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「池上彰と考える、仏教って何ですか?」を読みました。 vol.1

2012-11-06 22:50:50 | ◆ヨガ
仏教とヨガは切っても切れない繋がりがたくさんあります。すごく分かりやすい本なので、文中から気になる部分を抜粋しました。

(pp14)世界三大宗教とひとまとめに呼びますが、仏教には大きな違いがあります。
キリスト教とイスラム教はユダヤ教から生まれた、いわば兄弟のような宗教。どちらも唯一絶対の神を信じる一神教です。一方、仏教は、人知を超えた神や創造主といったものを想定していません。

⇒ヨガは、宗教ではないですが、仏教の影響を強く受けています。


(pp15)古代インドには、仏教が生まれる以前から、バラモン教という多神教がありました。今のヒンドゥー教のもとになった宗教で、『ヴェーダ』と呼ばれる聖典を持ち、カースト制度という身分制度を重んじたことで知られています。

⇒グプタ王朝時代が秩序を維持しようと、バラモン教が国教となった時代、インド古典文学は花開き、六派哲学が体系づけられ、ヨガ学派の経典『ヨガ・スートラ』が編纂されました。


(pp15)キリスト教やイスラム教では、生きている間の行いがよければ、基本的には天国に行って永遠の命を得ることができるとされています。人生は一度きりです。
一方、ブッダは当時、一般に信じられていた「輪廻転生」を前提に教えを説きました。輪廻転生とは、人は死んでも、また何かに生まれ変わって、この世に戻ってくるという考えです。仏教では、この輪廻の輪から抜け出すことで、苦しみから逃れ、心の安らぎを得ることができるとされています。

⇒ヨガでも「輪廻転生」が信じられ、1~2世紀頃から、それまでの「心統一」から「解脱(この輪廻の輪から抜け出すこと)の方法」へと、ヨガの意味が変わりました。


(p28)諸行無常とともに仏教の基礎となるのが「諸法無我」。すなわち、私というものに実体はないということです。私たちは常に、自分と他人の間に境界線を引き、自分と他人を区別します。他人と比べて優劣の判断をしたり、この人は好き、この人は嫌いといった具合に、分ける必要がないものを分けたりすること、これを分別(ぶんべつ)といいます。分別があるというば好ましい意味ですが、仏教では、分別が苦しみの原因だと説きます。

(p29)諸行無常と諸法無我。私たちはなんとなくは知っているはずですが、100パーセント割り切ることはできないというのが正直なところでしょう。「諸行無常」「諸法無我」なのだから、人生はそもそも思い通りにならないのが当たり前なのだ。そうブッダは説きます。なのに思い通りになるだろうと期待するから、思い通りにしようと躍起になるから、そこに苦しみが生まれるのです。

⇒ヨガは、「自分探し」と言われています。


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