長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

小説全部やってくれ!! ~映画『ドラキュラ デメテル号最期の航海』~

2023年10月27日 18時58分26秒 | ホラー映画関係
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございます。
 いや~、今年2023年も後半戦に入りまして、ハロウィンの季節が近づいてまいりましたね。みなさまのまわりでも盛り上がってますか、ハロウィン!?
 うちの地元・山形では、ぜんぜん盛り上がってねぇず……

 確かに100円ショップや雑貨屋さんではハロウィンコーナーって毎年できてて、そこは秋の風物詩として一応定着しているようなのですが、実際に魔女やドラキュラの扮装をして外を練り歩いている子どもがいるのかっていうと、ねぇ……東北地方はもう寒ぃし。
 うちの近所の上山市という所では、秋に「かかし祭り」っていうのをやるんですよね。まぁ、そこらへんが収穫祭という意味では海外のハロウィンに近いものがあるでしょうか。でも収穫を祝うというのはわかるんですが、そこに「化け物の扮装をする」っていう要素が加わる途端に、多くの日本人にとっては「?」となっちゃうんでしょう。
 その一方で、東京やらなんやらという大都会では、ハロウィンの仮装行列って盛り上がりますよね。あれやっぱ、寒ぐねぇがらやれんだべなぁ。特に娘っこだづはバニーだナースゾンビだって薄着になっがらなぁ……山形じゃまんず無理だべね。

 秋は年末に向けてなにかといろいろ忙しくなる季節なのですが、そんな中でもヘンな扮装をして一夜の余裕を楽しむハロウィンという行事の気持ちに、あこがれはありますけどね。非日常の空気を楽しむという点で、やっぱりハロウィンは正真正銘のお祭りなんだと思います。
 ということで今回はハロウィン企画といたしまして、ちょうどこの時期に山形市の映画館でかかっていた、この季節にぴったりの映画をお題にしたいと思います。こちら!


映画『ドラキュラ デメテル号最期の航海』(2023年9月公開 119分 アメリカ)

おもなスタッフ
監督 …… アンドレ=ウーヴレダル(?歳)
原作 …… ブラム=ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』第7章『デメテル号の航海日誌』(1897年)
脚本 …… ブラギ=シャット Jr.(?歳)、ザック=オルケウィッツ(?歳)
撮影 …… トム=スターン(76歳)
音楽 …… ベアー=マクレアリー(44歳)

おもなキャスティング
クレメンス医師      …… コーリー=ホーキンズ(34歳)
アナ           …… アシュリン=フランシオーシ(30歳)
エリオット船長      …… リアム=カニンガム(62歳)
エリオットの孫トビー   …… ウディ=ノーマン(14歳)
ヴォイツェク一等航海士  …… デイヴィッド=ダスマルチャン(46歳)
オルガレン二等航海士   …… ステファン=カピチッチ(44歳)
ペトロフスキー二等航海士 …… ニコライ=ニコラエフ(41歳)
ラーセン二等航海士    …… マーティン=フルルンド(?歳)
エイブラムス二等航海士  …… クリス=ウォーリー(28歳)
調理師のジョセフ     …… ジョン・ジョン=ブリオネス(?歳)
ドラキュラ        …… ハビエル=ボテット(46歳)


 いや~、なんという好タイミング! ハロウィンといえば、やっぱりこのお方ですね! ♪どらどらきゅっきゅっ どらどら~。

 ドラキュラ、わたし大好きです!
 吸血鬼が大好きという話は、我が『長岡京エイリアン』でも過去に名優クリストファー=リーの訃報とか、小野不由美原作の本格的吸血鬼アニメ『屍鬼』についての記事とかで、すでに触れていたかと思います。そうそう、『屍鬼』の主題歌を唄ってたのが BUCK-TICKさんだったんですよねぇ。しみじみ。

 そこらへんで、具体的に吸血鬼という空想生物……というかジャンルのどこが好きかについては、あらかた語ったかと思うので繰り返しませんが、文学は無論のこととして、やっぱり吸血鬼文化の華は映画ですよね!
 吸血鬼映画なんて、もう数え上げればキリがないほど無数にありまして、私も好き好きと言っていながらも、今現在も新作がどんどん生まれているこのジャンルの作品すべてをチェックしているわけではないので大きな口は叩けないのですが、それでもあえて私の中での各部門ベストを挙げるのならば、

ビジュアル(美術)ベスト …… 『ドラキュラ』(1992年)
ドラキュラ俳優ベスト   …… 『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)
ロマン風味ベスト     …… 『ノスフェラトゥ』(1978年)
不吉さベスト       …… 『吸血鬼』(1932年)
トラウマエロ度ベスト   …… 『処女の生血』(1974年)
日本の吸血鬼映画ベスト  …… 『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)

 っていう感じになりますかね~。いや、ほんとに吸血鬼ってたくさんの要素が複雑にからんで成り立ってるキャラクター! 恐怖、ビジュアル、ロマン、不吉さ、そしてエロさ。
 こうして観てみると、吸血鬼っていうものはどうしたってキリスト教圏の産物ですよね。日本でももちろん吸血鬼文化は栄えてはいるのですが、先述の『屍鬼』にしろ上に挙げた『血を吸う眼』にしろ、ルーツを海外に求めないと説得力は生まれないんですよね。あとは岸田森サマとか岡田真澄さんとか、外見で強引に存在感をつけないと、日本での吸血鬼の跳梁は難しいですかね~。

 ともかく、さかのぼればなんと1913年の草創期から映画の題材になっているという吸血鬼は、1世紀を過ぎた今もなお、生ける人間たちを恐れさせ、魅了し続ける存在となっているのです。その命は、まさしく不死!
 そして、その輝かしい血みどろの歴史に、いま新たなる1ページが! というわけで、この『デメテル号最期の航海』なわけなんですが。

 この作品、いまひとつ話題にならない。

 なんでか全然わからないのですが、原作小説『ドラキュラ』(1897年)の一部をがっつり映像化している作品だというのに、Wikipedia でもドラキュラ関連の映画作品の中にまったく名前があがらないのです(2023年10月現在)。『ドラキュラ ZERO』(2014年)とか『レンフィールド』(2023年)とか、けっこう自由に『ドラキュラ』から離れている作品も名を連ねているのに、よっぽど原作に準じていると標榜している本作だけは無視されちゃっているのです。なんで真面目な子がつまはじきにされるのか……

 この映画『デメテル号最期の航海』は、何度も言うようにあまたある吸血鬼文学の中でも最も有名なキャラクター「ドラキュラ伯爵」の登場する長編怪奇小説『ドラキュラ』(作者・ブラム=ストーカー)の中の「第7章」のみをピックアップしてひとつの作品に仕上げたものです。
 ある作品の一部だけをつまみとって約2時間の映画になんて、できんの!? と思われるかもしれませんが、小説『ドラキュラ』はかなりボリュームたっぷりな一大スペクタクル長編でして、とりあえず手元にある創元推理文庫版をみてみましても、注釈ぬきの本文のみで543ページあります。なかなかのもん!

 ちなみに、今現在の日本で入手しやすいものだけでも『ドラキュラ』の訳書はかなりたくさんあり、この作品の今なお衰えぬ人気を雄弁に物語っております。以下、こんな感じ。
・創元推理文庫版『吸血鬼ドラキュラ』(1971年出版 平井呈一・訳)
・水声社版『ドラキュラ 完訳詳注版』(2000年出版 新妻昭彦&丹治愛・訳)
・角川文庫版『吸血鬼ドラキュラ』(2014年出版 田内志文・訳)
・光文社古典新訳文庫版『ドラキュラ』(2023年出版 唐戸信嘉・訳)
リライト小説
・角川文庫版『髑髏検校』(1939年出版 横溝正史・作)
・講談社版『菊地秀行の吸血鬼ドラキュラ』(1999年出版 菊地秀行・作)
・小峰書店版『ドラキュラ』(2012年出版 リュック=ルフォール・作、宮下志朗&舟橋加奈子・訳)
・集英社みらい文庫版『新訳 吸血鬼ドラキュラ・女吸血鬼カーミラ』(2014年出版 長井那智子・訳)

 どうです、よりどりみどりでしょ!
 私も全バージョンを持ってるわけじゃないんですが、やっぱり初の完訳版となった平井呈一大先生の創元推理文庫版と、フランスのバンド・デシネ作家ブリュチの雰囲気たっぷりの挿絵がすばらしい小峰書店の絵本版がイチ押しですね。絵本っていっても怖すぎて子どもに読ませられねぇ!
 あと、なにげに角川文庫版の表紙絵もいいですよね。山中ヒコさんによるイラストなのですが、一見ドラキュラらしくなくてピンと来ないのですが、小説を読んでみると、主人公のひとりジョナサン=ハーカーがロンドンのど真ん中で若返ったドラキュラ伯爵を見て心底恐怖する瞬間であることがわかるわけです。にしても、あのあっさり顔の美男子が、年とると手毛もじゃもじゃで眉毛つながりで息むちゃくちゃ臭いおじいちゃんになるんだもんね……加齢って、やーね。
 余談ですが、平井大先生が『ドラキュラ』の完訳版に先駆けて抄訳版を日本で初めて出版したのは1956年なのですが、それよりもずっと古い戦前にすでに『髑髏検校』を世に問うている横溝正史神先生は、やっぱスゲーな! あれ? 我が『長岡京エイリアン』でも、この『髑髏検校』をレビューしようとしてそのまんま塩漬けになってしまっている記事があったような……そっちの完成は、いつかな!?

 さらに余談になるのですが、今回の『デメテル号最期の航海』の日本公開に歩調を合わせたかのように、詳しい注釈のうれしい光文社古典新訳文庫版が今月出ています。思い起こせばおよそ30年前、私が思春期の頃にコッポラ監督版の『ドラキュラ』が公開された時も、確か新書版で小説『ドラキュラ』というか映画のノベライズ(竹生淑子・訳 ソニー出版)が出ておりまして、読みやすくショートカットされていることもあって、私は夢中になって読んでおりました。子どもにはちょうどいいサイズでしたよね! 文章だから、モニカ=ベルッチのエロエロ女吸血鬼とかウィノナ=ライダーの雨でネグリジェスケスケのたゆんたゆんとかいう不純な刺激もなかったし。ちきしょう!!

 とにもかくにも、一読瞭然、小説『ドラキュラ』はふつうの一人称もしくは三人称の語りによる小説ではなく、複数の登場人物の日記や手紙、当時最新技術だった蝋管式蓄音機による録音メモ、新聞記事などの断片資料が時系列順にならんで一つの物語を形成するという、かなり実験的かつアグレッシブな作品となっております。そこらへんをコッポラ版の『ドラキュラ』はなんとか映像化しようと四苦八苦していたのですが、たいていのドラキュラ映像作品は群像劇リレー形式をきれいさっぱり無視してドラキュラ本人か最初の主人公のジョナサン、もしくは後半の主要人物である吸血鬼退治の専門家ヴァン=ヘルシング教授あたりを主人公にすえたダイジェストとなっているわけです。小説全体をまるごと忠実に映像化するのは至難の業なんですな。

 そんな長大な小説『ドラキュラ』の中でも、今回スポットライトが当てられることになったエピソード「デメテル号の航海」とは、7月6日に東ヨーロッパの黒海沿岸にあるブルガリア公国(実質ロシア帝国領)の港湾都市ヴァルナから、イギリスのロンドンに向けて出港したロシア船籍のデメテル号という輸送貿易船が、8月8日から9日にかけての深夜に船長1名のみの変死体を乗せた異常な状態で、ロンドンからだいぶ北に離れたイングランドのウィトビーに座礁漂着したという事故の報を、たまたまウィトビーに来ていたメインヒロインのミナ=マリーが伝え聞くというだけの挿話です。
 こういった感じの間奏曲的なポジションで登場人物がまったくからまず、「ドラキュラがヨーロッパから海を渡ってイギリスに上陸したらしい」という情報だけがほのめかされる第7章は映像化の機会が特に少なく、有名作で言うとコッポラ版『ドラキュラ』でデメテル号の惨劇らしき映像モンタージュがトータル1分足らずセリフ無しで流れたくらいが関の山で、ヴェルナー=ヘルツォーク版『ノスフェラトゥ』では船員の死体と、ペスト菌を保有した大量のネズミを乗せたデメテル号が漂着する異様に静かなカットが印象に残るのみ。ベラ=ルゴシ主演の『魔人ドラキュラ』(1931年)やクリストファー=リーの『吸血鬼ドラキュラ』にいたっては、ドラキュラが船に乗ってイギリスにやって来るくだり自体が丸ごとカットされているしまつです。
 そんな中でも、デメテル号内での恐怖を比較的ちゃんと映像化しているのが、『ノスフェラトゥ』のリメイク元である最初期のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)で、実は諸事情あってこの作品は21世紀現在、62分短縮版と94分復元版の2バージョンが存在しているのですが、どちらにしても、しっかり尺を割いてデメテル号の船内で跳梁する吸血鬼(ドラキュラじゃないけど実質ドラキュラ)と、それに恐れおののく船長と一等航海士の姿を描いています。やっぱ元祖は偉大なり!

 そして、この古典的作品『吸血鬼ノスフェラトゥ』について忘れてはならない……というか忘れたくてもインパクトがありすぎて忘れられなくなる重要ポイントが、いわゆる「ノスフェラトゥ型吸血鬼」の原点でもある、ということなのです。演じるはマックス=シュレック!
 ノスフェラトゥ型吸血鬼というのは、まさに読んで字のごとく、この『吸血鬼ノスフェラトゥ』で創始された吸血鬼のビジュアルパターンなのですが、一見してわかる通りの「禿頭」、「とがった耳」、「ネズミのように異常に長く伸びた前歯」、「死者のように真っ白い肌の色」といった外見的特徴を持った吸血鬼のことです。当然、ベラ=ルゴシやクリストファー=リーで定着した「黒マントと黒服もしくは夜会服」、「オールバックになでつけられた豊かな黒髪」、「長身で貴族的な身のこなし」、「異常に長く伸びた八重歯」といった特徴の「ダンディ紳士型吸血鬼」とは、まるで異なる系統のビジュアルなわけです。
 当然、世間で人気があるのは後者の方で、ハロウィンでド定番の扮装パターンになっているのはもちろん、コントで手っ取り早く吸血鬼が出てくるとすれば絶対に格好は黒マントに黒髪ですし、手塚治虫や藤子不二雄のマンガから今年のマクドナルドの CMにいたるまで、いつの時代でもまんべんなくお出ましになるのはカッコいい紳士タイプです。
 それに対してノスフェラトゥ型はといいますと、確かに知名度においては圧倒的に不利ですし、第一ハロウィンでわざわざハゲヅラをかぶってわしゃドラキュラじゃと言い張るような猛者も少ないと思うのですが、やはり100年前に世を驚愕させた『吸血鬼ノスフェラトゥ』のインパクトは絶大で、上述の『ノスフェラトゥ』以降も、スティーヴン=キングのホラー小説『呪われた村』(1975年)の映像化作品である『死霊伝説』(1979年)や、『吸血鬼ノスフェラトゥ』の撮影背景を大胆にアレンジした問題作『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(2000年)などで、思い出したようにたま~に復活するのが、いかにも陰気で不気味なノスフェラトゥ型なのです。中には、さっそうとマントを翻して闊歩するダンディ紳士型のようでいて実は……?といった意外性のある、やはりスティーヴン=キング原作の『ナイトフライヤー』(1997年)のような作品もあります。全体的に「わかってる人はノスフェラトゥ型だよね!」というマニアックな人気がある感じですね。


 そんな中で、やっと本題、今回の『デメテル号最期の航海』の話になるわけなのです。長い! 前置きが長すぎるよ!! でも、この歴史の厚みこそが吸血鬼文化よ!
 そう、この作品に登場するのは、明らかにノスフェラトゥ型の最新アップデート版なのです。これはネタバレにならないでしょ。だって、ドラキュラ役が、あのハビエル=ボテットさんなんですよ!? そんなん、彼がフツーに貴族然とした紳士に落ち着くわけがないじゃないですか!

 話を戻しますが、この作品の原作は、創元推理文庫版で言うと全体で543ページある小説の中のほんの一部、たった16ページの文章だけになります。新聞『デイリーグラフ』紙の8月8・9日付記事の切り抜きと、難破したデメテル号の船内に残されていた航海日誌のうちの7月6日~8月4日の記述だけがその内容すべてなわけで、そこに登場するのは、映画の冒頭で座礁したデメテル号の事故調査にあたる港町ウィトビーの警察関係者と、デメテル号船員の「ペトロフスキー」、「エイブラムス」、「オルガレン」、「一等航海士」、そして日誌を書いてデメテル号にひとり死体となって残っていた船長のみとなります。なお、原作小説によると船長はロシア人らしく(名前は言及されず)、日誌もロシア語で書かれています。「船員5名、航海士2名、コック1名、船長」の計9名がデメテル号の乗組員だと書かれているため、上記の他に船員2名と航海士1名とコック1名がいたはずですが、彼らの名前までは語られていません。

 対して今回の『デメテル号最期の航海』での乗組員はイギリス人のエリオット船長、原作通りのヴォイツェク一等航海士、ペトロフスキー、エイブラムス、オルガレン、コックのジョセフ、その他にラーセン二等航海士、エリオット船長の孫のトビー、飛び入りで航海に参加したクレメンス医師の計9名となる……はずなのですが。

 ここからは、小説『ドラキュラ』になかった映画オリジナルの要素についての話になりますが、ふつうに小説の当該箇所を映像化するだけでは、主要登場人物が全員死亡のバッドエンドまっしぐらですし、そもそも何者に襲われているのかさえ一切わからないまま死ぬという、脇役にしてもあんまりな扱いになってしまいます。しかも、映画は冒頭の大嵐シーンでデメテル号の座礁漂着した無残な船体と生存者絶望視のありさまをがっつり描写していますので、結論がもう出ちゃってる前提で、約2時間どうやって観客の興味を持続させていくのか、そうとう巧妙な舵取りが必要となっていくわけですね! 自分で自分を追い込んでるな~!!
 そこで実にうまく本作に組み込まれたオリジナル要素こそが、「クレメンスの飛び入り乗船」と「謎の密航者アナ」のふたつだと思うのです。

 要するに、船員全員が死亡という原作の描写に矛盾することなく希望の残るラストにするために、新聞記事と航海日誌という間接的な記録資料で成り立っている原作の特質を逆手にとって、「急場のアルバイト採用だったのでクレメンスは記録されなかった」という離れ業をやってのけたわけです。なるほど~! うまくやったもんです。そして、クレメンスが誰でもいい以上、ヨーロッパに新天地を見出そうとした先進的な黒人さんであってもいいじゃないかと。作品に新風が入りましたね。
 そして、オリジナル主人公クレメンスの登場以上に重要だったのがアナという紅一点キャラの追加で、なんとドラキュラ伯爵が「長旅のおべんと」感覚で持ってきていた地元トランシルヴァニアの村娘という、クレメンス同様のウルトラC で、この物語に参加してきたわけなのです。
 このアナの存在は当然、19世紀の輸送貿易船の常識としては考えられなかった「船に女性が乗ってる!?」という状況を作り出すことで、映画としても画面にアクセントが加わりますし、吸血鬼作品らしくほのかなロマンスも生み出す効果があると思います。でも、今作の船内状況はかなり切迫して衛生的にもギリギリなものですので、それでもあえてわけわかんない病人のアナにアプローチをかけようというオットコ前な船員はおらず、一様にヒロイン扱いせずに忌み嫌っていたのが印象的でしたね。アナふんだりけったり!
 また、アナ役の女優さんが絶妙に美人すぎないのもいいんですよね。ひたすら薄気味の悪い密航者という感じです。

 ヒロインの機能が無いというのならばアナの存在意義はどこにあるのかと言いますと、それはもう、今作の中での解説者、つまりはこのデメテル号に潜む恐怖の存在が何者なのかという肝の部分を、わかりやすく船員たちと観客に伝えてくれる役割なんですよね。これは重要です!
 つまりこれ、出てくるドラキュラ伯爵が定番のダンディ紳士型だったら、いつもの調子のよさでクレメンスか船長あたりを相手にして「冥途の土産に教えてやろう! わしはこれこれこういう目的で帝都ロンドンに引っ越すのじゃ。」みたいな聞いてもいない解説を自分からとうとうと語ってくれるはずなのですが、いかんせん今作の伯爵は恐怖一辺倒で比較的寡黙なノスフェラトゥ型ですので、めんどくさいからアシスタントのアナちゃんにかわりに説明してもらいました、という事情があったのでしょう。アナちゃんは『お笑いマンガ道場』の川島なお美さんかっつうの! イエーイ、令和にこの例え☆
 冗談はさておき、アナの説明をもって今作のドラキュラがますます無口になり、それによって「話の通じない絶対的恐怖」感が増強されたことは間違いないです。ウーヴレダル監督は、とにかく神経質なほどに、ハロウィンなどでの看板キャラとなり親しみさえ湧く存在になっているドラキュラ伯爵というイメージを一掃したかったのでしょうね。怖さマシマシ!
 イメージ払拭というのならば、「十字架持ってりゃなんとかなる。」という吸血鬼対処法を気持ちいいくらいにぶっ飛ばして襲いかかる伯爵の強引さも実に印象的でしたね。これ、確かに十字架自体は好きじゃないんでしょうけど、「触んなきゃいいんだろ、触んなきゃよう!」みたいな勢いで体当たりをかまして、十字架を吹き飛ばすか人間を気絶させるかしてからゆっくり血を吸うという、今作のドラキュラさんの非常にドライな対応に、実際の私達の生活の中での「クマ対策の鈴とかラジオの音」にも通じる問題点を感じたのは、私だけではないでしょう。え、私だけ!?

 すなはち、クマが人間の出す騒音を避けるのは、「人間の弱さ」を知らないからなのです。知らないからビビるだけなのであって、人間が自分たちクマと比較して格段に弱い生物であることを知ってしまった(人を殺してしまった)クマがもしいた場合は、音を立てようが何しようが全く効果はないといいます。
 これと同様に、十字架を持っている人間が弱い、つまり吸血鬼にビビりまくっているとしたら、十字架を持っていても意味は全く無いのでしょう。吸血鬼の脅しに屈しない確固たる意志を持った人間が掲げるからこそ、十字架は吸血鬼を退ける霊験を発揮するというシステムなのではないでしょうか。だから、そこら辺に落ちてた棒っきれと棒っきれを垂直に交差させれば吸血鬼は逃げ出すよ、なんていうことはあるわけないのです。「お前なんか怖くないぞ、お前なんか神の摂理に背いてるだけの寂しい異常者なんだぞ!」と胸を張って論破できる人じゃないと吸血鬼はやっつけらんないんだろうなぁ。ですから、敬虔なる禅宗信徒である私なんかは、ヴァンパイアハンターになれる資格はありません。

 なんか、今回の記事は吸血鬼モノへの愛情のパトスがほとばしりすぎて、いつも以上に支離滅裂なものになっちゃってますね……結局、映画の感想ほとんど言ってないじゃん!

 それでも字数が相変わらずのいい加減にしなさいラインを超えようとしていますので、そろそろまとめに入ってしまうのですが、今回の映画『デメテル号最期の航海』は、非常に手堅い秀作だと思います。
 そうなんですが、どうしても「壮大な物語の中の一部分のみを映像化した」スケールの小ささが否定できず、一つの作品としての完成度は申し分ないのですが、結局は「悪者が退治されない(物語が終わらない)」という消化不良感が残ってしまう作品であると感じました。いや、そりゃドラキュラ伯爵がイギリス狭しと大暴れするのはこの映画が終わってからなんで、しょうがないんですけどね。
 ウーヴレダル監督が、今作を制作するにあたって吸血鬼映画と同様に参考にしたという、あの超名作 SFホラー映画『エイリアン』(1979年)を例に挙げるのならば、ラストであのエイリアンがのうのうと地球に行っちゃうバッドエンドになっていいんですか?それで一つのエンタメ作品のオチにしていいんですか?って話なんですよね。終われないだろ~!

 だとしたら、あなた……やっぱこのウーヴレダル監督とボテット伯爵のペアで、今作の前後の『ドラキュラ』全部を映画化するっきゃないよね~!!

 やってほしいな~。いや、たぶん今作がヒットしたら、そうする腹づもりなんじゃないの? でも、これヒットしてるかな……

 でも、今作は本当にほぼ完全再現されている実物大の帆船セットのリアル感も雰囲気満点ですし、登場する俳優さんがたもうまい人ばっかりなんで、満足度は非常に高いと思うんですよ。特に、トビー少年を演じた子役のウディくんが上手なんだよなぁ! この子は将来有望だぞ。
 あと、ちゃんとドラキュラ伯爵が怖いというのも大事ですよね。そして、怖さがパワー推し一辺倒なんじゃなくて、濃霧の中や帆船の帆の向こうでばっさばっさと羽ばたく姿がほの見えたりする幻想性をまとってるのも高ポイントですよ! そうそう、今回の伯爵って、ノスフェラトゥ型なのにネズミ系じゃなくてコウモリ系なんですよね。ネズミは序盤で船から逃げちゃうんだもんね。

 ただ、なにかと原作小説にこだわっていながらも、どうにもこの作品の煮えきらないのは、ウィトビーのどこかにいるはずの原作小説の超重要人物ミナ=マリーが映画にいっさい登場しないとか、原作通りならば座礁したデメテル号から跳び出していくはずの、犬か狼のような野獣に変身したドラキュラ伯爵の姿がまったく描写されていないとかいう、そのくらいのファンサービスはしてほしいな~というポイントを完全無視しているところなんですよね。な~んか冷たいんだよなぁ。「続き、あるかもよ!?」くらいの見栄は張ってもいいと思うんですけどね。

 これだけじゃ終わんないですよね!? 期待してますよ~、ウーヴレダル監督!


 最後に蛇足ですが、人間、あこがれてると夢はかなうんだなぁ~と私がしみじみ感じた体験を、ちょっとだけ。

 私、何度も言うように吸血鬼が大好きなんですが、今年の夏、自分の部屋で寝ていてふと目を覚ましたら、闇の眷属たるコウモリちゃんたちがキーキーパタパタ、へやじゅうを飛び回っておりました……

 私の部屋、壁に通気口があるから、日中のあまりの暑さに避難していたやつらが、そこから入ってきたみたいなのね。コウモリが飛び回る寝床って……いや~、これで吸血鬼に一歩近づいたネ! よかったよかった。

 「飛びねずみ」とはよく言ったもので、日本のコウモリってちっさくてかわいいですね。ごみ袋ぶん回して全員捕まえて外に逃がすの、大変だったよ~。素手で触るのは、危険だからやめようね!
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生ける伝説!! 岡山のプリキュアさん「キュアまこぴー」を見よ!! ~本文~

2023年10月22日 11時22分28秒 | アニメらへん
≪知る人ぞ知る伝説のプリキュア「キュアまこぴー」に関する詳細は、こちら!≫

 え~、それで本題なんですけれどもね。

 前置きはほんとに省略しちゃうんですが、まず日本の中国地方に実在するプリキュアさんの話をする前に、その前提として2004年から続く東映アニメーション、そしてテレビ朝日「ニチアサ枠」の伝統シリーズである「プリキュアシリーズ」に関する極私的なつれづれをば、ほんとにちょっとだけ。
 今さらプリキュアシリーズの説明など、我が『長岡京エイリアン』を訪れるようなもの好きな方々には不要かと思われるのですが、今年2023年はシリーズにとって特に重要なアニバーサリーイヤーに設定されているようで、今年の2月から放送されているシリーズ第20作『ひろがるスカイ!プリキュア』は「シリーズ20周年記念作品」という金看板がついており、来月9月に公開される予定の映画もまた、歴代シリーズの人気プリキュアたちが大挙して登場する『プリキュアオールスターズ』シリーズの最新作となるようです。ものすごい活況!
 ただ個人的には、2004年放送開始のシリーズの「20周年記念作品」が2023年放送開始の作品というのが、ちょっと釈然としないものがあるのですが……振り返るとプリキュアシリーズの10周年記念作品が、ふつうに2014年放送の『ハピネスチャージプリキュア!』だっただけに、なおさら気になるんですよね。なにをかさほどに急ぐことやは、ある!?
 わたくしの推測では、このプリキュアシリーズの不思議なカウントルールの変更は、おそらく同じように今年2023年が「放送開始10周年」というアニバーサリーイヤーとなる『キッチン戦隊クックルン』シリーズをつぶしにかかるための奇策かと思われるのですが……真相はよくわかりません。同じ変身ヒロイン同士、仲良くしてくだされ! 3代目クックルン、万歳!!

 また、男性である私とプリキュアシリーズとの関係の遍歴をかいつまんで語らせていただきますと(ほんと、個人ブログでしかできない愉悦……)、はっきり言いまして私が本格的に興味を持ち始めたのは、恥ずかしながらもシリーズ開始からだいぶ時間が経過した2014年の『ハピネスチャージプリキュア!』からでして、それも生活上の必要があってなんとなく勉強してみた、みたいなビジネスライクな始まり方だったのです。
 それからまぁ10年くらい時が経ちまして、さすがにシリーズ全話を毎週チェックするような時間的余裕も持ち合わせておらず、特に日曜日の朝なんかグースカ寝てるに決まってるみたいな生活サイクルにもなっていましたので、過去作品も併せて全体的になんとな~く知ってると言えるくらいの知識は持ったかな、みたいなゆるさにとどまっている状態です。
 我が『長岡京エイリアン』でも、劇場版作品の諸作をレビューする「準備だけはできている」という状態の記事がゴロゴロ塩漬けになっているていたらくなのですが、これはやっぱり、アニメ作品として非常に質の高いテーマ性が込められている意欲作が多いからなんですよね。芸能人ゲストの声優起用という「悪癖」はありながらも、基本的には実力のあるプロの声優さんがたが一堂に会するシリーズですし。
 いやほんと、これらの劇場版作品群のレビューは、いつか必ずやります! 需要があるかどうかは度外視ですが……待っておられるなんていう奇特な方、もしもいらっしゃったら、ほんとすんません!!

 まぁそんなこんなで、もはや日本人であったら聞いたことがない人はいないのではないかという一大ブランドとなったプリキュアシリーズなのですが、親御さんが安心してお子さんに見せられる子供向けアニメという性質上、守るべきルールはガッチリありながらも、例えば今年の『ひろがるスカイ!プリキュア』においては「イメージカラーが青のプリキュアが主人公」、「シングル家庭で育ったプリキュアの登場」といったように、社会情勢の変化に応じた史上初の試みがアグレッシブに取り入れられており、その中でも特に話題性が高いのが、「史上初のレギュラー男性プリキュア」というトピックなのではないでしょうか。

 女児向けのアニメ番組なのに、男のプリキュア!? 唐突に効くとビックリしてしまうような話ではあるのですが、さすがは20年の歴史を擁するシリーズといいますか、今年の男性プリキュア=キュアウイングの誕生に至るまで、シリーズでは徳川家康に匹敵する忍耐強さで製作スタッフ陣がこつこつと前提土壌を醸成してきたあゆみがありました。
 すなはち、「男性のプリキュア支援者(『フレッシュプリキュア!』など)」、「妄想の中で語られた男性プリキュアの可能性(『ハートキャッチプリキュア!』)」、「プリキュア好きが高じてプリキュアを名乗った男性芸能人(『スマイルプリキュア!』)」、「プリキュアの超能力のみを科学的分析で搭載したスーツを着装した男性(『ドキドキ!プリキュア』)」、「女性プリキュアに変身する男性悪役(『ハピネスチャージプリキュア!』)」、「きわめてプリキュアに近い超能力を有した男性(『キラキラ☆プリキュアアラモード』)」、「特例的に一度だけプリキュアになった男性(『HUGっとプリキュア!』)」、「もはや老若男女分け隔ての無い人類プリキュア補完計画(同じく『HUGっとプリキュア!』)」、そして昨年の「プリキュアとレギュラー出演的頻度で共闘する男性ヒーロー(『デリシャスパーティ♡プリキュア』)ときて、満を持しての今年のレギュラー男性プリキュアと……これまさに、石橋たたきまくりの慎重の上に慎重を期した隠忍自重の歴史!!
 しかも、よくよく観てみれば今年の男性プリキュアだって、「人類ホモサピエンスの男性プリキュア」じゃありませんからね。鳥類! 鳥類のオスのプリキュアですから。禽獣史上初のプリキュア(いわゆる禽プリ)としては画期的なのかも知れませんが、ここが完全無欠なゴールではないということで、来年以降も、「男とプリキュア」という大問題は継続して審議されてゆくことでしょう。深いな~!!

 ここでちょっとただし書きを入れておきますが、シリーズ20周年記念企画の一環として現在、シリーズ史上初の「オリジナル演劇作品」として、『 Dancing☆Star プリキュア』(2023年10・11月 東京・大阪で上演予定)というタイトルがアナウンスされており、そこに登場する新プリキュア5名が全員、人間の男子高校生らしいという驚天動地の新情報が入っております。でも、これ……いや、大いにがんばっていただきたいところなのですが、公式のお達しとはいえ、はいそうですかとすんなり受け入れる気にならないんだなぁ~、わたし! なんか釈然としないというか、プリキュアとして認識できないというか……私が男だからなのか、作品をホイホイ見に行けない地方在住だからなのか、『テニミュ』みたいなイケメンステージ文化に全く疎いからなのか。まずまず、今は静観しましょう。彼らがアニメの世界に、ゲスト扱いでも何でもいいから入ってきたら、認める!!

 でもまぁ、20年という歳月を費やしても、鳥のオスがプリキュアになれるのがやっとってんですから、人間の男性がレギュラー出演クラスのプリキュアになるのって、そんなに難しいことなんだなぁ。宇宙人とか精神体とかもののけ(人魚)だってプリキュアになれるのに! どんだけ高い未踏峰なのでありましょうか。

 されど、されど。

 日本の中国地方に、ひとり、公式プリキュアシリーズがこれほどまでに過酷なハードルと想定していた「男性」という壁を、キュアウイングをさかのぼること実に13年前、あっという間に軽々と乗り越えて変身を遂げたプリキュアが、すでにいたのだ!! 男性……? いや、性別はプリキュアです!!

 まず、これだけは声を大にして言わなければならないのですが、キュアまこぴーさんは化粧はしっかりしていても、「着ぐるみ」を着ているわけでは絶対にありません。ほぼ素顔でプリキュアに変身しているのです。
 これ、ほんとにものすごい難行ですよ……しかも、「旅の恥はかき捨て」的に、自分の実生活に関係の無い遠方に出かけて変身しているわけじゃないんです。がっつり自分が居住して仕事をしている生活圏内でほぼ定期的に変身しているんですよ!
 とてつもないことです。当然、変身を13年続けているその体力も尋常ではないのですが、まずその行動の原動力として、「自らの行いにいっさいやましい部分が無い」、つまりは何も隠す必要が無いという精神の硬度が、もう人を超えてダイヤモンド級ですよね。生きながら神話になりつつあるお方なのじゃ……
 このようなお方を、最近ちょっとニュースになりかけた性犯罪者と一緒にしちゃあ、いけませんよね。これこそが、仮装と変身の違いなんですよ。「何も隠さずにすべてをなげうつこと」こそが、真のプリキュアに変身できるようになる最低条件なのです。そういう意味で、プリキュアの変身は、昭和の仮面ライダーの変身とは微妙に違うニュアンスがあるんですよね。プリキュアはどっちかというと、人類のために命をささげる行為が認められて変身できるようになるウルトラシリーズのほうに近い自己犠牲の精神があると思います。昭和ライダーは、行き過ぎた科学の犠牲になって変身する身体になってしまったという哀しみもあるし。

 変身し続けるキュアまこぴーさんは言わずもがななんですが、周囲の倉敷市および岡山県の皆さんの中にも、その活躍を認めたり、むしろ応援したりする方が多いということにも驚きます。これが、10年以上続けるという時の重みのなせる業なんですかね……ふつうの一般市民だったら、プリキュアの応援なんかしてられずに、ほうほうのていで悪者から避難するのがやっとですよ。岡山の皆さんは応援どころか、激烈なバトルのすぐ近くで海水浴とかスキーに興じてられるんだもんね。さすがは桃太郎の故郷ですわ。

 完全に余談なのですが、私、千葉県で独り暮らしをしていた時に、松戸市の大きな公園で開催された市民フェスティバルに運営ボランティアで参加したことがあるんですよ。その時に、当時の最新プリキュアチームのコスプレをした4~5人の集まりを見かけたのですが、遠巻きに見て笑う人はいても、直接声をかけたり一緒に写真を撮ってもらおうとしたりする猛者な親子連れは、まずいなかったですよ。ご本人たちの振る舞いや意図に関わらず、やっぱりこういったコスプレ扮装って、コミケやハロウィンといったそうとう強力な「場の空気」というか、参加者全員の「そういう人たちがいてもおかしくないところ」という意識共有がちゃんとできていないと、明らかな異質感というか、「やばい人がいる……」みたいな張り詰めた緊張が走るもんなんだと思います。決して悪いことをしてるわけでもないのに、ほぼ瞬間的に「見ちゃいけないもの」に指定してしまう脳みそが確実にあるんですよね。例えが適切でないことを承知の上で言いますが、電車の中に一風変わった人がいる時って、車内の他の人達って一言も話したり目を合わせていなくても、「あの人、見ちゃだめ……」みたいな警戒アラームが気づいた全員の脳内に発信されるじゃないですか。ことの重大性が全然違いますが、コスプレしてる人って、周囲に与える影響の種類がそれに通じるところはあると思うんですよ。やっぱり見る人が無意識に身構えてしまう危険性を感じてしまうというか。こういう感覚におちいると、私達人類も今でこそ霊長類だとかなんとかデカい口をたたいてはいますが、その DNAにはいにしえのご先祖ネズミさまの危険察知本能が残っているのだなぁ、としみじみ実感いたします。インパラとかシマウマみたい。
 ともかく言いたいのは、そこが休日のイベント会場であろうと、コスプレをされている方に近づいたり話しかけたりするのは、そうとうな勇気が必要になる抵抗が発生してしまう、ということなのです。ましてや、その方が人々の認知と親しみを集めうる日常的な風景になるなど、とてもとても……
 ところが、なんとその集団意識のハードルを乗り越え、その地のゆるキャラに近い存在になりおおせているコスプレイヤー……いやいや、プリキュアがいるというのです。それこそが、かのキュアまこぴーさん、その人なのだというのですよ!!

 要するにキュアまこぴーさんは、一般市民のみなさんに浸透しているヘンな格好の人への警戒感を、休日の変身出動の愚直なまでの繰り返しと回数の積み重ねによって、「でも、けっこうよく来る人よ。」だったり「昔からいるよなぁ。」という認識を加えることで少しずつ無効化しちゃってるんですよね。この、「なにやってんだあいつ……」という冷たい視線を受けながらも、いつか来る共存共栄の日のため耐えて耐えて耐え抜く姿って、もはや聖人としか言いようのない域に達していると思います。行基上人みたいな無心無欲の草の根活動ですよね。一体なんのためにやってるんだろうって……そりゃあんた、岡山の平和を守るために決まってますよ!
 まさに雨だれ石を穿つといいますか、さざ波が海岸の巌を削っていくかのような、見返りをいっさい求めない努力の日々。この、岡山県民の心の ATフィールドをクイックルワイパーで拭い去ってゆくかのような行の日々こそが、キュアまこぴーさんの偉業の本質なのではないでしょうか。これもう、ヒロインっていうか修験者や修行僧の世界よ……

 余談ですが、そういえば岡山県倉敷市って、毎年秋に「金田一耕助1000人コスプレ大行進」みたいなイベントも自治体主催でやってらっしゃいますよね。コスプレに寛容な土地柄なのか? ちなみに、こっちのイベントは2009年から始まってるらしいですよ。なんか、2010年から始まったキュアまこぴーさんの活動と妙に歩調が合っているような……よもや両者には、なんらかの相関関係があるとでもいうのか!? きぃちがいじゃがしかたがない!!

 ここで、キュアまこぴーさんの2010~21年、計49話にいたる変身と孤独な闘いの悠久の歴史を振り返ってみたいと思います。2023年の10月時点で、2021年のキュアアース回以降、待望の最新第50話はいまだ発表されていないのですが、ご自身が全くお変わりなく元気に休日変身を続けておられるご様子は、キュアまこぴーさんの SNS日記でもうかがえます。どうやら今年の夏はキュアバタフライに変身する機会が多かったようですね。そうくると思ったよ~!
 さらに、実はつい先月の9月24日には、キュアアースとラテ様が登場する『とりあえずプリキュアに変身してアレを守ってきた』という最新エピソードが更新されているのですが、こちらは当時話題となっていた大手中古車販売業者の保険金不正請求問題をネタにした、写真画像にして7枚で終わる4コママンガ的ショートストーリーになっていますので、我が『長岡京エイリアン』としましては、こちらは話数カウントに入れないことにさせていただきます。記念すべき第50話は、いつになるかナ~!?

 先ほど、「キュアまこぴーさんが今年変身するならキュアバタフライだろう」と申しましたが、実は、キュアまこぴーさんが変身するプリキュアには、ファンならすぐにピンとくる法則性のようなものがあります。
 前回の資料編でもまとめたように、キュアまこぴーさんが『とりプリ』シリーズで変身した主人公プリキュアは、第1シーズン(全14話)の共通主人公であるキュアパッションから最新第49話のキュアアースにいたるまで21名いるわけですが、ここで、彼女たちの特徴に応じた内訳を分析してみましょう(特徴の重複は便宜上省略しています)。

〇へその出ている衣装のプリキュア …… キュアベリー、キュアメロディ、キュアサンシャイン、キュアマーメイド、キュアエール
〇 TV版の主人公プリキュア    …… キュアピーチ、キュアブロッサム、キュアハッピー、キュアハート、キュアラブリー、キュアミラクル
〇光堕ちしたプリキュア      …… キュアパッション、キュアビート
〇黄色の衣装のプリキュア     …… キュアパイン、キュアハニー
〇紫色の衣装のプリキュア     …… キュアソード、キュアアース
〇その他             …… キュアアクア(青)、キュアリズム(白)、キュアショコラ(赤)、キュアミルキー(緑)

 かなりざっくりとした分け方で恐縮なのですが、こうして見ると、キュアまこぴーさんが変身に選ぶプリキュアの条件がほの見えてくるのではないでしょうか。やっぱへそだね~!!
 すなはち、シリーズ草創期は当時すでに放送されていた『フレッシュプリキュア!』(2009年)のキュアパッションを中心にエピソードを作り(2010~11年)、その後は漸次リアルタイムで放送されていたプリキュアシリーズの主人公を主軸に置いたエピソードを制作する発展期に入っていきます(『ハートキャッチプリキュア!』~『魔法つかいプリキュア!』の2011~16年)。そして、それ以降は一般的に最も人気のある主人公プリキュアにこだわらず、ご自身の変身したいプリキュアをシリーズ作品ごとに選んでいく円熟期(2017年~)を迎えて現在に至るわけですね。なるほど、そうすると『とりプリ』は3期に分けることができるわけか! 歴史の厚みを感じます。

 これはファンにとっては周知の事実なのですが、キュアまこぴーさんは単にプリキュア愛がちょっぴり度を越しているというだけにとどまらず、『アイカツ!』や『ポケモン』といったアニメの他作品への造詣も深く、世界のボードゲームや昭和末~平成初期のパソコンゲームにも尋常ならざる情熱を注ぐ多彩な趣味人としても知られています。あと、地域の子どもの交通安全と自動車運転の法規順守にも、地元の警察署で表彰されるほどの意識の高さを見せておられますね。とにかく、社会人として模範的常識を徹頭徹尾身に着けた岡山紳士であるというわけです。
 そんなキュアまこぴーさんですから、おそらく『とりプリ』シリーズの発足当初は、当時放送終了したばかりの『フレプリ』を元にした写真投稿作品を作ってみようという程の発想で、ちょちょっと始めてみたのかもしれません。それがここまで続くとは……

 それにしても、キュアまこぴーさんが『フレプリ』の中でも、なぜに主人公のキュアピーチでなく、まずキュアパッションに変身したのかという疑問には興味があります。キュアパッションと言えば、最初はそれなりに人気もあった悪の組織の女幹部イースが、キュアピーチの不動明王のごとき愛にあふれた鉄拳によって正義の道に目覚め、いったん死亡してから転生してプリキュアの追加戦士になったという、正史プリキュア史上でも特筆すべき経歴をたどった「光堕ち」の草分け的キャラクターです。この紆余曲折の人物を最初の変身に選んだというあたり、キュアまこぴーさん自身にも、そうとうに山あり谷ありな前半生があったのではないでしょうか。そう考えてみると、キュアパッションの人となりを語る上で欠かせない口癖「精一杯がんばるわ!」にも、現在に至るまでのキュアまこぴーさんの行動原理に通じるものがあるような気がしてきます。変身すること自体は少なくなっても、キュアまこぴーさんの原点は、やっぱりキュアパッションなんですね。

 実は私にとってもキュアパッションというキャラクターは、今や80名近い大所帯になってしまったプリキュアオールスターズたちの中でもちょっと特別な存在でして、最初に申したように私自身は本格的にプリキュアシリーズへの興味を持つようになったのは『ハピネスチャージプリキュア!』からなのですが、当時私にプリキュアシリーズの面白さを教えてくれた恩人が大好きだったのがキュアパッションという縁があったのでした。その人、ことあるごとに「ぱぁ~っしょん! ぱぁ~っしょん!」って連呼してたもんね。時期的に見て、おそらくその人は『フレプリ』本放送よりもオールスターズ映画を観てキュアパッションのことが好きになったようなのですが、それにしても『フレプリ』放送終了から5年経過してもなおその人気ですから。やっぱりキュアパッションって、別格の人気キャラクターだったんですね。千葉のプリキュア師匠のあの人、元気にしてるかなぁ。

 話を本筋に戻しますが、『とりプリ』のキュアパッション編はそれほどの思い入れを持って約1年間連載されたシリーズではありましたが、いかんせんそれは『フレプリ』の放送終了後から始まった作品でありますし、それだけならば、単なるファンによる同人作品として楽しまれていたのみだったのかもしれません。しかし、そこからキュアまこぴーさんは当時放送されていたリアルタイムのプリキュアシリーズに寄り添う形で次々と変身対象を変えていき、その闘いの日々の中に「岡山の名所の四季を織り込んでいく」というオリジナリティを創出せしめたことによって、実在する日本の土地を舞台にするといってもせいぜい横浜みなとみらいどまりだった正史プリキュアシリーズとは全く別の宇宙を生み出すことに成功したわけだったのです。春は倉敷市の玉島の森公園、夏は沙美海岸、秋は玉野市おもちゃ王国、冬は鏡野町の恩原高原スキー場……キュアまこぴーさんに、闘いのない平穏の日々は訪れないのか!?

 どの地での闘いも非常に味わい深い『とりプリ』シリーズなのですが、その中でも特に私が推したいベストバウトは、やはり第2部第19話『雪上の大決戦!キュアサンシャインの孤独な戦い』(2015年2月)になります。これはすごいですよ……
 雪山よ? 一面の銀世界よ!? それなのに、よりにもよってなぜキュアサンシャインに変身すんの!? キュアサンシャインって、へそ出しはもちろんのこと、なみいるプリキュアオールスターズの中でも特に露出度が高いことで有名なんですよ!? 凍死もいとわぬ気か!?
 ましてやキュアサンシャインって、当時から見ても5年も前に放送終了した『ハートキャッチプリキュア!』のキャラクターですからね。2015年に変身する必然性が無いのに……なぜ?
 時期的に見ても、そこは行楽地と言えども厳寒の冬の雪山であることを考慮して、布の多いキュアエースあたりを変身対象に選ぶのが人の常かと思います。しかしそこを曲げて、最も困難なキュアサンシャインの道を選ぶこと。この狂気、この心意気!! これこそが、キュアまこぴーさんをキュアまこぴーさんたらしめる情熱の源泉と言いますか……変身ヒロインの業というものなのでありましょう。

 へそ、ですかね……やっぱ。
 正史プリキュアシリーズとの伴走に加えて岡山固有のプリキュアというオンリーワンな立ち位置を手にした『とりプリ』シリーズですが、確固たる地位を手にしたのちは、特に最新プリキュアシリーズの人気キャラクターにあやかろうとはせず、主に「へそが出ているかどうか」を基準にして変身対象を選んでいきます。『とりプリ』シリーズの投稿が停まっている現在でも、キュアサマーにキュアバタフライと、へそ出しへのこだわりは徹底したものがあります。あとは、キュアアースとかキュアスパイシーとか、奥ゆかしい性格のプリキュアがお好きですよね。
 いや、とにかくキュアまこぴーさんの変身にかける情熱と、それを支える肉体管理、スタイル保持の努力は並々ならぬものがありますよ。私の解釈に間違いがなければ、失礼ながらキュアまこぴーさんはご年齢、50歳を超えておられますよね。それであのへそ周りの細さと開脚の見事さ、そしてお肌のきれいさよ!? 大人も大人、オトナプリキュアを正史よりもとっくに昔からやっておられるワケよ!!
 今月10月から放送を開始して非常に好評なアニメ『キボウノチカラ オトナプリキュア`23』に出てくる彼女達だって、2006~07年のプリキュア活躍時に13~15歳だったわけですから、大人といってもせいぜいアラサーじゃないですか。キュアまこぴーさんはアラフィフなんだぜ!? 人生のレベルがまるで違います。

 こんな感じでくっちゃべっている内に、例によってこの記事の文章も1万字を超えましたので、ここらへんでお開きとしたいのですが、ともかくキュアまこぴーさんの魅力を語るには、これだけでは全く足りません。まずはともかく、ネット上への写真投稿というきわめて不安定な保存状態にある『とりプリ』シリーズを、消えないうちにちゃんと楽しんでいただくこと! そして、これはかくいう私も達成できてはいないのですが、聖地岡山に赴いてキュアまこぴーさんのご活躍を肉眼で確認すること。これに尽きると思います。精悍無比なキュアまこぴーさんだって、普段は一般人として日々、プリキュアのぬいぐるみとステッカーにいろどられたスズキ・ワゴンR で出勤する人間であります。それはもちろん、いつまでもお元気に変身し続けてはいただきたいのですが、人生にいつまでも変わらなく保証されたものなんて、ひとっつもありませんからね……だからこそ人生はすばらしいんですが。

 キュアまこぴーさんの SNS日記をのぞき見させていただくと、どうやら最近、キュアまこぴーさんはプリキュアに変身する上で非常に大切な存在であったある方とのつらい別れを経験してしまっておられるようです。人間、元気だからこそプリキュアに変身もできるわけでね。
 なので今年、映画『プリキュアオールスターズF 』や TVの『オトナプリキュア』といった記念作品を観るだに、キュアまこぴーさんは「あの人も観ることができていたら、どんなに喜んだことか……」という感慨を得ておられるようです。こういった心の痛みを乗り越えて、キュアまこぴーさんは明日からも、岡山の平和と子ども達の未来を守るために立ち上がり、変身していかれるのでしょう。ぷいきゅあ、がんばれー!!

 いちファンとして待望の第50話を気長に待ちつつ、自分自身も岡山の地におもむいて、キュアまこぴーさんのご活躍を応援しに行くチャンスを虎視眈々と狙いたいと思います。金田一耕助コスプレイベントもあるしね!

 昔はよく行ってる時期あったんだけどなー、岡山! ほんと、いい所ですよね。
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