天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

ガンに「ありがとう」(10)

2013-03-31 16:17:50 | ガンに「ありがとう」
ルネさんは、私に例の宗教への入信を決意させようと
説得し続けていましたが、私の躊躇する様子を見て、
あと一押し必要だと思ったのでしょう。

強力な助っ人を呼び寄せました。

なんと、私にエネルギーを送ってくれたセドさんを、
病院に連れて来てしまったのです。

これには、あわてました。

私は病棟の食堂に呼ばれ、ルネさん、セドさんと差
し向かいで、二人の話を聞く羽目になりました。

二人としては、信者を増やしたいとの思惑だけでは
なく、私を何とか助けたいという思いもあってのこと
でしょう、その熱意のこもった言葉には圧倒されて
しまいました。

食堂はオープンなスペースなので、他の入院者の
人たちや看護師さんの目も気になったし……

ちょうどその日は母も来てくれていたので、心配さ
せてしまったかなと思いました。

その上、婦長さん(現在は師長さんですね)にもこ
のことが伝わってしまい、後で「大丈夫ですか?」
と声をかけられて……

気にかけていただいて、申し訳ない気持ちでいっ
ぱいになりました。

元はといえば、私の煮え切らない態度が招いたこ
とです。

嫌なら嫌と、はっきり断ることができれば、こんなこ
とにはならなかったはずでした。

でも、その時の私には、そうすることができません
でした。

手かざしのエネルギーで救われる可能性を、自ら
断ってしまう勇気がなかったのです。

結局その日、二人は、私からはっきりした返事を
もらうのを諦めて、帰って行きました。

ただ、このままにしておくわけにはいきません。近
いうちに、Yesか Noかを決める、そんな宿題を私
はもらってしまったのです。


そんな私に、声をかけてくれた人がいました。

レオさんです。

レオさんは、「悪性リンパ腫」の抗がん剤治療のた
めに入院中でした。

薬の投与期間は体調が悪くなり、体重がぐんと落
ちるなど、過酷な療養生活を送っていました。

実は私は、そのレオさんと、確かこの日の直前の
入浴日に、お風呂で一緒になったのでした。

レオさんとは、その時点ではまだ、ほとんど話した
ことはなく、彼女は私に対して、「おとなしい」といっ
た漠然としたイメージしか持っていなかったそうで
す。

当然、私が悩んでいることについても、全く知らない
状態でした。

ところが、不思議なことに、ルネさんとセドさんが自
分の病室の前を通った時、二人が何のために来た
のかも知らず、目が合ったというわけでもないのに、
なぜか彼らが私のところへ来たことが、わかってし
まったというのです。

そして、私のことがすごく心配になったのだそうです。

それでレオさんは、すぐに私を見つけて、「誰か来て
た?」と尋ねてきました。

事情を話すと、レオさんは、(ほとんど付き合いのな
い、)お風呂で一緒だっただけの自分が言うのも何
だけど、と前置きしてから……

よく考えずに入信するのはやめて、自分の気持ちを
大事にしたほうがいいのでは、そんなふうにアドバイ
スしてくれたのです。

これは、ほんとうにありがたく感じました。

自分の治療のことだけでも精一杯のはずなのに、知
り合ったばかりの私のことまで、こんなふうに気にか
けてくれたのですから。

このレオさんのアドバイスのおかげで、私はもう一度、
じっくり自分の心の声に耳を傾ける余裕が持てたよう
に思います。

そして、その結果……

入信は、しないことに決めました。

手かざしのエネルギーの助けを借りず、開腹手術を
受ける決心を固めたのです。

リラさんのことも、きっとリラさん自身の力で骨髄移植
を乗り越えることができる、必ずそうなると信じること
にしました。


そんな私に、思いがけないニュースが飛び込んで来
ました。

リラさんが骨髄移植を受ける病院、それは県外の別
の病院だと言うことは知っていました。

しかし、病院名を聞いて非常に驚きました。

それは何と、私が最初にバリウム注腸検査を受けた
病院だったからです。

しかもアパートから歩いて、ものの3分の距離。

まさに「奇跡」でした。

これなら、毎日顔を見に行くことだってできる!

私にはこの「偶然」が、何か目に見えない力によって
アレンジされたもののように思えました。

ようし、私は毎日、リラさんのお見舞いに行くんだ!

おっと、その前に、自分のガンを治さなくちゃ。

私は体中に、新たなパワーがみなぎってくるような
気がしていました。

(あともう少し、続きます。)

ガンに「ありがとう」(9)

2013-03-28 11:21:11 | ガンに「ありがとう」
ルネさんがリラさんの名前を口にした時、私はハッと
しました。

実はその時、同じ病棟に入院中のリラさんも、療養中
の病気の根本的な治療を控えて、非常に大事な時期
にあったのです。

リラさんの病名は「骨髄異形成症候群」といって、白血
病になる一歩手前の状態でした。

その根本的な治療法として骨髄移植があり、きょうだい
三人のうちで一人だけ白血球の型が適合した、お兄さ
んの骨髄を移植する計画が進んでいたのです。

そして、ルネさんはそのことをよく知っていました。とい
うのは、彼女は入院中のベッドが、リラさんの隣りだっ
たからです。

つまり、ルネさんが私に言いたかったのは、私が手か
ざしを習得すれば、自分だけでなくリラさんのためにも
それを使うことができる、ということでした。

(もちろん、骨髄移植の代わりに、というのではなく、そ
れを補助するものとして、という意味ですが。)

ルネさんの言葉は、まるで私とリラさんの生死は、私の
決断一つにかかっている、そんなふうに私には響きまし
た。

その重圧のきつかったこと。

まるで、自分の命だけでなく、リラさんの命までも背負
い込んでしまったような気になりました。(そんなわけ、
ありっこないのですが……。)

しかも、こんなことも判明しました。

あの、セドさんの手かざしの翌日の、完璧なエネルギ
ー状態は、その日一日しか続かず、次の日には元に
戻ってしまったのです。

つまり、常に完璧な状態に保ちたければ、自分で毎日
手かざしをする以外にないということです。

それには、やはり信者になって講習を受けるしかない
でしょう。

でも……

心の中で、何かがひっかかるのです。

その何かが、信者になることに対して、抵抗を表明し
ているのでした。

かと言って、すっぱり断ってしまうこともできません。

悩みに悩んで、どこへもたどり着けない状態に陥って、
私は本当に行き詰まってしまいました。

そんな私の様子にルネさんは業を煮やしたのか、ちょ
っと強引な手段に出てきて……

これが、ひと悶着起こすことになったのです。

(次回に続きます。)


ガンに「ありがとう」(8)

2013-03-26 10:38:32 | ガンに「ありがとう」
心に迷いを抱えながらも、私はルネさんから、例の
宗教の信者となる段取りについての話を聞きました。

詳しいことは忘れてしまったのですが、信者になるに
は、そのための講習会のようなものを受ける必要が
あるとのことでした。

その会では、教義・規則についての教えを受けつつ、
手かざしのやり方も習得できるという説明だったと思
います。

それに参加するには、もちろんお金が必要だと言わ
れました。(詳しい金額は覚えていないのですが。)

でも、講習を受けて練習すれば、自分で手かざしが
できるようになる……私はそのことに、強く引きつけ
られました。

うまくいけば、自分で自分のガンが治せるかもしれ
ない!

今振り返ってみれば、ちょっと冷静さを欠いていた
のではと、自分でも思います。

でも、その時はとにかく必死でした。

なにしろ、このまま放っておけば100%死ぬとわかっ
ているのに、お腹を切るのは嫌で仕方がないときて
います。

手かざしは、その両方を回避できる道だと信じ、何
とかそこに逃げ込もうとしていたのです。

今の私なら、「死」を永遠の終りではなく、魂の次の
ステージへの移行だと考えているため、もちろんショ
ックは受けても、そこまでのパニックには陥らないだ
ろうと思いますが……

当時はまだ、「死」の意味の捉え方が曖昧な状態で
したから、「死」によって自分という存在そのものが
消えてしまうかもしれない、そう考えると、怖くてたま
りませんでした。

それで、何とかして「生」の可能性にしがみつこうと
必死になってしまったのです。

そうやって自分で自分を追い込んでいた私を、ルネ
さんのこんな一言が、さらに追い詰めることになりま
した。

「リラさんのこともあるからね。」

(次回に続きます。)

ガンに「ありがとう」(7)

2013-03-24 11:58:52 | ガンに「ありがとう」
セドさんから手かざしを受けた翌日。

まだ病院全体が活動を始める前の、朝のしじまの中、
ベッドで目を覚ました私に、ある変化が訪れました。

それは……生まれてこの方、一度も経験したことの
ない、不思議な感覚でした。

横たわった自分の体が、まるで潮が満ちていくよう
に、みるみる何かで満たされていき、活力にあふれ
た状態になるのが、はっきりと感じられたのです。

体は軽やかですがすがしく、気持ちは安らかで穏や
かで、一点の不安さえもどこかへ消え去ってしまった
よう。

そして、胸には新しい希望が次々と湧き、気力がみ
なぎっているのがわかりました。

そう、これは……

体全体に生命エネルギー、つまり、気が満ちている、
まさに完璧な状態なのだ。

そう直感しました。

その後、トイレに立った私は、おそらく人生で一度
きりの、「完璧な排便」というものを経験したのです。
(具体的な描写は自粛します。イマジネーションで
補っていただければ。)


自分の体にもたらされたこの完璧な状態に、私は
驚愕し、圧倒されました。

これなら、いかなる病気にも罹りようがない、そう思
えるほどでした。

この変化の原因は、あのセドさんの手かざし以外に
考えられません。

そしてこれが、私が今生において、生命エネルギー
というものを感じた初体験だったのです。

私はこの出来事を、様子を見に来てくれたルネさん
に話さないわけにはいきませんでした。

私の話を聞いたルネさんは、手かざしの効果が顕
われたことを喜んでくれ、私もこんな経験をさせて
もらったことに感謝したい気持ちでした。

本当に、私にとって貴重な経験だったと、今でも思
っています。

ところが、このこと自体は有難かったのですが、次
にルネさんが取ってきたアプローチに、私は正直、
困惑してしまいました。

ルネさんは私に、例の宗教への入信を勧めてきた
のです。

当然といえば当然の成り行きでしょうが……

果たして自分はどうしたいのか、即座には答えられ
ず、心は強風に煽られる柳のように揺れ動く私なの
でした。

(次回に続きます。)

ガンに「ありがとう」(6)

2013-03-21 09:49:37 | ガンに「ありがとう」
病院に外出許可を取った日、ルネさんが私を連れて行
ってくれたのは、病院から車で数分の市中にある、古く
てこぢんまりした建物でした。

そこは、ルネさんが信仰している、ある宗教の信者の
ための集会所のような場所で、2階が畳敷きの大きな
広間になっていました。

そこへ行くことは自分で決めたには違いないのですが、
祭壇らしきものが設えられ、ピーンと張り詰めたような
独特の空気に、私は少し及び腰になっていました。

でも、そのまま帰ってしまうこともできず、せっかく来た
のだから、見るものを見て、話を聞こう、そう覚悟した
のでした。

そんな私にルネさんは、その集会場に所属する信者
さんを統括する、支部長のような立場の人(年配の男
性)と、その部下にあたる、三十代半ばくらいの男性
を紹介してくれました。

その二人はどちらも、修練を積んだ人の醸し出す厳粛
な雰囲気があり、私は彼らから、その宗教の成り立ち
のおおもとについての話を聞いたのだと思います。

今はもう、細かい内容は思い出せないのですが……。

その日、集会場には、私とルネさんのほかにも、信者
の人たちが数人訪れて、例の手かざしを受けていまし
た。

一人の四十代くらいの女性が私に、手かざしがいかに
日常的に役立っているかを話してくれました。

その人が言うには、子どもが風邪を引くなどして体調
を崩した時にも、自分が手かざしをしてやると、すぐに
よくなるということでした。

本当に、そんな都合のいい話が……?

正直言って、そう思いました。

そんな、半信半疑の心境で、その日私は、支部長の
部下の男性(以下、セドさんと呼びます)から、手かざ
しを受けることになったのです。

私がそうすることに決めたのは、内心、大腸ガンの治
療のための開腹手術を、できればしたくないという気
持ちがあったからでした。

実は、この時にはすでに、主治医の内科の先生と外科
の先生から、今後の治療方針についての話を聞いてお
り、直腸のガンを外科手術で切除すれば完治する可能
性があることを知らされていました。

もちろん、客観的に見れば、それが一番確実な治療法
に違いないと、自分でも理解はしているつもりでした。

でも……

入院生活の初心者で、手術らしい手術をしたことのない
私は、できることならお腹を切りたくない、自分の体に傷
をつけたくない、そういう思いがあったのです。

だからこそ、手かざしのエネルギーにすがりたい、私にも
ルネさんのような奇跡が起きてほしい、ガンが消えてほし
い、そう願わずにはいられなかったのです。

ただ、誰に対してもそんな本音を告げる勇気はありませ
んでした。

セドさんは、そんな私の思いを察したのかどうか、私の
病状についての話を聞くと、ゆっくりと時間をかけて、特
に直腸の辺りに、念入りに手かざしのエネルギーを送っ
てくれました。

セドさんの手かざしは、ルネさんのそれと比べると、さす
がに堂に入っている感じがしましたが、それ以外に特に
変わったことはなく、エネルギーを体で感じる、という感
覚もなかったので、私は少しがっかりしてしまいました。

やっぱりどう考えても、こんな手かざしでガンが消えるな
どということは、起こるはずがない……

そう自分に言い聞かせ、セドさんにお礼を言って病院
へ戻ったのです。

わざわざ外出許可まで取って出かけて行ったけれど、
結局は何の意味もなかった、そう思うと、余計に落胆
が大きくなり、切なくて切なくてしかたがありませんで
した。

ところが、翌日の朝……

全く違う状態で目覚めることになるとは、想像もつき
ませんでした。

(次回に続きます。)


ガンに「ありがとう」(5)

2013-03-18 09:11:49 | ガンに「ありがとう」
ルネさんの胆嚢の影は、なぜ消えたのか。

ルネさんの考えでは、それは、あるエネルギーの効果の
顕われだということでした。

そしてそのエネルギーは、手をかざすことによって、患部
へ送られるというのです。

当時(1998年)の私は、目に見えないエネルギーを病気
の治療に用いるということについて、特に関心を持っては
いなかったし、レイキなどのエネルギーの存在も知りませ
んでした。

時々、テレビで、いわゆる気功師が手から気を送っている
場面を見たことはあり、その効果を全く信じていないわけ
でもありませんでしたが。

そんな私に対してルネさんは、かつて自分が足を痛めて
歩けない状態になり、車椅子を使わざるを得なかった時、
そのエネルギーを当てたおかげで歩けるようになったと
いう話を、熱っぽく語ってくれました。

そして、そのエネルギーというのは、自分の信仰してい
るある宗教の神様の光なのだというのです。

今まで全く接したことのない、ほとんど意識したことさえ
ない世界に対して、どういう態度を取ればいいのか……

私はとまどいを感じました。

ただ、自分の目には見えないとはいえ、そういうエネル
ギーの存在を完全に否定することもできない、そう思っ
たのです。

それで私は、ルネさんからのある申し出を受け容れる
ことにしました。

それは……

病室のベッドで、ルネさんが送ってくれるエネルギーを
受け取ってみるということです。

それから数日間、ルネさんは夜に私の病室を訪ねて
来て、ベッドの周りのカーテンを閉め、私の体に手を
かざし、エネルギーを送ってくれました。

その結果の率直な感想は……

一言で言えば、よくわかりませんでした。

自分の体にエネルギーが流れている、と確信できるよ
うな、はっきりとした感覚は感じられなかったのです。

(当時の私は、ガンの自覚症状がほとんどなく、時々
微熱が出る程度でした。)

もちろん、全く何の効果もなかったとまでは言い切れ
ませんが……

効果があったとしても、かなり微細なレベルにとどま
っていて、当時の私には感じ取れなかったのかもし
れません。

でも、直感的に言って、嫌な感覚はなく、どちらかと
いえば心地いい気もしたのです。

そういうわけで、私としては、はっきりと効果があると
はいえないけれど、なんとなくいい感じはする、そん
な感想をルネさんに伝えました。

するとルネさんは、私にもう一つの提案をしました。

それは、私をある所へ連れて行くということでした。

私は少し迷った末に、病院に外出許可を願い出た
のです。

(次回に続きます。)

ガンに「ありがとう」(4)

2013-03-16 11:16:43 | ガンに「ありがとう」
地元の病院への検査入院の二週間はあっという間でしたが、
その間に何人かの人と知り合いになりました。

特に親しくなったのが、リラさんとレオさんです。(もちろん、仮
の名前です。)

リラさんはエジプトの女性を思わせるような、大きくて素晴らし
くきれいな眼をしていて、凜とした雰囲気を漂わせていました。

レオさんは、絵本の世界が似合いそうな、柔らかくてピュアな
感じのする人で、服や身の回りのものが可愛くて、彼女にぴっ
たり合っていました。

二人は、別々の血液の病気の治療のため入院中で、病室は
同じではなかったのですが、その病院には入院者のための
食堂があって、私はそこで食事をしながら、二人とおしゃべり
をしました。

二人とも、私よりかなり若いのに、それぞれ自分の病気と向
き合い、勇気と忍耐のいる治療を続けている様子は、淡々
として見えるなかにも、腹のすわった強靭さがうかがえて……

入院生活初心者の私としては、大いに励まされる気がした
ものです。

(ちなみに、この二人とは現在も交流が続いています。リラ
さんについては、このブログの2012年9月1日、9月15日で
紹介しました。彼女の切り絵の作品をご記憶の方もあるで
しょう。レオさんは今春中学生になる男の子を育てながら、
介護士の仕事で活躍しています。)

さらにもう一人、私の今生での重要な転機のきっかけを作
ってくれた女性との出会いがありました。

仮に、ルネさんと呼んでおきましょう。

ルネさんは、年齢は私より少し年上で、胆嚢の辺りに腫瘍
の疑いがあって、やはり検査入院中でした。

ルネさんとも、食堂で顔を合わせるうちに話をするように
なったのだと記憶していますが……

そのルネさんにある日、何とも不思議なことが起こります。

それは……以前の検査で発見された胆嚢辺りの影が、消
えてしまったというのです。

主治医の先生も、腫瘍だと思われた影がいったいなぜ、わ
ずかな日数の間に消滅してしまったのかと、不思議がるば
かりだったそうです。

異常が見当たらなくなったため、予定されていた治療は中
止されました。

病院側にとってはまったく想定外のことだったでしょう。

ところが、ルネさん本人には、そうではなかったのです。

なぜ胆嚢の影は消えたのか。

ルネさんは自分の考えるそのわけを、こんなふうに話して
くれました。

(次回に続きます。)


<追記 2013.4.1>
上記の検査入院の日数が間違っていましたので、本日付で
訂正します。(2013.3.16の投稿時は「一週間」となってい
ましたが、正しくは「二週間」でした。



ガンに「ありがとう」(3)

2013-03-12 16:26:40 | ガンに「ありがとう」
レントゲン写真に写った直腸の瘤。

その正体を精密検査するため、すぐ入院することになった
のですが、その入院先は、レントゲンを撮った総合病院と
は別の病院になりました。

というのは、二週間検査入院をするとなると、付き添って
くれる家族の都合も考えて、実家に近いところのほうが便
利だったからです。

でも、今考えてみると、その地元の病院を選んだことは、
私にとって大きな意味を持つことだったのです。


さて、入院の当日から、さっそく検査のフルコース、という
感じのスケジュールが始まりました。

体重測定から血液、CT検査、心電図……細かいことは
忘てしまったけれど、まだまだあったはず。

その中でもメインといえるのは、やっぱり大腸内視鏡検査
でした。

大腸内にカメラを入れて内部を観察しながら、病変部の組
織を一部採取して、その細胞を調べるのです。

検査結果が出た日……主治医の先生にナースステーション
へ呼ばれて行ってみると……

まず、先生が一言。

「やっぱり、悪い細胞が出たもんで……」

つまりこれは、「ガンの告知」ですね。

場所が場所なので、周りには当然、何人もの看護師さんた
ちがいました。

「こんな所で言うことかなー。」

内心そう思ったし、ある程度、悪い結果は覚悟していたもの
の、いざそう宣告されてみるとショックなもので……

そんな思いが入り混じり、一瞬その場でホロッときて、思わ
ず涙がこぼれてしまいました。

このまま放置すれば確実に死にますよ、そう告げられたわ
けですから、無理もないでしょう。


こうして私は、「ガン患者」という意識を抱えなければならな
くなり、それが胸の重圧となったことは確かです。

ただ、適切な治療をすれば生きられる可能性はある、そう
思うと、

「よ~し、いっちょう、やってみるか!」

というポジティブな気持ちも湧いてくるのでした。


ところが……

実はそれとは別に、私を心理的に苦しめることになる出来
事が、待っていたのです。

(次回に続きます。)


<追記 2013.4.1>
上記の検査入院の日数が間違っていましたので、本日付で
訂正します。(2013.3.12の投稿時は「一週間」となってい
ましたが、正しくは「二週間」でした。



ガンに「ありがとう」(2)

2013-03-10 16:53:14 | ガンに「ありがとう」
先回の話を続けます。

トイレの水が真っ赤になった原因、それはズバリ、「下血」
でした。

いったいなぜ「下血」が起こったのか。

可能性の一つは、「痔」からくる出血。

そしてもう一つは……大腸ポリープによる出血です。

実は、私はその時すでに、大腸ポリープ切除を経験してい
ました。

その「下血」からさかのぼること9年。「痔」をきっかけに発見
された、直腸にできたポリープを、内視鏡を使って取ってもら
ったのです。

一泊二日で済む治療でした。

そのとき手術をしてくださった担当医の方が、こうおっしゃっ
たのを覚えています。

「あなたはポリープができやすい体質だから、定期検診を受
けないといけませんよ。」

専門医からの、ありがたい警告でした。

それなのに……

切除から一年後の検査は受けたものの、その後はご無沙汰
してしまったのでした。

喉元過ぎれば何とやら、ということもありますが、それ以上に、
検査の準備でお腹を空っぽにするために飲む下剤の水薬の
味が、ほんとうに苦手で……。

(世界で一番嫌いな飲み物だと本気で思っていました。ちな
みに、今は味がかなり改善されて、ずっとよくなったみたい
ですね。)

そんなわけで、しばらく検診をさぼっていた私でしたが、「下
血」の真っ赤な色に、ハッとさせられました。

しかも、ちょうどその時期に読んだ新聞記事の中に、こうい
う内容のものがあったのです。

大腸ポリープは、再発する例が多いと。

(これは当時購読していた中日新聞の記事です。もしこれ
を読んでいなかったらと思うと、記事を書いてくれた記者
の方は、命の恩人かもしれません。今でも感謝しています。
これをアレンジしてくれたであろう天使さんか、ガイドさん
にも。)

さて、これはもう、病院に行かないわけにはいきません。

私は修士論文をなんとか書き上げて提出すると、検診を
受けるため、すぐにアパートの近くの総合病院へ行きま
した。

(当時、私は、今住んでいる実家ではなく、大学の近くの
アパートで一人暮らしをしていたのです。)

早速受けたバリウム注腸検査の結果は……

やっぱり、ありました。

見せてもらったレントゲン写真の直腸の部分に、ポリープ
らしい瘤がくっきりと写っているではありませんか。

これは、何らかの治療が必要ということで、瘤の正体を詳
しく調べるため、即、検査入院することになりました。

そしてこの検査入院こそが、私にとって未知の世界への
扉を開くことになるのです。

(次回に続きます。)


ガンに「ありがとう」(1)

2013-03-07 17:27:12 | ガンに「ありがとう」
今日から数回にわたって、私のガン体験について、この
ブログを読んでくださっている皆さんにお伝えしたいこと
を、書いてみたいと思います。

そう、以前にもちらっと書いたことがありますが、私は
大腸ガンにかかったことがあるのです。

もう15年近くも前のことで、幸い治療もうまくいき、再発
もありませんでした。

それで、普段はもう、自分が元ガン患者だという意識も
ないくらいです。

でも、今こうしてこのブログを書いている私は、もしあの
時のガン体験がなければ、存在しなかったかもしれない
のです。

それはいったいどういう意味か。

もし興味と時間がおありなら、しばしお付き合いください
ね。



1997年もあと一月ばかりを残すのみ……そんな頃だっ
たと思います。

当時、大学院生だった私は、翌1998年1月に提出する
修士論文の仕上げの段階にありました。

論文を締め切りまでに書き上げることで、頭の中はいっ
ぱい。

そんな状態なので、自分の体の声に耳を傾ける余裕など
ありませんでした。

そんなある日……

お通じの後、トイレの水が……真っ赤に染まっているでは
ありませんか。

「これは、何とかしなければいけない。」

さすがに、そう思いました。

(次回に続きます。)