米国政府は、日本開国計画を世間に発表しました。そのことは、当然にヨーロッパの国々にも知れました。 この時期に、スコットランド出身の英国の地誌学者チャールズ・マックファーレン(1799-1858)が長い題名の書をニューヨークで発表します。
出版社は、アーロン・パーマーの事務所からわずか1kmの距離にありました。 パーマーがクレイトン国務長官に宛てた親書の内容までも詳細に紹介されていました。 ですから、この出版にもパーマーの関与があったと思われます。 これも東洋の日本を国民に広く知ってもらうことが重要だと考えた英国ロスチャイルドの代理人であるパーマーの世論工作であった可能性があります。
マックファーレンの書には、『日本: 地理と歴史 この列島の帝国が西洋人に知られてから現在まで、およびアメリカが準備する遠征計画について』という長い題名が付いています。
渡辺惣樹氏(東京大学卒、近代日米研究家)は、マックファーレンのこの作品『日本:地理と歴史』を翻訳して日本に紹介されています。翻訳書は、現在『日本1852:ペリー遠征計画の基礎資料』と題されて、草思社文庫から発売されています。Amazonでも購入できます。
ペリー来航1853年の前年、1852年11月24日、アメリカ東海岸の港メリーランド州アナポリスでペリーの日本開国プロジェクト成功を願う盛大な歓送会がありました。 ア歓送会にはフィルモア大統領もやってきていました。 いかに米国がこのプロジェクトに力を入れていたかが分ります。
日本開国プロジェクトには当時の米国海軍予算の1/4が当てられていました。 国の威信をかけた一大プロジェクトにまで成長していたのです。
ペリーは、このプロジェクトを指揮する提督となり、最新鋭蒸気戦艦プリンストン号で支那の港に向かうことになっていました。 しかし、セレモニー直後にプリンストン号のボイラーが故障し、同伴予定の旧型上記戦艦ミシシッピ号単独での出航となりました。
ミシシッピ号はアナポリスの南にある港ノーフォークから大西洋に出て行きました。大西洋からインド洋、シンガポール、東シナ海を通り、支那へのルートがいかに時間のかかるたびであるかが分かります。
シその後のペリーを追う前に、日本の事情をもっと知っていたオランダが,この頃どのようなスタンスでいたかについて説明しておきます。
米国の日本開国プロジェクトについては応援半分、苦々しさ半分でした。オランダにとって日本は特別な存在でした。 オランダはもともとスペインの領土でしたが、1600年代初頭のカトリック(ハプスブルグ神聖ローマ帝国)vsプロテスタントの宗教戦争で、ウェストファリア条約で独立を果たし、以後世界覇権を握っていたスペインと覇権を争います。
豊臣についたスペイン、徳川についたオランダ。豊臣vs徳川は、スペインvsオランダの世界覇権を競う代理戦争です。
その後、フランスにナポレオンが現れ、ヨーロッパ中を蹂躙し、オランダはナポレオンに敗れ、国を失ってしまいました。1806年6月、ナポレオンは占領したオランダに自身の弟ルイを国王として送り込み、1810年には国そのものをフランスに併合しました。
こうして、オランダは実質消滅し、国王のウィルヘルム5世は英国に亡命しました。 その結果、フランス支配となったオランダの植民地もナポレオンとの戦いを続ける英国の的となりました。例えば、オランダの植民地であった南アフリカのケープ植民地も英国が接収します。 これもナポレオン戦争との関連で起きた事件です。
長崎の出島はどうだったでしょうか、 長崎の出島では、オランダが消滅しながら、オランダ国旗を揚げ続けていました。 商館員はオランダ魂を発揮していました。 英国は、出島はナポレオンの支配下になったとして、ここに軍船を派遣します。
1808年10月14日、英国軍船フェートン号は、長崎港にオランダ国旗を揚げて入港しました。 自国船だと誤解したオランダ商館員や検査に入った長崎奉行所の役人や通詞(通訳)らが乗り込みました。 フェートン号が、この際にオランダ商館員2人を人質にしたうえ、水や食料を要求しました。
さらには、湾内の探索を自由気ままに行いました。 結局は商館員は解放され、フェートン号は3日後の17日に長崎を去っていきました。
この際の不手際に責任を感じた長崎奉行の・松平康英は切腹します。 この時期の長崎警備の担当だった佐賀藩も、藩主・鍋島斉直が謹慎処分を受けています。
これが日本史で有名なフェートン号事件です。いずれいせよ、この事件があってもオランダ商館はナポレオンではなく、旧オランダ王室に忠誠を誓って運営されていました。
その後、ナポレオンが没落するとオランダ王国は復活します。 そして対日貿易を再び活発化させようと考えました。 その任務を帯びて日本にやってきたのが、フィリップ・シーボルトでした。
私は、ドイツのグローバル企業に勤めていたので、ドイツは詳しいです。 シーボルトはドイツ人です。 ドイツにロマンチック街道があり観光名所として有名ですが、北の端にヴュルツ大学があり、江戸時代にすでにレントゲンで診察していた医学で遊泳な大学です。シーボルトはこの大学出身です。
大学内にシーボルトの銅像がありますが、小さなうっそうと森のようになった中に彼の銅像があります。ヨーロッパでは一般に偉人の銅像は、広場の見晴らしの良い場所に建立されていますが、日本好きのシーボルトの場合は神社をイメージしているそうです。
このロマンチック街道の南端がフュッセンという街で、シンデレラ城のモシンデレラ城といわれる、ノイシュバン(新しい白鳥)シュタイン(石)城があります。
またシーボルトはスパイでもあり、日本に西洋医学を広めながら、日本のあらゆる情報を収集したことも日本史で詳しく語られています。米国は、当然に日本に関わる情報は長崎のオランダ商館にあることを知っていました。
そのオランダに、テイラー大統領は、ジョージ・フォルサムを領事として派遣し、オランダ政府に日本開国計画の協力を求めています。
とりわけ、航海の安全のためには、正確な地図が必要でした。 オランダにはシーボルトが収集した日本地図がありました。
米国政府は、当時のお金で3万ドルを使い、オランダからあらゆる日本情報を手に入れています。
そうした日本に関わる膨大な参考資料を持って、ペリーは長い旅に出ました。 フォルサムの情報収集が終わると、彼の後任に着いたのが、英国ロスチャイルドの代理人であったオーガスト・ベルモントで、すでにご紹介したペリー提督の娘婿であります。
続く
次の投稿は、「幕府は黒船来航を知っていた」を予定しています。
日本開国 ペリー来航の真実 ここまでのまとめ
・ロスチャイルド財閥ー210 ペリー来航の真実 開国PJ反対派を黙らしたロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af5aba05f92d2c6b58c26db9b5659d3e
・ロスチャイルド財閥ー209 ペリー来航の真実 何故ペリーが選ばれたのか?
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f07a809db31c072d5f9d7f3246d1d6fe
・ロスチャイルド財閥-208 ペリー来航の真実 対日戦争を企てていた米国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2434fcf644d9ef20c7df04536a0ef594
・ロスチャイルド財閥-207 ペリー来航の真実 太平洋ハイウェイ構想 、大陸横断鉄道と日本開国計画
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f8682313e1794bfeb1a9e82f6baf82d
・ロスチャイルド財閥-206 日本開国とロスチャイルド、そして二人のエージェント
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/11bb0b1f6ebbce1c2b64ac3e90cc4906
・ロスチャイルド財閥-205 ペリー来航の真実 米国阿片貿易と清開国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/903a24d046d7e62ad68a968c58e225a0
・ロスチャイルド財閥-204 ペリー来航の真実 英米・阿片商社と阿片戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7b5f5c3ac2623db3abe3397b7a7a5694
・ロスチャイルド財閥-203 阿片戦争前夜のナポレオン戦争と英米戦争、そして清市場開拓https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c0979f6e43f5ca25777680b5c878866c
・ロスチャイルド財閥ー202 英産業革命と清(中国)新市場開拓
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/766b8ee9f020520ee5e7d37f94347673
・ロスチャイルド財閥-201 ワシントン焼き討ち事件
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b5395b181e96c8d8a5dcbfe4ca44e908
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