とうとう、未読本が20冊になってしまいました。早く読まなければ、と
思いつつ、今日も本屋で3冊購入。ダメですね。
それはさておき、山本一力さんの作品で特徴的なのが、江戸時代の職人
(商人でもいいですけど)にフォーカスした、いわば「時代職業小説」。
直木賞受賞作の「あかね空」も、上方から江戸に移り住んだ豆腐屋一家の
話で、なんていうんでしょうか、金を稼ぐことが第一義ではない、利に
聡いよりも、不器用だけれど誠実なほうがよっぽど尊い、といったような、
まあこれも前回のブログにも書いたのですが、「楽(らく)」するよりも
「楽しい」ほうが有意義だよね、ということですね。
さて『まとい大名』ですが、タイトルにもあるように、火消しの話です。
「あたしゃあんたに 火消しのまとい ふられふられて 熱くなる」という
都々逸がありますが、当時の消火活動は水や消火剤をかけて鎮火させるの
ではなく、まだ燃えてない建物をぶっ壊して、燃え拡がる範囲を食い止める
という方法でした。で、まといの役割とは、その壊す家の屋根にまといを
持って登り、ここを潰します、と目標になるのです。火の勢いや風の流れ
などを読んで壊す対象の家を決める(しかも人様の家)わけですから、重要な
任務です。
享保五(1720)年に、江戸の町火消しは、大川(現在の隅田川)の西側は
「いろは四十七組」に区分けされ、東側の本所、深川エリアにも十六組の区分け
が制定されました。
講談にもなった「め組の辰五郎」、ラッツ&スターの「め組のひと」の「め組」
とは、つまりこの「いろは四十七組」のひとつで、区域は、芝増上寺の辺り。
増上寺は徳川家の菩提寺であり、自分たちは将軍家を火からお守りしている、と
強い自負があって、相当腕っ節の強い気の荒い集団だったそうです。
主人公は、深川佐賀町にある火消し宿「大川亭」のかしらである徳太郎、銑太郎
の親子。大川亭の区域は「三之組」で、佐賀町の周辺二十二町を担当。
当時の南町奉行はかの有名な大岡越前で、在職時には町火消しの区分け制定、
各地域に火の見やぐらを立てるなど、江戸の消火活動にも尽力しました。
そこで深川では、なんと高さ18メートルという、江戸一帯を見渡せるような
火の見やぐらを作ろうという話に。
かしらの徳太郎という人は、佐賀町の住民だけではなく他の区域の火消したち
からも信が厚く、息子の銑太郎はそんな父親をヒーローのように尊敬します。
ある日のこと、平野町という一帯から火の手が。この町には検校屋敷(盲目の
職業)が多くあって、この検校というのは、幕府から与えられた役職で、高利
貸しなどもやっていて、あまり庶民からは好かれてなかったようです。
ですが、火消しに好き嫌いは関係ありません。大川亭の火消したちは平野町に
駆けつけます。が、先に着いてた火消しと何やら揉めてる様子。
検校は、屋敷を壊すなと火消しに言うのです。検校とトラブルになると後々
厄介なことになるのを承知で、徳太郎は「自分が責任を取る」と屋敷を壊します。
が、屋敷裏の納屋に引火、ものすごい炎があがります。なんと納屋には大量の菜種
油がしまってあったのです。それは知らなかったとはいえ、この納屋までは取り壊
さなくても大丈夫だと判断したのは徳太郎。
徳太郎は、頭から水をかぶり、燃えさかる納屋の中へ・・・
この一件はのちに伝説になるほどで、徳太郎の葬儀には千人を超える弔問が。
五歳で父を失くした銑太郎は気丈に振る舞います。
そして、仙太郎は大川亭の次期かしらになるべく鍛えられて、やがて元服し、
一人前の火消しとなります。
大川亭や「いろは四十七組」といった町火消しのほかにも、大名が独自で持つ
「大名火消し」というシステムもあって、庶民に協力的な大名もいれば、一切
手を貸さない大名もいたり、そんな話も盛り込んで、興味深いです。
いくら消火のためとはいえ、家を壊すということはそこに住む人の生活を奪うこと
にほかならず、火消しは感謝もされますが、恨みを買うことも。
電気もガスも無かった時代、火というのは生活に不可欠な存在であり、火事は
とうぜん憎いものではありますが、一方で感謝を怠ることもありません。
火消しという職業の勇ましさだけではなく、彼らの心の葛藤も描いていて、それを
銑太郎も身にしみて学ぶことになります。
徳太郎、銑太郎の親子をはじめ、彼らの奥さん、大川亭や他の町火消しの面々、深川の
肝煎や名士たち、久世家という大名、そして大川越前など、こういう人たちを
「格好いい」っていうんですね。
思いつつ、今日も本屋で3冊購入。ダメですね。
それはさておき、山本一力さんの作品で特徴的なのが、江戸時代の職人
(商人でもいいですけど)にフォーカスした、いわば「時代職業小説」。
直木賞受賞作の「あかね空」も、上方から江戸に移り住んだ豆腐屋一家の
話で、なんていうんでしょうか、金を稼ぐことが第一義ではない、利に
聡いよりも、不器用だけれど誠実なほうがよっぽど尊い、といったような、
まあこれも前回のブログにも書いたのですが、「楽(らく)」するよりも
「楽しい」ほうが有意義だよね、ということですね。
さて『まとい大名』ですが、タイトルにもあるように、火消しの話です。
「あたしゃあんたに 火消しのまとい ふられふられて 熱くなる」という
都々逸がありますが、当時の消火活動は水や消火剤をかけて鎮火させるの
ではなく、まだ燃えてない建物をぶっ壊して、燃え拡がる範囲を食い止める
という方法でした。で、まといの役割とは、その壊す家の屋根にまといを
持って登り、ここを潰します、と目標になるのです。火の勢いや風の流れ
などを読んで壊す対象の家を決める(しかも人様の家)わけですから、重要な
任務です。
享保五(1720)年に、江戸の町火消しは、大川(現在の隅田川)の西側は
「いろは四十七組」に区分けされ、東側の本所、深川エリアにも十六組の区分け
が制定されました。
講談にもなった「め組の辰五郎」、ラッツ&スターの「め組のひと」の「め組」
とは、つまりこの「いろは四十七組」のひとつで、区域は、芝増上寺の辺り。
増上寺は徳川家の菩提寺であり、自分たちは将軍家を火からお守りしている、と
強い自負があって、相当腕っ節の強い気の荒い集団だったそうです。
主人公は、深川佐賀町にある火消し宿「大川亭」のかしらである徳太郎、銑太郎
の親子。大川亭の区域は「三之組」で、佐賀町の周辺二十二町を担当。
当時の南町奉行はかの有名な大岡越前で、在職時には町火消しの区分け制定、
各地域に火の見やぐらを立てるなど、江戸の消火活動にも尽力しました。
そこで深川では、なんと高さ18メートルという、江戸一帯を見渡せるような
火の見やぐらを作ろうという話に。
かしらの徳太郎という人は、佐賀町の住民だけではなく他の区域の火消したち
からも信が厚く、息子の銑太郎はそんな父親をヒーローのように尊敬します。
ある日のこと、平野町という一帯から火の手が。この町には検校屋敷(盲目の
職業)が多くあって、この検校というのは、幕府から与えられた役職で、高利
貸しなどもやっていて、あまり庶民からは好かれてなかったようです。
ですが、火消しに好き嫌いは関係ありません。大川亭の火消したちは平野町に
駆けつけます。が、先に着いてた火消しと何やら揉めてる様子。
検校は、屋敷を壊すなと火消しに言うのです。検校とトラブルになると後々
厄介なことになるのを承知で、徳太郎は「自分が責任を取る」と屋敷を壊します。
が、屋敷裏の納屋に引火、ものすごい炎があがります。なんと納屋には大量の菜種
油がしまってあったのです。それは知らなかったとはいえ、この納屋までは取り壊
さなくても大丈夫だと判断したのは徳太郎。
徳太郎は、頭から水をかぶり、燃えさかる納屋の中へ・・・
この一件はのちに伝説になるほどで、徳太郎の葬儀には千人を超える弔問が。
五歳で父を失くした銑太郎は気丈に振る舞います。
そして、仙太郎は大川亭の次期かしらになるべく鍛えられて、やがて元服し、
一人前の火消しとなります。
大川亭や「いろは四十七組」といった町火消しのほかにも、大名が独自で持つ
「大名火消し」というシステムもあって、庶民に協力的な大名もいれば、一切
手を貸さない大名もいたり、そんな話も盛り込んで、興味深いです。
いくら消火のためとはいえ、家を壊すということはそこに住む人の生活を奪うこと
にほかならず、火消しは感謝もされますが、恨みを買うことも。
電気もガスも無かった時代、火というのは生活に不可欠な存在であり、火事は
とうぜん憎いものではありますが、一方で感謝を怠ることもありません。
火消しという職業の勇ましさだけではなく、彼らの心の葛藤も描いていて、それを
銑太郎も身にしみて学ぶことになります。
徳太郎、銑太郎の親子をはじめ、彼らの奥さん、大川亭や他の町火消しの面々、深川の
肝煎や名士たち、久世家という大名、そして大川越前など、こういう人たちを
「格好いい」っていうんですね。
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