きっと明日は雨のち晴れ

六甲道診療所での仕事は忙しいけど、それなりに楽しい。ちょっとくじけそうなことがあっても、雨のち晴れです

勝手にたべてもおこられんかったがじゃ やまもも

2024-06-30 21:30:23 | グルメ
朝ドラらんまんの最後のほうで、竹雄と綾が土佐をでて、東京にでてきて屋台をし始めたころ、
土佐からもってきた 「最後の」やまももをみんなにふるまっていました。
そのあとで、すえ子が渋谷でひらいた「待合茶屋」の名前は「やまもも」、、庭には土佐からとりよせた「やまもも」の木でした。
 やまももといえば、昔なつかしい、、
淡路の家では、玉ねぎ、レタス(小さな畝サイズのビニールトンネル)、、田植え、
稲刈り(稲をかって、田んぼに干す作業、、、今頃、なんかまた朝ドラといわれそうですが、
先日「ひよっこ」のDVDかってしまって、奥茨城で稲刈りをするシーンが、メイキング特典映像としてみれました。
雨上がりはぬかるんで稲刈りも一苦労、束ねて、「かっとり」に渡した「なる」に束をかけて干す作業は、
リアルに記憶を呼び起こしました) 、イチゴ(大きなビニールハウスで)、
小学生のころは、結構年がら年じゅう忙しく、学校から帰ってきても、
日がくれて、作業ができない時間ぐらいまで 手伝いをよくする少年でした。
お父ちゃんが、気が短く、すぐにいらっとするタイプで、こわかったかか?その性格は受け継いでいるか? 
さすがに、中学になると、ほぼ、手伝いは免除されていて、バスケ部と、塾というものがほぼ存在しない田舎で勉強
そんな小学時代に、ちかくの山によく、「基地」だとかいって、木にのぼって、
さらには、適当な木をきって、日本刀っぽく鉈(なた)で細工して、木刀をつくったりしていました。
べつにだれかと喧嘩するためでもない、気弱な少年でしたが、、
その山で食べたのが「やまもも」 でした。
「基地」とよべるような木に登り、枝に鈴なりな真っ赤なというより、
紫色に近い深い赤紫の実をちぎってはそのまま、食べては種を吐き出し、
次々と、、そのうち、口の周りも、舌もまっかっかになって、かえってきてました。
 まあ、どこのやまの持ち主もわからん?とこに侵入していたのかもいまもって不明。
家にもちかえった記憶もありません。だれもそんなもん、食べようとせんかったかな、、
 あのころは、タケノコやマツタケなども、取り放題で(多分、さすがにそれは、自分ちの持ち山だったでしょうが)
1日では食べきれんで、毎日タケノコ料理、、それも、もう竹になりそうな硬いのばっかで、
あまりおいしいとおもったことがない、、
 そんな、先週の火曜日、近くの市営住宅に往診でいったら、
1Fのエレベータ入り口にはいる手前の道におびただしいかずの、赤い~橙色の実がおちているではないですか・・・
「おまん、だれじゃ」とはいいませんでしたが、住人たちはなにごともないように通り過ぎて、
歩きようによってはその実を踏んずけてしまいそうになるくらいに、
その上をみたら、大きな、木の上に、これも数えきれんほどの、赤い実がついちゅう!!!
 まあ、けんど、実は小さい、らんまんや、淡路でみたやまももは、そうじゃのう、、直径2cmはあるけんど、
ここのやまももは1cm足らず、、あんまりたべたいとはおもわなかったけど、
 先週、この住宅の裏庭の植栽の手入れをよくしている、Kさんにきいってみたら、
確かにやまももで、もう一本西側にあるらしいですが、それは実をつけないようです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自然に健康になれるという、... | トップ | 上手くはいかないことばかり... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

グルメ」カテゴリの最新記事