週に2日か3日くらいですがウォーキングをしてまして、その距離だいたい7〜8kmほど。それくらい歩いてますとシューズのすり減りもたぶん早くて、そろそろ新しいのを買わないといけないのですが今までスニーカーというかランニングシューズを買っていたのですがやはりウォーキングシューズを買ったほうがいいんでしょうかね。
ウォーキングバイマイセルフ。
さて、井上ひさしさん。
江戸、深川の料亭で下働きをしている土田衛生(もりお)。名字があるということは微禄とはいえ一応は御家人つまり直参の武士。この衛生、ある特殊な「芸」があります。それは「尿筒(しとづつ)」というもので、もとは将軍の用足しの際の御用を務めます。将軍様に御尿意をお催しの気配ありと察すれば尿筒を御装束を着たまま御裾から差し入れて御立小便をなさっていただく、という代々の御役が土田家なのですが、衛生は末端のそのまた末端で、生きているうちに将軍様の御用を務めるのは難しいので尿筒の修行と金稼ぎで料亭で働いているのです。
幕末に幕府が設置した武芸訓練機関「講武所」が「陸軍所」と名前を変え、その中に特別幹部養成所というのができ、そこを卒業すれば将軍様の身辺警護の御番人になれるという情報を聞き、衛生は試験を受けることに。そんなこんなで料亭に着くとたいした芸当の新入りがいるというのです。見てみると客の履物をシャッシャと投げて玄関先に立っている客の前にピタリと着地します。この男の顔を見た衛生はあっと思い話しかけると「隊長!隊長の衛生さんじゃないですか!」と気付きます。この男、鶴巻重太もじつは御家人で、将軍様の草履持。しかしお目見得以下でお近づきになることはできないので遠方から将軍様の御足許にピタリと揃うように草履を投げるという御役。衛生と重太は子どもの頃に「黒手組」という貧乏御家人の悪ガキ集団を組んでいて、それ以来の再会。そこで陸軍所の話をしていっしょに将軍様の御役に立とうと誘います。
陸軍所には武芸の試験があるので適当な道場に入門した衛生と重太。ある日のこと、稽古帰りに湯屋に寄ると髪床師に出会います。その床師は衛生と顔を合わせると「土田の衛生ちゃん・・・?」というので「甚吉!北小路の甚吉だろう!」。甚吉も黒手組で、将軍様の月代を剃る髪結之職という御役。そんなこんなで甚吉も陸軍所の試験を受けるために道場に入門します。
ある夜、道場に泥棒が侵入します。3人が泥棒を捕まえて顔を見ると泥棒のほうが先に「あッ、衛生ちゃんに甚吉ちゃんに重太だ」というではありませんか。黒手組の一力茂松は西丸駕籠之者、つまり将軍様の御駕籠を担ぐ御役なのですが背が低く失格となり落ちぶれて泥棒に。
この元・黒手組の4人が揃って陸軍所の試験を受けますが全員不合格。道場の師匠から木製の大砲と金をもらって横浜へ向かいます。なぜ横浜かというと、薩摩の船が停泊してるだろうということで、どこかで大砲の弾丸を手に入れて薩摩船に一発ドカンと当ててやろうと計画します。
甚吉は髪結いの仕事、茂松は力仕事を見つけ、衛生と重太は「花火師見習募集」という求人を見つけて花火屋へ行きますが今は打ち上げ花火の玉は作っておらず線香花火を細々と作っているだけ。しかし火薬の勉強ということでふたりは線香花火を作ることに。線香花火の合間に一貫目ほどの砲丸も作り、いよいよ薩摩船に打ち込んでやろうと小舟で近づいて点火しますがなぜか真上に発射してしまい上空で花火が見事に咲きます。これには薩摩の船上の人が拍手するわ波打ち際にいた英吉利人は金をくれるわ、挙げ句、衛生は波飛沫を被って風邪を引きます。次の作戦は、三寸玉の手投げ弾が8個ほどあるので薩摩船に投げ入れて船に火を放ってやろうとします。夜に壮行の宴を開こうと横浜の遊郭に4人が集合、それぞれ相方を決めて部屋へ。ところが衛生が相方の部屋に入ると若い衆が入ってきて相方さんは黴毒だというではありませんか。しかし衛生は覚悟を決めてるので帰ろうとしません。そこに代診の先生が来て「衛生くんは相変わらずだな。病気になったら本所のお母さんが嘆くよ」というではありませんか。「おまえ、時次郎だな、丸本の時ちゃんだろ?」時次郎の家は代々将軍様の馬方でしたが時次郎の代で御家人株を売って英語と医学の勉強のために横浜に住んでいます。
黒手組の5人が揃って、将軍の慶喜様をお守りするために何をするのか・・・
直参の中でも末端の御家人の、それも御役にありつけない若者が将軍様をお守りしなければということで無謀にも薩長に戦いを挑もうとするあたり、滑稽でもあり哀しくもあります。時次郎が異人言葉で詩を作るのですがその詩が「タウンライツ アー ベリ ビューティフル ヨコハマ ブルーライト ヨコハマ ユー アンド アイ ボース アー ベリ ハッピー」というもので、はじめは普通に読んでたのですが途中で意味が分かって声を出して笑ってしまいました。そして、物語の後半、とある「やんごとなきお方」が読まれた歌が「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく鮓(すし)をくうらん」「うれしさに席を立ちいでて眺むればいずこも同じ志士の顔立ち」で、なんといいますか、イギリスの作家が有名な詩や戯曲をジョークに使ったりしますが、あんな感じで、「教養あるオフザケ感」がいいですね。
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