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W杯の思い出:プラチナ

2014年05月29日 | サッカー

※この記事は2000年に執筆したものを転載しています。

W杯の思い出:現地対策本部の続き
  <目次


 びびって立ちすくんでいてもどうにもならない。でも現金を見せただけで瞬間的に奪われることもありうるだけに、進退窮まった私たちは電話をかけることにした。

 これもほんの偶然だろうか、私たちは日本で借りてきた国際携帯電話を持っており、しかもMから別れ際に「もしもの時に」と渡された紙片にかかれていた現地対策本部の番号も判っている。
 ここへとぼけて電話し「チケットが届いていないか?」と聞くことにしたのだ。

 数コールの後に男性が出た。
 「ここに電話かければチケットがあるとMさんから聞いたのですが...」
 「Mですか?Mは居ません。 あっ今もどってきましたMが」と言う。電話口に出たMはすごい勢いで「あっあっ よく連絡してくれました。チケットが手に入ったんですよ!」 Mはついにやったのだ!

 別れてから手配しつづけた2枚がやっと届いたのだという。だけどこちらに連絡のつけようが無かったところへ偶然私たちがとぼけて電話してきたのだった。

 しばらくの後、現れたMから2枚のチケットが入った封筒を受取り、隠すように2万フランを渡す。このシーンだけ見るとダフ屋から我が金で買い取ったように見えるが、そもそも近ツリの金を返しただけだ。
 のちに渡された封筒の裏をみると鉛筆で「2 20000」と走り書きされていた。
 やはり1枚1万フラン(約27万円)するプラチナチケットだった。


このチケットの為に、どれだけ苦労したことか...
ちなみに定価は350フラン(約9千5百円)
だ!

※国際携帯電話、恐らくセルラーフォンだったと思います。特に理由があって借りたものではありませんでしたが、「空港で借りられるぞ」と兄のアイデアで借りておいたものです。しかし、これまで一回も発着信していませんでした。

戻る 続く


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