オリジナル、不細工ホームページはとどめをさされ、おわりました
30周年でしたが、これもひとつのけじめでしょうね
とんでもない毎日作業でおわれています
そんななか、今日はブリダイコンをうまくできました
「筑前煮の具」なるものをみつけて、おもわず買ってしまいました。その袋の裏に、もちろん筑前煮の作り方は書いてあるのですが、ちょっと、となりに、「揚げない酢豚」なるものがあって、あるもので、昨日はこれをつくってみました。揚げないかわりに片栗でしっとりさせるという感じでしたが、また片栗です、、あとは、味付け、酒、しょうゆ、ケチャップ、砂糖そして、酢を多めにいれたら、なんとなく酢豚の味になっていましたが、やはり、見た目はちょっと違うかな 豚肉とベビーホタテの味はバッチリでしたが、、
それにしても、30周年ご苦労様でした、、まあ、いろいろありながら、なんとかでしたかね
まあ、外来が30年たって、こんなバタバタとは思いませんでした、というか、ひと昔は、もっと患者数が多かったけど、自分自身のなかに、予約表とにらみあいながらせっぱつまった感を今ほどに感じてなかったような気がします、、
すべては、発熱外来によるものかもしれません。インフルエンザの時にも、昔から、熱があれば隔離というルールはあって、隔離室に いろは丸ではなく、「い」「ろ」、、、と名前をつけたのは、だいぶ昔、、新型インフルエンザの時期だったのでしょうか?となつかしくおもったりもしますが、そのころでも、移動はしても、着替えはしてなかったよね、、マスクはしてたかなあ?個人防護セットを沢山いただいてたけど、ほとんど使わずに、検査室の吊戸棚に収納していたのが、今回なんとなく役立ったのには不思議な気分ではありますが、
コロナでの着替えはそれなりにエネルギーを使う、、そのうえ、予約制である、、よかれとおもって作った予約枠も、それがある意味足かせとなっているようで、発熱外来予約枠の診察をみださずに、一般外来をまわすという呪縛にとらわれて、毎日がすぎていく、、、1人の発熱外来がおわれば、次の30分足らずの間に、一般外来をこなして、次の発熱外来までに、きれいに片付けていくサイクルを守っていく、、そのために、「と」の問診もってきて、、なんて要求をそのへんの人に「大声で」いってしまっています。これは、ハラスメントやなあと思いながら、
こんなことをいつまでつづけるのでしょうか?、、来月の経験交流会?なるものには所長は、実は欠席なので、すみません。
いろいろ試行錯誤のすえに、積み上げてきた業務の数々ですが、それはそれで、いろいろ、不具合も、うまくいかなかったことも経験しながらの、2年間、、いや30年でしたでしょう。
試行錯誤というからには、、あやまちがあったのですね、、
苦い経験もわすれてしまいたいことのひとつかもしれないし、
「先生とよばないで」とむかしのむかし、、この雨のち晴れでもいったことがありますが、、、
毎日新聞の1面「余禄」に面白いのが書いてありました。2面
医師患者関係に上下をつけたくないという信念もあり、医師同士でも、「せんせい」とよびあうのはやめませんかというようなことにこだわっていた時期があります。白衣を着なくなったのは、あの卓球場での仮設診療所時代でしたが、ときはうつろい、
慣れというのは恐ろしいものです、、患者さんの前で、看護師が医師のことを「せんせい」というのは言わないようにしてきた時期にいた職員や、そんなことは知らんという新たに入職してきた職員もいるので、ごっちゃになっていますが、まあ、そんなことは結局はどうでもいいことなのか?それとも、ちがうんや、、、上下関係ではないことを、意識する意味で、「せんせい」と呼ばないことにこだわるのか?あまり重要な議論ではないか?
そんなことにこだわるくらいなら、ハラスメントみたいな行動に注意してくださいともいわれそうですが、、
面は私の好きな「宇梶」です。「なつぞら」では十勝の農協の組合長役でしたね
30周年でしたが、これもひとつのけじめでしょうね
とんでもない毎日作業でおわれています
そんななか、今日はブリダイコンをうまくできました
「筑前煮の具」なるものをみつけて、おもわず買ってしまいました。その袋の裏に、もちろん筑前煮の作り方は書いてあるのですが、ちょっと、となりに、「揚げない酢豚」なるものがあって、あるもので、昨日はこれをつくってみました。揚げないかわりに片栗でしっとりさせるという感じでしたが、また片栗です、、あとは、味付け、酒、しょうゆ、ケチャップ、砂糖そして、酢を多めにいれたら、なんとなく酢豚の味になっていましたが、やはり、見た目はちょっと違うかな 豚肉とベビーホタテの味はバッチリでしたが、、
それにしても、30周年ご苦労様でした、、まあ、いろいろありながら、なんとかでしたかね
まあ、外来が30年たって、こんなバタバタとは思いませんでした、というか、ひと昔は、もっと患者数が多かったけど、自分自身のなかに、予約表とにらみあいながらせっぱつまった感を今ほどに感じてなかったような気がします、、
すべては、発熱外来によるものかもしれません。インフルエンザの時にも、昔から、熱があれば隔離というルールはあって、隔離室に いろは丸ではなく、「い」「ろ」、、、と名前をつけたのは、だいぶ昔、、新型インフルエンザの時期だったのでしょうか?となつかしくおもったりもしますが、そのころでも、移動はしても、着替えはしてなかったよね、、マスクはしてたかなあ?個人防護セットを沢山いただいてたけど、ほとんど使わずに、検査室の吊戸棚に収納していたのが、今回なんとなく役立ったのには不思議な気分ではありますが、
コロナでの着替えはそれなりにエネルギーを使う、、そのうえ、予約制である、、よかれとおもって作った予約枠も、それがある意味足かせとなっているようで、発熱外来予約枠の診察をみださずに、一般外来をまわすという呪縛にとらわれて、毎日がすぎていく、、、1人の発熱外来がおわれば、次の30分足らずの間に、一般外来をこなして、次の発熱外来までに、きれいに片付けていくサイクルを守っていく、、そのために、「と」の問診もってきて、、なんて要求をそのへんの人に「大声で」いってしまっています。これは、ハラスメントやなあと思いながら、
こんなことをいつまでつづけるのでしょうか?、、来月の経験交流会?なるものには所長は、実は欠席なので、すみません。
いろいろ試行錯誤のすえに、積み上げてきた業務の数々ですが、それはそれで、いろいろ、不具合も、うまくいかなかったことも経験しながらの、2年間、、いや30年でしたでしょう。
試行錯誤というからには、、あやまちがあったのですね、、
苦い経験もわすれてしまいたいことのひとつかもしれないし、
「先生とよばないで」とむかしのむかし、、この雨のち晴れでもいったことがありますが、、、
毎日新聞の1面「余禄」に面白いのが書いてありました。2面
医師患者関係に上下をつけたくないという信念もあり、医師同士でも、「せんせい」とよびあうのはやめませんかというようなことにこだわっていた時期があります。白衣を着なくなったのは、あの卓球場での仮設診療所時代でしたが、ときはうつろい、
慣れというのは恐ろしいものです、、患者さんの前で、看護師が医師のことを「せんせい」というのは言わないようにしてきた時期にいた職員や、そんなことは知らんという新たに入職してきた職員もいるので、ごっちゃになっていますが、まあ、そんなことは結局はどうでもいいことなのか?それとも、ちがうんや、、、上下関係ではないことを、意識する意味で、「せんせい」と呼ばないことにこだわるのか?あまり重要な議論ではないか?
そんなことにこだわるくらいなら、ハラスメントみたいな行動に注意してくださいともいわれそうですが、、
面は私の好きな「宇梶」です。「なつぞら」では十勝の農協の組合長役でしたね