高知県室戸市)を舞台とした無人島でのデストロン基地の撮影は正式に地元の漁業協同組合の許可を得た上で行われたが、あまりの爆発の勢いに海岸の地形が変ってしまったほどで、担当官庁から叱責を受けたという。また、くるしまドック内での爆発撮影では、近所の民家から通報される騒ぎとなっている。ここまで撮影が大がかりになった理由は、制作のために軽トラック一杯に用意された火薬が些細な運転ミスで大爆発事故を引き起こしかねず、帰り道に乗せて帰りたくなかったために全て現地で使ったからだったという。
 最終決戦のロケは、四国ではなく東京都青梅市の採石場で行われた。そのため、四国ロケに運ばれた改造人間のスーツはタイホウバッファロー、ギロチンザウルス、ドクバリグモの3体のみであり、デストロン大幹部ドクトルG役の千波丈太郎もロケには同行していない。また、仮面ライダー1号と2号は変身前の姿では登場していないが、声は TVシリーズと同様に藤岡弘、と佐々木剛が担当した。

あらすじ
 原子物理学者・沖田徹夫博士は、四国山脈の山奥で幻の超放射能元素と言われた「サタンニウム」を発見した。それは原子爆弾の原料に使われるウラニウムの数百倍の放射能を持つ、特殊な鉱石だった。しかし、悪用を恐れた沖田は、東京への帰路で高速フェリー「さんふらわあ号」からサンプルの鉱石を海に捨てようとする。だが、それは既にデストロンの狙うところとなっていた。沖田は鉱石ごと、黒服の男によって和歌山県勝浦沖で拉致されてしまう。
 風見志郎と立花藤兵衛は勝浦沖の無人島にあったデストロン基地に向かい、沖田を救出。しかし、沖田は新改造人間タイホウバッファローに殺され、志郎も砲撃による大爆発に巻き込まれて姿を消す。志郎を失ったまま、藤兵衛は球純子やシゲルとともにデストロンを追って四国に向かう。


登場する改造人間
タイホウバッファロー
 本作の新改造人間。両肩に2門の大砲を備えている。単独でも砲撃できるが、戦闘員に弾込めの補助をさせることもある。「バァ~フォ~」と鳴く。
 映画本編では語られなかった設定によると、当時デストロン科学部門のエリート幹部として活動していた結城丈二(のちのライダーマン)が、もともとはダム建設の岩石爆破用に開発した改造人間だった。ただし、結城が TVシリーズに登場したのは1973年12月放送の第43話からであるため、結城本人とタイホウバッファローは本編では共演していない。

ドクバリグモ
 黒服の男(演・中村文弥)に姿を変え、さんふらわあ号で沖田博士を拉致し、紀伊半島勝浦沖のデストロン基地に連行した。さらにサタンニウム鉱脈の地図を追って、四国各地で暗躍する。仮面ライダー V3の必殺技「V3 反転キック」を受けても爆死せずにこらえていたが、仮面ライダーたちを狙ったタイホウバッファローの砲撃の誤射を浴びて粉々になった。

ギロチンザウルス
 ドクバリグモを援護して、ホテル奥道後の遊園施設「錦晴殿」(京都の鹿苑寺金閣の模造建築 2001年に台風被害のため閉鎖)に現れる。

ピッケルシャーク、ジシャクイノシシ
 勝浦沖のデストロン基地内で志郎を待ち受ける。のちに最終決戦にも参加した。

再生怪人軍団
 ピッケルシャーク、ジシャクイノシシ、スプレーネズミ、ミサイルヤモリ、ドリルモグラ、クサリガマテントウ、バーナーコウモリ、レンズアリ、ガマボイラーの9体。3人の仮面ライダーと戦うが、ライダーたちを狙ったタイホウバッファローの砲撃連射の巻き添えを食らって全滅した。


主なスタッフ
監督    …… 山田 稔(47歳 1995年没)
脚本    …… 伊上 勝(42歳 1991年没)
音楽    …… 菊池 俊輔(41歳)
美術    …… 八木 功(22歳)
技闘    …… 高橋 一俊(30歳 1991年没)、大野剣友会
主題歌
オープニング『斗え!仮面ライダーV3 』(歌唱・宮内洋)
エンディング『V3 のマーチ』(歌唱・水木一郎)

主なキャスティング
風見 志郎 / 仮面ライダーV3 …… 宮内 洋(26歳)
立花 藤兵衛        …… 小林 昭二(42歳 1996年没)
珠 純子          …… 小野 ひずる(18歳 1977年頃に芸能界引退)
珠 シゲル         …… 川口 英樹(12歳 1977年頃に芸能界引退)
沖田 徹夫         …… 二瓶 秀雄(40歳 2001年没)
沖田 ひろ子        …… 森 桃江(23歳)
ドクバリグモ人間態     …… 中村 文弥(27歳 2001年没)
ドクトルG(ゲー)     …… 千波 丈太郎(46歳)
デストロン首領の声     …… 納谷 悟朗(43歳 2013年没)
仮面ライダー1号      …… 藤岡 弘(現・弘、 27歳)
仮面ライダー2号      …… 佐々木 剛(26歳)
ナレーション        …… 中江 真司(38歳 2007年没)


 いや~、ついに来ましたね、個人的に「歴代ライダー映画作品ナンバー1」の大傑作が!
 なにがナンバー1ってあーた、現在じゃ再現不可能な撮影がバンバン出てくるんですもんね、主に火薬の量において! ていうか、火薬の量のみで!!

 振り返れば、俗にいう昭和ライダーシリーズ(一部、平成初期も含んでいる)は、断続的ながらも1971~94年の23年間、13タイトルあったのですが、それに対して、現在も続いている平成ライダーシリーズは、今年始まった『仮面ライダードライブ』まで2000~2014年、休むことなく続いて16タイトル! もはや「昭和ライダーだけしか認めんぞ~!」などという妄言は許されないパワーバランスとなってきたわけです。そりゃいくら寛容な昭和ライダー勢でも、後輩に大人げなくケンカを売りたくもなりますよね。

 だが、それでも! そんなに若さモリモリで先輩がたをヒヤヒヤさせる平成ライダーシリーズでも! この映画版『 V3』の、文字通り「無法地帯」な爆発スペクタクルは、おそらく今も未来も絶対に再現することは不可能なのだ……いや、むしろやって欲しくないのだ! あぶないから!!
 また、この『 V3』の主人公・風見志郎を演じた稀代のアクションスター・宮内洋ほど、「前作でライダーを演じた先輩を完全に超えてやりますよ☆」という野心マンマンでメインライダー役を買って出たお人も、平成ライダーシリーズ、いやさ、全ライダーシリーズ中ではそうそういないのではないのだろうか。おかげで、それ以降の歴代主演ライダー俳優さんは軒並み高いハードルにご苦労なされることとなったわけで……罪な人だぜ!!

 後年、多くのファンに真似される「ブイスリャー!!」という変身時の絶叫こそまだ確立されておらず、『 V3』を語る上で欠かせないキーパーソン・結城丈二(ライダーマン)も登場していないのですが、まさに怒涛の番組後半戦に向けて勢いに乗る上り坂のわちゃわちゃを克明にフィルムに活写した映画『仮面ライダーV3対デストロン怪人』のあれこれ本文編は、また次の講釈だ~い。果たして、いつになるかな!? も~いつもよね。
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なぜ今なんだろう!?  横溝正史 VS 吸血鬼ドラキュラ 小説『髑髏検校』を読む

2014年11月23日 23時32分44秒 | ホラー映画関係
 みなさま、どうにもこんばんは~! そうだいでございます。本日も一日、たいへんお疲れ様でございましたっ!!

 え~、今日はですね、とっとと本題に入りたいと思います。アイドルだなんだとぬかしておる最近のネタからはずいぶんと離れてしまいますが、我が『長岡京エイリアン』のおおもとを形成する大大大好きな2つのジャンルが悪魔合体しちゃった! っていうお話。
 なんとなんと、「推理小説の鬼」こと横溝正史ミーツ、「血を吸う鬼」の王ドラキュラ!! うきゃきゃ~♡


『髑髏検校(どくろけんぎょう)』(雑誌『奇譚』1939年1~7月号にて連載)とは
 『髑髏検校』は、推理小説作家の横溝正史(1902~81年)の中編時代小説。
 吸血鬼・髑髏検校と、学者の鳥居蘭渓たちとの戦いを描いた作品であり、ブラム=ストーカーの長編怪奇小説『ドラキュラ』(1897年)の翻案作品である。
 横溝は、1976年の雑誌企画での推理作家・都築道夫と対談において、雑誌『奇譚』編集長の水谷準から『ドラキュラ』原書を渡されて翻案を依頼され『髑髏検校』の連載が始まったと語っている。しかし『奇譚』の廃刊にともない展開を省略する形で完結させたと述懐し、また後年に原稿用紙450枚分程に改稿したが、そちらの原稿は紛失したという。『髑髏検校』の執筆当時、横溝は映画『魔人ドラキュラ』(1931年 主演ベラ=ルゴシ)を見ておらず、原書を3分の1程読んでから連載を開始したと語っている。
 横溝は1936年頃から時代小説を執筆するようになっており、本作を発表した1939年の秋に肺結核の悪化のため休筆した(活動再開は1946年から)。
 本作は角川書店角川文庫から1975年に出版、2008年に改版出版された。

 ノンフィクション作家の梯久美子は、棺やニンニクといった原作由来の要素に江戸風俗を加え、不気味ながらも痛快な怪異談に仕上げていると評価し、また「ヴァンパイア・クロニクルズ」で有名なアメリカのゴシックホラー小説家アン=ライスにも通じる美少年耽美趣味がちりばめられていると指摘している。

 1982年8月にフジテレビ系列『時代劇スペシャル』にて単発スペシャルドラマ化(監督・原田雄一、脚本・下飯坂菊馬)され、その他に横山まさみちによりコミカライズされている。

あらすじ
 文化八(1811)年、元旦。豊漁に沸く安房国白浜(現・千葉県南房総市)で、一頭のクジラの腹から書状が発見された。書状の主は、遥か遠く九州の肥前国長崎出島に留学中の蘭学生・鬼頭朱之助だった。その書状に書かれていた、朱之助が筑紫沖の孤島で遭遇したという怪人物・不知火検校(しらぬいけんぎょう)の行状は、後に大江戸を恐怖のどん底に陥れることになる大事件の前ぶれであった……
 吸血鬼・髑髏検校と、これに立ち向かう蘭学者・鳥居蘭渓(らんけい)と朱之助の師弟、江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の息女・陽炎姫(かげろうひめ)など、善魔入り乱れての戦いの結末は!?

おもな登場人物(同時に翻案元の『ドラキュラ』で対応しているキャラクターと、1982年ドラマ版で演じた俳優も併記する)
不知火検校 / 髑髏検校(ドラキュラ伯爵)…… 田村 正和(39歳)
 吸血鬼。白絹の小袖に緋の袴、金襴の長羽織といういで立ちをしている。家紋は髑髏。
鳥居 蘭渓(エイブラハム=ヴァン・ヘルシング教授)…… 左右田 一平(52歳)
 52、3歳。一刀流の達人であることに加え、国学や蘭学、さらには医学にも通じる学者。江戸・麻布狸穴町(現・東京都港区内)の書院は西洋風になっている。
鬼頭 朱之助(ジョナサン=ハーカー)…… 伊吹 剛(33歳)
 24歳。蘭渓の弟子の蘭学者で、師匠の勧めで長崎出島に留学する。
次郎吉 …… 阿波地 大輔(50歳)
 朱之助の従者。
秋月 数馬(ゴダルミング卿アーサー=ホルムウッド)…… 石倉 英彦(35歳)
 24、5歳。安房国鯨奉行の勤番。もとは江戸城将軍家小姓頭だった。
陽炎姫(ルーシー=ウェステンラ)…… 笠間 一寿美(?歳)
 18歳。将軍・徳川家斉の三女。病弱で夢遊病の発作を患い、静養のため江戸・鮫洲(現・東京都品川区東大井)の通称お浜御殿に住んでいる。ひそかに数馬に思いを寄せる。
芹沢 琴絵(ミナ=マリー)…… 由美 かおる(31歳)
 陽炎姫の御付女中。
鈴虫(ドラキュラ城の女吸血鬼)…… 芦川 よしみ(23歳)
松虫(ドラキュラ城の女吸血鬼)…… 竹井 みどり(23歳)
 不知火検校に仕える妖艶な侍女たち。瓜二つの容姿をしている。
鳥居 大膳(レンフィールド)…… ドラマ版には登場せず
 27、8歳。蘭渓が、狂死した先妻との間にもうけた長男。粗暴で精神に異常をきたし、蜘蛛の飼育を趣味としている。
鳥居 縫之助(クィンシー=モリス) …… ドラマ版には登場せず
 16歳。蘭渓と後妻の子。異母兄の大膳とは対照的に勇敢な若者。
中村 富五郎 …… 五世 坂東 竹三郎(50歳)
 大坂・天王寺屋の歌舞伎俳優。江戸の市村座にやって来て髑髏検校の噂を元にした芝居を上演する。


横溝正史について
 本名は同字で「よこみぞ・まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした。兵庫県神戸市中央区東川崎町生まれ。
 大正九(1920)年3月に神戸第二中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)を卒業し、第一銀行神戸支店に勤務する。翌1921年に月刊文芸雑誌『新青年』(博文館)の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリルフール)』が入選作となり、これが横溝の処女作とみなされている。
 1924年に大阪薬学専門学校(現・大阪大学薬学部)を卒業して薬剤師免許を取得し、実家の生薬屋「春秋堂」に従事していたが、1926年に江戸川乱歩の招きに応じて上京し、博文館に入社する。1927年に『新青年』編集長に就任。その後も『文芸倶楽部』、『探偵小説』などの編集長を歴任しながら自身の創作・翻訳活動を継続したが、1932年に博文館を退社し、専業作家となる。
 昭和九(1934)年7月、肺結核の悪化により長野県八ヶ岳山麓の富士見高原療養所での療養生活を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。また、この時期に執筆された渾身の一作『鬼火』(1935年)が、政府当局の検閲により一部削除を命じられる。さらに戦時中は探偵小説の発表が困難になったことにより、時代小説の捕物帖などを中心とした執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続いた。作家活動が制限されたために経済的にも困窮し、一時は本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬の急激な値下げにより快方に向かう。
 昭和二十(1945)年4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現・倉敷市真備町)に疎開。太平洋戦争の終戦後に推理小説が自由に発表できるようになると本領を発揮し、翌昭和二十一(1946)年から本格推理小説を続々と発表する。1948年、『本陣殺人事件』により第1回日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選も含めて一般的に横溝の代表作と呼ばれる作品のほとんどは、これ以降の数年以内に発表されており、小説業界でも異例の遅咲き現象であった。この期間を経て、やや地味なベテランといったイメージから一挙に、乱歩に代わる日本探偵小説界のエース的存在となった。
 一時は4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入って始まった社会派ミステリーの台頭とともに急速に執筆量が激減。まもなく筆を折ったが、1968年にマンガ雑誌『週刊少年マガジン』(講談社)で『八つ墓村』がマンガ化連載(作画・影丸穣也)されたことを契機として再び注目が集まる。1970年代にはオカルトブームもあり、横溝の人気復活も作品にミステリーとホラーを融合させた側面があったためであったが、おりしも映画産業への参入を狙っていた角川書店社長・角川春樹はこのインパクトの強さを買い、自ら陣頭指揮をとって横溝作品を角川映画の柱とした。
 その結果、『犬神家の一族』(1976年)を皮切りとした一連の映画化や、毎日放送(TBS 系列)での連続ドラマシリーズ化により、推理小説ファン以外にも広くその名を知られるようになる。横溝作品のほぼ全てを文庫化した角川書店は、この空前のブームに飽き足らず、当時70歳の坂を越していた横溝もその要請に応えて驚異的な仕事量をこなし、70代にして4作の大長編小説を発表している(『仮面舞踏会』、『迷路荘の惨劇』、『病院坂の首縊りの家』、『悪霊島』)。ここでも横溝は、社会派ミステリー風の抑制されたリアルなタッチ、怪奇色、現代風アレンジといった作風の変換に余念がなかった。
 昭和五十六(1981)年12月28日、結腸ガンのため死去した。享年79歳。


小説『ドラキュラ』とは……
 『ドラキュラ(Dracula)』は、アイルランド人作家ブラム(エイブラハム)=ストーカー(1847~1912年)が1897年に発表した長編怪奇小説。タイトルの「ドラキュラ」は、作中に登場する男性の吸血鬼の名前。この小説があまりにも有名になったため、ドラキュラは日本も含めて世界的に「吸血鬼」を意味する普通名詞として誤用されることが多いが、あくまでも小説の登場キャラクターの固有名詞であり、吸血鬼全般をドラキュラと呼ぶのは間違いで、吸血鬼を表す英語は「ヴァンパイア(Vampire)」である。ドラキュラはルーマニア語で、「ドラゴン(悪魔)の息子」を意味する。小説執筆時は『不死者(The Un-Dead)』という題名だった。
 ドラキュラのモデルは、15世紀のワラキア公国(現在のルーマニア共和国南部)の君主ヴラド3世(1431~76年 通称ヴラド・ツェペシュ、ヴラド・ドラキュラ)とされているが、設定として使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。ストーカー自身は終生アイルランドから出ることは無かったが、この地域について地図や文献で詳細に調査して執筆している。
 なお、ヴラド3世がドラキュラと自称したのは、ヴラドの父である先代ヴラド2世(1384~1447年)が「ドラクル(ドラゴン公・悪魔公)」と呼ばれていたことに起因する(語尾に「a」がつくことで息子という意味になる)。だが、ドラクルという語の原義はドラゴンで、父ヴラド2世がドラクルと呼ばれたのは「十字軍ドラゴン騎士団」に所属していたためであり、ヴラド・ドラキュラも在世時は「悪魔の子」ではなく「小竜公」というような意味合いで呼ばれていた。
 小説『ドラキュラ』がルーマニア語に初めて翻訳されたのは、1989年12月のルーマニア革命によって共産主義政権が終焉した直後の1990年であり、それまで『ドラキュラ』はルーマニアでは発禁書であった。
 ヴラド一族の居城があったトランシルヴァニア地方(ルーマニア中・北西部)には、吸血鬼伝承は存在していない。ヴラド3世は領内統治のために、裏切りを行った貴族階級の家臣を、見せしめとして本来は貴族階級には適用されることのなかった串刺し刑に処したことから、「串刺し公(ツェペシュ)」と呼ばれた領主ではあった。しかし当時の社会情勢を考えれば、ヴラド3世が他の君主に比べて格別に残忍だったということでもない。ヴラド3世を吸血鬼と関連づける記録や伝承は皆無であり、ドラキュラのモデルがヴラド3世だとされていることについては、地元では観光に利用できるとして喜ぶ反面、郷土の英雄を怪物扱いすることに対して複雑な気持ちも抱いている。
 小説の舞台は1885年のイギリス帝国首都ロンドンで、小説が執筆された当時の価値観から見た近代科学技術が巧みに織り交ぜられた現代劇となっている。物語は全編にわたって三人称で語られ、複数の登場人物たちによる日記や手紙、電報、新聞記事、蝋管式蓄音機などといった記述で構成されており、それぞれの記述者や叙述者の発言によって、徐々にドラキュラの企みの全貌が浮上してくるという内容になっている。
 小説中には、アイルランドの吸血鬼伝承や、ストーカーと同じアイルランド人作家でダブリン大学(トリニティカレッジ)の先輩でもあったジョゼフ=シェリダン=レ・ファニュ(1814~73年)の短編怪奇小説『カーミラ』(1872年)の影響が強く見られる。実際に、『ドラキュラ』の初稿では物語の発端の舞台はトランシルヴァニアではなく、『カーミラ』と同じオーストリアに設定されていた。棺で眠るなどといった吸血鬼の特徴も『カーミラ』と共通で、それ以降の吸血鬼ものフィクション作品の定型となった。
 ストーカーの小説『ドラキュラ』は、出版されるとほぼ同時に、親友でストーカーが秘書も務めていた名優ヘンリー=アーヴィング(1838~1905年)の主演で舞台化され、小説も舞台も大ヒットした。
 ちなみに、アーヴィングの風貌はストーカーによるドラキュラ創造のヒントになったとされ、舞台版『ドラキュラ』におけるアーヴィングの演技・性格づけもまた、後世の舞台版・映画版の双方に大きな影響を与えたという。
 一方、本作の中盤以降の主要登場人物となるエイブラハム=ヴァン・ヘルシング教授については、1890年ごろにストーカーがアーヴィングの邸宅で知己を得た、オーストリア=ハンガリー帝国の旅行家でブダペスト大学(現在のエトヴェシュ・ロラーンド大学)の東洋言語学教授だったヴァーンベーリ=アールミン(1832~1913年)をモデルにして創造したといわれている。
 オーストリア=ハンガリー北部の都市ドゥナイスカーストレダ(現在のスロヴァキア共和国西部)に生まれたアールミン教授は、青年時代をオスマン=トルコ帝国首都イスタンブールで過ごしトルコ語やペルシア語をマスターし、1863年にはイスラム教徒の托鉢巡礼者に変装してキャラバンに加わり、ペルシアとウズベキスタンを横断する大旅行を行った。この際に記された旅行記は、ロシア帝国の進出以前の中央アジア西トルキスタン地方の文化を伝える貴重な史料となっている。

 1920年代には、原作者の未亡人であるフローレンス=ストーカーから正式に版権を取得した、ハミルトン=ディーンによる舞台版がアメリカで上演される。当時の舞台劇の主流は「室内劇」であり、舞台台本も原作を大幅に改編せざるを得ず、原作における冒頭のドラキュラ城のシークエンスをはじめとする見せ場がことごとくカットされ、舞台はセワード博士の病院と、カーファックス修道院の納骨堂の2場で進行した。このため、ドラキュラ伯爵は、上流階級の邸宅に招かれる際の容姿と礼儀作法を備えて登場し、漆黒の夜会服を着こなす貴公子然としたイメージが確立された。ちなみに、この舞台版ではドラキュラが観客に背を向けて一瞬にして消滅するイリュージョン演出があり、そのために首と後頭部が隠れる大きな襟の立ったマントが必要となった。ドラキュラの着ているマントの襟が大きく立っているのは、この舞台版の名残である(マントの正式な着方は襟を寝かせる)。

 原作小説でのドラキュラ伯爵は、「背の高い痩せた男」、「燃えるような赤い目」というイメージで繰り返し描かれる。登場当初は白髪の老人で、中盤から血を吸って30代ほどの外見になるまで若返り、髪も黒髪になる。猛禽類を思わせる精悍な顔つきで、口髭を生やし、蒼白い肌とは不釣り合いに毒々しく赤い唇からは尖った犬歯が覗いている。服装は黒ずくめであるという他は特に記述されていない。
 それに対して性格や趣味趣向は細かく設定されており、饒舌で読書好きであり、来客の給仕や城に囲っている女吸血鬼たちの世話といった家事もまめにこなす。活動時間は日没から日の出までで、夜が明けるとともに死体に戻るため、本来ならば自分の墓の土の中に戻らなければならないが、通常は城内の納骨堂に設えられている石棺の中に墓の土を敷き詰め、日中はそこに目を開けて横たわっている。十字架をはじめとする神の息のかかっている聖物と、ニンニクを忌避する。怪力、変幻自在、神出鬼没でネズミ、フクロウ、コウモリ、蛾、キツネ、オオカミなどを操り、嵐や雷を呼び、壁をトカゲのように這うことができる。影が無く、鏡に映らない。他人の家には、その家の家人に招かれなければ入ることができないが、一度招かれるとそれ以後は自由に出入りができる。
 一般的にドラキュラの所有する称号は伯爵(Count)ということになっているが、ルーマニアの貴族階級にはこの称号はなく、ドラキュラが確かに貴族であるとしても「伯爵」は単なる僭称に過ぎない可能性が高い。実際に、原作小説でドラキュラ本人がこの称号を用いている場面はない。


 いや~、どうだい、このロマンあふるる組み合わせ!
 横溝先生と『ドラキュラ』の解説だけで何千字もかかってしまいましたが、それだけ私が大好きってことなんですよ~、このおふたり。

 あの「名探偵・金田一耕助シリーズ」を生んだ横溝先生も、文学・映像・音楽・絵画とあらゆる文化を侵食する夜の恐怖の象徴・吸血鬼の中でもズバ抜けて有名なキャラクター・ドラキュラ伯爵も、どちらもおのおののジャンルを代表する知名度を誇っているわけなのですが、まさかその2つがあたかもカレーうどんの如くドッキングしていたとは! 知らない方も多いのではないでしょうか。
 実は、恥ずかしながら私も、横溝先生の時代小説に『髑髏検校』という、いかにもおどろおどろしいものがあるというのは、中坊時代に古本屋をまわって昭和の角川文庫版をかき集めていた時から裏表紙の既刊リストを見て知ってはいたのですが、まさかそれが、あの『ドラキュラ』の翻案だったとはつゆ知らず……おまけに、金田一ものはうちの地元の古本屋でもけっこう出回っていたのですが、さすがに時代小説は「人形佐七捕物帳」ものも含めて見当たらず。ず~っと『髑髏検校』そのものを読む機会は無かったのです。

 それがあーた、最近の角川文庫レーベルでの横溝リバイバルはすばらしいですね! 少しずつではあるのですが、金田一ものでないタイトルも復刊されつつあり、そこにあの『髑髏検校』も入っていたと! なに、いったい何が起きるんです!? 第三次横溝ブーム!?
 そんなんでまぁ、復刊自体は2008年なので、けっこう経った先日にやっと『髑髏検校』を購入しまして、喜び勇んで読んだというわけなのでした。ファンという割に気づくのが遅い! ほんとにファンなのか!? あいすみませぬ。

 そんなこんなで、やっと伝説の怪奇時代小説『髑髏検校』を読んでみたわけだったのですが、小説の内容もさることながら、この作品の周辺情報に関しても驚くことはたくさんありました。世間に言う「隠れた名作」って、まぁ、隠れてしまうだけの理由はちゃんとあるんですが、さりとてそのまま埋もれてしまうのは実にもったいなく……とにかく愛すべき魅力があるんですよね。惜しい!と思わずうなってしまう悲運があるのです。

 まず小説『髑髏検校』の連載背景に関していいますと、まず『奇譚』という雑誌の創刊に際して、まさしく世界的に有名なイギリスの怪奇小説である『ドラキュラ』の日本時代小説への翻案を企画したという、水谷準編集長のものすごいアイデア力に驚嘆してしまいます。『奇譚』が創刊された1939年は、もちろん太平洋戦争の開戦自体はまだ先のこと(1941年)ではあるものの、すでに日中戦争が始まって3年目に入る時期であり、ソ連との間に、日本の行く末を予感させるノモンハン事件が勃発した年でもあります。ヨーロッパではすでにスペイン内戦、ドイツ第三帝国によるチェコスロバキア併合、ポーランド侵攻という火の手が上がっている中で、それでも日本の怪奇幻想小説界隈を盛り上げようという気概を持っていた水谷編集長の姿勢には感動してしまいます。小説家としての水谷さんの作品、なんか春陽堂文庫で読んだけど、覚えてない……
 いっぽう、この大企画の執筆を任されたのが、プロの作家になって8年目に入ろうとしていた水谷編集長の盟友・横溝先生だったわけなのですが、当時、イギリスを遠く離れた日本でも『ドラキュラ』という物語自体は映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)や『魔人ドラキュラ』(1931年)で知られてはいたものの、原作小説『ドラキュラ』の訳書自体はまだ出版されていない状況でした(平井呈一による抄訳は1956年で完訳は71年)。そんな中で、原書を読んでかみ砕いて執筆するという横溝先生の仕事が、『ドラキュラ』に対する日本人作家のファーストコンタクトとなったのは運命的なものを感じさせますね。
 ただ、これが連載当初の水谷編集長と横溝先生の構想通りに、2年くらいの連載期間を経ての「完全翻案」になったら最高だったのですが、結果は非常に口惜しいもので、『奇譚』は創刊した年の7月号でやむなく廃刊となり『髑髏検校』も文庫本にして170ページ余りの中編サイズでむりやり完結。当の横溝先生自身も持病の肺結核の悪化によってその年の秋に執筆活動を休止してしまうのでした。時局がらの不運もあるのでしょうが、そもそも親友の水谷編集長がわざわざ『ドラキュラ』の原書を持って行って翻案を頼んでいたことからも、お互いに完全新作の連載をやれるほど横溝先生の体調が万全でないことを理解していたのではないでしょうか。かと言って「休め!」と言わなかったあたりに、執筆の情熱に燃える横溝先生への、水谷さんなりの思慮を感じますね。水谷さんも、プロの小説家の業を知る人だったんだねい。

 さて、それで肝心かなめの『髑髏検校』の内容を見ていきますと、そういった「やむなく時代小説を書いている」という事情を全く感じさせないかのように、やたらと陽気なタッチで物語が進んでいくのが実に印象的です。原典『ドラキュラ』からは想像もつかないハイテンションさで、登場人物たちが活き活きと江戸の町を走り回るんですね。だいいち、一番陰気なキャラであってもおかしくないはずのラスボス髑髏検校からして、遭難して自分の島に漂着したばっかりの見ず知らずの客(ジョナサン朱之助)に対して、

「おお、参る。江戸へ参る。ふふふ、わしが江戸へ参らば、どのような騒ぎが起こることじゃろう……おっと、口がすべった(笑)」

 なんてのたまうんですからね。なにはしゃいでんだコイツ!? 遠足前の小学生か!?
 あと、検校のファッションも白・赤・金というむっちゃくちゃ派手なカラーリングで、原典のドラキュラ伯爵のトレードマークたる「黒」をいっさい用いていない剛毅さも実にインパクト大です。陽気! 陽気な田舎のお金持ちって感じ。

 とにもかくにも、この『髑髏検校』の内容は、読んだ感覚で言うと原作『ドラキュラ』の「吸血鬼化したルーシーの退治」あたりまでを比較的詳細に展開させて、その後のドラキュラ発見からトランシルヴァニアまでの追跡行を思いっきりはしょって髑髏検校と双子の女吸血鬼の討滅につなげて終了、という流れになっています。確かに、原作ではヨーロッパの奥地のトランシルヴァニアとイギリスのロンドンという距離感が大切な味付けになっているのですが、『髑髏検校』では「筑紫沖の孤島・不知火島」と江戸という距離こそあるものの、検校たちはステイ先の江戸で仲良く調伏されます。そういえば、読んでいてずっと「検校、検校って言ってるけど、思いっきり目ェあいてるじゃん!」と思っていました。別に楽器も弾かないし歌も唄わないのに、なぜ検校……まさか先生、語呂だけで検校にしちゃった? ちなみに、あの勝新太郎の「座頭市」の原型になったというキャラクターも、髑髏検校の自称名と同じ「不知火検校」というのですが、こちらは宇野信夫の1960年の戯曲の主人公が元になっているので、横溝先生の髑髏検校とは全く無関係です。
 そういえば、横溝先生はほんとにネーミングに無頓着と言いますか、どっちもイイ感じなんだから、髑髏か不知火かどっちかにしてよ! と感じてしまいます。金田一ものの名作『夜の黒豹』に出てくる殺人鬼の名前が「青蜥蜴」、ほどじゃないですけどね。哺乳類か爬虫類かくらいは決めてくれ!!

 こうやって読んでみますと、横溝先生が「『ドラキュラ』を3分の1くらい読んでから連載を始めた」と語っている通り、この『髑髏検校』は確かに骨組みこそ『ドラキュラ』そのものではあるものの、登場人物たちのテンションや、ミナ琴絵の駕籠屋を使った拉致のくだり、また『ドラキュラ』にいないオリジナルキャラクターである血のつながっていない義母子のお角・小夜の活躍など、後半にいくにつれてかなり自由に物語が江戸伝奇小説ライズしていく面白さに満ちています。特に、髑髏検校の噂を聞いて無許可で歌舞伎の演目にした役者の富五郎が、検校にじきじきに呼び出しをくらって「めっ。」される流れは、完全に脱線ではあるものの横溝先生の楽しそうに執筆しているさまが見えるようで最高です。まぁそのおかげで、序盤からずっと失踪していたジョナサン朱之助の出番がそうとう後回しになってしまったため、クライマックスで登場した時に登場人物全員から本気で「誰……?」といぶかしがられていたのには涙を禁じ得ませんでした。婚約者のミナ琴絵も、そうそうに死んだものと諦めてたし……無惨!!
 あと、けっこう新鮮だったのが、作中に登場する吸血鬼たちが一様に「唇をすぼめて」人間の喉元に顔を当てるという吸血描写でしたね。そうそう、この時代って、1958年のクリストファー=リー主演の映画『吸血鬼ドラキュラ』で確立した、「口をカッと開いて長く伸びた犬歯を突き立てて吸血する」という様式が確立してなかったんですよね。『魔人ドラキュラ』でも、ベラ=ルゴシ演じるドラキュラ伯爵の顔が迫ってくるっていう表現のみで吸血描写自体は直接映されていなかったし、その『魔人ドラキュラ』自体、横溝先生は当時見ていなかったと。
 「唇をすぼめて吸血」って、どういうことなんだろ……やっぱり日本のコウモリ妖怪「山地乳(やまちち)」の『絵本百物語』の画像が影響しているんだろうか。でも、あれは「寝ている人間の口から精気を吸い取る」のであって血を吸うのではないし……それなのに、『髑髏検校』では吸血鬼のすぼめた口から歯が見えるっていうし、吸われた人間も喉元に「ふたつの傷口」があるっていうのよねぇ。やっぱ、映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』的に、前歯が2本ニュッと伸びるスタイルなのかな? なんかチュパカブラみたい。

 こんな感じで、オリジナリティは充分にありながらも諸事情により中編サイズとなってしまった『髑髏検校』だったのですが、序盤にけっこう意味ありげに伏線が張られた「不知火検校の本名」が、最後の最後に明かされたあたりの驚愕感からも、もしも横溝先生の体調が万全で『奇譚』も廃刊にならずに構想通りのボリュームの『髑髏検校』になっていたとしたら、いったいどんなスケールの一大スペクタクル伝奇巨編になっていたのだろうかとワクワクせずにはおかれません。正体がわかると、そんな彼がなぜ「十字架」をいっさい使わずに「髑髏」を定紋にしているのか、なんかいろいろ想像してしまいますね。あれ、これ、検校の生前のキャラクターがかなり原典のドラキュラ伯爵(ワラキア公ヴラド4世)に近くないか!? キリスト教を愛し命を捧げたからこそ、その反面としての恨みが強力になっているんですね! さすがは横溝大先生!! ざっと読みしかしていないようでいて、ドラキュラ伯爵の本質はしっかり射抜いていらっしゃる。

 最後に、私はまだ視聴していない1982年スペシャルドラマ版の『髑髏検校』について。
 いや~、まさかあの田村正和さんがジャパニーズヴァンパイアを演じておられたとは! 考えてみれば、これほどしっくりくるキャスティングもありませんよね。マサカズさんは、かつて NHK大河ドラマ『新・平家物語』(1972年)で、あの「日本一の大魔王」こと崇徳院(の生前)も演じておられたしねぇ! ちなみに、ドラマが放送された1982年8月には、「日本の吸血鬼と言えば、この人!」として有名な稀代の怪優・岸田森さんも「ギリギリ」ご存命だったのですが、周知のとおり同年の12月に亡くなっており、それ以前からお酒のせいでかなり体調がかんばしくなかったようでもありましたので、こと「髑髏検校(ドラキュラ)と琴絵(ミナ)の運命のめぐりあわせ」という原典『ドラキュラ』のロマン味を原作以上に強調したドラマ版においては、あまいマスクのマサカズさんが検校を演じるのが最適解だったかと思われますね。ていうか、原作では髑髏検校、琴絵を見てもいっさい無反応でしたからね! 横溝先生、そこは食指が動かなかったのね……
 あとドラマ版はまだソフト商品化はされていないようなのですが、原作では全くなかった「将軍・家斉と大奥の権力抗争」も大幅にからんでくるし、陽炎姫は家斉の娘じゃなくて不仲な正室になるし髑髏検校は超能力ぬきで謎に正々堂々日本刀チャンバラを繰り広げるしで、往年の「古谷一行金田一のドラマシリーズ」を彷彿とさせるアレンジ無法地帯っぷりがものすごい怪作になっているようですので、まぁ機会があれば時代劇チャンネルか youtubeの公式無料配信があったときに観てみたいなぁ、みたいな感じです。まさに、『〇界転生』の2時間ドラマ版って感じ……

 読みたかったなぁ、「完全版・髑髏検校」! 紛失したっていう450枚バージョン、発見されるといいなぁ。
 さすがは横溝大先生、死してもロマンは不滅だぜい!!
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『軍師官兵衛』  視聴メモ 第42回『太閤の野望』

2014年11月21日 10時23分07秒 | 日本史みたいな
『軍師官兵衛』第42回『太閤の野望』(2014年10月19日 演出・本木一博)


登場する有名人・武将の『信長の野望』シリーズでのだいたいの能力評価(テロップ順)

黒田 官兵衛 孝高  …… 知力84、統率力67
 (演・岡田准一)

徳川 家康      …… 知力102、統率力65
 (演・寺尾聰)

黒田 長政      …… 知力77、統率力63
 (演・松坂桃李)

浅井 茶々姫     …… 知力16、統率力21
 (演・二階堂ふみ)

母里 太兵衛 友信  …… 知力44、統率力80
 (演・速水もこみち)

後藤 又兵衛 基次  …… 知力14、統率力75
 (演・塚本高史)

石田 三成      …… 知力92、統率力60
 (演・田中圭)

井伊 直政      …… 知力69、統率力81
 (演・東幹久)

小西 行長      …… 知力72、統率力48
 (演・忍成修吾)

豊臣 秀次      …… 知力32、統率力35
 豊臣秀吉の甥。関白。(演・中尾明慶)

増田 長盛      …… 知力85、統率力37
 (演・有薗芳記)

福島 正則      …… 知力45、統率力83
 (演・石黒英雄)

加藤 清正      …… 知力63、統率力81
 (演・阿部進之介)

宇喜多 秀家     …… 知力50、統率力61
 宇喜多直家の嫡男。秀吉の養子でもある。(演・武田航平)

浅野 長吉      …… 知力74、統率力62
 (演・長森雅人)

小早川 隆景     …… 知力83、統率力77
 (演・鶴見辰吾)

豊臣 秀吉      …… 知力95、統率力94
 (演・竹中直人)


ざっとの感想

○鶴松丸の夭逝、そして大陸出兵の直前という、ギリギリのタイミングで豊臣秀次がやっと初登場! 遅い!! でも、間に合った!
 秀次の「豊臣家の数少ない貴公子のひとり」という存在感や、そのあまりにも頼りないキャラクターをよりドラマティックに『軍師官兵衛』に組み込んでいくのならば、やはり秀吉 VS 家康の歴史的決戦だった小牧・長久手合戦から登場したほうがおもしろかったと思うのですが……いつもの歴史ドラマど~り、まごうことなき「秀吉の傀儡」という意味合いで出てきましたね。初シーンではセリフもなしか……死兆星が日中でもくっきり目視できるレベルの哀しさですね。
 でも、演じている俳優さんが今をときめく「味わい深い脇役界の貴公子」中尾明慶さんなんですから、今後の秀次の活躍シーンが待ち遠しいですね。まぁ、出番はそんなに多くはないでしょうけれども……側室の最上駒姫、出てきてくれるかな……

○「国際戦争のための拠点要塞」という、日本史でもそうとう珍しい目的で建造された肥前国名護屋城は、やっぱり豊臣政権時代の大坂城や徳川政権時代の江戸城・名古屋城に匹敵するかそれ以上の威容を誇っていたのではなかろうかと思うのですが、内観はわかったから、できれば外観のほうを、ちょっとでいいのでドラマの中でおがませていただきたいです……そのうち、CG で製作したものが登場するかしら!?

○絵に描いたようにイケメンな宇喜多秀家も初登場! あなた、ほんとにあの陣内直家の息子さんなのか!? そこはかなくただようバカっぽさも、まさにけがれを知らぬ若殿って感じで、非常に絶妙なキャスティングですよね。宇喜多秀家と豊臣秀次は、まさに豊臣政権の光と影のような関係にありますからね。

●おい、小西行長! 「先陣は小西行長殿。」の宣告に「ニヤリ。」じゃねーだろーが!! 誰のせいでこんな急ごしらえな戦争になったと思ってんだバカヤロー!!
 それは「前線で何かあったら、日本に帰ってくるなよ♡ 」という秀吉からのメッセージなんじゃないのか? 海外事情はどうなのか知りませんが、日本の歴史上の多くの戦争で前線に送り出されるのは、だいたい「裏切る可能性がある」とか「ここで功績を残しとかないとあとがない」とかいう、けっこうヤバめな立場の武将だって相場が決まってますからね。そんなに名誉なことじゃあないと思うんですが……
 ここの行長は、やっぱり千利休切腹の遠因にもなった先週の最低人間っぷりを引き継いで、ダーイシの視線に冷や汗をかきながら「ハイッ、誠心誠意、がんばらせていただきまっしゅ!!」と震え声で叫ぶのが正解なのではないのでしょうか。
 「ニヤリ。」はわけわかんないですよねぇ。二重人格か、脚本のキャラクター造形がぐずぐずなのかのどっちかですよね。

●官兵衛と小早川隆景という、当時の日本で最高峰の司令官2人の提案した修正案に不満をつのらせるダーイシもダーイシですけど、「うん、じゃあ先陣は交代制で。」と、いとも簡単に太閤の意思をねじ曲げる秀家くんも秀家くんですよ。
 いや、そこはやっぱり軍師'S の意見がいちばん正しいわけなんでしょうが……そんな、いちいち各武将のメンツを考えなきゃ動けない遠征軍なんて、出陣する前からダメだ、こりゃ!!

○わずかな時間ながらも、渡海中のゲーゲーシーンをちゃんと映像化した製作陣に拍手を送りたいです。うん、そこは大事ですよ。
 母里友信と後藤基次でさえダメなのに、井上之房が平気な顔をしてにぎりめしを食べているという人選もいいですよね。有岡城救出作戦でもそうだったけど、井上さんはホントにひとりだけいいところをかっさらっていくな!

●制作上の都合でたぶんそうなるだろうなぁ、とは思っていたんですが、やっぱり、大陸出兵の戦場シーンが日本軍の進撃ばかりを簡単に映してナレーション処理するばかりで、相手である李氏朝鮮王国軍の軍装や防戦のもようがさっぱり描写されてないのは、やっぱり残念だったらありゃしねぇ!!
 予算上も放送スケジュール上も、そして現代における国際関係上もキビしいだろうことはよくわかるのですが……もうひとこえ、いけなかったかしらねぇ!?

●李氏朝鮮王国の首都・漢城が陥落したという報告を聞きながらも、「王を逃がしたか……」と落胆の色を隠さない官兵衛。さすがですね。
 でもよくよく考えてみれば、戦争で大将が死亡するなんてことはどこの国の歴史をひもといても滅多にないことですし(それこそ今川義元か龍造寺隆信くらい?)、たとえ死亡しても、その後継者がどこかで健在だったら戦争は終わらないわけです。その上さらに、アジア大陸は日本どころじゃなく逃げ放題な広さなんですからね……
 つまり、「首都が陥落した」というニュースを聞いただけで狂喜する秀吉、という描写は、あまりにも秀吉を馬鹿にしすぎた虚構なんじゃないか、と思うんだなぁ。いくらなんでも、そんなにボケてはいないと思うんだけど……

○長政「このひと月、敵の水軍に阻まれ、何も届いておりませぬ……」
 うをを、「敵の水軍」!? いま、「敵の水軍」って言った!? それ、李舜臣(イ・スンシン)じゃね!? そこよ! そこをどこよりも先に映像化してくれって言いたいのよ~!!
 でも最近の研究によれば、朝鮮水軍は日本軍の兵糧補給にとってそれほど決定的な脅威にはなっていなくて(完全な分断状態にはならなかったらしい)、とにかく問題だったのは「日本軍の補給範囲の急激すぎた拡大」と「朝鮮王国の深刻な食糧不足」だったのだそうで。前線まで兵糧が行き渡らないんですよね。『信長の野望』でも初心者がよくやってしまうイージーミスです。
 戦いに勝っても勝っても実入りが減るだけなんだったら、そりゃあ当時世界有数の軍事力を誇った日本軍だって、戦意も喪失しますよね。
 官兵衛が言うように「大義がない」から戦争に負けるんじゃあないんです。「ごはんがない」から戦争に負けるんです。

○何のためにのこのこ顔を出してきたのかわからないダーイシにますますイライラのつのる前線軍議なわけですが、一見無表情なだけのように見える黒田長政のつぶらな瞳が、まぁ~怖い怖い。
 これはまさに、あの城井鎮房を自ら斬り捨てるというエピソードを経た、『軍師官兵衛』の松坂桃李さんが演じているからこその殺気ですよね。見事な緊迫感でした。

 ところで、あの長政と後藤基次の不仲のきっかけになったという「基次見てるだけ一騎打ち」エピソードは、映像化されないんでしょうか? おもしろいのになぁ、映像化されたら。

●豊臣秀次の登場や、弟・秀長の死がかなり淡白に扱われているということもそうなんですが、秀吉周辺の人間模様ということになると、最近のドラマではまず確実に出てくるはずの「秀吉の生母・なか」や「秀吉の実姉・とも」が意図的にお話に顔を出さないという『軍師官兵衛』の采配が、今週も如実に現れていましたね。母ちゃんが死んだという、その直後のシーンで「めでたけれェ~♪」と能のお稽古とは……
 考えてみれば、秀吉一家だけの話にとどまらず、『軍師官兵衛』には、『秀吉』であたたかく描かれていた「ファミリー」の要素がかなり削がれているような気がします。それは、さかのぼれば柴田恭兵さんが退場したあたりから顕著になりましたよね。官兵衛と長政の関係も、ずいぶんとドライだし……
 その反面で「夫婦」をクローズアップするという趣向は、「官兵衛&お光」、「信長&お濃」、「秀吉&お寧」、「長政&お糸」あたりで強調されていたような気がするのですが、それも最近はあんまり観られなくなってますよね。「秀吉と茶々」の関係は、あれは夫婦じゃなくて「永遠にすれ違い続ける恋愛」ですから。秀吉が道化になるばかりで深みがないんだよなぁ。肝心の茶々も一向に魅力的にならないし。

 それで、じゃあ今はなにが『軍師官兵衛』の特色になってるのかっていえば、「ダーイシのジェラシー」と「寺尾家康の右目」でしょ……もっとなんかさぁ、フレッシュな見どころはないもんかねぇ!?

●「碁」だの「無断帰国」だのと……あまりにも姑息な手段で官兵衛を陥れるダーイシの短絡さ加減、ここにきわまれり! おまえは『小公女セーラ』の意地悪な女の子か!?
 いや、いくらなんでも、そんなに自分の利益のことしか考えてないひどい人じゃあなかったと思うんですが……全ては、関ヶ原合戦に通じる「負けフラグ」なのか!? 小西のキャラクターのまれに見るひどさも、そこなのかなぁ、結局。


結論、「第43回がとてもたのしみです。」

 「王を逃がしたか……」という発言からもわかるように、いちおう平和、平和と言いつつも、始めたからには確実に戦争に勝つことを目指す官兵衛ではあったのですが、全体的に時間の流れを休戦にササーッと持っていったために、「大戦争に積極的に参加した黒田家」というポイントがわざとかすむという、なんとも玉虫色なエピソードになってしまいました。まさに、「悪いところはぜんぶ秀吉と三成にひっかぶってもらう」という、本編の三成もかくやという脚本テクニックでしたね。ほら、だから「名将」と「戦争反対」なんて共存しっこないんですってば!

 余談ですが、私が歴史に興味を持つきっかけとなった記憶のひとつに、私が小学校高学年だったか中学生だったころに NHKの衛星放送第2で放送されていた、韓国の歴史ドラマ『朝鮮王朝500年 壬辰倭乱』(1985年制作)にドはまりした、というものがありました。
 これはタイトルのとおり、「壬辰倭乱(イムジンウェラン 文禄役のこと)」を朝鮮王国の視点からドラマ化し、物語の主人公を救国の英雄と今なおたたえられる李舜臣にしたという作品で、今週の『軍師官兵衛』のようなていたらくしかお目にかかれない日本人からしてみれば、まさしく「かゆいところに手の届く」内容になっていました。まぁ、朝鮮王国の当時の風俗やリアクションがよくわかるという反面、日本軍の軍装が「え……源平合戦? 段ボール製?」と感じられなくもない違和感もあったのですが、そんなことはどうでもいいでしょう。

 李舜臣の波乱の生涯のおもしろさや、日本人から観たときの内容の新鮮さもさることながら、私が当時、ガキンチョだてらにいたく感心したのは、制作した国からしてみれば悪逆非道の人でなしに見えてもおかしくはなかった豊臣秀吉の人間性を、日本制作のドラマと遜色ないほどに立体的かつ魅力的に造形して、「戦争をせざるをえなかった孤独な老王」として活かしていた、という点でした。確か、泉谷しげるさんみたいな人間味のある俳優さんが好演していたと記憶しています。もちろん、秀吉を無言でおびやかす徳川家康(顔は五木ひろし系)の存在もしっかり描写されていました。
 ミニチュア撮影ながらも迫力満点な海戦シーンもすばらしかったのですが、やっぱり、敵も味方も同じようにわけへだてなく活写するというそのスタイルに、私はかなり感動した記憶があり、あれから20年ほどたった今でも、私の心の中には強く、「歴史ドラマかくあるべし。」という教えが生きているような気がするわけです。


 つまりなにが言いたいのかといえば……最近の『軍師官兵衛』、視野せますぎ!! ここまでやったら NHK、いつか必ず石田三成が主人公の大河ドラマを作って穴埋めしろよ~!!
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