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W杯の思い出:現地対策本部

2014年05月28日 | サッカー

※この記事は2000年に執筆したものを転載しています。

W杯の思い出:タイムリミットの続き <目次


 ここまでMは確かによく動いてくれたと思う。前夜の詰問から今日の今まで「別枠」のために努力してくれたことは間違いないだろう。でも入手できなかった。
 しかし私たちがこの間際でも諦めないことでMは逆上してとんでもない行動に出たのだ。

 別に刃物で切りかかってきたわけでも、突如河に飛び込んだわけでもない。その場で時間待ちをしていた別ツアーのフランス人運転手に金を握らせツールーズ市内の現地本部へ私たちを連れて行ったのである。
 混雑する市内を私たち3人を乗せた大型バスがノロノロと進む。運転手は振り返りながら乗客が残した手荷物を私たちが盗むのではないかと声を荒げる。

 そのうち市内のとあるホテルへ到着し、我々はローマ建築風のロビーへと入っていった。そこにはニコリともしないスーツ姿の日本人たちがいて、小声で話しあったり忙しいそうに歩き回っている。ここが近ツリの現地対策本部だろうか。

※そのホテルのロビーには、全てを諦めたかのようにテーブルに顔を突っ伏した日本人サポがソファに沈んでいた。彼らに「最後の配分」が届いたのかは分からないが、ここまで到達していた日本人は十数人程度だったと思われる。

 奥に引っ込んだMが持ってでてきたのはチケットではなくなんと現金の束であった。2万フラン(約54万円)の札束を兄に渡しながら「あとは自力で頑張ってください。一応このお金はお貸しします」と言った。
 もう後には引けぬ。借りたかもらったか、返せるかどうかの問題ではない。ようはあと3時間のうちにこの現金がチケットに代わるかどうかだ。
 もう時間が無い。現金を1万フランづつ別のポケットにねじ込んでスタジアムへ向かった私たちを、また新たな困難が待ち受けていた。スタジアムに近づけないのだ。

※前日、トゥールーズ市内でのダフ屋相場は1枚3000フラン(当時のレートで約81,000円)だったものが急騰していたようだ。
通常、ダフ屋価格も試合開始直前になると下落傾向になるのだが、この時点で近ツリ現地対策本部が1万フランを相場とみていたことからもチケットは高騰を続けていたようだ。その後の報道によると1枚36万円という話もあるが、ダフ屋も弾が豊富でない上、いざ試合が始まってしまうと「紙くず」に化けてしまうリスクがあるのでギリギリの状態で駆け引きしていたことは間違いないでしょう。

封鎖線の手前。
このあたりは暴動寸前状態なんで隠し撮りになった。


 先日訪れた際にはスタジアムゲートまで行けたのだが、なんと2Kmも手前の中州にかかる橋を軍隊と警察犬が封鎖していて、チケットを持たないものはそこから先へ進めないのだ。
 橋の前には日本人やフランス人アルゼンチン人ごったの人種がうごめいており、橋に近づくと警官隊に押し返されている。どれがダフ屋かチケットを持っているヤツかなんて判らないし、そもそもそんな騒擾状態で多額の現金を持ち歩いていることすら危険な雰囲気であった。

 この頃ダフ屋からチケットを買っても、ゲートで通過できることを確認してから現金を渡せといううわさが流れていた。偽造チケットをつかまされない為だ。
 しかし、ゲートははるか2Km先でいまや手にできたとしてもそのチケットが本物かどうかは誰もわからない。ここまで現物を見たことが無いのである。 はっきり言ってびびった。

※イメージでは、阪神甲子園球場の高校野球のように「兄ちゃん切符あるでぇ」とダフ屋がうろうろしてるだろうと思っていただけに、正直、めっちゃびびりました。
橋の上にはフル装備の警官隊(軍隊?)が睨みをきかせていて、チケットを持っている人はそれを高くかざしてヒラヒラ見せながら近寄らないと、わんわんわんわんわん!と警察犬をけしかけられます。



戻る 続く
 

コメント (1)
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