※この記事は2000年に執筆したものを転載しています。
W杯の思い出:ダイヤルMを回せの続き <目次>
明けて6月14日、ツールーズへ向けてチケットを持たぬままツアーバスは出発した。車中、やつれた顔の添乗員Mは最後までチケット入手に努めます、しかし「最悪」の場合は大型スクリーンでの観戦になりますと同じ発表を繰り返した。
臨時バスターミナル。 ほとんどが日本人サポーターだった。 |
やがてバスはスタジアムから1時間ほど離れた駐車場へ止まりそのまましばらく待機することになった。
駐車場に集まった大型バスから人々が吐き出され、様々なツアーが円陣を組みそれぞれが代理店から状況説明を受けたり抽選会のようなことが行われている。ほとんどが日本からのツアーで対戦国のアルゼンチンはあまり姿を見せていない。それぞれ別のツアー同士でチケットの事が話題に上りうわさと憶測が飛び交った。当然、チケットを持っている人々はこの話題に参加するはずも無く、いまだ手配のついていない者同士だけがぼそぼそと話しを続けた。
やがて添乗員Mが私たちのツアーにこう告げた。「試合開始前はスクリーンも大変混雑しますので、これから先に移動して待機します」
ここまで引っ張られてなぜこのツアーの人たちは文句ひとつ言わないのだろうか?確かにウルトラスニッポンのように過激な応援団では無いが、それぞれが多額の費用と労力を費やし26時間もかけた強行軍でこの地までやってきて、試合開始前まで一枚のチケットも配分されず、なぜ羊のように従うだけなのだろうか?
私たちはここでも別行動を取ることにした。駐車場に残り添乗員Mが最後まで手配してくれているだろう「別枠」の2枚に期待をこめた。
1時間ほどするとスクリーン前に羊たちを送り込んだMが戻ってきた。いま現在も現地本部が動いているので待機して欲しいと言う。Mが盛んに現地本部とやらと連絡するも「届くはずのチケットがまだ届いていない」と繰り返すばかりである。時間は刻々と過ぎていく。
しばらく姿を見せていなかったMが走って戻ってきた。期待が高まる。別枠が届いたのだろうか?
しかしMは「一生懸命やりました。これだけは信じてください」とお詫びの言葉を持って帰ってきただけだった。
駄目だった。チケットはやはり手に入らなかったのだ。駐車場に残る人もだんだんと減ってきていてチケットあるものは既にスタジアムへ、無きものはスクリーン前へと移動しているのだ。
決断の時だった。本当にMはよくやってくれた。
ところが私の口をついて出た言葉は「まだ時間あるやん」だった。
※後日、兄に聞いたところによると、「さすがに、もう無理か・・・」と思った瞬間、隣で私が「まだ時間あるやん」と言ったので(コイツ気が狂ったか)と思ったらしいです。もちろん気が狂ったわけではなく、私は根っからの楽天主義なのです。
※野外スクリーンは、日本人を気の毒に思ったトゥールーズ市が無償で準備したもの。wikiによるとスクリーン観戦席は8,000人分が準備されたようです。
ということは、収容人数35,000人のスタジアムで、仮に日本側に半数程度を配分していたのであれば、キャパの1.5倍から2倍のチケットを二重売りしていた計算になる。
空売りをしたとされるFIFA公式代理店ISLワールド社とその子会社ISLフランスにまつわる「闇の噂」は結局全容解明には至っていません。
経緯は、一連の報道をまとめた信濃毎日新聞のサイトが詳しい。さらにその後の審判については10年を経てもまだ解明されていないようだ。
戻る 続く