夏の終わりに翌檜公園で猫と遊ぶ女性と出会った。
その後も何度か会う機会があり、お互いの事を話すうちに
今年の始めに事故で亡くした弟さんと私は同級生で、
小学時代に私の誕生会に来ていた事が分かった。
顔も思い出せない弟さんを何故覚えていたかと言うと…
プレゼントが「博多人形」だったからだ。
彼女のご両親は博多人形師で、誕生会に呼ばれた子供に持たせたのであろう、
数十年経った今でも実家にその人形はある。
ある日、その女性に誘われ、
趣味で姓名判断をしているという人と会う事になった。
誘ってくれたので行く事にしたが、大方の見当は付いていた。
悪い事を散々言った後に、解決の手助けの為と言ってお金を取るシステムだ。
勿論、私はお茶を濁して(断って)帰る事にした。
自らの離婚、両親との不仲、弟の事故死。
これだけの理由があれば何かにすがりたくもなるのだろう。
その姓名判断の教えによると、
「日」は男を、「月」は女を表し、男女が居る家は(明)るく、
「日」が二つ…つまり、男が二人居る家は(暗)くなると言う。
家に男女が居ても暗い家はいくらでもある。
不幸になれと悪く名付ける親はいない。
幸も不幸も、生きている以上、大なり小なり誰にでもある事だ。
何より、明るさに「光」を、暗の中に「音」を感じ取れない「心」は道を見失う。
もう秋になる。公園では、桜の木の燃える様に紅い落葉の山に、
『白』、『黒』、『灰』の猫達が飛び込んで遊ぶ姿が見える。
カサカサと渇いた音を楽しむ猫のダンスが、鮮やかで美しい。
(2007年11月 記)
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