天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

2013年の終わりに

2013-12-30 22:56:24 | Weblog
2013年もあと一日と、1時間足らずを残すのみとなりまし
た。

例年は大晦日に、一年の最後の更新をしていましたが、
今年は大掃除が少し早く終わったことと、一つ思うところ
があって、最後のアップを一日早めることにしました。

今年はみなさんにとって、どんな一年でしたか?

私、ロージーにとっては……

いろいろな要素があった中で、集約するのは難しいけれ
ど、これは重要だったかなと思うことを一つ、書いてみた
いと思います。

それは……自分を捕らえている思い込み、常識、執着、
思考パターンといったものに気づき、もしそれが必ずしも
なくてもいいものなら、手放して自由になろうという意識。

その意識の高まりと、それを実行するプロセスを経験し
たこと、そんなふうに言っておきましょう。

このことは、毎日の生活の中のあらゆる場面に隠れてい
て、少し注意を向けてみると、次つぎに姿を現してくるの
です。

それは具体的には、実にさまざまな事象なのですが、私
は日本語教師という仕事をしているので、職業柄、異文
化の視点から日本の文化を眺める留学生によって、自
分の思考の枠に気づかされることがよくあります。

例えば、つい最近もこんなことがありました。

ある作文のクラスの、秋学期最後の授業でのことです。

師走も半ばという時期だったので、学生たちに日本の年
賀状の書き方を紹介しようと、実際に自分がもらった賀
状を見せながら説明したのですが……

そこで学生から、自分が予想もしなかった質問が出たの
です。

それは……年賀はがきの表と裏の上下についてでした。

つまり、年賀はがきの裏を縦に使う場合、その上下は、住
所・宛名が書いてある表と、必ず同じ向きにしなければい
けないと説明したのですが……

学生たちは、なぜそうしなければならないのか、今ひとつ
ピンと来ない、そんな反応だったのです。

そういえば……そのクラスは、アメリカ、カナダ、中国、台
湾、韓国の学生で構成されていたのですが、そのいずれ
もが、文字は主に横書きですね。(台湾では縦書きもあ
るそうですが。)

考えてみれば、文字を縦書きする国というのは、今や世
界でもかなり少ないのでは。日本はその、数少ない国の
一つということになりますね。

それで、もちろん横書きでも、上下が全くどうでもいいと
いうわけではないでしょうが、縦書きを常用する日本ほど、
上下の向きを気にしないのかもしれません。

このことに気づいた瞬間、自分が今まで当然のように重
視してきた「上下」の区別が、普遍的なものでないことも
あり得るのだと、思い知らされました。

それは単なる思い込みともいえるのだと。

でも、日本では実生活において、例えば年賀状の表と裏
の上下を反対に書いてしまったら、相手に失礼になるの
で、とてもそれはできませんよね。

日本でこんなふうに上下の関係を大切にするのは、日本
語の中で敬語が重要な要素であることにも顕われている
と言えるかもしれません。

そんな日本で生きている限り、上下関係を気にしないで
生活しろと言っても、それは実際、無理な話です。

それはそうなのですが……

私たち日本人が当たり前のようにしている、「上下を厳密
に区別し、上のほうが下よりも価値があるとみなす」とい
う「常識」に、絶対的な普遍性があるわけではない、そう
いう意識を持っていることは、大切なことではないか。

そう思うのです。


この、思い込みを外そうという志向は、今年、オーラソー
マのボトルで初体験した「ターコイズ」という色の影響の
顕われという面もあるのかもしれません。

(オーラソーマの「ターコイズ」に関する体験については、
「オーラソーマとカード」のカテゴリーの、「初体験の色」
「答は……?」「ターコイズ体験」の記事をごらんくださ
い。)


色に関する話題をもう一つ。

今日の写真をごらんください。

写っている二冊の手帳は、今年のものと、来年用。

右のブルーは、現在使用中の2013年版。

実はこれ、来年の3月まで使える、4月始まりの手帳な
のですが、3月末まで待たずに、赤の2014年版にバト
ンタッチさせることにしました。

なぜかというと、すでに今の段階で、エネルギーの面で
は新たな年のそれに切り替わっている感じがするため
です。(11月末に、上に書いたターコイズのボトルを使い
終わった辺りから、そんな変化を感じました。)

2014年のエネルギーには、赤がマッチする、そんな話
をいくつかのソースから聞いているし、私自身が今、必
要としている色も断然、赤。

そういうわけで、このブログのテンプレートも、これまで
にないレッド系に一新したというわけです。


このブログを2009年のお正月から始めて、まる5年が
経ちました。

この5年間に、自分の意識、立ち位置は少しずつ変わ
ってきていますが、自分自身のためにも、そして、貴重
な時間をとって読んでくださっている方のためにも、こ
れからも書き続けていきたいと思います。

更新が間遠になったり、アップが夜分になったりと、気
まぐれマイペースブロガー、ロージーですが……

今年も気長にお付き合いくださって、ありがとうございま
した。

気長ついでに来年も、引き続きご愛読くださいますよう、
お願いいたします!

さて、明日の大晦日ですが、6年ぶりに、家族と共に
紅白歌合戦を見て過ごそうかと思います。

みなさんは、どうお過ごしになりますか?

どうか、楽しいお正月でありますように!

ドラマ「ごちそうさん」を味わう

2013-12-21 17:54:30 | Weblog
連続テレビ小説「あまちゃん」が終わって二か月余り。

毎日楽しみに観ていた私は、いわゆる「あまロス」に
なるんじゃないかとの危惧があったのですが……

幸い、その心配はいりませんでした。
後番組の「ごちそうさん」も面白いですね。

もちろん、「あまちゃん」とは時代設定も、見せ方描き
方もかなり違うけれど、私には、毎日観たいと思える
魅力があります。

まず、毎回画面に登場する食べ物がおいしそうだし、
興味をそそられます。

特に、今の舞台が大阪で、関西ならではの料理や食
習慣は、東海地方で生まれ育った私には珍しいもの
がいっぱい。

(私は鱧〔はも〕は多分、一度も食べたことがないし、
お母さんが遠足なんかに作ってくれたおにぎりはいつ
も三角。でも関西では三角のおにぎりは法事やお葬
式のものだなんて、ちっとも知りませんでした。え?じ
ゃあ、大阪ではコンビニのおにぎりも俵型なの?)

そんな美味しそうなものたちに彩られて描かれるのは、
朝ドラにはつきものともいえる、「嫁」と婚家の家族の
間で起こる、さまざまなかたちの「交流」。

その中には、いわゆる「嫁いびり」も含まれます。

「ごちそうさん」では、いびられるのは、西門家に嫁い
だヒロインの、め以子。いびる人は、義姉の和枝です
が、このいびり方が圧巻でしたね。

和枝の数々のひどい仕打ちに我慢できず、め以子が
家出宣言をすると、和枝はなんと、め以子の家財道具
一式を大八車に積んで一人で運び、め以子の実家に
送り返そうとまでするのです。

これまで相当の数の「嫁いびり」をドラマの中で見てき
ましたが、これはその中でもウルトラ級のきつさだと思
いました。

そもそも、嫁と小姑が同じ屋根の下で、仲良くやってい
けるというのは、実生活でも稀なことではないでしょう
か。

ましてや、「ごちそうさん」の和枝は細かいところに気
のつく几帳面な人だけに、花嫁修業もあまりしていない
め以子のやることなすこと、すべてが気に入りません。

そんな和枝になんとか気に入ってもらいたくて、おいし
いごはんを食べてもらおうとめ以子が作った心づくしの
お膳をひっくり返されたりして、め以子のほうもずいぶ
ん傷つきます。

こんな二人が一緒に暮らしていることは、お互いに傷
つけ合って消耗するだけで意味がないという見方もあ
るでしょう。

でも、本当にそうでしょうか。

め以子はそれまで、家族みんなの仲がよかった実家
での生活しか知りませんでした。

そんなめ以子にとって、和枝との同居生活は、実家では
不可能だった、さまざまなことを味わい、知るための場
になったのです。

その経験の中には、人間の視点で見れば辛いこと、悲
しいことがたくさん含まれていました。

でも、それを味わうことで、一人の人間としてのめ以子
が大きくなるだけでなく、宇宙の記録の貯蔵庫の中身
がほんの少しずつ豊かになっていく、そんなふうに考え
られないでしょうか。

和枝のほうも、思いっきりいじわる(関西では「いけず」)
をしても、逃げずに自分の置かれた境遇に向き合おうと
しため以子を見て、自分を改めて見つめざるを得なくなり
ます。

め以子に「いけず」をする自分を一番許せないのは、実は
和枝本人だったのでは。

そんな濃密な時間が流れた後、和枝は新しい環境を求め
て、農家に嫁ぐため西門の家を出て行きます。

こうして、二人のレッスンは終わったのです。

これはドラマに描かれたフィクションだけれど、実際に彼女
たちと同じような関係にある二人は、生まれてくる前に、
魂と魂の間で、予め役割を取り決めた間柄であるのかもし
れませんね。


「ごちそうさん」の視聴率は、「あまちゃん」を超えていると
か。

それはきっと、こんなめ以子たちの味わう人生の「醍醐味」
に心をひかれる人たちによって支持されているからに違い
ない。

そんなことを感じています。


敦賀信人選手のキラメキ

2013-12-16 21:43:33 | スポーツ
この冬は、ソチ五輪がありますね。

ウインター・スポーツは何一つできない私、ロージー
ですが、観るのは大好き。

昨夜も、カーリング女子の五輪世界最終予選をテレビ
観戦しました。

日本代表の北海道銀行チームは1位決定戦で中国に
敗れたものの、2位決定戦で見事、ノルウェーに勝利
して、ソチオリンピック出場を決めましたね。

北海道銀行の小笠原選手と船山選手は、すでに二回、
五輪に出場していますが、二人とも結婚、出産を経て
カムバックし、三度目のオリンピック出場を勝ち取りま
した。

私は彼女たちの二度目のオリンピック、トリノ五輪でそ
の活躍を初めて観たのですが、その晴れの舞台で強
豪のカナダを破った感動的な場面が印象に残っていま
す。

オリンピックの試合というのは、人生でそう何度もない
檜舞台といっていいでしょうね。

そこで本来の力を発揮して勝つということは、スポーツ
選手の多くが、ぜひとも経験したいことに違いない。

あの、トリノのカナダ戦のときの彼女たちの歓喜の表
情を見て、そんな思いを強くしたものです。

確かに、あの時の彼女たちは、文句なしに輝いていま
したっけ。


でも私には、あの彼女たちにもましてキラメキを放ち続
けている、ある人物の強烈な記憶があります。

それは、長野五輪男子カーリング・日本チームのスキッ
プ(司令塔)、敦賀信人(つるが まこと)さん。
(ちょうど、昨夜の女子の試合の解説もなさっていました
ね。)

長野五輪当時は弱冠20歳だった彼は、準々決勝をか
けてアメリカと対戦。

4対4で迎えた最終エンドに会心のショットを決めながら、
その直後、相手にスーパーショットを返され、わずか3セ
ンチの差で破れたのですが……

あのときの彼の表情は、16年を経た今もなお、私の中
に、決して忘れることのできない映像として残っています。

その表情を言葉で表現することはとてもできない、と思
えるほどの、一瞬に凝縮された感情がすさまじく胸に迫
ってくる、そんな光景でした。

思えば私は、あの試合をテレビで観てさえいなかったの
です。

ただ、ニュースで、その映像をたまたま観ただけだった
のですが、そのたった一瞬によって、「敦賀信人」の名
は、私の胸に刻まれることになりました。

あのときの彼は、檜舞台での惜敗という、失意の一つ
のかたちを、全身全霊で表現してみせたのです。

それをキラメキと呼ぶことを、彼自身は許さないかもし
れません。

でも……

「すべてなるものの源」は必ずや、彼を祝福するでしょ
う。

勝利の歓喜にむせぶ者と等しく、かけがえのない存在
として。


<追記>
敦賀さんの率いた長野五輪の男子カーリング日本代表
は、五位という素晴らしい成績でした。今回はことさら負
け試合のことを強調して書いてしまったけれど、総合的に
言えば、敦賀さんたちのチームの活躍は称賛に値します。
今回、日本男子カーリングチームはソチ五輪への出場が
叶いませんでしたが、この次はぜひピョンチャンで、敦賀
さんたちのような活躍がみられますように。

マゼンタの刻印

2013-12-07 17:49:27 | 太陽
更新の間隔が、少し空いてしまいました。

最近は普段でも、どんどんと加速するような時の
流れの感覚に(それがたとえ幻想であれ)ついて
いけないと思うこともしばしばですが……

師走ともなると、それがさらに倍加されたような
気がしてしまい……

ほんとうに、一日が半日ほどの速さで過ぎていく
ようで、あいた口が塞がりません。

それでも、自分にもたらされたことのすべてを、素
通りさせることなく、しっかりと観ていたい、そうい
う意識は常に持っているつもりです。

そして、できることなら(いえ、本来できるはずです
が)、自らの意図することを経験したい、そうも思っ
ているのです。

そう念じていた結実なのか、おとといの木曜日の
朝、例の「夢前案内猫」に会いました。

(「夢前案内猫」のことは、これまでにも何回か書
いています。一番最近の記事は、2013年11月2
日付にあり。)

さらに同じ日の夕方、仕事帰りに地元の駅に降り
立ったとき、ほうっとため息が出るほど美しい夕日
をみました。

そしてそれは……快活さそのもののエネルギーを
発しながら、グルグルと回っているようだったので
す。

こんな様子の太陽は、前にもみたことがある、そう
思いつつ、しばしそれを見つめていたら……

その直後、その残像が、マゼンタ色の楕円形にな
ってあらわれたのです。

限りなくピュアで、心を惹きつけられる、そんな色合
い。

それが、宙に浮かんだかと思うと、その後入った駅
前のビルの白い壁に、まるでマゼンタのセロファン
を貼り付けたように見えました。

そしてそれは、ものの数分で、消えていきました。


あのマゼンタ色は、一体どんな現象なのか、どんな
意味を持つのか、今の自分の視点からは、把握す
ることができません。

でも、それはそれとして、今はこの色をしっかりと
みておこう。

そして、心につよく刻んでおこう。

それだけが、今ここの自分にできることだから。

そんな誓いを立てたのでした。


(「グルグル回る太陽」については、2011年2月7日
の記事に書いています。その他にも、太陽に関する
記事が数編あり。関心がおありの方は、「太陽」の
カテゴリーをごらんください。)