そんなあなたはもしかして、もう2年近くもこのブログをのぞいてくだ
さっているのかも。
そう、今日の話題はあの「ギザ十」(=縁がギザギザの十円玉)の
こと。先回このことを書いたのは、2009年5月1日でした。
昭和26~33年のたった8年間だけ発行されたという「ギザ十」。
もう何年も前から、めったにお目にかかれない存在になっています。
そのレアなところが面白くなり、長いこと(10年以上?)かかって「ギ
ザ十」を集め、ついにアイスクリームカップいっぱいにまで溜め込ん
でいた私でしたが……
2009年4月のある日、3日の間に2枚の「ギザ十」をお釣りとして受け
取ったことをきっかけに、溜まった「ギザ十」を一気に使ってしまうこ
とにしたのでした。
もったいない? いいえ。
お金もエネルギーの一つなのですから、循環させてこそ生きて働い
てくれるのです。
溜まったものを自分の手元に置いておくより、旅をしてもらいましょう。
そうすることで、自分も、そして、巡りめぐった「ギザ十」を偶然手に
した人も、ささやかな「豊かさ」を分かち合えるはず。
そんな思いで「ギザ十」を使い切ってしまって、約1年10ヶ月。
実は、堂々巡りのようなのですが、お釣りとして受け取った「ギザ十」
をまた集めています。
そして、先週の水曜日(2/23)、なんと一日のうちに2枚の「ギザ十」が
やって来るというラッキーなことがあったのです!
現在手元にあるのは、全部で5枚。(2年足らずでこの数は、結構ハイ
ペースだと思います。)
もしかして、本当にもしかして、この5枚の中には、1年10ヶ月前に私が
手放した「ギザ十」がまた戻って来てくれたものもあるのかも……
そんなロマンにひたってみたり。
こんなことがあったので、先回の話の後日談を書いてみよう、そんな
気になったのでした。
まあ、たかが十円玉のことなんかつまらないと思われるかもしれませ
んが……
私にとってこの「ギザ十」のことは、「豊かさ」ということについて考える
ための、とてもいいモデルになりました。
つまり、エネルギーとしてのお金を循環させるということが、「ギザ十」
という実際の硬貨を使うことによって、ぐっとイメージしやすくなったの
です。
「お金を使うこと」=「貧しくなること」ではなく、
自分がお金を使うからこそ、自分の周りの人たちが豊かになり、そう
いう連鎖ができてはじめて、また自分の元へお金が戻って来るのです。
出せば出した分、いいえ、それ以上が還って来るのです。
そういう意識を自分の中に定着させるのに、「ギザ十」は大きな役目を
果たしてくれました。
実際、以前はお金が出て行くとき、「もったいない」、「惜しい」という気
持ちをごく当たり前のように感じていたのですが……
今は、出すことが大切で、自分にとっても必要なことなのだと思えるよ
うになってきました。
例えば、最終バスに乗り遅れてタクシーで帰らなければならないとして
も、私が払ったタクシー代は「どぶに捨てる」わけではなく、お客さんを
ずっと待っていた運転手さんの収入の一部になるのです。
つまり私は、その運転手さんが「豊か」になる応援ができるのです。
こうした意識の変化が自分の周波数を変えてくれたおかげなのか、「ギ
ザ十」を使い切った後の1年10ヶ月の間に、私の月収はほぼ倍になった
のでした。
この意識の変化によって、自分の中で何が変わったのか。そう問いかけ
てみると、きっとそれは、
「宇宙への信頼」
ということに行き着くのではないかと思います。
怖れを捨てて、宇宙の采配にゆだねること。
それが完璧に出来れば、いわゆるシンクロニシティーは「奇跡」ではなく
なります。
それが出来たとき、私のブログから「シンクロニシティー」のカテゴリー
が消えることになるでしょう。
そんな日の来ることをイメージしながら、ゆっくりゆっくりと、歩いて行こ
うと思います。