前に書いた記事、「買い物」に登場したドラッグストアが散歩に出たら遠くなったので、
その近所のコンビニへ行った時の事。
日用品とカリカリを購入し、レジで支払いを済ませた。
その時だった、
財布に入れる筈の小銭を落としてしまった。
小銭は転がり商品の陳列棚の下にコロコロと滑り込んだ。
行方を目で追っていたので位置は判るが、這い蹲って取る勇気は無かった。
諦めて帰るか迷いながらおろおろしていると、若い学生の様な店員さんが
プラスチックの定規を持って来て、器用にも取ってくれた。
こう言う時の男性の表情は実に良い。
ちょっとでも何か役に立った事が誇らしい少年の表情だ。
猫が獲物を得意気に銜えて来る顔にも似ている(一緒にしたら可哀想だが)。
「ありがとうございます」と、受け取ろうとしたが
私が落としたのは1円玉で、店員さんが取ってくれたのは50円玉だった。
「お前さんが落としたのは、銀の斧か~い?金の斧か~い?」
と言われている様で思わず吹き出しそうだったが
正直に話すと店員さんは良い人で、再び定規で1円玉をキャッチしてくれた。
店員さんの定規は魔法の杖の様だった。
コンビニで買い物をした筈なのに
木の斧(1円玉)を片手に握り締め、お伽噺の主人公になった私は
何だか、幸せな気分で家へ帰った。
今日は何位??
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イマドキの若者は~・・・なんて
常に言われる世の中ですが、
自分より年下の人に親切にされると
それだけで「世の中捨てたもんじゃないなぁ~」
なんて年寄り臭いことを思ってしまいます。
だからこそ、自分も他人には
親切にしなくちゃなー、と気付かされたり。
たった1円、されど1円。
小さな1円玉をめぐって買い物以上の
コミュニケーションをした二人。
ぎこちなくも はにかんだ笑顔で別れたんだろうなー
と想像して、なんだかこっちまで嬉しくなりました。
私もほんわか幸せな気持ちになりました。
素敵なお話をありがとうございました。
今日はゆっくり眠れそうです(笑)
私が受け取った木の斧(1円玉)は、誰かに話す事で金の斧に変わるような気がします。
嫌な事、暗いニュース、物騒な事件が多い世の中ですが
小さいけれど、
素敵な事、明るいニュース、爽やかな事件も同時に起きているんだと思います。
まだまだ世の中、捨てたもんじゃないですよね。
今は、“買い物してやってるんだ” “売ってやってるんだ” というような感じも多いですが、やっぱり人と人とのコミュニケーションなんですよね。
金の斧でなくて木の斧を選択できる生活をおくりたいと、強く思いました!
本当は、木の斧を金の斧に変える力は誰でも持っていると思います。ただ、誰しも使い方が違うのでしょうね。
どちら持つ事が幸せかも、人それぞれ違うように。