今週、春学期の仕事がすべて終了し、夏休みに入ってい
ます。
日本語教師になって20年以上になりますが、今期はその
中でも、ある意味で忘れがたい学期になりそうです。
それは、週一度担当した、あるクラスでのこと。
出身国が同じ、女子学生二人だけのクラスだったのです
が、そのうちの一人(仮にAさんと呼びます)の行動が、
とにかく信じ難いものばかりで……
毎回、クラスメートと離れた一番奥の席に座り、授業中
は一切言葉を交わさない。
声が小さ過ぎてほとんど聞こえず、会話練習ができない。
(クラス外ではごく普通にしゃべっているのに。)
教師の説明はろくに聞かず、スマホで授業に関係ないこ
とをしている。
教師に宿題を直されるのを、露骨に嫌がる。(その結果、
間違いが直らない。)
まだ授業が終わっていないのに、教師が止めるのも無視
して教室を出て行ってしまう。
きりがないので、この辺でやめますが、いったい、何の
ためにここに来ているのかと、理解に苦しみました。
チームを組んで、複数の教師が分担して教えている授業
だったのですが、他の先生たちも、このクラスでかなり
心が傷ついていたようです。
Aさんの態度がそのようになったわけは、結局、はっき
りしませんでした。
始めからこんなふうだったわけではなく、あるいは、授
業を受ける中で、何らかの、Aさんとしてはどうしても
受け容れられない出来事があった……
そういうことだったのかもしれません。
春学期の4ヶ月間、できるならその原因にたどり着く糸
口がつかめたら……そういう思いで、毎週授業に臨み…
…
なんとか普通にコミュニケーションが取れて、学生二人
で会話練習ができたらと、あれこれ働きかけてもみまし
た。
でも、そんな教師の企みは、Aさんの心には響かなかっ
たのでしょう。
時間はむなしく過ぎて……学期の終わりまで、彼女の様子
は変わらなかったのです。
教師としては、ほんとうに無念でした。
おそらく一生に一度の留学という機会。
こんなふうに過ごして、終わってしまうなんて、こんな
残念なことはないと思うのに……
それをずっと間近で見ていながら、どうすることもでき
なかったのですから。
今回のこのAさんのケースは、私のこれまでの教師経験
の中でも、最も精神的にきつかったと言えるかもしれま
せん。
教師として、学生の役に立てなかったという無力感に苛
まれ……
授業中にAさんから無視され、幾度となく冷笑を浴びせ
られて、心はぼろ雑巾のようでした。
それでも、こうした辛い状況の中、一つだけ、救われた
思いがすることがあります。
それは……
Aさん個人のことを「憎い」と思う感情が、今の私には
ない、ということです。
(勇気を出して言うなら、)一切ない、と言ってもいい
と思います。
そう思えるのは、きっと、私たち一人ひとりは、自我
を超えたところでは、大きな一つの意識なのだという
ことが、腑に落ちてきたから。
つまり、Aさんという個人は、本当はどこにも存在し
ていないのです。(もちろん、私、ロージーという個
人も同じことですね。)
だから、憎む理由などない、ということです。
実は、学期中はそう思えなかった瞬間もありました。
こちらを人とも思っていないような態度を取られた
とき、正直、怒りがこみ上げてきたこともあったの
です。
でも、その感情はもう、光へと送り返しました。
今は無事、その源に還ってくれていることを祈って
います。
こんなふうに、この春学期の私に与えられたハード
ルは、今までになく高いものでした。
教師としては、その課題に対して、なすすべがなか
ったといえるかもしれません。
でも……
私たちがただ一つの大きな意識であること。
何よりも大切なそのことを受け容れるという、もう
一つの課題だけは、及第だった……
そう信じています。