先日、ボーッとテレビを見ていたら「忍びの国」
の映画が近日公開というコマーシャルをやってて
ちょっとびっくりしました。
というのも、和田竜さんは「のぼうの城」でデビュー
して今まで4作品、そのうち2作がすでに映画化、
そしておそらく「村上海賊の娘」も映画化あるいは
ドラマ化にむけてどこかで動いていることでしょう。
まあ別に小説が映像化されることが偉いとか成功とか
そういったことではないのですが。
戦国時代、弘治2(1556)年。この前の年に
織田信長が織田家の頭領になった、そんな頃。
西国、戸沢家の領国では、火縄銃が大ブームで、
鉄砲の大会が開催されると、武士はもちろん、領民
も、大人も子どもも関係なく参加できます。
11歳の少年、小太郎は祖父で猟師の要蔵とふたり
暮らし。小太郎は生まれてから髪を切ったことがない
くらいのボサボサの長髪で、身長は6尺といいますから
180センチ超、笑う以外の感情を表に出しません。
ので、周囲からは「小太郎の阿呆」と呼ばれたり。
そんな小太郎、近所の悪童といるところに要蔵が
「戦がはじまる」と呼びに来ます。
戸沢家の武将、林半右衛門は百騎の騎馬の先頭を
駆けています。すると半右衛門を呼ぶ声が。
藤田三十郎という老人は半右衛門の幼少時代から
の教育係で、他国の武将にも恐れられてる勇猛な
偉丈夫の半右衛門も三十郎には逆らえません。
さて、三十郎は「泉州は堺から取り寄せた左構えの
種子島じゃ」と鉄砲を半右衛門に見せびらかします。
日本に鉄砲が伝来してから10年ちょっと。戦場に
おける主力武器になるのはまだ先の話で、ゴリゴリ
の騎馬武者である半右衛門からすれば鉄砲など
(足軽の道具)扱い。戸沢家の鉄砲ブームも困った
もの。
「左構えの種子島」とは、珍しいサウスポー仕様。
三十郎は左利きなので、鉄砲試合も好成績を出せず
にいたので、これは嬉しいはず。
戸沢家と争っているのは児玉家。戦況は戸沢家の
不利。この戦を山の上から見ていた要蔵と小太郎。
要蔵は戦の途中で「戸沢の負け」と見て帰ります。
それもそのはず、戸沢家の陣頭指揮は現当主
の甥の図書。半右衛門は図書を(臆病で戦下手)
と見ていて、しかも児玉家には半右衛門も認める
強者、花房喜兵衛もいて、戸沢軍はボロボロになり、
半右衛門と三十郎は命からがら逃げます。
半右衛門は怪我の状態がひどく、山の中で意識を
失います。目が覚めるとそこは人家。要蔵と小太
郎の家だったのです。
すると要蔵、「あの戦は半右衛門殿の指揮では
なかったな」と見抜き、さらに三十郎の鉄砲を
見ただけで「それは堺の種子島」と当てます。
半右衛門は要蔵を(只者ではない)と思います。
(左構えの種子島)を小太郎が興味を持って触
ろうとすると要蔵が「触るな」と諌めます。
回復して帰ろうとする半右衛門と三十郎。あとで
礼をするというのですが要蔵は「ここで会ったこと
は忘れて口外するな」と礼を拒否。
ですが見送りにきた小太郎は「俺を鉄砲試合に出して
くれ」とお願いします。
この年の秋、鉄砲試合が開催されます。半右衛門は
あのとき山中で出会った少年を待ちます。
終わりごろになってようやく小太郎が飛び入り参加
しますが、2発とも的を外れます。しかしその2発
とも同じところに命中したと聞いた半右衛門は、
「ひょっとして」と三十郎の鉄砲を小太郎に貸します。
すると要蔵が「それで撃ってはならん」と叫びます。
しかし小太郎は銃を持ち、火薬を入れて弾をこめて
火蓋を閉じてという一連の動作を流れるように行い、
あっという間に2発とも的中させます。
さらにこれを見ていた戸沢家の領主は「飛んでる鳶
を撃てるか」と小太郎に聞き、鳶を撃ち落とします。
半右衛門は、要蔵が隠そうとしていたのは小太郎の
鉄砲の技術のことだったのかと気付くのです。
城に招かれた要蔵と小太郎。そこで戸沢家の家臣に
ならないかと誘われますが、要蔵は「この孫は少々
知恵が足らず、武家奉公はできません」と断り、
小太郎も「猟師のままがいい」と言います。
帰りに、要蔵は半右衛門に声をかけます。自分たちは
鈴木という姓だというのですが、半右衛門はピンと
きません。
「他国のものに分かりやすくいうと、雑賀だ」
それを聞いた半右衛門は驚愕し・・・
雑賀衆とは、紀伊の国、現在の和歌山県が本拠の、
鉄砲傭兵・地侍集団で、当時の戦国諸家が競うよう
に雇いたがっていたといいます。
そんな要蔵ですが、なぜ孫を連れて紀州を逃れて
西国の山奥に住んでいるのか。
戸沢家の城は児玉家の軍勢に囲まれていて、戸沢
は籠城します。
はじめこそ戸沢側は応戦しますが、そのうち危なく
なってきます。しかも児玉側は(忍びの者)まで
投入してきます。すると家臣の中から「鉄砲試合
で優勝したあの少年を」と言い出し・・・
出版順でいうとこの『小太郎の左腕』は「忍びの国」
と「村上海賊の娘」の間で、舞台設定もストーリー
も違いますが、古い順から「忍び」→「小太郎」→
「村上海賊」となっているので、その順番で読めば
よかったなと今さらですが。
最初に伝わった火縄銃は背が高く手の長いヨーロッパ
人仕様でして、当時の日本人は鉄砲の作り方のマニュ
アルも無く、分解して構造を理解して、そしてわずか
数年で小型の(日本式)に改良、大量生産し、戦国時代
後半には世界最大の銃保有国(50万丁)となっていた
といいますから驚きです。
ところでこのタイトルは「ひだりうで」なのか「さわん」
なのか迷いましたが、このブログを書いてるときに
表紙を見たら、右隅に小さくローマ字でKotaro no Hidariude
とあって解決。
の映画が近日公開というコマーシャルをやってて
ちょっとびっくりしました。
というのも、和田竜さんは「のぼうの城」でデビュー
して今まで4作品、そのうち2作がすでに映画化、
そしておそらく「村上海賊の娘」も映画化あるいは
ドラマ化にむけてどこかで動いていることでしょう。
まあ別に小説が映像化されることが偉いとか成功とか
そういったことではないのですが。
戦国時代、弘治2(1556)年。この前の年に
織田信長が織田家の頭領になった、そんな頃。
西国、戸沢家の領国では、火縄銃が大ブームで、
鉄砲の大会が開催されると、武士はもちろん、領民
も、大人も子どもも関係なく参加できます。
11歳の少年、小太郎は祖父で猟師の要蔵とふたり
暮らし。小太郎は生まれてから髪を切ったことがない
くらいのボサボサの長髪で、身長は6尺といいますから
180センチ超、笑う以外の感情を表に出しません。
ので、周囲からは「小太郎の阿呆」と呼ばれたり。
そんな小太郎、近所の悪童といるところに要蔵が
「戦がはじまる」と呼びに来ます。
戸沢家の武将、林半右衛門は百騎の騎馬の先頭を
駆けています。すると半右衛門を呼ぶ声が。
藤田三十郎という老人は半右衛門の幼少時代から
の教育係で、他国の武将にも恐れられてる勇猛な
偉丈夫の半右衛門も三十郎には逆らえません。
さて、三十郎は「泉州は堺から取り寄せた左構えの
種子島じゃ」と鉄砲を半右衛門に見せびらかします。
日本に鉄砲が伝来してから10年ちょっと。戦場に
おける主力武器になるのはまだ先の話で、ゴリゴリ
の騎馬武者である半右衛門からすれば鉄砲など
(足軽の道具)扱い。戸沢家の鉄砲ブームも困った
もの。
「左構えの種子島」とは、珍しいサウスポー仕様。
三十郎は左利きなので、鉄砲試合も好成績を出せず
にいたので、これは嬉しいはず。
戸沢家と争っているのは児玉家。戦況は戸沢家の
不利。この戦を山の上から見ていた要蔵と小太郎。
要蔵は戦の途中で「戸沢の負け」と見て帰ります。
それもそのはず、戸沢家の陣頭指揮は現当主
の甥の図書。半右衛門は図書を(臆病で戦下手)
と見ていて、しかも児玉家には半右衛門も認める
強者、花房喜兵衛もいて、戸沢軍はボロボロになり、
半右衛門と三十郎は命からがら逃げます。
半右衛門は怪我の状態がひどく、山の中で意識を
失います。目が覚めるとそこは人家。要蔵と小太
郎の家だったのです。
すると要蔵、「あの戦は半右衛門殿の指揮では
なかったな」と見抜き、さらに三十郎の鉄砲を
見ただけで「それは堺の種子島」と当てます。
半右衛門は要蔵を(只者ではない)と思います。
(左構えの種子島)を小太郎が興味を持って触
ろうとすると要蔵が「触るな」と諌めます。
回復して帰ろうとする半右衛門と三十郎。あとで
礼をするというのですが要蔵は「ここで会ったこと
は忘れて口外するな」と礼を拒否。
ですが見送りにきた小太郎は「俺を鉄砲試合に出して
くれ」とお願いします。
この年の秋、鉄砲試合が開催されます。半右衛門は
あのとき山中で出会った少年を待ちます。
終わりごろになってようやく小太郎が飛び入り参加
しますが、2発とも的を外れます。しかしその2発
とも同じところに命中したと聞いた半右衛門は、
「ひょっとして」と三十郎の鉄砲を小太郎に貸します。
すると要蔵が「それで撃ってはならん」と叫びます。
しかし小太郎は銃を持ち、火薬を入れて弾をこめて
火蓋を閉じてという一連の動作を流れるように行い、
あっという間に2発とも的中させます。
さらにこれを見ていた戸沢家の領主は「飛んでる鳶
を撃てるか」と小太郎に聞き、鳶を撃ち落とします。
半右衛門は、要蔵が隠そうとしていたのは小太郎の
鉄砲の技術のことだったのかと気付くのです。
城に招かれた要蔵と小太郎。そこで戸沢家の家臣に
ならないかと誘われますが、要蔵は「この孫は少々
知恵が足らず、武家奉公はできません」と断り、
小太郎も「猟師のままがいい」と言います。
帰りに、要蔵は半右衛門に声をかけます。自分たちは
鈴木という姓だというのですが、半右衛門はピンと
きません。
「他国のものに分かりやすくいうと、雑賀だ」
それを聞いた半右衛門は驚愕し・・・
雑賀衆とは、紀伊の国、現在の和歌山県が本拠の、
鉄砲傭兵・地侍集団で、当時の戦国諸家が競うよう
に雇いたがっていたといいます。
そんな要蔵ですが、なぜ孫を連れて紀州を逃れて
西国の山奥に住んでいるのか。
戸沢家の城は児玉家の軍勢に囲まれていて、戸沢
は籠城します。
はじめこそ戸沢側は応戦しますが、そのうち危なく
なってきます。しかも児玉側は(忍びの者)まで
投入してきます。すると家臣の中から「鉄砲試合
で優勝したあの少年を」と言い出し・・・
出版順でいうとこの『小太郎の左腕』は「忍びの国」
と「村上海賊の娘」の間で、舞台設定もストーリー
も違いますが、古い順から「忍び」→「小太郎」→
「村上海賊」となっているので、その順番で読めば
よかったなと今さらですが。
最初に伝わった火縄銃は背が高く手の長いヨーロッパ
人仕様でして、当時の日本人は鉄砲の作り方のマニュ
アルも無く、分解して構造を理解して、そしてわずか
数年で小型の(日本式)に改良、大量生産し、戦国時代
後半には世界最大の銃保有国(50万丁)となっていた
といいますから驚きです。
ところでこのタイトルは「ひだりうで」なのか「さわん」
なのか迷いましたが、このブログを書いてるときに
表紙を見たら、右隅に小さくローマ字でKotaro no Hidariude
とあって解決。
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