きっと明日は雨のち晴れ

六甲道診療所での仕事は忙しいけど、それなりに楽しい。ちょっとくじけそうなことがあっても、雨のち晴れです

なんとなく お別れ っていうことが あるのかなあ、、、

2022-05-26 21:42:02 | 悩み
その昔、
岡山県東粟倉村というところに、現代玩具博物館というものがあって、今は亡き 館長の西田さんの指導で「からくりおもちゃ教室」というのに参加していました。10数人の受講生が、月に1回土日2日かけて、1つの作品を仕上げるというもの。神戸からは泊まり込みで、隣の西田さん一家が経営しているペンションにとまらせてもらって、、約1年間のコースでした。最後はひとりひとりのオリジナル作品をつくるというのでしめくくりでした。教室の助手みたいなことをしてくれてたのが 橋爪さんという方です。
 平成の大合併?だったかに、東粟倉村は美作市と合併吸収され、現代玩具博物館も、まちの中心地湯の郷温泉郷の中心地に引っ越し、西田さん亡き後の館長を橋爪さんがつとめていました。 毎年米子の研究集会に行く途中で、湯郷の橋爪さんを訪ねるのが恒例となっていました。ついでに、いろいろ買い物して、、でも、お山での木工作業は からくりおもちゃよりは、ほとんど診療所のための工務店の作業場になってしまったこのごろ。おまけに、米子にも オンライン参加で、湯郷にご縁が激減してしまいました。
 そんなおり、毎月「友の会」会員におくられてくる、STORK magazine の編集後記に 訳あって退職することになりました というような 下りがあり、びっくり、、 事情がわからないし、それほど詮索するほどの関係性もないのですが、

 つづいて、診療所にとどくファックスのなかに、
流谷せんせいからのが、、、ファックスでというのがなんとも、、なんですが、4月いっぱいで、診療所を閉鎖するという内容。
 もうずいぶんになりますね、
 六甲道がプライマリケア関連で、診療所実習を受け入れるネットワークに手上げしていて、ごくまれに、学生さんとか研修医などもきてくれたことがありますが、実際の開業医さん(流谷先生はどなたかの医院の継承開業だったおもいますが)がたずねてこられたのは初めてで、 その当時、水曜日の午後診察は、神戸大学の健康管理センターで仕事してた先生のアルバイト先として、外来をお願いしてた時期で、 中田先生(今は京都に)や浦浜せんせい(住まいは篠原北町)といった先生に水曜日の午後の外来をお願いしていましたが、その裏で、流谷先生と検査したり、往診したりという、最近志谷せんせいのときのような気分でお付き合いしていました 何度か、薬屋の招待?で蘇州園や芦屋の店でふたりで飲み食いしたことがありますが、それはオフレコ その後は毎年盆暮の挨拶と年賀状だけになってしまいました、、
 縁とは不思議なものですが、疎遠になってはいけないというおもう人とは ご無沙汰してしまい、、そうではない〇〇とは しがらみからぬけだせない、、というようなものでしょうか?


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擦り切れるほどみてる、モネちゃん

2022-03-24 20:37:18 | 悩み
健康いちばんの、四季のカルテ原稿、、締め切りすぎてますが、なんとか間に合ったでしょうか?
::::::::::::::
山また山と出会わず
人また人と出会う
 六甲道診療所 谷口敏光

「お姉ちゃん津波みてないもんね」「あのとき、何もできなかった」
「カムカム」の前の朝ドラ「おかえりモネ」に未だにはまっています。「龍馬伝」の頃からでしょうか、気に入ったドラマは完全版DVDセットを購入して繰り返し見直して楽しむようになって長くなります。DVDですから「擦り切れる」ことはないですが、まあそれくらい見てしまうのです。読書家の鳴海先生からは、「もっと本を読まんとあかん」と叱責されそうですが。「そんなに何回もみて、面白い?」と家でも呆れられていますが、毎回観るたびに新たな発見があり、自然と台詞を覚え、先に言えてしまうほどのめりこんでしまうシーンも数々。とりわけコロナ禍で、外食もなく、自宅で黙食個食で、読書三昧ならぬ、ドラマ三昧の2年間でした。

「とにかく島をでたい」
震災の時そこにいなかったモネは、こういって、森林組合に就職します。「その山の葉っぱさんたちが海の栄養になんのさ。山は海とつながっているんだ。何も関係ねぇように見えるもんが、何かの役に立つっていうことは、世の中にいっぺぇあるんだよ」とじいちゃんは幼い姉妹に伝えていたという龍巳じいさんの言葉はどれをとっても重く、カッコいいのです。
ちょっと違う意味で淡路島を出たかった私は、良くも悪くも周囲との関係性の濃い島が嫌で、さほど遠くもない神戸にでてきてもう40年をすぎました。人付き合いが苦手だったのに、医療生協という「助け合い」や「繋がり」を大事にする仕事を選んでしまったのはどうしてでしょうね。

六甲道診療所は今年30周年です
震災で診療所が全壊した時はさすがに事業継続の断念も考えたくらいですが、なんとか休まず、続けてこれました。そして、今このコロナ禍で日曜祝日以外で検査をしなかった日がない程の毎日。通院患者さんだけではなく、発熱相談センターや保健センターから、他にかかりつけ医がある患者さんからも、毎朝電話がはいります。なんでそこまで受けるのかと周りから思われてるでしょうね。もちろん、自分の身を守る、職員の安全確保は最重要ですが、それなら「発熱患者を診ない」というのは正解ではないはずです。熱はなくてもコロナ陽性となる高齢者、検査陰性でも重大な疾患が紛れ込んでいます。できるかぎりの対策をとることでなんとかここまで踏ん張ってきました。

「誰かの役にたちたい」
モネはこう言う。「きれいごとにしか聞こえない」と幼なじみに言われ、「誰かのためにというのは結局自分のためなんじゃない」と同僚にいわれ、「あなたのおかげで助かった、という言葉は麻薬です」と菅波先生にいわれます。モネのおじいちゃんにはモデルがあります。気仙沼のNPO法人「森は海の恋人」代表の畠山重篤さんでカキを育てるために植樹を30年以上続けています。津波で母親もカキ棚もなくしても、海中にはカキが食いきれないプランクトンはしっかり生き残ってたそうです。海は生きていたんですね。「強いんじゃねんだよ、何つうかな、しぶといんだな」という龍己じいさんの言葉のように、人付き合いが苦手でも、人と出会いながら、もう少しだけ、しぶとくがんばってみよかなと思えるドラマでした。

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記録に、記憶に残すことの重要性

2020-10-01 21:25:33 | 悩み
今日からインフルエンザワクチン開始でした。

ワクチン接種希望の方がいくらきてもなんとも思いませんが、
その間に発熱の人がこないか心配でした。

隔離のスペースに誘導する患者さんが今日が少なくてたすかりました。
昨日PCRセンターいってもらった、嗅覚障害のあった女性は
陰性で、朝から本人に電話して、安心してもらいました。

毎日がこんな、、
「コロナの記録」をという、専務の意図はなんやったんかわかりませんが、
毎日、発熱の人をみて、まるで保健所ご用達の発熱外来みたいですが、
そんな、一診療所の、この半年の記録を残す?ことを、いまさらながらに
指摘されるのになんとなく疑問もありますが、
六甲道の所長は、「コロナ日誌」をつけようとフォーマットまでつくりましたが、
断念してしまってます。
むしろ、「週1回」ペースの雨のち晴れや、毎月の月例勉強会や企画会議で
議論して、貫壁ではないけど、改良の連続の毎日の記録はのこっているはず

次に残すことは大事なことやと、
阪神大震災もそうやけど、新型インフルエンザの記録、
そして、コロナの記録を 雨のち晴れで紐解いてみたくなりました。

「ペストの記憶」みないな名著ではないですが、
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「胸が痛む」とはよく言えたものだ 

2020-03-19 20:55:15 | 悩み
あのときの赤木さんは、だいぶ深刻だったことは手にとるようにつたわってきました。
 心療内科のドクターとの話もあったようですが、私に対しては、身体的な問題がないのか?というようなことを、尋ねてこられました。
 共済組合ですから、六甲病院の人間ドックをきちんとうけておられて、そのなか基準値をこえる項目に関する相談なども何年も負から、
その都度していました。
 妙に不安感いっぱいというわけではなく、理性的な検査項目に関する疑問に関して質問される態度はまさしく、「紳士的」な会話を私たちはしていました。
 この年明けの休職中の彼は、内科医である私に多くはもとめませんでした。ちょっと、外出して体を動かさないといけないなあ、でないと体調よくならないなあ、、と、
自分に何かを課していたような会話でした。
 奥さんも健診うけていただいたり、ちょっと体調くぐすような出来事ありましたが、ふたりとも、お互いの体調に気にしているような、
気遣いの言葉が印象的なご夫婦であったことはわすれられません。
 当時このニュースを見たときは、すぐさま、彼では、、と思ってしまいました。カルテの保険情報から、
財務省職員であったことは前からしってましたから、、、キャリアかノンキャリかはしりませんが

 心療内科ではないけど、認定産業医でありながら、それなりに六甲道診療所に信頼をいただいてたとおもわれてるような関係をもってたと思うのですが、
ただただ、話をきいてただけで、何もできずに月日がすぎていったことに関して、なにもできなかった自責をのこすばかりでした。
 1年ほどあとに、奥さんが健診にこられて、元気そうにふるまっていたことを今もわすれません
 そして、その彼女がこの戦い立ち上がったことになったわけですが、
そもそも、そこまで彼女の 「覚悟」に頼らなければ真相があきらかになってない今に 
ちょっと他とは違う医療生協の診療所で働く医師として、
いくらかでも「社会」に気持ちをもっていると思われていたと思っている自分が、何もできなかったことに「胸が痛む」
今です
すくなくとも あんたに「胸が痛む」とは言ってほしくない
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四季のカルテの評価はどうでしょう 2月16日の文書

2020-02-16 21:16:30 | 悩み
怒らず恐れず・・
六甲道診療所 谷口敏光
NHKドラマ「心の傷を癒やすということ」みながら書きだし
◆パンデミック
新型コロナについて書くようにといわれつつ、速報性の高いメディア報道に比べ、この健康いちばんという媒体で何がふさわしいのか戸惑うばかり、今(2月16日)はもう国内感染経路不明の段階に入り初め。診療所で「この症状は新型コロナでは?」という方にどう対処したらいいか正直自信なく、一方で今日の毎日新聞には「一辺倒のニュース要注意」との論説が。米国では旧来型インフルエンザで1万人以上が死亡している。日本でも3千人以上で、交通事故死者数に近い。これは新型報道の「パンデミック」だと・・・頷きながらも、今号が発行される頃にはどうなっているか想像もつかない
そんな溢れる情報の中、「新型コロナウイルスの不安、怒りに振り回されないためにできること」という「日本アンガーマネジメント協会の田辺有里子先生のページに注目。https://telling.asahi.com/article/13124987
◆怒りの渦
半年ほど前に読んだ「医師のためのアンガーマネジメント」(医事新報社)・・・救急外来で、「こんな時間にこんな事で来てほしくないなあ・・」とか、夜中に「眠れない」とくる患者さん、結構イラっとするけど、そこで怒っても解決しないし、自分も眠れなくなるし、・・医療現場って怒りの渦です。特に患者さんは苦痛を抱えてきているので、職員に親切にしてもらえなかった、待ち時間が長いなどで、イライラが募り、怒りが増幅している。そこで実際に感情的に対応してしまえば、後で職員の対応がまずかったと
◆6秒待つ
そこで生まれたのが 怒りの感情と上手に付き合うための「アンガー(怒り)マネジメント」で、ポイントの一つが「衝動」のコントロール。「つい」「かっとして」「いらっとして」とか、「頭が真っ白になって」と、まさに売り言葉に買い言葉にならないこと。感情にまかせて反射的に言い返しそうになったときに、ちょっとこらえることができれば、冷静に言葉を選んで対応できる。きっかけとなる事象が起きてから6秒で、怒りのピークは過ぎると言われている。その6秒を、他の話をする、カルテを見る、落ち着く言葉を唱えるなどして何とかやり過ごすこと。そして、起きた問題のフォローや、必要であれば謝罪など、するべきことに頭を切り換えようと
◆熱くなってない?
二つ目は、イライラ・怒りの温度(点数)を測る(図)。10点満点で何点か。例えば人に足を踏まれたら、最初は5点くらい。次の日、同じようなことがあって、何点つけるか。まあ、そうこうしているうちに、これはそんなに点数をつけなくてもいいのでは?1点とか、怒らないとか。そうして点数化の癖をつけることで、怒りの温度が段々下がっていくらしい。
 さて、今頃、パンデミックな事態に至っていたとしても、皆さんが診療所に来られた時、私は怒らず恐れず「笑顔」で皆さんとお会いできていると信じて、
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