雨戸を開けたとたん、庭のモミジが目に入りました。
思わず「きれい!」と感じました。
自画自賛だけど、やはりキレイ!
そうそう、記念写真を撮らないと・・・
2020年秋の記念です。
雨戸を開けたとたん、庭のモミジが目に入りました。
思わず「きれい!」と感じました。
自画自賛だけど、やはりキレイ!
そうそう、記念写真を撮らないと・・・
2020年秋の記念です。
このところの上天気にウキウキしていますが、
いつまでも続かないのが世の常です。
明日は雨の予報です。
本日の記念に、青空をスマホでカシャ
昨日、夫のいとこから大根とエビイモをもらいました。
その大根を厚揚げと煮ています。
金剛寺の境内に重要文化財の《御影堂》があって、
その東側に《観月亭》があります。
後村上天皇たち貴族が月見されたそうで、
なんと優雅な!
庭園も一面に杉苔におおわれて、静かでおごそかな雰囲気に包まれていました。
南朝時代、後村上天皇が六年間、金剛寺の《食堂》で
政治を執られたのです。
おなじころ北朝の光厳、光明、崇光の三人の上皇たちと
皇太子直仁親王の四人が、四年間御座所とされたとのこと。
南北朝の混乱の時代に、この金剛寺では南北朝が同座された
ゆかりの場所なんですね。
そばに「天の川」の澄んだきれいな水の流れがあります。
京都の《哲学の道》の雰囲気に似ていました。
ここは、何度でも訪れたい場所です。
小春日和のおだやかな一日を友人たちと過ごしました。
女人高野 天野山金剛寺の紅葉を見に行きました。
この金剛寺は、行基菩薩が聖武天皇の勅命によって開き、
のちに弘法大師が密教修練された霊域である・・・とのこと。
その後、寺は衰微し荒廃したらしいのですが、
平安末期に後白河法皇と皇妹八条女院の帰依を受け、
阿観上人が復興されたのです。
明治の初めまで高野山に女性はお参りできなかったのに対し、
この金剛寺は参拝ができたので、
「女人高野」と呼ばれるようになったのです。
「身近な遺伝学の話」 月一度の勉強会に行きました。
《身近》という言葉にさそわれて・・・
基本的な知識もないまま、どうやって理解できるのでしょうか?
もともと、遺伝子とDNAの違いもわからない、自分。
未知の世界が待っていたよ
でも先生はとても分かりやすく、
親しみを込めて話をしてくださいます。
酒井先生の専門は、とても珍しい病気「クラッベン病」とのこと。
インターネットの記事を貼り付けます。
わからないまま少しづつ、お話を聞こうと思います。
久しぶりに四天王寺へお参りに行きました。
上着がいらないぐらいの上天気!
空が明るいとこころが軽くなります。
歩き疲れたときに利用する休憩所が、なんと二か所とも閉鎖中です。
この時期だから、仕方ありませんね。
コロナ第三波?
密にならないよう至るところで警戒中です。
気を引き締めて、乗り越えましょう。
元気をもらいたい時、庚申堂へ行きます。
ここの塀際にたつ木がすごいのです。
木の生命力に感動するのです。
境内の木も赤く色づいていて・・・
ハルカスを久しぶりにながめた気がするのはどうしてかな?
青空をバックにすくっと立つ姿は、いつ見ても安心します。
いま読んでいる本がおもしろいのです。
「古事記」のなかでは、ヤマトタケルは
父帝である景行天皇から疎まれて、王権の中心から疎外され、
辺境に追いやられ続けています。
悲劇的な英雄として文学的な表現で描かれているそうです。
ヤマトタケルの暴力性は、兄のオオウスノミコトを
殺してその手足をもぎとり、薦(こも)に包んで投げ捨てたりで、
そんな反秩序的な態度が、周縁に追いやられる原因となったようです。
父の命令を受けたヤマトタケルは、西国のクマソタケルを討伐したり、
東国の荒ぶる神を鎮めるようにと、休む間もなく派遣され続けます。
クマソタケルの兄弟を討つあたりの描写は特によくて、
美しい童女になりすまして、討ち果たす箇所は、悲惨なのだが
悲惨さは感じないほど、おもしろい表現です。
痛快な部分だと思います。
父帝から見捨てられた悲劇の主人公として、
強いられた孤独のヤマトタケルとして、文学的に描かれているのです。
古代のお話っておもしろいですね
「日本書紀」では、違うのですね。
景行天皇に忠実な皇子として描かれているみたいです。
父帝の信頼を受けつつ、行動している様子が描かれているそうです。
こうした、いにしえの『古事記』と『日本書紀』との
描き方に違いがあるのも、理由があるそうですよ。