宮部みゆきのおもしろさは、強烈なインパクトで、他者に勧めずには
いられなくなるような情熱ではなく、むしろ、このおもしろさを他の
人には知られたくなかったのに、ベストセラーになっちゃった、まあ
そりゃそうだろう、おもしろいんだから、という、インディーズバンド
や若手お笑い芸人の追っかけをする女の子のような気持ちになるのです。
おもしろいから売れるのか、売れているからおもしろいのか。後者の場合は
明らかに日本人の国民性ともいえる付和雷同的な意見で、それこそ視聴率
が高いテレビ番組は面白いに決まってる、という発想は、作家や作品に対する
評価ではなく、それに付随する「結果」であり「数字」で評価することであり、
願わくは、宮部みゆきにはそのような評価を下してほしくはないのです。
『堪忍箱』は、歴史時代小説の短編集。短編でありながら、短いという印象
を持たせずに読者を満足させる。ありふれた言葉でいうところの「中身の濃い」
短編集ということ。
表題の「堪忍箱」は言うに及ばず、特に心打たれた作品は「敵持ち」。
食べ物屋の板前をしていた男は、身の危険を感じて夜もうなされて、用心棒
の依頼も考える。同じ長屋に住む、浪人で今は傘張りなどの内職をしている
元は江戸藩邸で用心頭をしていた小坂井の旦那にお願いする。
そもそも、一介の板前が命を脅かされることになったのは、通いで働いている
居酒屋の女将に岡惚れをしている若い男に勘違いされて、身を引かねえと痛い
目にあうなどと脅される。
浪人の旦那に店が終わるまで待っていてもらい、帰路の途中、道に死んだ男が
転がっていた。そこを通りかかった板前と浪人の旦那は運悪く、たまたま誰か
に見られて「人殺しだ」と叫ばれてしまう。
そこで駆け付けた岡っ引きにことのすべてを話すのだが・・・
この小坂井の旦那という元侍の素性とは・・・
なんだか、宮部みゆきの短編を読み終わったあとに訪れる充足した気持ちは、
手塚治虫の「ブラックジャック」を読んだ後のそれに近いような気がします。
いられなくなるような情熱ではなく、むしろ、このおもしろさを他の
人には知られたくなかったのに、ベストセラーになっちゃった、まあ
そりゃそうだろう、おもしろいんだから、という、インディーズバンド
や若手お笑い芸人の追っかけをする女の子のような気持ちになるのです。
おもしろいから売れるのか、売れているからおもしろいのか。後者の場合は
明らかに日本人の国民性ともいえる付和雷同的な意見で、それこそ視聴率
が高いテレビ番組は面白いに決まってる、という発想は、作家や作品に対する
評価ではなく、それに付随する「結果」であり「数字」で評価することであり、
願わくは、宮部みゆきにはそのような評価を下してほしくはないのです。
『堪忍箱』は、歴史時代小説の短編集。短編でありながら、短いという印象
を持たせずに読者を満足させる。ありふれた言葉でいうところの「中身の濃い」
短編集ということ。
表題の「堪忍箱」は言うに及ばず、特に心打たれた作品は「敵持ち」。
食べ物屋の板前をしていた男は、身の危険を感じて夜もうなされて、用心棒
の依頼も考える。同じ長屋に住む、浪人で今は傘張りなどの内職をしている
元は江戸藩邸で用心頭をしていた小坂井の旦那にお願いする。
そもそも、一介の板前が命を脅かされることになったのは、通いで働いている
居酒屋の女将に岡惚れをしている若い男に勘違いされて、身を引かねえと痛い
目にあうなどと脅される。
浪人の旦那に店が終わるまで待っていてもらい、帰路の途中、道に死んだ男が
転がっていた。そこを通りかかった板前と浪人の旦那は運悪く、たまたま誰か
に見られて「人殺しだ」と叫ばれてしまう。
そこで駆け付けた岡っ引きにことのすべてを話すのだが・・・
この小坂井の旦那という元侍の素性とは・・・
なんだか、宮部みゆきの短編を読み終わったあとに訪れる充足した気持ちは、
手塚治虫の「ブラックジャック」を読んだ後のそれに近いような気がします。