例えば、
貴方が親友の運転する車に乗ってドライブ中、見通しの良い通りを
どんどんスピードを上げて走っていたら車道に人が飛び出して来た。
ブレーキを踏むが間に合わず歩行者をハネて死なせてしまった。
死亡事故なので裁判になり、事故の目撃者は貴方しかいない。
「事故の時、運転者はどの位のスピードを出していましたか?」
貴方の証言次第で友人の刑は重くも軽くもなる。正直な証言をして
友人を刑務所に入れるのは可哀想だが、嘘の証言をすれば宣誓し
ているので偽証の罪……
…この、偽証して友人を助けようとする「個別主義的立場」をとる人
が日本人では九割を越えるそうだ。ところがアメリカでは九割の人が、
国民の義務として偽証はしないという立場に立つ、「普遍主義的立場」
をとるらしい。
国民性の違いとも言えるが、アメリカ人は、普遍的価値を守る為には
人情をも切り捨てる。企業の公害問題などで内部告発が多いのもそ
の為だし、日本人の情実絡みの経営が批判されるのもそうだろう。
だが、最近やたらと日本の問題企業の内情が告発されている。
日本人もアメリカ人の様に普遍主義的価値を持つ様になったのか?
いや、そうではなさそうだ。
恐らく「窮鼠猫を咬む」か、「飼い犬に咬まれる」と言った所だろう。
不況を生き抜く為の企業の安易な雇用形態に押しつぶされた
そこで働く者達が、追い詰められ、虐げられているからだとしたら、
あくまでこれは「個別主義的価値」になる。
川沿いで『小鉄』に会いに通っていた頃、
散歩の常連のおばちゃんが、
「あのスーパーの魚は買わん方が良いよ。
仕入れから一日置いてから店頭に出しよるけん、古かもん。
私、あそこで働きよるけん、知っとるったい。」
と、言っていたのを思い出した。
意外と内部事情はこの様にして露見するのかも知れない。
「人の口には戸は立てられぬ」とは良く言ったものだ。
人を使う以上、人を大事にしなければこれからの企業は続かない。
使い捨ての人事をやって来た企業ほど、要注意だ。
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