晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ジェームズ・ホーズ 『腐ったアルミニウム』

2010-01-09 | 海外作家 ハ
ジェームズ・ホーズという、聞いたことのない作家の作品を
買うのは、正直いって勇気のある行為だとは思うのですが
(当たり外れ、どちらかというと外れの確率が高い)、しかし
この『腐ったアルミニウム』は、買って正解だったと思わせて
くれるほど、面白い作品です。

イギリスのビデオ制作会社のオーナー、ピーターは、毎日毎日
通勤で渋滞にはまり、会社のことや妻のことで悩みます。
ビデオ制作とはいっても、どこかの大学の講義を黙って録画し
たものを企業に売るようなちょといい加減な会社。
さらにピーターはこの会社の受付の女性とただならぬ関係
そして、妻からは、ふたりの間に子供ができないことで、夫の
ピーターに精子の検査に行けと言われ続けます。

そんな中、いつもの渋滞中に会計士から電話がかかってきて、
会社の会計に粉飾があり、ピーターに責任が被されようとして、
どうにもならない状態。

友人からの紹介で、あるロシア人から融資を受けられるのですが、
そのロシア人はじつはギャングで、その見返りで、ピーターは
モスクワへ・・・

文体は、全体的に「ライ麦畑でつかまえて」のような、ガラの悪い
口調が書き立てられ、心理描写、情景描写も表現としてはかなり
「ブッ飛んで」います。
そして、登場人物間の台詞のやりとりは、戯曲形式で書かれていて、
町で見かけるオモシロイ人の頭の中を覗き込んでいるような、そして
等身大の現代人物像とでもいいましょうか、目の前で繰り広げられる
ドラマを目にしているような臨場感があります。

最終的にピーターはとんでもない事に巻き込まれてゆくのですが
これが理路整然と描かれる小説であれば展開の大きさに驚くので
しょうけど、『腐ったアルミニウム』に関しては、そもそも「ブッ飛んで」
いるために、あまり驚きません。

しかし、自分勝手でやりたい放題であったけれど最終的にはきちんと
自分と向き合う(やや受動的に)ことになる、というような、ちょっと
したヒューマンドラマ的でもあります。
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三浦綾子 『海嶺』

2010-01-07 | 日本人作家 ま
この物語は、江戸後期の天保三年、尾張(現在の愛知県)熱田の港を
出た千石船が嵐に合い漂流、14人いた乗組員のうち11人が死亡、
3人だけが生き残り、アメリカに漂着、その後イギリス人のはからい
により、生き残りの3人はハワイからマゼラン海峡を通ってイギリス
へ、それからインド洋を渡りマカオへ。
日本人を乗せたアメリカの商船は、親書を持って江戸湾に入ろう
とするも、日本側は上陸を認めず、船に向かって大砲を撃ってきます。
やむなく船はマカオに戻ります。

ここまでが物語で、編集後記として、その後の生き残りの日本人の
消息を説明してあります。

「にっぽん音吉漂流記」や「米船モリソン号渡来の研究」という文献が
あるように、この話は実際にあったもので、その後、生き残りの一人で
ある音吉の息子はシンガポールから日本に戻り、入籍届を申請しますが、
その申請が認められたか却下されたかは不明だそうです。

時は江戸、天保年間。尾張の熱田港を出航した宝順丸は、嵐に合い、一年
と二ヶ月もの間、漂流を続けます。生き残ったのは、音吉と久吉の14歳
の子どもと、舵取りの岩松の3人のみ。
宝順丸は、もともと江戸に米を届ける途中であったため、船内には米は
豊富にあったため、餓死はまぬがれます。
漂流の行き着いた先は、北アメリカのブラッター岬。そこで3人は地元の
ネイティブアメリカンの部族に捕われ、奴隷として働かされます。
しかし、部族と交流のある別の部族に手紙を託し、その手紙を見たイギリス
人が彼ら3人を引き取ります。
イギリスは、当時鎖国体制であった日本と貿易を求めていて、3人を無事
日本に送り届けるという恩義を外交カードと利用しようという目論見が
あったのですが、3人にとっては、見ず知らずの漂流民に寝食を提供して
くれる存在。
そして彼らは「神の思し召し」とキリスト教精神を口にします。

江戸時代の日本では、キリシタン弾圧と鎖国政策により、オランダ人と
清国人以外の外国人は鬼か悪魔のように聞いていた3人にとって、
彼らの無償の親切はそれまでの考え方には、青天の霹靂だったことで
しょう。

やがて、音吉と岩松あらため岩吉は、次第にキリスト教の考え方に
共鳴してゆきます。しかし、心のどこかには、日本に帰国した際には
厳しい取調べののち殺されるという恐怖も頭にもたげており、ジレンマ
に苦悩します。

尾張の港を出てから五年、とうとう日本に戻れると喜ぶ3人ですが、
浦賀沖に停泊する船に向かって砲撃され、次に薩摩に向かいますが、
そこでも砲撃を受けて、マカオに戻ることになってしまいます。

「信じられん、何でわしらを撃つんか」
「あれが日本や、あれが日本なんや」

絶望に打ちひしがれるなか、岩吉がぽつりと
「そうか、お上がわしらを捨てても、決して捨てぬものがいるのや」
とつぶやくところが、胸を打ちます。
コメント (2)
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ファニー・フラッグ 『フライド・グリーン・トマト』

2010-01-04 | 海外作家 ハ
なにげなく手に取ったこの『フライド・グリーン・トマト』
という小説。表紙には、一列に並んだトマトの下に、ご年配
の女性4人が笑顔で写ってる写真かなにか。

とにかく、タイトルと表紙の装丁だけではどんな物語か、まっ
たく想像がつかないので、とりあえず読んでみると、これは
まあ、久しぶりに出会った秀逸な作品。

中年の主婦エヴリン・カウチは、夫エドの母が入所している
アメリカのアラバマ州バーミンガムにある老人ホームに向か
います。
義母とはなんとなくそりの合わないエヴリンは、談話室に行く
と、そこにはニニーという老女がいて、話しかけてきます。

話の主な内容は、この物語の「現在」である1985年前後
からおよそ60年前に、この老人ホームの近くにあるホイッ
スル・ストップという小さな村にあった「ホイッスル・ストップ
・カフェ」での周りに起こる出来事、カフェの経営者である
イジー・スレッドグッドとその兄弟姉妹両親、そしてイジー
の共同経営者ルースの話となります。

当時は鉄道が移動手段の主役だった時代、連結作業をするこの
ホイッスル・ストップで食堂(カフェ)を経営することになる
イジーとルース。黒人の料理人、常連の客、そして放浪の人々
たちの面白おかしい、時に悲しい出来事が、地元の新聞によって
紹介する、という形式で語られていき、その補足として、スレッド
グッドの一族である二ニーの語りが交錯します。

とにかく「型破り」な性格のイジーは、子供のころから変わり者
で、10代の時に、家で短期間滞在することになるルースという
女性を愛してしまいます。結局その愛は実らずルースは故郷に
帰り、結婚します。

その後、ルースを追ってきた夫が何者かに殺され、嫌疑がイジー
にかけられるといった事もあり、田舎の淡々としたカフェでの
話と、ちょっとしたサスペンスもあり、全体的に哀愁感のある
、どこかおとぎ話チックな物語。

ニニーの話に触発されたのか、エヴリンはそれまで自分ばかりを
責めてきた人生と決別し、前向きに生きようとします。
つまりウーマンリブの物語という側面もあります。

また、カフェで働く黒人コックやその仲間たちをイジーは誰彼なく
平等に扱い、食べ物を提供するのですが、それが面白くない白人
がいて、しかしイジーは真っ向から対決します。
女性の権利や人権問題も盛り込み、でも重くならずユーモアで
包み込むような文体。そして最後にはホロリときて、思わず
「こりゃまいった」と唸りました。
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