天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

ガンに「ありがとう」(4)

2013-03-16 11:16:43 | ガンに「ありがとう」
地元の病院への検査入院の二週間はあっという間でしたが、
その間に何人かの人と知り合いになりました。

特に親しくなったのが、リラさんとレオさんです。(もちろん、仮
の名前です。)

リラさんはエジプトの女性を思わせるような、大きくて素晴らし
くきれいな眼をしていて、凜とした雰囲気を漂わせていました。

レオさんは、絵本の世界が似合いそうな、柔らかくてピュアな
感じのする人で、服や身の回りのものが可愛くて、彼女にぴっ
たり合っていました。

二人は、別々の血液の病気の治療のため入院中で、病室は
同じではなかったのですが、その病院には入院者のための
食堂があって、私はそこで食事をしながら、二人とおしゃべり
をしました。

二人とも、私よりかなり若いのに、それぞれ自分の病気と向
き合い、勇気と忍耐のいる治療を続けている様子は、淡々
として見えるなかにも、腹のすわった強靭さがうかがえて……

入院生活初心者の私としては、大いに励まされる気がした
ものです。

(ちなみに、この二人とは現在も交流が続いています。リラ
さんについては、このブログの2012年9月1日、9月15日で
紹介しました。彼女の切り絵の作品をご記憶の方もあるで
しょう。レオさんは今春中学生になる男の子を育てながら、
介護士の仕事で活躍しています。)

さらにもう一人、私の今生での重要な転機のきっかけを作
ってくれた女性との出会いがありました。

仮に、ルネさんと呼んでおきましょう。

ルネさんは、年齢は私より少し年上で、胆嚢の辺りに腫瘍
の疑いがあって、やはり検査入院中でした。

ルネさんとも、食堂で顔を合わせるうちに話をするように
なったのだと記憶していますが……

そのルネさんにある日、何とも不思議なことが起こります。

それは……以前の検査で発見された胆嚢辺りの影が、消
えてしまったというのです。

主治医の先生も、腫瘍だと思われた影がいったいなぜ、わ
ずかな日数の間に消滅してしまったのかと、不思議がるば
かりだったそうです。

異常が見当たらなくなったため、予定されていた治療は中
止されました。

病院側にとってはまったく想定外のことだったでしょう。

ところが、ルネさん本人には、そうではなかったのです。

なぜ胆嚢の影は消えたのか。

ルネさんは自分の考えるそのわけを、こんなふうに話して
くれました。

(次回に続きます。)


<追記 2013.4.1>
上記の検査入院の日数が間違っていましたので、本日付で
訂正します。(2013.3.16の投稿時は「一週間」となってい
ましたが、正しくは「二週間」でした。



ガンに「ありがとう」(3)

2013-03-12 16:26:40 | ガンに「ありがとう」
レントゲン写真に写った直腸の瘤。

その正体を精密検査するため、すぐ入院することになった
のですが、その入院先は、レントゲンを撮った総合病院と
は別の病院になりました。

というのは、二週間検査入院をするとなると、付き添って
くれる家族の都合も考えて、実家に近いところのほうが便
利だったからです。

でも、今考えてみると、その地元の病院を選んだことは、
私にとって大きな意味を持つことだったのです。


さて、入院の当日から、さっそく検査のフルコース、という
感じのスケジュールが始まりました。

体重測定から血液、CT検査、心電図……細かいことは
忘てしまったけれど、まだまだあったはず。

その中でもメインといえるのは、やっぱり大腸内視鏡検査
でした。

大腸内にカメラを入れて内部を観察しながら、病変部の組
織を一部採取して、その細胞を調べるのです。

検査結果が出た日……主治医の先生にナースステーション
へ呼ばれて行ってみると……

まず、先生が一言。

「やっぱり、悪い細胞が出たもんで……」

つまりこれは、「ガンの告知」ですね。

場所が場所なので、周りには当然、何人もの看護師さんた
ちがいました。

「こんな所で言うことかなー。」

内心そう思ったし、ある程度、悪い結果は覚悟していたもの
の、いざそう宣告されてみるとショックなもので……

そんな思いが入り混じり、一瞬その場でホロッときて、思わ
ず涙がこぼれてしまいました。

このまま放置すれば確実に死にますよ、そう告げられたわ
けですから、無理もないでしょう。


こうして私は、「ガン患者」という意識を抱えなければならな
くなり、それが胸の重圧となったことは確かです。

ただ、適切な治療をすれば生きられる可能性はある、そう
思うと、

「よ~し、いっちょう、やってみるか!」

というポジティブな気持ちも湧いてくるのでした。


ところが……

実はそれとは別に、私を心理的に苦しめることになる出来
事が、待っていたのです。

(次回に続きます。)


<追記 2013.4.1>
上記の検査入院の日数が間違っていましたので、本日付で
訂正します。(2013.3.12の投稿時は「一週間」となってい
ましたが、正しくは「二週間」でした。



ガンに「ありがとう」(2)

2013-03-10 16:53:14 | ガンに「ありがとう」
先回の話を続けます。

トイレの水が真っ赤になった原因、それはズバリ、「下血」
でした。

いったいなぜ「下血」が起こったのか。

可能性の一つは、「痔」からくる出血。

そしてもう一つは……大腸ポリープによる出血です。

実は、私はその時すでに、大腸ポリープ切除を経験してい
ました。

その「下血」からさかのぼること9年。「痔」をきっかけに発見
された、直腸にできたポリープを、内視鏡を使って取ってもら
ったのです。

一泊二日で済む治療でした。

そのとき手術をしてくださった担当医の方が、こうおっしゃっ
たのを覚えています。

「あなたはポリープができやすい体質だから、定期検診を受
けないといけませんよ。」

専門医からの、ありがたい警告でした。

それなのに……

切除から一年後の検査は受けたものの、その後はご無沙汰
してしまったのでした。

喉元過ぎれば何とやら、ということもありますが、それ以上に、
検査の準備でお腹を空っぽにするために飲む下剤の水薬の
味が、ほんとうに苦手で……。

(世界で一番嫌いな飲み物だと本気で思っていました。ちな
みに、今は味がかなり改善されて、ずっとよくなったみたい
ですね。)

そんなわけで、しばらく検診をさぼっていた私でしたが、「下
血」の真っ赤な色に、ハッとさせられました。

しかも、ちょうどその時期に読んだ新聞記事の中に、こうい
う内容のものがあったのです。

大腸ポリープは、再発する例が多いと。

(これは当時購読していた中日新聞の記事です。もしこれ
を読んでいなかったらと思うと、記事を書いてくれた記者
の方は、命の恩人かもしれません。今でも感謝しています。
これをアレンジしてくれたであろう天使さんか、ガイドさん
にも。)

さて、これはもう、病院に行かないわけにはいきません。

私は修士論文をなんとか書き上げて提出すると、検診を
受けるため、すぐにアパートの近くの総合病院へ行きま
した。

(当時、私は、今住んでいる実家ではなく、大学の近くの
アパートで一人暮らしをしていたのです。)

早速受けたバリウム注腸検査の結果は……

やっぱり、ありました。

見せてもらったレントゲン写真の直腸の部分に、ポリープ
らしい瘤がくっきりと写っているではありませんか。

これは、何らかの治療が必要ということで、瘤の正体を詳
しく調べるため、即、検査入院することになりました。

そしてこの検査入院こそが、私にとって未知の世界への
扉を開くことになるのです。

(次回に続きます。)


ガンに「ありがとう」(1)

2013-03-07 17:27:12 | ガンに「ありがとう」
今日から数回にわたって、私のガン体験について、この
ブログを読んでくださっている皆さんにお伝えしたいこと
を、書いてみたいと思います。

そう、以前にもちらっと書いたことがありますが、私は
大腸ガンにかかったことがあるのです。

もう15年近くも前のことで、幸い治療もうまくいき、再発
もありませんでした。

それで、普段はもう、自分が元ガン患者だという意識も
ないくらいです。

でも、今こうしてこのブログを書いている私は、もしあの
時のガン体験がなければ、存在しなかったかもしれない
のです。

それはいったいどういう意味か。

もし興味と時間がおありなら、しばしお付き合いください
ね。



1997年もあと一月ばかりを残すのみ……そんな頃だっ
たと思います。

当時、大学院生だった私は、翌1998年1月に提出する
修士論文の仕上げの段階にありました。

論文を締め切りまでに書き上げることで、頭の中はいっ
ぱい。

そんな状態なので、自分の体の声に耳を傾ける余裕など
ありませんでした。

そんなある日……

お通じの後、トイレの水が……真っ赤に染まっているでは
ありませんか。

「これは、何とかしなければいけない。」

さすがに、そう思いました。

(次回に続きます。)