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W杯の思い出:モンタバンの母娘

2014年05月25日 | サッカー

※この記事は2000年に執筆したものを転載しています。

W杯の思い出:近ツリのねらいの続き <目次


 ディナーも拒否、翌日のボルドーツアーも無視。我々には時間が無いのだ。のんびりとボルドーへ向かう日帰りツアーを横目に、自力でチケット入手を目指した私たちはツールーズへ向かった。ホテルを出て道のりも判らずとぼとぼと歩き始めたもののモンタバンの駅がどこにあるかも判らない私たちは通りがかりのフランス人母娘に手振り身振りで駅への道を尋ねた。


 フランス人は英語が喋れない。(知っていても喋らない人が多い)こちらもフランス語どころか英語もおぼつかない。
 ここで役に立ったのが当時勤めていたゼロックスが開発していた翻訳機「シノニー ユーロ8カ国版」だった。勤務先から無理言って借り出したこの翻訳機に日本語で検索し仏語を表示させて母娘に見せた。音声でも表現できるこの機械は、質問そのものより「日本のテクノロジー」として、その後も現地の人たちとのコミュニケーションに大変役立った。

※翻訳機「シノニー」で検索しても見当たらず、正式には「ゼロックス流暢(りゅうちょう)」という製品だったようです。もしかしたらシノニーは開発コードだったのかもしれません。英語版が発売されのちにウージョンやニーハオ、そしてユーロ8カ国版がリリースされたと記憶しています。

 母娘は何も言わず身振りで「ついておいで」と先に立って歩きだした。前を仏人母娘、後ろを怪しげな日本人2人が連れ立って歩く姿は田舎町モンタバンでは大変目についたようで道行く人たちが面白そうに振り返る。10分歩き20分がたち、途中雨宿りも含めて30分も歩いただろうか、道中、母娘と会話することもなく変な行進が続き我々はふいにバスターミナルへ出た。

言葉が通じないので黙って歩くしかない。


 ツールーズに行くには鉄道の駅へ行きたいのだがどうやらバス停へ連れてこられたようだ。とまどう私たちをそのままに、娘が止まっているバスの運転手になにやら話しをしている。
 そして娘がそのままバス待合所へ私たちを連れて行き、このカードを買うように窓口へ誘導する。言われるままカードを購入し、お互いおぼつかない英語で会話を続けているとどうやら駅までは歩いて行けないからバスへ乗れと言っているらしい。しかも買ったカードは1日券で帰りもこのままバスへ乗れるという。
 やがてバスが出発する時間となった。

 乗車口の前に立っていた娘に、慌ててポケットからコインを取り出し差し出すと笑いながら首をふり受け取らない。私は「ジャポンコイン」と言ってもう一度握り締めた50円玉を見せると今度はおかしそうに受取った。その後ろで母親が笑っていた。

※お礼は受け取らない、でも穴があいたコインはフランスでは珍しいという「マメ知識」から50円玉を渡しました(笑)今から思えば折鶴とか扇子など日本風のお土産を持っていけば良かったですね。

 ツールーズの駅へ到着し市内をあらためて見回すと、広場を中心にカフェが建ち並びいかにもフランスという雰囲気に包まれた。

中央広場。この周りはオープンカフェ。


 しかしチケット入手という目的に立ち返ると、素人2人がこのうごめく人波から売ってもいいという人を見つけ出し、しかも2枚で1000フラン(約2万7千円)という手持ち資金で購入できる可能性はほとんどない。それでもフランス語で「チケット譲って2枚」と書いたボードを足元に置き道行く人々へアピールを開始した。

 こんな方法で売ってくれるのか?はたまたTVや新聞で見た姿を、今、自分でやっているのかと思うと気も沈み勝ちだが、これはこれで反応があって結構面白い。いかにも怪しげなアラブ系フランス人は明らかにダフ屋で、こちらの予算を聞くとあからさまに嫌な顔をして離れてゆく。隣のカフェにはどこか旅行社のエージェントだろうか、スーツを着込んだ日本人とフランス人の組み合わせで先ほどのダフ屋と熱心に交渉している。

 しばらくするとフランス人アベックが近寄ってきて1000フランと聞くと売りそうな雰囲気になった。「ドゥ(2枚で1000フラン)」と言うと傍らの彼女が「もうやめとき」という感じで立ち去った。もっとあからさまに、売る気も無いのにからかいに来るグループや、哀れみの目で見る人たちが流れた。

 結局、数時間これをやってわかったことは、チケットはこの時点で1枚3000フラン以上で取引されていて個人が購入することと、日本の旅行会社は値段が高騰するからと嫌がっているという点だ。
 旅行会社は全員のチケットは無理にしても多くのチケットを入手してツアーなのかお得意様なのか手配する必要があるのだろう。あまり高額な取引で値段があがり全体の相場に影響するのを嫌がって、個人が高額で購入するのを快く思っていないようだ。
 もちろん我がツアーの添乗員Mはここへチケット入手へ現れるはずもなく今ごろボルドー無料ツアーのご機嫌を取っているのだろう。

 チケット相場は判ったものの、手持ちのフランも少なくまた一万円札では取引できないという現実だけが残った。試合開始までもう20時間を切った。
(この時、ツールーズの銀行では日本人が大量にフランを引き出したために一人あたり2000フランという制限を行ったそうだ。私たちがツールーズに着いた土曜・日曜日は銀行も閉まっていたため、その2000フランを引き出す手段も無かった)

※当時はインターネットも普及しておらずFacebookもTwitterもなし。情報といえばローカルニュースの映像しかありませんでした。言葉は分からないが「チケット騒動」について話題になっていたことは確かでした。

 結局、チケットを入手することができないままツールーズの駅からモンタバンへ戻った。夜の7時頃だったと思う。
 モンタバンの改札を出て駅前のターミナルに立つと、止まっていたバスの中から運転手がこちらを見て手招きしている。往きに乗ったバスの運転手では無いがなにやらミスタースポックみたいな人がひらひらと手を振って乗れと促している。

「ミスタースポック」の後ろ姿


 おずおずと差し出した「一日券カード」をろくに見ないままバスは発車し、朝、出発したバスターミナルに戻った。そしてミスタースポックは別のバスを指差し、なぜかそのバスの運転手も手招きしている。乗り換えたバスの運転手もカードを見ないまま発車させ、バス停の無いホテルアビス前に停車した。
 なんとフランス人母娘から引き継がれた運転手は、この怪しげな日本人が戻ってくることを仲間に連絡していて、しかも宿泊先がホテルアビスであることも調べ上げて待っていたのである。
おそるべし田舎町モンタバン。


お世話になったフランス人母娘。
しかし、ん十年後に右のスタイルが左のスタイルに変わるのだろうか?

 




















※モンタバンの人たちはほんとに親切でした。現地の人がどういうリレーをしてくれたのかは分かりませんが、駅やバスターミナルにいつ戻ってくるのか、果たして今日中に戻ってくるのかさえ分からない私達を、一分の隙もなく待っていてくれたということは、かなりの広範囲で指名手配されていたと推測されます。ありがたいことです。

ちなみに、イビスホテルからモントーバンの駅まで徒歩1時間くらいの距離でした。
モントーバンからトゥールーズまで50km、切符の買い方や時刻表どころかどっち方面に乗っていいかも分からないままよく行ったものです。




 戻る 続く

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