僕の家には、30本くらいの VHSビデオテープが残っている。
ところが、僕の家のビデオデッキはとっくの昔にオシャカになって廃棄してしまっているから中身を観ることはもうできず、持っていたところでなんの意味もない黒いプラスティックの塊に成り果ててしまっている。
役に立たなくなってもう数年たつし、デッキが壊れていなくとも、頭出しができなかったり画質が悪かったり、いちいち巻き戻しをしなければならないビデオをわざわざ観ようとすることなんて、もうかれこれ10年くらい疎遠になっていた。完全にお役御免になっていたわけだ。
それでも捨てずに家の物入れにひっそりと並べているのは、ただ単に捨てるのが面倒くさいということもあるのだけれど、何よりも捨てるには忍びない思い入れというか、思い出がその30本に詰まっているからでもある。実際、ビデオテープは録画したり観たりしてフルで使っていた時期にはその倍くらいの数があったのだが、特になんの愛着もない半分くらいはさっさと処分してしまった。
今残っている30本にたいする思い出はそれぞれなのだが、その中には、ずいぶん昔にこのブログで話題にした、映画の『悪霊島』だとか、「僕が生涯観てきた中で最も怖いと感じた映像」なんかがおさめられているビデオもある。これは僕の中では、かなり大事な宝物の部類に入る。
そんなふうにいろいろある中でも、特にこれだけは「絶対に捨てることができない」という1本のビデオテープがある。
「絶対に捨てられない」とまで言い切ってしまう理由はいたって単純なもので、それは、そのテープがある人から借りたものだからだ。
それは僕のものではなく、ある人のもの。だから捨てられない、というか、捨ててはいけないだろう。いくらなんでも。
とは言っても実は僕は、つい最近になってその存在を思い出すまで、このビデオテープのことをすっかり忘れ去ってしまっていた。それを思い出した瞬間、同時に僕が、それを今も持っているのかさえ判然としないくらいに長いこと見ていないという事実も思い出した。
探してみたら、そのビデオテープは案外なんなく見つかった。
積もったホコリを払いながらそうとう久しぶりに手にとってみると、それは僕がなんとなく記憶しているビデオテープの重量よりもずっしりしていた。
「まさか、思い出のせいで重くなっているわけでもあるまいし……」
おかしなことを感じながらよくよくテープを見てみたら、理由はすぐにわかった。このビデオテープは僕がよく使っていた標準120分収録テープよりも容量の多い標準200分収録テープだった。今になって考えてみれば、情報の容量とともにそのものの重量も変わるビデオテープの正直さは、やっぱり愛らしい。
そのビデオテープの背中に貼られた見出しシールには、マジックペンの手書きでこう書かれている。
『バフィー 恋する十字架(第1シーズン)1~12』
その記述のとおりに、このテープには1997年にアメリカで放送された、「吸血鬼退治の専門家の女子高生が大活躍する若者向けホラードラマ」の第1シーズン全12話が、まるまる録画収録されている。主演は同じようなホラーものの『ラストサマー』(1997年)やハリウッド版の『呪怨』(2007年)にも出演して人気のあったサラ=ミシェル=ゲラー、当時19歳。
このドラマは1992年に製作された映画のリメイクなのだそうで、本国では2003年まで7シーズンが放映された人気シリーズだったらしい。
日本でも衛星や地上波でいくつかの局から放送されたことがあるそうだが、タイトルの日本語訳から見て、このテープの持ち主は2000年に放送された FOXチャンネル版をこつこつ録画していたようだ。
見出しシールはとても几帳面な手つきで精確に背中に貼られていて上下左右の傾きはいっさいなく、隅々まで空気のかたまりが入ることもなくしっかりと貼りつけられている。たぶん持ち主に貼られて10年以上の歳月が経っているだろう現在も、シールが粘着の弱いところからはがれてくるような気配はまったくない。
このビデオテープのケースの中には、テープにはさまれるかたちで、これもまた手書きでつづられた1枚のメモが入っている。そこには、こんな12行の文字が並んでいる。
「1、Welcome to the Hellmouth :ヘルマウスへようこそ
2、The Harvest :収穫
3、The Witch :魔女
4、Teacher's Pet :先生のお気に入り
5、Never Kill a Boy on the First Date :初デートで彼を殺さないこと
……」
いかにも若者向けらしい、わかりやすくも含みのある言葉が12。要するにこのメモは、テープに収録されている12話のエピソードのサブタイトルの、原題とその日本語訳をまとめたものになっている。
このビデオテープを借りて最初にこのメモを見たとき、僕はものすごく驚いて、思わず笑ってしまった。几帳面すぎるとか親切にも程があるとかいう持ち主の個性だけでも充分におもしろかったのだが、英語のタイトルをいちいち直訳するその生真面目さがありつつも、その半面で、よくよく見ればメモがなにかのコピーの失敗した紙を切りつめた再利用だったり、「予言」という意味の「Prophesy 」の「s 」が抜けてしまっているような急場な感じがちょいちょい妙に目立ってくるからだった。
すべての文字はそんな二面性をよくあらわしている、小さく細かく整然とした、それでいてとても愛らしいまるっこい字体で記されている。僕が今もよく憶えている持ち主、彼女の、ひと筋縄ではいかない人柄そのままを宿して今も生き続けている字だと、思う。
そのビデオテープはたしか、僕が大学を卒業する直前に、彼女から借りたものだった。もう10年以上昔のことになる。
もともと彼女との接点は、学生演劇をお互いに比較的近い場所でやっている者どうし、そのくらいしかない希薄なものだった。学年も違えば学部も違うし、所属している演劇のサークルも別というねじれた関係で、最初に彼女のことを知ったときからはじめて話をするまで、ものすごくまわりくどい時間がかかっていたことはよく憶えている。
お互いに、それぞれのサークルが年に3~4回くらいやる演劇公演になにかの役をもらって出続けているうちに、彼女が僕のことをどのくらい認識していたのかはよくわからないのだが、僕の方は、彼女のなんともいえない存在感が気になって気になって仕方がなくなっていた。
決して公演の看板を背負うようなわかりやすい華があるわけでもないのだが、正体がよくわからないというか、なにか、役を演じているときに入っている世界の「深さ」が、他の人たちに比べて段違いに深いというか。とにかく、その舞台に入れ込んでいる態度の真剣さが浮き上がりすぎている。
彼女は特にそれほど演技がうまいわけでもないし、やる役柄の幅の広さで観る人を楽しませる器用さがあるわけでもなかった。でも、彼女にしか出せない空気は確実にあった。おうおうにして、僕のいた大学の演劇サークルには、役者の才能があるのかどうかは別にしても、そういう味わいのある個性的な顔ぶれはある程度は集まっていたのだが、彼女の存在はさらに異質なもので、ちょっと、見物料がタダだったり、かかっても数百円程度だったりした学生の公演で観るにはあまりにももったいない「命賭け」を毎回観ているような気になっていたものだった。
そんな彼女がまわりの仲間たちにほっぽいておかれるはずもなく、彼女はサークルの定期公演のほかにも、サークルを引退した上級生たちの卒業記念公演だったり、同じ代の有志が立ち上げた演劇集団(劇団というほどしっかりしたものではなかった)の中心メンバーになったりとさまざまな場所に顔を出していたのだが、僕が彼女と具体的に顔をあわせることになったのも、そういうサークルの枠をこえたイレギュラーな公演の中でだった。
当時、僕も含めてその公演に参加した人の多くは、大学の卒業後に特にプロの演劇の道を進むと決めたわけでもなく、かといって本格的な就職活動をしているわけでもなく……という、フワフワした、けれども野心と体力だけはしっかりあるという、不安と隣り合わせなハイテンションを空回りさせた人ばかりだった。今になって思えば、よくもまぁのんきに海にまで出かけてチラシの写真撮影をしたり、毎日のように公民館の空き部屋をおさえて筋力トレーニングをしたりできたものだ、としみじみ呆れてしまう。
そんな日々の中で、いっしょの舞台に立つことになった彼女の魅力はというと、これはもう言葉にいいあらわしようのない愛らしさのあるものだった。
なんと言えばいいのか、彼女は全力で、彼女自身の個性を覆い隠そうとしていた。
そのために彼女は演劇という手段を選択したのかもしれないのだが、そんなことはプロの俳優でもなかなかできることではない。どうしても地の自分というものがはしばしからにじみ出てきてしまう。
そのことを誰よりも自覚していたのか、彼女はそんな自分の不完全さを強烈に恥じて、嫌悪すらしていたように見えた。でも、そのボロのでかたこそがおもしろいというか、台本の世界とは関係なく出てきてしまう、そういった「うそいつわりのない葛藤」が、彼女の魅力の正体だった。
彼女はよく、自分の演技のことを話題にされると顔を赤くしてうつむき急に無口になり、自分のおもしろさについて他人に茶化されるとフンッ、フンッと鼻息を荒くさせ、やはり無口になっていた。反論したくても、その言葉が見つからない。そういった感じ。舞台以外の場所では徹底的に不器用で、そこがまた魅力的な彼女だった。
でも、いくどかの共演を通して、僕は勝手に、彼女がプロの女優を目指すには繊細すぎて気まぐれすぎると感じていたし、実際に、彼女がその道を進んでいくことはなかった。彼女の所属していたサークルの、学年が近い集まりが卒業後に正式に劇団を旗揚げしたときにも、彼女は参加することはなかった。
僕はというと、そういった学生サークルの雰囲気とは別の経路をたどって、大学卒業後に劇団の役者になることになったのだが、心の中ではいつもどこかに、彼女がこれからどういった道を進んでいくのかを見つめていきたいという思いがあった。そういう上から目線の言い訳をとっぱらえば、単純に彼女のことが好きだ。ただそれだけだった。
彼女が隠そうとする彼女を知りたい。何度か食事をしたり、彼女のアパートに実家から送られてきたさくらんぼを手土産に意気揚々と乗り込んだこともあったのだが、そこで見えた素の彼女は、舞台の上の虚像などが軽くかすんでしまう豊かな輝きに満ちていた。
僕はこういうブログをやっていることからもわかる通りに、重箱の隅をつつくようなジャンルのいくつかに強い愛情を持っている人間だと自負しているつもりなのだが、それについての議論をしたときに、僕が僕なりのこだわりをもって積み重ねてきた知識をフル稼動させてやっと互角、もしくは負けていると感じた相手はそうそういない。でも、彼女は僕がそうした貴重な感覚を得たまれな人物のひとりだった。
特にヘンな映画にかけての彼女の眼力はそうとうなもので、当時20歳そこそこだった彼女の唇から「臓物(ぞうもつ)」という単語が出てきたのには、ビックリを通り越してありがたい言葉を聴いた気分になってしまった。ロマン=ポランスキー監督の映画『吸血鬼』(1967年)についての議論ができたのもとてもうれしかったし、僕が斎藤美奈子の『紅一点論』(1998年)を読んでいないことについて軽く説教されたひとときも、あれから10年以上経っているのについ夕べのことのようによく憶えている。
とにかく楽しかった。自分の好きな女性だとかいう、性別の話を超えたところで「得がたいひと」だと感じることができた、そういう人だった。
ところが、日々の忙しさの堆積というものは残酷な力をもって僕の中にある彼女の存在感を薄れさせていってしまい、いつのまにか、僕と彼女との接点はわずかに、ある日なにげなく彼女から借りたアメリカのホラードラマのビデオ、たったそれだけになってしまっていた。
彼女と最後に会ったのは、たしか彼女が大学を卒業した年の夏ごろ、東京で芝居を観たときに彼女もたまたま同じ回を観ていて、せっかくだからと終演後に近くの喫茶店に入って互いの近況を語ったときだったと思う。
彼女はそのときには、東京でアルバイトをしながら独り暮らしをしていると話し、特にこれといった予定もなく生きていると冗談めかして、彼女特有の口を尖らせた表情をしながらフフフと笑いをもらしていた。僕も、今日会えると知っていたら借りてたあのビデオを返したのに、などと悔しがっていたと思う。
結局、あれ以降もビデオテープは返すことができないまま、2013年の今まで僕の家に眠ることになってしまった。
そして、つい先日。
僕は本当に、本当に情けないくらいにあっけない形で、彼女がすでに僕のいるこの世界から去っていたということを知った。
それは4年も前のことだった。彼女は、おそらく本人もかなり不本意なんじゃないかと思う最期を迎えていた。
運命というものが、どうしてそこまで残酷な仕打ちを彼女に叩きつけたのか、僕にはまったく理解できない。それは多少は生き方が不器用だと感じる部分はあったわけだが、かえりみれば僕のほうがよっぽど不器用な生き方をしているところもあったし、なによりも、僕の知っている全てはガキ同然の大学生時代の一部分の情報だけだ。彼女だったら、自分というものにあんなに真剣に向かい合っていた彼女だったのならば、卒業後の世界で一人前の人生を送ることもできたはずだった。
やはり、彼女はこの世界で生きていくにはあまりにも繊細すぎたのだろうか。いずれにせよ、彼女についてどうすることもできずに、しかもその結末を知りさえもせずにのうのうと生きてきていた僕に、それ以上の彼女についての真実を知る資格はないだろう。僕の手の届かない世界で、幸せに生きていることを願うよりほかはない。
単なる、昔にいくらか知り合ったことのある人、と割り切ってしまえばそれまでなのだが、僕のこのブログは、それを明確に意識していなくとも、彼女のような、魅力的な宝物を大事そうにかかえたり、他人にひた隠しにしながら生きていたり、あるいはそれを捨てたいと嫌悪しているような不器用な人に読んでもらえたらうれしい、と思って始めたところもあった。
その思いの中には当然、彼女本人がこの記事を読んだらどう思うだろうかと、つづる上での判断基準にする部分もあったし、できるのならば、彼女本人がこの存在を知って、コメントなりメールなりでなにかしらの反応を直接僕に送ってきてくれたら、などとも期待していた。
その願いは断たれてしまった。それどころか、僕がこのブログを始める前に、彼女は去ってしまっていた。もう笑うしかないすれちがい。いかにも僕らしい、涙も出ない間の抜けた話だ。
もう、僕がその知らせを4年前のその時に受け取らずに済んで幸せだったと考えるしかない。4年前に知っていたら……僕の生き方も変わっただろうし、ましてやこういう文章をつづるような生活もしていなかったに違いない。
彼女とは、たぶんもう逢えない。でも、彼女が置いていってくれた記憶は、僕は死ぬまで忘れない。忘れるわけにはいかない。
もう一度、手に取ったビデオテープのメモを読んでみた。
ドラマの11話目のサブタイトルは、
「11、Out of Mind , Out of Sight :去る者日々に疎し」
と書かれていた。
いや~、ちょっと、それはないんじゃないかな!?
もう一度、あのころのように彼女にふっかけてみよう。彼女は喜ばないかもしれないが、僕が生きていくために、彼女にも是が非でも生き続けてもらう。返事はなくともいい。
ドラマは全話1回ずつは観たはずなのだが、内容はまるで憶えていない。
実家にはたしか、まだビデオデッキがあったはずだ。今度帰省するときに、この重いビデオテープも持っていこう。
ところが、僕の家のビデオデッキはとっくの昔にオシャカになって廃棄してしまっているから中身を観ることはもうできず、持っていたところでなんの意味もない黒いプラスティックの塊に成り果ててしまっている。
役に立たなくなってもう数年たつし、デッキが壊れていなくとも、頭出しができなかったり画質が悪かったり、いちいち巻き戻しをしなければならないビデオをわざわざ観ようとすることなんて、もうかれこれ10年くらい疎遠になっていた。完全にお役御免になっていたわけだ。
それでも捨てずに家の物入れにひっそりと並べているのは、ただ単に捨てるのが面倒くさいということもあるのだけれど、何よりも捨てるには忍びない思い入れというか、思い出がその30本に詰まっているからでもある。実際、ビデオテープは録画したり観たりしてフルで使っていた時期にはその倍くらいの数があったのだが、特になんの愛着もない半分くらいはさっさと処分してしまった。
今残っている30本にたいする思い出はそれぞれなのだが、その中には、ずいぶん昔にこのブログで話題にした、映画の『悪霊島』だとか、「僕が生涯観てきた中で最も怖いと感じた映像」なんかがおさめられているビデオもある。これは僕の中では、かなり大事な宝物の部類に入る。
そんなふうにいろいろある中でも、特にこれだけは「絶対に捨てることができない」という1本のビデオテープがある。
「絶対に捨てられない」とまで言い切ってしまう理由はいたって単純なもので、それは、そのテープがある人から借りたものだからだ。
それは僕のものではなく、ある人のもの。だから捨てられない、というか、捨ててはいけないだろう。いくらなんでも。
とは言っても実は僕は、つい最近になってその存在を思い出すまで、このビデオテープのことをすっかり忘れ去ってしまっていた。それを思い出した瞬間、同時に僕が、それを今も持っているのかさえ判然としないくらいに長いこと見ていないという事実も思い出した。
探してみたら、そのビデオテープは案外なんなく見つかった。
積もったホコリを払いながらそうとう久しぶりに手にとってみると、それは僕がなんとなく記憶しているビデオテープの重量よりもずっしりしていた。
「まさか、思い出のせいで重くなっているわけでもあるまいし……」
おかしなことを感じながらよくよくテープを見てみたら、理由はすぐにわかった。このビデオテープは僕がよく使っていた標準120分収録テープよりも容量の多い標準200分収録テープだった。今になって考えてみれば、情報の容量とともにそのものの重量も変わるビデオテープの正直さは、やっぱり愛らしい。
そのビデオテープの背中に貼られた見出しシールには、マジックペンの手書きでこう書かれている。
『バフィー 恋する十字架(第1シーズン)1~12』
その記述のとおりに、このテープには1997年にアメリカで放送された、「吸血鬼退治の専門家の女子高生が大活躍する若者向けホラードラマ」の第1シーズン全12話が、まるまる録画収録されている。主演は同じようなホラーものの『ラストサマー』(1997年)やハリウッド版の『呪怨』(2007年)にも出演して人気のあったサラ=ミシェル=ゲラー、当時19歳。
このドラマは1992年に製作された映画のリメイクなのだそうで、本国では2003年まで7シーズンが放映された人気シリーズだったらしい。
日本でも衛星や地上波でいくつかの局から放送されたことがあるそうだが、タイトルの日本語訳から見て、このテープの持ち主は2000年に放送された FOXチャンネル版をこつこつ録画していたようだ。
見出しシールはとても几帳面な手つきで精確に背中に貼られていて上下左右の傾きはいっさいなく、隅々まで空気のかたまりが入ることもなくしっかりと貼りつけられている。たぶん持ち主に貼られて10年以上の歳月が経っているだろう現在も、シールが粘着の弱いところからはがれてくるような気配はまったくない。
このビデオテープのケースの中には、テープにはさまれるかたちで、これもまた手書きでつづられた1枚のメモが入っている。そこには、こんな12行の文字が並んでいる。
「1、Welcome to the Hellmouth :ヘルマウスへようこそ
2、The Harvest :収穫
3、The Witch :魔女
4、Teacher's Pet :先生のお気に入り
5、Never Kill a Boy on the First Date :初デートで彼を殺さないこと
……」
いかにも若者向けらしい、わかりやすくも含みのある言葉が12。要するにこのメモは、テープに収録されている12話のエピソードのサブタイトルの、原題とその日本語訳をまとめたものになっている。
このビデオテープを借りて最初にこのメモを見たとき、僕はものすごく驚いて、思わず笑ってしまった。几帳面すぎるとか親切にも程があるとかいう持ち主の個性だけでも充分におもしろかったのだが、英語のタイトルをいちいち直訳するその生真面目さがありつつも、その半面で、よくよく見ればメモがなにかのコピーの失敗した紙を切りつめた再利用だったり、「予言」という意味の「Prophesy 」の「s 」が抜けてしまっているような急場な感じがちょいちょい妙に目立ってくるからだった。
すべての文字はそんな二面性をよくあらわしている、小さく細かく整然とした、それでいてとても愛らしいまるっこい字体で記されている。僕が今もよく憶えている持ち主、彼女の、ひと筋縄ではいかない人柄そのままを宿して今も生き続けている字だと、思う。
そのビデオテープはたしか、僕が大学を卒業する直前に、彼女から借りたものだった。もう10年以上昔のことになる。
もともと彼女との接点は、学生演劇をお互いに比較的近い場所でやっている者どうし、そのくらいしかない希薄なものだった。学年も違えば学部も違うし、所属している演劇のサークルも別というねじれた関係で、最初に彼女のことを知ったときからはじめて話をするまで、ものすごくまわりくどい時間がかかっていたことはよく憶えている。
お互いに、それぞれのサークルが年に3~4回くらいやる演劇公演になにかの役をもらって出続けているうちに、彼女が僕のことをどのくらい認識していたのかはよくわからないのだが、僕の方は、彼女のなんともいえない存在感が気になって気になって仕方がなくなっていた。
決して公演の看板を背負うようなわかりやすい華があるわけでもないのだが、正体がよくわからないというか、なにか、役を演じているときに入っている世界の「深さ」が、他の人たちに比べて段違いに深いというか。とにかく、その舞台に入れ込んでいる態度の真剣さが浮き上がりすぎている。
彼女は特にそれほど演技がうまいわけでもないし、やる役柄の幅の広さで観る人を楽しませる器用さがあるわけでもなかった。でも、彼女にしか出せない空気は確実にあった。おうおうにして、僕のいた大学の演劇サークルには、役者の才能があるのかどうかは別にしても、そういう味わいのある個性的な顔ぶれはある程度は集まっていたのだが、彼女の存在はさらに異質なもので、ちょっと、見物料がタダだったり、かかっても数百円程度だったりした学生の公演で観るにはあまりにももったいない「命賭け」を毎回観ているような気になっていたものだった。
そんな彼女がまわりの仲間たちにほっぽいておかれるはずもなく、彼女はサークルの定期公演のほかにも、サークルを引退した上級生たちの卒業記念公演だったり、同じ代の有志が立ち上げた演劇集団(劇団というほどしっかりしたものではなかった)の中心メンバーになったりとさまざまな場所に顔を出していたのだが、僕が彼女と具体的に顔をあわせることになったのも、そういうサークルの枠をこえたイレギュラーな公演の中でだった。
当時、僕も含めてその公演に参加した人の多くは、大学の卒業後に特にプロの演劇の道を進むと決めたわけでもなく、かといって本格的な就職活動をしているわけでもなく……という、フワフワした、けれども野心と体力だけはしっかりあるという、不安と隣り合わせなハイテンションを空回りさせた人ばかりだった。今になって思えば、よくもまぁのんきに海にまで出かけてチラシの写真撮影をしたり、毎日のように公民館の空き部屋をおさえて筋力トレーニングをしたりできたものだ、としみじみ呆れてしまう。
そんな日々の中で、いっしょの舞台に立つことになった彼女の魅力はというと、これはもう言葉にいいあらわしようのない愛らしさのあるものだった。
なんと言えばいいのか、彼女は全力で、彼女自身の個性を覆い隠そうとしていた。
そのために彼女は演劇という手段を選択したのかもしれないのだが、そんなことはプロの俳優でもなかなかできることではない。どうしても地の自分というものがはしばしからにじみ出てきてしまう。
そのことを誰よりも自覚していたのか、彼女はそんな自分の不完全さを強烈に恥じて、嫌悪すらしていたように見えた。でも、そのボロのでかたこそがおもしろいというか、台本の世界とは関係なく出てきてしまう、そういった「うそいつわりのない葛藤」が、彼女の魅力の正体だった。
彼女はよく、自分の演技のことを話題にされると顔を赤くしてうつむき急に無口になり、自分のおもしろさについて他人に茶化されるとフンッ、フンッと鼻息を荒くさせ、やはり無口になっていた。反論したくても、その言葉が見つからない。そういった感じ。舞台以外の場所では徹底的に不器用で、そこがまた魅力的な彼女だった。
でも、いくどかの共演を通して、僕は勝手に、彼女がプロの女優を目指すには繊細すぎて気まぐれすぎると感じていたし、実際に、彼女がその道を進んでいくことはなかった。彼女の所属していたサークルの、学年が近い集まりが卒業後に正式に劇団を旗揚げしたときにも、彼女は参加することはなかった。
僕はというと、そういった学生サークルの雰囲気とは別の経路をたどって、大学卒業後に劇団の役者になることになったのだが、心の中ではいつもどこかに、彼女がこれからどういった道を進んでいくのかを見つめていきたいという思いがあった。そういう上から目線の言い訳をとっぱらえば、単純に彼女のことが好きだ。ただそれだけだった。
彼女が隠そうとする彼女を知りたい。何度か食事をしたり、彼女のアパートに実家から送られてきたさくらんぼを手土産に意気揚々と乗り込んだこともあったのだが、そこで見えた素の彼女は、舞台の上の虚像などが軽くかすんでしまう豊かな輝きに満ちていた。
僕はこういうブログをやっていることからもわかる通りに、重箱の隅をつつくようなジャンルのいくつかに強い愛情を持っている人間だと自負しているつもりなのだが、それについての議論をしたときに、僕が僕なりのこだわりをもって積み重ねてきた知識をフル稼動させてやっと互角、もしくは負けていると感じた相手はそうそういない。でも、彼女は僕がそうした貴重な感覚を得たまれな人物のひとりだった。
特にヘンな映画にかけての彼女の眼力はそうとうなもので、当時20歳そこそこだった彼女の唇から「臓物(ぞうもつ)」という単語が出てきたのには、ビックリを通り越してありがたい言葉を聴いた気分になってしまった。ロマン=ポランスキー監督の映画『吸血鬼』(1967年)についての議論ができたのもとてもうれしかったし、僕が斎藤美奈子の『紅一点論』(1998年)を読んでいないことについて軽く説教されたひとときも、あれから10年以上経っているのについ夕べのことのようによく憶えている。
とにかく楽しかった。自分の好きな女性だとかいう、性別の話を超えたところで「得がたいひと」だと感じることができた、そういう人だった。
ところが、日々の忙しさの堆積というものは残酷な力をもって僕の中にある彼女の存在感を薄れさせていってしまい、いつのまにか、僕と彼女との接点はわずかに、ある日なにげなく彼女から借りたアメリカのホラードラマのビデオ、たったそれだけになってしまっていた。
彼女と最後に会ったのは、たしか彼女が大学を卒業した年の夏ごろ、東京で芝居を観たときに彼女もたまたま同じ回を観ていて、せっかくだからと終演後に近くの喫茶店に入って互いの近況を語ったときだったと思う。
彼女はそのときには、東京でアルバイトをしながら独り暮らしをしていると話し、特にこれといった予定もなく生きていると冗談めかして、彼女特有の口を尖らせた表情をしながらフフフと笑いをもらしていた。僕も、今日会えると知っていたら借りてたあのビデオを返したのに、などと悔しがっていたと思う。
結局、あれ以降もビデオテープは返すことができないまま、2013年の今まで僕の家に眠ることになってしまった。
そして、つい先日。
僕は本当に、本当に情けないくらいにあっけない形で、彼女がすでに僕のいるこの世界から去っていたということを知った。
それは4年も前のことだった。彼女は、おそらく本人もかなり不本意なんじゃないかと思う最期を迎えていた。
運命というものが、どうしてそこまで残酷な仕打ちを彼女に叩きつけたのか、僕にはまったく理解できない。それは多少は生き方が不器用だと感じる部分はあったわけだが、かえりみれば僕のほうがよっぽど不器用な生き方をしているところもあったし、なによりも、僕の知っている全てはガキ同然の大学生時代の一部分の情報だけだ。彼女だったら、自分というものにあんなに真剣に向かい合っていた彼女だったのならば、卒業後の世界で一人前の人生を送ることもできたはずだった。
やはり、彼女はこの世界で生きていくにはあまりにも繊細すぎたのだろうか。いずれにせよ、彼女についてどうすることもできずに、しかもその結末を知りさえもせずにのうのうと生きてきていた僕に、それ以上の彼女についての真実を知る資格はないだろう。僕の手の届かない世界で、幸せに生きていることを願うよりほかはない。
単なる、昔にいくらか知り合ったことのある人、と割り切ってしまえばそれまでなのだが、僕のこのブログは、それを明確に意識していなくとも、彼女のような、魅力的な宝物を大事そうにかかえたり、他人にひた隠しにしながら生きていたり、あるいはそれを捨てたいと嫌悪しているような不器用な人に読んでもらえたらうれしい、と思って始めたところもあった。
その思いの中には当然、彼女本人がこの記事を読んだらどう思うだろうかと、つづる上での判断基準にする部分もあったし、できるのならば、彼女本人がこの存在を知って、コメントなりメールなりでなにかしらの反応を直接僕に送ってきてくれたら、などとも期待していた。
その願いは断たれてしまった。それどころか、僕がこのブログを始める前に、彼女は去ってしまっていた。もう笑うしかないすれちがい。いかにも僕らしい、涙も出ない間の抜けた話だ。
もう、僕がその知らせを4年前のその時に受け取らずに済んで幸せだったと考えるしかない。4年前に知っていたら……僕の生き方も変わっただろうし、ましてやこういう文章をつづるような生活もしていなかったに違いない。
彼女とは、たぶんもう逢えない。でも、彼女が置いていってくれた記憶は、僕は死ぬまで忘れない。忘れるわけにはいかない。
もう一度、手に取ったビデオテープのメモを読んでみた。
ドラマの11話目のサブタイトルは、
「11、Out of Mind , Out of Sight :去る者日々に疎し」
と書かれていた。
いや~、ちょっと、それはないんじゃないかな!?
もう一度、あのころのように彼女にふっかけてみよう。彼女は喜ばないかもしれないが、僕が生きていくために、彼女にも是が非でも生き続けてもらう。返事はなくともいい。
ドラマは全話1回ずつは観たはずなのだが、内容はまるで憶えていない。
実家にはたしか、まだビデオデッキがあったはずだ。今度帰省するときに、この重いビデオテープも持っていこう。