今年の私ですが、いろいろ音楽的チャンスに恵まれ、作曲の先生にもご指導をいただいています。
「フランス和声とフランス音楽を中心に、音楽史や、和声法、楽曲分析など、音楽全般についてご指導いただきたいのですが。。。。」
などという、とんでもなく幅広い希望(わがまま?)にもかかわらず、「結局わからないという事がわかるといいですね・笑」と快くお引き受けくださり、「音階の定義はなんですか?」とか「音楽の要素・・・って日本語で何になるんですか??」などという、マイナスレベルからの話にもお付き合いしていただきながら、長年曖昧にしてきた音楽の諸々について一つ一つ勉強し直しています。
音楽は「例外」が常なので、ソナタ形式ひとつとってみても、授業や本で学んだ基本だけで全てを理解できるわけもなく、そういった細かいことについて、気になること、わからないことを確認していくと、今まで以上に音楽が具体化して見えてくるので面白いです。
ピアノという楽器は、他の楽器に比べて非常に多くの情報を処理する役割を持っていますが、作曲家や指揮者は、さらにその上をいきます。
これだけ楽譜を見て、考えて、いろいろわかってきたつもりでいても、本物の作曲の先生と楽譜を見ていくと「まだこんなに見落としている事があるのか!?」と、‘楽譜’の情報量の多さに驚愕&感激してしまいます。(ピアニストゆえに偏った見方になっていることもわかります。)
きちんと意味のある言語ですら、様々な解釈ができるのですから、音楽ともなると、それはまた広く様々な読み取り方ができるわけで、それが難しくもあり、楽しいところ、醍醐味でもあったりします。
演奏家としての曲の捉え方と、作曲家の曲の見方は違いますが、先生はそこもまたとても尊重してくださっていて、自分で根拠を見つけられない発想を口に出しても「それは面白いね。演奏家としての嗅覚だね。」と、一緒に考えてくださり、毎回、本当に充実したレッスンとなっています。
しかしながら、私のよれよれ頭脳にとってはかなりのフル回転をしなければ話についていけないらしく、レッスンから帰宅した後、2~3時間の睡眠をとらないと、そのあと、全く何もできなくなってしまう!というのは、ここだけの話・・・・・(*_*;
↑「全くシッカリしなさいよ!」と言っているメルモさん。
さて、こちらは↑フランスのとある音楽祭のポスターです。
日本ではちょっと見かけない配色とデザイン。
雰囲気ありますね!
こちらの音楽祭で、先生の委嘱作品が演奏されたのですが、帰国した時に、こんなお話しをしてくれました。
「今回、山形さんが興味あるだろうなっていう演奏会があったんだけどね、フォーレの歌曲を、ソプラノ&コントラバスだけで演奏したんだよ。二人とも上手な演奏家だったんだけれども、教会という場所で、フォーレを扇情的に歌い上げていたのも面白くてね、すごく素敵だったんだ。山形さんに聴かせたかったなぁ。」
いやー、これはすごく興味あります!
ぜひとも聴いてみたかったです!
この音楽祭のためにアレンジした演奏ですが、コントラバス一本でどんな風にフォーレの歌曲を伴奏していたのでしょうか。
先生に「すごく素敵だった」と言わせるくらいの演奏ですから、完成度も高かったのでしょうね。
でも、私が一番感激したのは、
「フランスの人たちはね、普通のフォーレの歌曲も聴くし、知ってるけど、こういう新しい演奏についても、‘面白いね’と言って聴けるんだ。」
ということです。
この音楽祭では、例えばシューベルトの「冬の旅」をオペラのように役柄を作って複数名で演奏するといった様々な演奏会があったそうですが(ちなみにこれはイマイチだったそうです)、伝統的な演奏から革新的な演奏まで、聴衆がどれも普通に‘演奏’として楽しめるって凄いことですね。
神楽や歌舞伎や浪曲うんぬん、、、、日本の伝統文化を何一つちゃんと鑑賞したことのない私が言うのもなんですが。
日本でよくある「気軽にクラシックコンサート」と題した、アニメやポピュラーソングを演奏するような類のものは、発想が安易かもしれません。
それは将来クラシック音楽を聴く導入にはならないと思うんです。
私自身、クラシックコンサートのほかに、ジャズライブや、有名歌手のコンサートなんかに行ったりしますが、それぞれ楽しむ目的が全然違います。
ゆえに、当然、聴く体制も違います。
古典芸術の面白さをどうやって現代のみなさんに伝えていくかということも、奏者にとって考えるべき大切な事案のように思います。
と、いうことで、8月22日の財団・出前コンサート、23日の厚沢部町学術鑑賞事業コンサートでは、烏野君とアイディアを出し合ってプログラムを用意しました。
慶太氏の音楽トークもお楽しみに♪