晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

山本周五郎 『樅ノ木は残った』

2008-12-05 | 日本人作家 や
※あらすじが書かれております。

内容は、伊達騒動と呼ばれた、江戸時代前期の仙台伊達藩で起こった
御家騒動の話。
史実上では、幼い藩主の後見人だった伊達兵部宗勝という人が、
仙台藩家老の原田甲斐宗輔といっしょに藩権力の集権をしようとして、
それに反対した伊達安芸宗重一派と対立し、幕府に上訴します。
評定(裁判)の日、江戸幕府大老の酒井雅楽頭の邸に関係者が召喚されて、
原田甲斐宗輔は邸内で伊達安芸宗重を殺害、伊達安芸一派であった
柴田外記と斬り合いののち、原田甲斐宗輔死亡、柴田もその日に死亡。
伊達兵部宗勝一派、原田家は処罰、伊達家は守られました。

しかし、その裏では、伊達兵部宗勝は幕府大老の酒井雅楽頭と結託して
伊達藩60万石を分割してそれぞれ統治しようと目論んでいました。
江戸幕府としては、仙台の伊達、加賀の前田、薩摩の島津と、外様大名の
ビッグ3ともいえる大藩取り潰しを企てる動きがあり、手始めに伊達藩が
目をつけられた、しかも、御家内のゴタゴタと見せかけての謀略だった
のです。

仙台藩家老の原田甲斐宗輔は、伊達兵部宗勝が藩体制を良からぬ方向に
持っていこうとしているのを知り、伊達安芸宗重、柴田外記らと話し合い、
伊達兵部宗勝のふところに潜り込んで兵部派になりすまし、この計画を
食い止めようとしていました。しかし事は御家取り潰しという大事になって
おり、幕府も巻き込んでの大騒動となるところでした。

そして大老酒井雅楽頭は、原田甲斐が実は伊達安芸と繋がっていて、しかも
伊達兵部宗勝と交わした、60万石分割の密約の写しが原田甲斐の手元に
あることを知り、この密約が漏れることを恐れた酒井雅楽頭は、

「やむを得まい、秘策のもれるのを防ぐには知っているものをぜんぶ
やるほかはない、甲斐はその第一だ、彼はそれを知り六十万石を守る。
しかしその代償は払わなければならない、評定の席に出る者にはみな、
その代償を払わせてくれるぞ」

と、他の大老の邸で行われるはずであった評定を急遽酒井邸に変更させ、
邸内で原田甲斐、伊達安芸、柴田外記の3人は侍に斬りつけられます。
甲斐は伊達安芸に向かい「これは私がやったことにしてくれ」と言います。
つまり、甲斐は伊達兵部宗勝の与党であり、安芸とは対立していると
見られており、甲斐が刃傷したのであれば誰も不審がらない、酒井は敗北
を認め、これが六十万石安堵の代償であると悟ります。
甲斐は「ようございますか、この刃傷は私が乱心の結果です。私のしわざ
だということをお忘れなきよう」と残し、息絶えます。

酒井と兵部の密約の全貌を事前に原田甲斐に聞いていた、評定に列座していた
幕府老中の久世大和守広之は駆けつけ、安芸の「そやつの刃傷です。御当家
に落ち度はない、甲斐めのしわざです、久世候、こやつの罪で、伊達家に累
の及ばぬよう、お頼み申します」という言葉にすべてを悟り、
「伊達家のことは引き受けた、六十万石は安泰だぞ」と甲斐に伝えます。

小説では、斬り付けられた後、原田甲斐は絶命、安芸と柴田外記は軽傷で
屋敷に帰ろうとしたのですが、酒井に邸内で治療せよ、と止められて、
その日のうちに酒井邸内にて安芸、柴田外記は死亡した、となにやら
きな臭いことになっています。

原田甲斐は、それまで奸臣(権力を盾に悪いことをする)といわれて
きましたが、この『樅ノ木は残った』で、悪の張本人から立場が見直され
るようになりました。

ハリーポッターを最後まで読んだ方ならおわかりかと思いますが、
スパイの不首尾の悲しい末路という意味では、「スリザリンでもっとも
勇敢だった一人」を連想させます。あのシーンも泣けた~
コメント (2)
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