きっと明日は雨のち晴れ

六甲道診療所での仕事は忙しいけど、それなりに楽しい。ちょっとくじけそうなことがあっても、雨のち晴れです

この低血糖をどう解決するか 

2015-11-05 21:23:36 | 診療
袖にされた 井上真央がかわいそうになっていますが、
 その幕末から明治政府の 物語ばかりのこのごろ、、
 そのころの イギリス外交官「アーネスト サトウ」の日記からそのころを描いた ノンフィクション「遠い崖」という全8巻ほどの話の 今は3巻目を読んでいますが、
 そのサトウ(龍馬伝では あの パックンマックンのパックンがやってましたが、、これは日本人名ではなく、 ほんとに英国の人名だったのですが)が当時 横浜、函館、長崎などについで、開港を迫られていた兵庫 つまり 神戸をおとずれたときに、、中心地は 新開地のあたりであって、ここに、「湊川」という川が流れていたことを日記にかいています。
 この時代、 湊川という川がはまさしく、湊川駅あたりをながれていて、すでに 「天井川」だったそうな、、
 数々の氾濫があって、この天井川を別の ルートに誘導しようとしたのが、新湊川です。つまり、西の方に、 隧道 トンネルで川をつくったわけで、、阪神高速の「湊川」ランプは 湊川駅あたりよりはかなり西にあるのよね、、これは 新湊川なんですね。
 学生時代湊川や福原あたりをうろうろしていました(^^;
 あの、湊川公園は 昔は 天井川 湊川そのものだったわけですね
 といことで、、、前振りがながいというか おまけに、
  六甲道から東には 天井川いっぱいです。
  川の下を JRがくぐっている川 をあげてください
 石屋川は 六甲道付近が高架になって、JRは川の上をとおっていますが、高架の下に 上り下り 一方通行の自動車道ができています
 私が神戸にでてきた、、(もう40年近くなるんやなあ)ころは、六甲道駅は 地べたにありました。 あの地震で 一階の星電社がぺしゃんこになって、駅が一時的に地べたにもどりましたが、、、(^^;
 ツタヤのあたりだった 踏切は まさしく開かずの踏切だったそうですが、そのころは車をもってなかったのでよう知らん
 そんな、震災後は 腰折れしたJRの高架を修復すべく 数えきれないクレーン車が  石屋川天井川の東西にならべまくって、煌々と徹夜のJR高架修復に懸命でした。
 周囲は全然復旧していのですが、
やはり、JRを通すことはかなり重要なことだったことをうかがわせる 風景でした。最後に通った駅 六甲道駅の高架の試運転に 重量級の 電気機関車をつなげた隊列がとおっていた風景はやきついていますね。
 その、天井川トンネルの足元に 素敵なMさんの邸宅があります。
11月3日の休日予定往診。Mさんとこにいったら、 「眠たい」とねてばかり、
 ちゃんとしゃべりもできない、なんとなく、左眼球突出もあり、、でも手足の動きに変化なく、いわゆる脳の「巣症状」なし、なにか代謝疾患なんやろか?
半月前の市民病院の血液検査データなどをみかえすと、あらためて、極度の低蛋白、低K、腫瘍マーカーは徐々にあがり、肝臓もゆっくり上昇。
 でも黄疸もなし、昨日まで、元気にデイにいってるのに、、まさか、低血糖では、、といっても、血糖測定器はもってないし、でも、糖尿病治療してなくても、悪性腫瘍のときは低血糖はあるか? なんて、ドクターGまがいの推理。
 まあ、夕方までまって、再度往診する約束して、4時ごろいってみたら、
まあ、掘りごたつのある、1階で車いすでまっていてくれて、もとにもどったような
 いずれにしても、元気そうにふるまっても、明らかに悪化をたどっていることは明らか。
翌日 採血したら、やっぱり低血糖!!!
今朝も、腰があがらないと、電話あり、でも意識は大丈夫やと
そんで、低血糖について、再度評価検討が必要と悩む1日。
取り敢えず、IRIと CPRをファルコに追加オーダーしてみましたが、
可能性としては、腫瘍性の低血糖
どうしたら、この状況を脱することができるか、、無理なことしても意味ないし
情報収集と思案
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