おとといの金曜日、母と二人で、チャオチャオの四十九日
の法要に参席しました。
家からバスとタクシーを乗り継いで30分ほどの、山の中に
ひっそりと建つお寺。
そこでお葬式をしていただいたのですが、いよいよ今度は、
チャオチャオが完全に光の世界へ旅立つためのお別れを
しに行くのだ、そんな決意をして出かけたのでした。
法要のお経をあげてくださったのは、まだ三十代かと思わ
れる、お若い副住職。
その読経の声が御堂に響く中、涙がぽろぽろと、とめどな
く流れて……
それはきっと、悲しい、というよりも、チャオチャオを光へ
送り出してくれる浄化のエネルギーに、私も包まれてい
たからなのでしょう。
お焼香をしながら、チャオチャオに、長いながい間、私た
ちと一緒にいてくれたことへの感謝と、これからは自由に
好きなところへ行って、そして、幸せになってほしい、そう
伝えました。
でも、好奇心旺盛のチャオチャオのことだから、こちらが
言う前に、とっくにそうしているだろうな、とも思いました
けれどね。
その夜から、私は、寝る前にチャオチャオのために欠か
さず歌っていた「おねんねの歌」をうたうのを、やめました。
の法要に参席しました。
家からバスとタクシーを乗り継いで30分ほどの、山の中に
ひっそりと建つお寺。
そこでお葬式をしていただいたのですが、いよいよ今度は、
チャオチャオが完全に光の世界へ旅立つためのお別れを
しに行くのだ、そんな決意をして出かけたのでした。
法要のお経をあげてくださったのは、まだ三十代かと思わ
れる、お若い副住職。
その読経の声が御堂に響く中、涙がぽろぽろと、とめどな
く流れて……
それはきっと、悲しい、というよりも、チャオチャオを光へ
送り出してくれる浄化のエネルギーに、私も包まれてい
たからなのでしょう。
お焼香をしながら、チャオチャオに、長いながい間、私た
ちと一緒にいてくれたことへの感謝と、これからは自由に
好きなところへ行って、そして、幸せになってほしい、そう
伝えました。
でも、好奇心旺盛のチャオチャオのことだから、こちらが
言う前に、とっくにそうしているだろうな、とも思いました
けれどね。
その夜から、私は、寝る前にチャオチャオのために欠か
さず歌っていた「おねんねの歌」をうたうのを、やめました。